県外に行く人も使ってほしい空港

前から噂には出ていたが、富山空港に新しい愛称「富山高山すし空港」が付いた。

即日適用だったらしく、Webサイトの表記は変わったが、空港の看板は「富山きときと空港」のままである。

特徴として県境をまたいだ「高山」の名前が入ったことがある。

飛騨地域への訪問者も利用してほしいという意図があるようだ。


富山空港は富山県が管理する地方管理空港である。

このような地方管理空港の愛称名に隣接地域の名前が入るものとしては「萩・石見空港」という先例はある。

といっても萩までは相当離れているのだが。

ただ、かなり珍しいことではある。

大阪国際空港について外国語表記では”Osaka Itami Airport”のような表記に統一した話もあるが、

これは混乱防止のためなのでちょっと事情が違う話でもある。(そもそも伊丹市にも空港はかかってるし)


一方で航空会社が隣接地域の名前を使ってアピールする事例は他にもあって、

春秋航空の「佐賀(近福岡)」「茨城(近東京)」はやや特異的な表記である。

佐賀空港はオフィシャルには「九州佐賀国際空港」と九州の玄関口をアピールしているが福岡とは言っていない。

この言い方は春秋航空しかしていないのだが、こういう表記は他の空港にもあるらしい。

それが「小松(金沢・福井)」である。

これは石川県・福井県がJAL・ANAに要望して2006年頃には実現した表記らしい。


この表記に至るまでには歴史があり、それが福井空港である。

福井空港は滑走路1200mで、現在は定期便がないが警察・消防のヘリは常駐している。

この空港は昔は定期便はあったのだが、この滑走路の短さではさっぱり使い物にならない。

福井県も拡張を検討したのだが、実現性がないという結論に至った。

一方で小松空港、正確に言えば航空自衛隊小松基地に併設された小松飛行場も近い。

このため福井県は小松空港に乗っかった方がよいと考え、石川県と共に小松空港の利用増進を図ることになった。

小松空港が北陸の空の玄関口として確たる地位を手にしたのは福井県の助力もあったわけである。


そもそも富山空港がこの愛称を言い出したのも新幹線開通後の手詰まり感があるのだと思う。

富山空港は神通川の河川敷にある空港でいろいろ制約が大きい。

新幹線開通前は東京線の需要が大きかったが、開通後は厳しい状況である。

そこで国際線の誘致を考えているのだろうが、現在は国際線定期便は全て運休中。

ここは小松空港とは対照的で、こちらは国際線が好調である。

国内線も東京線はかつてほどの利用はないが、福岡・那覇・札幌と鉄道と競合しない目的地も多い。

あと小松は貨物もあるんですよね。カーゴルックス航空が昔から乗り入れている。


国際線の就航地というのはある程度固まる傾向はあるように思っていて、

北海道における新千歳はその最たるものではないかと思う。

国際線の方が伸びしろがありそうと考えるのは容易だが、

それが実現するかというと、これはかなり偏りがあるのかなと。

富山県も小松空港に乗っかった方が……という意見もありますが。

しかし、福井~小松は県内移動も同然の近さだけど、それとは違いますからね。

新幹線6時間半の旅

さて、今日はバイクを担いで帰るだけである。

というわけで出水駅までバイクで走っていく。

市街地とは反対側にある新幹線側のロータリーに到着して畳む。


あまり東京と鹿児島県の往来で列車というのはないのかなと思う。

普通は飛行機だよねと。出水~鹿児島空港はバスで1時間強である。

鹿児島空港は高速道路の利便性が高く……といっても出水方面はまだ作っている途中なのだが。

ただ、それではバイクを運ぶには不都合である。

というので新幹線を使うわけですね。

出水駅の時刻表を見ると大阪行きのさくら号が1時間1本並ぶ時間帯が多い。

さくら号は概ね1時間2本あり、そのうち1本は熊本~鹿児島中央で各停になる。

これを使うのだが、これだけでは東京に行くことは出来ない。


そこで使うのが新神戸で後続ののぞみ号に乗り換える方法である。

新神戸乗換は当初e5489で検索してたときに教えてもらったのだけど。

新神戸駅というのはトンネルとトンネルに挟まれた構造上、ホームが片側1つしかない。

そして新神戸駅はその重要性より全ての営業列車が停車する。

このため、新神戸駅で降りて待っていれば、さくら号 と のぞみ号 の乗換はスムーズというわけ。

新大阪駅まで行くと、東京方面との列車の本数が増えることは確かである。

ただ、新神戸駅でも十分多いですからね。

この大荷物を持って7分後ののぞみ号に乗り換えは新神戸じゃないとできないだろう。


とはいえ、全く欠点がないということではない。

のぞみ号・みずほ号は加算料金があるので、若干高いわけである。

さくら号ものぞみ号とそう変わらない気がするが、加算料金はない。

この加算料金は東京~新大阪は310円、東京~新神戸は540円である。

なので、新神戸乗換の方が220円だけ高いということになる。

ただ、東京~博多の加算額が1060円と考えれば、それよりは新神戸乗換はだいぶお得である。

なによりさくら号の方が快適だしね。と、乗り換えたのぞみ号に座って思った。


そんなこんなで合計6時間半ほど新幹線に揺られて東京に到着。

そこまで長かった気はしなくて、東京~京都を昼行バスで移動することと比べるとまだ短い。

読書などしながらのんびり帰ってきていた。

昼食はあらかじめコンビニで買って置いた弁当をさくら号でひらげていた。


というわけでこれで島原・天草の旅は終わり。

帰ってきていろいろ買い物に走りまわっていた。

天草から入る鹿児島県

天草の牛深と長島の蔵之元を結ぶ三和フェリーの時刻表を見ると、朝から夕方までほぼ全て80分間隔になっている。

これは一隻のフェリーが30分航行して10分で乗降してを繰り返しているためである。

基本的にこういう短距離のフェリーは両側にランプウェイが付いていて、乗り込んだ側と反対側のランプに通り抜けるように降りる。

これだと乗り降りにはほとんど時間がかからないんですよね。

だから10分で降ろして乗せてというのが余裕出来てしまうわけである。


牛深港のフェリーターミナルは道の駅になっている。よく考えればここは国道389号線の途中地点である。

ここでひと息ついてから長島に渡る人、逆に渡ってきてここでひと息つく人もいるのだろう。

登録上は国道266号線になってるみたいだけど。(牛深付近では両路線は重複している)

その道の駅には資料館があるので出発前に少し見ていた。

「軍艦長良記念館」というのがあるが、これは牛深沖で沈没した日本の軽巡洋艦で、毎年牛深では慰霊祭が行われているようである。

バイクを袋に収めて徒歩客としてきっぷを買うと、ちょうど船が到着するところだった。

船からは車がぞろぞろ降りてきて、その中には大型のトラックも。乗る方もなかなか需要旺盛である。

なんでかなぁと思ったのだけど、天草も長島も架橋されているが、それぞれ全く別の方向である。

長島に向かうのに天草を通って海を渡る、天草に向かうのに長島を通って海を渡るというのが合理的なケースがかなりあるのだろう。

徒歩客は少ないなと思ったのだが、この牛深からの便は比較的多かったようで、なぜかというと蔵之元で出水駅行きのバスに接続しているから。

牛深に公共交通で来るという点ではこれが一番楽なんですね。なるほどなぁと思いますね。

ただ、そういう用途でもないと徒歩ではなかなか使いにくい航路だと思う。


蔵之元に到着するとここから鹿児島県である。初めての鹿児島県が長島という人は天草の人でもなければなかなかないだろう。

港から国道389号線が再開するわけだが、いきなり急な上り坂からスタートする。

長島を電動バイクで走るという計画で最大の懸念は勾配である。

天草のときは海岸線を走ることで平坦な区間を多く走れたが、長島はそうもいかない。

結局色々考えたけど、国道をひた走るよりよい方法は思いつかなかった。

この国道は基本的に長島の西海岸に沿って走るルートなのだが、地形の都合上がって下がってを繰り返すことになる。

長島が火山によりできた島で全体的にゴツゴツしているようだ。

そんなので走っていたら道の駅長島 ポテトハウス望陽に到着。

ポテトってなんだ? 後でわかったのだが長島は赤土でのジャガイモ栽培が盛んで、それにちなんだ命名だったようだ。


このあたりは町のいろいろな施設が密集している。フォトスポットも整備されているが。

ここに長島町歴史民俗資料館がある。あまり人はこないんだろうなという感じである。

全体的に説明してもらったのだが、この長島というのは元々は天草の一部として支配されていた。

当然、架橋されていない時代、海を越えた天草とはまんべんなく近かったのが理由だろう。

ところが薩摩を支配する島津氏の支配下に入ることになり、以後は行政上は薩摩→鹿児島県となっている。

ただ、天草や肥前との物資の往来が多く、長島で使われていた陶器を見ると、伊万里焼、有田焼など肥前のものが多い。

どうせ海上輸送になるなら肥前と往来する方が好都合な点が多かったのかもしれない。

このことを指して「南北九州の接点・長島」と展示室には掲げられていた。

今は架橋されたこともあり、すっかり鹿児島県側の経済圏にあるわけですけど。

このさらに高台には「風車公園」というのがある。山の方を見ると風力発電用の風車が見える。

角度的に見えるのはわずかだが、全部で21基もあるんだとか。


戻ってきて再度出発、本当にアップダウンが激しい。

下り坂が続くとブレーキも相当すり減るだろうし、そこもこの車の弱いところですね。

ただ、さすが国道、集落との接続を考えなくていいところは高架橋で飛び越えている。

そんな中で対向車がなにかメロディを奏でながら坂を下っていく。

これはメロディーロードというもので、50km/h(制限速度)で下ると音楽が聞こえるように溝が掘られていると。

残念ながら上り方向にはないし、そもそもこのバイクで溝を踏むとすさまじい揺れに見舞われて音楽どころではない。

そんなこんなで進んでいくと橋が見えてきた。黒之瀬戸大橋である。この海峡が黒之瀬戸と呼ばれているのである。

歩道も付いているのだが、けっこう狭くて怖そうだなと思った。


というわけでここを渡ると阿久根市である。ちょっと寄り道しながら出水に向かう。

やってきたのは荒崎地区の干拓地である。ひたすら田畑が広がる干拓地である。

実はこのあたり、冬になると越冬するツルが大量にやってくるのである。

今の時期はツルはいないけど、鳥にとって好都合であることは確かなようで、けっこういる。

このツルのことについて 出水市ツル博物館 クレインパークいずみ で勉強することに。

出水に来るツルというのは1万羽以上に及ぶが、驚くべきはその比率である。

出水に来るツルで一番多いナベヅルは全個体の9割近く、次いで多いマナヅルは全個体の5割ぐらいが出水で越冬しているという。

いずれも絶滅危惧種のツルであることを考えれば出水の重要性がよくわかる。

なぜこんなに出水に来るのかというと、きっかけは干拓である。干拓によりできた水田がツルの越冬に好都合だったのだ。

乱獲された時期もあったが、ツルを見物するために出水を訪れる人は多く、地元の人たちもツルの保護には協力的である。

行政としても越冬期間は干拓地の田畑を借り上げ、通行規制や幕を張るなどしてツルが休めるようにして、

農作物の食害対策も兼ねてエサとなる小麦を蒔くなど、ツルにとっても過ごしやすい環境なのだろう。

一方でツル観察センターなど人間がツルを観察するための施設も整備されている。

人とツルの共存という点ではユニークな地域ではないかと思う。

展示を見た後で「ツルのVR映像見ませんか」と言われ、ツルが群がる中に設置されたカメラで撮影した映像を見た。

冬の出水に来てもこの距離でツルを観察することはできないが、遠巻きにもこれだけのツルがいる光景が見られるのは貴重だろうなと思う。


あとは明日はほぼ帰るだけである。その帰るだけってのが長いんだけど。

電動バイクというのはいろいろ制約は大きいのだけど、こうして島原・天草を中心に巡ることができたのはよかったなと思う。

本渡から牛深までキリシタンの足跡を追う

昨日も大概移動距離は長かったが、今日も長い。

今日は本渡から天草下島の南端、牛深まで移動するのだが、問題は2つあって遠いことと勾配である。

まっすぐ行くなら国道266号線を走れば良いが、これはアップダウンが激しい。

そこであらかじめ検討していたのだが途中までは県道26号本渡牛深線を走る。

名前の通り、本渡と牛深を結ぶが海岸線に沿って走る点が国道と異なり、道幅が細い区間もある。

海岸線に沿って走るということは勾配は控えめである。海岸線にはみどころも多々あるはず。


その前に本渡で見ておくべきところがあるので、やってきたのが殉教公園である。

城山公園ともいうし、こちらの方が正式な名前のようである。

その名前が示すように元々ここには本渡城があった。

島原の乱のとき、本渡でも争いがありひどい犠牲が出たようである。このことを示す「殉教戦千人塚」が移設されている。

で、ここには天草キリシタン館があるのだが……休館日じゃないか。

まさかの火曜休館だった。それで心配になって調べたが次の目的地は事前の調査通りちゃんとやっているよう。

よくわからないけど天草市の施設の中でも休館日を散らしているようだ。


というわけで本渡を出て、冒頭書いたように海岸線沿いに進んでいく。

基本的に天草は離島っぽくはないが、海岸線が入り組んだ半島を走っているような感覚である。

のんびり走っていると「はまぼう群生地」と書かれた看板がある。黄色い花が見える。

はまぼう は汽水域に生息する低木で、河川改修などの影響で生息域が減っているようである。

そんな中で天草市新和町の はまぼう群生地は規模が大きいものとして知られているようである。

ちょうどよかったですね。こういう発見はバイクで走っているからこそである。

まだしばらく進んでいくと、岸壁にタラップとプレハブ小屋があり、立ち番をする人もいた。

これは中田港のフェリー乗り場で、ここから長島の諸浦港への船が運航されている。

簡素な港で、ドライブスルーできっぷを買うのか? と思ったのだが、実は道路の向かいにきっぷ売り場があったらしい。

そんなこんなで宮野河内まで海岸線を走って、ここからは山越えの道である。

いろいろ考えたのだが、これが電池消費がもっとも少ないのではないかと。急坂は押し歩きで節約して。

こうして河浦にたどり着いた。デイリーヤマザキでパンを買って昼食にした。

正真正銘のコンビニがあるのも離島らしからぬ感じである。天草には他のチェーンもあるがデイリーヤマザキが多い印象である。


で、ここにやってきたのは 天草コレジヨ館 のためである。

かつて河浦には天草コレジヨという神学校があった。(河浦にあったという明確な文献が見つかったのは近年のことらしい)

島原にあったのを目のつきにくい天草に移転してきた経緯があるという。

ただ、キリスト教迫害の歴史からして、ここに当地に残っている物というのはそう多くない。

天正少年使節団が持ち帰ったという 印刷機、楽器、天草で作られた 竹のパイプオルガン など文献から再現されている。

模造なのをよいことに演奏もしていて、ちょうど遠足の中学生のためか当地で演奏している人たちが来ていたので、演奏を聴かせてもらった。

なかなか当時から残っている物は少ないが、天草で印刷された本がヨーロッパに渡って残っているのがあって、

そのコピーがいくつか展示されていたが、これらの文献によりヨーロッパに日本のことが伝わった側面もあるようだ。

中には日本語のものも。ひらがな の活字を作り、それで印刷したそうで、教えてもらったが ひらがな の向きを間違えた誤植もあり、活版印刷で作られたことがわかる。

日本でのキリスト教迫害の歴史も伝わっており、その文献の中に河浦にコレジヨがあったことが書かれていたと。


ここら辺に来ると案内が増えてくるが天草にも世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産がある。

それが浦津集落である。行くのは難しいと思っていたが平坦な道を7kmほど。

なんとか持つかと走って行くことに。ただ、後々計算してみるとこれは間違いだったような気がする。

山をトンネルで抜けることもあり概ね平坦ではあるのだけど、距離はそこそこある。

崎津というのはキリスト教が禁止されていた時代にも、潜伏キリシタンがかなりいた地域である。

1805年、天草崩れという潜伏キリシタンが大量に見つかる事件が発生した。

みつかった原因はクリスマスの儀礼のために牛を屠殺していたため。なんと崎津では住民の7割も潜伏キリシタンだったという。

どうも表向きは神社氏子や寺の檀家となっているが、水方という指導者を中心としてキリスト教の儀礼を続けるグループがあったらしい。

みなと館という旅館を改装した展示施設があり、そこにはマリア像が見えるアワビ貝とか、大天使ミカエルっぽい像とかなんとでも言い訳できそうなものがあった。

キリスト教といいつつも自然信仰のような一面もあったようで、天草崩れのときも大目に見てもらえたのはそういうことなのだろう。


明治時代になりキリスト教が公に認められるようになり、崎津にも教会が作られた。かつて絵踏が行われていた庄屋跡である。

儀礼を行っていなければ入って見学して良いよう。ステンドグラスなどはいかにも教会建築だが、畳が敷かれているのは異質である。

ちなみに潜伏キリシタンの中にはカトリック教会に合流しなかったものもいたそう。

このことは集落の入口にある道の駅のガイダンス施設で紹介されていたのだが、

元々、神道・仏教・キリスト教が融合したような信仰だったため、神棚の破棄などに抵抗を示すものがいたよう。

そのため従来の信仰を続ける人も一部にはいたそう。ただ、熊本県内(天草)ではすでに失われたそう。


ところでこの崎津集落は重要文化財や史跡があるわけではない。

国内の保護制度としては重要文化的景観「天草市﨑津・今富の文化的景観」が根拠となっている。

この重要文化的景観というのは漁村集落の景観で、潜伏キリシタンの信仰を表すものとはなかなか思えないところはある。

潜伏キリシタンが作った漁村ということで、世界遺産の構成要素としてはよいことになっているようだ。

潜伏キリシタンの歴史の始まり(島原の乱)を表す原城跡、終わり(信徒発見)を表す大浦天主堂はわかりやすいが、

本当に重要なのはその間で、でも潜伏していたから建造物などが残っていることってそうないんですよね。

そんな中で潜伏キリシタンの痕跡が残る集落を集めたわけだが、それが重要文化的景観の根拠かというとこれは怪しい。

でもこの世界遺産はかなりユネスコでの評価は高かったらしい。よくわからん話である。


さて、ここから牛深に向かうわけだが、距離を見て、これは電池足りんだろうと。

電池が完全に切れてしまうとライトも付かなくなり、坂を下ることすらできなくなってしまう。

ここから牛深までは1つ山を越えなければならない。なんとか押し歩きなどで節約しないといけない。

なんとか牛深の市街地まで下り降りることはできたのだが、さすがに71kmで電池切れになってしまった。

電池2本で71kmというのは距離としてはこれまででは走った方である。ただ2~3kmぐらい足りなかった。

しかも泊まる宿が民宿みたいなところでチェックイン時間が18時になっていて、なんとか間に合わせたい。

そんなわけで押し歩きで早歩き、汗だくになりながら滑り込むように宿に入った。

崎津にさえいかなければ、時間も余裕はあったし、電池も持っただろうけど……

でも、崎津に行ったこと自体はよかったかなと思う。やはりそれだけの価値がある空間ではないか。


というわけで島原・天草の旅も明日には完結である。

バイクの走行距離の兼ね合いで天草の1箇所に留まり周遊というのは難しく、本渡と牛深を渡り歩いたわけだが、

牛深は言うまでもなく、長島に渡る船が出るところである。

明日は最終的には出水、すなわち九州の本土に戻ることになる。

やはりこのバイクには過酷な旅だったが、多くの発見があったなと思う。

島原半島をひた走る

諫早駅前には赤いバスがたくさんいるが、これは長崎県営バスである。

県営バスというだけでも珍しい気がするが、高速バスまでやっており、こっちは白いバスだが。

ここから島原鉄道に乗る。JRとは改札口の場所はだいぶ違うがホームは横並びらしい。

島原まできっぷを買って、現金で買うのだが1750円とはだいぶかかるなと。

諫早駅から汽車に乗り込むと、次の本諫早駅で乗客の半分ぐらいは降りてしまった。


島原鉄道というのは私鉄としては長い歴史を持つ会社のようである。

創業時は鉄道省から譲ってもらった蒸気機関車で引いていて、現在は さいたまの鉄道博物館で保存されているらしい。

島原駅に到着すると雨で、カッパを着て走り出すが、最初の目的地はすぐそこで島原城である。

島原城の天守は明治時代に撤去されたが、後に再建されて博物館になっている。

中身はともかく外見は当時のものを再現していて、特徴として破風がなく直線的と書かれているが、確かに直線である。

博物館としてはやはりキリシタン史料がもっとも充実しているということなのかな。

日本にキリスト教が伝来し、キリシタン大名なんていうのも出ていたが、これは貿易上の実利を考えての選択という側面もあったようだ。

キリスト教としても教育に力を入れて、それが日本とヨーロッパの国際交流に果たした役割というのは大きいのだろう。

今でこそ日本は先進国として認められているけど、初期にはキリスト教伝来というのが大きかったのだろうなと。

日本としても基本的には多神教なわけだから、キリスト教というのも全く相容れないわけではない。

ところが当時の支配者にとっては不都合なこともあり、キリスト教への弾圧はだんだん強まっていく。

そんな中でもマリア観音だの、キリスト教の信仰を続ける人はいた。このあたりの言い訳も日本らしい話だが。

そんな中で起きたのが島原の乱で、このあたりはまた改めて。

その後のキリスト教弾圧を物語る、絵踏とか宗門人別帳なんてものも置かれていた。

いろいろ見ているうちに雨が止んで、雲仙岳もきれいに眺められるようになっていた。

島原大変の原因となった崩落跡が見えると書かれていて、このときはよくわからなかったが、確かに何かあるような気がする。


そんなわけで出発して南下していくわけだが、その途中で山肌がえぐり取られたようなものが見えた。

このえぐり取られた山が眉山で、この崩落した土砂で島原の地形は一変したという。

なにより、この崩落した土砂が原因で山津波が起きて、これによる被害が甚大だったという。

それは島原だけでなく、その対岸の肥後にも及び、これを指して「島原大変肥後迷惑」というようになったそう。

一体なぜこんな崩落が起きたのか。よくわからない部分もあるようだ。

で、しばらく走って がまだすドーム に到着した。これは1990~1996年の雲仙岳噴火災害の伝承を目的とした施設である。

雲仙岳噴火の被害はいろいろあるけど、人的被害という点で最も大きかったのが1991年6月3日の火砕流、死者・行方不明者43名という大きな被害を出している。

火山というのは火山性地震の増加など、火山活動の活発化を予期することはできる。ここで避難して人的被害を逃れた例は多々ある。

このときもすでに火砕流が多発しており、住民の多くは避難していたようである。

ただ、当時は今ほど遠隔での観測手段に乏しく、報道関係者、火山学者、消防団員なんていうのが危険なエリアにいたわけである。

今なら無人のドローンだとか、遠方から高精細カメラでの撮影だとか、いろいろ手段はあるのだが……

この結果として大規模な火砕流に巻き込まれてしまったというわけである。

報道関係者に退避を呼びかけた警察官らが犠牲になったことから、危険なところで撮影を続けた報道関係者を非難する向きもあるが、

しかし、火砕流をこうして撮影できるということがこれまであまりなく、火山活動を理解する上で役立った側面はあるのだろう。

このあたりの成果と火砕流による犠牲は当時としては表裏一体だったのかなという気がする。

その後、砂防事業を進めていく中で二次被害を防ぐため無人機械の導入が進められた。

これは世界的にも先進的な事例で、雲仙岳から学んだことは危険なエリアで作業が必要なら人は入れないということだったのだろう。

ところで「がまだす」って何なんだ? 調べると島原の言葉で 頑張る という意味らしい。復興への決意を示した言葉だったのか。


火砕流・土石流が押し寄せた水無川を越えると南島原市に入る。

すると土石流被災家屋保存公園というのがある。土石流で屋根以外ほぼ埋まった家屋が残されている。

火砕流はガス・火山灰・岩などが押し寄せる現象だが、土石流は土砂が雨などで押し流される現象で、

火山噴火後はすこしの雨でも不安定な土砂が押し寄せ、下流は大惨事だったようである。

なかなかここまでの土砂災害は想像できないが、火山が噴火するとこういう形で広範囲に被害が及ぶと。

南島原市に入って次の目的地までの距離を見て、21kmとか書かれていて遠いな……と思った。

ずっと走って、途中で電池交換もあって、到着したのが原城跡である。

「世界遺産センター整備」と書いて工事をしていたが、この原城跡は世界遺産の構成資産である。

何の世界遺産かというと「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」である。

ここは宣教師不在の時代のスタート地点である天草の乱が起こった土地だからである。

島原の乱はいろいろな側面があるが、最大の原因は重税のようである。

キリスト教への弾圧もひどく、棄教を迫り、地獄(熱湯の温泉のこと)に突き落とすなんてことも行われていたとか。

そういう中でキリスト教が定着していた南島原では相当な不満が溜まり、農民らが結束を強めたという。

そうして当時は建物も残っていた原城跡に立てこもって一揆が行われたという。

国道沿いに停めて歩いて見ていたが、高台に広い空間があり、立てこもるには好都合だったのだろう。

島原の乱の後、城の建物は撤去され、石垣も壊して埋められるなどしたという。

その後の発掘調査で壊れずに残った部分は復元されたので、現在は城の形を相当見ることができる。

ところでこの原城跡はジオサイトでもある。阿蘇山の噴火物が流れ着いてできた土地らしい。


近くには有馬キリシタン遺跡記念館というのがある。

この有馬というのはキリスト教の教育機関であるセミナリヨが設けられるなど、日本のキリスト教にとって重要な土地である。

そういう教育という側面の足跡、そしてその後の島原の乱のことを紹介している。

現代に残るものという点では島原の乱のものが主になるけど。

原城跡の破却の際には遺体もそのまま埋め込まれたらしく、発掘調査では人骨が多数出土したそう。

他の合戦場だと遺体を埋められてしまうということはそうそうないようで、なりふりかまわず滅却されたことが見て取れる。

そこにはキリスト教の信仰を示すメダイなどもあったそうで、この一揆の背景にキリスト教があったことを示して居るとも。


ここまで来ると、島原でのゴール地点は近くて、口之津港に到着。

口之津港でバイクを畳んで、建物内できっぷを買うが、改札は船の手前でするからきっぷ売り場だけ建物内という感じ。

袋に入れて自転車を運ぶ場合は徒歩客としてきっぷを買えば大丈夫で560円である。

特殊手荷物として自転車を乗せればほぼ倍、実際にはこれは原付だからそうすると3倍になってしまう。

フェリーから降りてくる車はそこそこいて、その中には自転車もいた。押し歩きじゃなくて船内から自走なのか。

逆に天草方面に乗る車はわずかだった。このあたりは偏りもあるのかな。よくわからないけど。

客室は2階なのだが、袋は車両甲板に置いていってもいいよと。運ぶと大変なのでありがたいことだが。

一番前に座ることが出来て眺めがよい。30分と近いこともあり出発からまもなく目的地が見えてた。


というわけで天草下島の鬼池港に到着、降りる方は車両用のタラップからだった。

ロープで歩行者用の通路を区切っているが、荷物を持ってここを通るのはなかなか窮屈である。

バイクを組み立ててここから宿のある本渡まで走って行く。

島に着いての最初の感触は佐渡のようだなと。離島と言っても離島らしくないというか。

ここは架橋離島だからあまり離島という感じはないのは当たり前なのだけど。

特に本渡は一般的な市街地という感じである。

電池は持つか心配していたが、無事宿まで持って、本日の走行距離は58km、長かったなぁ。


夕食を食べに行くときに周辺を少し散策していた。

本渡の市街地は主に下島側にあるが、本渡瀬戸という川のような海峡を挟んで天草上島にもまたがっている。

その両岸を結ぶ橋は本渡瀬戸にかかる橋だから天草瀬戸大橋、備讃瀬戸の瀬戸大橋よりも古いし、こっちは正真正銘1つの橋である。

ただ、この橋1つしかないことで渋滞が多発していたため、熊本天草幹線道路の一環で新しい橋が架けられた。

あと、実はもう1つ橋があって、それが可動式の歩道橋である。自転車も通れるが歩行者に合わせて右側通行である。

自転車歩行者専用道路の標識があるため特定原付も走行可能と判断して自走していったが。

一応、この標識がある道路は車道という位置づけではあるが、自転車が中央を左側通行、歩行者が端を右側通行というのは現実的ではないので、

歩行者に合わせて自転車も右側通行して、無理に追い越したりしないでねということなのだろう。

二輪の押し歩きも可能で、ちょうど渡ろうとしたら押し歩きのバイクが渡り終えたところだった。


そんなこんなでやってきた天草である。

明日こそ電池持つか心配だが、今日はフェリーに乗り遅れると本渡に来られない心配はあったが、

明日はそういうことはないので、最悪押し歩きでもなんとかたどり着けばよいとも。

おそらく大丈夫だとおもうんだけどね。

雨を回避しながら唐津

朝、スマートフォンからけたたましい音がするから何かと思ったら、唐津市で土砂災害危険警報とある。

キキクルを見ると宿の場所ではないのでとりあえずは問題ないのだが、

唐津城あたりの土砂災害リスクを言っているそうで大丈夫かよと。まぁ雨はだんだん止んでいくようだし。

その後、宿を出る頃には雨はすっかり止んでいた。カバーはびしょ濡れだったけど。

唐津城あたりの土砂災害リスクも減ったか、この頃には注意報に下がっていた。

ただ、雨量規制のため列車が運休と出ている。雨は止んだからそのうち復帰しそうだが……


というわけで唐津城にやってきた。

松浦川の河口の高台にある城ということで遠くからでもものすごく目立つ。

もっともこの天守閣は1966年に作られたもの。もともと天守台はあったが天守閣はなかったらしい。

エレベータがあるようだけど有料と書かれている。100円徴収する人件費がどうなのかは気になるが。

しかし、こういうのは歩いて行く方が見所は多いわけで。まぁ雨上がりなので注意は必要だが。

天守閣は後付けだが、石垣は昔からあるもの。少し前に石垣の修理が行われたそう。

けっこういろいろな石垣を修理する必要があったようで、あわせて発掘調査も行われた。

これで判明したこともいろいろあったようで、そのことは天守閣内の展示で紹介されていた。

元はもっとコンパクトな城だったが、山の下が二の丸・三の丸となるように拡張されたということですね。

天守閣内は博物館で唐津藩の藩主は目まぐるしく入れ替わったとか、唐津焼のこととか展示されていた。

展望フロアから虹の松原を見ると美しい景色で、これは上から見るのが正解だったのかと。

海ではヨットの練習をするグループなど見られた。


観光マップをもらって見ると、近くに旧高取家住宅というのがあるよう。

玄関を見ると和風とも洋風とも言えるような、ちょっと不思議な見た目である。

入ると案内しましょうかと1人のために一周歩いて説明してくれたが、豪邸ですね。

この家は炭鉱を経営して「肥前の炭鉱王」と呼ばれた高取伊好が作った家だそう。

後から見て思ったけど居宅部分は案外質素である。特に主人の寝室・書斎というのは北側であまり日当たりが良くない。

読書などに没頭するにはいい空間だったのかもしれないけど。畳の部屋に輸入品の暖炉というのは不思議な見た目だが。

どちらかというと重視されたのは客を迎えるための機能でこのために相当な面積を使っている。

中庭に面して茶室があり、客用の茶室とプライベートな茶室をそれぞれ備えている。

客を迎える大広間は2階建てで一体なんぼほど人を呼んだのかという感じだが……

1階の大広間は畳を外すと能舞台として使えるように作り込まれているというトンデモ構造なのだという。

しかも実際年1回ぐらいは能楽は行われていたというから驚きである。炭鉱で働く人たちに芸能に触れさせる意味もあったのではと。

展示に当たっては能舞台としての機能が感じられるような形で再現されている。

この住宅、1997年に唐津市に寄贈され、修理が行われて現在の形になったそうである。

そのきっかけには台風による被災があったようで、そこまでは住宅として使われていたようである。


そこからまた少し行くと旧唐津銀行本店というのがある。

唐津銀行は現在の佐賀銀行の源流となった銀行で、佐賀銀行唐津支店だった時代の表札などが残されている。

ちなみに佐賀銀行唐津支店の現在の店舗はここより少し唐津駅寄りの場所にあるそう。

この建物が保存されている大きな理由が唐津出身の辰野金吾の弟子が設計した建物だから。

辰野金吾というのは東京駅丸の内駅舎や日本銀行本店などを設計した建築家である。

この時代にありがちな銀行建築とも思えるけど、それは辰野金吾が作ったスタイルだったと。

暖炉が据え付けられているのは近隣に炭鉱が多々あった唐津だからこそか。

記念撮影用の一万円札の見本が置かれていてなんで? と思ったのだが、

現在の一万円札には東京駅丸の内駅舎が描かれており、この縁で唐津市には新紙幣発行時に日本銀行から一万円札が寄贈されている。

渋沢栄一の出身地の深谷市に寄贈されていたことは知っていたが、もう1つの縁故地が辰野金吾の出身地の唐津市だったんですね。


さて、唐津駅にやってきたわけだが、当初想定していたルートは動いてなさそうなんだよな。

ここから次に向かいたいのは武雄温泉駅である。

当初はここから筑肥線で桃川駅に行き、そこからバイクで14kmぐらい走って行くつもりだった。

ただ、筑肥線は本数が思っていたより少なく、さらに雨量規制で運休のように見える。

このため改めて地図を見ると唐津線の多久駅から武雄温泉駅まで走るという方策がありそうで、これも14kmぐらいである。

唐津線の方が本数が多いのもあって、こっちの方がいいなと方針転換である。

福岡方面以外はICカードが使えないのでICカードの残高で紙のきっぷを買って乗り込む。


ところで路線図をまじまじ見る人がどれぐらいいるか知らないけど、筑肥線は唐津付近で2つの分断されている。

もとから分断されていたわけではなく、元々は博多~東唐津~伊万里を結ぶ路線だった。

しかし、博多~姪浜は地下鉄の乗り入れに変更され廃止、このときに唐津市内のルートも変更されている。

もともとは東唐津駅は松浦川の河口付近にあり、ここが唐津市の玄関口として機能していた。

筑肥線は博多~伊万里をショートカットルートで結ぶ路線という側面があったようだが、

東唐津駅は行き止まりでここで方向転換していたという。

これを唐津駅に向かうルートに付け替えたというのは、地下鉄乗り入れで博多~伊万里という運行がなくなるのも背景にはあったのだろう。

以来、唐津駅は名実共に唐津市の玄関口となり、福岡都心への直通電車が乗り入れることになった。

今は大概は筑前前原で乗換だし、天神や福岡空港まで乗換なしなのはよいが、各停では時間がかかる欠点はあるが。

もともと唐津線と筑肥線は山本駅で接続しており、伊万里方面との列車は唐津線への直通で代替。

実態としては、(旧)東唐津駅を唐津駅に集約し、東唐津~山本は唐津線で代替出来るので廃止ということである。

そんな唐津線と筑肥線だが、山本駅からしばらくは単線2本が並走する形で、そこで筑肥線側の列車と走りながらすれ違った。

ん? 筑肥線動いているのか? いろいろ不思議な路線である。


多久駅というのはいかにも多久市の玄関口、立派だが無人駅である。

少し雨宿りをするとしばらくは降らないようなので、バイクを組み立てながら少し待って……

武雄温泉駅まで走って行く。途中山越えがあって、少し上ってトンネルを越えていく。

武雄市に入ると電柱に「実績浸水高」というのが取り付けられている。

津波対策などで電柱に標高が書かれているのはよく見るが、ここは内水氾濫の浸水高そのものが書かれている。

もはやここまで水に浸かるリスクがあるとなると、生活できたものではないなと思う。

軍艦旗を掲げて救援活動

このときに紹介しているのだが、この地域は雨水を川に吐き出すポンプが多数整備されている。

平時はこれで対応できているが、ポンプの整備が進むごとに川の水位が上がっていき、堤防決壊のリスクが高まった。

このため川の水位が上がるとポンプの運転を止めるという対応を取っている。

これで発生する浸水は限定的といえればよかったのだが、とてもそうはいえない状況である。

そんなこんなで武雄温泉駅に到着、立派だが道路に駅舎が直接面しているの?

と思ったら新幹線の駅舎は反対側だったようで、バイクの運搬が楽なように反対まで自走して畳む。


西九州新幹線のとりあえずの起点、武雄温泉駅である。ここで福岡方面の特急と接続する。

諫早までの乗車券・自由席特急券をICカードの残高を使って買ってホームへ向かう。

で、新幹線を見て、そういえば荷物スペース付き座席じゃなくても大丈夫なんだっけ? と気になった。

確認すると、西九州新幹線も3辺170cm超の荷物の持込には特大荷物スペース付き座席が必要である。

ただ、折りたたみ自転車などは特大荷物スペース付き座席は必須ではない。

このため自由席の最後列に陣取って荷物を置くのはとりあえず問題ないようだ。この区間に限れば迷惑にもなりませんしね。

裏返せば巨大なスーツケースは自由席では持ち込めないということである。

ただ、荷物置き場もあるので、そこに整然と納められていれば車掌も何も言わない気はするけど。

新幹線は速くてまもなく諫早に到着、宿に入って、夕食は弁当など買って宿でのんびり食うかなんて出かけると、

店を出たら大雨で、距離はわずかだったがずぶ濡れになってしまった。横着して傘を持っていかなかったばかりに。

バイクでの移動は雨を回避できたのに、最後の最後にこれかよと。


さて、明日はとうとう天草に渡るわけだが、明日もどうも天気はよくないよう。

昨日・今日と大雨の心配をしていたが、なんやかんやと回避できていたが明日はどうだろうか。

今日、洗濯をしてうまくいけば、このまま洗濯無しで乗り切れると思っていたが、雨にやられてはどうだろうか。

ひどい雨にはならないとは見ていますが、天気はなかなか読めないところもあるので。

バイクで走る福岡と虹ノ松原

本当は昨晩寝る前にやろうと思ってたことがいろいろ落ちてて、

朝からバタバタしながら出発、なんとか予定通りに移動できて東京駅へ。

バイクを荷物スペースにおいて、東京から福岡の博多駅まで乗り通し。

北九州までなら何度かあったけど、福岡ってのは初めてじゃないかな。

福岡空港の立地も相まって飛行機の方が一般的だろうから。


広島あたりから雨が降り始め、周南あたりではすさまじい雨だったが、

雨雲レーダーを見る限りでは福岡にしこたま雨を降らせた雨雲のようで、到着する頃にはすっかりいない?

小倉駅に到着すると乗り降りとも多いわけだが、この車両は指定席車だぞと。

実際、博多まで指定席で座る人というのはほぼいないようだった。

自由席車まで歩いて行くため、あるいはデッキに立つためにこの車両に入っていたようだ。

昔は小倉→博多は指定席の空席に座っても良いという話になっていたようだが、

今は明確にダメなようで車掌が放送で案内していた。指定席車のデッキに立つのがよいとは言ってないが。

そんなこんなで博多駅に到着、地面はほぼ乾いていて、それがゆえ湿度が高いように感じる。


バイクを組み立てて海の方に向けて走っていく。

交通規制の案内看板が立っていたのだが、博多祇園山笠に伴う物のようで、

すでに行事は始まっていて、すでに飾り山笠が据え付けられているようだった。

そんなこんなで走って行く中で大濠公園に到着。

大濠公園は福岡城の外堀として使われていた入り江を埋立整備して作った公園である。

元々入り江だったところが巨大な池になっていて、島を渡って池の対岸まで行けるのは驚いたが。

大濠公園は全体として登録記念物(名勝地関係)とのことで、将来的には名勝にもということか。

池に近い方から散策道・ジョギング道・自転車道と区切られている。

ジョギング道はほぼ2kmになるように作られているよう。池の周よりちょっと長くすると2kmになるらしい。

ただ、公園施設は池の外側にあるわけで、ジョギング道を横断しないといけないのはイマイチだと思うが。


そんな池の外側には福岡市美術館があり、コレクション展を見ていくことに。200円って安いな。

近現代美術と古美術の2つの展示室に分かれていて、かなり雰囲気が違う。

近現代美術の方は今回はほぼ現代の作品のようだった。

福岡など九州で活動した作家の作品もあるのだが、必ずしもそうではなく外国の作家の作品も多い。

近年リニューアルされ、その際に「+ と -」という砂に模様を付けて消していく作品が常設された。

作者の モナ・ハトゥム はロンドンで活動している人。一見福岡には何も縁がないように思う。

ただ、この作品が発表されたのが福岡だったんですね。そういう意味での縁故がある。

30年前に福岡で何が起こったのか⁈ (福岡市美術館)

ちなみに日本以外のアジアの作家の作品は福岡アジア美術館に移管されたそうで、

ここにあるのは日本かヨーロッパ・アメリカ・アフリカといった地域の作家の作品である。

一方の古美術の方だが、いきなり仏像があってギャップがすさまじい。

古美術のコレクションを託されることも多いようで、それで展示しているようですね。

ただ、ここも独特だなと思うのだが東南アジアの陶器がずらり並んでいたこと。

布物もいろいろコレクションがあるようだが、アジアの工芸に注力しているようだ。


そんなわけで再度バイクで走っていく。ソフトバンクホークスの選手を描いた旗が川沿いにあるなと思ったら、

唐人町駅から福岡ドームへ向かうルートだったらしい。確かにドームありますね。

このあたりはタワーマンションが多いですね。都心から近いことは確かだもんな。

そうかと思ったら立体駐車場を備えたスーパーもあったり、郊外らしいところもある。

ちょっとチグハグだなと感じながらたどり着いたのは福岡市博物館である。

駐車場無料なのかと思いながら、駐輪場にバイクを置いて入る。デカイ建物だ。


もうだいぶ前の話になるが名古屋市博物館に行った時にガイドの人が、

「福岡市博物館は指先ほどのサイズしかない展示物で人が集められるのに」とぼやいていてた。

これは何のことかというと「漢委奴国王」の金印のことである。

この印が発見されたのは志賀島、すなわち福岡市である。

実際のところ、この博物館は金印を展示するために作られた博物館という側面もありそうだ。

というのも福岡市美術館の開館時に旧福岡藩主の黒田家から金印や「日本号」という槍を含む様々な資料が寄贈された。

それ以来、美術館で金印は展示されていたようだが、追って開館した博物館に移管された経緯があるそう。

金印は一番最初の展示室に置かれている。さしたる説明もなく小さな金印がドカンと置かれているだけである。

詳しい説明は次の展示室にあるのだが、発見された経緯など謎が多い印である。

ただ、文献や類似する印との比較などから、後漢と日本の外交関係を示すものであることがわかったと。

これは知らなかったんだけどこれって封泥用の印だったらしい。朱で押すものではないと。


福岡市博物館の展示を見て思ったのは福岡市は案外広いということである。

市内には様々な遺跡があり、それらの資料を集めていくだけでも相当な量になる。

さらに博多での交易に関わる資料もあり、交易品として持ち込まれた陶磁器が多く重要文化財になっている。

ところで福岡市の代表駅は博多駅だが、歴史的には博多の方が古い地名である。

福岡は福岡城ができたときに命名された地名でこっちの方が歴史が浅い。

市制にあたり名前をどうするかというのはいろいろ議論もあったようだが、

福岡と博多をあわせて福岡市とするということで決着したようである。

九州の中心都市ということで博覧会がしばしば行われ、大濠公園も博覧会のために整備された経緯がある。

この博物館があるシーサイドももち地区もアジア太平洋博覧会(よかトピア)のために整備されている。


というわけで次の目的地に向かうため少し走って姪浜駅へ。ここでバイクを畳む。

この駅は市営地下鉄空港線とJR筑肥線の境界駅だが、筑肥線の駅にホーム柵がついていて地下鉄の延長線という感じが強い。

筑前前原駅で唐津方面の電車に乗り換えるが、さっきまで市営地下鉄の真新しい電車だったが、ここからは引退が決まった103系である。

昔はこれで地下鉄に入っていたらしいが、現在は前原~唐津のみの運行になっているようだ。

県境を越える路線という感じもあまりないまま佐賀県に入り、唐津市に到着。

ここでバイクを組み立て再度出発して、虹ノ松原に面した宿に到着。

明日は天気が悪そうなので今日のうちに散策しておくかと虹ノ松原をバイクを走って行く。

といっても松林の中を通っていくだけなのでそんなに楽しいわけではないが。

海岸に出ると当然見栄えするわけだけど、それもよく見ると漂流物がだいぶあるわけだけど。


そんなこんなで今日の天気が一番心配だったのだが、幸い全く影響を受けずに済んだ。

明日は行程に影響するほどの雨にはならないと見ているが、雨自体は不可避であろうとも思う。

果たしてどうしようかと作戦は考えないといけない。

九州の西側を渡り歩く計画

職場では夏休み中にいろいろやってもらおうと仕込みをして夏休み入り。

明日早速出発なのでいろいろ準備をする。荷物は軽くしたいが悪天候を考えると着替えもある程度欲しいし。

相変わらずパンパンにならざるを得ないのが実情か。


夏休みどうするか考える中で、未踏の都道府県というのを考えた。

これは具体的には鹿児島県と沖縄県である。

バイクを担いでいってなにかできるか考えたとき、沖縄県は難しい。

フェリーでないと運ぶのは難しいが、鹿児島~沖縄のフェリーだと制約が多いし、悪天候で計画が崩壊する危険も高い。

鹿児島県だけなら列車でも移動できるからいいけど、そんなに鹿児島で行きたいところないんだよな。

なんてことを考えて九州の地図を見ていたら、天草の南に鹿児島県出水市が見えた。

ここって鹿児島県なのか。鹿児島県の中では北薩と呼ばれる地域だそうで。

こんなところから天草を中心として旅行の計画を立てることになった。


天草諸島は離島ではあるが主な島は架橋されている。ただ、海路も様々ある。

島原半島との間には島鉄フェリー、天草下島(熊本県)と長島(鹿児島県)の間には三和フェリーと。

これにより長崎県~熊本県~鹿児島県を渡りながら天草を巡ることを考えた。

海路は悪天候で動かなくなる懸念はあるが、外洋を航行する船ほどではないだろうし、

根本的に架橋離島なのだからワークアラウンドはいろいろあるだろう。


さらに地図を見ていると、唐津から列車とバイクを組み合わせて長崎県側に行けそうだなと気づく。

唐津は佐賀県だが、玄界灘に面しており、福岡との往来がよい。

そんなわけで唐津も目的地に加えることに。

結果として、福岡県・佐賀県・長崎県・熊本県・鹿児島県と巡るルートを引いた。

福岡以外は各県の一般的にイメージする地域とはだいぶ違いますけど。


難しいのはバイクのバッテリーである。電池切れになると大惨事である。

島原~出水はひたすら自走と船で移動するので、ずっと荷物を持ちながらの移動である。

なんとかなる距離に収めたつもりだが、急勾配で想定より電池が削れたり心配はある。

とはいえ列車中心の移動ではなかなか見られない地域を楽しめますので。

その点では楽しみかな。今の天気予報では天草滞在中は天気はいいみたいだし。これはよかったですね。

ただ、明日の福岡はどうだろうかな。

メガスポーツで株主優待

今朝、雨の中出勤する途中で靴の中が濡れて、雨に強い靴だったはずなのに……

と、職場で靴を見ると表面が裂けていた。ああ、ここから水が入ってきてたのか。

旅行中は雨に遭う可能性が高いので、その前には打開しておきたいが。


というわけで職場から帰ってきてイオンモールへ向かったのだが、

ここで株主優待でもらったJCBギフトカードを持って行った。

最近は使い道がなく困っていたギフトカードだが、

使える店に「スポーツオーソリティ」とあるのに気づいたからである。

今はメガスポーツって言うんですけどね。


イオンモールで靴を買うとなれば普通はASBeeなんですけど。

ただ、少し前からこの靴の代替となりそうな靴を探してたのだけど、

なかなかいいのがASBeeにないというのも思っていたことである。

それでメガスポーツも視野に入れて探した方がよいと考えたと。


メガスポーツはスポーツごとの靴を壁にずらり並べて置いている。

ASBeeはサイズのバリエーションとかはバックヤードに置いてある分も多いが、

メガスポーツではできるだけその場に置くようにしているようだ。

本当なら登山などに使うような靴があればよいと思ったのだが、

リニューアル時に絞り込みが行われて、ほとんど置かれなくなった。

やはりこういうタイプの靴は置かれてなかった。残念。

ただ、雨の日のランニングに使うような靴はあって、目的には合ってそうだ。

今まで使ってた靴に比べると高めだけど、雨対策という点では高機能ではないかと思う。

多目的に使える靴だとは思うが、悪天候時を中心に使うことでむやみに摩耗するのは防げるだろう。


で、メガスポーツではイオンのオーナーズカードを出すと5%引きになる。

そこに対してJCBギフトカードを充当して、足りない分はイオンカードで支払と。

他のクーポンはないけど、5%引きはそこそこ効果はあるか。

というわけで一安心と。


昔はJCBギフトカードもらったらイトーヨーカドーで使ってましたけどね。

当然、イオンでも使えるのだが、レジゴー使ってAEON Payで払うのが基本だとなかなか面倒である。

しかも今はオーナーズカードの還元対象にならない欠点もある。

それでもっといい使い道はないかと模索してましたけど、イオンモール内にありましたね。

しかもオーナーズカードの有効活用にもなるってなら文句なしだ。

麻雀教室と社交ダンス教室

旅行の出発を1日ずらすと雨を避けられる? と思ったけど、

今からだと宿のキャンセル料とかめんどくさいし、別の悪天候にあう可能性もあるし、

最初だけずぶ濡れなら仕方ないかという感じですね。

中盤の天気が悪いと最悪だったんだけど、それは回避できそう。


こんなニュースがあった。

学習目的の麻雀施設「許可不要」の判断 警察庁、ガイドライン踏まえ (朝日新聞デジタル)

風俗営業の一類型として「まあじあん屋」というのがある。

「ぱちんこ屋」と同種の風俗営業の一種として扱われ様々な制約がある。

特にどうにもならないのが18歳未満の店舗への立ち入りが禁止されていること。

子供向けの麻雀教室をやろうとしても真面目に考えると難しい。

でも、それって規制を想定している「まあじあん屋」と異なるのでは? という話はあって、

学習を目的とした麻雀施設は風俗営業にあたらないことが示されたと。

ただ、特に18歳未満を対象とする場合はいろいろ制約があって……

  • 18歳未満は保護者の同意を得る
  • 対局結果に応じた金品授受の禁止
  • 酒類の提供・喫煙の禁止
  • 会員制にする
  • 麻雀の知識を持つ指導員の適切な配置
  • 指導や講評、振り返りを一体として実施すること
  • 営業時間の制限(午前8時~午後10時)
  • 18歳未満の利用者には計算力やコミュニケーション能力を養うためのカリキュラムの策定

真面目にやるとけっこう大変そうだなという印象はある。


風俗営業は接待と遊技という2つの観点がある。

遊技という観点で規制対象になっているのは「まあじやん屋、ぱちんこ屋」などを対象として4号営業と、ゲームセンターを対象とした5号営業の2つである。

ゲームセンターは他の風俗営業と異なり制限の下18歳未満でも利用できる。

果たしてこの2つの営業には何の差があるのだろうか。

パチンコ屋は明確で景品を出せるということである。

ゲームセンターにもパチンコやスロットが設置されていることがある。

景品を出さなければゲームセンターの範疇であると扱われる。

旅館やスーパーなどの一角に設置される場合は、風俗営業にすらあたらない。

ゲームセンター全体として見れば、プライズゲームが一定の制約の下景品を出しているので、

景品が出るか出ないかが4号営業と5号営業の明確な差なのかというと微妙なところはあるが。


では、麻雀は? という話だが、こちらはゲームセンター同様に景品の提供が禁止されている。

なぜこれが規制対象なのかというと、賭博の温床だからである。

とはいえ、これを賭博場だと言ってしまうと他の法律に抵触する。

別に風俗営業の許可があっても賭博が認められるわけではない。

ただ、その中で節度をもった賭け麻雀が行われていても黙認される傾向があると。

そんな中で話題となったのが「黒川基準」ですね。

日本の賭博史に新たに刻まれた「黒川基準」 (Yahoo!ニュース)

昔からそうだったらしいのだが 点ピン(1000点あたり100円)程度のレートであれば黙認されていたという。

そのことが国会答弁で明確に言われたので話題になったという話。

このレートだと1日で「勝ち負けは1人当たり数千円から2万円くらい」ということである。


もちろんすべての雀荘がそういうわけではないのだけど。

ただ「ノーレート」とか明示している店があることは、雀荘では賭博が行われるのが普通であると。

賭博が行われているのが普通だが、そこを開き直ると賭博場開帳図利罪になってしまう。

なので店側も言えることと言えないことがあるということである。


ところでかつて風俗営業には接待と遊技とともにダンスという観点もあった。

それがダンス飲食店とダンスホールである。2016年まで規制対象だった。

この規定を真面目に考えれば社交ダンス教室は風俗営業にあたる。

しかし、これは実態に合わないので、麻雀教室と同じようなルールで風俗営業に当たらないことが示された。

それでもダンスホールが風俗営業にあたる状態は続いた。

しかし、これは時代錯誤ということで2016年に明確に除外された。


なぜダンスが風俗営業の一類型だったのかというと、夜遊びの典型だったからのようで、

同時に 特定遊興飲食店営業 という別の概念が導入された。

もともとダンス飲食店の規制で想定していたようなナイトクラブなどの規制を目的としたものである。

ダンスというだけで規制はされなくなったが、深夜に酒を提供するとこの規制の対象になる。

これ自体は風俗営業ではないんですけどね。でも似たようなものか。


賭けのためではない麻雀が広く普及すると、麻雀だけ厳しい規制があるのは妥当なのかという話もありますが。

実はこの問題はゲームセンターとeスポーツの関係にもある。

ゲームセンターはパチンコ屋に似ているから規制対象だと考えれば、

景品の出ないパチンコ・スロット、景品を落とせるプライズゲーム が規制対象なのは理解しやすい。

しかし、これらとともに対戦型のビデオゲームも典型的な規制対象である。

これは麻雀に似ているという観点なんですね。

まさかゲームセンターで賭けをしながらビデオゲームで勝負している人はいないと思うが。

相手がインターネット越しにいる場合はその懸念がないので規制対象外である。

ただ、オフラインのeスポーツの大会はゲームセンターの典型例に近く、風俗営業に該当する可能性があると言われている。

この問題の回避策としては常設の施設とみなされない会場を選ぶこと、

大会で利益を出さないこと、すなわち営業とは言えないようにすることで対応しているという。


このためこの概念も将来的に変わる可能性はある。

ただ、真っ正面から賭け事をしているということは出来ないので、

賭け麻雀はだめだけど、ノーレートならよいなんて基準は出せないわけである。

ダンスの場合は、ダンスと夜遊びを切り離した別概念を導入することで対応できたが、

麻雀と賭けを切り離すということは、明示的に賭博を認めることになりかねないので、

それはやはり難しいのではないかと思う。