2013年に変わったことと変わらなかったこと

大晦日なので今年のことをBlogを見て振り返ってみようと思う。

まぁ毎年こんなことやってますよね。


記事をさかのぼってまず思ったのは、まだ3月までは高専にいたんだなぁということだ。

今は大学院に入学して、大学ではほとんど研究室で過ごしているわけだけど、そんなのはここ9ヶ月ぐらいの話でしかないと。

それだけならともかく、大学院修了後の就職先を探し始めたというそんな状況で、かなり大きな変化があったのではないかなと思う。

ただし、普段の生活はあまり変わっていない。相変わらず朝に家を出て、夕方に学校を出る生活を続けている。

住まいが変わることもなく、通学距離は長くなったけど、高専時代よりも楽ではある。

学校での暮らしはずいぶん変わったが、研究室の皆さんの支えがあって不便することなく過ごせている。ありがたいことだ。


じゃあ3月までは専攻科修了に向けてやるべきことがたくさんあったんじゃないか、

と思われるかも知れないが、実は学位授与のレポートを10月に出して、小論文試験も12月に終わっているので、

あとは学位授与のレポートを元に学校に提出する論文を作り、これまで学会発表に行っていたようにまとめて発表するぐらいだったので、

この時期というのはずいぶん気楽にやっていたなとBlogを見て思いだした。

そうなってくると大学院入学後のことを考え出すわけだが、住まいは変わらないのだからあまりやることもなく。

唯一、大学院入学後の準備らしきことというと、2月にEMOBILEと契約して、Nexus7を購入したことぐらいか。(通販でEMを新規契約)

タブレットが来てからいろいろ生活が変わったなぁと感じる。電車の中でインターネットにつないでいろいろできるようになったのはもちろんだが、

家の中でも、タブレットを使う場面はけっこう多い。リビングでは元々父のiPadを使うことも多かったのだが、

自室でもPC立ち上げるのめんどくさいときとか使うのよね。あと毎日、Androidに起こしてもらって早起きも万全だ。(Androidを目覚まし時計にする一工夫)

3月には修了式を迎え、本科の1年の頃から一緒にやってきた人ともお別れとなった。 (修了式の日に専攻科を思う)

今は大学院やら職場で大活躍されていることと思う。いや、就職の人はやっと自分の仕事場が与えられたぐらいかな。


4月からは大学院での生活が始まる。

といいつつも実は3月に研究室の人たちとは会ってるんだよな。(ワークショップに誘われて) さらに言えばインターンシップで会っている人も。

ただ、正式に研究室の一員として迎えられたのは、入学式の後の花見のことだ。(大学院の入学式と研究室の花見)

実際のところ研究室はどうなんだという話だけど、1ヶ月ぐらいやっているといろいろ見えてくることもあって、

まず、泊まり込みをする人がけっこういること。事情により住んでいるひとすらいた。(研究室に住むという発想)

研究室を生活の中心としてる人も多いんじゃないかな。僕のように朝来て夕方には帰るというのは学生では珍しいぐらいか。

あと、教員の働き方が高専とはずいぶん違うなとは思った。

研究室に教員が3人もいることもあって、指導教員は学生の研究のことも細かく見てくれてありがたい。

それゆえに研究室内での完結度が非常に高いわけだが(研究室内でできること)、

その一方で教員間の連携は乏しく、専攻全体としての姿は見えない。(実りある大学院での授業はあるか)

こういう環境が僕にとって合っているのかなと思い悩んだことはあるが、

主に指導教員と同じグループの学生に支えられ、それなりに実りある研究生活が送れてるので、そこについては満足している。

それをとりまく環境については大いに思うところがあるということだ。


前期は授業数が多くて、レポート祭りのときは計画的に進めていたものの、レポートが積み重なることとなった。(レポートラッシュで忙しい)

その一方で研究室ではLVDS通信モジュールの設計なんて仕事を課せられ、ここらへんのスケジュールはクリティカルだった覚えがある。

それでも泊まり込みする必要はないように計画的にやってたが。

それが終わったらテスト、ほとんどのテストは7月下旬にあったのだが、無意味に難しいテストもあった。(色違いの解答用紙3枚)

ちなみにこの解答用紙3枚のテストの科目はC、すなわち可にあたる評価をもらった。(みな等しく悪い評価) 合格しただけ御の字だ。

その後は9月末まで夏休みなのだが、結局のところ、盆休みの1週間以外はずっと研究室に行ってたな。

やっぱり夏休みのスタートが8月なのはよくないな。9月になって夏休み気分にはなれないし。

結局、今年の夏は旅に出なかったなぁ。

来年は船に乗って出かけたいなぁ。和歌山~徳島、高松~神戸 ぐらいでどうですかね? 相変わらず近場だが。

さすがに研究室に通い詰めてたら研究はいろいろ進みましたけどね。特にハードウェア関係はこの間にかなり固められた。


むしろゆとりが増えたのは10月に入って授業が始まってからかもしれない。

授業数は前期に比べればずっと減り、大学での生活はほとんど研究室での活動にあてられることになった。

文化の秋という言葉もあるけれど、それで博物館やらに出かけていた。去年も似たようなことをしていたが。

10月12日、京都学生祭典に合わせた美術館などの無料公開に合わせて、京都へおでかけ。(京都を北から南へ美術館やらを巡る)

11月になったら奈良国立博物館に行き、正倉院展を見て奈良時代を感じ(展示物が映える明かり)、

高専祭があるとなれば、母校に出向き、高専時代に縁のあった人々と出会い(高専祭で久しぶりの高専)、

ある時には名張の街に行き、ご当地グルメを味わい(名張の街全てがイベント)……ってこれは12月だからもはや冬だな。

むしろ、11月に研究室旅行で伊勢志摩に行ったことを書くべきだったな。(ぴかぴかの伊勢神宮と志摩の海漁村をぶらぶら、水族館をぶらぶら)

それととあることのために珍しくも京都に泊まりがけで行き、知恩院のライトアップやら見てきたことも秋の出来事か。(光に照らされる知恩院)

こうやって書くとけっこう出かけてるんだよなぁ。


そして今だけど、ぼちぼち就職活動だなといいつつ、大学に来てくれた会社の話を聞きに行った。(大学で話を聞いて職場を想像する)

ここかな、という会社はいくつか見繕っていて、年明けたらまた説明会やらありますんで、掘り下げて方針を決めたいと思っている。

ただ、これから忙しくなるなぁとは思っていて。それは就職活動というよりは研究のことでそう思ってるんだけど、

3月までにやらないといけない仕事というのがあって、急がないといけない、と思いつつ段階的に仕事を進めているところだ。

研究だけならともかく、さっきも書いたとおり、就職活動ということでもぼちぼち説明会やらに出向く機会は出てくるということで、合わさって思うように進むかはなんとも。

それだけにこの正月休みというのは貴重なリフレッシュ期間とも言える。


1年を振り替えるとこんな具合にほとんどが学業の話になるのだが、

思い返してみると、あまり災難にも見舞われることはなかったなぁと。前厄だったんだけどね。

もっともこのあたりだと台風18号で京都府・滋賀県を中心に激しい被害に見舞われた。(特に危険な警報)

特に嵐山で激しい被害が出たことは印象的だったし、駅浸水で京都市営地下鉄東西線が運休となり、山科・醍醐地区の交通に長く大きな影響を与えた。

ただ、それも今ではすっかり立ち直っているそうだ。


めでたい話というと、あべのハルカスの百貨店部分が6月にオープンし(近鉄百貨店の本店はここにあり)、

それに合わせて上本町~あべの橋のバスが走り始めたなんてこともあった。(上本町とあべのをバスで結んでうれしい?)

近鉄沿線だから話には聞くが、なにぶん 天王寺・あべの のターミナルを使う人ではないので。

ただ、キューズモールともども 天王寺・あべの が大阪の第3のターミナルとして大きく成長するきっかけとしては大きいのではないだろうか。

まぁこのキューズモールってやつはヴィソラとココエの名前を飲み込んだんですけどね。(ヴィソラの名前が消える)

来年3月にはあべのハルカスは全面オープンとなり、いままでパッとしなかったターミナルに、300mの空中都市が完成する。

あべのハルカスのことを書くなら、グランフロント大阪のことも書けよと言われるかもしれんが、まだ道半ばかなぁとは思う。(ナレッジキャピタルは面白いところか?)

ただ、来年のETWestの会場はグランフロントのコンベンションセンターらしいから、その特色を出しつつあるのかなとも。


最初に書いたようにこの1年というのは外見的には変化が大きかった。

ただ、あまりやり方を変えずともやってこれた、そんな1年でもあった。

年賀状に「相変わらずぼちぼちやっています」なんて近況を書いて送った分もあるけれど、

これから環境が変わることはあるでしょうけど、そんな中でも自分の思うところによってやっていきたいと思っている。

ともかく、皆さまよいお年を。

区切り文字に悩めばエスケープに悩まない

最近、ちまちまPerlでスクリプト書いてたんだが、

区切り文字を何にするかでちょっと悩んだところがあったのでそのことを。


Perlというのはおもしろいもんで、正規表現やら文字列やらの区切り文字を自由に選ぶことが出来る。

正規表現の区切り文字には / が使われることが多い。

s/\/read\.php\/(\d+)/\/$1.html/g

いちいち/をエスケープしないといけないので、ディレクトリを書くときとか、HTML・XMLの要素を書くときとかに不便する。

けど必ずしも/を使わないといけないわけではなくて、任意の記号を使えるので、

s|/read\.php/(\d+)|/$1.html|

と、/以外の文字を使えば、/についてはエスケープする必要が無くなり簡単に表記できるようになる。

マッチの場合は、/を使う場合は /\t/ のように書けるが、これは m/\// のmを区切り文字に/を使う場合に限り省略できているだけだから、

/以外を使うときは m|/| などと書く必要がある。

あと ()や[]や{}など、括弧については m(/) や s[/read\.php/(.+)/][/$1.html] のように前後を対応させて使う。

qw(a b c d) のように使われているのはよく見ると思うけど、mやsでも同様のことだ。


けっこう僕は | を使うことが多くて、僕の書いたPerlのソースコードを見ると頻繁に使っているのが見て取れるだろう。

HTMLを入出力に使う時、いちいち / をエスケープするのは能率が悪いからね。

ところが | は正規表現では並列検索、すなわち or にあたるメタ文字でもある。

なのでそんなときは | は避けなければならない。普段はあまり問題にならないんだけどね。

それじゃあ # を使おうかなと思ったんだが、ちょうどURLの部分をいじくる正規表現で、 foo.html#bar のような表記とかぶってしまう。

うーん、じゃあ $ はどうだろう、と思ったんだが、これは $1 だとか変数の$とかぶってしまう。

じゃあ [] は? と思ったけど、これは正規表現だと [a-z] のような表記とかぶる。

{} は? と思ったんだが、運の悪いことに今回の置換処理には $foo{$3} とハッシュを使っているから使えない。

それで結局採用されたのは % 、こんなの区切り文字に普通は使わんぞと思って書いてた。

もう1つ、@という案もあって、これかなとも思ったんだが、% の方が区切り文字としては見た目がよいということでこちらが選ばれた。


そんなこと考えるぐらいなら / を使って /をエスケープしとけよ、なんて言われるかもしれないが、見にくくなるから嫌いなのよね。

ただでさえ . など正規表現で意味のある文字をエスケープしないといけないのに、それ以上なんてたまったもんじゃない。

普段は / か | でほとんど事足りて、それでもだめなら # あたりでなんとかなることが多かったんだけどなぁ。

今回は本当に運が悪かったが、納得のいく表記法が思いついてよかった。


正規表現を書くときの区切り文字のことには気を使うが、あまり気を使わないのが文字列を書くときの区切り文字だ。

Perlでは文字列の表記には ” と “” を使うのが普通だ。””だと変数、エスケープ文字が展開され、”だと展開されない。

それでよく、

'<a href="'.$list[0].'">'.$list[1]."</a>\n"

と、 ” と “” を巧妙に使い分けて、””の中に ” が出てこないように書くことが多いんだが、

よくよく考えてみると、

qq|<a href="$list[0]">$list[1]</a>\n|

のように書けば、エスケープのことを気にせず書けるんだよな。

あまり文字列中での変数展開を使い慣れてないというか、後でこう書けば簡単だったなと思うんだけど、

ついつい文字列を連結させて書いてしまいがちで、なんとも残念。


もちろん変数でなければ文字列中に書いても展開できないから、

substr($date,0,4).'年'.substr($date,4,2).'月'.substr($date,6,2).'日'

のような場合は、文字列の連結で書く必要がある。

けど、こんな場合でも、

"@{[substr($date,0,4)]}年@{[substr($date,4,2)]}月@{[substr($date,6,2)]}日"

と変数展開をフル活用して書く方法もある。こういうのを特に好む人もいるんだろうが。

僕はもともと文字列の連結で書くことが多い人なので、こういう書き方はほとんどしない。

もっとも、このようなことをするのに素直なのは、

my ($y,$m,$d)=(substr($date,0,4),substr($date,4,2),substr($date,6,2));
"$y年$m月$d日"

と一旦変数に収める方法なのは言うまでもない。横着者はこういうのすっ飛ばして書きがちだが。


Perlで区切り文字を自由自在に変えられるということはあまり知られていないのかもしれないが、

うまく使えばエスケープが必要な場面がぐっと減り、書きやすく読みやすくなる。

これはPerlの大きな長所だと思っている。Rubyでもこういう書き方はできないから。

まぁ逆に言うとPerlに堪能な人でないとなにを書いてるのかわからなくなるという問題もあるのだが。

僕もこの機能を完璧に使いこなせているとは言いがたいが、なかなか便利なものだ。

これはめんどくさい! と思ったときには使ってみるとよいだろう。

回復する見込がないから

このニュースを見て、えっ? と思ったのだけど、

尊厳死法案、現実味…自民PT、議論要請へ (Yahoo!ニュース)

患者・家族の意志を踏まえて、回復の余地がないとして、ことさら治療しないこと、ここでは尊厳死と書いてあるが、

てっきり正当行為で罪に問われることはないと思い込んでたので、あえて法律を作るほどのことかと驚いたのだった。

実際、ここに書かれているように、書面などで本人の意志が明らかに示されていて、2人の医師が回復の可能性がなく死が近いと認めた、

これだけの条件が満たされていて、有罪とする裁判官がいるのだろうか?


この法律のことはさておき。

運転免許の更新のとき新しい運転免許証には臓器提供意思表示欄が追加されたという話を書いた。

3年ぶりの運転免許センター

この後、書こうかなと思って、書かなかった話があるのよね。このニュースを見て思いだした


そもそも、脳死を臓器移植のために人の死と認めることが正当化される理由というのは、

自発呼吸できないので人工呼吸器なしでは生命機能を維持できないということと、

もう1つは回復する可能性はなくて、いつかは知らないけど心臓も止まって死ぬことは明らかであるということがある。

脳死と植物状態について (岡山県臓器バンク)

植物状態は自発呼吸できるし、回復する可能性は残されているという点で脳死とは異なるともある。

脳死であれば回復する見込がなく、いつかは死ぬことが明らかであるので、心臓が停止する前に死と認めてもかまわないということだ。

もちろん本人が反対していなくて、家族の同意が得られた場合に限られるのだけど。

その点では法律化しようとしている尊厳死の定義にも通じるところがある。


それで臓器提供の意思表示を行うカードなどではこの3項目から選べるようになっている。

  1. 私は、脳死後及び心臓が停止した死後いずれでも、移植のために臓器を提供します。
  2. 私は、心臓が停止した死後に限り、移植のために臓器を提供します。
  3. 私は、臓器を提供しません。

この2つ目の選択肢というのは心臓死の後に臓器を提供するという意味なのだが、

この心臓死というのは実は脳死を経て心臓死に至った場合を意図している。

これは日本臓器移植ネットワークのQ&Aにも書かれているのだが、

Q7. 脳死後と心臓が停止した死後の臓器提供の違いを教えてください。

心臓が停止した死後の腎臓提供は昭和54年から行われてきました。
脳死後での心臓・肺・肝臓・腎臓・膵臓・小腸・眼球の提供は平成9年10月16日に「臓器移植法」が施行されて可能となりました。
脳死とは、全脳の機能が停止して、元には戻らない状態をいいます。
脳死になると、人工呼吸器をつけていても、数日後には心臓が停止します。(心停止までに、長期間を要する例も報告されています。)
脳死からの臓器摘出は、人工呼吸器によってまだ心臓が動いている状態のとき病室でご家族にお別れしていただき、手術室へ運ばれ、摘出が行われます。
心停止後の摘出は、心臓が止まって、病室でお医者さんから「ご臨終です」と告げられてから手術室へ移しての摘出となります。
しかし、腎臓・膵臓の移植の場合、心臓が止まって時間が経過すると各臓器への血流が途絶え、急速に機能が衰えて、移植しても臓器が機能しない場合があります。せっかくご提供いただく腎臓等の機能を確保するため、心停止する前から準備(カテーテル挿入とヘパリン注入)をする必要があります。
どちらの場合も医師から「脳死である可能性が強く、回復の見込みはない」と説明があった時点で、主治医にカードを持っていることを伝えるか、提供の意思があることを伝えて、主治医からネットワークに連絡してもらってください。

(よくあるご質問 (日本臓器移植ネットワーク))

心臓死の後の移植であっても、生きているうちに手当をしておかないと臓器が使えなくなってしまうのだ。

というわけだから、脳死から心臓死に至った場合でないと心臓死での臓器移植というのはないわけだ。

脳死状態であればそのうち完全に死ぬことは明らかであるから、心臓が停止する前に臓器を摘出しようというのが脳死からの臓器提供、

実際に心臓が停止するまでは確信できないから、心臓が停止したことを確認してから摘出しようというのが心臓死からの臓器提供だと。

だから心臓死というのは言うならば答え合わせなわけだな。

めんどくさい脳死判定を経る必要が無いのは、家族にとってはメリットだろうが。


ただし、1つだけ例外がありまして、角膜については普通に心臓死の後でも提供できるんだよね。

献眼の方法と角膜移植 (大阪アイバンク)

なんと眼球の摘出場所はどこでもよいそうで、自宅でも眼球を摘出してくれるそうだ。

もちろん死後早いうちに取り出さないといけないのはそうなのだが、他の臓器に比べると条件はゆるやかだ。

あと、もう1つ、Q&Aに書かれているのだけど、心臓が停止する前の臓器提供ができる施設は限られている。

そのため心臓が停止するのを待たずに臓器提供してもよいという意志があっても、心臓停止後の臓器提供が選ばれる可能性はありそうだ。


ただまぁ、回復する見込がなく、そのうち死ぬことが明らかであるというのは、説得力があるのやらないのやらとも思う。

そのうち死ぬのはどんな人間でも同じことだ。

それがある程度明確に見えているかどうかの違いしか無く、明確なことかというとなんとも。

医師にとっては、回復させるためにできることはないとしか言えないだろう。

そこからどうするかということにはいろいろあるわけだけど、

ことさら治療せずに死ぬのを待つというのは一番問題が少ない方法に思える。

ところが、回復する見込があると思って人工呼吸器やらなんやら付けてみたはよいものの、

後で調べてみると回復する見込がないとなったとき、取り付けた装置を外すのはどうなのかという話はあるかもしれない。

これは医師にとっても家族にとっても悩むところだと思う。

実のところ、尊厳死を認める法律の意味というのは、医師が正しいと思った決断を後押しするというところに意義があるんじゃないのかと思う。


脳死からの臓器提供というのも、回復させるためにできることはないとなった後に決断することだろうが、

脳死だからすでに死んでいるんだとはいうものの、かなり積極的な決断に思える。臓器移植という目的があるから許容されるんだろうが。

尊厳死とは別の話で、積極的に薬を投与するとかして死に導く、積極的な安楽死という概念もある。

これは現在の日本では認められていないと考えられているし、この法律でも認めることにはならない。

人間で積極的な安楽死をさせるのがよい例というのがあるのかどうかは知らないんだけど、

これは有名な話だけど競走馬では骨折を原因として積極的な安楽死が行われている。

というのも、足が1本やられると残り3本の足に負担がかかり、他の足もやられて死んでしまうことが多いのよね。

じゃあ足に負担が行かないようにしたら、と思うんだけど、これまた難しくて、回復することは少ないようだ。

回復する可能性が少ないというだけならともかく、もう1つ問題なのが、馬が苦しみながら死んでいく報告が多かったことだ。

そんなわけで、動物愛護の観点からも、回復する見込が少ない骨折については、早い段階で安楽死させることが妥当であると考えられているようだ。


このあたりは医師の専門性に期待されているのだと思う。

だからこそ、そもそも正当行為で罪に問われることはないと思ってたと書いたのだけどね。

市役所が引っ越さないといけない理由

伊賀市役所を現在地とは別のところに建て替えることが決まったらしい。

市長が移転案を正式表明 現在地は新図書館 伊賀市の庁舎整備計画 (伊賀タウン情報ユー)

うーん、移転か。


伊賀市は上野市と5つの町村が合併して2004年に生まれた。

現在の伊賀市役所はかつての上野市役所を利用している。

合併前の一番大きな庁舎を合併後の市役所として使うのはよくあることだな。

ただ、これにはいくつか問題があって、まず1つは耐震性に問題があること。

伊賀市役所があるのは中心市街地である上野にあって、上野公園の目の前、上野市駅からすぐのところにある。

そんなわけだから観光客でも市役所を見たことがある人は多いんじゃないかなと思うんだけど、率直に言えばボロい。

そりゃ建て替えなあかんわなと思うわけだ。

もう1つの問題は合併後の業務量増加に対応できなかったこと。

なので一部の部署を合併前の町村役場や市役所周辺のビルに分散させて対応しているのだが、効率が悪いのは言うまでもない。


そこで建て替えることになったのだが、事情は簡単ではない。

真っ先に思い浮かぶのは現地での建て替えでそのつもりで進めていたのだろうが、

そしたら現庁舎は坂倉準三という有名な建築家の設計だから残すべきだと横やりを入れられたのだ。

現庁舎を耐震補強することはできるかもしれないが、そうしたところで業務量の増加という問題には対応できない。

そうなると増築が必要になるが、増築すると駐車場の面積を食いつぶすことになるので、来庁者に不便をかけることになる。

結局は全部壊して建て替えるという方針で2011年に新庁舎の設計業者を入札で決めた。


こうして現在地での全面建て替えという方針で進むかのように思えたのだが、

2012年に市長選挙があって市長が代わってしまったのだ。

しかもこの市長というのが現庁舎の保存を掲げて当選したというから困ったのだ。

それでどうしたのかというと、新庁舎設計業務の契約を取り消すことにした。ただし、代金は支払われたらしい。

庁舎建設見直し設計契約を解除/伊賀市/改めて複数案提示 (建設通信新聞)

そうして振り出しに戻ってしまったのだが、改めて方針が決まったというのがこのニュース。


新たな方針では市役所を三重県伊賀庁舎隣接地に移転新築することになっている。

この三重県伊賀庁舎の立地を地図で見てみると、市街地のはずれ、というか市街地の外にある。

三重県伊賀庁舎 (Google Maps)

航空写真で見ると田んぼのど真ん中に庁舎が建っていて不気味である。

ただ、近隣にハローワーク、警察署、さらには市民病院と公共施設が多くある地域ではある。

この案のメリットはなんといっても広い駐車場を確保できることだ。

現在は庁舎からやや離れたところにも駐車場を確保しているようだが、庁舎の目の前に駐車場を確保できるのはメリットがある。

現在地建て替えに比べると制約が少ないので、使いやすい建物を設計することもできるだろう。

県の機関との連携もやりやすく、それなりにメリットはある。

ただ、問題は市街地のはずれにあり、公共交通でのアクセスが劣悪なこと。現状ではコミュニティバスが細々と走るばかりだ。

当然、市役所が移転するとなればバスが設定されることにはなるだろうが、それでもあまり期待は出来ないだろう。


移転後の現庁舎は改修して図書館や観光の拠点として再利用するとのこと。

これで市長としては公約を実現できるということになるようだ。

これが本意だったのかはよくわからないが、現在地への市役所機能の配置と現庁舎の保存は両立できないという判断はあったのだろう。

実はこの方針転換、かなりギリギリの話ではあったようだ。

合併後の新庁舎を作るという名目だと合併特例債という国から多くの補助を受けられる制度を使えるのだが、

ところがこの期限が2017年度末までに迫っていたようで、工事の着手を急ぐ必要があるようだ。

というか前の計画でも合併特例債の期限があるから急がないとと言ってたぐらいなのに、それをさらに遅らせるというのはどうなんだ。


伊賀市役所の建て替えについてはいろいろ横やりが入ってかなりめんどくさい話になったが、

ただ、市街地にある市役所を現地で建て替えるか郊外に移転するかという論争はありふれた話のように思える。

市街地との連続性や公共交通の利便性を考えると現地建て替えがすぐれているように思えるが、

しかしスペースの問題や道路・駐車場の問題を考えるとなかなか現地建て替えが難しく、

郊外への移転を選んだ市役所も多いのではないだろうか。


今回、伊賀市役所の移転地に三重県伊賀庁舎隣接地を選んだ理由の1つにこんなことが書かれていた。

将来のまちづくりの方向性として、権限委譲の進行など今後の行政の動きを見据え、伊賀署やハローワークなどを含めた行政機能の集約エリアと位置づけた。

都道府県は保健所・建設事務所などの出先機関をある程度まとまりのある地域ごとに置いている。

しかし、市町村合併が進むにつれて、都道府県の出先機関の担当範囲と市の区域が一致するようなケースも出ている。

かなり大きな市、例えば人口30万人超だと中核市なれば、都道府県の担当してきたことのうち保健所・環境保全・都市計画に関する業務を中心に市が担当することになる。

今後、教員の人事権なども中核市に移転させることが検討されているよう。

いずれも市町村が行っている業務と関連が深く、例えば保健所だと市町村でこれまで行ってきた身近な保健・医療・福祉の業務と一体となって高度な部分まで対応できる。


人口30万人というのは都市部ならわりに簡単に達成出来るにしても、郊外ではそう簡単ではない。

平成の大合併では元々ある程度の規模のある市町村では指定都市や中核市など、権限委譲を受けられるラインを目指して合併が行われた。

しかしそれ以外の地域では現状の市町村の行うべき業務を行うには小さい町村が合併で消えた程度に留まったのが現実ではないだろうか。

象徴的なのが大阪府で、もともとそこそこの規模の市が多かったからか、平成の大合併ではほとんど合併がなかった。

唯一、堺市と美原町の合併だけ行われたが、これは堺市が指定都市に移行するための口実として行われたものだ。

中核市や指定都市への移行も見通せないが、行政サービスの提供には不便しない規模の市町村にとっては今は何もやることはないのだ。

けど将来的には都道府県が出先機関を置くような単位と区域が一致するような市には中核市レベルの権限委譲は行われるように思える。

そうなってくると市町村合併はまた新しい段階に入るのではないかと思う。

その段階になると市の業務量は増えることとなる。するとスペースの問題と向き合わなければならないところも多くなりそうだ。

市街地に市役所がなくなるのは惜しいことだが、スペースの問題からして避けられない場合も多くなりそうだ。

12月28日までに出さないと

今日は年賀状を作って、それで差し出してきた。

例年に比べるとギリギリになったが、なんとかできた。


年賀状、というか年賀特別郵便の引受期間、

あまりに早く差し出しても対応できないだろうなというのはわかるが、

差し出しが遅くなった場合は、元日には間に合わないようになるぐらいだろう。

と、引受終了というのは元日に間に合わなくなるぐらいにとらえられているかもしれないが、ルール上はそんな軽い話ではない。


そもそも年賀特別郵便の約款での記述だが、

第146条 当社は、郵便物を12月15日から12月28日までの間に引き受け(引受開始日については、1週間を限度として繰り下げることがあります。)、料金別納又は料金後納とするものの場合を除きこれに翌年1月1日付けの通信日付印を押印し、翌年1月1日の最先便からこれを配達する年賀特別郵便の取扱いをします。ただし、通信日付印の押印は、その郵便物が料額印面の付いた郵便葉書であるときは、これを省略することがあります。
2 年賀特別郵便の取扱いは、次に掲げる郵便物につき、これをします。
(1) 第一種郵便物(郵便書簡及び料金表に規定する定形郵便物に限ります。)
(2) 通常葉書
(3) 点字郵便物(料金表に定める定形郵便物の大きさ、形状及び重量に準ずるものに限ります。)
3 年賀特別郵便とする郵便物(以下「年賀特別郵便物」といいます。)は、これを他の特殊取扱とすることができません。

年賀特別郵便というのはどんなサービスか。

それは、1月1日の消印で、1月1日以降に配達するサービスということで、元日配達は保証されていない。

もともと、元日の消印を求めて、元日の郵便局に大量の人が押し寄せていたのを、年内に出しても元日の消印になりますよ,

ということで始めたサービスなので、消印の日付というのは大きなポイントだ。(cf. 年賀郵便制度の発足 (年賀状博物館) )

ただし、料額印面の付いたハガキ(年賀はがきもそうだし、通常はがきに年賀と書いてもそう)は消印を省略されることが常なので、

この消印のサービスというのは今は気にする人は少ないのかなと思う。言えば押してくれますけどね。

それはともかくとして、年賀特別郵便の引受期間というのは最初に書かれているとおり、12月15日から28日となっている。

12月15日より前に出しても年賀特別郵便としての扱いは受けられない、というのはわかるだろうが、

12月28日を過ぎて、29日~31日に出しても年賀特別郵便としての扱いは受けられないことになる。


ということは、消印は引受日、すなわち年内の消印が押されてしまうし、

もしかすると年内に到着してしまう可能性もある。

まぁ定義上はこうなるんだけど、実際には29~31日に出しても、元日の消印になるはずだし、年内に到着することはないはず。

ちなみに元日配達を確実にしたい場合は25日までに差し出すようにと言っている。

28日までに出された分はできるだけ元日配達すると言っているが、その先は全く述べられていない。

もちろんそれでも元日に間に合うケースはあるだろうけど、そこは保証の限りではない。


あともう1つ。年賀特別郵便の取扱が付けられるのは、ハガキと定形郵便物となっている。

多くの場合、年賀状はハガキで作られている。

というか今のように年賀状が普及することになったのは、安価に送れるハガキの存在が大きいようで、

今でもやはり圧倒的にハガキだろう。

ただ、定形なら封書でもOKなので、80円の年賀切手が販売されている理由はそういうことなのよね。数はかなり少なそうだが。

ただし、他の特殊取扱は付けられないということで、お年玉をいれた現金書留を年賀特別郵便にするとか、そういうことはできないのだけどね。


新年のご挨拶を年内に準備しておけるように。それが年賀特別郵便の意義だが、

こういう制度を持っている国ってどれぐらいあるんだろう。少なくとも国際郵便ではそういう制度はないようだ。

国際郵便というとクリスマスカードの引受期限というのは公開されているが、

クリスマスカードというのはクリスマスまでに到着する必要があるというだけで、実は特別な扱いは全く無い。

だからクリスマスカードの習慣のない日本でも、クリスマスカード対応は全く問題ないわけだ。

それに比べて、少なくとも年が明けてから届き、できるなら元日など年明け早いうちに届いて欲しいという年賀状というのはかなり繊細な扱いが必要となる。

日本ではそういう習慣が根付いているから、郵便局もそのための制度を用意して、配達体制を強化しているわけだけど、

実は年賀特別郵便のサービスというのは、けっこう難しいことなんだというのは知っておくべきかも知れない。

「よいお年を」と言って去る

今日は年内最後のゼミの日で、僕は今日を仕事納めの日とした。

「明日は来ないのか」と指導教員には言われたが、年賀状を作らないといかんので。

他の学生も明日は来ない学生が多いんだけどね。


年末に、今年中にはもう会わないだろうなという人には「よいお年を」なんて挨拶をするものだ。

研究室から帰るとき「お疲れさまでした! よいお年を!」なんていいながら出て行ったけど、

年末にはよく見られる光景ではないだろうか。


ところで、授業は先週金曜日が最後の授業日となっていて、先週の授業はいずれも今年最後の授業だった。

今年最後の授業なのだから、最後に「よいお年を」なんて言う人がいてもよさそうなものだが、

誰も言わないのだから驚いた。

え? 本当に今週は授業が無いのか? と思ったほどだった。


高専のときもそうだったし、小学校・中学校の時も最後の授業といえばそんなもんだったから、

それだけにえらい淡泊だなと思った。

ただ、それも無理はないのかもしれない。

先週の授業の最後だとしても、たいていの研究室の仕事納めは今週だろうから。

今年最後の授業としてもそのことをあまり意識していないだけなのかも知れない。


高専の時は冬休みは研究室も完全に休むというのが僕のポリシーで、授業最終日=仕事納めだった。

ただ、大学院に来て、研究室が授業のスケジュールとは無関係に動いている部分もあって、

授業スケジュール通りの休みではなかなかうまく動かないのよね。

なので、ゼミの予定は考慮に入れた上で、どこで休むかというのを考えてるんだけどね。

それで指導教員にここからここまでは盆休みだとか年末年始の休みだとか、まぁそういうことをあらかじめ言っておくわけだけど、

盆休みは8月12日から16日の一週間を休むと伝えると、「12・13日は稼働日だ」と言われて、それでも休むんだと言って休んだものだけど。

お盆休みはいつでもいいのか

やるべき仕事はちゃんとやってますんで。


年始は授業再開も年始最初のゼミも1月6日のようなので、

今年は1月4日・5日が土曜・日曜なので、もうほとんど1月6日が年始の職場・学校のスタートになるんじゃないかな。

こちらはかなり明快だね。土日がなければここもまた揉めたのかも知れないが。

数式エディタの違うPowerPoint

文書作成と表計算はLibreOffice Writer・Calcだけど、プレゼンテーションだけはMicrosoft PowerPointが欠かせない。

ほぼそのためだけに家のPCにはMS Officeが入っているようなものだ。

これで研究室で作成していた資料を家で編集することができるので、

仕事が間に合わないときの帳尻合わせや、家に帰ってから気になることがあったときの確認に使える。


家のPCはMicrosoft Office 2007がインストールされている。

研究室のPCは僕が研究室にやってきてからインストール下のでOffice 2013が入っている。こちらは最新だ。

Office 2007はちょっと古いがOffice Open XML形式(.pptx など)になってからのバージョンなので、

現在のバージョンと基本的にはデータに互換性があるはず。

それ以前だといろいろ問題もあるのだが、Office Open XML形式に対応してれば安心だ。


そう思っていたのだが、先日、研究室で作成したプレゼンテーションを少しいじくろうと思って家で開いて、

数式を編集しようと思ったら編集できないから困った。

どういうこっちゃと調べてみたら、PowerPoint 2010から数式エディタが変わっていたらしい。

Office 2007までの数式エディタは別ウィンドウを開いてそこで数式の編集を行うタイプだった。

それで操作がよくないとか評判が悪かったのだが、PowerPoint 2010からはPowerPointに数式エディタが組み込まれたからか、

別ウィンドウを開くことなく、インテリジェントに数式を編集できるようになった。

MS Wordでは2007からこの数式エディタが搭載されていたようだが、PowerPointへの搭載は遅れたようだ。


逆にPowerPoint 2007で数式エディタを開いて挿入した数式はPowerPoint 2010以降でも編集することが出来る。

ただしインテリジェントに編集することは出来ず2007以前と同様に別ウィンドウを開いて編集する。

PowerPoint 2007以前で開く予定があれば、PowerPoint 2007までやっていたようにオブジェクトの挿入→Microsoft 数式 3.0とかやって、

それで互換性のある数式ツールを使えばいい。けどあえてそんなことをする必要があるのかという話はある。

なにしろ今の数式ツールは非常に操作がよいのだから。


幸いなことに大学ではMicrosoftのソフトウェアについて包括契約を結んでいて、個人のPCにもMS Officeをインストールすることができる。

だから大学でダウンロードしてきてOffce 2013を家にも導入しようと思っている。

そうすれば数式の互換性の問題は解決できる。

それでダウンロードしようと思ってたんだけど忘れてた。明日はダウンロードして持って帰ってこよう。

大都市近郊区間はなんのため

昨日、JR東日本がSuicaエリア拡大に合わせて大都市近郊区間を拡大・新設しているが行きすぎではないのかという話を書いた。

この制度についてはいろいろ目的はあるんだけど、どこにメリットがあるのかというのを考えてみる。


大都市近郊区間という制度は近郊区間完結の乗車券は途中下車出来ない代わりに、

近郊区間内では経路を自由に選んでよいというものだ。

その典型例として出てくるのが加茂~大阪だけど、

加茂~大阪は大和路線経由の大和路快速が走っていて、大和路快速を使えば乗換無しで移動できる。

ところが、加茂~大阪の最短経路は学研都市線経由のルートで、このルートなら55.0kmで950円で済む。

大和路線経由のルートは遠回りで、これは61.5kmだから大和路線経由で乗る場合は本来1110円する。けど実際は950円で済む。

これは大都市近郊区間の制度があるおかげで、学研都市線経由の運賃で便利な大和路線経由のルートを使えるわけだ。

実際、加茂~大阪で学研都市線経由で乗る人は皆無と思うわ。あまりに木津での接続が悪いから。


近郊区間の意図としては路線網が複雑で、どのルートがよいか一概に決めがたいから客に自由に選択させているという面もある。

例えば巻向~王寺と移動するとき、奈良経由のルートと高田経由のルートが考えられる。

短いのは高田経由のルートだが、桜井線は奈良~桜井は本数が多いものの、桜井から先は本数が減るので使いにくい。

なのでたいていの場合は奈良経由で行く方が早く王寺にたどりつくことができるはず。

ところが時間帯によっては高田経由で王寺まで直通する列車が走っているので、これがあるときは高田経由の方が便利だ。

それこそホームに行ってルートを決めるようなこともあるかもしれない。だからきっぷを買うときはどちらか特に決めなくても済むというのは都合がいい。

きっぷを売る方としても、複数のルートの運賃を示すのは大変だから、最安経路だけ示せばいいのは都合がいい。

近郊区間の特例なしだと100km超の乗車券は途中下車可能となる都合、経路を指定して売らないといけない。

そうなると券売機が複雑になるので、経路を指定しなくてもいい近郊区間の特例は都合がいい。


それが大都市近郊区間の意図でして、複雑な路線網を含んでいる区間で、

列車の本数も多く、自由に経路を選ぶことが想定される範囲に対して設定するのが適切だろう。

大阪近郊区間の大半はそんな区間かと思うのだが、中にはなぜこの区間がというところもある。

大都市近郊区間内のみをご利用になる場合の特例 (JRおでかけネット)

気になるのは加古川~谷川の加古川線だ。

加古川線のうち西脇市~谷川は非常に本数が少ない区間として知られている。この区間を自由に選んで使えるというのは無理がある。

阪神・淡路大震災のときに迂回ルートとしての重要性が認められ電化されたという経緯はあるが、平時にあえてこのルートを選ぶ理由は乏しいだろう。

あと、加茂~柘植の関西本線はディーゼルカーが走る区間なので近郊区間としては異質だ。

ただ、昔から柘植~大阪については関西本線経由と草津線・京都経由のルートの両方に長距離列車が走っていたようで、

昔は長距離乗車券でも選択出来るようになっていたそうだから、両ルートを近郊区間で選択出来るようになっているのは不思議ではない。


近郊区間が設定されていない区間ではきっぷの売り方はどうなってるのだろうか。

岡山では岡山~総社で伯備線と吉備線の2ルートがあり、距離が短いのは吉備線、早いのは伯備線だ。

これについては岡山駅の運賃表を見ると、総社までの運賃は伯備線経由と吉備線経由の両方が併記されていて、

総社から先については伯備線経由の運賃しか書かれていない。

吉備線を使いやすくすると

だから、吉備線経由で総社まで行き、その先を伯備線で進みたければ、窓口できっぷを買わないといけない。

ただしICOCAの場合は経路を判定できないので、最短経路で運賃を計算するというルールがある。

だからICOCAを使えば伯備線経由だろうが吉備線経由だろうが吉備線経由の運賃が引き落とされる。

そのルールを使って大回り乗車してきたという話を書いてある。


もう1つ、近郊区間外の100km超の乗車券を券売機で売る時はどうしているのか。

例えば敦賀からだと金沢だとか大阪まで乗ると100km超になる。自由席特急券と組み合わせて乗ることは日常的なことだろう。

こういうところだと自動券売機で利用が多く見込める区間の長距離乗車券や自由席特急券は普通に購入できてしまう。

この場合は経路や着駅が指定された乗車券が出てくるはずだけど、買ったことは無いからわからない。

100km超では任意の駅まで購入できるわけではないが、ある程度、日常的なニーズには対応できるようになっている。

北陸だと特急停車駅に利用が集中してるから、特急停車駅さえ対応すればOKというのはあるだろうね。


とかなんとか、近郊区間がなかったらなかったでどうにかしている例は多いわけだ。

もちろん、近郊区間ならば経路は全く考えなくていいからきっぷを売るのは楽だ。

だけど、任意の経路で乗ることとか、100km超の任意の駅への乗車券を売らないといけないとか、

そういうニーズがある区間というのは限られるはずだし。


なんてことを考えるとJR東日本がSuicaエリア拡大に合わせて、近郊区間を拡大するというのは、

必ずしも納得が得られることではないよなと思うわけだ。

まぁ新潟近郊区間の新設は納得がいくところもあるかもしれない。

例えば、新潟~燕と乗る場合、越後線経由と信越本線経由があって、越後線経由の方が距離は短いが、信越本線経由の方が早い場合があるとか、

新潟周辺のある程度の範囲に限られるとは思うが、意外に複雑で、いくつか選択肢があるのがわかりやすくなったのではないか。

こういうケースこそメリットがある。


ただ、東京近郊区間のいわきまでの拡大はさすがにやりすぎで、途中下車できなくなるという不利益に見合ってないように思える。

いわきから出て、近郊区間内でルートをいろいろ選びながら進むかといわれるとそこは疑問がある。

2004年以前は常磐線方面は勝田までが近郊区間だったが、だいたい東京都心からの直通の普通列車があるのはこのあたりまでだから、

一応の区切りとしては妥当だったように思える。もうここで東京の上野駅から123.3kmとけっこうな距離だったし。

新設される仙台近郊区間は非常に広いが、じゃあ最短でないルートを選ぶ合理的な理由があるのかと言われると多分ない。

仙石線で長期運休区間がある都合、仙台~石巻で遠回りの石巻線経由のルートを使うとか、そういうことはあるけど、

これについては運休中の迂回乗車が認められているので、あえて近郊区間で対処する必要はない。


ICカードエリアと近郊区間が一致しなくてもICカードは最短経路の運賃で計算するというルールを作らないと仕方ないので、

それこそ岡山周辺のようにICカードに限って認められる乗車法というのが出てくることになるが、それは仕方ない。

乗車券はあらかじめ経路を指定して買うのが原則で、それができないICカードは勝手に推定しているだけにすぎない。

近郊区間ならば乗車券でも経路を指定する必要はないが、経路を簡単に指定できるのならあえて近郊区間の特例は必要ない。

岡山~総社の吉備線と伯備線だが、総社から先の伯備線内へ向かう場合に吉備線を使う人はほとんどいないだろう。吉備線は遅いから。

だから伯備線経由の運賃だけ書いておけば実用上問題は無い。

ICカードでは短い吉備線経由のルートに勝手に推定するが、あり得ないだろうなとおもいつつもルール上そうするしかないのだ。

勝手に推定してくれることを期待してICカードを使うのも1つの戦略だ。そこはうまくつかおう。

1円単位の運賃と10円単位の運賃

消費税率変更にあわせて各所で料金の変更の予告が行われているが、

JRグループでも運賃・料金改定の届出を行ったということが発表されている。

特にJR東日本では関東エリアでのICカード利用率が非常に高いということで、ICカードの利用に限り1円単位での運賃を設定すると言っている。

そうなると現金利用との整合性はどうやって取るのか、気になることはいろいろあるが、

実際のところ大して考えてないらしい。


消費税率引上げに伴う運賃・料金改定について(pdf) (JR東日本)

基本的な考えは以下の通り。

  • 普通運賃はICカードの乗車に限り1円単位、現金での利用は10円単位
    • 現金での10円単位の運賃は、電車特定区間内は切り上げ、その他区間では四捨五入で設定する
  • 定期運賃・特急料金はこれまでどおり10円単位の設定

現金での運賃は四捨五入というところでやな予感がしたんだが、

電車特定区間以外の区間では現金の方が安い区間とICカードの方が安い区間が混在している。

例えば、東京~熱海ではICカードでの運賃は1944円だが、これは現金だと四捨五入して1940円となる。

もちろん、ICカードの方が安くなる区間はあるはずだけどね。


電車特定区間ならば必ずICカードの運賃の方が安いのだが、それは大人運賃の話で小児運賃はそうとはいえない。

というのもJRでは小児運賃の半額にしたときは10円未満は切り捨てることになっている。

170円区間の小児運賃は80円となる。他の私鉄・公営交通では切り上げだからこのようなケースは90円となるのだが。

小児運賃はICカードの場合は大人のICカード運賃の半額を1円単位に切り捨て、現金の場合は大人の現金運賃の半額を10円単位に切り捨てで考える。

そのためICカードの大人運賃が185円の区間では、ICカードではこの半額を切り捨てて92円となるところ、

現金では190円を半額にして10円単位に切り捨てるから90円となり、現金の方が安くなる。

元々10円未満切り捨てというルールが問題に問題があったのだが、

1円単位で計算してから現金運賃を決めるようにするなど整合性に注意を払うべきところだったのではないだろうか。


他の関東の私鉄でもICカードは1円単位、現金は10円単位の設定を行うところはあるが、

いずれも現金運賃は切り上げで、小児運賃ももともと10円未満切り上げだったのでJRのような不整合は起きない。

小児運賃のことはともかく、JRが電車特定区間以外では四捨五入の運賃を設定しなければならなかったのは、

JRグループの全国的な運賃設定と合わせるためだろう。

JRグループでは会社をまたいでも共通の運賃表で運賃を計算する。この運賃表が会社によって違うのは許されないわけだ。

会社をまたがない部分の運賃表は各社勝手に決められるんだけどね。

JR西日本では環状線内・電車特定区間の3km以下の運賃は現在120円で、4月以降も120円に設定する。

この区間はJR東日本ではこれまで130円と設定していたが、4月からはICカードは133円、現金は140円となる。

かなり異なるが、関西の電車特定区間と関東の電車特定区間をそれ以外の区間を介さずに乗ることはあり得ない。だから一致してなくてもいい。

けど、幹線の運賃表だけは一致させておかないと、会社をまたぐ利用の運賃を計算する上で問題が生じる。


あとはJR東日本の全線でICカードが利用できるわけではないということもあるね。

ICカードが使えないエリアまで1円単位で計算した運賃を10円単位に切り上げでは納得が得られない。

ただ、それならICカードエリア完結の運賃表とICカードエリア外を含む運賃表を用意して、

ICカードエリアは10円単位に切り上げ、エリア外は切り捨てとするような工夫も必要だったのではないだろうかな。

4月1日よりSuicaの利用できる駅が増える。ただし、途中駅は使えないまま、主要な駅に限り使えるようになるという話で、

利便性の向上に資するところもあるのかなとは思うんだけど、そんな区間までICカードと現金で運賃が違うというのはお互い納得しがたいのではないだろうか。

ICカードの方が高いことによる不満はもちろんのこと、

現金の方が高いケースでも、ICカードの利用できない駅の利用者はその恩恵を受けられないことが問題になるかも知れない。


どうしたもんかなぁとは思うんだけど、東京周辺の電車特定区間であれば大人に限ってはICカードを使う方が安いのは明らかで、

ICカードエリアを出る長距離の利用ではICカードを使うという選択肢はないので、これも明らか。

よその地域の人にとってはこのいずれかであることが多いだろうから、そこまで気にしなくていいのかも。

駅の運賃表には現金とICカードの運賃対応表が書かれるようだから、

仙台や新潟、その他電車特定区間外のICカードエリアではそれを見て、安い方を選ぶもよし、どうせ数円の話だからと現金を貫き通すもICカードを貫き通すのもよし。

そこはお好みでどうぞ。けど、一概に安いとも高いとも言えないというのは不気味だと思うけどね。


しかし、最近のJR東日本の運賃関係の変更はあかんやろというのが多い気がするわ。

今回の消費税率変更に伴う1円単位の運賃導入の問題はここに書いたとおりだが、

ICカードエリア拡大による近郊区間拡大は、以前のSuica拡大時にも問題視されたことではあったが、

あのときは熱海~いわきが途中下車できなくなるのか、というぐらいの話で済んでいたが、

今回のSuica拡大にあわせた近郊区間拡大は関東近郊区間では長野県の松本まで及び、これは東京からでも相当な距離となる。

仙台から郡山・新庄・平泉にまで広がる仙台近郊区間の新設、新潟近郊区間の直江津への拡大、

このあたりは近郊区間設定によるメリットもそうそうないのに、新設・拡大というのもなぁ。


あともう1つ、来年3月から東北新幹線の最速達列車であるところの はやぶさ号 が増発され、青森までの はやて号はなくなる。

ところがこれとともに、仙台~盛岡が各停のはやぶさ号が設定される。

このはやぶさ号と言うのは大宮~盛岡の利用について特別料金を取られるのだけど、仙台~盛岡が各停でもおそらく特別料金の対象になる。

もともと盛岡~新青森の停車駅によっては はやて号 より遅い はやぶさ号 もあって、特別料金を取るほどの速達性なのかという話はあったようだが、

さすがに仙台~盛岡各停だと盛岡では速達性は期待できないわけで、大宮~仙台分の特別料金はともかく、

その先、盛岡までの特別料金は+200円で、遅いわ高いわろくなことがないという話にもなりかねない。

さらに元をたどれば、この仙台~盛岡各停のはやて号は、仙台~盛岡に限っては自由席特急券で乗れる特例があるものの、

これは盛岡~新青森に限って自由席特急料金相当で乗車できる制度との整合性がなく、

盛岡をまたがって自由席特急料金相当で乗車できるかは明確ではなく、そのような特急券の発券を拒まれるなど、いろいろ問題が多い話なのよね。


ケチくさいこと言うなとJRはおっしゃるのかもしれないが、合理的な制度であるとは言いがたいから批判を浴びているのだと理解しなければならない。

今回のICカードでの1円単位の運賃設定は確かに細かく消費税率変更後の運賃を最適に設定できるという点ではよかったのかもしれない。

ところが、現金に比べて高いケースがあるということはICカードを使うことが最適であるということとは反することとなる。

電車特定区間の対応は小児運賃の件を除いては妥当としても、それ以外の区間まで1円単位にこだわる必要があったのかは疑問がある。

確かに短距離では消費税率変更という小さな変更は10円単位でうまく表せなくて苦心するところなんだけど、

そこ以外は10円単位でもお互い納得して利用できると思うわけで、延々と1円単位というのはSuicaエリア外のことを考えるとやりすぎと思うよ。

24時間空港だからできること

ふと関空のWebサイトにいくと、「香港エクスプレス航空689便/688便をご利用のお客様へのご案内」という案内が出ていた。

なんだろと思って見てみると、早朝深夜の店舗の営業状況、リムジンバスなどの案内が書かれていた。

どういうこっちゃと思って調べてみると、今年11月よりデイリーで関空に乗り入れている香港エクスプレス(UO)は12月より週4便増発することとなった。

この増発分がUO689/688なのだが、この発着する時間帯が問題で、香港からのUO688の到着は0:55、香港へ向かうUO689の出発は1:50と、

関空の旅客便ではもっとも遅い到着で、遅い出発となっている。

これまでの一番遅い到着便は羽田空港からのMQ29で22:55着、一番遅い出発便はバンコクへ向かうTG673で0:30発の便だから、

いずれもこれまでよりはるかに遅い時間設定となる。


日本では深夜便といっても23時台から0時台にかけて出発する便ぐらいの話だが、

例えばシンガポールだとか、真夜中にひっきりなしに旅客便が発着している空港もある。

関空は開港の時から24時間空港として生まれたものの、

深夜便というとバンコク便ぐらいの話で、旅客便ではそんなに24時間空港であることを感じることはなかった。

あくまでも旅客便に限った話で、深夜は貨物便が飛び交っているわけで、24時間空港のメリットは開港当初から大いに活用されていたわけだけど。


そんな状況が長らく続いたのだが、Peachが生まれて以来、深夜・早朝便に対応してアクセスや空港内施設の整備が行われてきた。

リムジンバスの最終便繰り下げは多くの便で行われたのではないだろうかね。

特に梅田線の運行形態は終夜運転に近く、最終便は関空1:30発、始発は梅田(新阪急ホテル)3:15発で関空4:05着となっている。

この1:30発というのはUO688対応で変更されたもので、それ以前は1:00発だったのだが、それでも相当な遅さだよな。

Peachは遅い時間帯に関空に帰ってくる便を多数設定した上、余裕が少ない運行形態ゆえに遅れを生じさせやすく、

そんなこともあって梅田線となんば線の終車は特に遅くまで設定されている。

その他にも京都線が23:55発、神戸への高速船は0:00発で神戸空港に着いたときにはポートライナーの最終が出てるので三宮まで送ってくれる。

早朝もPeachは早い時間帯に出る便を多数設定したことから6時台に関空に到着する便が同様に設定されている。


ところで関空には昔から深夜バスが設定されていたのをご存じだろうか。

南海バスが関空~りんくうタウン~泉佐野で走らせているんだけどね。

関西空港(第1ターミナル・第2ターミナル)⇔泉佐野駅前 (南海バス)

最近になってT2への乗り入れも始めたのか。

一般客の利用が見込めるようになったのは最近の話だろう。元は空港従業員向けのバスだったのではないかと思う。

このバスを使えばりんくうタウンまでは容易に行くことが出来るが、運賃が500円というのは距離の割に高い?

深夜でもなければ、りんくうタウンのホテルは空港まで迎えに来てくれるんだけどね。まぁ仕方ないね。


それとともに空港内で夜を過ごせるように、簡易宿所(?)の整備も行われた。

KIXエアポートラウンジというネットカフェはPeachができる前からあったが、

エアロプラザにREFRESH SQUAREができたのはわりに最近の話だったはず。エアロプラザという立地からしてPeach対応だよな。

エアロプラザにあるホテル日航関西空港も早朝便対応のプランを出すなどして集客に努めている。


まだまだ旅客便まで24時間動き続ける空港とは言いがたいのかもしれない。

今回のような極端に遅い時間帯に到着する便は、空港にたどりついてもそこからの足がないという点では敬遠されやすいだろう。

けど、今の関空ならなんとか使えそうだな、とそう思えるだけの環境が整ったのではないかと思う。

実は香港エクスプレスは同時に羽田空港発着の深夜便を設定している。0:30着1:30発と関空発着とも近い。

香港エクスプレスのWebサイトを見ると、この2つの日本発着の深夜便の利用者向けの案内が書かれている。

Important Notice for Guests coming from Japan (HK Express)

関空着は到着後の公共交通の案内がつらつら書かれているが、羽田着は公共交通はもうないからあらかじめタクシーの手配をしておけとなっている。

空港内で休息を取れそうなところはシャワールームと名付けられたところしかない。

空港外に出る公共交通はなく、もうこの時間帯だと空港内連絡バスも走っていない。(国内線のターミナルビルに行ってもどうしょうもないということだが)


関空からしてみれば24時間空港でありたいという願いがやっと最近になって具体化されてきたというところなのかなと。

空港全体はもともと24時間空港だったけど、B滑走路の完成までは滑走路の閉鎖もあったから完全ではなかった。

それがB滑走路ができて完全24時間化を実現し、A滑走路の大規模改修を行うこともできた。

旅客便についてはさっきも書いたとおり、24時間空港としての強みは限定的だった。

それでも、旅客ターミナルビルのローソンが24時間営業だったり、一体なんのために? というような24時間対応は当初から行われていて、

それこそ昔からターミナルで寝て翌朝の出発を待つような、そんな人はいた空港なのよね。

そんなこともあって、Peachができる前後から旅客の24時間対応も急速に進められたのではないかと思う。

今後、深夜・早朝便が増えていくかというと、それはわからないが、効率よい運航のためにこのような時間帯も活用されるのではないではないだろうか。

関空ならなんとかなりそうだと思って使っていただければ、それなりの客は付くだろうかね? そこはUO689/688次第かもしれんが。