バイクで行く都留・河口湖

今日から3日連続でバンドリのライブが河口湖ステラシアターで行われる。

検討の上、チケットも確保できたということで、3日連続で参戦することに。

宿も3連泊、最初は1泊-2泊で分かれて別のところでとったが、

ちょっと怪しい宿ではあるけど、3連泊リーズナブルな値段で取れたのでいいかと。


そして、これも夏休みの山陰行きとならんでバイク購入時からの構想があった。

この期間に河口湖周辺で滞在するのにバイクを運ぶということである。

というのも河口湖ステラシアターというのは駅からわりと離れている。

そのため車でのアクセスが便利なのだが……実は駐車場もそんなに台数はない。

(後で知ったのだが会場近辺だと200台ぐらいらしい)

ただ、さすがに自転車・バイクなら会場すぐ近くに駐車できるので好都合。

それに昼間の観光を考えてもバイクがあると便利ですからね。


というわけで高尾駅で乗り換えて大月駅まで普通電車でやってきた。

高尾からの電車は座席がしっかり埋まってたが、上野原まででだいぶ減った。

大月で下車する人を見ると外国人客が多いようだった。

富士急行線への乗換駅ですからね。普通に考えればそのまま乗り換えるところだが、

富士急は遅い割に高いという過去の経験もあり、せっかくなら寄り道しながら自走しようと。

駅前でバイクを組み立ててスタート。


具体的な寄り道ポイントとして考えたのが山梨県立リニア見学センターである。

山梨県といえば山梨リニア実験線である。中央新幹線のルートの一部になる予定である。

この実験線は2008年の延長後は上野原市~笛吹市の42.8kmにも及ぶが、

その中でトンネル外を走行する距離が比較的長いのが都留市内であり、

そこが試験拠点となっている。その隣接地に山梨県が作ったのが リニア見学センターである。

まぁそんなわけでスマートフォンをカーナビにしながら走って行くのだが、

自転車設定なのをよいことに、細くてアップダウンの激しいルートを呈示してきて困惑。

直線距離で近くても見学センターにはまだある地点で案内が終わってしまう。

見学センター付近は急勾配で10km/hぐらいでうーんと上っていく。非力である。

駐車場からはリニアの変電所がよく見える。後で書くがこれこそ中枢である。


リニアの実験ってどれぐらいの頻度でやってるのか? という話だが、

どうもJRから1週ごとに試験予定日が公表され、最近は週5日程度やっていて、この連休だと今日だけだな。

ただ、試験をするといってもどれぐらいの頻度で走るのか? これはわからない。

でも今日はかなり頻繁に走っていて、東向き・西向き合わせれば10分おきぐらいに通過していた。

少ないときは1日2往復ぐらいだったりするみたいで、このあたりは時の運である。

500km超で通り抜けるリニアモーターカーを見て、思ったより普通だなと感じる。

いや、確かに新幹線よりだいぶ速いけど、新幹線の速いやつぐらいの印象である。

日常に溶け込み始めれば早いかも知れない。


入ってすぐのところに以前使われていた試験車両が展示されていた。

2003年に581km/hの記録を叩き出した車両である。

この車両は営業運転も視野に入れた後継車両に代替され、実験線を去ったわけである。

この車両にはガスタービンが積まれていた。

というのもこのタイプのリニアモーターカーは、地上側にコイルがあるため、

走行する車両は同期モーターでは回転子にあたる磁石部分にあたり、超伝導磁石さえ維持できれば給電は不要である。

このためパンタグラフのような設備はなく、車内に発電機を置いていたのである。

さっき変電所が中枢と書いたのはコイルを制御するのが変電所のためである。

似たような特徴があるのがケーブルカーで、こちらは集電用のパンタグラフを持っていることが多い。

ただ、高速走行するリニアでパンタグラフを出して給電というわけにもいかない。

だからといって発電機はアホらしい話じゃないかとは誰もが思う話で、後に代替技術となる誘導集電が導入される。


もう1つ、当時必要だったが不要になる予定のものが液体ヘリウムである。

コイルに使える超伝導体というのは液体ヘリウムでないと冷やせないのが定説だったが、

冷凍機で直接冷凍できる高温超伝導磁石を開発、一応使えそうだという話になっている。

この比較ができるように模型が置かれていたが、確かに液体ヘリウム不要だとシンプルである。

なかなか難しいところはあるのだが、これが実現できればリニアは相当扱いやすくなる。


この施設は山梨県の施設だが、そこには山梨県のリニア中央新幹線への強い期待がある。

駅が出来るのは甲府市内なので都留からはだいぶ離れているが、

甲府市内~東京(品川)が25分程度というのは革命的なことである。

当然、名古屋までも近くなるし、将来的には大阪にも近くなる。

そういう夢をいろいろ描いている展示もあるが、果たして開通するのはいつになることやら。

長年の研究開発もあり技術的な成熟度はそれなりに高まっている。

ただ、実際に線路を引くというのは大変なことで各地で難航している。

リニアは速いが、輸送力という面では新幹線に劣るのはほぼ間違いない。

そのためリニア開通しても結局新幹線だと言われるだろうし……なかなか難しいですよね。


都留から吉田まで走って行くが、だらだら上り坂が続き、電池消耗も激しいよう。

21kmで電池切れと相成った。うーん、宿に着くまでに電池切れですか。

丹波山村まで走ったときは25kmぐらい持ったが、今日は荷物を背負って重いことも理由かもしれない。

もともと宿で電池交換の予定だったので少し早まっただけだが……

標高も上がって、空も雲って少し肌寒くなってきた。


吉田市街にある宿にチェックインして、荷物を置いて、交換した電池パックを充電器にぶち込んで、

再びバイクで発進して河口湖ステラシアターへ向かう。

途中、路側帯を歩く人がいて、いかにもバンドリっぽい出で立ちだったのだが、

後で知ったのだが、これは富士急ハイランドの駐車場に停めてステラシアターに向かっていた人らしい。

先ほど書いたように会場の規模の割に駐車場が少ないのである。

高速道路のIC付近の道路でこんな道路、自転車みたいな車が走るのも変な気がするが、

そこを歩行者がぞろぞろ歩いているのだからなかなか怖い。全体としては歩道があるところが多いけどね。


河口湖ステラシアターの詳細についてはまた改めて。

ただ、これだけは書いておこうと思うのだが、今日ライブをしたMorfonicaにとって、

河口湖ステラシアターというのは最初に公開されたMVを撮影したところである。

【MV】Morfonica「Daylight -デイライト- 」【公式】 (YouTube)

バンドリにとって河口湖周辺といえば富士急ハイランドコニファーフォレストでおなじみだが、

今回の会場である河口湖ステラシアターでイベントをするのは初めて、でもこういう縁があったのだ。

このMVのことは意識していて、アンコールの最後にこの衣装でこの曲を披露している。

もうMorfonicaも4年半、実際の結成からすれば5年は経ってるだろう。

パフォーマンスの面で見ても相当な成長があることは違いない。

全部持ち歌で単独ライブができるようになったのか……ってそれはだいぶ間が開いたからだけど。

最後にMorfonicaの単独に行ったのって2022年4月のResonanceのときだもんな。さすがにね。

献血会場で脈拍が高いと

今日は午前中と少し、休暇を取って献血に出かけていた。

職場で全血献血する間に成分献血1回挟んどくかぐらいのモチベーションである。


献血の条件には血圧があるので、問診前にセルフで血圧測定をする。

このあたりは地域により差はあると思うが……

必ず問診の時に測定する場合もあるはず。

東京都だとバスでもセルフで血圧測定してから問診という気がするな。

ただ、この測定結果を見てスタッフが「脈拍が100をわずかに超えてる」という。

わずかにというのは102bpmとかそんなの。

最初は大した問題ではないと思ったのだが、ここに苦戦するはめになった。


というのも献血基準に脈拍40~100bpmという範囲が定められたからである。

2020年9月からの基準らしい。けっこう前から実施されてたんだな。

昔から血圧測定時に脈拍が高いと再測定になることはあった。

運動の直後などで血圧が高く出ているかもしれないからである。

セルフで血圧測定する場合でも問診で血圧測定できる仕組みはある。

なので再度測定して、それでも範囲内ならGOという考えだったわけである。

それで再測定したのだが、やはり100bpmを少し超えてしまう。


待ってれば下がるだろうという話で、しばらくして測り直しだなと。

脱水とかでも脈拍上がるけどねと、水分も取りながらしばらく休憩。

で、しばらくして再度呼び出されて、セルフで測定するとやはりオーバー。

うーん……と思ったが、問診室で再測定すると90bpmで合格となった。

もちろん血圧の数字自体も範囲内ですよ。だいたいいつも通りの数字かな。


献血に走って行って脈拍が高くて問診であれこれ言われるというのは、

今までも経験があって、だからそういうことはしないんだけど……

ただ、100bpmを少し超えるだけでこんな面倒なことになるとはね。

今回の問題は献血会場に行く前の水分摂取が少なかったことかもしれない。

言われてみれば普段より朝にとった水分が少なかった気がする。

それに気づいたのは受付で紙パックのスポーツドリンクを受け取った時だが。

だから献血前にある程度飲んどかないとなとは思ってたんですけどね。


ずっと脈拍が落ち着かないというのはなかなか考えにくいところはあるが、

少し待ってから献血というのは一定発生する話なのかなと。

成分献血するんだと献血ルームに行く人は時間に余裕もあるだろうけど、

ふらっと来てバスで献血するのに脈拍で引っかかると、今日はやめとくかというのはあるかもしれんね。

それもそれで仕方ないかなとは思いますけど。


脈拍の基準そのものが重要なわけではないと思うのだが……

極端に低すぎる高すぎるというのは問題だけど、それとて変動が大きいわけで。

ただ、実態として血圧がNGなのに献血をしてしまうと、これは危ないですからね。

そこが昔から気にしていたポイントではないかと思う。


午前中だと血小板成分献血になることが多いということで、やはり血小板でしたね。

意外と久しぶりな気がするな。

血漿確保のために1人から多くの血小板を取るようにして、

その分だけ血漿成分献血に回る割合が増えているのだから当然だが。

ちょっと時間がかかるよとは言われたが、男だと血漿も時間かかるからな。

(ヘマトクリット値が高い、すなわち血漿の割合が低いため)

そんなに差はない印象だが、若干長いのはその通りか。

東京都の隣の山梨県

東京都から最も近い山梨県と言われて上野原かな? と思いがちだが、

甲州街道ルートでは神奈川県相模原市(相模湖・藤野)を挟んでいる。

よく地図を見てみると東京都と山梨県は直接接している。

その東京都と直接接する山梨県として知られているのが丹波山村・小菅村である。

ふと思い立って、東京都に隣接する山梨県に向かうことにした。


というわけでバイクを畳んで奥多摩方面の電車に乗る。

ハイキングなどの野外活動に出かける人が多いようで、青梅まででもいろいろ降りていく。

奥多摩行きの電車は青梅で乗換だが、4両編成の車内はけっこうな混雑。

本当にいろいろな駅でハイキング客らしきが降りていく。ネタが豊富である。

終点の奥多摩駅に到着したらバイクを組み立てて、国道411号線を走って行く。

とにかくバイクが多い。ただ、原付一種には遭遇しなかった。原付一種が自走するには遠いのだろう。

自転車もちらほらいる。同じ電車にも自転車を畳んで運んでいる人はいた。

上り坂がきつい自転車は抜くが、逆に速い自転車に抜かれることもあった。

そんな20km/hの旅である。急坂では速度が保てなくなることはあるが。


怖いのがトンネルである。歩道もなければ路側帯も狭い。そして割と暗い。

トンネル区間が多いことは事前に把握していて、昼間だがイエローベストを着て走っていて、

そのうえライト常時点灯なわけで、他の車に見つけてもらう分には申し分ないはず。

他の車との関係を考えれば路側帯に入らない程度に左端を走るが、

その狭い路側帯を歩く歩行者にはなかなか気づきにくく、途中で発見して間隔を取ったり……

トンネルは本当に怖かった。歩行者が皆無とは言えない道でこれはきつい。


そんなのでだいぶ標高を上げたらダムが見えてきた。

これが小河内ダム、ダム湖は一般的には奥多摩湖と呼ばれている。

詳しいことは後で紹介するが、丹波山村へは湖岸をひた走る。

急カーブが多いので注意深く走って行く。速い車にたくさん抜かれるが、実は30km/h制限である。

絶対にそんな速度ではないと思うのだが……

小菅村方面との分岐点を過ぎると車の数はだいぶ減って、割とゆったり。

まだダム湖が続く中、山梨県のカントリーサインが見えて、丹波山村に入る。


丹波山村に入ると登山者用の駐車場がなんとかとかそんな看板が目立つ。

車の数が減ったこともあって、だいぶのどかな雰囲気である。

丹波山村で目的地にしたのは 道の駅たばやま で都県界から8kmとある。

ここまで走ってきた距離を考えればもう少しという感じだが、だいぶ坂がきつい。

電池も消耗していることもあり、速度維持がなかなか難しくなってくる。

川もダム湖の景色から渓谷に移り変わってくる。国道よりだいぶ下に集落が見えて驚く。

なお、この川は丹波川と書かれているが、多摩川の本川である。

キャンプ場の看板が見えて、やはり野外活動が盛んな地域であるなと思う。


坂道での電池消耗は激しく、目的地に到着する前に電池切れ。本日25km地点で電池交換。

帰りはそんなに消耗しないだろうけどとは思いつつも、片道持たないのかと。

丹波山村に入ってからが想像以上にタフだったと、目的地の道の駅に到着。

バイクがたくさんいたので、ナンバープレートを見て回っていたが、

多くは「多摩」や「足立」など東京都の地名の軽自動車・小型自動車のナンバープレートだった。

四輪もそんな感じだな。山梨って車もいたけど少数派である。

原付二種もそんなになくて、原付一種は自分以外に2人、いるにはいるのか。

当たり前の事ながら原付一種でも特定原付なんてのは自分だけである。


ところで丹波山村というのは他の山梨県とのバス便のない村である。

丹波山村・小菅村はともに奥多摩駅からのバスがメインの交通手段である。

小菅村については国道139号線の松姫トンネルの開通後に大月へのバスが設定されるようになったが、

丹波山村についてはそういうものもなく、バスは奥多摩への路線が唯一である。

ただ、他の山梨県との往来ができないわけではない。国道411号線は甲州市(塩山)に通じているからである。

国道411号線の丹波山村前後の区間は大菩薩峠経由の青梅街道の代替ルートとして作られた。

青梅街道ルートならば武蔵~甲斐が1回の峠越えで済むのでニーズがあったが、

明治になって大菩薩峠には車道が通せないと、柳沢峠経由のルートを新設されたのだという。

現代では高速道路の通る甲州街道ルートが圧倒的だが、中央道の渋滞を回避して使われることもあるという。


道の駅で昼食を食べて、来た道を帰っていく。

帰りは下り坂が多いかと思ったが、丹波山村内はアップダウンが多く、上りもそれなり。

このバイクはエンジンブレーキというか発電ブレーキが存在しないので、

下り坂はブレーキに注意しながら走って行く必要がある。

山梨県内では側溝に蓋がないので、端に寄りすぎないように注意深く下がっていく。

奥多摩湖が見えてきたら東京都に戻ってきて、側溝に蓋があるので少し安心。

ただ、交通量も増えてきて、歩行者も皆無とはいえず、特にトンネルは怖い。


往路はスルーしてきたが、ダム付近で国道を逸れると「奥多摩水と緑のふれあい館」がある。

そもそも小河内ダムは東京都水道局の管理するダムで主に水道用水のためのダムである。

というわけでこの施設は東京都水道局のPR施設という意味合いが強い。

ペットボトルに「東京水」を汲める機械もあったので、空きペットボトルに冷たい水道水を入れて水分補給。

奥多摩の歴史・民俗の展示室もあり、なぜここに都県界があるかという理由も紹介されていた。

戦国時代、青梅の三田氏と甲斐の武田氏が均衡したところが武蔵・甲斐の国境になったのだという。

かつて大菩薩峠経由の青梅街道が重要ルートだったからこそこうなったのだろう。

ただ、今となっては……という話はあり、実は丹波山村・小菅村は奥多摩町に合併の申し入れを行ったことがある。

奥多摩町に拒絶されて実現されなかったそうだが、山梨県であることにこれといった合理性はない。


水道事業の展示ではまず水道水源林の紹介がある。

実は東京都水道局は奥多摩町・丹波山村・小菅村・甲州市で林業をしているのである。

奥多摩湖への土砂流入を防ぎ、貯水量を確保し続けるという目的があるのだという。

荒廃した山を回復させるのがスタート地点だったのだろうが、

水没地からの転出や産業構造の変化により林業の担い手がいなくなる中で、

小河内ダム上流のかなり広範囲の山林を水道局が管理しているのだという。

林業といっても木材の生産が主目的ではないので広葉樹主体だが、木材生産も行っている。


そんなので小河内ダムの堤体を歩き、展望塔から眺め……とやっていた。

ちなみにダム湖の正式名称は小河内貯水池らしい。あまり見ない名前だが。

ダムの水は水力発電をして多摩川に流される。

水力発電所は東京都交通局の施設らしい。東京市電気局の名残か。

羽村取水堰でくみ上げられ、羽村浄水場で使われるか、村山貯水池(多摩湖)や山口貯水池(狭山湖)に引き込まれる。

そこにいったん蓄えられたあとに、東村山浄水場・境浄水場で使われるというフローである。

限られた水源をフル活用するべくこんなことをしているようだ。


ここから奥多摩駅までは下りが続き、速度が出るので慎重に進んでいく。

ただ、電池の消耗ってのは少ないですね。往路は片道持たなかったが、帰りはまだまだ余裕。

とはいえあまり余裕ぶっこいても危ないわけで、奥多摩駅で畳んで電車に乗って帰路についた。

奥多摩駅では空いてたが、だんだん人が増えてきて、御嶽駅で吊革が埋まるぐらいには人が乗ってきた。

青梅駅からは10両編成なのでだいぶ和らぎますけどね。

新座から野火止用水を追う

ちょっと気になることがあってバイクで新座に向かって走っていったのだが、

ただ新座に行くだけでは面白くないなと思って地図を見ていたら、

玉川上水から分岐する用水路、野火止用水が新座まで伸びていることに気づいた。

そんなわけで帰り道は野火止用水を追って帰ってくることにした。


新座市は埼玉県に属するが南側と西側が東京都である。

西東京市・練馬区・新座市の境目が錯綜する一角から新座市に入ったので、

カントリーサインもなく新座市に入っていたという感じである。

実は西東京市の保谷地区、練馬区の大泉地区は明治の町村制直後には埼玉県に属していたことがある。

そんな立地もあってか「大江戸線を新座市へ」という看板が各所にあった。

東京12号線(=大江戸線)には大泉学園町・新座・清瀬方面への延伸構想がある

構想はあるが、そもそも大泉学園町までの延伸だってまだ動いてはいない。


新座市役所のあるあたりの町名を野火止と言うが、まさにここをめがけて引いた用水路が野火止用水である。

地上に見える範囲では端にあたるところに野火止公園がある。

といっても小さな公園だが。水路に対して説明の看板があるぐらい。

ここから水路を追うように走って行くが、公園になっているところはバイクで走るわけにはいかないので、そこは迂回して……

自転車は通ってもよさそうな感じだったけど。


野火止用水はもう用水路としては利用されてはいない。

汚水の流入による水質悪化、東京都の水道用水確保のための分水中止など、

用水路としての意義を失い、埋められかねない状況だったが浚渫など行い、

1984年以降、玉川上水・野火止用水・千川用水に下水処理水が導入された。

すなわち東京都の下水処理場からの水が新座まで来ているということである。


野火止用水を追って走っておもったのは、水路に沿って新座市は長く伸びているということである。

東久留米市と清瀬市に挟まれて角のように伸びている部分がそうである。

それだけ野火止用水が重要な存在だったことがうかがい知れるところである。

そんななのでまたカントリーサインもなく東京都に入っていく。

水路沿いは生活道路ということか20km/h制限なんて区間もけっこうあった。

野火止用水はまだ少し続くが八坂駅付近で多摩湖自転車歩行者道に入り、水路沿いの旅は終わりとした。


多摩湖自転車歩行者道に入るところにあった標識は歩行者専用道路+「自転車を除く」だった。

この道路では自転車歩行者専用道路の標識と混在して使われているのだが、使い分けはあるのだろうか?

(特定原付の制度導入時に普通自転車以外の自転車の扱いに差が付いている)

いずれにせよ特定原付は走行可能なので、ぐんぐんと走って行く。

車止めが邪魔だったり、歩行者と錯綜する区間があったり、少し走りにくい道である。

ただ、歩道の自転車走行区間がほとんどないのは救いかもしれない。

いや、新小金井街道のアンダーパスと被る部分は歩道走行があったので、

ここだけは歩道モードにして6km/hで歩道を走りましたけど。


今からすれば東京都から埼玉県に向けて生活用水が供給されてたのは信じられないけどね。

水は上から下にしか流れないわけだから、当時はこれしかなかったわけだし、

そもそも埼玉県も東京都のこのあたりもかつては武蔵国で一体だったし、

明治の町村制直後には東京都と埼玉県で錯綜していたところである。

今の新座市では荒川を水源とする大久保浄水場(さいたま市)から供給される水と井戸水が供給されている。

東京都にしても8割は荒川・利根川水系の水を使っている状況である。

多摩地域にしても東村山浄水場は朝霞で荒川から取水した水でまかなう割合が大きい。

それだけポンプでくみ上げているってことである。

曽根崎通を東へ西へ

旅行最終日は鳥取から東京までの大移動である。

荷物がデカイので列車移動にならざるを得ないのである。

というわけでスーパーはくとに乗車、これで大阪まで行く。


スーパーはくと の話は以前このBlogにも書いている。

新大阪って折り返し出来ないんですか

この当時はすべて京都発着だったスーパーはくとは一部が大阪発着となった。

その代わり増便になったので、鳥取県庁には やくも への新車導入とあわせて「鳥鐵の旅」と幕が掲げられていた。

この便も大阪発着便である。途中の新幹線接続駅は姫路のみ。

智頭急行30周年ということはこの車両も30年、リニューアルされてはいるが、所々古さを感じる。

大阪発着の導入と増便というのも新車導入に向けた布石ではと言われている。

しかし俊足である。ディーゼルカーって加速が緩慢な印象があるが、これはスッと加速していく。


姫路・三宮での乗降ではさほどなく、ほとんど大阪まで乗ってた気がする。

新幹線接続は姫路でいいんでしょうけど、やっぱり大阪までの運行は必要なんでしょうね。

そんなわけで大阪駅で下車して、コインロッカーに荷物を押し込んだら、

バイクを広げて大阪を少し走って行く。

曽根崎通を自転車というかバイクというか、そんなんで走ることがあるとはな。

意外と走りやすかった。路上駐車が多すぎて左車線を他の車が走らないのである。

他の自転車はほとんど歩道走行、東京都に比べると歩道上の自転車走行空間はよくない気はするのだが。


昼食を食べつつたどり着いたのは造幣局である。

本当は駐車場があるっぽいのだが、工事の都合、自転車・バイクまでも駐車できないというので、

ちょっと離れたところに駐車して歩いて来た。

造幣局といえば桜の通り抜けで有名だが、それ以外の期間には造幣博物館を見学できるようになっている。

入構許可を得て、ちょうど桜の通り抜けで通るルートを通って到着。


ところで造幣局ってなんで大阪にあるんでしょうね? 実は明確な理由はわからないらしい。

江戸→東京の治安が悪かったとか、大阪財界への配慮とか、書かれているが。

現在は さいたま支局・広島支局とあり、新500円硬貨の打ち初め式は政府関係者が出席しやすいからか さいたま支局 で行われている。
(cf. 新500円玉、造幣局で製造開始 出回るのは11月から (朝日新聞デジタル))

ともあれ、物資の運搬に便利な大川沿いにこうして作られたのだった。

当初は外国人技術者と外国からの輸入機械が頼りだが、日本の伝統的な金工技術も生かされている。

あとこれは知らなかったんだけど、化学という観点でも硫酸製造やソーダ塩の製造などやっていたそうで、

造幣局ができた当時は日本でそういう薬品が必要なら自給自足するしかなかったと。

機械分野だけでなく、化学分野にとっても造幣局は大きな足跡なのだという。


あと造幣局といえば硬貨の製造はもちろんだけど、勲章・褒章・メダルなどの製造をしている。

勲章などにしても金工の印象が強いが、七宝ってのもコア技術なんですよね。

この技術を生かして記念グッズの制作も行っており、造幣局前のショップではそんなのも買えるんじゃないか。

硬貨の製造という点ではやはり500円硬貨でしょうね。

流通する硬貨の中では世界一高価という話もあり、偽造対策に工夫が凝らされている。

2000年・2021年と短期間で改鋳が繰り返されたのもそのためである。

普通に考えれば硬貨の領分ではないが、自動販売機の多い日本では必要なものとされている。

そんなわけで新500円硬貨のことは特にアピールしていましたね。

あとは記念硬貨で時期柄、土地柄、歴代の博覧会関係の記念硬貨を展示していた。もちろん2025年の大阪・関西万博もある。

外国貨幣の製造もしていて、東南アジアを中心に記念硬貨の製造が多いが、一部は流通硬貨もある。


今度は曽根崎通を西に走り、出入橋で曲がって中之島へ。

科学館は工事(そろそろ終わる)、両美術館の間を結ぶ橋も工事、

そして営業中だが、工事の影響で漏水がある国立国際美術館である。

なんかぐちゃぐちゃだなぁと思いながらも地下3階の特別展はやっている。

その展覧会は「梅津庸一 クリスタルパレス」というので梅津庸一の個展だと。

なかなか目に痛い感じだったのだが、どっちかというと作品の外に学びが多かったかな。

日本の美術教育にいろいろ疑問を持つ中で、画家の仕事を投げ捨てて(?)、

夜は介護職員の仕事をしながら休み時間に絵を描き、パープルルームという私塾をやり、

それで創作意欲が失せた(?)ということで、2021年に信楽に移住して陶芸をして、

陶芸をする中で創作活動というのもチームワークだなと思ったようで、今は版画に没頭しているそう。

なんのこっちゃという説明だが、映像で見る限り極めて真面目な人である。

美術も幅が広く、国立国際美術館の注力分野である現代美術は未成熟ゆえか幅広い。

あれもこれも権威なのか歴史なのか、そんなのに引きずられてるんだなと思った。

信楽で土をこねるというのも、タヌキの置物のような大きな作品を作っていた歴史があるからこそだし。


そんなこんなでそろそろよい時間と大阪駅に戻る。

右折禁止で思ったように進めなかったり、こんなところ自転車で走ったことないから当たり前か。

荷物を回収してバイクを畳んで新大阪駅まで1駅乗る。

新大阪駅での移動は大変で、駅構内を歩く距離も長いし、ホーム上を歩く距離も長い。

それは東京駅でもそうで、ホーム上を歩いて、駅構内を歩いて。

新幹線の駅ぐらい大きいとバイク担ぎながらの移動は本当に大変ですね。

帰着したらカッパも着なくていいぐらいの小雨で助かった。

まっすぐ帰って冷凍庫から出したあれこれで夕食。これでゴール。

鳥取砂丘の西と湖山池

長かった山陰旅行も今日でとりあえず一段落。明日には大阪を経て帰路につく。

そんなわけで今日は鳥取市街より西へ向かう。

ということでまずは汽車で鳥取大学前駅まで行く。走ってもいい距離ではあるけど電池が心配だし……


まだこの区間にはICOCAが導入されていないので紙のきっぷを買って乗る。

ただ、来年には鳥取~倉吉の各駅と倉吉~米子の特急停車駅にICOCAが導入されることが決まっている。

今は駅員が詰めている改札口もそのときには紙のきっぷも入る自動改札機が置かれる。

そんなわけで倉吉行きの汽車に乗車、けっこう乗っているがほとんど鳥取大学前で降りた。

大学への通学もあるのだが、そもそもこの周辺が学校や住宅が多いのである。

全ドアが開くから有人駅かと思ったら、無人駅だけど利用者が多すぎるから全ドア開けてただけだった。

ともあれ、ここからスタートである。バイクを少し走らせると湖山池が見えてきた。

池と名の付く水面では日本一広いのだが、その実態は汽水湖である。


湖山池は砂丘により海と切り離された池である。

鳥取砂丘はもっと広かったと書いたが、その鳥取砂丘は西から末恒砂丘、湖山砂丘、浜坂砂丘、福部砂丘と分けられる。

一般に知られるのは浜坂砂丘の一部が残されたもので、福部砂丘は らっきょう畑 になったが、

湖山砂丘は早い段階で野菜畑になり、その後に宅地化していった。

そして湖山砂丘だったところに横たわっているのが鳥取空港である。

鳥取空港には「鳥取砂丘コナン空港」という愛称が付いているが、実際に砂丘の上にある空港なのだ。

湖山池から見ると空港のあるあたりが小高い丘に見える? でもほんの少し高いだけか。


ここから東へ走って行く。国道バイパスの高架橋も規制がなかったのでそのまま走って行く。

そしてたどり着いたのが白兎海岸である。道の駅があるのでここに停める。

白兎海岸は 因幡の白兎 の舞台となったところである。海岸を見てみると岩の島があるが、これを淤岐ノ島という。

淤岐ノ島から渡ろうとしたウサギがワニザメの背中に乗ったら、皮を剥がれてしまい、

さらにはだまされて海水を浴びて乾かしてひどい目にあっていたところ、

そこを通りかかった大国主命がウサギの身体を洗って、蒲黄(ガマの穂)を付けたら治ったと。

そんな伝承から白兎神社は皮膚病などに効く神様だとされていた。知らんかった。

その後のエピソードとして、このウサギは大国主命と八上姫の縁を取り持ったということで、

現在は縁結びの神様と認識されているが、これは比較的新しい考えらしい。


白兎の丘という展望台に上って白兎海岸一帯を眺めている。

ちょうど白兎海岸が鳥取砂丘の西端だったんじゃないのかな。

白兎海岸から今は空港や宅地になった湖山砂丘、今も砂丘で残る浜坂砂丘、

その向こうにらっきょう畑になっている福部砂丘と、広大な鳥取砂丘の姿が浮かび上がる気がした。

反対側に目を向けると長尾鼻があり、不思議な形の岩がたくさん。

一箇所でいろいろなジオサイトが楽しめるのでこれは当たりですね。


ここから湖山池の南側を回っていく。

小雨の範疇ではあるが、カッパなしではきついので、上だけ着て回る。

この中を歩いて散策する人もいた。けっこうな物好きだと思ったが、そういや雨の田沢湖を歩いて散策したこともあったな。

湖山池は汽水湖だと書いたが、2012年までは淡水湖だった。

もともと汽水湖だったのだが、農業に支障があり、水門操作で海水の流入を防いでいたのだ。

ところがヒシの大量発生により悪臭を放ち、漁業も不振ということで、打開策として汽水化が行われた。

汽水湖となり、ヒシは生息できないようになり周辺環境や景観が改善、シジミ漁もできるようになった。

ただ、淡水を前提としていた生物は絶えてしまい、生態系への影響は大きかったという。

そんな湖山池には青島という島があり橋で渡ることが出来る。

中にはキャンプ場があり、ドーム状のテントが固定されたグランピング施設もある。

散策するだけなら自由である。湖山砂丘含めて湖山池の景色を楽しんでいた。


というわけで山陰海岸ジオパークの東西ほとんどなめた感じである。

アクセスの都合もあり、海沿いがほとんどだが、それはそういうものとして。

バイクを持ち歩いて周遊するという新しい取り組みはいろいろ課題もあって、

その反省点はまた改めて書こうと思うけど、今までこういう旅はできなかったので、

これができるならあそこにも出かけたいなというところはいろいろある。

天気が悪くなると嫌だけど、それでも工夫しながら乗り切れたかな。

そんな明日は大阪は雨の時間帯がある。小雨ぐらいで済めばよいなと期待はしているが。

そして帰宅したら雨、これはほぼ確定だろう。区間としては僅かだが辛いな。

鳥取砂丘を行く

昨日も書いたのだが香住で泊まった宿の朝食は8時台にしか出ない。

これがけっこうな誤算で、なぜかというと鳥取方面の列車が8時台の次が10時台だからだ。

仕方ないかと10時台の列車で鳥取に向かうことに。


送迎を頼むならともかく、距離で言えば近いのは柴山駅。

10時チェックアウトでも列車の時間までだいぶ余裕があったので、柴山湾を眺めていた。

リアス海岸ではよくあるが、どこが島でどこが陸続きなのかわかりにくい。地図を見比べながらみていた。

かつては北前船が寄港していた柴山港だが、今ではカニなどの漁業が行われている。

浜坂行きの普通にのる。香住を出てトンネルを抜けると絶景だったが、

地図を見比べたら昨日、海上からしか見えないなと書いた鎧の袖がこのあたりだた。もっとよく見とけばよかった。

山陰海岸ジオパークのジオサイトには「余部橋梁」が掲載されている。

集落の上空を通過する橋で現代では高速道路や新幹線で見るような構造だが、

これを1912年の山陰本線開通時に選択したことが地形上の特徴を表している。

元々は鉄橋だったのだが、老朽化と強風対策のため2010年にコンクリート橋になった。

この鉄橋の一部はジオパークと海の文化館で保存されていて、けっこう錆びてた。

現地でも一部が保存されており、見学施設と餘部駅利用者用の設備を兼ねたエレベータも設けられている。

列車で橋を渡りたいからか、豊岡・香住方面から来て餘部で降りるひともけっこういた。


そんなこんなで終点の浜坂駅に到着、向かいには鳥取行きになる汽車が停まっていたが40分待ちである。

しかし、ちょうどいいところに特急はまかぜが来るので、鳥取まで乗車する。J-WEST会員なら650円である。

はまかぜ号は大阪・神戸・姫路~但馬(特に香住・浜坂)を結ぶのが主目的と考えられているが、

以前は朝の大阪行き、夜の大阪発が鳥取発着だった。鳥取の車庫への回送代わりだったらしい。

しかし去年から朝は城崎発、夜は豊岡行きに変更され、その先は普通列車に接続となった。効率が悪かったんだろう。

その代わり、昼に1往復が鳥取発着となった。これは但馬~鳥取の周遊が便利になるようにということである。

僕もその目的で乗ってるし、他にも外国人観光客らしきグループが見えたし、そこそこ当たってるようだ。


そんなこんなで鳥取駅に到着、さすがに県庁所在地は都会である。

バイクを組み立てて、宿に荷物を押しつけて、最初の目的地……の前に鳥取県庁に寄り道。

県庁に来たのは目印によかったのもあるけど、県庁の食堂で腹ごしらえと。

眺めがよかったぐらいであまりおもしろい話はないのだが、

後で見たらカレーの肉が山で捕まえた鹿肉だったらしい。カレーにするべきだったか。


目印によかったのは最初の目的地が隣接地にある鳥取県立博物館と鳥取城跡だったから。

鳥取県立博物館ではまず鳥取県の自然史があれこれあるが、やはり鳥取砂丘だよな。

砂丘の話はあとで改めて紹介するが、先に来て勉強しておいたのはよかった。

鳥取県の歴史ということでは、やはり鳥取という都市の在り方が気になった。

江戸時代の鳥取藩は相当な巨大な藩で、ゆえに鳥取というのも城下町として栄えた。

それが明治になって交通の便の悪さが際立つようになり、山陰本線の開通が急がれたが、余部橋梁などの難工事に苦しめられた。

その間に島根県との合併、そして再分離を経て現在の鳥取県となっている。

この分離には反対意見もあって、伯耆地域では鳥取が県庁だと遠いと、松江の方が近いんですよね。

実態として米子・松江など中海周辺は県境を越えて山陰の中心的な機能を担っている。

なんやかんや県庁所在地である鳥取は栄えているが、県庁がなければかつての城下町も寂れていたかもしれない。

その鳥取城跡、写真で見ると洋風の建物が目立つが、これは仁風閣といい、

明治時代にかつての御殿を壊して皇太子(すなわち大正天皇)の宿泊を意図してつくった建物だという。

今は保存のための工事中のようだが、ちょっと不思議な景色である。

鳥取城自体は陸軍の施設として使われた後に公園化されたこともあり、石垣が残るばかりだが、

この石垣の中に球状の「巻石垣」がある。

当初の石垣を継ぎ足した影響で石垣が崩れたのをなんとかするために球状に積み足したそう。

ただ、それがゆえ不安定で地震で崩れてしまい、近年抜本的に作り直し、外観はそのまま、安定した石垣になった。


鳥取城跡を出て、北東に走っていく。けっこう急な坂を登って、トンネルを抜けると鳥取砂丘である。

砂丘に登るので上り坂になっているのだ。バイクも18km/hぐらいで上っている。

鳥取砂丘にくるのは初めてではない。その昔、大学院時代に研究室のメンバーで連れ立って来ている。

そのとき鳥取砂丘って鳥取市にあるんだなと少し驚いた覚えがある。

ともあれビジターセンターで砂丘の勉強である。博物館とあわせて見ると学びが多い。

そもそも元々砂丘はもっともっと広かったのである。千代川河口周辺にかなり広く存在していた。

千代川から供給される砂が冬の強い風で積み上がって広範囲に砂丘が形成された。

ところが砂丘は砂が飛んで周辺での生活に困ってしまう。

そこで防砂林を作ったり、農地転用してらっきょう畑にしたり、砂丘ではないものになっていった。

そんな中で浜坂地区の砂丘も植林が考えられていたが、砂丘のまま保存することが考えられ、

天然記念物に指定、後に山陰海岸国立公園に含まれるようになった。

浜坂地区にしても周辺は防砂林で囲まれ、周辺に悪影響を与えないからこそ、これでいいのはあるだろう。

そんな砂丘は案外草が生えている。砂丘特有の植物として興味深いが、困った話もあるそう。


というわけで砂丘に出て行く。昨日・今日と雨が降り、しっとりしている部分もあるが、新しい砂が貯まっているところも多い。

降った雨が流れてオアシスに貯まっている。水を通しにくい地層があるとああして貯まるのだという。

砂丘の中には小川のようになっているところもあり、砂丘の意外な一面である。

さて、砂丘だが砂が頻繁に動くところは草は生えないが、落ち着くところではけっこう草が生える。

雨はきっちり降るのでそれを捉えれれば草は育つのである。

ただ、問題は外来種でこれが勢力を伸ばし、一時は42%が草地化、さすがにこれはいかんと除草を行っている。

今日もオアシスの近くで除草をしている人がいた。

砂丘っていうのは砂浜の砂が積み上がったものなので、海岸を見ると当然砂浜が広がっている。

あれが砂丘になるのかと思いながら見ていた。


鳥取砂丘はもっと広かったというのを実感するために東に走っていく。

福部地区にいき、砂丘海岸に向けて砂丘を上がって下がってすると、

らっきょう畑が見えた。これかららっきょうを植えるために砂が広がっていた。

地形も畑も砂丘だったことをよく表しており、鳥取砂丘はもっと広かったということが実感出来た。

そんなこんなで鳥取市街に戻るぞと走って行く。

市街地に入って宿ももう目前というところで電池切れ。走行距離27kmほどだった。

砂丘のアップダウンがかなりきつかったのもあるんだろうか。

調子乗って福部まで走ってからなのだが、足りると思ったのだが……


ここまで小雨に降られたりというのはあったが、宿に戻って歩いて買い物など出かけて、

帰り道には大雨に降られてズボンがびしょびしょに。

確かに夕方以降、降るとは出てたけどここまでとは。

バイクで出かけているとき、小雨で済んでたのでそれはよかったのだけど。


というわけで明日でジオパークめぐりは最終日である。

但馬では岩っぽいものをたくさん見てきたが、鳥取ではまた違った観点で楽しみたい。

香住海岸を朝に回るか雨の中回るか

海がよく見える宿なのだが、昨晩に外を見ていると灯りがぽつぽつ。

あれ? あっちが香住の市街地だっけ? と思ったのだが、起きたらそこは海で、

これはイカ釣り漁船の漁火である。この時期の香住の漁業である。


さて、今日は雨である。旅行中に雨があること自体は織り込み済みだが、

やはり雨が降ってない方がバイクで走るにも散策するにもよいのは言うまでもない。

というので作戦を考えたのだが、朝食前に少し出かけることにした。

なぜ朝食前かというと、この宿、朝食が8時台にしか出ないのである。

到着してから驚いたんだけど、それはそういうものらしい。

雨が降るのは8時以降とみたので、そこまでに出かけようというわけである。


そんなわけでバイクを走らせてやってきたのが下浜地区である。

海岸線に沿って走ると「下浜の動物の足跡化石」という看板がある。

潮の満ち引きなどによっては直接観察もできるようだが、それは見送り。

さらに先に進むと但馬松島ということで、削り残された島が日本三景の松島のようだと。

確かに松島のミニチュアを見ているような感じである。

日本海というのは元々陸続きだったところが海になったもので、

その形成の過程をあらわす痕跡として流痕化石というのがあった。

といっても一見すると洗濯板を逆向けたような岩で、何が流痕? とも思う。

川は流れに沿って削られて溝ができる。その溝の上に硬い岩が形成されると、

川の流れで削られた痕が反転した岩ができる。これが流痕化石である。


この先、地図を見ると「鎧の袖」などの見所があるのだが、

陸上からアプローチできないので海上からしか観察できない。

「かすみGEO TAXI」というチャーター船もあるらしいね。

とはいえ、まぁそれなりに面白いものは見たし、と宿に戻って朝食。

この間、バッテリー外して充電している。ここらで雨が降り出してきた。


雨が小康状態になったときを狙いたいがそううまくもいかない。

カッパを着込んで出発するもそれなりに強い雨である。

出直して向かった先は「ジオパークと海の文化館」である。

無料だが記帳するようにと書かれている。客は自分1人で記帳してたのも自分だけ。

香美町内のジオサイトの解説、海の生物の剥製、郷土資料とけっこう多彩である。

ここには動物の足跡化石の複製も展示されている。

このような動かしにくい化石は複製が有用で、観察するにも便利である。

いろいろな生き物の化石があり、鳥の足跡なんてのも化石になっている。

日本海が形成される過程で足跡が残って、それが後に化石になったらしい。

香美町という点では山のジオサイトもいろいろ紹介されていた。

地滑り地の克服のために棚田にしているとかそんな紹介もある。

海底から山までの模型があったけど、海底には当然カニの模型が置いてあるのだが、

この模型を見て思ったけど、地上に出ている島に洞穴が開くなら、海中にも穴があって、そこが魚などのすみかになるんですよね。


郷土資料という点ではまず北前船の話がある。柴山港を拠点としていた宮下家の話。

柴山は入口に島があり波の影響を受けにくいというので好都合だったという。

年2往復の航海をしており、北陸の年1往復の航海より高効率だったなんて書かれていた。

一方で今の香美町にとってみれば中心的な港は香住漁港である。

これは昭和4年に近代的な漁港として整備されたことによる。これで一気に但馬最大の漁港になっている。

その香住漁港といえば何と言ってもカニである。漁具もいろいろ展示されていたが、

松葉カニを捕る底引き網漁と、香住カニ(ベニズワイガニ)を捕るカニカゴ漁の2つがかなりの割合を占めている。

剥製の展示でも香住の魚に限らずいろいろ展示してるが、カニは重点的に並べられていて、ベニズワイガニの赤さに驚いていた。


とはいえカニは時期が決まっていて、今はちょうどどちらのカニ漁もしない時期である。

カニの時期は賑わうであろう店も、平日というのもあってか、ほぼ閉まっている。

ここだけみると廃墟のようである。世間的にも香住=カニのイメージだろうしなぁ。

カニの時期に大挙来てくれるだけありがたいと見るべきかもしれないけど。

そんなことを思いながら香住の海岸を見ていたのだった。


そんなこんなで宿に戻って、いろいろ乾かしたりしていた。

夕方には雨もやんで、景色の良さを楽しんでいた。

本当は今日の昼に回ろうと思ってたところを、昨日と今日の朝食前にシフトしたので、

結果的には詰められそうな感じはあるけど、元々の意図はそうではなかった。

まぁでも香住滞在は全体的にゆるい日程だったかなとは思う。

豊岡と鳥取の間を埋めるために差し込んだようなもんだし。というわけで明日は鳥取である。

バイクも人も山登り

昨晩、時刻表を見て、明日は宿を早く出ないといかんなと思った。

山陰本線の豊岡~鳥取間は本数が少ない。列車の間隔がかなり開くのでよく考えて動かないといけない。

というわけで早い方を選んだわけで、7時台の城崎温泉行きに乗る。

ちょうど通学の高校生が大挙して下車したところに畳んだバイク担いで乗車。

玄武洞公園の対岸にある玄武洞駅を経て、その次が城崎温泉駅である。

言わずとしれた温泉リゾートの最寄り駅、でも朝早くては無人だった。なんだそれ。


次の宿への移動中でもあるので、リュックサック1つの荷物もある。

城崎ならコインロッカーに預けてしまえば……と思ったのだが小銭が足りなかった。

両替は観光案内所と言われても観光案内所も開いてないし。考えたが背負っていくことに。

円山川沿いに走って、くねくね曲がってたどり着いたのは城崎マリンワールド……

といっても水族館に行くには早すぎで、お目当ては日和山海岸である。

この日和山海岸には城崎マリンワールドやホテル金波楼が存在しているのだが、

海岸線を独占してはいなくて、日和山海岸を見るだけなら自由である。朝早くても大丈夫。

ただ、水族館の敷地ではあるらしく、解説の看板にはペンギンが描かれていた。

ジオパークのビジターセンター(これは営業時間前)も水族館の会社が開設しているよう。

日和山というのは航海にあたり天候を見るために使われた小高い山らしく、

確かに遠くも見通せそうだ。気象衛星がない時代には高いところから見るには有用な手段である。

複雑に侵食された海岸線が美しいのだが、目の前の島になにかある。

これは後ヶ島といい、日和山海岸の目印だったのだろうが、浦島伝説で浦島太郎が玉手箱を開けたとされる島である。

どうも浦島伝説は丹後で伝承されてきた話で、浦島太郎が竜宮城から帰る途中に寄ったところがここだったと。

それにちなんで後の人が竜宮城を作ったのである。別にここに竜宮城があったわけではないが。

このことの是非はともかく、日和山海岸の歴史を著すエピソードの1つである。


事前に地図で見ていたら、この先の道路に展望台があることがわかっていたので、

進むのだが急坂で12km/hぐらいまで速度を落としながらも進んでいく。

まぁバイクにしては非力だよな。自転車と考えれば上等ではあるが。

荷物を背負ってこの急坂では電池の消費が激しそうだなとは思いつつ、

展望台に来ると日和山海岸一帯をよく観察できる。本当に複雑な海岸線である。

さっきのところもそうだが、けっこうゆっくり観察していて、なぜかというと次の浜坂行きの汽車までだいぶ時間があるから。

そろそろいくかと時間を見計らって、ブレーキかけながらゆっくり下りる。


戻ってきたら城崎温泉駅には駅員もいたし、大阪行きの特急が出る直前だったのでそんな客もちらほら。

そんな中で乗り込んだのは浜坂行きの汽車、しかし乗るのはたった1駅である。

というわけで竹野駅で下車、ここも豊岡市なんですね。

竹野駅で下車する人はかなり多かった。観光客もけっこう降りてたように見える。

バイクを組み立てて走って行くと同じ汽車を降りて海岸まで歩いている人を追い越していった。

海水浴シーズンとあっては駐車場もかなりの値段を掲げている状況。

これではうかつに駐車できないなと思ったが、賀嶋公園の入口にちょこんと停めるのはなんとかなりそうだった。


ということでここから登山である。そんなつもりはなかったが思ったより登山だった。

まず、ここは猫崎半島の散策路の入口である。

海水浴場に近いからかサンダルで登るな、スニーカーなどちゃんと登山の備えをしろと書いてある。

ここから猫崎灯台までのルートがあるのだが、途中に賀嶋山(標高141m)があるので、

登って下って、帰るときはその逆、けっこうハードなんですね。

とはいえ、この猫崎半島を間近で見るにはこれが一番である。

汗だくになりながら進んでいく。途中、右も左も海という地点がけっこうある。

とはいえ、木々が生い茂っているところが多く、眺めがよいところは限られる。

やはりハイライトは賀嶋山を過ぎて、谷に架けられた橋を渡るところか。

ここは西岸が大きく侵食されており、猫崎半島が削り残しであることがよくわかる。

猫崎灯台が見えるところまで来たが、笹が生い茂っており灯台に近づくのは断念。

ちなみにこの灯台の先が兵庫県最北端である。


戻ってきて次の地点へ向かうためにバイクを走らせる。

調べごとをするために竹野観光協会のWebサイトを見たら電動キックボードの貸出をしているらしい。

竹野の人たちは特定原付を見慣れてるのだろうか? いやそんなことないだろうなと思いながら緑ランプ付けて走る。

途中にジャジャ山公園というのがあり、ここから竹野浜を一望できると。

また山登りかよと思いつつもやはり見たくて階段をずんずん上がる。

ここはこの周辺の津波避難場所になっているのだが、津波予報に応じて避難の高さの目安にするためか標高を書いた杭が何本かあった。

ここからみると竹野浜、そして猫崎半島、竹野川などよく見える。

猫崎半島は猫が寝そべっているように見えるからその名前が付いたというが、確かにそんな気がする。

現代人に言わせれば「キューピー人形が仰向けになっているようにも見えます」とも。そうか?


竹野にはあといくつか見ておく景勝地があるらしい。

というので隣の切浜地区へ向かう。けっこうなアップダウンがあり、15km/hぐらいまで速度が落ちる区間も。

県道のトンネル手前に看板とベンチが置かれているが、はさかり岩の観察スポットである。

2つの岩に挟まれた岩があるという不思議な構図である。

どうも削り残った2つの岩の間に落石があったのではないかと書かれている。

確かに落石の危険があるようで、道路沿いの崖はコンクリートで固められていた。

削れ方の違う岩が複雑な形を作るという点ではもう1つ、淀の洞門もそうで、

こちらは切浜海水浴場に沿った道を走っていると、確かに貫通している穴がある。

どうもこのあたりで違う種類の岩が重なっているようで、それで穴状に削られたようだ。

「大鬼が金棒で穴を開けた」なんていう伝説もあるが、そうも思えてしまう景色である。


そんなこんなで時刻表を見るとそろそろ汽車の時間だということで駅へ向かう。

思っていたより1本早いが、それならそれで先に見て回るところもある。

というわけで今日の宿の最寄り駅まで2駅、汽車には高校生が多く乗っていたがテスト期間だろうか。

バイクを組み立てて宿まで走るが、宿の手前の急坂で電池切れ。まぁここまで持てば頑張った方か。

荷物に坂に27kmぐらいしか走れなかったが、致し方なしだろう。というわけで押し歩き。

宿にチェックインして部屋で充電しながら、周辺を少し散策してみる。


このあたりは今子浦といい、山陰海岸国立公園の中でキャンプ場・ホテルなどを整備したゾーンらしい。

このあたりの海岸線も複雑でそれを観察できるのが大引の鼻展望台である。

日本海を見るということで言えば今までのどこのポイントよりよいことは確かである。

ここもまた複雑に削り残ったところで、周りにはそんな島がいくつかある。

展望台から戻ってくると「かえる島」と書かれていて、なんだ? と見ると本当にカエルの形をした島があった。

「奇勝」と書かれていて、特に文化財的な価値は認められていないがなかなか完成度が高い。


1時間ぐらい充電したところで再出発。というのも明日の天気を考えると少し前倒ししておきたかったのだ。

というわけでたどり着いたのは香住漁港近くの岡見公園、これも急坂である。

途中で押し歩きに切り替えたけど、けっこう電池消費したかもな。

ここもまた削り残った島だったらしい。それが後で砂がたまって陸続きになったと。

香住漁港のある一帯がそのつながってしまったところなのかも。

黄色い花があるが、これはユウスゲといい、この時期の夕方に開く花らしい。

あまり意図していたわけではないが、この時間帯に来たのはよかったかもしれない。


その後いろいろ用事を済ませて宿に戻ろうとしたら途中で電池切れ。

10kmぐらい走って電池切れで1時間充電だとその程度なのかと。

あと2~3kmぐらい持ってほしかったのだが。と押し歩き。

行動範囲と電池という点では今回の旅行ではいろいろ考えさせられた。

今日が一番ハードだったかもね。元々は竹野と宿周辺少しのつもりだったが、

日和山海岸をねじ込み、竹野でも思い立って切浜まで足を伸ばし……

旅程的にはそれでもゆるゆるなんだけど、電池は全然足りてない。

人間にとってもハードな1日だった。たくさん山登りしたからね。


というわけで明日の天気は雨で、雨の中出かけるのは避けられないが、

ずっと雨というわけではないので、うまく避けながら散策したい。

久美浜湾一周旅行

今日はバイクを列車で運んで周遊ということで、やってきたのは京都丹後鉄道の豊岡駅、

案内があまりないのでわかりにくいのだが、地上に駅舎がある。

豊岡に来たとき、エレベータで降りたときに発見していたからよかったけど。

ここから2駅、久美浜まで乗る。わずかな区間だが府県界を越えて京都府である。


本来、京都丹後鉄道では特急以外はクレジットカードのNFC決済で乗車できる仕組みがある。

しかし、除外されている列車もあって、今回乗車する8:44発の快速もそれにあたる。

除外理由は実質的に特急だから。久美浜から はしだて号になるんですよ。

そんなわけで券売機できっぷを買おうとしたら動いてないんだが。

これは車内で買うのかと乗り込む。この便だけJRホームから出発なのだが、乗換口があるのでしれっと乗車する。

出発前に車掌が来てくれて久美浜までの300円を払った。


久美浜駅に到着してバイクを組み立てる。

なぜ久美浜に来たのかというと、久美浜湾を周遊しようとしたからである。

久美浜湾という名前からすると海のようだし、地元の認識も海である。

ただ、地図を見てみるとわかるのだが、これは湖? というほど海との接続が細い。

実際、ジオパークの説明にも「潟湖(ラグーン)である久美浜湾」と湖のような扱いである。

ただ、都田川の一部である浜名湖や、斐伊川の一部である中海・宍道湖とは異なり、

久美浜湾に注ぐ川は久美浜湾に合流した時点で「河口」として扱われており、行政上も海扱いである。そんなのもある。


とりあえず近くで久美浜湾を見てみるとカヌーをする人が多く見られた。

久美浜湾はこれだけ入り組んでいれば波も穏やかでカヌーに適している。

けっこうな距離を漕げるだけの大きな「湾」である。そのことは後で発見するのだが。

今はカヌーや漁船・遊覧船が発着する程度の久美浜港だが、昔は湾外との航路も多くあった。

看板に「豪商稲葉本家」とあったが、かつて交易で栄えた久美浜を表す建物である。

稲葉家はもともと麹製造をしていて、それで得た利益を元手に廻船業に手を出す。

これはもともと久美浜に発着する船が多かったことを表している。

それで多くの金を持っていた稲葉家は久美浜代官所の掛屋、今で言えば指定金融機関みたいなものか、それで利益を得ていた。

明治以降も久美浜町長を輩出したり、豊岡~久美浜の鉄道開通に出資したという。

この鉄道開通後に湾外交通がなくなったという。実はそういう歴史でもある。


ここから久美浜湾をバイクでぐるっと一周する。かなりアップダウンがある。

自転車だと大変だったなと思いながら上って下って進んでいく。

海岸に沿ってゴルフ場があり、海には養殖用のいかだがあり、よい景色である。

そんなので進むと橋の手前に「大向展望台」と書いてあり、気になったので分岐してみた。

集落の中に入っていき、どこが展望台なんだよと思ったら、わかりにくいところに入口があった。

さすがに車では上がれないので下に停めて、急坂をゆっくり上がっていく。

すると展望台があったのだが……木が邪魔だな。よくあるやつだ。

ただ、木々の間から綺麗な砂浜が見える。後で行くのだが、これは小天橋と呼ばれているところである。

久美浜湾の口を閉じてしまった砂州で天橋立にちなんだ命名だという。

確かに天橋立と構造的にも似ているのだが「湾口」はあれよりさらに狭い。

橋の高さこそ高いが、幅はかなり狭い。しかも1913年に開削してなんとか確保している状況である。

それもはや湾ではなく湖だろと思うんだけど、京都府の認識は海で一貫している。


橋を渡ったらすぐに小天橋海水浴場、海水浴に興じる人が多くいた。

パッと見た感じでは綺麗な海である。京都府にこんな海があるんだなと。

長く砂浜が続いている。この砂浜に塞がれたのが久美浜湾だから当然だが。

けっこうごつごつした岩が多くあり、船の航行には注意が必要そうだなとみていた。

道路が砂浜に近づくのはここぐらいで、他は防砂林を挟んで走っている。

今まで山がちなところを走ってきたが、当然このあたりは平らである。

そのまま久美浜湾沿いに進んでいくと、また山が見えてくる。

久美浜湾のシンボルでもある 兜山が見えてきた。この兜山には展望台があるらしい。

というのでいろいろ迷いながら かぶと山公園に到着。

ここから歩いて登れるようだ。というわけで登るのだがけっこう大変だった。

というのも標高191.7mでスタート地点の標高が30mほどなので、そりゃけっこう急なわけだ。

しかし登り切ると久美浜湾が一望できる。カヌーの人たちはスタート地点のカヌーセンターからけっこう遠くに行っていた。

この兜山は硬い岩石のため削られずにこうして残ったようで、久美浜湾を一望するに適しているわけである。

ところでこの入口の横に「NORTH FACE」「Bshop」と書いた建物があり、

なんだこれ? と思ったら普通に店舗だった。キャンプ場の近くなのでコンビニ的な意味もあるのかと思ったがそうではなさそう。

京都・久美浜の複合施設〈HOLIDAY HOME〉に〈THE NORTH FACE 京丹後〉が生まれた理由 (BRUTUS)

もともとBshopの倉庫だったところを転用していて、それはそもそもBshopの創業者の故郷が久美浜だったかららしい。


そんなこんなで久美浜湾を一周して久美浜駅でゴールである。

今度はVisaタッチで乗車できる汽車だったので、駅の改札でタッチして乗り込む。

J-WESTカードがタッチ対応なのでそれを使った。

エレベーターもない跨線橋を担いで運ぶのはけっこう大変である。

ちなみに丹鉄にはサイクルトレインがあるが、1日1往復の指定列車のみ期間限定で予約制、

乗降できる駅は限られており、久美浜駅は該当しない。そもそも原付は持ち込めない。

というわけで袋に入れて運ぶしかこのルートはどうにもならない。

豊岡までの汽車は案外人は乗っていた。JR乗換の人も多く、宮津方面から豊岡経由で各地というのはあるようだ。

朝は駅員がいなかったが、この時間は駅員がいるようで改札でタッチと。

これなら別に特急でもVisaタッチ使えてよさそうだけど、豊岡でも無人時間帯だと車内対応だしね。


山陰海岸ジオパークの主なところは兵庫県但馬地域ではあるが、

東側は京丹後市まで伸びていて、その中でも面白そうだった久美浜湾を訪れてみた。

ここからはしばらくまた兵庫県内を周遊することになるが、

豊岡滞在は今日まで。明日は次の宿まで動きながら周遊していく。

荷物を運びながらというのが難点なんだけど、まぁそこはなんとかなんとか。