ブレーキパッドを交換して散歩

昨年末からバイクのブレーキがどうも調子が悪いということで、

あれこれといじっていたのだが、どうやってもキーキー鳴るなどの問題があり、

これはブレーキパッドが不均一に削れてしまったせいではと思い、

ブレーキパッドを交換することにした。それでYahoo!ショッピングで買ったと。


一般的な自転車では前輪がリムブレーキ、後輪がドラムブレーキになっているが、

このバイクは前後輪にディスクブレーキが付いているが……

どうもバイク用のディスクブレーキというよりは、自転車用のディスクブレーキっぽい。

というのも一般的なバイク用のディスクブレーキは油圧式なんだそうだけど、

これは自転車のブレーキでよく見るワイヤーで引っ張るタイプである。

マウンテンバイクみたいな上等な自転車で使われるものを使っているのかなと。


というわけでこれまでの自転車のブレーキとはいろいろ違う部分があり、

説明書もないのでブレーキ調整のやり方とかもわからんので困っていた時期があった。

で、バイクのブレーキ交換方法とかいろいろ見て勉強したのだが、

典型的なバイクは油圧式でいろいろ説明が食い違うので、混乱もあった。

まず、そもそもディスクブレーキというのはブレーキパッドをディスクに押しつけてブレーキ力を得るわけだが、

ブレーキパッドがすり減るとディスクに当たらなくなってしまう。

油圧式ブレーキだとそこは自動調整されるのだが、機械式だと手で調整が必要で、

それはブレーキの内側にあるネジを締めるとパッドが内側に入ると。

このような形でブレーキを引かないときのパッドの位置をよきところにする必要がある。

これが通常のメンテナンスである。というのは説明書に書くべき事だと思うが。


で、ブレーキパッドがすり減っていくと、十分なブレーキ力が得られなくなるので交換が必要である。

本来は0.5mmまで使えて、減り具合は横から除けば見える……わかりにくいが。

薄い部分でもそこまで減ってはなさそうだったが、不均一に減っていると、

うまく当たり具合を調整できないので、これは交換せざるを得ない。

で、交換方法なのだが、まずブレーキキャリパーを取り外す。

これだけならネジ2つで容易に外すことができる。

で、ブレーキパッドを固定しているネジを外すと、パッドが外れるようになる。

調整ネジをゆるめた状態でパッドを付けて、ブレーキディスクとブレーキパッドの中心が合うようにキャリパーを取り付け、

その後にブレーキパッドとディスクの隙間がよきところになるように調整ネジを回せば完成と。

慣れればそんなにかからないと思うが、まず慣れていないのが問題である。


で、前に将来ブレーキパッドの交換をする場合に備えて、ブレーキ部の分解調査をしてたんですよ。

まさにここで書いたような作業をブレーキパッドの交換をせずにやってみたと。

もちろん、それはディスクブレーキの構造を理解し切れてなかったのはあるんだけど、

他にも重要な目的があって、それは交換用のブレーキパッドの型名を調べるということである。

刻印などでわかるかと思ったが、そういう形では結局判明しなかった。

ただ、わかったのはSHIMANO M06と同形状であるということだった。

SHIMANO製のブレーキではないんですけど、よくあるやつに乗っかったのでは?

この調べが付いていたので、今回ブレーキパッドの交換をするにしても、スムーズだったわけである。


というわけでサクッと交換して調整したら、キーキー鳴くこともなくなり、ブレーキもよく効くようになった。

取り外したブレーキを見たら、だいぶ偏ったすり減り方をしていたし、

あとパッドとディスクの間に石でも挟んだような傷が入っていて、これではダメなわけだと。

偏った減り方になった根本原因だが、おそらくブレーキキャリバーの位置がおかしくなってたんだよね。

ある時期に気づいて直したのだが、そこまでに偏った減り方になり、

偏りがあるままではディスクとパッドの位置関係は正しくならないわけで。

結局は整備不良が原因だったと。


で、ブレーキ交換して気分がよくなってひなたぼっこでもするかとお出かけ。

やってきたのは多摩湖である。新青梅街道を走ってやってきた。

多摩湖というと多摩湖自転車歩行者道がぐるっと回ってゴールになるところなので、

自転車で来るにはよいところだが、平面部は歩行者が多すぎて走りにくいし、

特定原付は走行可能とはいえ立場もわきまえて新青梅街道で。

で、坂を上がって狭山公園の入口に着いて驚いたんだけど、

多摩湖周辺の道路って二輪通行止めなんですね。時間制限も車種の限定もなく、バイクマークに通行止めとあって驚く。

騒音対策ですかね。山道ではしばしば見ますけど、多摩湖周辺もそうなのか。

特定原付はここでいう二輪に含まれないので走行可能である。

でも、あまり知られていないだろうし、トラブルになりそうだなとも思う。


で、その横には自転車歩行者道があって、中央線も引かれているが一方で歩行者優先とあるように、

歩行者が歩くことも想定された道である。というかけっこう歩いてる。

ここには自転車歩行者専用の標識が付いているのだが……さて、これはどういう意味か。

一見すると歩道に付いている標識に見えて、とすると自転車歩道通行可の意味で、

普通自転車ではない自転車は走れないし、特定原付は歩道モードにしなければならない。

でも、おそらくこの標識は車道とは別の道路に付けられた自転車歩行者専用道路の標識である。

すなわち特定原付はそのまま走行できるし、普通自転車にあたらない自転車も自転車道を通行できるものは走れる。


公安委員会設置の真新しい標識とは別に、時々古ぼけた「自転車・歩行者専用道路」という標識が付けられている。

この標識は道路法の規定による自転車歩行者専用道路を示す標識ですよね。

公安委員会の標識はこれと同様の規制を行うために付けていると考えるべきで、

標識令で言うところの「交通法第八条第一項の道路標識により、特定小型原動機付自転車及び自転車以外の車両の通行を禁止すること。」にあたる。

(この前の条文で「自転車」は自転車道を通行できないものを除くとなっている)

というわけでOKなはずなのだが、歩道に付いた標識にしか見えないものあり、わりと謎である。


実は多摩湖周辺のこの標識には一時「タンデム車を除く」という補助標識が付いていた。

自転車に大人が2人乗りするのは都道府県の規則で大概において禁止されているのだが、

一時期の東京都では「タンデム車を除く」とある自転車(歩行者)専用道路に限り、

タンデム車の2人乗りを認めるというルールだったことがあり、

それに対応した道路の1つが多摩湖周辺の自転車歩行者道だったのである。

この当時は道路交通法に基づく自転車歩行者専用の標識がある道路では、

普通自転車以外の車は走行できないのが原則で「○○を除く」で除外されれば通れるルールだった。

なので「タンデム車を除く」で普通自転車+タンデム車が通行できるようにする必要があった。

(東京都ではあまり見ないが「軽車両を除く」でも全ての自転車が通行できるので同様の効果がある)


ただ、この事情は2023年7月の道路交通法改正により一気に変化する。

この改正は特定原付の制度導入に伴うもので、特定原付は大概において自転車同様の扱いを受けるようになった。

このときに道路交通法に基づく自転車歩行者専用の標識の意味がさっき書いたように変わり、

普通自転車に加え、2輪・3輪の自転車、普通自転車サイズの自転車、特定原付も走行できるようになった。

ハンドル幅が60cmを超えるマウンテンバイク、あるいは2人乗りのタンデム車も当然走行できるようになると。

あわせて東京都の規則も変更になり、タンデム車の2人乗りは全面的に認められることになった。

その後、東京都内の「タンデム車を除く」の補助標識は撤去された。もはや意味がないからである。


話は戻るのだが、自転車歩道通行可と自転車歩行者専用道路の標識が同じというのは、

紛らわしいのは確かだが、以前はあまり問題なかったのだと思う。

なぜならばどちらも普通自転車が走行できるという点では同じだったから。

ところが2023年7月以降はそれ以外の自転車の一部と特定原付にとっては事情が違い、

歩道であれば普通自転車以外の自転車は走行できず(従来通りのルール)、特定原付は歩道モードにする必要がある。

道路全体に対する標識か歩道に付けられた標識か区別に困ることはそうそうないが、

多摩湖周辺はかなり紛らわしい。背景を知らなかったら歩道に付いたものしか見えないからね。


で、二輪通行止めの車道をバイクで走ったのか、自転車歩行者専用道路をバイクで走ったのかという話だが、

どのどちらでもなく自転車歩行者専用道路を歩いて村山下貯水池をぐるっと一周してきた。

いや、電池残量が心許なかったんですよ。で、なんとなく歩き始めたら、

けっこうなところまで来てしまったので、一周してしまうかとなったと。

ひなたぼっこのつもりだったが、とにかく寒い。

それでもバイクでも徒歩でもいい散歩になったかな。

2024年を振り返る

おせちを詰めるのにてんやわんやという感じの大晦日である。

年末の休暇の入りが早くてゆとりがあると思ったが、案外そうでもないか。


2024年の年初はなんといっても能登半島地震である。

富山県だけど能登半島, 道路状況が悪くてどうにもならない

大変だったのは奥能登の交通の悪さで、土砂災害により孤立する集落も多発した。

水道など被害は大きかったが比較的交通が保たれた氷見などは各地から早期に救援できたが、

奥能登は公的機関すらも出入りが難しく、インフラも破壊されたため加賀地域から日帰りでの対応に頼る部分が多かった。

このままでは避難生活も危ういと加賀地域への広域避難も多く行われたが、医療・介護などのため能登に留まらざるを得ない人もいた。

能登 災害関連死 最初に身を寄せた避難所で体調悪化が最多 (NHK)

建物倒壊などの直接的な難を逃れても、生き延びるのは容易なことではない。


で、これで金沢でのシンデレラガールズのイベントが延期になったんですよ。

布を見るために京都へ行く

計画の一部を生かして京都行きに付け替え、帰ってきては横浜へ。

Kアリーナに行って帰る

前年12月に「異次元フェス アイドルマスター ラブライブ!歌合戦」に参加したのをきっかけに参加を決意した。

Kアリーナはこのとき初めてなんだけど、今年だけで3回も行っている。

早速2月にはミリオンライブで行っている。

39人ライブの座席不定チケット

旧友にアソビストアプレミアム会員で2人分取ってくれと頼まれたやつ。


各地で外国人観光客が再び増える中で京都市バスの観光特急の話を書いている。

観光客は観光特急バスに乗ってくれるか?

これ、実際のところどうなんでしょうね? 定価で乗る人ってやっぱり多いんかな。

渋谷駅周辺の工事もいろいろ行われていてこんな話を紹介している。

アーバンコアを作っている

この後、埼京線用の改札の移設という名目でShibuya Sakura Stageと渋谷酢リームの間に新南改札ができたんだよね。

4月の連休前には肉フェスの中で行われるDJイベントのために出かけている。

レインボーブリッジを渡ってDJイベント

そして連休には関西へ行き、このときに纒向遺跡に出かけてたのか。

纏向遺跡と平城宮跡

帰ってきてから、利用停止になる三菱UFJ-VISA KIPSカードの代替としてMUFG KIPSカードの申込みをしている。

KIPSカードをどうするか

やはりPiTaPaは必要という判断だが、年会費無料にするにはショッピング利用も年1回必要なので注意しなければ。


6月、延期されたシンデレラガールズのイベントのため金沢へ。

能登半島にゆく, 県境を2つ越えてから五箇山へ

ずっと金沢泊だったが、七尾・穴水・氷見とそれぞれ地震の被害を受けた地域を見たり、白川郷・五箇山に出かけたり、けっこう足を伸ばしている。

七尾とか氷見でも相当な被害だけど、穴水の被害はその比ではない。震度6強は別格にひどい。

この旅行の前後でいろいろ動いていて、折りたたみ自転車形の特定小型原動機付自転車を買ったわけである。

特定原付デビュー

今年1年見ても大きなハイライトで、列車でバイクを運んでお出かけする話がいろいろ出てくる。

早速夏休みに山陰旅行にバイクを持って行く。京都・豊岡・久美浜・香住・鳥取・大阪といろいろ走った。

玄武洞とコウノトリ, 香住海岸を朝に回るか雨の中回るか, 鳥取砂丘を行く

どれも電池切れになった話が書かれている。予備バッテリーがなかった当時は容易に電池切れが起きていた。

バスだけではとても巡れない旅である一方、バッテリーの制約は難題だった。


夏はパリオリンピック、いろいろあったけど総合馬術での日本チームの銅メダル獲得は大きなニュースだった。

馬術でメダルを獲得した日

運に恵まれた面もあるが、アジアの競馬大国が伝統あるオリンピックの馬術競技で結果を出したことは大きな話である。

あと追加種目のブレイキンでも日本選手が活躍なんて話がありましたね。

オリンピックでダンスバトル

オリンピック種目としては異質すぎたが、こういうのもあると。


10月には河口湖ステラシアターで3日連続でバンドリのライブ、

このためにバイクを大月まで運んで、吉田まで乗って3連泊、当地での移動にバイクを活用した。

バイクで行く都留・河口湖, 富士山レーダーと溶岩樹形と野外ライブ

バンドリの各バンドいろいろな特徴を持っていて、話は前後するけど夢限大みゅーたいぷの始動も今年だった。

グッズ売場でフリーライブ

好みはいろいろだと思うが、やはり僕にとっては原点のPoppin’Partyが刺さる。

11月にも関西にバイクを運んで、青山高原に行くなんてすさまじいことをしている。

青山高原は風力発電日和

大阪ではほぼ同じルールで走る自転車・電動キックボードの動きに考えさせられるところは多かった。

バイクで大阪を東へ西へ


2024年の記事を振り返るとマイコンに関わるテクニカルな話がいろいろ出てくる。

これは仕事に関連して一般に参考になりそうなことを取り上げているのだが、

そういえば当時はこんな作戦だったっけなんて思い出す部分もあった。

かなり難しい仕事といってよいと思う。

一緒にやるメンバーの力量も十分とは言えないところがある中で、

いろいろアイデアを出して進めているというのが実情である。

来年の早い段階で一段落となる仕事と、これから本格化するであろう仕事があって、

今年は前者にだいぶ頭を悩ませたし、正直これ動くのか? とは思っている。

一方で後者の仕事はマネージメント側が大変頭を悩ませている仕事で、

どういう体制で進めるかというのは難題である。でもどうしても成し遂げないといけない仕事である。

無理なく進むといいんですけどね。


あとはバイクを買う前後で自転車・特定原付に関わるルールをいろいろ調べて書いている。

自転車とほぼ同じになるようにルールが決められているので、

自転車のルールを正しく理解して、その上で歩道のルールを知っておけばだいたい大丈夫なのだが、

そもそも自転車のルールの理解度が低いことが問題である。

成熟度の低い車でいろいろ課題も多いけど、大手メーカーの参入で打開できると期待している。

自転車・一般原付はもとより、高齢者講習のこともあり四輪の代替になる部分もあると考えている。

率先して活用していき、その中で気づいたことは今後もBlogに書いて行きたい。


2025年4月で勤続10年となる。10年も経てば結構なベテラン扱いなんだなって。

親元から独立して10年でもある。

転居は何度かあったけど、市内の転居ばかりで、この地域にもすっかり根付いている。

1人での年越しも9回目ですか。正月以外の時期に親元にはいくらでも行くので。

来年は大阪で万博ですか。関西行きの回数も増えそうだな。

八条通から桂離宮、桂離宮から五条通

旅行から無事に帰ってきて、明日は仕事である。

さすがに長く休みすぎたので今週1日だけでも行くかと。


そうはいっても昼間はガッツリ京都観光をしていたのである。

バイクを畳んで近鉄特急で京都へ、乗換がないのが特急を使う決め手である。

八条口で荷物をコインロッカーに入れて、バイクを組み立てて出発。

まず目的地は京都国立博物館、前にもバイクで来たことあるんだよね。

特別展をやると平常展がお休みになる京博、今日は特別展「法然と極楽浄土」、

東京でもやってたやろと、京都で見るからスルー……なんて機用な考えがあったわけでもないが。

浄土宗開宗850年にちなんだ展覧会で、全体としては絵が多かった印象。


印象深かったのは法然が念仏を唱えながら亡くなると阿弥陀仏が迎えに来たというような絵で、

こういうネタは多く見られたのだが、こういうのはけっこう説得力があったんだろうなと。

死後の世界をなんと言おうが勝手というのは大きなポイントである。

南無阿弥陀仏を唱えれば、なんでも極楽浄土へ行けるというのは意外に説得力がある。

火の河と水の河に挟まれた狭いところに極楽浄土への道があるのだと絵があっても、

当然そこを渡って極楽浄土に行けるので、地獄に落ちることは想定していないと。

こういう考え方は日本ではかなり定着した考えなんじゃないかなと思う。

専修念仏には他の宗派からの批判も多く、トラブルもいろいろあったようだ。

でも、誰でも等しく極楽浄土へ行けるという発想はとてもよい影響を与えているよね。


博物館を出て、七条通をひたすら西へ進む。西大路を経て八条通に移ってさらに進んで、

たどり着いたのは桂離宮、バイクで往来するならと考えた目的地である。

桂離宮はグループで案内を受けながら見学するということで事前予約が必要である。その上で当日1000円払うと。

もっとも当日枠も多少あるようだったが。普通は予約しますわな。

桂離宮はもともと宮家の別荘だったが、現在は宮内庁管理で一般公開している。

皇族が京都に住んでいた頃なら別荘と言ってもふらっと来られただろうけど。

よくできた日本庭園ということではあるが、所々攻めた構造もあるなと。

茶室にオープンキッチンのような水屋を付けたり、月見のためにステージのような月見台を張り出させたり。

見学できるのはいいけど、活用の機会がなかなかないのは残念だな。

まぁ現代では近くを走る阪急電車の音が気になってしまうけど。


五条通を走って市内に戻る。五条通は国道9号~1号なのでとても広い。

自転車道の整備された区間も多く、特定原付なら自転車道走れるしと走ってみる。

ただ、自転車道が急に歩道走行区間に変わるところが多く、こうなると特定原付は走れない。

近所の自転車道に比べれば、自転車道でつながる区間も長く、

途切れるなら途切れるで車道との往来もなんとかなるところは多く、使えなくはないが……

ただ、五条大橋西詰の自転車道はすぐ歩道通行になるのに短い自転車道があり、

間違えて入ってしまうと車道に戻れないってのはひどいと思った。


その五条大橋を渡って川端通を上がり、二条通から岡崎公園にやってきて、

京都国立近代美術館、今日は特別展「LOVEファッション―私を着がえるとき」

ほとんど女性のファッションとあっては観覧するのも女性が多かったが。

美術館の注力分野に工芸があり、工芸の一分野に染織があり、さらに範囲を広げてファッションを扱っているという理解である。

定期的にそんな特別展をやっていて1階にポスターがずらり、

直近では2019年にも「ドレス・コード?――着る人たちのゲーム」ってのをやってた。見に行ったな。

こういうことができるのも京都服飾文化研究財団がアーカイブしてるからこそで、京都が芸術の都であるからこそである。


その昔にはコルセットだのクリノリンだのあれこれ誇張していたのが、

現代では紐のような服もしばしばあり、着る人を選ぶとも言えるし、着る人ごとに良さがあるとも言える。

いろいろな人のグラビアを見て、振り返ると確かにそうだと思った。

あとは昔ということで言えば毛皮か。悪趣味なのもいろいろ展示されてたが。

必ずしも毛皮が野生生物の乱獲につながるとも言えないけど、現代的ではないのはそうかもしれない。

最後の方はとうてい実用品とは思えない衣服が並んでいたが、

オリンピックの開会式で使われた衣装と言われれば、そういうのもあるなとなる。


それで美術館を出て走り出して気づいたのだが、これ予約してたこだま号に間に合わないのでは? と。

元々余裕があると思っていたのだが、美術館でのんびりしすぎた。

ギリギリ間に合うかと粘ったが、こりゃ無理だと列車変更、2000円少しの追加出費になった。

まぁ元が安かったのであり、定価になっただけである。(少しでもケチってひかり号にしたけど)

いくら京都駅八条口がコンパクトと言っても、20分前ぐらいには着いてないと。

走行時間を見誤ったわけではない。それ以前の問題である。

秋の関西旅行はそんなほろ苦い結末だった。


今回の旅行が丸一週間にも及んだ要因はいろいろあるのだが、

実は1日短縮する案もあったのだが、桂離宮の参観予約をここに入れてしまい、

動かすのも面倒でこうなってしまったという側面は大きい。

親元に滞在するのに宿代もかからないのだし、それでもよかったのだけど、

冒頭に書いたように1日差でも長休みに過ぎたという思いはある。

1日仕事に行き、帰ってきたら冷蔵庫を埋めるように買い物ですね。

バイクで大阪を東へ西へ

今日は大阪にお出かけ。というのでバイクを持って電車に乗る。

上本町駅で降りて駅前でバイクを組み立て。

平面移動でそのまま外に出れて、ほどほどなターミナル駅というのはいいスタート地点だ。


そんなわけで中之島に向けて、上町筋を上がっていく。バスでよく走る道である。

どこで西に向きに変えようかと思ったが、選んだのは本町通である。

本町通は部分的に自転車専用通行帯がある……と思ったのだがなんかおかしい。

「自転車専用」ではなく「自転車」としか書いてないし、専用通行帯の標識もない。

自転車専用通行帯としての規制がかかっていないということである。

これが一番左の車両通行帯だとすると原付・小特も走行しなければならないということになるが。

果たして意図通りなんだろうか? 規制が追いついていないのかもしれない。

大阪では先進的な区間ではあるのだが、いかんせん駐停車車両が多い。

大阪では一方通行の多くは「自転車を除く」だが、御堂筋・四つ橋筋などは自転車も含めて一方通行。

というわけで一方通行の四つ橋筋を北上する。一方通行で幅が広いのでパーキングチケットの駐車枠が多くある。

シンボルロードの御堂筋の対となる四つ橋筋の扱いはわりと雑である。

そんなこんなで中之島に到着、大阪中之島美術館の駐輪場にとめる。


大阪中之島美術館では「塩田千春 つながる私(アイ)」を鑑賞。

平日だと前売券と同じ金額になるという。面白い仕組みだな。

入口にいきなり大量の赤い糸が垂らされていたが、糸を使ったインスタレーションで知られている人らしい。

大阪出身ベルリン在住、中之島での展覧会は里帰りのようなものか。

ただ展覧会の説明に「『生と死』という人間の根源的な問題に向き合い」とあるところのつながりはよくわからず、

ちょうど展覧会の中間で30分近いインタビュー映像があり、運良く頭から見られたのだが、

生と死の対比のため、その昔は泥を被るようなこともやってたらしい。(映像作品が展示されていた)

まず行き着いたのがドレスで人型を表す方法、次いで糸で空白とかを表す方法だったように思える。

糸には物などをつなぎ止めるという効果もあるけど、空白を表すのが根源的だったのかなと思った。

けっこうな盛況で、これも平日料金の効果かななんて思った。真相はいかに。


続いてお隣の国立国際美術館へ、歩道橋が完成していたので通って行く。

この歩道橋の工事が原因で国立国際美術館で漏水事故が起きていろいろあったのだが……

完成形をみれば、中之島の3博物館(もう1つは大阪市立科学館)を結ぶ効果的な施設ですが。

OKパスポート持ち、関西に来れば決まって行くのだからあまり調べてなかったのだが、

特別展「線表現の可能性」は実のところコレクション展である。

線というが鉛筆・ボールペンなどで書いた下書きは線表現、ある種の版画は細い線で濃淡を表すのだから線表現とかこじつけもよいところ。

挙げ句の果てに「2020年代の物故作家」と近年なくなった作家の作品を並べてはコレクション展第2会場か。

引き続きのコレクション展「彼女の肖像」もなかなかの集め方だった。

それだけ国立国際美術館のいろいろなコレクションが楽しめたということで。

学生時代からよく来ているけど、本当にいろいろな作品があるな。


そんなので中之島で芸術鑑賞したところで、バイクで曽根崎通を東へ進む。

曽根崎通とは国道2号線~1号線のことで通り名が付いた時期は比較的遅い。

左折専用レーンのある交差点はしばしばあるが、自転車は一番左の車両通行帯を通るため、

左折専用レーンでも一番左から直進・右折(二段階右折)をすることになる。

巻き込みが怖いが、左の車両通行帯の中で右に寄っておくという手はありますよと。

ただ、左折レーンが2本あるとそうもいかない。というのが梅新東交差点である。

(梅新とは梅田新道のことで、そのすぐ東にある新御堂筋の入口にあたる交差点)

仕方ないので2番目のレーンの車に待ってもらい、とまったのを見てから直進した。

他に手はないかと調べたのだが、歩道橋を押し歩きするか大きく迂回するしか手はなさそう。

後で知ったのだが、かなり最近まで左折可標識があって、こうなると自転車の直進はおおよそ困難である。

左折可にするために横断歩道が作れず、自転車横断帯もないため、この通行方法が正規の方法である。

全国的にもトップクラスの事故多発地点で改良工事の一環で左折可を外したらしい。

これが自転車走行空間整備のための準備なのかはわからないけど。


曽根崎通は蒲生四丁目で鶴見通に名前を変え、今福鶴見駅の出入口が見えた少し先、

びっくりドンキーの独特な外観の下にある「資さんうどん」の看板、

北九州を遠く離れて昨年に大阪進出を果たした資さんうどんである。

その昔、北九州に行ったとき混雑がひどく諦めたのが心残りでやってきた。

入って驚いたのは回転寿司店で見るような自動受付機と席案内装置があったこと。

注文もタブレットで、精算も受付票を読み込ませてのセルフレジ、回転寿司だな。

まぁうどんなんですけどね。それにしても盛況である。いろいろ奮発して注文してしまった。

先日、資さん はすかいらーく傘下に入るというニュースが報じられた。

全国進出に向けた足がかりとして大阪の今福鶴見店を開店させたことはかなり確からしい。


せっかく鶴見区に来たのだしと、少し走ってやってきたのは鶴見緑地である。

前の道路ではいろいろ工事していたが、阪神高速淀川左岸線の関連工事だろうか。

バイクの駐輪場は道路沿いにあるのだが、自転車の駐輪場はないんだなと思ったら、

公園内の一定エリアは自転車で走ってよいらしく、駐輪場は園路沿いにいろいろあった。

特定原付はどうでしょうか? 明確なルールを示すものは見あたらなかったけど。

「つるモビ」という立ち乗りの移動用小型車と座り乗りのシニアカーの貸出(予約制)をやっていた。いずれも6km/h制限か。

鶴見緑地に来たからにはと向かった先は鶴見新山、標高39mだが大阪市最高峰である。

眺めはそれなりにいいけど、大正区の昭和山にはかなわないかな。

ちなみにこれゴミの山で、火山のようにメタンガスが出ていて、高さも当初45mぐらいなのが減ってこれらしい。

周辺は国際庭園ということで花の万博のときの各国庭園が残されている。

ただ、花木はともかく、建物など朽ちる物は朽ちるまま、可能な範囲で残している感じ。

日本庭園と大韓民国庭園は恒久的に残す前提で維持されているが、草取りなど追いついていないようにも見える。

それだけ鶴見緑地が広いということなのだが。花の万博の伝承は容易ではない。


バイクで来た道をほぼ戻ってやってきたのは梅田である。

今回、大阪にバイクを持っていくとなって気になったのが駐車場のこと。

調べてみると大阪市内は案外バイクの駐輪場も多く、無料時間の設定があるところも多い。

なんと梅田周辺は2時間無料なんて駐輪場もあり、これならバイクで来ていいねと。

で、阪神百貨店の南側にあるって話だが、どこだとキョロキョロするとあった。

「原付(50cc以下)」という表記で、原付二種はダメなのかと不思議に思う。

どうも大阪市内ではそういう傾向があるらしい。どっちも上限寸法は同じなんですけどね。

来年以降、125cc以下のエンジンに出力制限した原付一種が出てきたらどうするんだろ?

ともあれ、ここに停めてしばらく梅田周辺を散策することに。


歩いて行って目に入るのが、大阪中央郵便局の改築が完了し、JPタワー大阪が見える。

これに伴い大阪駅西口も本格的に利用されるようになった。以前は全然人いなかったのに。

郵便局の地下に立ち飲み屋などあるというのは変な感じだが、立地的にはいいな。

梅田もどこもかしこも綺麗になっていく中、高架下は相対的にアンダーグラウンド感がある。汚いわけじゃないが。

高架をくぐると JR大阪駅 うめきた中央口の駅ビルがあった。こうなるのか。

完成してみるとグランフロントとはこうやってつながるのかと。

うめきたエリアの中央には公園があるが、周辺が高層ビルに囲まれる公園って大阪にはあんまりなかったかもなと。

東京で言えば六本木ヒルズの毛利庭園みたいな感じかも。これはこれでいい。

なんといっても長らく線路で分断されていた新梅田シティが平面道路で一直線につながったこと。

新梅田シティ-うめきた公園-グランフロント大阪-ヨドバシ梅田-阪急梅田駅

と新旧様々、一直線に並ぶのを見るとなかなか感慨深い物がある。

なお、うめきた公園の芝生広場はオープン後に荒らされまくったので養生のため閉鎖中、仕方ないか。

芝田交差点から周りを見渡すと、阪急百貨店・阪神百貨店・大丸・ルクア・ヨドバシと百貨店やそれに準ずる大規模店がずらり。

凝集度の高さでは日本一では? 好みはあると思いますが……


そんなのでひとしきり見物したところでバイクで走って上本町まで。

帰りは谷町筋を下っていく。立体交差はあるけど「自転車」は使えないので平面路を。

ところで大阪を走っている中で、これは違法なモペットでは? と思う車に何台も遭遇した。

日本では電動アシスト自転車にはアシスト比率規制があるが、これを守っているかはパッと見てわからない。

この範囲を超える場合は原付としての装備を付けて出荷するのが常識的な対応だが、

輸入品などは当地の自転車仕様で出荷され、そういう車両が多く出回っている可能性がある。

特定原付は20km/h以上に加速できない制約から基本的にペダルは付けられず、

最高速度表示灯やライト常時点灯など自転車と明確に異なる特徴があるので、ごまかしが効かない。

しかし外国仕様のモペットは自転車の特徴に合う部分が多いのでごまかせてしまう。

同じブランドでも日本のアシスト比率規制に適合した商品もある場合もあり、なおさら取り締まりは難しそうだ。

大阪に限った話でもないのかもしれないけど、なんとかしないといかんと思うのだが……

青山高原は風力発電日和

連休明けの今日は博物館など休みが多いので、それならと考えた目的地は青山高原、

ここも公共交通だけで行くのはとてもとても……

というわけでバイク畳んで電車に乗ってやってきたのは西青山駅である。

周辺に民家もなく、すさまじい秘境駅として知られるが、青山高原の最寄り駅である。

とはいえ、ハイキング客にとっての最寄り駅という側面の強い駅である。

西青山駅はほとんどの一般列車は停車するものの、今は昼間帯の一般列車は1時間1本の急行のみ。


西青山駅のホームからバイクを入れた袋を持ってゆっくり降りていく。

駅にはICカード専用の自動改札機が置かれている。便利になったもんだな。

乗車券回収箱の横に何か装置があるので、なんだろうと見ると、クレジットカード読み取り機だった。

近鉄では先月29日から生駒ケーブルと柏原駅を除く全線全駅でクレジットカードのタッチ決済に対応した。

全線全駅というのは西青山駅も含むのである。言われて見れば当たり前か。

駅の出口までなんとか運んだところでバイクを組み立ててスタートである。


駅を出てまず走るのは国道165号線、交通量が多いと怖いなと思ったがそこまででは。

国道も上り坂だが、ここは20km/h付近を保って走行できるのでほどほど。

さっき西青山駅はハイキング客にとっての青山高原の最寄り駅だと書いたが、

東海自然歩道などのハイキングコースは車道のある道路とは別に整備されており、国道を歩くことは基本的にないようだ。

東海自然歩道の歩道橋をまたいで少し行くと青山高原の入口となる交差点がある。

けっこう立派な入口だが、この道路は有料道路事業で整備されたのである。

ただ、早々無料開放されてしまったらしい。料金徴収に見合わないほど利用状況が悪かったらしい。


青山高原道路はカーブは多いが緩やかでつづら折りの道という感じはなく走りやすい。

ただ、勾配がきつい。国道は20km/hを保てていたが、分岐後はだんだん苦しくなってくる。

青山高原へのバイク旅、最大の懸念は標高差である。

西青山駅付近の標高は307m、近鉄に乗ることでけっこう標高を稼いでいる。

ここから上り坂が一段落する三角点駐車場まで8.2kmと距離はそこまでではないのだが、

三角点駐車場の標高はなんと741m、標高差434mをこの距離で駈け上がるのである。

標高差で言えば大月(360m)~富士吉田(771m)よりも大きいのである。こっちも大概だが。

これはヤバいのでは? と思ったのだが、電池1本使い切ってもここまでいければ、あとは大きなアップダウンはない。

とはいえ、連続勾配は電池が苦しくなってくるようで、最後の方は10km/hを切る有様。

交通量が少ないのでマイペースに走れるのはいいけど、やはり厳しい旅である。


無事に三角点駐車場まで来て、人もバイクも一休み。

少し霞んでいてはっきりわからないところはあるが、伊勢湾まで見えているようである。

おそらく津・鈴鹿の市街地は見えていて、もしかすると四日市あたりまで見えてるのかも。

眺めが良い三角点付近は風が強くて寒いが、この風の強さにはいわれがある。

この先に山頂のある笠取山は、風が強くて笠が取れることにちなんだ命名である。

そしてこの風の強さを利用した施設が周辺に広がっていて、それが風力発電所である。

青山高原一帯は少なくとも西日本では最大の風力発電地帯である。全国でも最大かもしれない。

三角点付近からは南東向きを除いてどこを見てもおびただしい数の風車が見える。


風力発電への期待というのは昔からあるが、立地条件が難しく、適地とされても環境面の課題から実現しないケースも多い。

そんな中で青山高原の風力発電というのは1999年から開発が進み、現在は89基にも達する。

年間発電量は34000万kWh、津市の一般家庭の電力の8割を賄える数字だという。

いずれも中部電力のグループ会社のシーテックが関与している。

どうして青山高原一帯にはこれほどに風力発電が行われるようになったのか?

「久居榊原風力発電施設 駐車場」とかかれた古ぼけた看板の先にある駐車場にバイクを停め、

その先にある「さかきばら風の館」というガラス張りのプレハブの建物で紹介されていた。

実は青山高原一帯には風以外にも好条件が揃っていて、1つが送電線が通っていたこと、

そしてもう1つが道路が通じていたこと。ここまで走ってきた道路はずっと2車線なので大型風車の搬入にも適する。

さらに言えば最初に作られた久居榊原風力発電施設は当時の久居市(現:津市)の事業だった。

風力発電で町おこしという思惑もあったのかもしれない。地域の理解もあったということだ。

あとで確認したところ、この建物は元々風車のあった跡地に作られたようで、

1999年から運用していた風車4基は撤去、大出力の風車2基で代替されたとのこと。


風力発電施設一帯は関係者以外立入禁止なので遠巻きに見ることしかできないが、

いくつかは道路沿いにあるのである程度近づいて見ることは出来る。

道路にしても駐車禁止なので、じっくり見るわけにはいきませんが。

さすがに近くでは風切り音が聞こえるが、発電所にしては静かなものである。

導入時期によりいろいろなタイプがあるようだが、近年導入のものは1基で出力2000kW程度という。

そんなのをたくさん並べているのだから、風次第とはいえ相当な発電量になるわけだ。


さて、この一帯はふるさと公園という公園になっているようで、沿線に駐車場が設けられ、そこから公園に出入りできる。

実は青山高原一帯はレストランも何もない。見つけた唯一の供食施設は三角点付近の飲料の自動販売機1つだけ。

寒かったので帰りに温かい飲み物を買って一服してたが。

冒頭に青山高原道路について有料道路事業で整備されたと書いたが、当時はリゾート開発への期待も大きかったようだ。

沿線に別荘地の看板が見えたのもそのためだが、その別荘地は入口が軒並み封鎖されている。

ごく一部がオートキャンプ場として活用されているが、リゾート開発としては頓挫したと言わざるを得ない。

昼食としてあらかじめ買っておいたパンを食べていたが、どうにもわびしい。

木々が生い茂ってしまったからか公園からの展望はあまりよいとは言えない。駐車場付近が一番眺めがよいのが実情か。

すすきの丘 というのにススキがないなと思ったら、赤トンボの丘 にはそこそこススキがあったり、

なんとも不思議な覚えをしながら散策していた。


2車線道路の終わりにあるのが航空自衛隊の笠取山分屯基地、レーダーのための基地だそう。

青山高原では自衛隊車両がそれなりに走ってるが、この基地があるから。

今では風力発電の山という印象が強いが、かつてはレーダーサイトの山と思われていたようだ。

丸いレーダードームが置かれているところこそ笠取山山頂なのだから。

自衛隊基地こそ遠巻きに見るしか無いわけで、ここらで引き返しである。


さて、帰りはほとんど下りなら電池は全く大丈夫だろうと。

時刻表を見て、これでスムーズに下ると西青山駅でだいぶ待ちになるだろう。

そこから青山町駅あたりまで走ってもいいんじゃないかということで、下り始めた。

下りはとにかくスピードが上がりすぎないように注意して走って行く。

カーブは多いが急カーブが続くことはなく、普通に注意して走れば大丈夫である。

国道に合流後もずっと下り坂が続く。時計を見て西青山駅前を通過。

ちなみに西青山駅は国道に面してあるが、一見して駅前とわかりにくいと思ったのか、←西青山駅という看板がある。

まだまだ下り坂は続き、平地に出てくると「上津駅口」というバス停がある。

上津駅も本数は西青山駅と変わらないので、まだ走って行く。

国道は川沿いを走るが、この川こそが木津川である。

西青山駅付近を通過して30分弱、青山町駅、本数は増えるが結局同じ電車になるだけかも。

電池は持った。さすが下りばかりなら大丈夫である。


と、こんな青山高原の旅だった。

思ったより何もないところだったが、風力発電の先進地としては見ておくべきところかもしれない。

帰ってきて調べたのだが、青山高原一帯に89基の風力発電所というが、

このうちウインドパーク笠取は国道163号線(長野峠)周辺にあるため、だいぶ場所は異なる。

さらに北側でも風力発電の開発計画があるようで、かなり広範囲に広がっている。

当初は青山高原道路沿いに少し広げれば風車が設置できたところ、なかなかそうも言えなくなってきているように見える。

それだけ期待の大きい地域だと見るべきなのだろうか。

出会うのは白いナンバーのバイクばかり

今日は比較的近所でお出かけ。

目的地は近くの村にある自然公園、コミュニティバス再編のどさくさ紛れで一時期バスがあったが、

そもそも公共交通の不便な村、早々に廃止されてしまったのだった。

昔から気になっていたのだが、バイクがあれば行けるねと。

ルートを調べると、短いルートが提案されたのだが、あまり知らない道で不安があったのと、

急勾配がずっと続くというので、往路はある程度知っているルートを走ることに。

実は高専時代に自転車で県道をほぼ走破したこともある。若気の至りか。

ただ、このルートもそこそこ勾配がきつくて、15km/hぐらいまで速度が下がる区間も多かった。

復路は全体的に下り坂で、迷うポイントも少ないだろうと最短ルートを行ったが、

この非力なバイクでこの勾配で続く延々と続く上り坂を行くのは無茶だろと。

なかなか厳しい旅だったが、山からの景色はよかったし、いろいろ景勝地もあり、楽しい目的地だった。


昼食を事前に仕入れるために近所のスーパーに寄ったのだが、

駐輪場には自転車もバイクもとまっていたけど、バイクはいずれも原付一種だった。

地元だとバイクの中で原付一種というのはそこまで多くない印象なのだが、

ここにやってきて市街地を走るバイクは原付一種が圧倒的である。

郊外だとやはり原付一種は重要なのか。


ご存じの通り、排ガス規制のため排気量50cc以下のエンジンを搭載した原付は製造中止になることが決まっている。

原付二種を識別するか一般原付を識別するか

今後も出力制限された排気量125cc以下の二輪車は道路交通法上の一般原付として扱われる。

(道路運送車両法上の区分も原付一種となるとみられる)

取扱は大きく変わらない想定だが、従来よりも重くて高くなるとは言われている。

またスーパーで三輪の原付を見たが、今後はエンジン車で作ることはできないと考えられる。

電動ならば三輪の原付は今後も作れますけど。


原付一種のニーズが高いのはやはり運転免許の都合なんだろうか。

普通自動二輪免許(小型限定)との比較でさえ難易度は大きく違うと言わざるを得ないし。

50ccのバイクが買えないなら免許取るわなんて人はまずいないだろう。

そんな中で代替手段としては何が選ばれるのだろうかというのは気になる。

ほぼ今まで通りの使い方ができるであろう出力制限されたエンジン車なのか、

排ガス規制とは無縁になる電動の一般原付なのか、どうせ電動ならばと免許不要の特定原付なのか。


冒頭に書いたような坂でへばるような車では代替になりませんわな。

この車の出力は0.35kWで、原付一種(特定原付含む)の上限よりは低い。

上限の定格出力0.6kWならばもう少し粘れるだろうとは思う。

ただ、それ相応のバッテリーが必要なわけで、価格的にどうだろうかとも思う。

モーターの出力だけではなく、バッテリーの出力・容量も求められるから。

電動車にとって充電池というのは大きな課題ではある。

安価に作ろうと思えばだいぶ安いだろうけど、それが満足いくものであるかは別問題。

短期的には現在の原付一種の代替は出力制限したエンジン車、

長期的には電動車、その中には特定原付も、というのがおおかたの予測か。


一方でスーパーで買い物した後、山道でバイクと多く遭遇したけど、

そのバイクというのは原付一種でも原付二種でもなく、それより大きなバイクばかり。

というのも、高速道路とあわせて走るケースがほとんどだからだと思う。

原付二種としても高速道路は走れませんからね。それではいろいろ不便である。

そんなのでバイクは白いナンバープレートばっかり見てる気がしますね。

普段はピンク色のナンバープレートのバイクに遭遇することが多いのに。

元興寺と正倉院展と平城宮跡

今日は奈良におでかけ。

駅までバイク使うかとも考えたけど、帰るときには雨降りそうだし、

いろいろ課題もあると思い、歩いて駅まで。今まで通りである。


今回の奈良行き、どうするかといろいろ考えたのだが、

今回は奈良市街に留めておこうというのは決めていて、午前中は天気が持ちそうで、

そういえば元興寺って行ったことなかったなと思ったのである。

名前はなんぼでも知ってるのに行ったことなかったことには理由もあるのだが。

というわけで近鉄奈良駅で降りて、東向商店街~もちいどのセンター街~下御門商店街とアーケードの商店街を渡り歩く。

こうしてたどり着いたあたりが「ならまち」と呼ばれる元興寺旧境内である。


元興寺というのはもともと大きな寺だったのである。

平城遷都のときに飛鳥から引っ越してきた寺で、引越前は飛鳥寺という名前だった。

(この経緯から元興寺移転後、旧来からの飛鳥寺は本元興寺と名乗っていた時代がある)

ところが平安京に遷都した後から衰退が始まり、火事で建物が焼けても再建できず、跡地は宅地化していったという。

ところで平城京が都ではなくなった後、広大な平城京のほとんどは田畑に帰っていったが、

東大寺や興福寺の門前町としての意義はあり、その周辺の市街地は奈良町と呼ばれた。

その奈良町のコアエリアこそが元興寺旧境内なのである。


そういう経緯は知ってたのだが、道が細い昔ながらの住宅地という感じである。

ここからかつての大寺の姿を感じるのは到底不可能である。

その細い道をぐるぐる回ると「元興寺」と書かれた看板があった。

世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産であることを示す石碑がある。

拝観料600円、拝観料っていうか法輪館の観覧料みたいなもんだけど。

受け取ったパンフレットを見ると、広大な元興寺の地図の中で、ごく一部をマーキングして、現在の元興寺の範囲を示している。

こんなの詐欺だろと思うほどに一部しか残っていないのだが、この部分だけ残ったことにはそれなりの理由があるようだ。


残っている2つの建物はもともと元興寺の僧房だった。

それをかなり改築して極楽堂(本堂)、少し改築して禅室という具合に残っている。

どちらも国宝である。元になった建物は奈良時代からある上、飛鳥寺から移築された部材もあるのだという。

極楽堂の本尊は智光曼荼羅図、これが入った厨子が置かれている。

ちょっと拍子抜けという感もあるのだが、これで生き残ったのが今の元興寺である。

元興寺が衰退する中で、浄土信仰が流行、そこで注目されたのが智光曼荼羅図だったのだという。

そのため僧房を転用して曼荼羅を安置する建物を作って、元興寺極楽坊と呼ばれるようになった。

巨大な元興寺のごく一部門にすぎないが、ここだけは現代まで生き残れたのである。


法輪館に入るとまず目に入るのが五重小塔である。

奈良時代に作られたミニチュアの塔なのだが、実はこれ建造物として国宝指定されている。

ずっと建物内に安置されてきたので状態としてはよいらしい。

建物の中にある建造物ってのも変な気はするけど、中尊寺金色堂みたいなのもあるしな。

特別展ということで「内部を視る~文化財とX線~」という展示があった。

寺の収蔵庫らしからぬテーマだが、元興寺文化財研究所の活動紹介である。

元興寺文化財研究所は元興寺関係に限らず様々な文化財の研究を行っていて、

科学的な機器もいろいろあるが、その中でX線装置というのもあったのである。

錆だらけの出土品の鉄剣をX線撮影したら文字が出てきて、調べてみると金象嵌の文字が出てきたなど。

それにしても元興寺はなんでそんな研究所を持ってるんだ? と調べてみると、

1961年に大量の庶民信仰資料が出土したが、当時は出土品の保存手法も今ほど確立されておらず、

保存手法の開発など科学的なアプローチがかなり必要だったらしい。


さて、昼食を食べて奈良国立博物館へ。やはり正倉院展期間はいつもと比べものにならないほど人が多い。

本来、正倉院展は予約制だが奈良博メンバーシップカードを持っていると予約不要、

そんなわけでふらっと行けるのはだいぶ楽。30分ごとの枠の間を狙うように入った。

今回の目玉は 紫地鳳錦御軾(聖武天皇のひじおき)と碧瑠璃小尺、深緑瑠璃魚形といったガラス製品で、どちらも模造品にちなんだ展示である。

紫地鳳錦御軾は本物の状態もなかなかよいので、模造品もあんまり変わらない気がするが、

X線CTを元にした3Dモデルから内部構造を明らかにして模造を試みたわけである。

けっこう複雑な構造でマコモという植物の茎で全体を形作った後、くりぬいて綿を詰めたものの全体を綿で包んで、

すでに模造されていた錦で包んだというもので、それを本物を解体せずに解明するのがすごいなと。

ガラス製品は当時削り出していたらしいと、電動工具で削りまくったらしい。


ポスターに描かれている 黄金瑠璃鈿背十二稜鏡 は銀に七宝をして金メッキ、金板を貼ってと、

安定性の高い材料ばかりだから、こういうのは昔からわりと見栄えしたんだろうなと思う。

あと、これは知っていたのが彩絵二十八足几で儀式用の机である。

なぜ知っていたかというと平城宮跡の役所の再現でこの形の机を置いていたからである。

奈良時代から現在まで埋まらず残っている貴重な品ということではあるのだが、

果たして宝物という形で現在まで伝来する物が当時を代表するものなのかというのはわりと謎である。

実際、用途としては供物を置くのに使われていたのではないかという話だし。


正倉院展期間は本館(なら仏像館)も人が多いが、珍しくも仏像以外の特集展示が。

1つは東大寺伝来の伎楽面、彫刻という意味では仏像と同ジャンルだが。

伎楽面はこうして伝来しているが、そもそも伎楽ってなんやねんというのは謎が多いらしい。

もう1つ「聖武天皇の大嘗祭木簡」、これはどうしても正倉院展にぶつけたかったネタだろう。

本館で考古資料を見ることなんてまずあることではない。

平城宮跡からの出土品で奈良文化財研究所が発掘したものなのだが、

同じ国立文化財機構の組織であり、平城宮跡資料館の出張展示のような意味合いがある。


と言われれば平城宮跡に行くしかないね。奈良公園から平城宮跡に行くにはぐるっとバスだね。

と、大仏殿前駐車場にいくと今日のぐるっとバス大宮通りルートの運行ルートは、

……県庁前→大仏殿前→春日大社→県庁前→朱雀門ひろば→西大寺駅 というルートらしく、

大仏殿前から乗ると春日大社に一旦向かってしまうらしい。

(この期間の休日は大仏殿前での折り返しになり春日大社へ向かわないのだが)

そこで気づいたのだが「奈良春日野国際フォーラム甍前」バス停へ行けば、

さっき春日大社に向かって走っていったバスに乗れるのではないかと公園を突っ切って向かうと、目論見通りにバスに乗れた。

結論から言えば博物館から県庁前に行った方がよかったですね。


多分、奈良公園~平城宮跡を移動するならぐるっとバスにかなうものはないと思う。

ただ、朱雀門から平城宮跡資料館はかなりの距離がある。

復原建物が見える以外はただの原っぱを突き進んでやっと到着した。

特集展示の名前は「聖武天皇が即位したとき。―聖武天皇即位1300年記念―」と、

聖武天皇の即位時の大嘗祭に使った品々に付いていた木札が多く並んでいた。

なぜか備中の地名の書かれた札が大量に見つかっており、これはわりと謎らしい。

ちなみに令和の大嘗祭で各都道府県から特色ある品が集められたことは以前紹介している。

大嘗祭はなにが特別か

大仏ができる原因でもあったけど、疫病の蔓延に対して燃灯供養をしたようで、

それにまつわる出土品もあった。植物油は当時としては高級品だったらしい。

その聖武天皇の足跡が正倉院に多く残されていることは知っての通りである。


そんなわけで西大寺駅から帰ったのだった。

前もこのルートで西大寺から帰ったな。わりと鉄板かもしれんね。

新幹線駅でバイクを運ぶ

秋の関西行きは毎年恒例だが、今年は1週間と長い日程になってしまった。

少しでも引っ張れないかと考えた結果、午前中は仕事をして午後から出発。

いつもと違うのはバイクという大きな荷物を持っていること。

駅まで走ってエレベータの前で畳んで袋に入れて出発である。


バイクを運ぶ旅、重いは重いがそこまで大変ではない部分もある。

ただ、どうやっても大変なのが東京駅での乗換である。

今回はスマートEXで東京駅で別切りなので、いったん改札外に出て乗り換えた。

というのも東京駅の東海道新幹線はエレベータのある場所が特殊で、

改札内を通るとスロープが多く、それで疲弊してしまう。

それならば一旦改札外に出た方がいいだろうというわけである。

在来線の八重洲中央口を出て、少し南に進んだところにある八重洲中央南口から入るとエレベータで東海道新幹線のホームに行ける。

ただ、それでもやはり歩く距離が長くて大変。


新幹線はEXこだまグリーン早特3でとったこだま号のグリーン車、

グリーン車とあって座席後ろの荷物スペースも広々していて置きやすかった。

乗せてしまえば楽なんですよね。

こだま号グリーン車はガラガラだった。名古屋発着便だったのもガラガラだった理由かもね。


そして次なる苦行が名古屋駅である。ここも広いからな。

ただ、東京駅に比べればだいぶ楽ではあると思った。

それでも新幹線~近鉄って駅を横断するから名古屋駅の中では長い移動である。

ちなみにこの移動をエレベータを使って行う場合は必ず改札外を通ることになる。

そもそも新幹線(というかJR構内)のエレベータは中央コンコースの北側にあるため、

近鉄と改札内でつながる南通路に行くことができないのである。

また、近鉄から見てもエレベータがあるのは地下改札口だけである。

でも普段から僕にとっての新幹線~近鉄の乗り換えルートってこれなんですけどね。


近鉄も夕方の混雑する急行に持ち込むのは考え物だなとか、乗換が面倒だなというので特急を使った。

近鉄特急もいろいろだが、ノンストップ特急に入らなくなった アーバンライナー に当たった。

昔ながらの折り戸でアーバンライナーもそれはそれで年季入ってるなと思った。

それでも2003~2005年のアーバンライナーplusへのリニューアル(これもかなり前だけど)、

当たり外れの大きい近鉄特急の中では比較的よい方の車両ではある。

いや、ひのとり料金払って ひのとり に乗れるならそっちの方がええわという話はあるでしょうけど。

ノンストップ特急以外で ひのとり なんてそうそう引けませんがね。


特急を降りたら駅でバイクを組み立てて自走して親元まで。

最寄り駅は特急停車駅ではないので、少し離れた駅ではあるのだが、

後続の電車に乗り換えるのも待たされるし、バイクなら自走できる距離ではある。

ただ暗い中で走るのはなかなか怖かったですけどね。

このあたりを自転車で走っていたのは何年前のことだろうか。

中学生ぐらいにはこのあたりに用事があって走ることもあったんだったか。


新幹線駅の乗換だけは本当に大変だけど、あとは工夫次第でなんとかと。

ただ、バイクがなければ近鉄特急は使わなかったかなぁ。

楽ではあるんですけど、普段はそこまで楽する理由がないという。

そんなわけで今日からしばらくの関西滞在。

バイクだからこそ出かけられる目的地も考えているので楽しみたい。

富士山レーダーと溶岩樹形と野外ライブ

昨日は西湖・鳴沢まで出かけていたが、その反動で今日はそこそこに抑えておこうと。

出発して黒々した富士山がよく見える。天気がよいのもあるが、走っている道路の名前を見ると「富士見バイパス」と、そのままだった。

別に富士山を見たくて作ったわけではなく、吉田市街の渋滞を避ける目的で作られた道路である。


富士見バイパスを完走して少し南に進むと、ドーム状のものが付いた建物が。

これ、以前に忍野村に行くバスの車窓から見て、気になっていた施設なのだが、

富士山レーダードーム館という博物館である。

ご存じの方もおられるかもしれないが、かつて富士山頂には気象レーダーがあった。

それが1999年に運用停止、その後に移設されたレーダードームを展示する施設として作られた。


なぜ富士山レーダーが作られたか? 大きな目的は台風の観測だという。

ちょうど富士山レーダー建設を追った50分のドキュメンタリーが放映されていたので全部見たのだが、

海上にいる台風を観測する手段というのはかつては極めて限定的だった。

太平洋上に浮かぶ鳥島(東京都)に気象レーダーを作る案もあったが火山活動のため困難、

それならば高さで稼ごうというのが富士山レーダーの発想である。

800kmという遠方まで観測できる気象レーダーはこれまでになく、後にIEEEマイルストーンとして列せられている。

しかし、物資輸送・気候・高山病と非常に厳しい環境でたいへんな難工事だった。

輸送という点では馬と強力による輸送ではうまくいかず、ブルドーザーによる輸送が導入、

空気が薄くても動くブルドーザーというのは課題だったが、現代も物資輸送に使われている「ブル道」が開拓されたという。

1964年から台風観測など活躍してきたが、1977年に気象衛星「ひまわり」が打ち上げ、

こちらが台風観測のメインとなっており、富士山レーダーは老朽化に伴い運用停止となったのだった。

ただ、実は気象衛星で代替されたというのも厳密ではなく、代替となる気象レーダーを2箇所増設しているのである。

必ずしも遠方を観測するという役目だけではなかったらしい。

最上階にはドームでアンテナがクルクル回転する様子や、操作盤などが展示されていた。


さて、次の目的地へ向かう。さらに標高を上げてやってきたのが船津胎内樹形である。

ここにくるきっかけというのは、昨日に鳴沢村で見た溶岩樹形にある。

溶岩樹形というのは溶岩が木を取り囲んだ跡である。

溶岩が木を取り囲むと熱いので木は燃えるのだが、燃える前に溶岩が固まってしまうと、結果として木の形がくりぬかれた溶岩が残る。

これが富士山周辺にはいくつかあって、鳴沢溶岩樹形は12個が天然記念物に指定されている。

国道の脇に逸れた森の中にあるのだが、多くは井戸のような穴が見える。

小型のものだと岩を丸いドリルでくりぬいたように見えるし、

11番の溶岩樹形は水蒸気爆発が伴って形成された溶岩スパイラクルということですさまじい形である。


で、このときに船津胎内樹形は人が入れるような溶岩樹形だという話を知り、それでやってきたわけである。

「河口湖フィールドセンター」と書かれた建物に受付があるらしい。

200円払うといろいろ説明があったのだが、まずこれは船津胎内神社の中に存在している。

神社の社殿の幕をくぐると洞窟のようになっていて入れるわけである。この200円は拝観料ってことらしい。

複数の木が折り重なるように倒れてできた穴で、けっこう複雑になっている。

コの字型のメインルートを通り抜けて拝観するが、途中に20mほど細くて長い穴が分岐している。

かがんで通らないと通れないこの穴の奥を母の胎内といい、

ここを通って生まれ変わってから、富士山に登るというのが流行ったらしい。

しかし、穴の形状を観察すると、確かにこれは木が折り重なった跡だなというのがよくわかる。

確かに信仰の対象になりうる不思議な岩である。


さて、今日は比較的早く河口湖ステラシアターにやってきたので周辺を少し見て回った。

河口湖総合公園の一角にあり、隣接地は芝生広場など町民の憩いの場になっているようだった。

この河口湖ステラシアターは一応は野外音楽堂というものである。富士河口湖町の施設である。

客席はコンクリートの段々になっていて、各自「座布団」というかウレタンマットを持っていってその上に座る。

ただ、隙間はあるが開閉式の屋根はかかっているので、全天候型ではある。

河口湖ステラシアターというと思い浮かぶのが茅原実里という名前である。

2009年~2021年に毎年、この場所でコンサートをしていたのである。

歌手活動の休止でいったん打ち止めになったと思ったが、今年再開してまた河口湖ステラシアターを使っている。

この会場の大得意先で、富士河口湖町の町史に名を残しているかもしれない声優・歌手である。

入口の一角には2018年に10周年を祝う植樹がなされていた。

それで河口湖ステラシアターのアクセスが絶妙に悪いという話は聞く機会が多かったと。


河口湖ステラシアターの話を詳しく書くのが今日の記事になったのは分量の都合だが、

今日のPoppin’Partyの公演について公式が「野外ライブ」というのは、

確かに野外ではあるが壁も屋根もあるしなぁ……と途中までは思っていた。

3日連続で参加していたから思うのだが、昨日までと異なる点がいろいろある。

1つはステージが2段構成になっていること。手前に通常の演奏に必要な楽器はすべて揃っているが、

後ろの段には一体なにが? と思うわけだが、昔からPoppin’Partyのステージを見ている人ならわかるはず。

アコースティックコーナーのための楽器や椅子などを置いてたんですね。

かなり久しぶりで5人揃ってやるのは2019年の7th LIVE以来。

2人だけなら2021年の「香澄とたえの放課後居残りツアー」でやってるんですがね。

ずっとやりたいとは思ってたんだろうが、構成上難しいところもあった中でやっと番が回ってきたと。

もう1つ、昨日までなかった花道、でべそみたいな形だが、追加されていた。

それだけ歩き回って演奏するよってことなんでしょうね。確かに大活躍だった。

そしてアコースティックコーナーが終わったところで、なんと壁が動き出し、

ステージ後ろが開き、屋根もゆっくりと開いて「野外ライブ」と化したのである。

すっかり暗くなって夜空が見えるのを待って開けたようだ。

座席と壁・屋根の位置関係で見えにくかったが、最後には花火が打ち上げられた。


バンドリの中でもここまで引き出しが多いのはPoppin’Partyぐらいのものである。

キャラクタとして演奏するということならばRoseliaにはかなわないところもあるが、

Poppin’Partyはメンバーのいろいろなこだわりも相まって、ステージでできることは本当にたくさんある。

ただ、声優としての仕事もいろいろある中で、あれもこれもとは行かない事情もあり、

この機動性の悪さが後にMorfonicaやMyGO!!!!!など新バンドが出てきた理由かもねと。

だからこそ今回の河口湖は外せなかったわけですよね。

曲数はそこそこに抑えたが、その分やりたいことはいろいろ詰めたので充実度は高かった。


そして最後に発表されたのだが、来年5月に日本武道館で公演を行うとのこと。

2017年の4th LIVE(当時、ガールズバンド史上最速の日本武道館公演なんて言われたりもした)、

2019年の7th LIVE、これはRoselia、RAISE A SUILENで会場を使い回したやつ。

そして、2025年で3回目となるが、これまでとバンドとしての充実度は全然違いますからね。

いろいろある中で今のPoppin’Partyにふさわしい場所はどこだと考えて行き着いた結果ではないか。

河口湖ステラシアターはこの立地とはいえ狭かったからね。(見切れ席も動員している)

TVアニメ合わせとかそういうこともなく自由にできると思うので、やりたいことはどんどこやって欲しいですね。

バイクで行く西湖と洞穴

河口湖あたりまでバイクを持って来たからには行きたかったところがあって、

それが西湖である。バスでも行けるけど、本数も限られますしね。

というわけで吉田から河口湖を経て西湖まで走って行く。


ルートとしては河口湖の北側まで 新倉河口湖トンネル で向かい、そこから湖岸に沿って進み、西湖へ向かうというもの。

新倉河口湖トンネルって自転車走行できるのか? と事前に確認したのだが、

車道走行で特に問題ないよう。歩道走行が一般的なようではあるけど。

ただ、トンネル内が渋滞で全然進みが遅いので、左端を走ると車をすいすい抜いていく形になる。

自転車サイズのバイクだから無理なく追い抜けてしまうのである。

どうしてこうも渋滞するのか? それは出口がすぐ交差点で、ここを右折する車が多いのである。

そもそもこのトンネルは河口湖周辺の渋滞を回避して吉田~笛吹・甲府方面の移動をするためのものだから、

圧倒的に右折が多いのは当然なのだが、ここまで詰まるかという感じである。


トンネルを抜けて湖岸にやってくると観光客がうろちょろしている。

河口湖は徒歩であれこれと周遊したことはあるが、この辺は来たことなかったんじゃないかな。

レンタサイクルか自転車で周遊する人も多いようだった。

湖岸をひた走るのだが、道路が細くなったところで、かなり詰まって身動きが取れなくなった。

歩道モードにして路側帯を走ったるかと思ったが、その路側帯も狭くて進めない。

どうも大石公園の出入口で詰まっているのが伸びていたようだ。渋滞だらけである。


ここを過ぎると車も少なくなって、西湖方面に向けて河口湖を離れていく。

「富士河口湖町 足和田出張所」と書かれた建物があるが、かつて存在した足和田村に由来する。

富士河口湖町は2003年に河口湖町・足和田村・勝山村が合併、後に上九一色村の一部を編入(残りは甲府市に編入)している。

単に河口湖町ではないのはこういう経緯がある。

足和田村は河口湖の西側と西湖周辺からなる村で、その中心は河口湖西側にあったと。

そんなわけでまさに西湖の入口という感じだが、ここからの上り坂はかなり急で、

10km/hぐらいまで速度が落ちてしまうところもあった。自転車はかなり大変そうだった。


西湖にやってくるとカヌーをやっている人が目に付く。

いろいろ看板が立っていて、まず「二級河川 西湖」という記載。

西湖・精進湖・本栖湖は内陸県では珍しい二級河川である。独立水系の堰止湖のため。

河口湖も堰止湖だが、利水・治水のため古くから水路で結ばれていたので、相模川(桂川)水系に属する一級河川である。

実は西湖は発電や治水のため、河口湖と水路で結ばれているのだが、そこは上流下流の扱いではないらしい。

次に モーターボート・ジェットボート乗り入れ禁止という看板。

河口湖ではボートを持ち込んで航行する姿も見られるが、西湖は自然公園法の規定で禁止されている。

手こぎなら問題ないのでカヌーってのはあるんでしょうけど。

次に「西湖は湧水につき水泳はやめよう」という看板、湧水と水泳の関係はよくわからんが……

ただ、湧水というのはその通りで、そういう湖である。


で、なんで西湖までやってきたのかというと……

走って行くと巨大な建物が見えてきた。AMUSEと書いてある。

これ、2021年に東京から本社移転して来た芸能事務所のアミューズである。

富士河口湖町に本社を移転したとは言うが、なんと西湖なのである。すごい立地である。

本社が移転したといってもマネージメント業務は従来通り東京でやってるんだろうけど、

レッスンや映像制作といった活動を行う拠点として位置づけられているようだ。

特に部外者がやってきてもどうということはないのだが、西湖ってどんなところか気になったきっかけはこれである。

【アミュボの夏休み】ボートに乗って湖を一周!自然に囲まれ超癒される! (YouTube)

ちょうど本社移転の頃に西湖にやってきて撮影された動画である。


河口湖はいかにもリゾートという感じだが、西湖はかなり落ち着いた印象ではある。

ぐるっと進んでいくと「西湖コウモリ穴」というのがあった。

気になって駐車場に入ってみると、お金を払うとみられるらしい。

ただし、コウモリは夜行性なので見えないよと。とはいえ、溶岩洞穴としてはみどころが多いという。

このあたりは青木ヶ原樹海という、火山活動で流れた溶岩の上に作られた森である。

西湖・精進湖・本栖湖はもともと1つの湖だったのが、溶岩で分かれたものである。

(溶岩で分かれたが、透水性があるため、3つの湖の水位はほぼ同じらしい)

溶岩の中にあるガスが出て行く中で洞穴ができて、コウモリがすむようになったと。

実はこのコウモリがすんでいるというのがこの洞穴の特色を表しており、それは比較的暖かいということである。

比較的暖かいといっても外に比べると少しひんやりしているが、その程度である。

ヘルメットが渡されたがかなりかがんで進まないといけないところが多く大変。

溶岩が固まりかけのときに流れた溶岩がいろいろな形で残っている。

奥には人が進めないように扉が付けられていた。コウモリは自由に出入りできるが。


隣接して「クニマス展示館」という施設がある。2010年に西湖で再発見されたクニマスについての展示である。

クニマスのことは昔、田沢湖に行った時に紹介している。

もともと田沢湖はこれといった流入河川のない川ということで独自の生態系があり、固有種としてクニマスが有名だったそう。
これも酸性水のため絶滅したのだが、なぜか富士五湖の西湖で発見されたというのは田沢湖にとっても大きなニュースだったようで、そのことはこの周辺でもあれこれかかれている。

(桜の田沢湖と角館)

田沢湖と西湖のつながり、それはヒメマスの養殖のために卵を田沢湖から取り寄せていたことである。

このときヒメマスに混ざってクニマスも来ていたらしい。

そのことは西湖の人々は全く意識していなかった。ただ、黒いヒメマスがいるということは知られていて、

この黒いヒメマスについて、2010年にクニマスであると判明したわけである。

クニマスはかなり深い湖底で産卵を行うため、田沢湖と同じぐらい深い西湖では細々と生き残れたのだという。

産卵する場所が違うのでヒメマスとクニマスは交雑することはないという。不思議なこともあったもんで。


さっき洞穴にしては暖かいのが特色と書いたが、普通は洞穴というのは寒いものだ、

というので次の目的地を決めた。鳴沢氷穴である。寒い洞穴の典型である。

さすがにここは観光客が多い。入口で富岳風穴にも行きますかとセット券を勧められる。かなり近いらしい。

氷穴というと凍るから氷穴なのだと思ったが、温暖化の影響か万年氷も見られなくなったという。

湖で採取した氷を保存していたのを模擬して冬に保存した氷を展示しているのだが、

それも夏を越えて溶けてしまい、なにが氷穴やという感じだが、0~4℃と相当に低温であることは事実である。

こういう深い洞窟は空気の圧縮・膨張を繰り返す中で、だんだん空気が冷やされていく。

その中でも特に低温なのが鳴沢氷穴だったというわけである。


風穴は少し引き返して……さっき曲がった交差点にあったんかい。(左折は短絡路を通るので見えなかった)

ここは氷穴に比べれば冷えないが、それでも0~4℃と冷えることは確か。

比較的広いということか、様々な保存に使われており、それを模擬する展示もあった。

比較的近年まで使われていたのが蚕の卵と樹木の種子である。

蚕は冷やして保管することで生産時期をずらせるというメリットがあったよう。

樹木の種も豊作年の発芽率のよい種を複数年で使う方がよいという事情から貯蔵が行われていたよう。

ただ、いずれも現代となっては……という話である。


ここからもう少し寄り道したのだが、その話はまた明日書くかな。

河口湖周辺に戻ってきて、最後に1つ寄り道。富士山世界遺産センターである。

富士山は世界文化遺産になったのは2013年、もう10年経ってるのか。

世界遺産登録に至るまでの経緯がまず紹介されていたのだが、

当初は自然遺産の国内候補にリストアップされたが、これは早々消されている。

世界的に見てそこまで特徴的な自然ではないというのは理由として大きかったのだろう。

ただ、そこでも世界遺産にという声はあったようで、信仰・芸術という観点で文化遺産を目指したのだという。

構成資産に遠く離れた 三保の松原 まで含まれたのは芸術という観点だな。

西湖・精進湖・本栖湖も構成資産になっている。芸術という観点で本栖湖が特に重要だったそうだが。

現代においては富士山といえば登山という感もあるが、富士登山にまつわる構成資産もあり、

それが御師住宅で、これは富士山への登拝をサポートしていた御師の住宅で、登拝者の宿坊という役割もある。

世界遺産登録に前後して登山にあたっての環境保全の取り組みも進んだ。

登山者の集中など課題はあるが、富士登山もまた世界遺産の価値を伝える活動とは言えるのではないか。


というわけで、そろそろいい時間と河口湖ステラシアターへ向かう。

この富士山世界遺産センターの前の道路は富士スバルラインの無料区間で、

このまままっすぐ行くと富士山の吉田ルート登山道の一般的なスタート地点にたどりつく。

当然、このバイクでそこまで行けるわけはないのですが。早々右折する。

河口湖ステラシアターに着くと、ローブを着た人がうろちょろしていて異様な雰囲気である。

Ave Mujicaの世界観に合わせてグッズとして売られているのである。

バンドリのライブといえば、キャラクタが描かれた派手なTシャツや法被を着てる人が目立つが、

そういうグッズがないのか、ローブのせいか、すごい落ち着いた雰囲気である。


今回の河口湖3連戦を決めたきっかけとして大きかったのはAve Mujicaである。

元々、月曜にあるPoppin’Partyの単独ライブは来るつもりで決意は決まっていた。

ただ、土曜のMorfonicaは「うーん」という感じだった。

その間に挟まったAve Mujica、観に行こうと思ったのは公開されていたライブ映像の影響が大きい。

これは聴き応えありそうだなと。それなら3日とも行こうと思ったのである。

ただ、これは知らなかったのだが、Ave MujicaのライブにはMCもアンコールもない。

それだけならRAISE A SUILENもそうだけど……でも意図は違うだろう。

幕間には怪しげな詩の朗読とダンスが差し込まれ……朗読は録音だが。

アンコールがないのも独特な世界観に浸ったまま終わるという意図があるんだろう。

Ave Mujicaは文字通りの覆面バンドである。作中の設定では誰か明かさずにパフォーマンスしてる。

見ている我々はこれがどのキャラクタで、誰が演じているかもう知ってますけどね。

そういう位置づけなのでキャラクタとして喋るのも、中の人として喋るのも無理なんだろう。

キャラクターもののコンテンツのリアルイベントでこれはちょっと変だよね。

果たしてAve Mujicaの世界はどんなものか。1月からのTVアニメで明かされるのだろう。

幕間もそれを意識しているのか、よりキャラクタの内面に近い内容になりつつあるようだ。


そんなわけで思いのほかたくさん寄り道しながらの旅だった。

歩きではとても行けないところだし、バスではなかなか機動的に目的地を加えたりするのは難しいですからね。

ただ、やっぱり電池残量との戦いだなとは思いますね。

平坦ならかなりの距離走るけど、上り坂が続くと本当にゴリゴリ削られる。

1日で50kmぐらい走る用途で使う車じゃないだろと言われれば、それはそうなんですけど。

ちなみに河口湖ステラシアター、昨日・今日とバイクは何台かいるけど、

高速道路を走れる125cc超のバイクが基本で、原付二種は他に1台ずついたが、

原付一種は他には見なくて……特定原付って一般的には原付一種って言わない気はするけど。

大概遠征だろうからこうなるんですよね。バイクを電車で運ぶという変な手法でもしないと原付一種なんておらんよね。