普通部から高校が分かれて中学校

全国高等学校野球選手権記念大会、優勝したのは慶應義塾高校だったのだが、

なんと107年ぶりの優勝だったそうである。

第2回大会、当時は「全国中等学校優勝野球大会」という名前だった。

まだ甲子園球場ができる前の時代、豊中球場での開催だったという。

そんなこともあるんだなぁという感じだけど。


今回優勝したのは横浜市港北区にある慶應義塾高等学校だが、

107年前に優勝したのは東京市にあった慶應義塾普通部である。

そして「慶應義塾普通部」という学校は現在も存在している。

この名前で中学校である。

なんでも学校名に「中」と入らない中学校は全国でここだけらしい。


歴史の長い学校にはいろいろあるということなのだが、

この名前の学校ができたのは1890年、慶應義塾大学部の発足時である。

慶應義塾は1873年に7年制の正則科、17歳以上で入学できる変則科を設けていた。

当時は私立の大学が設立できなかった時代ということもあり、

この学校は当時の中学校(13~17歳)に位置づけられていたそう。

そのため従来のコースを普通部、新設された発展的なコースを大学部としたそうである。

1898年に 幼稚舎 6年・普通部 5年・大学部 5年という体系が確立された。

大学部は専門学校(単科大学相当)に位置づけられている。

私立大学の設置が認められてから、1920年に大学に移行、慶應義塾大学という名前が付いた。


そして、太平洋戦争後の学制改革によりこれらの学校は再編される。

普通部の後2年、大学部の前1年を組み合わせて、慶應義塾第一高等学校を設立した。

普通部は新制度の中学校に移行したということらしい。

なお、慶應義塾にはもう1つ、現在の中学校年代の生徒がいた学校があり、

その生徒の移行先として中学校として慶應義塾中等部を設立している。

こちらは移転せず、東京都港区に現在も存在している。

高校年代については慶應義塾第二高等学校に移行したが、高校は2つ合併して、現在の慶應義塾高等学校となって、後に移転している。


慶應義塾普通部で中学校というのも驚いたけど、慶應義塾幼稚舎で小学校というのも驚いた。

いかにも幼稚園っぽい名前なんだけど、当初の慶應義塾の幼年者を受け入れる寄宿舎に由来する学校なのでこういう名前になってるらしい。

普通部を基準にして、それより幼年ということなんですね。


それにしても小学校・中学校って名前に入れなくてもいいんですね。

「幼稚部」「小学部」「中学部」「高等部」は特別支援学校では1つの学校内の部門として規定されているが、

それ以外のケースでは制度が異なる学校ごとに独立した学校として扱われる。

例えば、大学によっては2年のコースを「短期大学部」として設けていることがあるが、

「○○大学短期大学部」という名前の短期大学が独立して存在している扱いになるらしい。

短期大学は大学の一種なのに、学部・大学院とは同時に存在できないらしい。

(このあたりも短期大学の数が減る中で今は昔という感じもあるけど)


そんな都合もあるので学校の名称に制度上の名前を含まないとはできないのだろう。

以前、義務教育学校の名前が一定しないという話を書いた。

ところでこういう過小規模の小中学校は小学校と中学校が一体化していることも多いが、

2016年から「義務教育学校」という制度ができて、名実共に一体化できるようになったらしい。(略)

義務教育学校の名称には決まったルールがないので「○○義務教育学校」とか「○○学園」とか「○○学校」とか、あるいはシンプルに「○○小中学校」というのもある。

(離島じゃないが休校したり再開したり)

義務教育学校とか小中学校と付いていれば意味はわかるけど、

「江東区立有明西学園」とか書かれても何かなぁとなるよね。


他に名前が一定しない学校としては特別支援学校も知られている。

こちらは旧制度の「盲学校」「聾学校」「養護学校」の名前が残っているため。

特別支援学校は障害の種類によらず包括的に取り扱える制度だが、

視覚障害・聴覚障害向けの教育は専門性が高いので、現在も独立した学校で行っていることが多い。

このため旧制度の名前をそのまま残した方がわかりやすい面はある。

一方で旧来の養護学校を中心に命名を改めたものもあるが、

「特別支援学校」と付けるとは限らず「支援学校」となった地域もある。

「東京都立南大沢学園」のように特別支援教育と一見してわからないような命名もある。

(ちなみにこの特別支援学校は高等部しかないので、実質的に高校相当である)


あと、もう1つ名前が一定しない学校があって「認定こども園」である。

認定こども園 には幼稚園・保育所が認定を受けたものと、

認定こども園法に基づく「幼保連携型認定こども園」が存在する。

このうち幼稚園と幼保連携型認定こども園は学校に位置づけられる。

幼稚園は3歳以上のみを受け入れるが、幼保連携型認定こども園は福祉施設としての側面もあるため2歳以下でも受け入れ可能という違いがある。

学校コード表を見てみると「こども園」と入った幼稚園は多数あるし、

「幼稚園」「保育園」と入った幼保連携型認定こども園も多数ある。

(ただ、公立学校では「幼稚園」「保育園」で幼保連携型認定こども園というケースはないようだ)


こういうのに比べれば稀だけど中学校・小学校でも独特な命名があると。

慶應義塾普通部についてはその歴史の長さがそのまま現れた名前で、

実際には普通部の機能は高校も継承しているし、そっちの方が大きいぐらい。

高校を分離するという体裁を取ったためこうなったが、そのアプローチが珍しいとも言える。

義務教育にはならない中高一貫校

こんなニュースを見た。

首都圏初、英名門私立校の日本校が開校へ 英議会模した討論場も (朝日新聞デジタル)

イギリスの中高一貫校、Rugby Schoolが柏市に日本校を開校するという話。

ちょうど200年前、同校の生徒が校庭でフットボールを手に抱えて走ったことがスポーツのラグビーの由来になっている。

といういわれのある学校である。


中高一貫校ということは、中等教育学校なの?

と気になって調べてみると、日本の法制度による学校ではないらしい。

外国人学校とかと同じような扱いだね。

このため、日本国籍の生徒の受け入れは下記のようになるよう。

日本国籍の子どもが就学しても義務教育を履行したことにはならない。そのため、日本人の生徒は義務教育を終えた高校以上の学年で主に受け入れる方針だ。

(英国式の私立名門校 日本で開校続く (朝日学生新聞))

なるほどね。


小中学校については、保護者には子供に教育を受けさせる義務を負い、

一方で子供には無償で教育を受ける権利が与えられている。

この範囲は同じではないんですよね。

教育を受けさせる義務を負うのは、子供と保護者がともに日本在住・日本国籍の場合に限られる。

これに該当しないケースとしては下記が考えられる。

  1. 日本国籍の子供が外国在住
  2. 日本在住・日本国籍の子供だが保護者は外国在住
  3. 日本在住・日本国籍の子供だが保護者が全員外国人
  4. 日本在住・外国籍の子供 (保護者の住所・国籍によらず)

ただ、2~4のケースであっても、日本在住ならば義務教育を無償で受けることができる。


それとは逆にあえて授業料を払って私立学校に通わせても、

それが小学校・中学校であれば教育を受けさせる義務を履行したことになる。

中学校は中等教育学校でもよい。

ただ、制度外の学校に通わせては教育を受けさせる義務の履行にはならない。


冒頭で紹介したRugby School Japanは主なターゲットは外国人の子供である。

上記の4.に該当し、義務教育を無償で受ける権利はあるが、

自費であえて制度外の学校で通うことは自由ということになっている。

外国人学校に通うというのはそういうことですからね。それと同じだと。


一方、義務教育さえ終えてしまえば、日本の制度外の学校に入学することの不都合はだいぶ減る。

日本の大学入学資格は外国で12年の課程を終えた人にも認めている。

「外国の高等学校相当として指定した外国人学校」の修了者にも認めている。

Rugby School Japanはイギリスの学校制度で言う7~13年目の教育を担う。

おそらく高校相当であるという認定は受けることになるだろう。

このため、卒業後は高校卒業相当として扱われる可能性が高い。

進学先はイギリスを含む外国の大学という想定もあろうし、

イギリスまたは日本の制度で大学入学資格があれば問題ないだろう。


どうしてRugby School Japanは日本の学校制度によらないのかというと、

日本の法制度による学校の場合、小学校・中学校・高校では教科用図書を使うなど、

いろいろな制約があり、外国人の教育ニーズに合わないからではないか。

結果として、学校全体としては高校卒業相当で大学入学資格を認めるのに、

子供を通わせても教育を受けさせる義務を履行したことにならないという、

奇妙な気もするけど、義務教育の内容はそれだけ重いということだろう。


ただ、将来にわたって日本で暮らしていくつもりの外国人が、

日本の制度による小中学校に通う必要が無いのは本当にそれでいいの? という疑問はある。

実際には日本の小中学校に通っている外国人の子供が多いとは思うが。

日本国憲法の規定は日本国籍の人にしか適用されないという事情はあるが、

必要ならば外国人に同様の義務を課すことも可能ではある。

そのためには外国人学校も義務教育の担い手として定義することが求められるかも。

ただ、そうすると多少なりとも教育内容に制約が生じることになるだろう。

現状の日本の法制度は外国人学校の内容には立ち入らない仕組みである。


ということでそんな学校もあるんだ、という話だった。

中学卒業後からの入学でも進路によっては十分魅力的な学校かも知れませんね。

日本の学校とのギャップを埋めるための工夫は必要だろうが。

修了証明書と学位授与証明書

昨日、いきなり速達で「修了証明書」を送ってもらった話を書いたが、

そもそもなぜ修了証明書を取り寄せたか書くの忘れてましたね。


ことは数ヶ月前、上司に言われてとある資格試験を受けるように言われた。

けっこう急な話で、社内で行われた勉強会の動画を見て連日勉強して……

試験の手応えはそこそこだったが、合格基準が意外と高くどうかなと思ったが、

ちゃんと合格していたので、資格取得のための書類を作成することに。

この資格はテストで合格するだけでは取得できず、一定年数の実務経験と、工学・理学の大学を卒業している必要がある。


ただ、ご存じの方もおられるかも知れないが、僕は大学の学部は卒業していない。

高専専攻科から学位授与の試験を受けて学士の学位を取得したためである。

これが最終学歴だと資格取得に不便したかも知れない。

でも、僕はそこから大学院に進学して博士前期課程修了、修士の学位を取得している。

取得書類の記載例も修士で書かれていたし、大学院の修了証明書を提出すればよさそうだ。


提出するのは修了証明書のコピーでよいから、手元にあるのをコピーすればよい。

と、帰宅して通信簿など入ったファイルを確認してみたが……入ってなかった。

そういえば、大学院の修了式の日には証明書は1部しかもらえず、

それ以上の修了証明書は修了式翌日以降しか取得できることになっていたが、

修了式翌日には社宅入居のために移動しなければならなかった。

修了式当日に受け取った証明書は就職先に提出したから、手元にはないのだ。


そんなわけで急遽、修了証明書を取り寄せることになったのである。

書類の提出期限がやや厳しく、一番悪いパターンでは速達での返送でギリギリ。

こうして赤い線を引いた返送用封筒と申請書と本人確認書類を送ったのである。

速達の表示の仕方

返送用封筒には料金分の切手を貼らないといけない。

証明書取り寄せにかかる郵送料は会社に払ってもらうことにしたが、そのためには切手代の領収書が必要で……というのが以前の話。

切手には領収書が必要


これとは直接関係ないのだが、学士の学位についても証明書を取り寄せることにした。

高専専攻科修了時に、学位記とともに証明書1通を受け取ったはずだが、

その証明書というのは大学院入学時に提出しているから手元にない。

大学院や高専専攻科の修了証明書があれば、特に出番はなさそうだが。

申請にあたっては学位記番号を書くとスムーズなようで、学位記を出してきて番号を転記した。

ちなみに大学改革支援・学位授与機構(僕が学位を受けたときからは名前が変わっている)の本部は小平市にある。

わりと近いが、そもそも郵送でしか申請は受け付けていない。


届いた証明書を見比べてみると、なかなか多様である。

まず、大学院の修了証明書、全部箇条書きなんですよね。

この記載事項の中に「学位: 修士(工学)」となっているので学位の証明にもなっていると。

英文版も取り寄せたのだが「CERTIFICATE OF GRADUATION」という表題だった。

特におかしくない気がするが、大学院の英語表記って「Graduate School」なんですよね。

日本語では卒業というのは本科(学部)にしか使わず、それ以外は全て「修了」と言うんだけど、英語では卒業も修了も”Graduation”みたいですね。


もう1つ取り寄せた学士の学位授与証明書だが、日本語と英語で全然違う。

日本語の方はこんな感じ。わりとシンプル。

学位授与証明書

(氏名・生年月日)

上記の者は、本機構から平成25年3月4日付けで,学士(工学)の学位(学位記番号――)を授与されたことを証明する。

英語版は字体が筆文字のようになっていて、かなり派手である。

CERTIFICATE

This is to certify that

(氏名) born on (生年月日)

was awarded the degree of

Bachelor of Engineering
(Gakushi-Kogaku)

on March 4th, 2013

by National Institution for Academic Degrees and Quality Enhancement of Higher Education
(Daigaku-Kaikaku-Shien Gakui-Juyo Kiko)

“Bachelor of Engineering”と書かれた書類は初めて見た気がするな。

これに対して”Gakushi-Kogaku”というローマ字表記があるが、意味わかるかね。

あと、もう1つ驚いたのが理事長の肩書きで”D.Eng”と博士号を付けている。

博士はともかく、専門分野を書く必要があるのかはよくわからない。


ともあれ、目的の書類に付ける修了証明書は無事に入手できた。

実務経験の証明(なんと自己申告)も書いて、くっつけて送った。

これでおそらく問題なく発行されるはず。

大学学部は卒業してないけど、大学院博士前期課程修了してれば特に詮索もされないでしょう。

日本がノーベル賞の舞台なのは珍しくない

毎年なんやかんやと話題となるノーベル賞、

自然科学分野では日本人の受賞も多く、今年は日本出身の真鍋淑郎さんが地球温暖化をシミュレーションで解明した業績で物理学賞を受賞したことが大きく報じられた。

日本で博士の学位を取るも、アメリカに渡り研究に打ち込み、現在はアメリカ国籍取得、

だから今は日本人ではないが、元日本人ではある。


このことを嬉々として報道するのは日本の恥ではないかというような人がいる。

というのも、日本で学位まで取るも、日本国内に活躍の場がなく、アメリカに頭脳流出させてしまったという失策の象徴ではないかと。

そういう観点もあるのかもしれないが、それはそれとして喜ばしいことではないかと思う。

もしも真鍋さんが日本出身でなくても、おそらくこのニュースは大きく報じられただろうから。


この気象のコンピュータシミュレーションというのは、わりと一般の人にも知られている。

真鍋さんはアメリカに拠点を置いて研究していた期間が長いが、日本で研究していた期間もある。

1997年~2001年の4年間で、地球シミュレータの立ち上げに関わっていたらしい。

【アーカイブ】温暖化研究、第一人者失う 真鍋博士が米に「帰国」 (朝日新聞デジタル)

1997年に日本に渡るときには、アメリカから頭脳流出と嘆かれたが、結局戻ったという話。

地球シミュレータを使った研究を率いるのは向いていないというそういう決断だったようだ。

この地球シミュレータは台風など気象予測というところで一般の人々の身近なところで活躍している。

真鍋さんが日本の研究者かアメリカの研究者かということは置いておいても、

日本の研究者がこの分野での貢献として大きいことは明らかであろうと。

ノーベル賞の受賞者は最大でも3人、でもそこには多くの研究者が関わっているわけである。

だから、ノーベル物理学賞の受賞テーマに関連して報じられたのは必然ではないか。


一方で真鍋さんがアメリカで研究していた期間は長く、アメリカでの研究仲間も多いのは確かで、

アメリカに長く住む人はサクッと帰化してしまうのは珍しくないので、

そうして考えれば間違えなくアメリカの研究者が受賞したということである。

でも研究者っていうのはそういう人たちだから、というのはもうわかっているでしょう。


というのもその逆もあり得る話で、実際にあったのである。

今年のノーベル化学賞は有機触媒の研究で2人が受賞したのだが、

そのうちドイツのベンジャミン・リストさんは北海道大学で研究活動をしている。

ノーベル化学賞 ドイツとアメリカの研究者2人 有機触媒の研究 (NHK)

わりと日本でも熱心に研究されている分野らしい。

実際、2010年と2001年に日本人を含む研究者数人が触媒の研究でノーベル化学賞を受賞しており、

この分野での日本の研究者の貢献は認められているとみてよいだろう。


大学に金がないとか、博士になっても食えないとか、研究活動においての課題はいろいろ言われるが、

こうして自然科学への興味が大衆に広がっているのはよいことなんじゃないかと思う。

自然科学分野のノーベル賞受賞者をけっこうな頻度で輩出しているという動機はあるが、

受賞者に名を連ねることができなくても、関連する日本での研究や応用の取り組みが紹介されたりするし、

ノーベル賞に限らず、自然科学での大きな業績は一般に大きく報じられることは多い。

ABC予想の証明論文、ついに出版 8年半かけ数学誌に (朝日新聞デジタル)

京都大学の望月新一さんが数学の難問「ABC予想」を証明したという論文が正式に掲載されたという話である。

けっこうニュースになってましたよね。数学者の間でも難しすぎて理解できないって話はあるけど。


なによりノーベル賞を受賞するような研究というのは、世界にとっての大きな成果であるとも言える。

本当はそれだけで話題になってもいいはずなんだけどね。

実際に日本人の受賞が珍しくないがゆえに注目を浴びすぎているとも言えるが、

表面的に日本人が受賞しましたというところに留まらない報道はされていると言えるのではないでしょうか。

朝日新聞はDOIを使う

朝日新聞デジタルを読んでいたら、学術論文を紹介する記事がけっこうあるんだけど、

そこに https://doi.org/… というURLがだいたいに書かれている。

iPS細胞使い筋ジスを治療 京大など、筋肉再生に成功 (朝日新聞デジタル)

こんな風に。


doi.org の DOIというのは、Digital Object Identifierの略である。

インターネット上にあるドキュメントを表す識別子で、主には学術論文で使われている。

DOIは “10.1016/j.stemcr.2020.06.004” のように、スラッシュで区切られた文字列で表される。

スラッシュより前の 10.xxxx というのは各機関のプレフィックス、スラッシュより後ろは各機関で任意に決めた文字列である。

このDOIの前に https://doi.org/ と付けたURLにアクセスすると、論文のページに飛べる。

朝日新聞では、学術論文を紹介するときは、このDOIを使ったURLで紹介しているわけですね。


書いてあるURLにアクセスすると、実態のあるページに飛ぶというのは、bit.lyのような短縮URLと似たような話である。

DOIもURLを短縮するという効果はあると思うが、主目的はそこではないらしい。

DOIの主目的というのは、URL変更によるリンク切れが起きないようにするため。

いろいろな事情でドキュメントの実体を表すURLは変更されることがあるが、

それに応じてDOIに紐付けられたURLを変えれば、DOIからドキュメントへのアクセスを維持し続けることができる。


ちなみにDOIの前に付けるURLは、現在は https://doi.org/ だが、かつては http://dx.doi.org/ だった。

というわけで、DOIを呼び出すURL自体は必ずしも永続的ではないということである。

今のところは過去の表記でもアクセス出来るので、URL表記でも問題ないとみられる。

ただ、参考文献にDOIのある文献を書くときは、”DOI:10.xxxx/xxxxx” のように記載するのが正しいようだ。

新聞では論文を読みたければ、ここからアクセスしてねってことでURL表記なんでしょうね。


DOIは誰でも登録できるわけではなくて、登録機関ごとに分野が決まっている。

日本ではJaLCという登録機関があって、学術論文・書籍・特許情報・研究データ等を対象としている。

日本国内の団体でも外国の登録機関で登録していることはあるだろうけどね。

それぞれの登録機関で、著作権者であるとか、あるいは著作権的に問題ないことが審査された上で登録されるので、

おおかたDOIの用途というのは学術分野に偏っているのが実情なのかなと思う。

別にインターネットで公開されている漫画にDOIを付けてもいいんですけどね。

そうしてDOIを付けたところで使い道がないというだけで。


ちょっと調べた範囲では新聞の紙面ではDOIを含め、学術論文の詳細はほとんど記載されていないが、

朝日新聞デジタルの電子版の記事ではできるだけ紹介していると言うことで差がある。

改めて紙面を見てみると、紙面で「科学」というのは週1日1ページ掲載されるだけで、

ここで話題に出来るテーマというのは2~3個程度に留まる。ベタ記事のごとく簡潔に書くだけの記事も多い。

このような記事の内容について、朝日新聞デジタルで調べてみると、電子版では、紙面でのスケジュールとは無関係に出ていて、

その内容は紙面にくらべれば、はるかに丁寧に記載されている。

政治・社会に関わるニュースは、電子版で速報を出して、朝刊・夕刊の紙面でより掘り下げた記事が出る(それは電子版にも掲載される)という流れが多い印象である。

でも、科学とか健康とかそういう分野では違うんですね。紙面は電子版の抜粋以外のなにものでもないんですね。


というわけで、紙面にURL書いてる記事なんてほとんどないけど、最近になって書くようになったのかと思ったら違うんですね。

今も昔も紙面では書いてなくて、電子版の特徴を踏まえて、電子版だけ書くようになったというのが正解である。

紙面にはURLなんて書く余裕はないが、電子版ならURLがかさばるということはないし、クリックすればすぐにURLを開ける。

そのURLとしては、可能ならばDOIを使うというのが朝日新聞のポリシーのようだ。

だから、ちょっと新聞っぽくない書き方だなという印象を受けた人もいるかもしれない。その通りである。

B4と言ってわかるとも限らない

会社の食堂で「年上の後輩でこれから就職活動するってやつがいて――」という話題が出てきた。

そこで「その人ってB4? M2?」って聞いたら、他の人に「B4とかM2ってなんだそりゃ」とツッコミが入った。

大学を出てても、この言い方を知らない人はいるのか。


このBlogでも当たり前のように書いているけど、

B4というのは学部4年、M2というのは大学院修士(博士前期)課程2年の意味。D1といえば博士後期課程1年の意味になる。

それぞれ、Bachelor(学士)、Master(修士)、Doctor(博士)、各コースで得られる学位の頭文字を学年の前に付けている。

大学では最終学年として、B4、M2、D3といくつか想定されるので、こういう質問をしたわけだ。


年上の後輩の話題を出した人は、学部卒でこの会社に就職している。

その彼に言わせればB4とかM2というのは「研究室に入った途端、急に使い出す言い方」との評だった。

18歳から大学にいる人に言わせればこうなのだから、実際そうなのだろう。

すなわち、大学で単に1年、2年と言えば、それは学部1年、2年であることは明らかで、

それをあえて言い分けるようなことをするのは、大学院生がいる研究室ぐらいですよと言っているわけだ。なるほどなぁ。


逆に僕なんて大学院にしかいなかったから、学部か修士か言い分けるのは必須だった。

ただ、よく考えてみると、大学院にいて出会う学部生というのは、

基本的には研究室にいるB4、そしてTAで実験を指導していたB3ぐらいのもの。

だから、自分たちはM1,M2というけど、逆にB1,B2というのを聞くことはなかったわけである。

学部生と区別するためなんですよと言っておきながら、肝心の学部1年、2年とはそうそう出会わないのが実情だったと。


大学出てるなら知ってるやろって思って使ったけど、一般的に使える言い方ではないことは確かなことである。

そもそも大学院とはなんぞやということを知らなければ、表している意味も分からないわけだから。

さすがに食堂で一緒に話してた人はそこら辺の事情はわかる人だったのだが、

それでも「4年生? 修士?」という聞き方の方がよかったみたいね。なるほどねぇ。

巨大な自然史の博物館

今日は上野公園に行っていた。目的地はいつもの東京国立博物館ではなく、国立科学博物館だ。

前々から気になってたんだけど、なかなか足を運ぶこともできず、やっとこさ行ってみた。


実は3年ちょっと前まで、僕はこの国立科学博物館にタダで入れたのだ。

アクセス・入館案内 (国立科学博物館)

一般・大学生の入館料は620円、今日もこの金額払って入ったのだが、

「高校生(高等専門学校生含む)以下」は入場無料となっている。高専生ならば4・5年でも入場無料とのこと。

これだけでもなかなかのものだが、専攻科生も高専生には違いないので入場無料らしい。

だから2013年3月まで僕はここに無料で入れたのだ。

だから行きたかったんだけど、現実問題として東京に行くことすら少なかったし、あったとしても時間を取れることはなかった。


この国立科学博物館は東京国立博物館(分離当時は帝室博物館)から自然科学分野の所蔵品を引き継いで独立した経緯がある。

道路挟んで隣り合った2つの博物館はもともと1つの博物館だったのだ。

そういうコレクションを基礎にした自然科学系の博物館ってなかなかないような気がするんだよね。

ということで気になってはいた。


国立科学博物館は2つの建物でできている。日本館と地球館、日本館は表から見える古い建物で、地球館はその奥にある新しい建物。

日本館で取り上げられているのは日本の動物・植物・地質についての展示が行われている。

動物の展示では大量の剥製が並べられており、植物の展示では押し花のようにして保存されている大量の植物標本、地質の展示では大量の鉱物が、

なんというかすさまじいコレクションだなと思った。

そして思い出した。そうだ、ここって 大阪の長居公園にある大阪市立自然史博物館 と同種の博物館だ。

太古の時代から現在まで大阪を巡る

自然史という言葉もようわからん言葉だが(そもそもNatural Historyの直訳)、自然物を収集・分類・展示するタイプの博物館をこう言う。

国立科学博物館は日本各地で収集活動を行っているのか、標本のあまりの数の多さに圧倒されたが、話の組み立てとしてはそんなに違いがあるわけではない。


引き続き地球館へ。地球館の展示内容はフロアによっていろいろでなかなかわかりにくい気がした。

3階・1階・地下1階・地下2階が自然史関係、2階と地下3階が科学技術や原理の展示ということで、なんで飛び飛びなんだか。

自然史関係の展示は地球館というからには日本に限らず世界の自然史の流れ、特に恐竜の時代と人類の起こりの展示が集約されているという印象だった。

新しい展示館ということもあってなかなか凝った作りの展示物が多かったような気がした。

地下3階は主に原理の展示が並んでいるわけだが、科学者の展示も行われている。著名な科学者の送った手紙とかFAXとかそんなものもあった。

ここにあるのはほとんどレプリカだけど、現物はこの博物館のコレクションとして所蔵されているということでもある。


すごい博物館だとは思ったのだが、残念な事が2つほど。

1つは閉館時間が早いこと。16時半に「あと30分で全館閉館」と放送が流れたときにはびっくりした。

都心立地の博物館でそんなに早く閉まるかと。金曜だけ20時閉館らしいんだけど、裏返せば土日でも17時閉館ということになる。

あと1時間長いだけでも違うんだけどな。(ちなみに東博は4月~9月の土日はベタで1時間延長して18時までにしている)

昼過ぎに来て見始めたんだけど、なんとか時間内に周り切れたからよかったが。

全部みたいなら午前中か午後一番がいいかもね。特別展も見るつもりならなおさら。


もう1つ残念だったのが、展示物があるのはいいけど、説明不足に過ぎるのではいかということ。

自然史関係の展示物の見所というのは僕はよくわかってないもんで、教えてもらって「なるほどなぁ」と思うところなのだが、

所々、ろくに説明もなく展示物が置かれているだけというのがあって、どこが見所なんだかと悩んでしまった。

自然原理・科学技術の展示となると体験的な展示も多いわけだが、これも説明不足なところが多かったような気がする。

子供が「これどうやってやればいいんだ」みたいな反応をしているのを、大人も一緒に悩むみたいな光景を見て、そりゃいかんだろと。

展示が多すぎて説明が間に合ってないのかな? 真面目に説明したらこんなに展示物並べられないぞと思ったが。


ちなみに国立科学博物館は、上野公園の展示施設だけでなく、つくばの研究施設と植物園、旧白金御料地の附属自然教育園も含まれる。

研究部門の活動は展示の中でも紹介されていたが、自然史で肝心なのは収集と分類である。

というわけで土壌を収集して、その中にいる生物を集めて分類してみると、なんと未だに知られていない種というのがわらわら出てくることもあるんだと。

そういう研究活動の成果は展示に現れることもあるだろうし、自然史上の発見として世界に向けて発信されていることもあるかもしれない。

そういうところでの役割も大きい施設なのだということは知っておくべきことだと思った。

東京試験地は怖いが期待できた

以前、応用情報技術者試験を受験するつもりで参考書を買ったという話を書いた。

分厚い本のおまけに電子データがある

今日、その受験票が届いた。受験票が届いたと言うことは試験会場がわかるということだ。


申込時に受験地をどこにするかというのは少し悩んだ。

というのも東京都には2つの受験地があって、1つが東京、もう1つが八王子である。

八王子は過去の実績からある程度、試験会場が読めるのだが、アクセスの都合はやや悪いようだ。

一方、東京は受験者が多い分、試験会場の数はとても多く、どこに割りあてられるか予想も付かない。

多摩地域から近い場所が割りあてられればよいのだが、逆に遠いところが割りあてられると悲惨である。

結局は東京を選んだわけだが、その理由は多摩地域でも小金井市あたりより東であれば東京試験地の会場になっている実績があったからだった。

東京試験地の遠い会場よりは八王子の方がよっぽどよいが、東京試験地の多摩地域または隣接地域の会場が当たるのならばそっちの方がもっとうれしい。

そういう期待を込めて東京を選んで申し込んだのだった。


結果は杉並区の会場が割りあてられた。

アクセスは良好、アタリと言ってもよいのではないだろうか。

というわけで東京を選んで申し込む作戦はうまくいったのだった。

いつもうまくいくわけではないのだろうけど。


受験者の多い試験地の受験会場が多いのはともかく、その受験会場が広域に分布するのも常である。

何の試験だったか忘れたけど、試験地を京都で申し込んだら、京田辺市の会場だったとかそんな話を聞いたことがある。

もっとも受験者も宇治市民だったかで、田辺というのは好都合だったのだが、だまされたと思う人もいるかもしれない。

こういうのはいかがなものかと思うのだが、そうでなくても会場は広域に分散するものだ。

あまり考えないと、江戸川区の受験者を練馬区の会場に割りあてて、練馬区の受験者を江戸川区の会場に割りあてるようなアホらしい話も起きかねない。

収容することが最優先なのは言うまでもないが、収容できるのならばできるだけ負担の少ない配置にしたいものである。

そういう工夫も多少はしているのだろうと思うけど、具体的な方針は示されていないのが実情である。


こういう大規模な受験地は細分化してもうちょっと受験会場を読めるようにして欲しいというのが希望である。

これまで試験を受けに行くとき、あまり大規模な試験地を選んだことがなく、ゆえに会場はある程度読めていた。

毎回同じところが会場になるとは限らないのだが、それなりに精度はよかった。

東京という大きな枠を何分かするだけでかなり安心して申し込めるようになるのではないだろうか。

隣接試験地へ回される可能性はあるし、1つの試験地のキャパシティが減る分、その可能性も高まるが、

そういうことがない限りにおいてはこのあたりと予想できるようになればありがたい。


ともあれ、試験会場へのアクセスがよいのはありがたいことなので、

受験票に貼る写真を用意して、復習をして、試験に備えたいと思う。

なじみのない言葉に悩まされる

週末に観光に連れてもらったと書いたが、そこでとある史跡に行った。

入場料に音声ガイドの貸出料も含まれており、音声ガイドを聞きながら巡ることになる。

その代わり、文字での説明はない。文字での説明がないのはスマートといえばスマートだが。

残念ながら日本語の音声ガイドはないので、English版を貸してもらって回っていた。


場所ごとに割りあてられた番号を押して聞きながら回っていたのだが、ようわからん。

もちろん、英語を聞くのが多少難しいのはある。けど、ある程度は聞き取れている。

でもなにを言っているのか、さっぱりわからん。

なぜならば、説明に使っている言葉にこの土地の言葉に由来するものだったり、なじみのない言葉が多かったからだ。

いくつかの頻出語は持ち帰り調べたのだが、なじみのない言葉も簡単に言い換えれば king みたいな意味だったりするのだ。

そういうのを積み重ねると、聞き取れてもさっぱり意味がわからない状態になるということである。


それってどういう状態? ということを実感出来る例をいろいろ探した。

奈良国立博物館の春日神鹿舎利厨子の説明文が日本語と英語、両方であって、

完全に対応するわけではないが、似たような内容を書いてあるので、それを例として示してみる。

日本語だとこんなの。

春日神鹿舎利厨子

 二重基壇にのる宮殿形厨子(くうでんがたずし)で、正面に観音(かんのん)開き扉を設け、内陣には木製の飛雲座に立つ神鹿(しんろく)を安置している。神鹿は背に鞍をのせており、ここに蓮華座(れんげざ)にのる火焔宝珠形舎利容器(かえんほうじゅがたしゃりようき)を奉安している。宝珠は水晶製で、三方に金銅製の火焔を付けている。この姿は武甕槌命(たけみかづちのみこと)が鹿にのって鹿島から春日に影向(ようごう)したさまを表現しており、武甕槌命の本地が釈迦如来とされたため、命の姿は舎利で表されている。  ところで、本品の扉内部側面にはかつて一枚の慳貪(けんどん)板が奥壁前に存在していたことを示す痕跡が残っている。この慳貪板がはめられた場合、神鹿を安置する十分なスペースが残されておらず、当初この厨子と神鹿は一具ではなかったことになる。神鹿舎利容器に当初どのような荘厳(しょうごん)がなされていたかはわからないが、中世における春日信仰と舎利信仰との習合を物語る作品として貴重である。

日本語でも難しいこと書いてあるけど、これの英語版がこれ。

Feretory for enshrining Buddha’s relics

This palace-shaped feretory is made of black lacquered wood and is known as “Kasuga-zushi” (feretory of Kasuga). This feretory has a rather flat roof and is placed on a two-storied basement, which is decorated with stripes and kōzama openwork decorations. A gilt-bronze holy deer is placed on a cloud-shaped wooden seat within the feretory, which represents the emergence of the Shintoist deity in Kasuga. A relic-container in the shape of a flaming magic jewel is set on the back of the deer. This arrangement is based on the Buddhist-Shintoist idea, which asserts that Kashima-myōjin of the first sanctuary in Kasuga shrine was an incarnated image of Shaka (Śākyamuni or Buddha). Therefore, the relic on the deer-back in this feretory represents Shaka. Worship of Buddhist relics was popular during the Kamakura period in and around Nara, and many relic containers and feretories were made. This is one of them. It is an important object which shows the close relationship between the worship of Buddha (Buddhist relics) and the worship of Shintoist deities in Kasuga.

うーん、まず固有名詞じゃなくてもわからない言葉だらけだ。

まず、表題にもある relics ってなんぞやと。答えは遺骨なのだけど、遺物、遺品という意味で使われることの方が多いと思う。

feretoryもなじみのない言葉だが、英英辞典いわく「A receptacle to hold the relics of saints; a reliquary.」とのこと。

厨子は釈迦の遺骨である舎利を祀るためのものだが、feretoryは本来、聖人の遺骨を納めたreliquaryを祀るためのもの、ということで似てると思って使ったんだろう。ちょっと違う気がするが。

Shintoistはさすがにわかってる前提なんだろうが、神道というのは日本のことをよく勉強した人でないとわからないだろう。

ましてやBuddhist-Shintoist ideaという言葉は神仏習合という意味で使ってるけど、すぐに理解できるもんだろうか。

後半以降、Shakaという言葉が何回か出てきている。初出時にはŚākyamuni or Buddhaと説明してるが、それ以降はShakaばかり使われる。

Kamamura periodとかいうのも、日本の歴史をよく勉強した人であることが前提の説明である。

まだこれが文字として掲示されていれば、全体を見て類推もできるかもしれないけど、流れていくばかりの音声ガイドではそれすら厳しい。


それとは別の話で、Webでこの土地のとある文化について詳しいところを調べたのだが、

日本語の資料は情報がなさすぎてさっぱり役に立たん。

英語の資料は詳しく書いてあるが、それでも固有名詞が多すぎて、さっぱりわからん。

とりあえずすっ飛ばせば、ある程度はわかるが、その意図はその固有名詞について掘り下げないとわからなさそう。

それでもなにも調べないよりはましという程度には理解が進んだけどさ。

夏休みの宿題も善し悪し

今、実習している職場はやたらと女性の多いところだ。というか男が本当に少ない。

嘘か本当か判然としない理由は教えてもらったが、本当にそれだけ?とは思う。

専門性とか適性とかそういう理由ではなかったもんで。納得できる部分もなくはないのだが……

そんな中でやっているわけだが、わりと仕事は順調だと思っている。


そんな職場で最近の話題として多いのが子供の夏休みの宿題の話だ。

もう8月も終わりに近い、ということは典型的には学校の夏休みも終わりに近いということだ。

すると夏休みの宿題も終わらさないといけない。

そういうことで母親として相談を受けたり、発破をかけたりすることも多いということなんだろうな。


そんな夏休みの宿題だが、3年前までは少ないながらあったものだ。

3年前までというと高専専攻科の頃までということになる。

というのも高専の頃は前期の途中に夏休みがあったから宿題を出す余地があったのよね。

大学院生の夏休み

小中学校なら学年単位でカリキュラムが連続しているから、学期の切れ目はどうでもいいが、

大学だと半期単位の科目が基本だから、前期と後期の間にはなにもないということになる。

高専だと通年科目も多かったけど、半期の科目もあるし、専攻科だとほぼ半期単位だ。

それでも前期の途中に夏休みがあるから、前期の科目から宿題を出されることもあった。

といっても高専時代の夏休みの宿題なんて高々知れてるし、

夏休み明けに期末テストがあることに配慮して、テストの想定問題みたいなのを宿題として出してくる親切な科目もあった。


今にしても思うが、小学生の頃の夏休みの宿題はむやみに多いしめんどくさかった。

小学生だとそんなにてきぱき仕事を進められるわけでもないから余計に大変だっただろう。

問題集はともかく、作文やら書道やら絵やら、夏休みらしいことだがやることが多すぎた。

小学生ながらに戦略は考えていた覚えがあるけど、それにしても自力でなにもかもやりきるのは厳しいわな。

書道の課題は祖父と一緒にやってたが、ああやってお膳立てしてもらってなんとか。

中学生ぐらいになると宿題の量も落ち着いてきてたし、仕事の能率もよくなってるから、まだ易しいかね。


なんてかれこれ10~15年前ぐらいのことを思い出して書いてみたわけだけど、

ある程度の期間をもって取り組む課題というのはそれはそれでいいよね。

高専時代に夏休みにせっせと製図をやってたということは何度も書いてることだが。

制御盤の設計のお仕事

こういう課題を出す余地があったというのは、今にして思うとユニークな環境だったな。

問題は課題の量と内容ということで、小学生の頃はここに難があったのでは? ということだ。