おととい、所沢・川越と埼玉県内に出かけていたわけだが、今日は群馬県まで出かけていた。
この連休は今まであまり行ったことがない埼玉県と群馬県に行こうというところは早い段階で決めていた。
特に群馬県はこれまで事実上行ったことがない。ただし、東北自動車道が館林市周辺を通過しているので、通過したことはあるらしい。
東北自動車道ということはシリウス号とノクターン号だから十中八九寝て通過してるけどな。
埼玉県なら所沢・川越はわりと前から思いついていたのだが、群馬県とか具体的にどこ行くともさほど考えていなかった。
いろいろ案はあったのだが、昨日考えた結果、碓氷峠に出かけることにした。
碓氷峠というと中山道の安中市~軽井沢町の山越え区間のことで、
かつて東西の主要幹線であった中山道の難所として知られている。
その昔、中山道に沿って大阪~東京を結ぶ鉄道を敷設しようということを真面目に考えていたこともあったようだが、
碓氷峠を越えるのがあまりに難しいと言うことで、現在の東海道本線の建設が行われたという経緯がある。
名古屋~京都が関ヶ原経由の中山道ルートになっている理由の1つは中山道で鉄道を建設しようとしていた名残だと言われている。
こうして中山道ルートでの鉄道建設はとりあえずなされないことになったのだが、
中山道から分岐して長野・富山方面へ向かう北国街道ルートで鉄道ができることになり、碓氷峠を越える鉄道の建設がなされることになった。
現在は碓氷峠を越えて北陸新幹線が走っており、再び北国街道ルートが東京~富山・金沢のメインルートとなっているのだが、そのあたりの経緯は過去に書いたとおり。
北国街道ルートを蘇らせるはくたか号
北陸新幹線開通以前の碓氷峠区間の在来鉄道は66.7‰(6.67%)の急勾配のため、電気機関車の助けが必要だった。
そのための電気機関車の基地が碓氷峠の群馬県側の横川駅に併設されていた。
碓氷峠区間の在来線はあまりに運用・維持が厳しいということで廃止され、バスで代替されることになった。
ゆえにこの区間の峠越えのための電気機関車の基地であった横川機関区は廃止されることになったのだが、
横川機関区跡地には 碓氷峠鉄道文化むら という施設ができ、電気機関車ゆかりの地ということで電気機関車をはじめとした展示があるのだという。
さらにはかつての碓氷峠の鉄道敷を使った遊歩道「アプトの道」、そのまま線路を転用したトロッコ列車など、実際にかつての碓氷峠区間に足を運ぶことができるようになっている。
見て楽しい、歩いて楽しいということで、ここを目的地に選んだのだった。
さて、群馬県の交通の要所、高崎駅、ここから信越本線の横川行きの電車に乗ればすぐにアクセス出来る。
信越本線は元は 高崎~長野~直江津~新潟という路線だったが、
横川~軽井沢は在来線廃止、軽井沢~篠ノ井・長野~直江津は新幹線開業に伴い、しなの鉄道・えちごトキメキ鉄道への分離が行われ、3区間に分断されている。
高崎~横川の信越本線は3分断された信越本線の1区間で、今にして見れば碓氷峠を越えて長野・新潟につながっていた名残と言える。
2両編成の電車の座席が埋まりきるぐらいの乗客がいて、これは大変かもなと思いながら横川駅を目指して走って行った。
横川駅で降りると、乗客の7割ぐらいは軽井沢駅のバス乗り場に進んで行った。
そうそう、高崎駅の時刻表にも横川行きの列車に 軽井沢行きバス接続あり とマークを付けて案内してあったな。鉄道は分断されたが今も流動はある。
碓氷峠鉄道文化むら の入口でトロッコ列車往復付きの入場券を買った。
定員の都合、ぶんかむら駅からの列車はどの列車か指定することになっているが、戻ってくる列車は特に指定しないそうだ。
すでに券を持っている人は優先的に乗車できるので問題ないとのこと。
往路は思っていた列車に指定できたので、それまで展示を見て回ろう。ということで入場した。
入ると一見遊園地のようだったが、博物館の要素と園内を走る乗り物など遊園地の要素がある施設で、運営者は「鉄道テーマパーク」と言っている。
まずは屋外で展示されている車両を中心に見て回っていたのだが、今では活躍の余地がないような車両が多く展示されていて、なかなか趣深かった。
いくつかピックアップすると、
- 都市型ディーゼルカーというべきキハ35系 房総半島の鉄道が非電化の時代に通勤・通学客をたくさん乗せて走っていたよう
(もっとも最近まで同じ車両は走っていたし、混雑対策のためそういう設計の新車を導入した路線はある)
- クレーン車、ソ300形 かつて橋を架けるのに使われたとのこと、線路を走って現場に行っていたらしい
- 除雪用ディーゼル機関車、DD53 あまりに除雪力が強すぎて投げ飛ばされた雪で沿線に被害が出たなんてエピソードが紹介されていた
- 荷物車たくさん かつて鉄道荷物輸送が行われていた時代の車両たちだが、もう荷物列車なんてものはない
- ブルートレインの先祖、オハネ12形 個室でないどころか、なんと3段式寝台である、窮屈だったんだろうなぁ
- 銀色の電気機関車、EF30形 関門トンネルで腐食しないようにステンレス製にしたよう
なかなかお目にかかれる車両ではない。
もちろん電気機関車もたくさん展示されていて、展示を見て始めて知ったのだけど、
動輪6軸の機関車って3軸台車×2と2軸台車×3の2パターンがあるのね。前者はC-C、後者はB-B-Bと表していたが。
そうして車両を見て回っていたら時間ということで、トロッコ列車の乗り場に行った。そしたら座席はほぼ埋まっていた。大盛況だな。
このトロッコ列車は、ぶんかむら駅 と とうげのゆ駅 の間を結んでいる。平行して遊歩道があるので片道だけ使ってもよし、往復使ってもよし。
とうげのゆ駅は峠の湯という施設の前にあるのだが、火災の影響で現在は休館中、現状では遊歩道の中間地点ぐらいの意味か。
トロッコ列車は進行方向前方に客車2台、後ろに機関車がいる。ということはバックで進む。
なんか変な気がしたかも知れないけど、こういう急勾配区間では機関車は後ろから押すもので、かつての碓氷峠に普通に鉄道が走っていたときもそうだったよう。
ゆっくりとしたスピードで進んでいく。途中、まるやま駅で一旦停車する。ここは丸山変電所の見学のために設けられた駅である。
丸山変電所は碓氷峠区間の電化に際して作られた施設である。なにしろ日本の幹線鉄道では初めての電化区間である。相当に古い施設だ。
特徴は大量の蓄電池を備えていたこと。専用の火力発電所から電力が供給されていたものの、
山登りの時は電力が不足するようで、それを補うために蓄電池を置いていたそう。今にして見るとユニークな構成と言える。
そうして、まるやま駅の停車時間含めて20分ほどで とうげのゆ駅 に到着した。ここから遊歩道を進む。
遊歩道は北陸新幹線開通で廃止された線路より、さらに古いアプト方式の時代の線路のあったところを歩けるようになっている。
レンガで作られたトンネル・橋が残っており、重要文化財に指定されているところを実際に歩けるわけだ。
特にトンネルとトンネルの間の谷を越える通称、めがね橋は有名である。今回はそのあたりまで歩いて往復することにして歩き始めた。
ゆるやかなカーブに一定の勾配、いかにも鉄道敷らしい姿である。
勾配は歩いていてもややきついなと感じる。もちろん道路ならもっと急勾配の区間はいろいろあるけどさ。
けど道路だとしてもかなりの勾配だぞ。名阪国道のΩカーブ区間が6%だけど、急カーブ急勾配とあって下り坂は特に事故が多いと聞く。
それよりきつい坂、しかもゴムタイヤではなく鉄の車輪、ただごとではなかっただろう。
最終的にはこの坂を追加の機関車で助けて普通の列車が通り抜けていたのだけど、当初はそんなことは不可能だと考えられていた。
そこでラックレールを敷設して、ラックレールに歯車を噛ませながら機関車が押すアプト式が取られていた。
そのアプト式の時代の線路を転用したのがこの遊歩道というわけ。だから アプトの道 なのだ。
さすがに古いトンネル。だいぶレンガが崩れたりしている。それでも安全に通れるようにはしてあるらしい。照明もある。
そうやってトンネルを抜けて、またトンネルを抜けて、と進んでいくと、ずいぶん高いところに出る。これが めがね橋 こと碓氷第三橋梁である。
橋の上にいても姿がわかりにくいので、階段を降りて下に向かう。そしたらレンガでつくった橋の姿がよくわかる。
こうしていかに碓氷峠を越えたのかを構造物を見て感じて、とうげのゆ駅に戻ってきた。
折り返しの列車がやってきて、案内係の人が出てきて「入場券を持っていない人はいるか?」といい、入場券を売っていた。
実はここから入場することもできる。行きはアプトの道を歩いて、帰りはここからトロッコ列車で戻って、そのまま 碓氷峠鉄道文化むら を楽しむこともできる。
戻ってきて、資料館の中の展示を見た。
ここの展示は碓氷峠の鉄道の歴史に終始しているが、なかなか丁寧に資料が集められている。
最初は蒸気機関車で開通した碓氷峠区間、しかしトンネルが連続し、速度も遅いという状況で、乗客・乗務員は機関車の排煙にたいへん苦しむことになった。
そこで、日本初の幹線鉄道の電化が行われることになった。
これでだいぶ快適になり、強力な機関車も導入してスピードも向上したのだが、時速18kmとかいうかなり遅いスピードで進むのが精一杯だった。
これでは不十分ということで、アプト式によらない方法を模索していた。そんな中、技術の進歩で66.7‰の勾配でも鉄の車輪だけで進めるようになった。
それを踏まえて新線建設・複線化が行われ、完成後は今までの倍ほどのスピードで進めるようになったとのこと。
いろいろ資料が置かれていて、碓氷峠区間のアプト式鉄道を紹介する外国語の論文とか、新線建設を提案する報告書とかそんなものも展示されている。
長らくにわたり、いかに碓氷峠区間に鉄道は苦しめられてきたか。実際に歩いて見て感じることは多かった。
今の北陸新幹線では勾配は最大30‰に抑えたルートになっている。とはいえ、新幹線の中ではかなり急な方だ。
ただ、新幹線の車両は電動車が多いのでパワフルでブレーキ性能も高い。だから210km/hぐらいのスピードは出せるらしい。
新幹線の高崎~軽井沢の所要時間はわずか15分、これまでの歴史を考えればいかに画期的なことかよくわかる。
碓氷峠以外でもそういう画期的な変化というのはたくさんあって、その変化というのは展示されている車両などからも感じることができる。
そういう発見ができたのは面白かった。
帰りの電車で車窓を見て、さすがに群馬県や埼玉県の北部ともなるとかなりのどかなもんだなと思ったんだけど、
山が見えないということで、関東平野の中を走り抜けているんだなということを感じていた。
群馬県もどこに行くかによるけど、高崎だと東京からの直通列車も多く走っており、乗ってれば着くというのは気楽だ。
高崎~東京(上野)で101kmだから距離はけっこうあるんですけどね。しかもひたすら各停だけど。
急ぐ人は新幹線かな。在来線特急もあるけど。