今日、午前中は京都市内で。
スタート地点は京都駅八条口、アバンティの横のバス停だった。
ここから乗るのはかつて山科急行線と呼んでいた「京都醍醐寺ライン」である。
といっても目的地は醍醐寺じゃないよ。
山科急行線というのは、阪神高速京都線ができたときに開設された路線だった。
稲荷山トンネル(新十条通)を通って、京都駅と山科・醍醐を結ぶバスとして生まれた。
新十条通区間は去年4月に無料化されたが、このときに名前と運賃体系が変わったんですね。
都市高速だった区間(現在も自動車専用道路)を走るということで、シートベルト付きの車両だった。
トンネルをズドンと抜けると山科区内、そこから山科・醍醐をくねくね走って行くわけだけど、
勧修寺北出町で降りて、そこから少し南に進むと勧修寺という寺にたどりついた。
看板を見ると「かじゅうじ」と読むようですね。でもバス停の名前や町名は「かんしゅうじ」らしい。
地図を見ててなんとなく発見したから来たようなところはあるけど、庭園ですね。
朝一番に来たからか、滞在中、他に誰も見なかったけど、団体バスの駐車場もあるので来るときは来るんだろう。
整ってるという感じではなかったけど、この庭園を結果的に独り占めというのは贅沢だったな。
バスで来たけど、小野駅から近いんで、地下鉄で来るのが便利だと思うんだよな。
ただ、京都駅からだと「京都醍醐寺ライン」が乗り換え無しで早いですから、そこは合理的だった。
じゃあ帰りは地下鉄かというと、これもまた次の目的地の都合、バスである。
今度は五条通経由で四条河原町まで行くバスに乗った。
小野でこのバスに乗ったときはガラガラだったが、そこから住宅地でどんどん乗ってくるが、細い道を走るから走りにくそう。
バスを使った理由は五条坂で降りるから。五条坂で降りるなら五条通を走るバスを使う理由はありますよね。
逆にそうでなく市内まで乗るなら(祇園とか四条河原町まで乗るなら)、地下鉄で行った方がいいですね。
五条坂で降りて行くところはどこだって、そりゃ清水寺でしょ。もう何年ぶりだ。
清水寺へ着くと人が多いが、割合として多いのは学校団体、修学旅行かな。
京都市内の観光客は多いときに比べれば明らかに少ないわけだが、観光客が集まるところには集まるんだね。
団体客がいると、その部分はどうしても密になる。個人客が少ないから全体的に密という感じはないが。
もともと京都に来るつもりだった団体もあるだろうし、計画変更で京都になった団体もあるだろうけど、
この時期になんとか都合がついたのは幸いだったかもしれない。
ちなみに清水寺は工事中だが、本堂の工事が終わって、舞台の工事が行われているが、そこまで気になるほどではない。
やはり眺めはいいですし、双眼鏡片手に境内をいろいろ観察していた。
そんなこんなでちょうど24時間ほどの京都滞在を終えて、近鉄電車に乗って奈良方面へ。
昨日、到着したときに近鉄京都駅で仕込んでおいたフリーきっぷを使う。
大阪府・奈良県・京都府内乗り放題で1000円は安い。あんまり考えなくてもメリットが出る。
ちょっと寄り道もしつつ、今日の奈良散策のスタートは平城駅から。
なんで平城駅なんて不思議なところからスタートするのかというと、近くに神功皇后陵があるから。
平城・相楽ニュータウン(高の原駅周辺の住宅地)に住んでいる人が、神功というニュータウンらしからぬ町名に住んでいて、
その神功というのは、ニュータウン近くにある神功皇后陵から取られた名前らしい。なんてことで知ってたんだけど。
えらく立派な古墳で、神功皇后とは言うんだけど、長く摂政の地位にあったこともあって、天皇に準ずるような扱いだった? とのこと。
この神功皇后陵の周りをぐるりと歩いたのだが、壕を農業用水用のため池、あるいは養魚場として使ってるらしい。
池に石柱が経っていて「御陵兆域」と書いてあり、そういう線引きはあるが、皇后陵の一部を地元の人々が使っているという事実は変わらない。
他にもこのあたりはいろいろ古墳があって散策していたが、きれいに整備されてるなと思ったら「垂仁天皇皇后日葉酢媛命 狭木之寺間陵」とあった。
垂仁天皇陵というと、尼ヶ辻駅の近くにあるけど(電車からもよく見える)、その妃が埋葬されてるらしいということか。
垂仁天皇陵は今までもきれいに整備されてるなと思ってたので、それですぐ気づいたんだけど。
どうも盗掘の被害に遭ったのを修復する工事をしたという経緯があったそうで、きれいに整備されてたのもそのためかも。
大和の遺跡/佐紀陵山古墳[奈良市山稜町](橿原考古学研究所)
ここまで来ると ならファミリー が見えてきて西大寺駅近く、そして平城宮跡も近い。
そんなわけで平城宮跡資料館を見学してきた。ここは奈良文化財研究所のPR施設のような面もあるのか無料である。
平城宮跡の発掘調査は今も続いているが、そういう調査で平城宮の実像というのが少しずつ浮かんでくる。
それを復原して紹介しているわけだが、机だとか具体的な道具の形みたいなのは、なかなかわからないもので、
そういうのは正倉院宝物を参考に復原していて、本当にそうだったのかな? と疑ってみてしまうところはあるが、
1200年以上も前のことが正確にわかるわけなんてなくて、そんな中では資料は揃ってるほうなのかもしれない。
ちょうど「地下の正倉院展」という企画展示をやっていて、どうも毎年秋の特集展示はいつもこの名前らしい。
今年のテーマは長屋王家木簡ということで、今年に重要文化財に指定された木簡について紹介していた。
食料に関係する木簡が多くて、それだけ大切だったってことだなって。
そうこうしてるうちにちょうどいい時間と電車で奈良公園へ移動して、奈良国立博物館へ。
指定の時刻より少し遅く行けばすぐ入れるかと思ったが行列を成していて、少しずつ入れているようだ。
普段の正倉院展に比べればはるかに空いているのはいうまでもない。
人の肩越しにしか見られない宝物が、そこまでせずとも見られるぐらいには。それでも展示物の前には人が集まるけど。
一体何人ぐらい入れたんだろうかというのは気になったけど、本来これぐらいでも盛況だなという感じ。
このご時世ということで、展示物に薬関係のものが多かったり、あと布物が多かったですね。
正倉院宝物の布物ってボロボロのものも多いわけだけど、今回は比較的整ったものが多かった気がする。
そんなこんなで正倉院展を出ると、外は暗い。
鹿たちももう寝床に行ってしまったようで、奈良公園は人も鹿もいなくて寂しい。
今まで夜間開館狙いで奈良博に来たことはなかったけど、奈良公園という立地で夜間開館は厳しいと思う。
ただ、正倉院展ではいかに奈良公園が寂しくても、夜間開館で観覧のチャンスが増えるメリットだけで十分だと。
そこで満足して良いのかというのはありますけどね。