旅行の後にやること

近鉄特急と新幹線を乗り継いでバイクとともに東京まで戻ってきて、

家までたどり着いたのは昼頃のこと。

幸いにして霧雨程度でずっと帰ってこれてよかった。

とりあえずは冷凍庫にあるもので昼食を食べて、そこからいろいろてんやわんやだった。


まず、旅行中に注文していた音楽CDが届いていて取り込もうと思ったら、

DVDドライブの故障か正しく取り込めない。困った。

というわけで急きょ近所の電器店に買い物に行くことに。

他の買い物と合わせて買ってきて、帰ってきたらちゃんと取り込めた。

どうも最近は5インチベイに入るDVDドライブも作られなくなってきているようで、

今後はポータブルタイプのDVDドライブを外付けする形でいくんだろう。


もう1つ旅行中に仕込んであったことでやらないといけなかったのがブレーキパッドの交換である。

旅行中にブレーキがかなりすり減っていることに気づき、通販で注文していた。

暗くなると作業が大変なので明るいうちにやっておかないと。

というわけで前にやったのと同じ方法でブレーキパッドの交換をした。

なんかおかしいと思ったら、ブレーキパッドの固定用の金具がズレていて、

それでズレて偏ったすり減り方になっていたようだ。

とはいえ、すり減っていない方もそれなりには削れていたので、

交換タイミングとしてはそうおかしくなかったのかも。


それでイオンまで買い物に行って、食料品だけでかなり買ったが、

「ホームコーディ週間」と10%引きクーポンが配布されているとみて、

そういえばフライパンも買わないとなと、フライパンも買って帰って、

こうすると荷台に付けたカバンもパンパンである。


さらには旅行中に汚れたカッパを手洗いして……

旅行中の疲れもさることながら、いろいろ仕事して疲れたなぁと。

で、明日から仕事ですか。1週間消えて何が起きているのやら。

正倉院展の内覧会

今回の旅行、前はマチ★アソビで決まっているが、後ろは正倉院展で決まっていた。

徳島に行くのにバイクを持って行くとなれば、南海フェリーを使わざるを得ず、帰るにも時間がかかる。

それならばしばらく関西を回る方がよいが、そうすると正倉院展が見えてくると。

じゃあ一体の旅行にしてしまおうと考えたわけである。なので土曜まで関西滞在で、日曜に帰路につこうと。

ただ、できれば親元に滞在する日を1日ぐらい作れた方がよいと思ったので何か手がないか。

そこで思い出したのである。賛助会員には内覧会の招待状が届くじゃないかと。


で、無事に届いたわけだが、普段はこの手の内覧会の招待状ってハガキなんだけど、

なんと正倉院展は封筒、裏面には館長・正倉院事務所長の連名、古風だなぁと思う。

もっとも中にはカードが入っているが、来場時には封筒を渡してと、正味はあて名シールの貼られた封筒の方だったりするのだが。

ともあれ、これで開会前日、今日に正倉院展を見られるということになる。


最終目的地は奈良公園と決まっているが、果たしてそこまでどうするか悩んだが、バイクを担いで近鉄電車に乗る。

橿原線に乗っていると、自分が乗っているのもすれ違うのも新車8A系が多くて大活躍だなと。

そりゃ京都線・橿原線で使うことを見込んでの車両だしな。(cf. 8A系のAの入る場所)

郡山駅で下車してバイクを組み立てる。ここから走って行くが、最初の目的地は駅のすぐ近所、郡山城跡である。


意外と来たことがなかった郡山城跡である。

郡山というと細い道ばかりの古風な城下町の印象があるが、城下町っていうのは城があったわけですよね。

かつて郡山藩は大和国の広範囲を支配しており、現在の奈良県のルーツと言っても概ねよい。

南都銀行は郡山藩士の設立した銀行が元になっており、今年移転するまで使われていた本店は元々「六十八銀行奈良支店」だった。

この当時は本店が郡山にあったんですね。ただ、この建物は本店になることを意識して作られたとされている。

そんな大和国の行政の中心が郡山にあった時代もあったのである。

今となっては古びた城下町、あるいは工業都市という印象もあるが、元はそうだったんです。

城の西側に駐輪場があり、ここで降りて歩いて行くが、芝生の広場として整備されている。

当然、かつてはこのあたりも城の建物があったわけで、相当な業務量があったことがうかがえる。

東側は現在の市役所あたりまで城だったので、こっちも広いなと思う。

堀も深いなぁと思いながら、天守台へ向かう。

登ることが出来るが、そこそこ眺めがよい。平城宮跡や東大寺大仏殿、興福寺五重塔(の素屋根)が見える。

ところでこの石垣の石、石仏がけっこう混ざっていたようで、その1つが「さかさ地蔵」として紹介されている。

石垣を積むのにとにかく石を集めたというのがよくわかるが、石仏まで使うか? という気はする。


郡山から奈良公園まで走って行く。途中でロードサイドで昼食に寄り道。バイクを持って来た理由の1つである。

県庁東交差点を過ぎると観光バスが多く、なかなか大変である。奈良博の前で降りてそこからは押し歩き。

ただ、この奈良博の前がなかなか大変な状況だった。

どうも内覧会の招待客は車で来る人もいるようで、VIPもいるんでしょうね。その車の出入りでごちゃつく。

さらに奈良博の前は観光客がそもそも多く通る上に、仏像館を目当てに来る観光客もけっこういる。

遠足か外国人観光客かという感じだったが。まぁ奈良博のハイライトには違いないですし。

僕も先に仏像館を見ておこうと。というのも法華寺の十一面観音立像が修理完了というので公開されているからである。

なかなか綺麗だと思うのだが、解体修理時に胎内に「一日造立観音」と書かれた文書が入っていたという。

すなわちこの仏像、1日で作ったのだという。どこまで1日でやったのかはよくわからんが。

この一日造立仏というのは疫病退散などの願いのために行われたものだという。それが今日の国宝である。


さて、それでは内覧会に入りましょうかと、15時頃に入る。

入口で「GUEST ご招待者様」というシールと図録が渡される。このシールを貼っておけと。

後で気付いたが、これで仏像館も見られるんですね。賛助会員ならカードを見せて入るので要らない話だが。

いかにも偉そうな人や、カメラを持った取材の人、スーツを着込んで仕事で来ている人、袈裟を来ている人もけっこういるがこれも同じだろう。

ただ、そういう人ばかりでもなく、賛助会員なのかそれ以外になにかあるのか、ラフな格好の人もいる。

内覧会で正倉院展を観に来るメリットは空いていると言うことである。

ただ、常識的に考えればこれでも混んでいる展覧会である。

普段の正倉院展の人の密度を1/2~1/3ぐらいにしたようなと言えば、来たことがある人にはわかるか。

やはり正倉院展、内覧会からして破格だった。


さて、正倉院展だが前半はゲームに着目していた。すごろく と 投壺ですね。

一応、宮廷文化というくくりなので「鳥毛篆書屏風」が6扇並んでたり、すごい光景だが。

あと文字通り大仏開眼のために使われた筆なんてあって、現代の筆とはけっこう違うんですけど。

正倉院展もネタ切れ感はあるが、文書以外の初出陳は伎楽の衣装だった。やはり布物なんだな。

ただ、この伎楽関係のものを並べた一室を設けた理由は「甘竹簫」である。

実はこれ明治時代に間違えた復元をされてしまった品である。

甘竹簫 元に近い姿に<正倉院宝物・管楽器> (読売新聞)

後の時代に他の部品(楸木帯)が見つかって、正しい姿が判明したが、だからといってやり直せるわけではない。

ところが再修理が必要となり、それならばなんとか復元できないかという話になり、ニカワを酵素で溶かして分解、再組立にいたった。

もっとも組立といっても一体にくっついているわけではなく、台の上に置いているだけである。

それでも楸木帯の発見から60年経って本来の姿で見えるようになったということで、正倉院宝物研究の歴史ですね。


あと、おもしろい話ではトナカイの角……ではなくシフゾウの角、象牙……ではなく鯨骨というのもあって、

正倉院宝物を生物学的に調査するようなこともしばしば行われているよう。

ところでなんでこんなものが宝物にあったのかというと、鑑賞用かもしれないが工芸品の材料の可能性があると。

結局は正倉院って元々寺の倉庫だったわけですよね。前半で展示されていた蘭奢待もそうですが。

こちらも放射性炭素年代測定で聖武天皇の時代より後まで生えていた木であることが判明し、

その後に正倉院に運びこまれて、時の権力者が切り取っていったという。よくわからん話ですよね。

最後の部屋にはポスターにもなっている瑠璃杯があった。混雑対策でここなんだろうな。

これは会期中だと全然見られなかったかもなと思った。というのも正味小さいんですよね。

わりと近づいて見られたのは内覧会のおかげか。


そんなこんなで奈良公園を出て帰ることにしたが、バイクをどこで畳んで電車に乗るか。

なかなか決め手に欠くところもあったが、桜井まで走ってもいいかもなと、国道169号線をひたすら南下、桜井駅まで走った。

道路幅に余裕がない区間が多く、自転車の幅でも後ろの車が追い越すのが難しいようで、ちょっと申し訳ない思いもあったが。

ただ、そもそも天理IC付近は混雑で相当な速度低下が起きていて、なんやかんや名阪国道狙いの利用は多いんかなぁって。

天理ICを過ぎて、天理市街を過ぎるとのどかな光景になる。沿線には崇神天皇陵など大規模な陵墓が薄暗い中でもよく見える。

途中で1本目が34kmで電池切れ、平坦なところならまだそれぐらいは持つのか。

2本目に交換して少し走ると桜井駅、昨日の飛鳥行きのスタート地点に戻ってきた感じ。

そんなこんなの関西滞在だった。

談山神社とキトラ古墳

今回、徳島滞在から関西滞在を1週間伸ばす必要があったので、

その間どこに行こうかといろいろ考えていて、そこでふと思い出したのがキトラ古墳の壁画公開である。

これ、今までも奈良県内のいろいろな施設に行くたびにポスターを見ていたが、

予約制というので急に思い立っても難しかったのだが、あらかじめ思いついていれば容易である。


壁画公開は年間4回、およそ1ヶ月ずつ行われる。1年の1/3はチャンスがあると。

応募者多数ならば抽選にはなるが、必ずしも全枠埋まるわけでもない。空き枠は二次応募として前日ぐらいまで受け付けている。

その空き枠の状況はWebで見られるので、それを見て少し前に申し込んでおけばいいと。

というわけで申し込むと翌日にOKと連絡が来た。というわけで、飛鳥行きが決まったわけである。

飛鳥ってのは自転車で駆けずり回る人も多いですから、バイクってのはいいですね。


飛鳥周辺はたびたび足を伸ばしており、大概いろいろなところを見ているわけである。

そんな中でキトラ古墳だけでは面白くないが他に行くところはあるかと地図を見ていた。

そしたら桜井と飛鳥の間に談山神社というのが見えた。

どうも紅葉の名所らしい。が、まだ早いんだよな。ただ、興味を惹いたのでここに寄り道することに。

けっこうな山登りだろうが、さすがに電池は持つだろうと計算して、バイク担いで電車で桜井へ。

桜井駅を下車して駅前でバイクを組み立てていると「芸能創生の地」という碑があるのが目に入る。

そんな大げさなと思いながら、バイクを走らせ始めて南下していく。

すると途中に「日本芸能発祥の地 土舞台」と書かれた案内看板がある。

バイクを置いて住宅地の中をクネクネ歩くと、高台のなんてことない広場に出る。

どうも日本書紀によれば、この土舞台で伎楽を行ったということで、ここを起点に伎楽が普及していったと。

この経緯をもって、桜井市が日本芸能発祥の地と言っているらしい。ここで実際に伎楽をやったりしてるみたいですね。

もっとも伎楽というのはその後すっかり廃れてしまって、今では不明点も多いと言う話である。

ただ、これが現代の能楽につながっていることは確からしい。


談山神社の大鳥居が見えて、まさに談山神社へ向かう道に入ったことがわかる。

坂道が続き、電池の消費が激しいのは目に見えているが、ここから6kmほどというから大した距離ではない。

速度は落ちつつも、左にトンネルが見えてきた。

北は桜井、西は飛鳥、南は吉野、東は宇陀ということで、けっこうな交通の要所に思える。

歴史的にはどうなんでしょうね。飛鳥との往来はあったし、伊勢方面への短絡路に使われたりしていたそうだが。

ただ、宇陀方面の車道ができたのは2003年、飛鳥方面の車道ができたのは2009年と、いずれも比較的近年である。

このトンネルが見える八井内交差点から談山神社まで、距離はそこまでないが高低差がすさまじい。

全然バイクが上がらないのである。というわけで仕方なく押し歩き。

後で確認したところ、桜井駅付近が77m、八井内交差点が382m、7kmかけて300m上がっているわけですね。

これもけっこう上ったなぁと思うわけだけど、談山神社付近の標高はなんと503mほどに達する。

これを1.4kmほどで上がるわけで、平均斜度9%ぐらい? これだときついんだよな。

押し歩きを続けて談山神社の第1駐車場に到着、ここは無料で停めて良いらしい。

アップダウンが激しいがすぐそこではある。


さて、談山神社に入って最初にたどり着いたのが神廟拝所である。

入ると中央には藤原鎌足像があり、この神像を拝する建物なのだが……なんか変ですよね。

実はこれ元々は妙楽寺という寺だったのである。で、そこに仏像を置くかのごとく鎌足公像を安置したわけである。

元々、寺と神社の境目は曖昧なもので、後の時代に寺から神社部門が独立したなんてのはよくある話だが、

ここは鎌足公を祀ることを重視し、全体を神社にすることを決断、仏教寺院としての機能を喪失し、談山神社という名前になったという。

ちなみにこの談山というのは大化の改新の作戦会議が行われたことに由来するものだそう。

神社とみても寺とみても変なところだらけだが、完全に寺と思えるのが十三重塔である。

少し色づき始めた木々と合わせて見ると見栄えはするが、おおよそ神社の景色とは思えない。

本殿・拝殿は神社によくありそうな感じはするが、張り出した舞台はよく寺で見る光景である。

日差しもあってまだ青々とした紅葉は夏っぽい景色だが、これもこれでよかったかもね。混んでると大変だっただろうし。


さて、ここから飛鳥に向かって下っていくが、やはり急坂、速度を落としつつ下っていく。

飛鳥から上りだと八井内~談山神社付近と同じぐらいの勾配を延々と走ることになってたのだろう。

そしたら上がらないとずっと押し歩きだったのだろうか。時間の都合でこっち周りになったが正解だったな。

飛鳥歴史公園の祝戸地区、展望台で畝傍山とか見ながら持って来た昼食を食べる。

園路を押し歩きしながら、周りを見ると棚田が美しい。そろそろ収穫かね。

で、そこを通り抜けて再び走り出して、同公園のキトラ古墳周辺地区に到着、展示施設の「四神の館」付近に到着する。

駐車場に入ろうとすると、自転車は四神の館の横に停めてくれと。

自転車でよかったんだろうか? まぁ原付も同じところに置いてあったから原付としても正しかったのかも。

で、時計と予約を再確認してびっくり。ちょうど集合時間だった。時間を勘違いしていた。

危ないところだったと、足早に四神の館に入り受付で名前を申し出る。


さて、キトラ古墳は高松塚古墳とともに石室に壁画のある古墳ということで注目された。

調査を進める中で漆喰の剥落などの現地保存が難しいということで、一旦漆喰を剥がして壁画の保存を図ることになった。

展示室前で映像を見て思いだしたのだが、大昔にこのキトラ古墳のあたりに来ていて、

当時はまさに壁画の剥ぎ取り作業などしていたところで、その作業中に環境を保つための保護施設の建物に覆われていた。

無事に漆喰を剥がし終わったのが2010年のこと。壁画は修復、古墳は封をして復元、

これらの作業が落ち着いたのが2016年頃のことで、古墳はかつての姿を取り戻し、壁画も予約制で見られるようになった。

工場のような物々しい姿でなくなっただけでもよかった気はする。

ただ、壁画を石室外に出して四神の館での保管することにしたのは「当面の間」の措置とされている。

保存の目処が立てば石室内に戻し、現状復元をするという建前はある。ただ、当面の間が何十年続くのかは正直わからない。


さて、この秋に公開されているのは「玄武」のある北壁の壁画で、玄武って亀と蛇が一体化した空想の生物ね。

玄武については高松塚古墳にもあったのが、一部が削れてしまいよくわからない状態だった。

それがキトラ古墳の壁画にはよく残っていたので、補完できたということらしい。

10分間見られるのだが、わざわざオペラグラスまで貸してくれる。そんな遠くもないのに。

玄武自体はやっぱりよくわからん生き物だなと思うわけだが、下に十二支が描かれている。

薄れていてそれこそよくわからないのだが、子はネズミの頭が見えて、なるほどと。

この十二支というのもキトラ古墳の壁画に特有的なもので、北壁は十二支が3つ並んでいるのが確認出来る唯一の壁だったそう。

玄武というよりそっちの方が見所だったのかも。そんなわけで10分間飽きるぐらい見た。


キトラ古墳周辺地区はキトラ古墳以外にも史跡を内包していて、檜隈寺跡である。

今は敷地内に於美阿志神社があるが、その脇に石塔がある。これが檜隈寺の名残としてわかりやすい。

あと埋め戻されているが、瓦を作っていた窯も発見されているようですね。

本当にいろんなものがあるなぁと思うのだけど、ほぼ全て廃れたのが飛鳥一帯の遺跡である。

高松塚古墳周辺地区にも寄っておくかと、こちらも石室解体後埋め戻され、静けさを取り戻した高松塚古墳を見る。

ここも昔から物々しかった覚えがある。ましてや石室解体中は工事現場そのものである。

こちらの壁画も保存施設での公開が行われているが、こちら年4回で1週間ずつなので、キトラ古墳よりハードルが高い。

もっとも壁画の模写は高松塚壁画館でいつでも見られるので、古墳の理解という点ではそれでもよいと言える。

ゆくゆくは実物の壁画も見やすい形で見られるようにするのだろうと思う。

なお、こちらも建前上は「当面の間」の保管だが、それが何十年続くのかはわからない。


で、このあたり見ていて知ったのだが、中尾山古墳というのがあって、石室が八角形で棺が入らない、すなわち火葬墓なんだそうで、気になって見に行った。

外から見るとそんなに大きくはないが、言うても常識的にはデカイ墓である。

どうもこの中尾山古墳は古墳時代の終焉を表すものだそうで、火葬を取り入れたのもそのためだそう。

なお、ここは史跡指定されている古墳だが、この時代に火葬される人は相当高貴な人であり、

具体的には文武天皇では? という話もあるのだが、文武天皇陵は別に存在する。

こういう天皇陵らしいが天皇陵として管理されていないという墓はしばしば存在する。


帰りはそのまま北上して耳成駅でバイクを畳んで電車に。

この駅は踏切の両側に駅舎がある駅なので、バイクを担いで運ぶには好都合。

それにしても「飛鳥・藤原の宮都」は世界遺産登録されるのかね。

かなり時間はかかったが、とうとう今年に世界文化遺産への推薦が行われた。

時間を要したのは藤原宮跡を特別史跡でカバーするのに時間がかかったから。地権者の理解も得てほぼカバーできるに至った。

長年慎重に進めてきた世界遺産構想、一発合格を狙っているのだが果たしてどうだろう。

課題はわからないところが多すぎるところかもしれない。

万博ロスの大阪を顔パスで行く

大阪に出かけるにあたってどこに行こうかなと考えたわけだが、コスモタワーに行くかと。

そしたら平日だけどエンジョイエコカードを買ってもいいかもなと。

エンジョイエコカードは休日だと620円なのでよく買うが、平日だと820円で各種割引もあるしと。

で、調べていたらe METROアプリで登録すると顔認証改札が使えるとある。

面白そうなので手間はかかったが登録して、1日乗車券(エンジョイエコカードとは言わないらしい)を買う。

ちなみにこの1日乗車券は夢洲駅で乗降できない制限がある。一方で大阪シティバスの一般路線でも利用できる。

夢洲駅で乗降できるのは26時間券と48時間券で、こちらは地下鉄全線でバスは使えない。


というわけで鶴橋で近鉄を降りて、千日前線の改札へ。青く光って鎮座している顔認証改札をくぐるとちゃんと通れた。

おー、これは楽チン。ほとんどの改札口にはあるが、稀にないところもある。

それがコスモスクエア駅の西改札、その場合はQRコードを改札機に見せて通ることになる。

そういえば自動改札機にQRコード見せて通るのは初めてのような気がする。

ATCに寄り道しつつ、やってきたのは「大阪府咲洲庁舎」である。今の建物名はこれか。

このビルはもともと「大阪ワールドトレードセンタービルディング」という名前で、

WTCタワーとか、WTCコスモタワーとか呼ばれていた。しかしオフィスビルとしては経営不振に陥った。

このため大阪市のオフィスを多く入居させて買い支えていたが、賃料が高いと問題になる。

そんな中、大手前の大阪府庁も老朽化が進んでいるため、WTCへの府庁移転という話が出てきた。

しかし府庁移転議案は議会で否決され、府庁の移転はならなかった。

とはいえ、実態的な府庁移転は進み、このビルは大阪府が購入、以後「大阪府咲洲庁舎」という建物名になっている。

議会以外のほとんどの部門は咲洲勤務になってるみたいですね。


大阪府所有にはなったものの、従来からのレストランや展望台の体制は変わっておらず、役所の展望台としては珍しくも有料である。

しかも案外高くて1200円である。昔は700円ぐらいだった覚えがあるんだけど。

ただ、コスモタワーは高さ256m、その最上階からの眺めを楽しめるという点ではなかなかである。

今でこそあべのハルカスの ハルカス300 があるが、それ以前は大阪では最も高い展望台だった。

エンジョイエコカードなど呈示すると100円引きになるが、その場合、現金でしか払えない謎の制約がある。

ともあれ払うとエレベータで上がるが、いきなり展望フロアではなく、エスカレータを乗り継いで到着となる。

この展望台のよいところは海の大阪が楽しめるということである。双眼鏡を持って見ていると、明石海峡大橋や関西空港も案外近く思える。

あべのハルカスは四天王寺・大阪城など歴史ある眺めが楽しめるので、ここは使い分けである。

それでまさに今、海の大阪で見るべきものといえば、それは夢洲の万博会場跡地である。

リングもパビリオンもまだ残っているので、万博ロスということか夢洲を眺めるために来る人が多いようだった。

USJの方向、少し遠くを眺めてみるとなんか見覚えのある形の建物が見える。太陽の塔である。

双眼鏡で見るとよく見えるんですね。横をよく見てみると巨大観覧車、OSAKA WHEELもある。


展望台からの帰りは一般のエレベータを使うことになっていて、府庁勤めの人が昼食に行くのかたくさん乗り込んできた。

ATCもそうだけど、もはやこのあたり官庁街ですよね。

移動してから食べるかということで、またコスモスクエア駅まで歩いて来た。

ニュートラムに乗ることも考えたが、停電で運休なので。都心なら歩いてコスモスクエア駅まで行って中央線が一番早いですからね。

そんなこんなでたどり着いたのは あべのハルカス である。レストランで昼食を食べようと。

御堂筋線東改札を出て、solahaと書いた入口から入るが、もう専門店ゾーンはsolahaって書かなくなったんですね。

日本一の売り場面積の百貨店の商売の形の1つとして専門店ゾーンsolahaを考えたわけだが、縮小を続けていった。

かつてsolahaだったところは、通常の百貨店フロアと大型専門店(無印良品・エディオン・ロフトなど)になっている。

レストランで食べた後、2階を通りがかるとEXPO2025オフィシャルショップがあり賑わっている。

売場自体は賑わってるなぁぐらいの印象だが、振り向くと「お勘定場」の行列がすさまじいことに。

レジの数は多く、夢洲の会場内のKINTETSUショップを思い出した。それでもこの混雑なのかと。


ところかわって梅田、グラングリーン大阪へやってきた。

なんとなくさまよってたらたどり着いたという感じだが、JRうめきた中央口のグランフロント側の反対につながってるんですね。

中を歩いているとすごく複雑なビルだが、オフィス階との兼ね合いのようだ。

地下にあるタイムアウトマーケット、ようはフードコートだが、ここで一服していた。

ふと思ったのだが、ここ最近、梅田には地下のフードコートやファストフード的なゾーンが増えた気がする。

グランフロント大阪のUMEKITA CELLAR、KITTE大阪の うめよこ もそうだし、

LUCUAとかLINKS UMEDAもそうだし、歴史は古いが阪神百貨店のスナックパークも引っ越している。

働く人が増えて、昼休みや仕事終わりに気軽に行ける店が欲しいということなのかな。


さて、コスモタワー展望台を出るとき、当日なら再入場できますよとみて、

夜景をやたらと推していたなと、日が落ちる頃にまたコスモスクエアへ向かうことに。

1日乗車券があるからこそである。2回入ればなおさら割安である。

夜の景色はそれはそれでよいが、昼に見てないと何が何だかという感じ。

大阪市街を見て思うのはギラギラしている建物はそう多くないと言うこと。

通天閣が目立つが、あとは案外控えめ。位置関係もあるのか無駄な光を放たないビルが増えているのか。

このあたりも都心立地のあべのハルカスだと印象はかなり違うだろう。

天保山の観覧車は派手だが、ほぼ同じ方角にはこれも光を放つOSAKA WHEELが見える。

でもやはり来場者の多くの目当ては夢洲ですね。作業のためかライトアップされたリングを見ているひとが多いようだった。

でもそれよりはるかに明るいのはIRの工事現場である。


大阪では万博ロスを随所に感じた。万博の名残を惜しむ人の多いことよ。

万博期間中には大阪・関西の他エリアの客入りが減ったという話もある。

万博を経て、違った賑わいがまた始まることになる。今日もたくさん見たが外国人観光客も多く来るのだろう。

その転換点の1つにIRというのがあるので、やはり待ち遠しいですね。まだ姿はさっぱりですが。

植物園と日本画と中国絵画

京都で宿泊した宿は御池通沿いの都心と言ってもよい立地である。

で、荷物を預けて最後に京都駅に向けて走るときに回収しようと思ったのだが、

荷物預かれるのは15時までと言われる。ちょっと想定外に厳しいな。

そんなわけで順番を入れ換えて最後の目的地の1つ前に寄ることに。


当初の順番の概ね逆になるわけだが、まずは京都府立植物園にやってきた。

なんとなく洛北に向かうかぐらいの発想でやってきたわけである。

園内では絵を描く人が大勢居た。なんか学校の授業で来てる人が多かったみたいですけどね。

しかしこういうの見ると京都ってのが芸術の都だなと思いますね。

実のところ、外の花は時期が微妙であんまりだったのだが、温室がすごかった。

これぞ植物園ということで世界各地の植物を集めていたが、なかなかマニアックである。

特に驚いたのが食虫植物、その中でもウツボカズラ類の多さである。

まじまじと見たり、ましてやそれを比べることもあまりなかったので学びは多い。

サボテン類も体系的に集めているようで、いろいろあるんだなぁと。

温室っていうけど、逆に冷房を効かせている部屋があって、高山植物の展示ですね。

高山植物自体は六甲山とか箱根とか高いところで見ているので目新しいわけではないがそんなのもあるかと。


北山から昼食を食べつつ移動して岡崎公園に。いつものように京都国立近代美術館に入る。

「没後50年 堂本印象 自在なる創造」という特別展をやっている。

堂本印象というと2年半前に堂本印象美術館に行っているが、こういう人ですね。

堂本印象というのは日本画家というのでよいと思うが、美術館の見た目から不思議である。

館内の紹介でも書かれていたのだが、ヨーロッパに滞在していた時期もあり、

ヨーロッパ的な題材や抽象表現など、日本画家という枠で見ると戸惑うところはある。

(日本画というのは手法のことなので、題材が日本的ではないのはわりとある)

もちろん寺社の障壁画など一般的にイメージする日本画の仕事も多かったのだが、キリスト教の教会の仕事もしているのはそういうことだろう。

この美術館も自分の作品を展示する美術館を自分でデザインしたという。

(現在は京都府の施設だが、これは後に美術館・コレクションが京都府に寄贈されたため)

(1日券で京都を北から東へ)

一生を追うような展示構成だったのだが、案外最初は写実的な日本画からスタートしている。

そこからだんだんと西洋画を参考にしたような表現や、題材が増えていくわけですね。

こういう特別展のいいところだと思うのだが、寺社所有の作品など借りて展示することができて、

60歳にしてヨーロッパ滞在をして、そこを境に新しい表現にいろいろ挑戦していくわけですが、

一方で寺からの仕事などはそれなりのものを作っているわけですよね。

非常に仕事の幅が広い人だったんだなというのがわかる内容である。


この辺で御池通を走って宿から荷物を回収し、御池通を引き返して川端通を下り、

なんて無駄なんだと思いながらやってきたのは京都国立博物館である。

寄り道しなくて良ければ東山通を直進するだけだったのに。

「宋元仏画」ということで、中国の宋・元から渡ってきた絵に着目した展覧会ですね。

伝来した寺では大切にされ、日本の仏画にも大きな影響を与えた絵たちですね。

それだけハイレベルだったことは現存するものを見てもよくわかる話である。

仏画だと思いきや実は道教やマニ教の絵でしたみたいな話もあって、いろいろあるんだなぁと。


というわけでここから京都駅に向かってゴールと。

八条口でバイクを畳んで、近鉄の駅に向かい、そこで窓口できっぷを買う。

というのもKIPSポイントを交換したクーポンを持って来ていてそれを消化したかったのだ。

帰りの特急券・乗車券とこれから使うきっぷを買って消化完了と。

KIPSカード移行時にもらったポイントはこれで消化できたということでよかったよかった。

そこから近鉄で親元のところまで乗って、関西滞在後半はここを拠点にする。

持って来た衣類がほぼ全て洗濯物になってしまっていたので、洗ってくれと頼んだら、早々乾燥まで終わって洗濯乾燥機は偉大だなと。

いや、うちでも時々使いますけどね。

みんぱく が追っている世界

3時半というすさまじい早起きをして、手早く準備して4時少し前に小松島の宿を出発。

黄点滅・赤点滅になっている信号機も多い中、昨日・おととい同様に国道55号線を走って徳島市街へ。

そしてかちどき橋を渡ってすぐ曲がって南海フェリー乗り場に到着。

所要時間は45分ほど、往路はえらいかかった気がするがカーナビに末広大橋経由のルートを呈示されて再考になったのはあるか。

この時間だとまだ船はいない。ちょっと早く来すぎたか。バイクを畳んで担いでいく。


というわけで南海フェリーの3便、5:30発に乗るための早起きだったんですね。

こういうのも汽車の時間にとらわれないからこそのことである。

船は4:55にちょうど入港、さすがに徒歩客はまばらだった。

そこから30分ほどで折り返しだからけっこう慌ただしいんだなという印象である。

それを2:40ごろの2便から日付が変わる頃に到着する9便まで繰り返していると。

クレジットカードをタッチして船に乗り込んだら じゅうたん席 で横になって少し休む。

ぐっすり寝られるような環境でもないが。早朝発だがなんやかんや徒歩客の割合が高いようで、グースカ寝てる人はそんなにいない。

しばらく休んだところで朝食を食べる。あらかじめ買っていた。


そうこうしているうちに和歌山港に到着。長い連絡通路を通って和歌山港駅の改札口に。

ここはクレジットカードのタッチ決済専用の改札機が1台置かれている。

南海はまずは空港関係、ついでフェリー関係に先行してタッチ決済を導入した都合、

こういう単機能タイプの改札機がそこそこあるんですよね。

関西の他の会社だと通常の改札機にタッチ決済・QRコードのユニットを付けてることが多いんだけど。

ここは感動したのだが、駅にはエレベータがなくて、えーっと思いながら慎重に階段を歩いて乗り込むとほぼ同時に出発。

慌ただしいな。後で確認したらフェリー→電車の接続って基本的に10分なんですね。

しかも面倒なことにこの便は和歌山市までの1駅の電車に接続していて、和歌山駅では跨線橋を渡っての乗換。

いかにも加太線専用車みたいなのが入っていて、まさか徳島との往来で乗るとは。


天下茶屋駅で下車して乗換。駅構内の案内で堺筋線について「阪急線 京都・北千里方面」とクローズアップされているのが異質である。

南海としてはかなりそこを意識しているようだが、現実問題としてここから京都市内まで乗る人はそうそういないと思う。

乗換駅としてはわかりやすい作りで、新今宮や京橋(京阪・JR)のように改札口を向かい合わせにしているのだが、

その2駅と違うのは両社の改札のフロアが違うこと。ホーム~ホームではエレベータを3回乗ることになる。ちょっと面倒。

ともあれ堺筋線で大阪都心を突き抜けて淡路駅で対面に乗り換えて、終点の1つ手前、山田駅で下車。

モノレールの駅付近までえっちらおっちら運んで、モノレール駅併設のエレベータで地上に降りてバイクを組み立て。


というわけでここからバイクで走って向かうのは万博記念公園である。

山田駅付近には1970年の万博会期中に万国博西口駅があって、徒歩で会場と出入りできた。

後にモノレールとの乗換駅として山田駅ができて、モノレール1区間乗って万博公園に向かう人は多いが、

少し場所が違うとはいえ、会期中は歩けるような距離感だったんですよね。

バイクで走っていくとけっこうあるんですけどね。

万博公園の外周道路は右回り一方通行なのだが、わりと立派な自転車道がある。こちらは対面通行。

自転車道だと思うのだが、自転車道標識がないんだよな。自転車道標識は必須ではないけど、なんで付けてないのかは謎である。

少なくとも自転車歩道通行可の標識はないので、特定原付でそのまま走行できると解釈している。

大阪大学の近所ということもあってか往来する自転車は多いのだが、2人乗りするやつもいてなかなかである。

万博公園の北口から入れるかと思ったが、ここは閉鎖されているので、結局は日本庭園前バス停近くの東口から入ることに。

前に万博公園に来たときも茨木からバスで東口だったので、僕にとってはおなじみだが、あまり一般的ではないような気もする。


ここで国立民族学博物館の観覧券を買う。すると自然文化園の「通行」ができる。

自然文化園の利用には公園の入園券がいるという話なのだが、正直なところどこからは公園の利用なのかはよくわからない。

日本庭園に入るのはさすがに説明が付かないが……ぐらいの話に思えますが。

その日本庭園ですが、どうも2024年に登録記念物(名勝地関係)に登録されている。

名勝だと思ったのだが、そういうわけではなく重要文化財に対して登録有形文化財があるように、

史跡名勝天然記念物に対応する登録制度として登録記念物ってのがあるらしい。

大阪府所在のものとしては例えばマチカネワニの化石が2014年から今年の天然記念物指定まで登録されていた。

造園から50年経過し、文化財としての価値を持つに至ったということで、将来は名勝にも? という話のようである。

確かにみごたえのある庭園だったなと、まぁ今日は入らないんですけど。


万博公園は広くて相当歩かされたが、国立民族学博物館、略称の「みんぱく」の方が通じるかもしれない。

博物館ではあるのだが、制度上は大学共同利用機関にあたる。研究機関としての色が濃い。

とにかく展示を見るのが大変だということで、さらっと流すだけでも相当だった。

今日、早起きしたのはそのため。さすがにそれでも着いたら11時頃なんだけど。

万博公園の諸施設は水曜休みが多く、それは月曜日にやっているということで、ちょうどいい目的地だったという事情もある。

公園入口で買った観覧券を見せて入るが、ここで観覧券を買う人もいるようだった。

公園利用者がみんぱくに入る場合はここで買うのが正しいのだが、公園を通行して買う人はここでは買わないのでちょっと驚いた。

(このあたりは近年事情が変わったところらしいが、そこは機会を改めて書ければ)

みんぱく が万博公園にできた背景なのだが、もともと日本民族学会がいろいろ集めていたのだが、

それも厳しいと国で博物館を作ってくれという要望をしていたところにちょうど大阪万博があり、

万博の展示とも関連付けて、国立民族学博物館の設置が決定されたという事情があるらしい。

万国博美術館を後から転用した国立国際美術館(後に中之島に移転)と比べると、万博前から仕込まれていた点は異なる。

一方で建物自体は閉幕後にあらためて建てられており、万博の名残という感じもあまりない。


世界各地の民俗資料を集めているのだが、けっこう新しい時代のものも多い。

必ずしも伝統文化というわけではなく、移りゆくものにもかなり着目していて、

例えばヨーロッパへの難民流入というのも1つのテーマとして展示されていた。これはかなり新しい。

狙っているかはわからないけど、この展示の中ではキリスト教についての展示が点在している。

比べてみると面白くて、地域ごとにキリスト教の受け入れられ方がかなり違うからである。

こういう移り変わりを理解するには、各時代のありふれていたものが必要で、

現代に収集している様々な資料も将来大きな価値を持つかも知れない。

こういう話を聞くと自然史の標本もそうだけど、それ以上に人間社会というのは変化が激しいですからね。


と、昼食のために一旦出ることに。観覧券をみせれば再入場できることを確認して館外に。

で、結局は園外に出てEXPOCITYまで来てしまった。賑わっているようだった。

再び公園に戻ってきて、再入場かと言われ、みんぱく の入口でも再入場かと言われ、あんまりおらんのかなと思いつつ続きを見る。

午後はアジアのところを見始めたわけだが、最初に日本への移民の話から始まる。

古くは華僑とか植民地時代に渡ってきた朝鮮人とか、このへんはかなり土着化したなぁという気はする。

こういうのを見るとまさに生きた博物館だなという気がする。このあたりの事情はまた変わりそうですね。


全体通じて思ったのは、文化の接触がある中でも伝統文化を残せるというのはそれなりに力が必要で、

以前、アイヌ文化についてこんなシナリオもあったのでは? という話を書いたが……

日本各地から移住してきて、原野を切り開き開拓するも、寒冷地で湿原も多く、なかなか農業はうまくいかなかった。

これで苦しんだのは移住者ばかりではなく、もともと住んでいたアイヌたちもそう。(略)

アイヌは狩猟採集を重視していたが、耕作も一定やっていたわけだし、農業を主体とした新しい文化を築くことはできたのかもしれない。

でも、意気揚々と入植してきた和人がこれですから、どうにもならんわけだよな。

持続可能性を考えれば、狩猟採集から農業へ重点を移すことは避けがたい話だが、それも実はうまくいってなかったと。

(十勝の動物園と農業王国への道のり)

惜しい話ですよね。でも和人にもロシアへの対抗という理由があったわけで、そこを優先せざるを得なかった。

こういう力関係ってのはいろいろあるよねと思って、いろいろ見比べると発見は多い。

アジアはなんやかんやいっても伝統文化が多く残っている地域が多い印象で、それは繊維産業など国際的に競争力があるものが多かったんでしょうね。

おそらくここ10年でも事情はまた移り変わっていくのだろう。というので、みんぱく はそこを追い続けているようである。


万博公園を去って茨木へ。阪急の茨木市駅でバイクを畳んで電車に乗り込む。

そして京都の大宮駅で下車して地上に出てバイクを組み立てて少し走って宿に入った。

あすはここからバイクで駆けずり回るつもりである。

マチ★アソビで絵を描くのを見る

昨日は早起きしたが、整理券も狙わないし、午前中はお目当てもないのでスロースタート。

昨日同様にバイクで走って徳島市街に到着。


マチ★アソビといえば川沿いの公園のステージなどとともに特徴的なのが商店街の空き店舗を利用したブースである。

今回驚いたのがアミコビルもそういう使われ方をしていたということである。

アミコといえば元々は そごう のビルとして知られていたが、そごうが撤退してしまった。

リモート百貨店に活路を見いだした高松三越がサテライトショップ「三越徳島」を出店しているが、

その規模はかつてのそごうとは比べものにならないほど狭いものである。

空きスペースはオフィスに転用されたりもしているが、それでも持て余している。

なのでイベントスペースに使えてしまうのである。

マチ★アソビ開催を示す垂れ幕が付けられ、回廊部分には記念撮影用のアニメキャラクタ・背景のパネルが置かれ、

アミコドームというビルの前にあるイベントスペースではDJイベントが開かれ、

そごうだった時代には考えられない光景で、楽しいけど、それはアミコがシャッター商店街と同じ事情を抱えるに至ったということである。


さて、今日の目玉は大きく2つ、1つは昨日に引き続きわたなれのステージで、

今日はキャストが来ての公園でのトークステージ、愉快なステージだった。

5月にも同じようにやっていて当時はアニメ放送前で通りがかる人に押し売りをしていたらしい。

そこで16時から商店街のstudio MOTHERのブースでライブドローイングやりますからと、

原画の展示をしていたところで、昨日登壇していた面々が並んでトークしながら、メインアニメーターの石井さんが絵を描いていたのだが、

ちょうど原画展示も見ながら話が出来たので、何が大変かということの実像がいろいろ見えてきたが……

原作の小説の挿絵のつやつやした感じを出したいということでやり始めたわけだが、

この絵は動かす絵ではないのでは? というようなことを言われたそうである。

どういうことかという話だが、輪郭を描く線以外にも色の塗り分けのための線も描かないといけなくて、

その量が相当多くなってしまい、そんな絵を大量に描かないと動かないわけですよ。

小説の絵って1枚絵だけど、アニメは動かすために何枚か描いて、その間を埋める絵を描いてとやらないといけない。

で、この問題どうやって乗りきったのかというとマンパワーということになるのだが……

アニメ放送時にやたら作画監督が多いみたいな話を言っている人がいて、わりと特殊な体制だったことは確かなようで、

かなり細かく作画監督を分けてやっていたそうで、この場面はキャラクタごとに作画監督違いますからねと。

一貫性は犠牲にしてでもキャラクタをかわいく見せることには全力を注いだということらしい。


もう1つが倉知玲鳳さんと西尾夕香さんのステージ、よく見たら同じ枠だった。

てっきりトーク系なのかなと思ったら、がっつり歌だった。けっこうびっくり。

この2人はバンドリに出演しているので、いかにもそれっぽい追っかけがたくさんいる感じ。

それにちなんだか、2人でコラボしてRAISE A SUILENのTWIN TAILを2人で歌っていた。

それアリなんだと思ったけど、よく合っていると思った。


そんなこんなで閉会式の痛車グランプリの表彰まで見終えてから宿に戻ってきた。

マチ★アソビも前泊・後泊付きだとやっぱり楽ではある。

が、前泊のための徳島入りもバタバタ慌ただしかったが、後泊の後の関西への転戦もそれはそれで慌ただしい。

いや、ゆっくりすればよかったんだけど、少し欲張りたい事情もあり……

そんなわけで明日はまたバイクを折りたたんでの船旅、電車旅である。

朝から深夜までマチ★アソビ

最初、徳島にバイクを持って行くということを考えたときには、宿は松茂だと思っていた。

ところがいろいろ考える中で宿が小松島になり、小松島~徳島は牟岐線の汽車で移動できる。

ちなみに昔は南海フェリーは小松島港発着で、こちらにも駅があって汽車に接続していた。

牟岐線の中田駅から分岐して小松島駅、小松島港仮乗降場(小松島駅の別ホーム扱い)へ至る小松島線があった。

これが廃止されてから南海フェリーは四国側が鉄道に接続しない状態になり、四国側の発着地も徳島港(沖洲)に移転している。

小松島線は短い支線で、現在も牟岐線の南小松島駅が市街地にある。生活路線としてはさしたる影響はなかったか。


ただ、いろいろ計画を進めていく中で汽車の時間にとらわれず移動できるメリットが出てきて、

それがまさに今日だったわけですね。

というわけで朝、ホテルの朝食が開くや否や、すぐ食べて出発。

思ったより雨が降っているので、カッパを上下着て乗り込む。

今回雨傘を忘れたのでこれが唯一の雨具である。バイクだからカッパは忘れなかった。

小松島~徳島は10kmほど、自転車のスピードでも40分ぐらいで着く。

これだとアミコの駐輪場(125cc以下のバイクは200円)に押し込んで戻ってきても間に合うな。

そうして新町川沿いに戻ってきて、7:45の「わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)」のスタッフトークショーの整理券配布に参加する。

抽選か? と思ったが全員用意されたということで、早起きしたかいがありましたね。


マチ★アソビは整理券配布はやたら早いのだが、だからといってステージなどすぐに始まるわけでもない。

というわけで徳島市街をぶらぶらして飲み物を買ったりしていた。

マチ★アソビに来るのは久しぶりだが、長らく休止状態にあったという事情もある。

新型コロナウイルス騒動のこともあるが、事実上の主催者といってもよいだろうUfotableの脱税スキャンダルのこともある。

そんな中でも再興を望む地元の熱意もあったのだろうが、かなり時間を要したようである。

今年春、久々にマチ★アソビが徳島市街に帰ってきたということで、行政を含む様々な関係者が尽力されていて、

そこには当然Ufotableもあって、新町川沿いにあるUfotable社屋を出入りする人は多かった。

そうはいっても昔みたいに近藤社長が表に出てくるわけじゃないんですけどね。でも総合プロデューサーに名前は書いてありましたけどね。


昔のマチ★アソビと違うのは徳島市街に3つのステージがあること。

以前より使っている新町橋東公園、両国橋西公園に加え、藍場浜公園も利用している。

藍場浜公園は他のイベントで使われていることも多かったが、マチ★アソビで利用できるようである。

藍場浜公園はいかにも野外ライブ会場みたいな感じで、かなり人が入るステージである。

ただ、川沿いに爆音が広がるので、その兼ね合いか延長線上にある新町橋東公園はトーク系のイベントばかりで使っているようだった。

新町橋東公園のステージであれこれパフォーマンスするのはマチ★アソビ特有の光景だったが。

開会式に「とくしまアニメ大使」の中村繪里子さんと、進行を務める高橋祐馬さんの並びを見て、マチ★アソビの歴史を感じる。

というのもこのコンビというのはTVアニメのアイドルマスターのプロモーションだなんだとマチ★アソビでよく見た人で、

その時代にはアイドルマスター目当てに多くの人が訪れ、それ以外もあれこれステージを盛り立てていた。

もともと徳島に地縁があるわけでもない中村さんに「とくしまアニメ大使」の称号が与えられ、

なんらかマチ★アソビがあるたびに徳島に来るようになった理由でもあるわけですよね。

いろいろあったが続いてるんだなと感じる場面だった。


さて、わたなれのスタッフトークショーだが登壇者がほぼ場慣れしていないという。

そりゃまぁアニメ制作の中の人は普通そんなもんか。

監督の内沼菜摘さんが心細そうに れな子ぬいぐるみ(原作の みかみてれん先生には「そいつ頼りになりませんよ」と言われたそうだが)を持って登壇していた。

等身大の女子高生で描きたかったということはたびたび言っていて、これはまさに監督のこだわりだが、

他のスタッフにも様々こだわりがあったようで、こだわりを実現するために裏で暗躍する人が様々いたようである。

そういうこだわりも出来上がってみれば、これでよかったなぁと受け入れられていくような感じで、

わたなれというのはそういう魔力のある作品なんだろうなと思う。

原作は小説だけど、コミカライズのときの書き文字などの要素も作品の特色として活用されていて、

そういうのも作品に関わった人のこだわりの現れですよね。


藍場浜公園のステージはよっぽど人数が入るので、夕方以降のライブステージはひどい混雑。

最後の 鈴木このみ さんのステージはすさまじい人数で、1日目のクライマックスにはふさわしい?

終わったらバイクを走らせて少し移動、やってきたのはライブハウスHOTROD、

まぁ小規模なライブハウスなのだが、ここでマチパーティーという便乗DJイベントがある。

西尾由香さんが出るというので、気になってやってきたわけである。

ぎゅうぎゅう詰めではないライブハウスというのも来ないので慣れないなぁと。

バイクなので汽車の時間も気にせず滞在できるが、酒は飲めない。これは惜しいポイントである。

あとで知ったのだが西尾さんはその前に別のステージがあって、ファンもそこからハシゴしてくるようだった。

そのハシゴする人が来るまではなおさらガラガラ。地元や周辺地域のアニソンDJが立ち替わり立って、

その中にマチ★アソビで来た人が差し込まれる感じで、小坂井祐莉絵さんと、高井舞香さんが来ていた。

お膳立てはあるにせよ惹かれるものがあるのはさすがですかね。

西尾さんのファンが来て、盛り上げるのも殊更に上手いので、大盛り上がりだった。

最後まで居ても帰れるがさすがにハードなので、23時ごろに出てバイクを走らせて小松島の宿に向かった。


まぁ徳島市街で泊まればそういう問題もないんですがな。

でもやっぱりマチ★アソビ期間に徳島市街で泊まるのはいろいろ苦労しますからね。

宿に着けばすぐ風呂に入れるので、遠くても汽車の時間見なくていいならこれでいいやと思いますね。

ダメポイントは酒が飲めなかったぐらい。それさえ許せばそれでよいということで。

くろしお号から南海フェリー

昼までで職場を出て、家に戻ってきてあらかじめ作り置きの昼食を食べて、

バイクで駅まで走って、畳んで電車に乗って……

東京駅で重いバイクを担いで移動するのはやはり大変だけど、ひかり号の荷物スペース付き座席に乗り込んだ。


対照的に新大阪駅での乗換はわりと楽だった。

新幹線がエレベータ近くの車両、これは仕込んでいたのだが。

そのエレベータを降りて、すぐに乗換改札、それを抜けて一番近い1・2番ホームがくろしお号の発着場所。

その1・2番ホームへのエレベータもすぐに見えるところにある。

けっこう新大阪駅ってコンパクトで便利だったんだなと。

まぁ御堂筋線との乗り換えとなればそれはけっこう遠いんだけど。


くろしお号は新大阪から乗る人は全体にしては少なく、

大阪駅(うめきた)で少し、天王寺でドカンと乗り込んでくるという使われ方。

新幹線乗り換えの特急としては便利だが、そのニーズは全体にしては少ない。

和歌山駅で降りて、駅舎の外まで運び出したら急いで組み立てて出発。

ここから和歌山港まで自走するのだが、船が出るまで45分ほど、かなりタイトである。


無理するんじゃなかったという反省はあるのだが、くろしお号もフェリーも頻発しているわけではないので。

港まで走るのは正味30分ほど、これは見積もり通りではある。

夕食時なのだが、食ってる時間はないので途中で弁当を買っていく。これもまぁなんとか。

前後でバイクを畳んで担いでいく、これが大変である。

特に和歌山港の構造を知らなくて、船のきっぷ売場から徒歩客は乗れると思ったが、

なんか変だなと思ったら、船の乗船口というのはきっぷ売場と別なんですね。

今まで電車から南海フェリーに乗り換えたことは何度もあったが、

徒歩客は船のすぐそばで乗り込めたはずと。その連絡通路の下をたたみかけのバイクを押し歩きしていくと、

ちゃんと徒歩客用の入口があって、ここで畳んでエレベータで乗り込むことができた。


あとで船内にあった和歌山港の地図を見たりして判明したことなのだが、

基本的には送迎のある徒歩客は和歌山港駅の駅前で乗降する。

そして連絡通路を通って船と乗り降りする。きっぷを買うのは連絡通路を通って船の直前、ここに徒歩客用のきっぷ売場がある。

ちなみにクレジットカードのタッチ決済でも乗船できて、乗船口にタッチ用の端末がある。

便利ですね。今回は船だけのために使ったが、南海電車と連続して使うと自動で好きっぷ相当の額になるらしい。

きっぷ売場は和歌山港駅の駅舎と背中合わせになっていて、実はきっぷ売場から連絡通路に入ることもできるそう。

ただし、きっぷ売場というのは車のきっぷ売場であって、徒歩客は結局は船の手前で買うのだが。

では、なぜ船の手前、乗船待ちの車の列を成すところに徒歩客用の入口があるのか。

実はこれバリアフリー対策らしい。南海フェリーはタラップから乗り込めばバリアフリーだが、車で乗り込むとエレベータがない。

そのため同乗者に車いすの人がいれば降ろして、タラップから乗ることになる。そのための出入口である。

地上を歩いてここにたどりついてもよいし、今回のケースはそれが最善だったのだが、あまり一般的な使い方ではない。


乗り込んだのはフェリーかつらぎ、今までおそらく何度か乗った船である。

新造船のフェリーあい、乗れるかと思ったが今回は往復ともこっちらしい。

袋に入れたバイクはイス席の後ろの方に置いておいて、船内で弁当を開くと乗船前のドタバタでシェイクされていた。

船内で読書しようとしたが、BOOK☆WALKERアプリのログインセッションが切れてしまい、

海上の通信が悪い中では、ダウンロード済みの書籍すら読めない残念な事に。

テレビでは阪神タイガースの試合が放映され、しびれるなぁとピンチを乗りきる姿を見て思う。


徳島港に到着してバイクを組み立てて、小松島の宿までのルートをカーナビアプリで表示して走りだす。

ところが末広大橋に誘導されて、果たして自転車はどうやって入るのかと進むも、自転車・歩行者用の案内がない。

自動車専用道路ではないみたいなのだが、歩道がなく、自転車もあまり想定されているようには見えない。

まぁ禁止ではなさそうだったので通れたのかもしれないが、さすがに怖い。

というわけでルートを変えて、かちどき橋を渡るルートに切り替えて再出発。

二段停止線多いなぁと思いながら走って行き、無事に到着。


今回のマチ★アソビのための徳島滞在、汽車やバスの時間にとらわれないメリットを生かしていきたいと思っているが、

その結果として明日はかなりハードな気がする。

今日も和歌山駅~和歌山港の移動がなかなかひどい状況だったが、明日朝もけっこうタイトでどうなるか。

ソユーズと日本画の戦争記録画

この前に東京に行った時に、北の丸の東京国立近代美術館に行こうと思ったが、

日曜で夜間開館日じゃないとなれば時間切れだなというわけで、

日を改めて出かけようとしたが、それ1つだけでは面白くない。

というので、そういえば……と日本科学未来館に向かうことに。

遠回りルートを取る ゆりかもめ の遠回りした先、テレコムセンター駅で下車。

ゆりかもめの車窓から見ると変な形の建物は多いが、駅の隣接地にあるテレコムセンタービルも変な形である。


日本科学未来館では「深宇宙展」という特別展をやっている。

言うほど深宇宙か? ほぼ火星程度までの話だから宇宙では近い方では? と思ったけど。

目玉の展示物としては前澤友作氏蔵のソユーズの帰還モジュールとパラシュート、

はやぶさが持ち帰ったイトカワの砂粒、はやぶさ2が持ち帰ったリュウブウの砂粒などか。

前澤さんは巨額の費用をかけ、国際宇宙ステーション(ISS)に行っている。

このときに帰ってきた 帰還モジュール とそこから開いたパラシュートを所蔵しているらしい。

なんでそんなものを所蔵しようとしたのかはよくわからないけど、

大気圏再突入で焦げ焦げになった機体表面などは見所である。


常設展示も見られるので見ていくかとやってきた。

いろいろなテーマの展示があって、例えば量子コンピュータの展示など、

最先端の科学を知るきっかけにして欲しいという意図は感じる。

とはいえ、実物とかはあんまりないんだよな。

そんな中で充実しているのは宇宙開発の展示物で、ISSで使われているいろいろなものや、

H-IIA、H-IIBロケットで使われていたLE-7Aエンジンとかありましたが。

なかなか難しいのはそうなんでしょうけど、現物を見てこそ博物館とも思うので。


そこから北の丸公園に行くのにどうするのかと。

新橋駅からそう遠くはないとは言えるのだが、電車だとどうにも遠回り感。

かといって歩くにも遠い。どうしたもんかなぁと思ったところで、

そういえばLUUPの30分無料クーポンがあったなと、ステーションを探すと、

竹芝駅付近で乗って、パレスサイドビルに返却できると判明。

(竹芝駅なのはゆりかもめの運賃が竹芝までだと1ランク安いから)

30分はギリギリかな? と思ったが、本当にギリギリだった。

今日の電動キックボードは快適だったが、定価だと30分乗ると650円もするんだよな。

電車の方がはるかに安いわ。ステーションの場所は便利なんだけどね。


コレクション展を見るが、普段とはけっこう並びが変わっていた。

普段、戦争記録画が多く展示されている展示室が、戦時中の他の作品になっていて、

その代わり、日本画を集中して展示しているところには戦争記録画が並んでいた。

解説にも書いてあったが、日本画の戦争記録画もあるんですね。

アメリカが戦利品として持ち帰った後「無期限貸与」で戻ってきた経緯は同じである。

普段あまり展示されていないので、夏の日本画は面白くないと思ったのか、

戦時中の日本画を集中展示していたようだ。それは珍しいですね。

これも歴史ということだが、臨場感という点では西洋画に分があるのは言うまでもない。

あとは戦費に充てるために描かれた日本画ですね。


というわけで夜間開館日をフルに生かした1日だった。