昨日、橿原考古学研究所附属博物館の展示を見終わったところに、
県内のいろいろな博物館のポスターが貼ってあるところに天理参考館の「近鉄電車展II」のポスターが貼られていて、
さすがにその場で思い立って行くのは難しかったのだが、
次の日にフリーきっぷもまだ残ってる割にやることもなかったので天理に行くことを決意した。
というわけで近鉄で天理駅までやってきた。閑散としたものである。
天理本通のアーケードを歩ききって天理教本部前に到着するが、
ここで右へ進むと巨大な建物がある。
「おやさとやかた」と呼ばれており、詰所(信者の宿舎)などが入居している。
でも、全てが詰所というわけではなく、天理参考館もここに入居している。
全部詰所だと思い込んでたけど、意外とそうでもないらしい。
さて、天理参考館は天理大学の付属施設と位置づけられている。
その目的は海外布教のためには布教先の文化を知る必要があるということで、
布教先と目論んでいた地域の生活文化・考古資料を集めたとみられる。
天理大学も元は海外布教のために外国語を学ぶための学校として生まれた。
というわけであまり天理教の博物館という感じはない。
アイヌ・朝鮮・中国・台湾・インドネシア・インド・メキシコ・パプアニューギニアと、
生活から地域の土着の信仰というところに着目している印象である。
あと世界の考古資料も展示している。こちらはアジアの近国に加えて中東も。
天理教本部を含む一帯にあった布留遺跡の出土品展示は天理大学の活動そのものだが。
では、この資料館の目的は果たされたのかという話だが、2階の一角で「移民と伝道」として紹介されている。
天理教の海外布教だが、目立った成果のあったのは南北アメリカである。
結局のところ日本人が移住した先で天理教を通じて日系人コミュニティを形成したというのが実情である。
ハワイを含む北アメリカは宗教者として移住することができたが、
そうすると一般的な仕事ができないので、布教活動以前に生活費に苦労したという。
ブラジルは農作業を行う移民として布教師を送り込んだが、こちらは一定期間は厳しい環境での農作業を強いられる。
そんなところを乗り越えて、なんとか天理教を通じたコミュニティ形成が出来たということである。
これらの記録がいろいろ残っていて、その1つがパスポートである。
各時代のパスポートが多く残されていてそれらが展示されていた。
さて、こんな天理参考館だが、交通というテーマもある。
天理教の活動との関連性は不明だが……だいぶ熱心に資料を集めているよう。
特に奈良県の鉄道といえば、それは必然的に近鉄ということになる。
というわけでそんな近鉄の歴史を きっぷ や リーフレット で振り返る展示である。
天理教要素はない……とおもったが、団参券が2枚だけ展示されていた。
前身となった会社が多数ある近鉄、きっぷの表記も移り変わっている。
「信貴山から初瀬」なんてきっぷが展示されていたが、何かわかるかな?
信貴山とは信貴山下駅とケーブルカーで結ばれていた信貴山駅のこと。
そこから王寺まで1駅、現在の田原本線の前身、大和鉄道に乗り換える。
その大和鉄道は田原本から先、桜井まで通じていた。
その桜井でかつて存在した長谷線に乗り換えて初瀬駅に至るルートだった。
今はケーブルカーはないし、田原本線の田原本~桜井は廃止されたし、長谷線は現在の大阪線、桜井~長谷寺で代替されてなくなっている。
しかし、これらの廃止はすべて代替ルートがあるからこそで、現在もこのような移動は問題なく出来る。
ところでこの建物には「天理教基礎講座」の教室も入居している。
天理参考館の入口の隣の扉から入るとあって、地下には展示コーナーがある。
展示コーナーだけなら勝手に見られるみたいだったので見ていたが、
全てパネル展示で、特に信仰に関わる物が置いてあるわけではなかった。
確かに天理教でそういう話は聞いたことがないので、そういうものなのだろう。
パネルの内容は「陽気ぐらし」など天理教の教義が背景を含めて紹介されているといったところか。
わりと普遍的な内容もあるのだが、一神教ゆえの相容れなさもあった。
その後、天理駅に戻り大阪へ向かったのだった。
それにしても今回は橿原線、何回か乗ったけど各停ばっかりだったなぁ。
目的地まで逃げ切る各停を引くことが多かったんだよね。
この区間だけなら急行である必要はないと思うんだけど、こんなに各停ばっかり引くもんかなとか。