佐渡へ行くため上越に行く

この連休、果たしてどうしたものかというのは悩み所だった。

というのも4/27と5/4は東京で用事があるのでここは遠出できない。

4/28は稼働日だが、27日に帰ってくるのは遅いから仕事にならない。ゆえに休暇。

29日からは有給休暇計画取得日を含めて連休に入ってしまうからどうやっても休み。

前にも後ろにも付けられない中で何かやることはあるだろうか。

そう思って日本地図を眺めていると、佐渡島が目に入った。距離的にも案外近いしよいのでは。


そんなこんなで計画を練っていた。

一般的に佐渡へは新潟港~両津港の船を使うのだが、直江津港(上越市)~小木港の船もある。

今回、往路は直江津からの船を使うことにした。

理由は2つあって、1つは佐渡での目的地がこちらの方が近かったから。

もう1つはJRE POINT特典を利用する場合、上越の方が有利だったからというのがある。

JRE POINT特典、手持ちのポイントだと200kmまでの区間に4620ポイントで乗車できる特典が使える。

200kmという距離、大宮~新潟には全然足りなくて、大宮を起点に取れば浦佐、新潟を起点に取れば上毛高原と、これでは全然使い物にならない。

大宮~上越妙高もやはり足りないのだが、上越妙高を起点に取れば本庄早稲田までは使える。

本庄早稲田って高崎の1つ大宮寄りにある新幹線単独駅で、それは高崎~上越妙高で新幹線が使えるという意味……

と、確かにそれでもよさそうなのだが、本庄早稲田駅の近くの地図を見て、これはバイクで行けるのでは? と思った。


というわけで今日のスタート地点は西武の駅である。ここでバイクを畳んで電車に乗って本川越駅まで。

本川越駅から東上線の川越市駅までは近いが、畳んだバイクを持って運ぶには遠い。

なので少しだけど、一旦バイクを組立て、数分自走して、また畳む。

東上線に乗ったら小川町で乗り換えて終点の寄居まで。ここまでそう苦労なく移動できる。

地図を見て気づいたというのは本庄と寄居がそう遠くないということである。

自転車で走っておよそ1時間、15kmほどの旅である。

そんなにおもしろい話はなかったんだけど、トラクターが横切っていて農作業日和だなとみていた。

本庄早稲田駅近くに大きなスーパーがあり、ここで昼食を買って駅へ向かう。


本庄早稲田駅は新幹線単独の駅で、ゆえにそんなに賑わっているような駅ではない。

早稲田というのは早稲田大学の高校やセミナーハウスが至近のため。駅の西側すぐ近くらしい。

実際、学校関係者の利用が多い駅だという。

あとが本庄市周辺でP&Rでの利用も多いそう。これは新幹線単独駅あるあるですけど。

新幹線単独駅に近距離券売機があるのかーと思いながら、ICカードをタッチして改札を通る。

新幹線eチケットを使うのは初めてだったかな。座席番号を印字する端末があるのでタッチして印字する。

振り返ると改札の出口前にICカードチャージ機があるので驚くが「タッチでGo!新幹線」利用者を想定したものか。


本庄早稲田~上越妙高は直通とはなかなかいかず、高崎駅で一旦降りて後続に乗換。

時間帯によるが10分ほどの待ちで乗り換えられた。

乗り込んで、バイクを最後列にとった座席の後ろとか荷物置き場に置こうと思ったら、

大きなスーツケースが荷物置き場、座席の後ろにぎっしりと置かれていた。なんじゃこりゃ。

仕方ないのでデッキに置いた。長野で外国人グループが4個ぐらい持って行って、空いたところに押し込んだけど。

東海道新幹線と異なり荷物スペースが担保できる仕組みが無いので、あふれかえってたようである。

本庄をでてから、高崎での乗換含めて1時間、上越妙高駅に到着。山を見るとまだ雪がちらほら。


上越妙高駅、一応は境界駅ということで少し立派な駅である。

普段は折り返しする列車もないし、乗務員交代も長野だから、実態は大したことない中間駅だが。

その昔、長野~新潟の移動時に乗換で利用しているが、外に出るのは初めて。

改札前の通路は自転車も押し歩きで利用できる道路らしく、エレベータに押し歩きで利用するよう指示があった。

外に出ると融雪パイプからでたサビが目立ち、雪国だなぁと。

というわけでここからバイクで走り始める。


上越市というのは越後を上越・中越・下越と3分したときの一番西の上越から来ている。

なぜそんな雑な命名なのかというと、1971年に高田市と直江津市が合併したときの命名だからである。

というわけでまずは高田へ向かうことに。走って行くとお堀が見えてきた。これが高田城址公園である。

高田は城下町として役所が多くあるため、現在も国の役所では高田とついた役所がしばしばみられる。

それにしても立派な城跡である。桜の名所らしいが、よく整備されているのが印象的である。

復原建物の三重櫓があり、わざわざ見るものかと思ったが、歴史博物館とセットなら100円ぐらいの差なので見ていくことに。

説明の中で印象的だったのが石垣ではなく土塁で囲まれた城であるということで、

確かに改めて見てみるとそうで、その背景には短期間で築城されたという事情があるそう。

まぁ眺めはそれなりによい。といっても往時の姿はかなり失われてしまっているのだけど。


さらに詳しいところは上越市歴史博物館で紹介されている。

平成の大合併後の上越市を意識して展示内容を作り直したとは書いてあるが、多くが高田の歴史である。

そもそも上越には越後国府があって、上杉謙信の居城だったという春日山城という巨大な山城があった。

この春日山城の代替として福島城が海沿いに作られたが、まもなく移転され高田城がつくられた。

こんなところからもわかるが歴史的にはこのあたりが越後の中心地だったのだという。

やはりそれは陸海交通の接点として重要だったということで、それが直江津ですね。

高田城のお堀はもともとこのあたりを蛇行していた川の流路を変えて作ったものだという。

えらく巨大なお堀だが、元々あるものをうまく活用していたんですね。

歴史の最後の方には石油採掘の話があった。現在でも新潟県ではガス田・油田が存在する。

なんと江戸時代に手掘りで石油を採掘していたのだという。そんな時代があったとは知らなかった。

あとは雪国ということで雪下駄とかスキー板とか人力そり(雪上の人力車ということ) とかそんなのも展示していた。

高田は日本におけるスキー発祥の地で、オーストリア式スキーと書かれていて、アルペンスキーかと思ったが、ストックが1本なんですね。

とはいえ、かかとが固定されるという点では現代の主流であるアルペンスキーの原点とは言える。


ここで春日山城のことが気になって地図で見てみると、バイクで行けば16時ごろには着いて散策できそう。

というわけで走って行く。こういう機動性の高さはバイクを持って行っているからこそ。

ふもとにある「春日山城跡ものがたり館」にバイクを停めて、案内図をもって散策を開始した。

山城だと言ったが、ふもとの広場も城跡で土塁を築いて何か建物があったらしい。

城としては強固だったかもしれないが、政治には不便で、ふもとにも建物を作りながらやっていたが、

やはり難しいということで福島城を経て高田城への移転することになったのだろう。

春日山神社に向かって進んでいくが、歩道のない道を歩かされる。

自動車で来る人が多いんだろうけど、これはいかにという感じである。

バイクで上がればよかったじゃないかって? この急坂では電池消費がひどすぎるだろうし……

とにかく山肌に沿ってたくさん建物があったことがわかる。巨大な城である。

本丸跡からの眺めはとてもよい。他の城との関係に着目した案内が置かれていたが、

実際に本丸から一番目に着くのは上越火力発電所なのだが……


ここら辺まで来ると直江津の市街地まで少し。

というので直江津の中心にドカンとあるエルマールというショッピングモールに来た。

ここの2階は無印良品がほぼ占有して、書店もフードコートも無印である。

イトーヨーカドーの撤退後、無印良品が大きく展開し、エルマールの中心的存在になっている。

100円ショップで買いたい物があったから来ただけなんですけど、すごいところだなと。


そんなこんなで夕食を食べて宿に到着。

明日は佐渡に渡る船の都合、朝が早いので「無料朝食」ってのは無理だなと思ってたのだが、

弁当詰めて渡せますよと言われて、これは意外な展開。

バタバタしそうだなぁとは思いましたけどね。

市街化調整区域に地区計画を決めたい理由

昨日、地区計画のことを調べているときに、市街化調整区域に設定された地区計画を見て、

え? 市街化調整区域に宅地化を前提とした地区計画って作れるの? と驚いたが、けっこうあるらしい。


そもそも市街化調整区域というものは何かという話である。

都市計画区域、これは○○市全域のようなかなり広い範囲を指定することが多いが、

この中で用途を決めて市街地化させる範囲を市街化区域と呼ぶ。

ただ、全域が市街化区域という都市計画はあまり多くなくて、市街化区域以外の地域が存在することが多い。

この市街化区域以外の扱いは市街化調整区域として市街化を抑制するのが原則だったが、

白地地域として特に用途を定めないままにすることも可能である。

市街化調整区域にした場合、区域内での開発行為は厳しく制限され、農地・山林の無秩序な市街地化が防げるわけである。


地区計画はピンポイントで都市計画を上書きする効果がある。

住居エリアに建つ有明アリーナ

準工業地区だけど、工場の立地を制限して高層マンションの立地を可能にしたり、

本来は体育館・観覧場が立地できない第一種住居地域でもアリーナが設置できたり。

この考えは市街化調整区域の地区計画にもあたるはなしで、

地区計画が定められた市街化調整区域では、地区計画に沿った用途の建物は当然認められる。

市街化調整区域なんだけど、地区計画の範囲では市街地的な利用が可能になる。


そもそも市街化調整区域でも一定の開発行為は認められている。

典型的には農家の住宅、日常的な商店、農業用の施設、ガソリンスタンドなど道路利用者のための施設など。

これが緩いのか厳しいのかというと一概には言えないところはあるのだけど、

農家の住宅として建てられた建物は、居住者が変わる場合でも新たな開発として許可が必要になる。

このため空き家の利用が進まないとか、空き家となったまま朽ちるも手が付けられないということが起きる。

ここに低層住宅は立地可能という地区計画が出来ると工場勤めの人が空き家に住んだり、改築して住むのが容易になる。

小規模な飲食店は立地可能という地区計画ができると、空き家を飲食店に転用したりできる。


この地区計画だが、実際に活用されているのは高速道路のIC近くや住宅団地が多いようだ。

市街化調整区域にある高速道路のIC近くに工場・倉庫などが立地する場合、そこに地区計画を定めれば、

その範囲では工場などの立地が可能になる。

市街化調整区域に住宅団地? と思うかも知れないが、市街化調整区域にも昔に開発された住宅団地は存在する。

このような住宅団地には開発許可時の条件に従った規制が存在するが、実態に合わない場合もある。

この場合、地区計画を定めることで、開発許可時の条件を実質的に上書きすることができる。

(地区計画に合わない建物の新築は認められず、地区計画に適合する新たな開発は認められるため)

元々、専用住宅のみ立地可能となっていたが、第一種低層住居専用地域で認められるような兼用住宅は認めるなど。


でも、やっぱり変だなと思うのである。

農村内の集落も、IC近くの工場も、住宅団地もそれはそれで市街地の一部ではないかと。

IC近くで工場が立地するべきという地域は工業専用地域にした上で必要なら地区計画を決めればいいし、

住宅団地こそ住居系の用途地域を設定するべきではないかと。

どうして市街化調整区域のまま、地区計画を設定するのか。考えて見たが2つ理由がありそう。

1つは地区計画が定められても、農地は市街化区域外にある農地に違いないということである。

市街化区域にある農地は生産緑地として指定されたものを除き、宅地並みの評価を受け、税額も増加する。

そして、それを他用途に転用するための手続きは簡略化されている。

このような形で都市農業のために残すべきとなった生産緑地以外は市街地化が進む仕組みになっている。

でも、市街化調整区域に地区計画を立てても、別に市街地化しなければならないわけではない。

実際、市街化区域以外に地区計画が定められる条件には「不良な街区の環境が形成されるおそれがあるもの」というものもある。

例えば幹線道路沿いはこの範囲にこういう条件で建てられますと地区計画を決めたとしても、

農地として使い続けても構わないし、いざ農地を転用しようとしても優良農地だからと認められない可能性はある。


でも、それならすでに存在する住宅団地や、確実に開発される工場などは用途地域を決めればよさそう。

もう1つの理由、それは市街化区域は原則50ha以上まとまってなければいけないということである。

IC周辺・駅周辺など特別な事情がある場合は20ha以上まで緩和されるらしいのだが、それでもそれぐらいは必要。

確かに市街化調整区域の地区計画というのは飛び地的に設定されていることが多い。

間に優良農地を挟んでいたりすると市街化区域でつなぐこともできない。

そうはいっても実際には中心市街地と一体となって都市機能を担っているわけですけど。

そういう市街地は市街化区域としては認められないが、実際にはごくごく一般的なものである。


なお、白地地域も用途地域がない地域ということで、市街化調整区域同様の条件で地区計画が決められるが、

こちらは特定用途制限地域という制度が適用できて、こちらの方が一般的なよう。

元々、白地地域というのはかなり制限が緩くて、あまりに無秩序にすぎるという問題があった。

市街化調整区域ほど厳格な制限はかけないけど、建物が建つ場合の用途はきちんと決めましょうと。

これも市街化区域の外には違いないので、農地転用の手続きは通常通りということになる。

その中でも住宅団地などで細かいルールが必要なら地区計画も使うんでしょうけど。


日本なんて、農村だとかなんとか言ってもほとんどは都市的地域ですからね。

そんな中で飛び地であるだけで市街化区域にできないというのが実態に合ってない気がするが、

とはいえ、都市計画区域としては市域全体など広い範囲で指定されているので、

その中で地区計画などを定めることは可能ということで救済されているわけですね。

もっとも、この仕組みは実態に合った土地利用が可能になるメリットもあるが、

あくまでも市街化区域の外というので都市計画税がかからないという不公平がある。

日本電産新拠点は都市化制限エリア、宙に浮く課税 京都・向日市が誘致 (産経新聞)

改めて確認したら、向日町駅近くという特徴から土地区画整理事業がを行ったのだが、

市街化区域にして区画整理をするのではなく、市街化調整区域のまま地区計画を立てての実施だったと。

その背景には一部が農地で残るとか、市街化調整区域の見直しは市単独ではできないとかいう事情もあったよう。

飛び地ではないのでゆくゆく市街化区域になる可能性は十分あるが、当面はこのままだという。

不公平解消のために市街化調整区域でも地区計画で宅地化したら都市計画税を課税する市町村もあるが少数派。

住居エリアに建つ有明アリーナ

この週末はすさまじいイベ被りの日と言われていた。

  • THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS STARLIGHT STAGE 10th ANNIVERSARY TOUR (東京・有明アリーナ)
  • MyGO!!!!!×Ave Mujica 合同ライブ「わかれ道の、その先へ」 (Kアリーナ横浜)
  • ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ 4th Live (石川県産業展示館)

これらをハシゴする人もしばしばいたようだけど。

で、僕は昨日にシンデレラガールズのために有明アリーナに行っていたと。


その有明アリーナなのだが、主に退場の導線が大きく変わっていた。

来場についても、有明テニスの森から来る人は途中で運河沿いの有明親水海浜公園に誘導されて、

それでアリーナの敷地に入るようになっていた。他の方面はそこまでではなかったかと。

問題は退場である。やはり大変なのは退場の方なのは言うまでもないが。

まず、基本的に全ての来場者は一旦、有明親水海浜公園に出される。

ここに階段があるので人が集中してると怖いのだが。

ここで東雲駅へ向かう人は東に別れることになる。(この方式になってから東雲駅への帰路はスムーズである)


大半の人は西向きへ向かい、最初のスロープで新豊洲駅方面へ向かう人は別れる。

アリーナから遠い方の歩道で木遣り橋を渡ることになる。

しかしこちらを渡ると新豊洲駅・豊洲駅へは横断歩道を渡らないといけないわけで、面倒である。

でも、退場はこのルートでしなければならないらしい。

次のスロープでテニスの森駅・国際展示場駅へ向かう人はスロープを上がる。

国際展示場駅もここなのかと思ったけど、ゆりかもめに沿ってほぼ1駅歩くんですね。

環二通りの下をくぐって階段を上がるとアーバンスポーツパークにたどり着く。(cf. グリーンアローズの道をバイクで走る)


従来と比べると南西角の横断歩道を渡らなくて済むようになりスムーズになった側面もあるのだが、

アリーナから最初のスロープまでは人が多く、そこに屈曲部もあるのでかなり混み合う。

あと明らかに新豊洲駅は遠くなってしまった。

従来は新豊洲駅へ向かう人は北西角から出してくれたのだが「会場ルールにより閉鎖中」とバリケードがあった。

このルートだけ別の動きになるのが混乱の元だったのは否めないところはあるが、

他のルートと異なり横断歩道を回避するものではない。(むしろ新豊洲駅付近で新たな横断が発生している)


このような導線変更の背景に隣接する住宅とのトラブルがあることは容易に想像できる。

この導線変更によりほぼ周辺の住宅に接するところはほぼなくなった。

しかし、こうなると気になるのは有明アリーナはどうしてこんなに住宅に接したところにあるのか。

しかも周辺のスペースも少なく、サブアリーナ(バスケットボールでよく使われる)が借りられない場合、

グッズ売場は遠く離れた国際展示場駅周辺のビルになったりするわけである。

なんでこんなことになってしまったのだろうか?


気になって都市計画図を調べたところ驚くべきことがわかった。

この周辺の有明地区は有明アリーナのある運河沿いが第一種住居地域(一住)、

内側に帯状の準工業地域(準工)、にぎわいロード から 東京湾岸道路までは一住となっている。

え? 有明アリーナも有明ガーデンも一住なんですか? そんなバカな。

と思って都市計画図をクリックしてみると「臨海副都心有明北地区地区計画」があることがわかる。

この地区計画からいろいろ調べてみると、用途地域の切り方の謎がわかってくる。


地区計画では通常の用途地域と大きく違うものとして下記のものを定めている。

  • 有明北雨水ポンプ場の街区(二住): ポンプ場のみ立地可能
  • 有明アリーナの街区(一住): 体育館・観覧場・にぎわいの創出に寄与する店舗などのみ立地可能
  • 有明西学園(義務教育学校)の街区(一住): 学校のみ立地可能
  • 準工業地区のうちマンション立地の街区: 第一種住居地域に建てられない施設は立地不可
  • 上記以外の準工業地区: 接待飲食店・ぱちんこ屋・性風俗特殊営業は立地不可
    (これだけだと工業地区にしか立地できない工場なども立地可能になってしまうが?)
  • 東京有明医療大学の街区(一住): 学校・診療所が立地可能
  • 有明小中学校・有明教育芸術短期大学の街区(一住): 学校・保育所が立地可能
  • 有明ガーデンの街区(一住): 準工業地区に建てられない工場、工場以外の商業地区に建てられない施設、性風俗特殊営業は立地不可
  • シティタワーズ東京ベイの街区(一住): 商業地区に建てられない施設、性風俗特殊営業は立地不可
  • 有明テニスの森公園の街区(一住): 体育館・観覧場・店舗・飲食店・事務所・下水道処理施設のみ立地可能

準工なのに一住相当、一住なのに商業相当の地区があるという変な状態になっている。

有明ガーデンはなんで工場が緩和されてるんでしょうかね。ユーティリティのためかな。


なぜ、このようなことが起きているか。

計画図に書かれた「有明北土地区画整理事業」を手がかりに調べてみると理由がわかった。

元々、この一帯はにぎわいロードを境に、運河側が倉庫中心の利用が行われていた。

東京湾岸道路との間は住居系の利用を想定していたが、テニスの森公園がある程度である。

現在、有明アリーナとかアーバンスポーツパークのあるあたりは貯木場になっていたようだ。

これが帯状の準工の正体である。確かに現在でも倉庫が立地しているのがみられる。

後にこの貯木場は埋め立てられていくわけである。


その昔は新豊洲変電所や豊洲市場のあたりは東京ガスの工場があって、運河に橋はかかってなかった。

ガス工場がなくなり、環二通り、晴海通りの延伸部にあたる有明通りを整備するとなったとき、

従来の倉庫などに退いてもらう必要が生じたわけである。

このために区画整理事業が行われ、この一帯は住居系の利用に移り変わっていくわけである。

かといって従来からの倉庫が全く無くなるわけでもないので、そこは段階的にやっていくのだと、

準工の一部をマンション地区として容積率を緩和する一方、一住相当に制限することが行われている。

有明ガーデンのあたりは大昔に設定された一住がずっと維持されているわけだが、

商業・オフィス系の利用をするということで、商業相当までの緩和が行われているわけである。

このような段階的な用途設定を行うための地区計画だったようだ。


このゾーニングによれば有明アリーナは明確に住居系のエリアである。

ところが貯木場を埋め立てて未利用の土地だったのをよいことのオリンピック関連施設が整備されることとなった。

その中では唯一の恒久施設が有明アリーナである。

(有明GYM-EXとなっている元体操競技場はあくまでも仮設施設で、10年程度利用した後解体される計画)

運河沿いはアーバンスポーツパークを含む公園としてオリンピック・パラリンピック開催のシンボルになる。

それと連続した場所に有明アリーナは存在するが、その帯の幅よりもアリーナの方が広いのである。

すごく無理のある立地になっていることは確かである。


冒頭の話に戻るが有明親水海浜公園の一帯は有明アリーナと連続した公園エリアで、

ここは住居系の用途地域にしても一応はアリーナと一体となって利用できるゾーンと言える。

できるだけここに入退場導線を集めたいということなんですね。

ただ、やはりこれもあまり余裕のないというのが実情である。

もしかするとGYM-EX隣接地に整備されている広場部分ができると、ここをグッズ売場にできるかも。

こうするとテニスの森駅付近の公園入口がアリーナの表玄関のように扱われるのかも。


シンデレラガールズが東京都で大規模なイベントを行うのは2014年に行われた2ndライブ以来。

アイドルマスターシリーズ全体では武蔵野の森総合スポーツプラザもよく使ってる気がしたけど、シンデレラガールズはなかったですね。

このときの会場は代々木第一体育館、新旧オリンピックあわせの体育館でやったということだ。

大阪城ホールは3度も使ってるのにとか思ってしまうけど。会場違いもあるけど幕張新都心一帯が多いですかね。

シンデレラガールズはアイドルに声が付いた時期がけっこうばらつきがあるが、

一番新しくてももうだいぶ経っているので、もうみなさんだいぶ経っているというころで板に付いている。

衣装もあるけど、シンデレラガールズの実在性というか、そういうのを強く感じたなと。

凱旋門賞が日本馬を招致したい理由

JRAでの海外馬券発売ももはや定着してきた感はある。

そういえば今日は香港チャンピオンズデーの3レースの馬券発売があるんですね。

その海外馬券発売で飛び抜けて売れるのが凱旋門賞である。

JRAでの売上は当地フランスのPMUの売上よりはるかに多いというのも知られた話である。

ただし、JRAの内規では海外馬券発売は一定の実績のあるJRA所属馬が出走予定の場合のみ行うことになっている。

すなわちJRA所属馬が凱旋門賞に行ってくれないとこの売上はないわけである。


そして凱旋門賞は招待競走ではないので輸送費・滞在費と負担が重い。

このような事情を考慮してJRAでは海外遠征協力金という制度を用意している。

2歳戦を除くG1勝ち馬が出走する場合は500万円、

帰国後にジャパンカップ・有馬記念に出走する場合は+1000万円が支払われる。

原資は凱旋門賞の馬券売上であることは言うまでもない。

とはいえ、この条件にあたる馬だけが出走するわけじゃない。


そんな凱旋門賞だが日本からの遠征馬、最大2頭に限り輸送費補助が導入されるようだ。

日本馬誘致へ凱旋門賞が3つの変更「輸送補助」「前哨戦の前倒し」「馬場改修」ギャロ発表 (日刊スポーツ)

大半を占めるヨーロッパ圏の馬は輸送費自己負担なのは変わらないし、

遠方でもオーストラリアや香港などからの出走に補助があるわけではない。

わざとらしいが、ヨーロッパ以外から凱旋門賞に継続して参戦しているのは日本だけだからとのこと。

前哨戦となるニエル賞・フォア賞・ヴェルメイユ賞も1週繰り上げになる。

JRAの前哨戦繰り上げと重なるが、日本の調教師の意見を聞いてのことらしい。

また、凱旋門賞の時期は雨が多く、馬場が悪くなりやすいため、馬場改修を行うとのこと。

馬場が極端に悪化しては勝負にならないので、遠征なんてやってられないという声もあったのだろうか。


日本からの遠征馬に限り輸送費補助があるのはJRAでの馬券発売の分配金目当てだろう。

こういう話はアメリカのブリーダーズカップでもあった。

元々ブリーダーズカップは北アメリカ以外からの出走馬には輸送費補助がある。

基本的な輸送費補助ではかなり足が出るのだが、日本からの出走は補助額が増額されているらしい。

今回のマルシュロレーヌの場合、むこう(主催者)が出してくれる金額が、輸送費をひっくるめて日本以外の馬だと4万ドルだったんですけど、日本の馬は10万ドルということを聞いて、俄然やる気になりましたよね。

(BCディスタフ覇者マルシュロレーヌの軌跡 (ウエブハロン))

BCディスタフはJRA馬券発売対象のレースではないが、それでも増額対象だったという。

この年のBC開催はJRAでは3レースの馬券を発売して、計13億円の売上となっている。

BCフィリー&メアターフに出て優勝したラヴズオンリーユーが、BCターフとの両にらみだったので日本馬がいないレースの馬券発売が行われる珍事もあったが。


とはいえ、そういう即物的な理由だけでもないんじゃないかという話はある。

凱旋門賞が芝2400mの世界チャンピオン決定戦を死守するための道ではないかということである。

凱旋門賞は世界のトップ100 G1レースの1位になることが多いレースである。

芝2400mの主要レースというのは概ね下記のところである。

  • ドバイシーマクラシック(UAE) (2410mだけど)
  • 凱旋門賞(フランス)
  • キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(イギリス)
  • ブリーダーズカップターフ(アメリカ)
  • ジャパンカップ(日本)

この中でもっとも国際競走らしいのはやっぱりドバイシーマクラシックですよね。

2400mの世界チャンピオン決定戦という意義を失いつつあるという危機感はあるのだろう。


そして、ヨーロッパでは2400mというのは長すぎるという評価になっている。

それは日本にヨーロッパの2400mのチャンピオンが種牡馬として続々と渡ってきていることからもわかる。

フランケル一族が日本に来る理由

世界競馬を見渡したとき、アメリカはダート中心、オーストラリアはマイル以下が中心、

ヨーロッパも平地は2000m以下が評価が高いという状況だが、

日本は芝2400~2500mに格式高いレースが多いため、ここに注力し続けている。

3000m級は日本でもさすがに長いという評価ではあるが、天皇賞(春)と菊花賞はこのクラスの世界最高峰である。

そんな日本で行われる2400mのチャンピオン決定戦、ジャパンカップは近年は外国馬はなかなか歯が立たないレースになっている。

ヨーロッパからの遠征馬にとってはスピード勝負に過ぎるからという話はあるが、

地元勢の層が厚すぎるからという要因も大きいはずである。


実はすでにジャパンカップは2400mの世界チャンピオン決定戦なのではという説もあってですね。

というのも日本競馬は少頭数のレースが少ないんですよね。

それは賞金(6着以下に払われる出走奨励金などを含む)が高いからなんだけど。

ヨーロッパのレースを見るとG1でもこれだけしか頭数いないの? と思ってしまう。

多頭数のレースで形成されるレーティングというのは傑出した馬が発生しにくい傾向にある。

平均的なレベルが高いことは疑いはないし、実際にワールドベストホースランキングには日本馬は多く掲載されている。

でも実際はもっと強い馬がいるんじゃないの? ということである。

世界のトップ100 G1の上位になるレースというのは傑出した馬が上位に入ったレースという側面もかなりある。

2023年にジャパンカップが1位になったのはイクイノックスが走ったからというのが大きな要因である。

ジャパンカップが世界一になるまで


凱旋門賞が日本馬なしに2400mのチャンピオン決定戦の地位が保てない状況だと、

もはやジャパンカップが世界チャンピオン決定戦になってるような気はするけど。

でも、こういうのは既得権みたいなところはありますからね。

既得権があるうちに、日本の有力馬を招致して地位を保ちたいと。


今年の凱旋門賞ですが、日本からも何頭か登録が報じられているが、

やはり参戦有力なのは昨年の有馬記念を優勝したレガレイラでしょうね。

去年も牝馬ながら皐月賞・ダービーに参戦する前後で凱旋門賞登録が報じられていた。

残念ながら春2戦で結果が出なかったので参戦はならなかったが。

前哨戦として(牝馬なので)ヴェルメイユ賞を選ぶかはわからないけど、その可能性もあるのかも。

Ryzen APU搭載PCを買う

デスクトップPCを立ち上げたら画面が表示されない。

変だなぁと思って、一番壊れやすいのはメモリだよなと片側ずつ挿抜すると、

ビープ音が鳴って、調べると「メモリ不検出」となってしまった。

メモリの異常というよりはマザーボードの故障なのかなぁ。

いずれにせよ動かなくなってしまった。これは困った。


今のPCを組み立てたのはおよそ4年前のことである。

最新APUはいろいろ難しかった

Ryzen APUを使いたかったがために自作したが、散々な目にあったという話である。

もう、自作PCはやめようと思っていたところなので、何かいいのはないかと探すことに。


というわけでマウスコンピューターのWebサイトにやってきた。

マウスコンピューターとパソコン工房(ユニットコム)はグループ会社である。

マウスコンピューターには様々な歴史を持つPCのブランドが集約されたということでバラエティ豊か。

そんなわけでHDD,SSDの移植に困らなさそうでコストパフォーマンスに優れたPCを探すことに。

として行き着いたのはRyzen APUを搭載したPCだったのだった。

実際のところぐらいフィックボード別載せに比べてよいのかというと微妙なところだが。

というのもグラフィック用のメモリがメインメモリと共用になることも考慮してメモリ増設したためである。

Ryzen 7800Gを搭載したPCでメモリを32GBまで増設しておよそ16万円である。

内蔵GPUとしては強力なことは間違いないけど、コストパフォーマンスはあまりよくないかもね、という評もあり、

確かにGPUなし(というか無効化された)CPUとグラフィックカードを付けたものの方が総合的にはよかったのかも。

省電力ではありますけどね。でも別にデスクトップPCの消費電力なんてという気はする。


光学ドライブとHDDは現行PCからの移植を想定しているので、

それが入るということで見た目は素朴なPCになりそうである。

なぜか無線LANを搭載しているのでEthernetはつながなくていいけど、

すぐ近くにルーターがあるのに有線でつながない理由もない。

世間の連休前の出荷ということで、後半にこのあたりの作業をするのだろう。


しばらくの間はノートPCで場を繋ぐこととして、

テレビとキーボードとマウスを全部繋いだら、見た目上はあまり変わらない気がする。

それにしても痛い出費ですね。長期的に見ればあると思ってた出費ではありますけど。

浮動小数点数比較の謎

昔のプログラムで浮動小数点数を==で比較するというギョッとするコードがあった。

こんなのまともに動いてたのか? と思ったが、条件によっては問題なさそう。


なぜ浮動小数点数を==で比較するのが御法度とされるのかというと、丸め誤差のためである。

コンピュータの浮動小数点数では0.1は通常は正確に表せないことが知られている。

IEEE 754形式の浮動小数点数、PCだと64bitの倍精度浮動小数点数が使われることが多いが、

マイコンでは32bitの単精度浮動小数点数が使われることが多いので、こちらで例示するが、

0.1は2進数の小数で言えば 0.00110011… という循環小数になる。

2進数で書けば 1.xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx × (10)n

という表記にしなければならないので、正確に0.1を表すことが出来ない。

このため、ほぼ同じ数が計算順序などで表記上違う値になることが起きうるのである。

なので、浮動小数点同士がほぼ等しいことを比較するには

fabsf(x-y)<1.0e-5 のように、2つの浮動小数点数の差が非常に小さいと表記すればよいわけである。


なのになぜ問題が起きてなかったのか。

理由は比較する数字がほとんど整数だったからのようだ。

小数は2進数で表記すると循環小数になることも多いが、整数は2進数にしても循環小数になりえない。

単精度の場合、上記の表記で正確に表現できるのは2進数で1が24個並んだ数、すなわち16777215である。

絶対値がこれ以下の整数であれば、浮動小数点表記による丸め誤差が生じることがない。

ゆえにこの範囲の整数演算を浮動小数点数を使って行っても、一応は誤差は生じないことになる。

なので == での比較がうまくいっていたのだろう。


なんでこのプログラムは浮動小数点数を多用していたのかという話だが、

計算の中間値を置くところを浮動小数点型に統一していたためのようだ。

ここに格納される値は必ずしもアナログ的な量に限らず、論理値も入りうる。

その論理値、具体的には –1.0, 0.0, 1.0 の3値論理が多かったのだが、

この比較のために==や!=を使っていたようである。

一応は問題ないと思うが、やはりこういう表記は考え物である。

論理値を表す浮動小数点数は <-0.5は-1、>0.5は1、その間は0と扱うというような処理に改めるべきだろう。


さらにギョッとする使い方もあったんだけど、こちらも上記の範囲の整数ということで説明はできそうだ。

ただ、こちらはあまり必然性がなさそうな気がするので、整数表記に改めた方がいいんじゃないかな。

本当ならば浮動小数点を格納するところと、整数を格納するところを分離した方がいいけど、

そうするといろいろ影響が大きいので、誤動作が生じないやり方でうまくやっていくしかないかな。

セルフビルド方式だからこそ

2005年の愛知万博と2025年の大阪・関西万博、

比べてみると思うのがリングの内側、各国パビリオンとシグネチャーパビリオン(テーマ館)の充実度である。

反面、愛知万博のときは強い存在感を放っていた国内パビリオンは相対的に控えめな気がする。

国際博覧会の本質的な部分が強いのはよいことだが、これは制度的な事情もあるらしい。


というのも、愛知万博の各国パビリオンは全て主催者が建設してるんですよね。

今回の大阪万博ではタイプAのパビリオンの建設の遅れがいろいろ言われていた。

タイプAはセルフビルド方式とも呼ばれ、各国が自己負担でパビリオンを建てる方式である。

結果的には51ヶ国(北欧5ヶ国とイタリア・バチカンが合同なので46棟)がこの方式を選択している。

うち4ヶ国は、博覧会協会が建設を代行するタイプXを採用したが、

これも費用負担という点では出展国なのでセルフビルド方式の一種である。

これが愛知万博の時は0だったんですよ。


これ以外の出展方式としては、建物を建てて貸し出すタイプBと、コモンズ館のスペースを貸し出すタイプCがある。

今回のタイプBは長屋のように1棟に数ヶ国並ぶ形態がとられていた。

数えたけど今回はタイプBでの参加国はかなりの少数派で13ヶ国(うちラトビア・リトアニアは合同)である。

数としてはタイプCでの参加国が圧倒的で94ヶ国である。

実際の出展国がどの方式を選ぶか固まりきらないうちに区画や建物建設を始めた影響か、

建物番号が欠番になっているところに休憩所が設置されていたり、

何も入居していないコモンズE棟や、タイプBの長屋に入居する「ミャクミャクハウス」などがある。

それだけ各国の事情に寄り添ったということではあるんだけど。


愛知万博で全ての国のパビリオンが主催者が建設することになったのは、

立候補当時の国際博覧会条約では愛知万博は特別博として扱われていたことがある。

特別博は1985年のつくばでの科学万博のような特定のテーマを想定したもので、

この場合は各国パビリオンの建物は主催者が提供する。

当時は条約の過渡期で、新制度の登録博を想定しての立候補だった。

実際、この博覧会は登録博として扱われたのだが、準備段階では特別博の要素があって、

これがセルフビルド方式が認められなかった背景にあるそうだ。

「自然の叡智」というテーマに対してリサイクルしやすいのはアピールポイントだったが。


そんなわけで愛知万博では国内パビリオンの個性が目立ったわけである。

地元財界が様々な形で資金を拠出して作り上げた博覧会だったということだろう。

なお、テーマ館であるグローバルハウス、マンモスを展示していたところだが、

あれは元々、愛知青少年公園にあったプールとスケート場の転用なんですね。

合理的ではあるが、テーマ館というわりに地味だったのもそのためか。

現在は再びプールとスケート場に戻されている。


今回の大阪・関西万博の国内パビリオンもそれなりにはあるのだが、

背の高いリングの外側ということで、内側からは目が届きにくいのもある。

リングの内側の各国パビリオンやシグネチャーパビリオンが本質と考えれば、

リングの外側まで目が行かないというのが正直なところである。

あと、国内パビリオンの先進性という点では、愛知万博がかなり分があった。

大阪・関西万博の国内パビリオンは最先端という印象は薄い。


ある人が愛知万博のときはあれこれ最先端の乗り物があったけど、

今回は電気バスが大量に走ってるばかりじゃないかと。

確かに今回の万博は電気バスが大活躍である。

桜島駅とのバスや会場内を走るe-Moverの多くは大阪シティバス所有の電気バスである。

(西日本JRバスにも大阪シティバス所有の車両が貸し出されているそう)

閉幕後はこのバスが大阪の街中を駆け回るのだろう。

フルフラットであるという点以外は一般的なバスと大差ないように見える。

面白くないかもしれないが、実際にこのような車が走る時代になったということである。


チケットレス化の実現手段がQRコードの表示だったとか、

全面キャッシュレスを支えているのは、ICOCAと会場内に多数配置されたチャージ機だとか、

かつて思い描いた未来社会というのは、案外しょうもないものだったという話ではある。

「いのち輝く未来社会のデザイン」という人間中心のテーマが掲げられたのも、

テクノロジーの発展を人間社会に還元するのに重要だからということだろう。

その切り口こそが158ヶ国のパビリオンであり、8つのシグネチャーパビリオンということではないか。

大阪ヘルスケアパビリオンと日本館などの国内パビリオンも答えではあるが、

万博らしさということではリングの中にあるということになろうかと。


それにしても158ヶ国って過去最高に多いんじゃないの?

と思って調べたら、2010年の上海世博会は189ヶ国が参加してたらしい。

国とは別に都市の出展もあったし、実態ははるかに多いですね。

とはいえ、その次には多くて、そりゃゲート前の旗も多いわけだ。

158ヶ国の中には入っておらず、国内パビリオン扱いだがTECH WORLDは実質的な中華民国館である。

かえってきた中華民国館

ここまでして参加したのも交流が深い日本・大阪での開催だからこそである。

はじめての夢洲での万博

昨日は奈良にいって、親に厄介になり、今日は大阪・夢洲へ。

というわけで鶴橋で地下鉄に乗り換えるが、駅には小学生が。

今回の万博、小中学校での来場も多く予定されており、中央線には専用列車の設定もある。

背景には夢洲へのバスの乗り入れが大変だからということがある。

ところがそれを利用するには中央線の駅まで何らかの方法でいかねばならず、

それは千日前線だったということらしい。引率も大変である。


阿波座駅というのは中央線の乗換駅としてはマイナーな方か。

大増発もあって車内は座席が埋まって立ち客がちらほらいる程度。

弁天町でドサッと乗ってくるかとおもったが、そこまでのことはなく。

しかし、大阪港・コスモスクエアとそんなに降車もなく夢洲というと万博行く人は多いなとなる。

夢洲駅についたのは9時50分頃、9~10時の予約だったのでちょうど終わりがけ。

案内看板では9時の人は右、10時の人は左、11時の人は広場で待機なんて記載だった。

9時の列もそれはそれで並んでるけど。

初日の反省としてQRコードを刷ったり保存している人も多く、そこで詰まることはないようだった。

手荷物検査はどうしょうもないけど。旅行の荷物全部持ってるからPCをトレーに出したり面倒である。

身軽なのはよいことはわかってるのだが、こうならざるを得なかった。


会場を歩く上でのコツは”C”などのアルファベットである。

各施設には”C04”のような番号が振られているが、頭文字のアルファベットが大まかな位置を表している。

会場内の床にはこの記号で方向を示していることが多い。これさえあれば歩く向きはだいたいわかる。

東ゲートエリアは”E”、西ゲートエリアは”W”なので、これは帰路のサインでもある。

ただ、予約画面とかにもこの記号って出てこないんですよね。

マップというよりはこの記号の対応表が欲しいですよね。


リングの内側には各国パビリオンとシグネチャーゾーンがある。

当日予約ですぐに取れた「いのち動的平衡館」に行く。

このシグネチャーゾーンにあるシグネチャーパビリオンというのが、

「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマをいろいろな切り口でみて作られたものである。

「いのち動的平衡館」は生命のダイナミクスに着目したものである。

これって1970年の大阪万博で言えば太陽の塔を含むテーマ館に相当するものだよね。

それが8つの切り口で存在しているわけですね。

このシグネチャーパビリオンは予約制がかなり徹底されているので、行列を成しているのは見ない。

予約枠も多いので当日でもわりととれるが、予約がないと外から見るだけになる。

この後「EARTH MART」に行ったがここは食という切り口で、今の食、未来の食をいろいろ表していた。


万博と言えば各国パビリオンだが、これがけっこう行列を成してる。

予約制が徹底できているのはオランダ館ぐらいだったんじゃないかなぁ。

予約制がなくて並ぶしかないところが多数派である。

並んでいるように見えても、次のスロットを待ってるだけというのはあるけど、

わりとしっかり並んでるパビリオンは多そうだった。

時間帯によっては多数の国が入居するコモンズ館の入口すら行列を成してた。

これ、比較的空いてるはずの前半の平日なんですけどね。

しばらくはサクッと入れるパビリオンを優先してみていく。


そうこうしてるうちに腹が減ってきた。

各国パビリオン、入場列も長いが、レストランの列も長い。

そんな中でレストランの列が短かったのがマレーシアである。

後から思ったけどマレーシア館のレストランほど多客対応の体制のあるパビリオンのレストランはなかなかないんだろう。

多客対応のオペレーションがしっかりしてるのはリング外側の飲食店なのだろう。

あるいは大量のキッチンカー、キッチンカー博覧会じゃないかというほどに数が多い。

各国パビリオンのレストランは万博だからこその体験ではあるけど、

それをアテにすると大変ですね。パビリオンめぐりなら弁当持参が一番か。

持参した弁当食べている人はけっこう多かったですね。学校団体が多いのもあっただろうけど。


行列を避けながら回ってたけど、さすがに腹をくくらんとならんかと、

17時ごろにアメリカ館の行列に並ぶ。行列の長さのわりには流れているパビリオンだったとは思うけど。

待機スペースではアメリカの都市・自然が映像でいろいろ流れていた。

アメリカ館の内容はさすがで、日本にとっても縁深いアメリカのことがいろいろ紹介されていた。

スポーツのところでドジャースで活躍する大谷選手がクローズアップされるのは必然か。

途中からは宇宙開発の話、もうスペースシャトルは打ち上げられないのかと考えると哀愁も漂うが。

宇宙開発も日本との関係は深いですね。日本の宇宙飛行士も映像に映ってたし。

最後にはアポロ計画で採取された「月の石」が展示されていた。

5kgぐらいあった石を割って一部だけ持ち帰ったんですね。もったいないと思ってしまうけど。


出てくると日が落ちて19時前、ここらへんになると昼間は行列を成していたパビリオンもある程度はフリー入場になっていた。

そんな中で向かったのがサウジアラビア館、ここは手が込んでましたね。

お金持ちですからといえばそうだけど、いろいろな切り口でサウジアラビアを紹介していた。

都市・スポーツといったところは日本でも注目度が高いですね。

最後にはNEOMの紹介があったけど、冬季アジア大会が行われるんですよね。

壮大な話ですよ。まさに未来社会である。


と、ここらで時間になって西ゲートを出て、桜島行きのバスに乗る。

今日は直帰なので、新大阪へのアクセスによい桜島ルートで帰る。

だから荷物はずっと背負ってなきゃいけなかったと。重いわ。

バスはわりと空いていて、スムーズに乗れるように配慮されていることがわかる。

意外と時間がかかって25分ほど。桜島駅付近を時計回りに走るので遠回りになるのもある。

夕食らしいものは食べられなかったこともあり、新幹線の中で食べるものを買ってから、

桜島駅に入るとちょうどエキスポライナーがとまっていた。

それを狙って万博会場を出て、新幹線もとってるんですけどね。

やはりこれが新幹線なら一番便利ですね。

こんな時間の新幹線、疲れて大変だろうと割引でグリーン車とったけど正解でしたね。普通車の定価より若干高かったけど。

そんなわりと弾丸の万博行きだった。次回に向けての気づきもいろいろあったので夏休みにリベンジしたい。

奈良博の同窓会あわせ

今回、連休前に2日間の関西行きをすることになった。

なぜ連休にくっつけないのかというと、連休の前後には東京での用事があるから。

一方でこの時期に関西に行かないといけない理由があって、

それが万博の開幕券を買ってしまったということ。

では、いつ行くか。決め手は奈良博の「超 国宝」展である。


そんなわけで新幹線で京都まで。京都駅で下車したら改札口がひどい混雑。

中央口じゃなくて、八条口なら空いてる? とおもったらこれはこれで混んでる。

理由は大きな荷物を持った外国人客がどんくさいからだった。

東海道新幹線は高速鉄道なのに通勤電車みたいな本数が走ってるので、これはこれで大変である。

普段から自動改札機の使い方を補助する人はいるけど、なかなか間に合ってないみたいですね。

烏丸線に乗り換えるが昼間ということもあり、こちらも外国人客は多い。


昼食を食べて、岡崎公園へ。京都国立近代美術館で「若きポーランド」展に。

第一次世界大戦終結前のポーランドが分割されていた時代の芸術の話ですね。

OKパスポートで見られるから来たようなもんだけど。

面白い発見だなと思ったのが、日本の着物や浮世絵などが伝来したことで、

それに影響を受けた作品がいろいろ展示されていたが、日本の西洋画の黎明期を思わせる作品がしばしば。


いつものように東山二条からバスで東山七条まで。

この区間なら202系統を引ければ空いてていいが、少し空いてたので206系統で。

やはり祇園・清水道などでガサッと乗ってきて混む。

混み合うバスから降りて京都国立博物館「日本、美のるつぼ―異文化交流の軌跡―」展である。

これは明確に万博開催記念ということで、最初は博覧会に出展された工芸品からはじまる。

どちらかというと日本の美術史からすると異端な作品が多かったかもしれない。

舶来品に影響を受けた作品や、輸出のための工芸品などは、主流とは異なるところもある。

京都はヨーロッパとの往来もけっこうあったんだなと気づくところはあって、

祇園祭の山鉾には舶来品の絨毯やタペストリーを利用した飾りも使われていて、

大概においてイロモノということにはなるが、京都らしいのかなとは思った。


ただ、これがかなり駆け足になってしまった。

なんとか急いで七条駅に駆け込んで、京阪・近鉄と乗り継いで奈良へ。

奈良に着いてからも小走りで、16:20頃に奈良国立博物館に到着。

この時間はもう閉館間際だけど、入口には「賛助会員特別鑑賞会」という貼り紙が。

そう。昨年末に寄付して賛助会員に列せられたことで、特別鑑賞会なるものに参加できるようになったと。

今回はここに合わせて関西行きをぶつけたということである。


講堂ってのは初めて来るけど、180席のところ7割ぐらい埋まってる。

同伴者含めての参加もあるだろうけど、賛助会員全体で155人と考えると、

半分ぐらいが出席してそう。注目度が高い特別展とはいえなかなかである。

そりゃまぁこういうの参加したくて寄付するんでしょうけど。

やはり年配の人が多いですね。仕方ないね。

最初に館長からの挨拶ではうやうやしく賛助会員への感謝が述べられた。

引き続き担当の研究員から30分ほど今回の展覧会の意図や見所の解説があった。

「超 国宝」という展覧会、確かに出品物の8割が国宝、1割が重要文化財なのだが、

「奈良博の同窓会」という説明はとてもしっくりくる説明だなと思った。

開館130周年の奈良博で同窓会をやると国宝だらけになってしまうのである。


現在でも奈良博で保管されている文化財の多くは寺社からの寄託品だが、

そもそも奈良を中心とする寺社から文化財を預かることこそ奈良博のルーツである。

ただ、寺社に文化財の保管・展示に適した施設ができるにつれて、次第に帰っていったわけである。

過去に奈良博に寄託されていた文化財、あるいは展覧会のために過去に借りていた文化財、

これらが再集結したということが同窓会の意味するところである。

その中でも特に重要なものとなれば、それは多くが国宝、そうでなくても重要文化財であることは多い。

ただ、そんな中に「弥勒菩薩立像」(林小路町自治会蔵)という未指定の仏像がある。

これ、実は奈良博に130年間寄託されている像なんですね。近年修理されたこともあり綺麗ですが。

130年前の奈良博には館蔵品ってのがなかったんですよ。だからこれが一番古いと。

館蔵品では唯一の国宝彫刻「薬師如来坐像」とともに奈良博130年の歴史を物語る展示物なのかなと。


「超」には時代を超えたという意味とともに、国宝・重要文化財の枠組みを超えたという意味もあるそう。

そういえば奈良博には文化財保護の枠組みを超えた文化財が毎秋来てますよね。

正倉院宝物ってのは国宝ではないけど、それを超越するものである。

とはいえ、本物は持って来れないので模造品やスケッチでなんとか。

重要文化財(国宝)未指定の展示物が比較的多かったのが奈良博覧会についての展示で、

奈良博覧会といえば正倉院展の元祖みたいな意味で知られることも多かったが、

奈良博前史という側面もあり、常設の博物館設立の機運を高めたそうだ。

その奈良博覧会の再現展示みたいなこともやっていた。

この奈良博覧会の出品物のうち、法隆寺のものはその後に皇室に献納(実質的には売却)され、

現在は東京国立博物館蔵となっているものもある。そういうのも持って来ている。


この展覧会は仏教美術・神道美術にこれから触れる人に向けた解説もある。

というのも「ざんまいず」のキャラクタによる解説が一部の作品に付いている。

「ざんまいず」って「いのりの世界のどうぶつえん」のキャラクタね。

世界の子供のための博物館

小中学生向けの解説といえばそうだけど、小難しいこと言われてもわからない大人は読んでみるとよい。

奈良博の同窓会という話に通じるけど、奈良博では仏教美術の体系立てた展覧会を何度もやっていて、

そういう展覧会の出品物で、特にハイレベルな作品を改めて集めたものなので、

仏教美術・神道美術の理解という点ではとても助けになる展覧会である。

国宝あるいは重要文化財になる文化財はまさにキーとなる文化財なのである。


そんなこんなでゆっくりと1時間ちょっとかけて鑑賞していた。

展示室では自由観覧ということだが、賛助会員だけなのでゆったりしていることは確か。

他の人もみんなゆっくり見てますからね。こういうのは賛助会員の特権ですよね。

展示替えもあるので、また改めて来たいとは思ったけど、機会はなさそう。


というわけで奈良博の「超 国宝」合わせの関西行きだったが、

ここから明日の万博につながるわけですね。

もっともあまり余裕はなくて明日のうちに家まで帰ってしまう。

連休前に休暇が続くのも考え物ということでこうも慌ただしくなった。

課長兼任の部長

前にこんな話を書いている。

管理職の引き抜き

またしても引き抜き、部長が別の部署に異動になってしまった。

さらに定年退職(といっても再雇用で残るが)が迫った管理職の処遇とかで、

これまでになく部内の管理職の配置がタイトになってしまった。


この結果、課長兼任の部長なんていうのが出てきた。

これまでの課長を部長に登用したが、従来の課長としての役目も残したと。

「課内の体制強化に引き続き取り組みたいとのことで」とはセンター長(部長のさらに上司)は説明してたが、

兼任をする背景に管理職の人数不足があるのは確かだろう。


とはいえ、この人を部長登用した理由はなるほどと思ったところはあり、

ある部署と協調して仕事できそうな上司を必要があったんじゃないかなと。

その観点ではあの人が次期部長候補なのかなと思ったけど。

果たしてそれが正しいかは知らないけど。

いずれにせよ、現時点で部長にしうるのはこの人しかなかった理由はわかる。


一方で代わりの課長が見あたらなかった理由もなんとなくわかる。

次期課長候補らしき枠は今のところ見えない。

以前は非管理職の課長を任命しておいて、後から管理職登用するのもみられた。

現在はこのような方法はとれず、課長になるときに管理職になるのが原則。

このため準備が整うまでは部長に課長兼任させるというのはありそうな話。

ところが課長以下のリーダーを見ても管理職登用の気配は乏しい。

当然、部長兼任で忙しくなるであろう課長から承認権限の移譲などは行われるだろうけど。


とはいえ、いつまでもこのままというわけにもいかないはず。

代わりとなる課長の割り当ては来年などそう遠くないうちに行われるのでは。

でも、課内からの登用ということにはならないのかなという気はしますね。

他のところから管理職を呼び寄せるのか、部内の他の課から管理職登用するか。

いずれにせよ部内の再編は避けられない気がする。

というか今の体制が、管理職の引き抜きや定年が相次ぐ中、

苦肉の策で作られたものというのが実情だからである。


引き抜かれた部長だが、年齢的にはこれが定年前最後の仕事になりそうだなと。

それを見越して特命で割り当てられた職位なんじゃないかな。

ここで引き抜かれなくてもそう遠くないうちに部長を退いてたのだろう。

おそらく次期部長という話はその前からあった話なんじゃないか。

本当ならば課長を他に託して部長になりたかっただろうけど、

そうもいかず課長兼任の部長ということになったんだろうなと。

あくまでも想像ですけどね。