旅先でポイントカード

この前の熊野・十津川への旅行の時の話だが、

新宮で飲み物などを買うことにした。

このとき速玉大社からホテルへいくまでの道にあったオークワで買い物することにした。

地元でもオークワで買い物してるものだから、ポイントカードであるオーカードを持っている。

ということだから旅先にもかかわらずスーパーでポイントカードを出すことができてしまった。


旅行先のスーパーで買い物をすることはこれまでも何度かあったが、

そこのスーパーのポイントカードとか持ってるわけがない。

今回については出かけた先がそんなに遠くはなかったうえに、

そしてオークワが和歌山県・奈良県・三重県と大阪府の南部と広く展開していたために、こんな不思議なことが起きた。

というか旅行に出発する前に朝ご飯のパンとか買ったのもオークワなんだよなぁ……

旅行前も旅行中もオークワとか、なんかおもしろくないなぁって。仕方ないんだけど。


しかし、よくよく考えてみればこういうことはコンビニでは珍しくない。

コンビニだと全国チェーンの店が多いわけだから。

僕も旅先のファミリーマートでTカードを出したり、ローソンでPontaを出したりしたことはある。

あと、スーパーでもイオンだとわりに全国広く展開しているから、同じようなことが言えるだろう。


ところでポイントカードを呈示するとポイントが貯まるわけだが、

店はどんなものを買ったかということを記録しているはず。

どこで買ったかというのも記録しているはずなのだが……

旅先の買い物か識別して統計したりとかしてるんかね? どうなんだろ?

わりにコンビニだとそういうことやってそうな気はするけどね。

外国人の子には義務教育でない

「保護者は子に九年の普通教育を受けさせる義務を負う。」というのはよく知られていることだけど、

子供がいれば誰もがこの義務を課せられるわけではなくて、

免除されたり猶予されたり、そもそも義務が課せられないこともある。


免除される場合って、障害などで学校に通うことが難しい子供かな、と思ったのだがそれは現在ではまれなことらしい。

1979年まではそれで正しかったんですけどね。

養護学校・盲学校・聾学校(当時)はその就学免除された人が教育を受けるための場所という位置づけだった。

けど1979年からは養護学校・盲学校・聾学校も義務教育を実施する教育機関となったので、

現在はよっぽどでなければ障害や病気を理由にして義務教育が免除されることはないようだ。

ちなみに、2007年以降、養護学校・盲学校・聾学校は統合され特別支援学校という区分になっている。

ただ、名称に必ず特別支援学校を付けないといけないわけではないようで、

視覚障害部門の学校は盲学校、聴覚障害部門の学校は聾学校の名前を使い続けているところが多いようだ。


じゃあ実際どんな場合免除されるのよ、という話の前にそもそも義務が課せられない場合の話。

小・中学校への就学について (文部科学省)

また、就学義務を負う者は、日本国民である保護者であり、外国人の場合はこの義務は課されていません。ただ、外国人であっても本人が希望すれば就学させることができます。

実は日本に住んでいても外国人であれば子を小学校・中学校に通わせる義務は課せられないんですね。

義務が課せられるかどうかは親が日本人か外国人か、であって子が日本人か外国人かではない。

だけど日本人の子で日本に住んでるなら普通は日本人だろうし、保護者が外国人の日本人の子はそう多くないだろう。

これにあてはまるのはだいたい親子ともに外国人の場合だろう。

けど、日本に住んでいる人ならば無償で小学校・中学校に通うことができるので、

保護者に通わせる義務はないというだけで実際には親が外国人でも小学校・中学校に通っている人は多いのではないだろうか。

逆に日本人なら日本国外に住んでいる子にも教育を受けさせないといけないように読めるが、そういうことはない。

保護者も子も日本国内に住んでいる場合のみ対象になる。

なので子だけ国外にいる場合も、子を親戚に預けて親が国外にいる場合も義務は課せられない。


しかし、日本国内に住んでいれば外国人でも納税の義務はあるし、

別に親が外国人でも教育を受けさせる義務を課してもいいんじゃないか?

そういう疑問が出てくるが、それでは都合が悪い場合もある。

本国へ帰国することを前提としている人の場合、子を外国人学校へ通わせることが多い。

しかし、外国人学校は一般には学校教育法第1条に定める学校ではない、なので外国人学校に通わせても教育を受けさせる義務を履行できない。

外国人学校……と言っていいのか知らんけど、韓国系の民族学校の中には日本の小学校・中学校・高校として認められているところがあるけど、

この場合は教育を受けさせる義務を履行できる。実際に日本人の子もいくらか通ってるそうですからね。

けどこういうのは日本に住む韓国人を主なターゲットにしてるわけで、一般的な外国人学校とは少し事情が違う。

本国のカリキュラム準拠でそのままやるとどうやっても日本の学校として認められないし、

そんな状況で外国人に子に教育を受けさせる義務を課しても仕方ないということか。


ただ、外国人と日本人の子で国外に住む前提で外国人学校に通わせたい場合はどうだろう。

両親が結婚している場合は両親とも保護者になるから、日本人の親には子を日本の小学校・中学校に通わせる義務が生じる。

ただ、こういう場合は、おそらく就学免除を受けることができるだろう。

就学義務の猶予又は免除について (文部科学省)

さっきも書いたとおり療養に専念しなければいけないほど病弱・発育不完全な場合の他に、やむを得ない場合として、

  1. 児童生徒の失踪、
  2. 児童自立支援施設又は少年院に収容されたとき、
  3. 帰国児童生徒の日本語の能力が養われるまでの一定期間、適当な機関で日本語の教育を受ける等日本語の能力を養うのに適当と認められる措置が講ぜられている場合、
  4. 重国籍者が家庭事情等から客観的に将来外国の国籍を選択する可能性が強いと認められ、かつ、他に教育を受ける機会が確保されていると認められる事由があるとき、

この4の場合にあたるだろうから、就学免除を申し出れば認められるだろう。

3は日本語の能力を養う機関で教育を受けて十分教育を受けられるようになるまで就学猶予が受けられるということ。

2は少年院が義務教育を実施する機関として認められていないため書かれているだけで、実際のところは相当する教育は受けることになる。

自立支援施設もそうだったんだけど、小学校・中学校の分校を設けたりして学校に通うのが原則になったので今は義務を履行できる場合もあるようだ。


外国人に子に教育を受けさせる義務がないというのは初めて知ったのだが、意外だったな。

まぁ理由はわからんではないのだが、そうはいうものの今後も日本に住む前提ならば日本の学校に通わせるようにさせるべきなんだろうな。

外国人の多い地域では特に地域の小学校・中学校で外国人の児童・生徒を受け入れる体制をよく整えているが、

外国人の子でも小学校・中学校に通いたいというニーズに応えていこうということなんだろう。

義務ではない以上は親の理解がないとどうにもならないが、環境が整えば通ってもらえるのだろうか。

実際のところどうなんでしょうね?

農繁期に休むのも定時制高校

昨日話題にしたバス専用道を走る奈良交通 五條西吉野線、

どうも沿線の高校への通学に利用されたりしているらしい。

地図を見てると、確かに沿線に高校ありますね。五條高校賀名生分校ですか。


賀名生、これで あのう と読む。

ATOKで変換しようとしても普通には出てこなくてF3叩いて郵便番号辞書で変換しないといけないような地名だ。

ただ、郵便番号辞書で出せるだけましで、実は2011年までは町名として存在しなかったからさっぱり出せなかったはず。

「賀名生」の地名が復活しました! (地域活性ポータルサイト『賀名生の里祭』)

ここに賀名生の地名のいわれが書かれているが、

かつてここは穴太とか書いて あのう と読んでいたようだ。これなら普通に変換できるわ。

南北朝時代、この土地に南朝の皇居が置かれた。このとき南朝への統合を願い、この地に 叶名生 と書いて かなう と名付けた。

その後、北朝が南朝に降伏することになって、願いが叶ったということで、この地の地名を 加名生 とあらためる勅令を出した。

地元の人々は天皇からいただいた地名をそのまま使うのは恐れ多いと思ったらしく 賀名生 と書くようになったようだ。

この時点では読みは かなう だったはずだが、いつの間にか穴太と同じ あのう という読みに戻っていたようだ。


賀名生という地名の由来はともかく、この高校のWebサイトを見ていたのだが、なかなか変わった高校のようだ。

五條高校賀名生分校

学校情報を見るとこんな事が書かれている。

本校は、1950(昭和25)年に設置された、昼間定時制の学校で――

本校は、農業科と家庭科を設置する専門高校で4年間学びます。

昼間定時制とは聞き慣れない言葉だし、普通は高校といえば3年間だけどこの高校は4年間だという。

一体どういうことなのか。


定時制の高校というと、仕事をしている人が夕方に仕事を終えてから夜に勉強するところという印象がある。

こういう夜に授業をするのを夜間定時制と呼んでいる。

一般に夜間定時制の学校では、授業時間が4時限ぐらいしか確保できないので、3年ではなく4年で卒業するようなカリキュラムが組まれている。

最近では通信教育と組み合わせることにより3年で卒業できる仕組みもあるようだ。

あと、午前・午後・夜間と3部に分けている定時制高校もあるようで、大阪府ではこういう学校をクリエイティブスクールと呼んでいるようだ。

こういう時間で区切った定時制高校は数多くあるけど、賀名生分校の昼間定時制というのはそれとは違う。


実は賀名生分校では普通の高校にはない農繁期休業が設定されている。

本校には、6月に2週間、11月に2週間の「農繁期休業」があります。これは、本校が日本を代表する果樹産地に位置することから、地域の柿・梅の農繁期に、家の手伝いや、農協・地域の人たちとの農作業を通じて、勤労体験をするためのものです。また、卒業後の就職のための社会勉強として、就労体験実習も行っています。

そもそも昼間定時制の学校って農家の子供が家の手伝いをしながら勉強するために設けられたんですね。

農繁期には家の手伝いに専念できるように農繁期休業を設けてあるということだ。

その分、授業時間が削られるので3年でなく4年で卒業するようなカリキュラムになってるんですね。

あとそれ以外の時期でも他の学校よりは少し授業時間数が少なくて、1日5時間が基本で終業は早い。

これも農業の手伝いには便利だろうか。

西吉野地区は柿と梅で有名なところだ。

ここにも書かれているとおり農繁期休業にはこの期間にインターンシップを行っているようだ。


こんな昼間定時制の学校はかつてはそれなりにあったのかもしれないが、今となっては珍しい。

が、驚くべき事に奈良県内にはもう1つ昼間定時制の学校が存在する。

それが 山辺高校山添分校 ですね。奈良県東部の山添村に存在する。

近隣の府県だと京都府の丹波・丹後に4校あるようだが、普通科の昼間定時制なんてのもあるしよくわからん。

五新線となるべきものを走る

十津川観光協会のWebサイトのアクセス案内に、
「十津川村には電車は通っておりませんので、電車以外のアクセスとなります。」なんて当たり前のことが書かれている。

そんな鉄道のない村、十津川村だけど実はかつて鉄道の計画があった。


それが五條と新宮を結ぶ五新線、国鉄ってそういうネーミングの路線多いよね。

建設の動機は木材輸送のためだったそうだ。

戦前だとまだ道路整備も進んでなかっただろうから、木でいかだを組んで新宮に出荷してたのかな?

今からすれば信じられないことだけど。

その五新線の計画、とりあえず五條から阪本の区間を建設することになって、戦前から工事が始められていた。

ちなみに阪本というのはかつての大塔村、現在は五條市に合併しているけど、そこの地名ね。

十津川村よりさらに川の上流にあって、山を越えたら西吉野村、こちらも現在は五條市に合併している、さらにその先が五條だ。


太平洋戦争中の中断期間を挟んで、1959年には五條から西吉野村の城戸までの路盤が完成した。

ここでこの区間が先行開業する……かとおもいきやなんとバス路線として開業することになった。

鉄道用に作った路盤を国鉄バス専用道として使い、五條~城戸のバス路線を開設したということだ。

似たような話としては福島県の白河と棚倉を結ぶ白棚線がある。

太平洋戦争のため休止してレールを供出したが、戦後に復活させるにあたり、

レールを敷き直すのではなく国鉄バス専用道として国鉄バスを走らせることにしたという経緯でできた。

その後、城戸~阪本が完成したら五條~阪本も鉄道に転換するという話で、工事も進められたのだが、

国鉄の経営が悪化してきたこともあって工事が凍結された。そして未成線となった。


こうして五條~城戸のバス路線は国鉄バスから西日本JRバスに引き継がれたわけだが、

平行する国道の改良が進み、バス専用道の優位性がなくなってきた。ようは国道を走った方が速いと。

そうして利用者が減少し、2002年にJRバスは撤退することになった。

JRバスの撤退後は奈良交通が引き続き専用道経由のバスを五條西吉野線として走らせている。

平日は朝に2往復、昼間に2往復、夕方に1往復運転している。

朝夕は五條バスセンター~五條駅~専用道城戸で、昼間は専用道城戸から一般道を走り西吉野温泉まで足を伸ばしている。

ただ、国道経由のバスの補完という意味合いが強いようで、

利用者の少ない休日は朝の1往復のみ運行している。かつてはもうちょっと本数があったようだけど。


この平日夕方の五條行きが専用道城戸バス停を出るのが18時35分なのだけど、

十津川温泉→五條の最終バスが城戸バス停に到着するのは時刻表では18時17分となっている。

城戸バス停と専用道城戸バス停は近接しているので十津川からのバスが遅れなければ乗り換えることができそうだ。

専用道を走るバスというのはなかなか珍しいし、なにより鉄道になるはずだったところを走るなんてなかなかない。

これはチャンスだと思い、バスが遅れなければ城戸で降りて専用道経由のバスに乗り換える計画を立てた。


バスは後続の車に進路を譲るようなゆっくりとした走りで進んでおり、別に遅れるような気配はない。山間部のバスなんてそんなもんよ。

十津川村を出て五條市の大塔地区を進んでいたとき、阪本バス停をでて猿谷ダムのダム湖を渡り、

上り坂にさしかかったあたり、フェンスで閉じられたトンネルの姿が見えた。

実はこれ、五新線のトンネルとして建設されたものだったんですね。

写真:天辻トンネル 南側入口 (Wikipedia)

建設したはいいが使い道のなかったこのトンネル、現在は大阪大学の大塔コスモ観測所として利用されていてニュートリノ観測が行われている。

この先もバスの車窓からは五新線のために建設されたであろう橋りょうの姿を見たが、これはさすがに使い道はないだろう。

そうこうしてたら城戸バス停にほぼ時間通りに到着、ボタンを押して降りた。

この城戸というのはかつて西吉野村役場、現在の五條市役所西吉野支所があって西吉野地区の中心になっている。

専用道の高架橋が見えるが、ここは役場の駐車場に使われているよう。その高架橋の下には南都銀行が、こんな山奥にもある。

ともかく専用道のバス停に向かって歩いて行くと、寂れた待合室が。かつて国鉄バスの駅として使われていたものらしい。

始発停留所だしバス待ってるのかなとおもったが、そういうわけでもなくて1人でバス停で待っていた。


時間の3分前ぐらいになってバスの音がした、どこからやってくるのかとおもったら専用道の五條側からやってきた。

どうも即折り返しらしい。やってきたバスに乗り込むとまもなく発車時間、僕1人だけを乗せて専用道に向かって走って行った。

バス専用道はあまり整備状況はよくない。木の枝が車体に当たる音がしたり、石を踏む音がしたり。

もともと単線鉄道として建設されたものだから、道の幅は車1台が通るのがやっと。

ただ、細い道にありがちな急なカーブや急な勾配がないのが不自然で、鉄道として建設されたことを示しているのではないだろうか。

確かに目の前に砕石の上にレールが敷かれた姿を思い浮かべることもできそうだ。

専用道にはトンネルもある。これも単線鉄道用に建設されたものだから、車1台通るのがやっとの幅しかない。

小型バスだけどなかなかきついようで、ゆっくり慎重に進んでいく。時にはトンネル内で一時停止することもあった。

よく整備された国道に比べても急なカーブも少なくて、勾配も少ない、だけど道が細いから結局スピードが出ないということのようだ。


鉄道駅として計画されていたであろうところは広くなっていてバスの行き違いもできそうだ。今はバスの行き違いはしてないけど。

ただ鉄道駅として計画されていたところ以外にもバス停は設けられているようで、バス停の間隔はそれなり。

集落の中を通り抜けるような区間もあって、家の目の前にバス停なんてそんなんもあった。

どんどん進んでいくと、周囲は開けてきて田んぼの真ん中を走るようになった。

専用道と一般道の交差点には専用道に入らないように注意書きがなされている。

中にはパトランプでバスの接近を知らせる装置がついている交差点もある。

そうはいうのだが、実際のところ専用道に入り込んでくる一般車もあるようで、途中、バイクとすれ違うことになった。

とはいえ車1台走るのがやっとの幅、バイクとの行き違いも楽にとはいかなくて、一旦バスが停止するはめになった。

そうこうしてたら、バス専用道は終点、県立五條病院のあたりで一般道に復帰する。

この先、一般道を走り、吉野川を渡り、五條駅に向かう。そして五條駅を出て終点の五條バスセンターへ。

バスはバスセンター内の車庫に、僕はバスセンターの隣のイオンに向かって行ったとさ。

そうそう乗客は全区間で僕1人だけだったよ。まぁ時間帯からして城戸行きは利用者いても五條行きで利用者はいないよね。


しかし、専用道経由のバスっているんですかね?

さっきも書いたとおり、専用道を走るよりも国道を走る方が速いんですよね。

なぜ奈良交通はJRバスから専用道経由でバスを引き継いだのか?

専用道を放棄して国道経由のバスを増便してもかまわなかったはず。

専用道はJRバスの撤退にあたり西吉野村の所有となり、奈良交通は五條西吉野線の運行にあたっては補助を受けてるのだが、

そうはいうけど、バスの走行に適しているとは思えない専用道をバスが走り続けているというのはよくわからない話。

この専用道経由のバスが走り続けるかどうかは五條市の方針にかかってるわけだけどどうなんだろうね。


ところで県立五條病院~五條駅はバスは一般道を走ってるわけだけど、

もちろんこの区間も鉄道として建設が行われている。

が、吉野川を渡るところが橋脚だけ作っただけで、橋が架けられることはなく、現在は橋脚も撤去されている。

とはいえそれ以外の区間には五新線となるべき構造物も残っている。

その国道24号線をまたぐ部分には跨線橋がかけられたのだが、道路拡幅のため撤去されることになった。

……が、工事が終わったら復元するようで、今後も五新線の構造物は残るようだ。

~国道24号五條本町地区歩道整備工事区間~五新鉄道跡の跨道橋部分を一時的に撤去 (pdf) (奈良国道事務所)

五條市としてはこの五新線となるべき構造物をまちづくりに活用していきたいと考えているようだ。


そんなわけだから新宮から五條までの間にバスを5台も乗り継いで横断してきたわけだ。

むちゃくちゃな話だが、そういうのができるのもそれなりにバスが走ってるからこそのことだ。

ところで、この新宮から五條までの間で乗ったバス、全部、LCD式の運賃表示器がついてたのよね。

八木新宮線についてはLCD式の運賃表示器を導入したということが奈良交通のWebサイトにも掲載されている。

八木新宮線特急バス 車内案内表示など (斬剣次郎の鉄道・バス斬り)

整理券番号が100番越えという化け物じみたバスなんで、かつては幕式だったのだが、LCDに取り替えられたようだ。

他の路線はよくあるLEDの運賃表示器だと思ってたのだが、十津川温泉~五條のバスも、専用道城戸~五條のバスも同じ型の表示器がついてた。

さらに驚いたのは十津川村営バスで、違う型のLCD運賃表示器が取り付けられていた。運賃表示器すらないと思ってたのにこれは全く意外だった。

しかし、奈良交通には北部で何度も乗ってるのだけど、北部ではLCD式の表示器なんて見たこと無いのよね。

均一先払いだと運賃表自体なくて運賃箱に「均一先払大人200円小児100円」とかマグネット貼ってあるだけだし、

学園前とかの先払いと後払いが切り替わるところだと運賃表は駅からの運賃と三角表を書いた板を掲げてるだけだし、

それ以外の整理券系統ではよくある40番までのLED表示器だから、南部では普通にLCD表示器が使われてることには驚きを隠せなかった。

十津川縦断、バスの旅

ホテルを出て新宮駅に行き、奈良交通のバスポールの前で待ってたら、

発車時間の10分ほど前に鹿のマークの描かれたバスがやってきた。

行き先には八木駅、これが高速バスを通らない路線バスでもっとも長い八木新宮線である。


とはいうけど八木駅まで乗るわけじゃなくて本宮大社までですけどね。

新宮駅で乗ったのは僕と1人、話を聞くからには本宮大社まで乗るようだ。

新宮市内では新宮駅と本宮大社の最寄りの権現前、そして新宮高校前に停まる。

新宮駅こそ奈良交通のバスポールがあるけど、この先、和歌山県内はずっと熊野交通のバスポールを間借りしている。

新宮高校前を出ると運賃表が一気に高くなった。バスポールがあってもとまらない。

5つしか通過するバス停がないのに特急なんて、と言われるけど、新宮を出てからずっとバス停を通過する姿は特急らしい。

とはいえ、バスは早着しても仕方ないので走り自体はゆっくりで、途中何度も後続の車に道をゆずっていた。

しかし、この道、片側交互通行が多い。なんで片側交互通行なのかといえば法面が崩れたのをなおす工事をしてるから。

これも台風の影響だけど、数え切れないほど法面が崩れたところがあった。本当に大変なことだ。

そうこうしてたら新宮市内を出て最初のバス停、神丸を通過。

ここからは熊野交通のバスも減るからか特急らしくなくなるのかな、と思ったけど全部の熊野交通のバス停に停まるわけでもないようだ。


ずっと国道を行くのかとおもいきや、途中で脇道にそれていった。

細い道だったが途中で熊野交通のバスと行き違いをして進んでいくと、なにやら旅館が。

どうも川湯温泉の温泉街のようだ。その川湯温泉バス停で乗客が1人乗り込んできた。

うねうね細い道を進んでいくと湯の峰温泉にたどりついたが、川湯温泉から乗った乗客はここで降りてしまった。温泉巡りか?

そしてまだまだうねうね進んでいくと、本宮町の中心部にたどりついてほどなく本宮大社前バス停に到着。ここで2人とも降りた。

バス停には人がいたけど、このバスに乗る人はいなくて、バスは乗客0人で十津川に向かって去っていった。


さて熊野本宮大社である。さっそくお参りすることに。

いろいろ祈ることはあるのだが、旅の安全はどうしても祈っておきたかった。

というのもこの先、このバスを逃すと帰れないなんて場面が続出するもので。

まぁもちろん余裕を持って行動してるし、大丈夫なはずだけど、それでも怖いものは怖い。

ともかく石段をのぼり、拝殿でお参りしてきた。

参拝順序の案内があったのだけど、離れたところにもお参りするべきところがあったので行くことに。

さっきまで晴れてたとおもいきや雨が大降りに。那智でもそうだったけどこの旅行ではそんなことに何度かあっている。

歩いていくと大きな鳥居が見えるが、ここが大斎原である。

日本一の大鳥居らしく、その由緒には「皇紀2661年の節目にあたり」とか書いてあったけど、

皇紀では中途半端だし、どうかんがえても西暦2001年、すなわち21世紀の幕開けにちなんでのことだろう。

ここはかつて本殿があったところなのだが、明治の大水害の被害を受け、本殿が移転し原っぱになっている。

水害の被害を受けたことからもわかるとおり川が近いのだが、実はここが川の参詣道のスタート地点だった。

ここから熊野川を下ると新宮、速玉大社へ向かうのに便利だというわけだ。


本宮大社の周りを見てみると、本宮行政局、市役所の支所だが、銀行や郵便局、さらにはホームセンターやデイリーヤマザキがあったりちゃんと町になっている。

なんか見覚えがあるなと思ったら高野町もこんなんでしたね。山奥にも関わらず本宮大社を中心とした町がちゃんとあるんですね。

バス停の案内をみるとにぎやかなことに熊野交通・龍神バス・奈良交通・明光バス・十津川村営バスが乗り入れているようだ。

新宮方面のバスが多いが、田辺方面のバスもあるようだ。

田辺というと、紀伊路から中辺路が分岐するところで、ここから中辺路をすすむと、ここ本宮大社にたどり着く。

現在、本宮は市町村合併により田辺市になっている。その中心である田辺とは中辺路で結ばれていたということだ。

とはいえ、バスの本数も新宮方面の半分ぐらいしかないし、実際のところ買い物とかは新宮に行く人が多いんだろうと思う。

十津川村営バスも乗り入れているが、本宮大社と十津川温泉を結ぶ路線が2往復運行されている。

奈良交通の新宮方面へのバスがない時間帯に熊野交通のバスに接続して新宮と往来できるようにするために走っているのだと思う。

そうしてバスの時間を待ってたら、バス停には人が何人か。

みんな奈良交通に乗るのかな、とおもったら僕以外は直前にやってきた龍神バスに乗ってしまった。どうも十津川方面に行くわけではなかったらしい。

続いて奈良交通のバスがやってきた。2人の乗客が降りて、空っぽになったところに乗り込んだ。


このまま1人なのかなとおもったら、道の駅奥熊野で1人乗り込んできた。

そうして進んでいくと、そろそろ十津川村に入るよという放送が。そして十津川村へ。

十津川村に入って最初の七色バス停、新宮駅以来の奈良交通のバスポールが見えた。もう奈良交通のエリアだということだ。

急な坂をのぼってのぼって、延々進んでいく。気づいてみれば、川は湖になっていた。ダムのダム湖ですね。

そして十津川温泉の看板が。ここで脇道にそれたところにあるホテル昴バス停で下車した。


ホテル昴、十津川村最大であろうリゾート施設である。

ここの星の湯は日帰りでも使えるのでやってきた。

と、その前に腹ごしらえを、とレストランへ。そして昼食を食べてから星の湯へ向かった。

ここの温泉は源泉100%・掛け流しをうたっている。

十津川温泉の源泉というのは70℃とか60℃とかかなり熱いのでそのまま入れたもんではない。

水を混ぜればよいのだが、星の湯ではこれをパイプの外から冷やすことにより源泉100%を実現しているそうだ。

ここには温泉プールもあるのだけど、これもこのように冷却して実現している。ぜいたくなことで。

ここで温泉につかり、これまでの旅行の疲れを癒そうという魂胆である。まだ旅は途中だけど。

寝湯、打たせ湯なんかはユニークなところだけど、打たせ湯はおもしろくてこれで体中ほぐしてた。

温泉から出ると肌がつるつるになった気がした。


十津川温泉にはほかにも村営の温泉があるのだけど、星の湯に来たのはおもしろそうだったから、というのともう1つある。

実はホテル昴の近くには野猿がある。トンネルを抜け、川沿いを進んでいくと、川にかかったロープが見えた。

これが野猿である。十津川村に来たからには乗りたいなと思ってたものである。

かつて川を渡る手段として使われていたもので、かごに乗り込み、ロープをたぐり川を渡るそんな人力のロープウェイである。

今となっては移動手段としては使われていないのだけど、観光用に維持されている。たぶん村道。

まぁ、対岸は危険なので手前で折り返してこいと書いてあるけど、乗れるのは乗れるので、体験してみようと思う。

かごに乗り込み、フックを外して発進。

ロープをたぐりよせるのは最初は軽いのだけど、途中から重くなってくる。ワイヤーのたるみのためか。

1人、高い空の上で揺れるかごに乗ってるとどうも怖いのだけど、村道としてきちんと維持されていることを信じ、進んでいく。

川の上に来て、ああ川を渡ってるんだと感じた。

対岸につく手前で折り返して往復およそ10分、ロープをたぐりよせるのは重かったが、かつて人々の生活を支えたものに触れることができたのはよかった。


それから、十津川温泉バス停のあたりへ向かうため、道路を歩いて2km弱歩いて進んでいった。

ホテル昴は十津川温泉の温泉街から離れたところにあるのよ。バスが乗り入れているけどこれはありがたいことで、これがなければアクセスはちょっと大変。

20分ちょっと歩けば往来できるのだけど。

ここで平谷郵便局に行きはがきを書いて風景印を押してもらうよう頼み差し出した。どんな風景印が押されるかは着いてからの楽しみにしておこう。

そして十津川温泉バス停に。

この裏手にバスがたくさんとまってるけど、これは奈良交通十津川営業所である。

十津川温泉発着の奈良交通バスを担当しているのだが、それだけでなく村営バスの運行も請け負っている。

ここから谷瀬の吊り橋のある上野地まで村営バスで行くのである。


バスの運転手に上野地まで行くというと、途中で奥里に立ち寄るので遠回りになるがよいかと聞かれた。

まぁそれでも次の五條行きのバスよりは30分ほど早く着くので、そのバスが五條方面に出るまでの間、吊り橋見物などするにはちょうどいい。

僕ともう1人を乗せて村営バスは上野地へ向かって走っていった。まもなくもう1人が乗り込んで乗客は3人に。

乗客2人は常連のようで運転手も降りるバス停を知っているようだ。まぁ1人は今日は別のバス停で降りるのだけどとわざわざ言ってたけど。

見慣れない顔が乗ってたものだから乗客から話しかけられ、こんな風に旅行してますと言うと、「ローカルなバスで驚いたでしょ」と。

まぁ確かにこうしてよそからやってきた人には似合わないよね。

そんなことを言ってたのだが、乗客2人は早々に降りてしまい、僕だけ乗せてバスは延々と走っていく。

役場を出て進んでいくと高架のバイパスが見えてきたがバスは旧道へ進んでいった……のだが、バス停で折り返してきて高架のバイパスに入った。

どうもこのバス停の先は、台風の影響で通行止めになっているようで、このバイパスを使わないと先に進めないそうだ。

このパイパス、実は台風の時にはもうすぐ開通式というところで開通はしてなかった。ところが台風がやってきて旧道が通れなくなり。

そんな中、開通式をしないままに使用を開始したという経緯があったことを運転手が教えてくれた。大変なことである。

その先は国道から外れた村営バス独自ルートも走ったり、延々と進んで奥里バス停で折り返して戻ってまたすすみ。

十津川温泉を出て1時間半ほどたってやっと上野地バス停にたどりついた。長い旅だった。

奈良交通はCI-CAで乗ってたけど、村営バスはCI-CAは使えないので現金で1340円、千円札を運賃箱のベルトコンベアのところに投げ込んだのは人生初か。


谷瀬の吊り橋、日本最長の鉄線の吊り橋である。

20人以上同時に渡らないこと、なんて書かれているけど、なかなか怖い吊り橋だ。

歩くと揺れるし、木の板が割れて落ちないかなんて不安になる。

けどこれはれっきとして村道であり、通学路など生活に欠かせない橋だ。まぁ大丈夫だろ。

橋の上からの景色は空を飛んでいるかのようだ。

ところでこの橋、かなりの大金を住民が出し合ってつくったのだが、この橋ができる前は川のもっと低いところで渡っていた。

ところが洪水のたびに流されたまったもんではないので、こうして高いところに橋を架けたのだという。


上野地バス停に戻ると、新宮行きのバスが休憩していた。

上野地を越えて走るバスはここで休憩を行う。長距離だから乗務員も休憩しないとやってられない。

八木新宮線は20分休憩するから吊り橋を渡れないこともないのだが、慌ただしいのでおすすめはできんかな。

そうこうしてたら五條行きのバスが来たので乗り込んだ。

長殿発電所前バス停を通過するとき、窓の外を見てみたら土砂がうずたかくつまったところが。

これは台風の時、大きな土砂ダムができたところですね。今はちゃんと流れるようになってるけど、土砂崩れの跡が多数残っている。

このあたりは本当に悲惨な姿だった。

そして大きな大きな十津川村もとうとう端にたどりつき、五條市へ。

バイパスをつかった迂回運転が行われているわけだが、工事中のバイパスを緊急で通れるようにしたためか、なんかつぎはぎだらけの道があった。

ここも旧道がやられまだ復旧していないようだ。

そしてつづら折りの坂を上り、トンネルを抜けたら、熊野川流域から紀ノ川流域である。


そして終点の五條バスセンターにたどりついた。

五條駅で降りないもんだから確認されたが、ここまで乗ったのはバスセンターの隣のイオンで晩ご飯を食べるため。

晩ご飯を食べて、五條駅へ、そして電車に乗って、そして帰ってくることができた。


前々から行きたいなと思っていた熊野三山と十津川、今回、こうして旅が実現できたことは本当にうれしいことで、

行ってよかったなと思った。

ただ、本当に台風の爪痕が痛々しかったなと。これは本当に大変なことだったんだって。

けど復興に向けて尽力する人々の姿も見ることができた。がんばってほしいと思う。

和歌山から那智山へ新宮へ

朝5時、夏とはいえまだ外は暗いが起きて、朝ご飯も食べずに家を出た。

そして5時半、近鉄電車に乗って大阪へ向かった。

朝ご飯を食べてから出ることにするともっと早く起きないといけなかったので、

あらかじめパンを買っておいて電車の中で食べながら、大阪へ向かった。


7時ごろ、南海難波駅にたどり着いた。ここから南海電車で和歌山に行く。

「四国連絡、特急サザン和歌山港行きです」と放送が流れて、これで徳島に行けるのかー、

と思ったけど、今日の目的地は徳島じゃない。まぁ徳島もいつか行きたいですけどね。

和歌山市駅で降りて、JRに乗り換えて和歌山駅へ向かう。

実は和歌山市駅は紀勢本線の和歌山側のスタート地点なんですね。和歌山駅じゃないんですよ。

その昔、難波から新宮方面へ向かう列車が走ってたようだけど、その頃はこの線路を走って行ってたのだろう。

今となってみれば和歌山線と同じ種類の電車が和歌山駅と和歌山市駅を往復してるだけだけど。

紀勢本線の列車もくろしお号をはじめとして和歌山駅から阪和線へ入ることも多いから、

だから紀勢本線のスタート地点というよりは和歌山線の支線というのがしっくりくるのかもしれない。


ともかく家を出て3時間そこらで和歌山駅に到着、ここから那智へ向かって、延々鈍行を乗り継いでいく。

紀勢本線というと多数の特急が走ってるが、なぜ延々鈍行なのかというと、

あまり特急に乗るメリットがなかったからということになる。

新宮への到着時間を早くできるのなら特急乗ろうかとも思ったんだけど、出発時間が遅くなるだけならあまりおもしろくないなって。

そんなこともあって御坊、紀伊田辺で乗り換えながら延々鈍行で進んでいった。

御坊で短い電車に乗り換えたのだが思っていたより混んでいた。田辺について乗り換えてもまだ混んでる。

白浜に着いたとたん、人が半分ぐらいに減った。白浜まで鈍行で来る人もいるんだなと思ったけど、人のこと言えないよね。

串本駅で20分ほど特急の通過待ちや行き違い待ちで停車していたので、ホームでおにぎりを食べて腹ごしらえ。

家をでて8時間、13時半ごろ、那智駅にたどり着いた。


那智駅は無人駅なのだが、駅の前には道の駅がある。

少し待てば那智山行きのバスがやってきた。

これで那智山へ向かうが、上まで登り切らずに途中の大門坂バス停で降りた。

これが熊野交通一押しのルートで、中辺路の一部である大門坂を歩いて熊野古道を体感してみようということである。

熊野古道大門坂 (熊野交通)

自動車で来た人も大門坂駐車場に車を停めて大門坂を歩いて那智山に行こうと。そして帰りにはバスで下山どうぞと。

ともかく、大門坂を上っていく。木々の間の石畳の道を延々歩いていく。意外に急だった。

20分ほど歩けば那智山バス停に到着、ゆっくり歩いても30分ぐらいだから確かに手軽な熊野古道かな。


そこからさらに参道の石段をあがって熊野那智大社に到着。

振り返ってみれば、とてつもない絶景だった。

ただ、山に目を向けてみると土砂崩れの跡が。

実はここにたどり着くまでも、洪水の影響で道路が片側交互通行になってたり、大門坂で木が倒れていたり、台風の爪痕は多数残っていた。

那智大社でお参りして、隣の青岸渡寺に。

青岸渡寺はもともと熊野那智大社の一部だったのが分離されたものなので、これも熊野三山の一部ということになっているよう。

青岸渡寺からは那智の滝が見える。

そこから那智の滝の方に下っていくと、飛瀧神社が。だいたい予想は付くだろうけど滝がご神体ということだ。

那智の滝、間近で見てみるととても雄大だが、ここも台風の被害を受けていて、現在修復工事が行われている。


バスまで時間があったから那智大社で景色を眺めていたが、そろそろと那智山バス停に向かった。

そしてバスに乗って那智駅へ。

那智駅で電車まで時間があったので道の駅の世界遺産情報センターを見学していた。

今回のルート、かつての参詣道でいえば、紀伊路から大辺路といったところか、とか思いながら見てた。

そうこうしてたら電車がやってきたので新宮へ向かった。

ちなみに勝浦~新宮はバスの方が本数が多くて、熊野交通はその乗り換えルートを紹介している。まぁ運賃は高いんですけどね。


新宮にたどり着いたのは17時半ごろだけど、暗くならないうちに熊野速玉大社に行こうと思った。

駅から少し離れてるのだが歩いて移動するのに不便はない。

たどりついたら「日本第一大霊験所」なんて書いてある。熊野三山の中でもっとも最初に熊野権現の称号を得たということらしい。

かつて速玉大社はここにはなくて、現在の神倉神社のところにあったのだけど、これに対して現在の速玉大社を新宮というそうで、

それが新宮の地名の由来なんだろうなぁって。


それからオークワで買い物してたのだが、買い物を終えて出てきたら新宮行きと書いた奈良交通のバスが。

これが明日乗る、八木新宮線のバスですね。

新宮駅にある奈良交通のバスポールをチェックしたし、準備も万端だ。

そうしてホテルにチェックインして現在に至る。


ところで新宮の町を歩いていて思ったのだが、なにか寂しい。

この地域の中心的な都市、なのになんで、と思ったのだけど郊外のショッピングセンターが強いようだ。

そういえば新宮駅の2駅前、紀伊佐野駅のあたりにでかいスーパーセンターオークワがあったが、

あれともう1つイオン新宮店が大きくて、この2つの店が周辺地域から買い物客を呼び寄せている。どうもそれが現実らしい。

速玉大社からの帰りに寄った、オークワ新宮仲之町店、オークワ発祥の店らしいが、

かつては大きなショッピングセンターだったようだ。ところが郊外型のショッピングセンターにやられ規模を縮小するに至ったらしい。

どうも寂しいが仕方ないね。

台風12号のなぞった跡

前に言ってた熊野・十津川への旅行、明日から1泊2日でいくことになった。

紀伊半島をぐるっと回りたい

1週間前ぐらいに日程を決めて、宿を取ってきっぷを買って、荷物の用意もして、

明日は5時起きだ。5時半ごろに出ても那智に着くのは13時半ごろなんてどうかしてるけどね。

あえて遠回りの和歌山経由で、しかも鈍行で行くからこうなるんだけどね。


今回の目的地となる地域は、2011年の台風12号で大きな被害を受けたところですね。

覚えてますかね?

まぁ2011年というと、東北地方太平洋沖地震、後に東日本大震災と名付けられたけど、これの印象があまりに大きいかも知れないけど、

この台風も忘れていいようなものではない。

うちのあたりは大きな被害は受けなかったものの、これは本当に強い台風と感じたのを覚えている。(参考記事 : 河川のはん濫から身を守るために )

この台風の被害により、和歌山県で50人、奈良県で11人の死者、和歌山県で13人、奈良県で5人の行方不明者を出している。

河川のはん濫やら土砂崩れやら、ともかくひどい有様だった。

今回の目的地の1つである熊野那智大社でも土砂崩れの被害を受けている。


特に十津川村の被害はすさまじかった。

村に通じる道路が全て分断され、村と外をつなぐのは無線だけという文字通りの孤立状態となった。

土砂崩れによりせき止められたところに水がたまり、大惨事にもなりかねない状況だった。

村長が明治以来の大水害だと言っていたが、それはこの台風をよく表す言葉だったのではないかと。

今でこそ日本で一番大きな村といわれる十津川村だけど、元はここまで大きくはなかった。

現在の十津川村はかつて東十津川村、西十津川村、南十津川村、北十津川村、中十津川村、十津川花園村の6つの村があった。

ところが1889年の十津川大水害、これで村は壊滅状態になり居住が困難な地域が多数生じた。

その住めなくなった住民は北海道の土地を与えられ移住し、新十津川村を作った。現在は新十津川町だが。

そして人口が激減した十津川地域の6村が合併して現在の十津川村ができた。

その明治の十津川大水害に類するものだったということだろう。


さて、その明治以来の大水害に見舞われた十津川村は今どうなってるのか。

多数の道路が分断されたが、重要なルートは早い段階で仮復旧され、その後も工事が進められ、多くのところで復旧が進んでいる。

路線バスも台風から2ヶ月ほど経った11月1日に八木新宮線の全線で復活している。

とはいえ、完全な復旧には至っておらず、現在も一部区間でバイパスを利用した迂回運行が行われている。

明治以来の大水害、被害は大きかったものの、立ち直りつつあるようだ。


もう今は付けてないと思うんだけど、十津川村へのバスが復活した頃、

八木駅のバスターミナルに「がんばろう十津川村・五條市」と垂れ幕を付けたバスがとまっていたのを覚えている。

過去の表紙より (nako-club)

十津川村は特にそうだけど観光でもってる地域だけに、観光客が来てくれることがなによりの復興の助けとなるのではと思う。

奈良交通もバスの復活以後、いろいろキャンペーン打ってるけど、これも奈良交通なりの応援なのかな。

この旅行にそんな深いわけがあるわけではないけど、復興の助けになれば幸いだ。

夏休みの食堂の風景

今日は研究室に行っていた。

これで夏休みの登校は3回目だけど、もうこれで夏休み明けまで学校には行かんかなぁ。


さて、盆休み前に学校に行ったときは食堂が営業していなかったので、売店でお昼ご飯を買った。(参考記事 : 夏休み仕様の売店)

盆休み明け直後に学校に行ったときは食堂も売店もやってないのを知ってたので、事前に弁当を用意した。

今日は食堂が営業しているので食堂で食べようと思った。


今日は平日ではあるけれど、授業は無いので食堂の利用者は普段ほどはないことが見込まれる。

なので、普段に比べると縮小された体制で動いている……らしい。

とはいえ、これまで授業の無い日に食堂を使ったこともなかったので、

実際どんな体制でやってるのかはよく知らなかった。

果たしてどんなご飯にありつけるのか。


あまり変わらん? と思ったのだけど、よく見ると扱ってるメニューが少ない。

うどんとカレーと丼しかやってないみたい。

普段なら他におかずもやってるもんだけど、そこはやってないみたい。

どれにすっかなー、と言ってもそんなに選択肢はないのだけど、カレーを注文した。

小鉢とかどうなのかな、とおもったらこれは普段とおなじぐらいの品揃えあるみたい。

カレーならサラダかなと、千切りキャベツがいっぱい載ったサラダを取った。


レジを通ってから、ドレッシングかけんと、とおもってドレッシング台にいくと、醤油とソースしかない。

あれ? とおもったら、厨房の中から「ドレッシング出すの忘れてたわ」とドレッシングが出てきた。

そんなところまで縮小営業してたわけではないようで。当たり前だ。

厨房の中は2人だけで、普段よりは人数を減らしてるはず。

しかし、それにしても利用者が減った分だけ働く人数を減らせるのかというと、さすがに2人以下に減らすことはできないだろうし、

普段よりは効率は悪いんだろうなと思って見てた。


で、食堂の利用状況だけど、思ってたよりは利用者多いなと。

教員や職員がメインかなと思ったんだけど、部活動で学校に来ている学生も多いので、そういう学生が利用しているようだ。

夏休みの学校の中では一番賑わっているところのように思えた。


ところで、うちの食堂は去年までは土曜日も食堂を営業していた。

部活動でやってくる学生のために営業してたんだけど、今年から食堂の営業を取りやめることになった。

そのかわり土曜日は閉めていた売店を営業することにしたようだ。

土曜日の利用状況がどんなもんだったか知らんけど、多分、厨房の人件費をまかなえるほどの利用はなかったんだろうな。

なのでレジの人さえいれば営業できる売店でやっていこうということになったのだろうと。


そういうことを考えるとこうして夏休みも食堂が営業しているというのはありがたいことだよなと。

メニューは限られてるけどあったかいご飯が学校で食べられるのはいいものだ。

まぁお盆前後に2週間の休みがあるのは残念だったけどね。

学位授与のために単位を列挙

そろそろ学位授与の準備もしないとなと思いながら、

今日は単位内訳表を書いていた。


学士の学位の授与を受けるためにはいくつかやらないといけないことがある。

最初にやるべきことが単位を取得すること。

基礎資格が高専卒業の場合、次の条件を満たす必要がある。

  • 高専卒業後2年以上にわたり62単位以上修得する
  • 専門科目・関連科目で高専で取得した単位・卒業後に取得した単位をあわせて62単位以上修得する
  • 専門科目・関連科目の単位を卒業後に31単位以上修得する
  • 関連科目・専攻外科目で高専で取得した単位・卒業後に取得した単位をあわせて24単位以上修得する
  • 高専で取得した単位 か 卒業後に取得した単位 に外国語の単位を1単位以上含むこと

電気電子工学ではさらに、

  • 電気電子工学の基礎となる科目で4単位以上取得していること
  • 専門科目で40単位以上取得していて、そのうち30単位以上は講義・演習科目、6単位以上は実験・実習科目
  • 関連科目で4単位以上取得していること

この条件は本科4・5年、専攻科でこの条件は満たせるようになっているのだから、履修する上ではあまり考えなくていい。

まぁあまり厳しい条件ではないのかなと。


問題はこの条件を満たしていることを示すために単位内訳表を作らないといけないことだ。

Webからダウンロードしてきたフォーマットを使ってコンピュータで書くのが便利なので、その方法でやる。

この単位内訳表では、科目を区分ごとに分けて、科目名・単位数・授業の方法・修得時期・修得した機関を列挙する。

これまでどんな科目の授業を受けてきたか、ということを調べる必要がある。

というわけで、シラバスやら成績通知表を見ながら書いてた。


科目の区分だが、これはどの区分なのかなと悩むこともしばしば。

例えば論理設計、電子工学に関する科目なのか、情報通信工学に関する科目なのか。

一応、科目の区分ごとに科目の例が書かれているのだが、

電子工学に関する科目の例でディジタル電子回路が、情報通信工学に関する科目の例で計算機アーキテクチャがあるぐらいで、

はっきりとしたところはわからない。

こういうときはどうすればいいか、学内での説明会では好きにしろと言ってた。

これまで科目の区分が間違ってて指摘されたことはないようで、あからさまにおかしい区分でなければよいようだ。

なので僕はこれを電子工学に関する科目として記載することにした。

あと過去の申請書類のコピーをサンプルとして渡されてるので、これを参考にするのもいいですね。

何箇所か気になるところがあったのでまた確認しようと思う。研究室に置いてあるんで。


それともう1つ悩んだのが授業の区分ですね。

授業の方法として講義・演習・実験・実習・実技・その他から選ぶ必要がある。

実技にあたるのは体育ぐらいだし、実験に当たるのは実験ぐらいだし、その他にあたるのは研究ぐらいだ。

問題は講義と演習の区分ですね。

これ、大学だと1単位あたりの教室内時間の違いがあるからわりに明確に区分してたりするんだけど、

高専ではそこらへん区分する必要がないからか、区分してないんですよね。

まぁ悩んだら講義科目にしとけばいい気もするんですけどね。これも区分が違うからと不備になることはないだろうし。

実際のところ専攻科の英語の授業とかほぼ演習科目と言っていいような気がするけど、講義でいいかと講義のマークを付けておいた。


これで分類しながら書いて行くわけだけど、

記入にあたっては成績通知書をコピーしたやつを見ながらチェックして書いてた。

本科は1年から書いてもいいのだが、4・5年だけで条件を満たせるらしいので、4年・5年分だけ全部書くことにした。

本当は4・5年分も全部書かなくても足りるし、1~3年から好き勝手に持ってきてもいいのかもしれないけど、

そうすると何を書いたかわけがわからなくなりそうなので、4・5年は全部書くことにした。

めんどくさかったのが修得時期の記入方法だな。

というのも半期科目は前期だと9月に修得したことになるから。

本科の成績通知書は前期集中、後期集中を明示的に書いてないから、これだけはシラバスで確認しながら書く必要があった。

専攻科の成績通知書は認定年月という欄があってちゃんと書かれていたのでよかったが、

現在履修中で今年9月に認定されるはずの科目、後期で履修するつもりで来年3月に認定されるつもりの科目も書かないといけないので、

それもチェックしながら書いてた。


あとは統括表に合計単位数を書き写して完成。

細かい部分はサンプル見ながら修正しないといけないかもしれないけど、列挙する仕事はできたしいいだろ。

明日は研究室に行くわけだけど、もう1つ学位授与を受けるために必要なレポートを書くための準備をしようと思う。

その後、レポートの内容をもとに小論文試験が課せられることを考えるとできるだけシンプルなレポートにしたいが、

まぁそのあたりもどうするか考えようと。研究でやったことの一部を取り出してやればいいかと。

あまり適当なレポートを送りつけるとそれはそれで学士レベルに達してないって話になるし。そのあたりは指導教員と相談しながら。

技術者の行動のよりどころ

今日は技術者倫理のレポートを書いていた。

その前に夏休み明けに技術者倫理の授業で発表する課題もやってたんだけど、

その中で技術者の行動のよりどころになりそうな倫理規定を見てたのでその話。


ところで僕は電子情報通信学会の会員だ。

その電子情報通信学会は倫理綱領とそれを具体的にした行動指針を用意している。

電子情報通信学会行動指針

これはこんな前文から始まっている。

電子情報通信技術が現代社会において果たす役割とその可能性は極めて大きい。一方で,この技術の根元である電子や電波あるいは物理的実体のない情報は直接的な理解が難しいばかりではなく,電子情報通信技術の発達や普及が長期的にどのような影響を及ぼすか明確に見通すことも容易ではない。
電子情報通信技術に関わる者は,電子情報通信技術のこのような特質を深く理解し,自らの職業的実践および専門的活動を通じて,全人類社会の健全な発展と地球環境の保全に貢献する責務がある。
本学会員は,これらを認識して広く電子情報通信技術者が誠意と良識をもって職務を遂行することで尊敬される専門職となることを切望し,次の倫理綱領を遵守する。同時に,本学会は,電子情報通信技術者がこの倫理綱領に合致した行動を取ることができるように,教育と支援に努める。

「電子や電波あるいは物理的実体のない情報は直接的な理解が難しい」なんて書くあたり電子情報通信学会らしい。

内容に違いはあるが、どこの学会でもこんなのがある。

技術者が社会から尊敬される専門職であるためにするべきことを示して、これを会員に実践してもらおうという意図があるのだろう。


いろいろ書いてあるのだけど、今日レポートを書いていた話で関係するところを例に取ってみよう。

客との契約を遵守することはやはり大切なことだ。当たり前だけどそんなことも書かれている。

5.[契約遵守] 公益に配慮しつつ,職務上取り交わした契約を遵守する。

レポートの事例にはあまり関係なかったけど守秘義務のこともありますね。

その仕事の中でできた製品が要求された品質を満たすことができなかった。

データを改ざんして……なんてことはレポートで取り上げた事例ではなかったけど、もちろんしてはいけないとも書かれている。

6.[事実の尊重] 事実に基づき誠実に行動し,信頼性の高い発表と評価を行う。

そこで客に相談することなく要求された品質を満たすように製品に加工を加えることにした。

とはいえ、この加工により製品の安全性に疑問が生じることになった。

3.[技術の重要性の認識] 電子情報通信の社会活動における重要性を理解し,電子情報通信技術とその活用によって生じる,人間・社会および地球環境への影響を客観的に明らかにする。

こんな規定もあることだし、客にどのような問題が生じるか報告しなかったのはまずかったんじゃないの。

とかこんな具合に倫理規定は活用していけばいいんだろうと思う。


よくよく考えてみれば当たり前のことばかり書かれているわけだけど、

こうして示してあることで、どう行動するべきか悩んだときによりどころとして活用していけるのではないだろうか。

倫理規定もそう言ってるんだし、と自らの行動に自信を持つこともできるわけだし。

その点ではかなり便利なものではないかと思う。


会員がこうして当たり前のことを実践してくれれば、技術者の社会的な地位も向上するはずだと。

そういうことでこのような倫理規定を作って公開しているわけだろう。

実際に実践している技術者がどれぐらいいるのか知らんけど、

技術者倫理の授業というのは、このようなことを実践できる技術者となるための足がかりなのかなって。