ホテルを出て新宮駅に行き、奈良交通のバスポールの前で待ってたら、
発車時間の10分ほど前に鹿のマークの描かれたバスがやってきた。
行き先には八木駅、これが高速バスを通らない路線バスでもっとも長い八木新宮線である。
とはいうけど八木駅まで乗るわけじゃなくて本宮大社までですけどね。
新宮駅で乗ったのは僕と1人、話を聞くからには本宮大社まで乗るようだ。
新宮市内では新宮駅と本宮大社の最寄りの権現前、そして新宮高校前に停まる。
新宮駅こそ奈良交通のバスポールがあるけど、この先、和歌山県内はずっと熊野交通のバスポールを間借りしている。
新宮高校前を出ると運賃表が一気に高くなった。バスポールがあってもとまらない。
5つしか通過するバス停がないのに特急なんて、と言われるけど、新宮を出てからずっとバス停を通過する姿は特急らしい。
とはいえ、バスは早着しても仕方ないので走り自体はゆっくりで、途中何度も後続の車に道をゆずっていた。
しかし、この道、片側交互通行が多い。なんで片側交互通行なのかといえば法面が崩れたのをなおす工事をしてるから。
これも台風の影響だけど、数え切れないほど法面が崩れたところがあった。本当に大変なことだ。
そうこうしてたら新宮市内を出て最初のバス停、神丸を通過。
ここからは熊野交通のバスも減るからか特急らしくなくなるのかな、と思ったけど全部の熊野交通のバス停に停まるわけでもないようだ。
ずっと国道を行くのかとおもいきや、途中で脇道にそれていった。
細い道だったが途中で熊野交通のバスと行き違いをして進んでいくと、なにやら旅館が。
どうも川湯温泉の温泉街のようだ。その川湯温泉バス停で乗客が1人乗り込んできた。
うねうね細い道を進んでいくと湯の峰温泉にたどりついたが、川湯温泉から乗った乗客はここで降りてしまった。温泉巡りか?
そしてまだまだうねうね進んでいくと、本宮町の中心部にたどりついてほどなく本宮大社前バス停に到着。ここで2人とも降りた。
バス停には人がいたけど、このバスに乗る人はいなくて、バスは乗客0人で十津川に向かって去っていった。
さて熊野本宮大社である。さっそくお参りすることに。
いろいろ祈ることはあるのだが、旅の安全はどうしても祈っておきたかった。
というのもこの先、このバスを逃すと帰れないなんて場面が続出するもので。
まぁもちろん余裕を持って行動してるし、大丈夫なはずだけど、それでも怖いものは怖い。
ともかく石段をのぼり、拝殿でお参りしてきた。
参拝順序の案内があったのだけど、離れたところにもお参りするべきところがあったので行くことに。
さっきまで晴れてたとおもいきや雨が大降りに。那智でもそうだったけどこの旅行ではそんなことに何度かあっている。
歩いていくと大きな鳥居が見えるが、ここが大斎原である。
日本一の大鳥居らしく、その由緒には「皇紀2661年の節目にあたり」とか書いてあったけど、
皇紀では中途半端だし、どうかんがえても西暦2001年、すなわち21世紀の幕開けにちなんでのことだろう。
ここはかつて本殿があったところなのだが、明治の大水害の被害を受け、本殿が移転し原っぱになっている。
水害の被害を受けたことからもわかるとおり川が近いのだが、実はここが川の参詣道のスタート地点だった。
ここから熊野川を下ると新宮、速玉大社へ向かうのに便利だというわけだ。
本宮大社の周りを見てみると、本宮行政局、市役所の支所だが、銀行や郵便局、さらにはホームセンターやデイリーヤマザキがあったりちゃんと町になっている。
なんか見覚えがあるなと思ったら高野町もこんなんでしたね。山奥にも関わらず本宮大社を中心とした町がちゃんとあるんですね。
バス停の案内をみるとにぎやかなことに熊野交通・龍神バス・奈良交通・明光バス・十津川村営バスが乗り入れているようだ。
新宮方面のバスが多いが、田辺方面のバスもあるようだ。
田辺というと、紀伊路から中辺路が分岐するところで、ここから中辺路をすすむと、ここ本宮大社にたどり着く。
現在、本宮は市町村合併により田辺市になっている。その中心である田辺とは中辺路で結ばれていたということだ。
とはいえ、バスの本数も新宮方面の半分ぐらいしかないし、実際のところ買い物とかは新宮に行く人が多いんだろうと思う。
十津川村営バスも乗り入れているが、本宮大社と十津川温泉を結ぶ路線が2往復運行されている。
奈良交通の新宮方面へのバスがない時間帯に熊野交通のバスに接続して新宮と往来できるようにするために走っているのだと思う。
そうしてバスの時間を待ってたら、バス停には人が何人か。
みんな奈良交通に乗るのかな、とおもったら僕以外は直前にやってきた龍神バスに乗ってしまった。どうも十津川方面に行くわけではなかったらしい。
続いて奈良交通のバスがやってきた。2人の乗客が降りて、空っぽになったところに乗り込んだ。
このまま1人なのかなとおもったら、道の駅奥熊野で1人乗り込んできた。
そうして進んでいくと、そろそろ十津川村に入るよという放送が。そして十津川村へ。
十津川村に入って最初の七色バス停、新宮駅以来の奈良交通のバスポールが見えた。もう奈良交通のエリアだということだ。
急な坂をのぼってのぼって、延々進んでいく。気づいてみれば、川は湖になっていた。ダムのダム湖ですね。
そして十津川温泉の看板が。ここで脇道にそれたところにあるホテル昴バス停で下車した。
ホテル昴、十津川村最大であろうリゾート施設である。
ここの星の湯は日帰りでも使えるのでやってきた。
と、その前に腹ごしらえを、とレストランへ。そして昼食を食べてから星の湯へ向かった。
ここの温泉は源泉100%・掛け流しをうたっている。
十津川温泉の源泉というのは70℃とか60℃とかかなり熱いのでそのまま入れたもんではない。
水を混ぜればよいのだが、星の湯ではこれをパイプの外から冷やすことにより源泉100%を実現しているそうだ。
ここには温泉プールもあるのだけど、これもこのように冷却して実現している。ぜいたくなことで。
ここで温泉につかり、これまでの旅行の疲れを癒そうという魂胆である。まだ旅は途中だけど。
寝湯、打たせ湯なんかはユニークなところだけど、打たせ湯はおもしろくてこれで体中ほぐしてた。
温泉から出ると肌がつるつるになった気がした。
十津川温泉にはほかにも村営の温泉があるのだけど、星の湯に来たのはおもしろそうだったから、というのともう1つある。
実はホテル昴の近くには野猿がある。トンネルを抜け、川沿いを進んでいくと、川にかかったロープが見えた。
これが野猿である。十津川村に来たからには乗りたいなと思ってたものである。
かつて川を渡る手段として使われていたもので、かごに乗り込み、ロープをたぐり川を渡るそんな人力のロープウェイである。
今となっては移動手段としては使われていないのだけど、観光用に維持されている。たぶん村道。
まぁ、対岸は危険なので手前で折り返してこいと書いてあるけど、乗れるのは乗れるので、体験してみようと思う。
かごに乗り込み、フックを外して発進。
ロープをたぐりよせるのは最初は軽いのだけど、途中から重くなってくる。ワイヤーのたるみのためか。
1人、高い空の上で揺れるかごに乗ってるとどうも怖いのだけど、村道としてきちんと維持されていることを信じ、進んでいく。
川の上に来て、ああ川を渡ってるんだと感じた。
対岸につく手前で折り返して往復およそ10分、ロープをたぐりよせるのは重かったが、かつて人々の生活を支えたものに触れることができたのはよかった。
それから、十津川温泉バス停のあたりへ向かうため、道路を歩いて2km弱歩いて進んでいった。
ホテル昴は十津川温泉の温泉街から離れたところにあるのよ。バスが乗り入れているけどこれはありがたいことで、これがなければアクセスはちょっと大変。
20分ちょっと歩けば往来できるのだけど。
ここで平谷郵便局に行きはがきを書いて風景印を押してもらうよう頼み差し出した。どんな風景印が押されるかは着いてからの楽しみにしておこう。
そして十津川温泉バス停に。
この裏手にバスがたくさんとまってるけど、これは奈良交通十津川営業所である。
十津川温泉発着の奈良交通バスを担当しているのだが、それだけでなく村営バスの運行も請け負っている。
ここから谷瀬の吊り橋のある上野地まで村営バスで行くのである。
バスの運転手に上野地まで行くというと、途中で奥里に立ち寄るので遠回りになるがよいかと聞かれた。
まぁそれでも次の五條行きのバスよりは30分ほど早く着くので、そのバスが五條方面に出るまでの間、吊り橋見物などするにはちょうどいい。
僕ともう1人を乗せて村営バスは上野地へ向かって走っていった。まもなくもう1人が乗り込んで乗客は3人に。
乗客2人は常連のようで運転手も降りるバス停を知っているようだ。まぁ1人は今日は別のバス停で降りるのだけどとわざわざ言ってたけど。
見慣れない顔が乗ってたものだから乗客から話しかけられ、こんな風に旅行してますと言うと、「ローカルなバスで驚いたでしょ」と。
まぁ確かにこうしてよそからやってきた人には似合わないよね。
そんなことを言ってたのだが、乗客2人は早々に降りてしまい、僕だけ乗せてバスは延々と走っていく。
役場を出て進んでいくと高架のバイパスが見えてきたがバスは旧道へ進んでいった……のだが、バス停で折り返してきて高架のバイパスに入った。
どうもこのバス停の先は、台風の影響で通行止めになっているようで、このバイパスを使わないと先に進めないそうだ。
このパイパス、実は台風の時にはもうすぐ開通式というところで開通はしてなかった。ところが台風がやってきて旧道が通れなくなり。
そんな中、開通式をしないままに使用を開始したという経緯があったことを運転手が教えてくれた。大変なことである。
その先は国道から外れた村営バス独自ルートも走ったり、延々と進んで奥里バス停で折り返して戻ってまたすすみ。
十津川温泉を出て1時間半ほどたってやっと上野地バス停にたどりついた。長い旅だった。
奈良交通はCI-CAで乗ってたけど、村営バスはCI-CAは使えないので現金で1340円、千円札を運賃箱のベルトコンベアのところに投げ込んだのは人生初か。
谷瀬の吊り橋、日本最長の鉄線の吊り橋である。
20人以上同時に渡らないこと、なんて書かれているけど、なかなか怖い吊り橋だ。
歩くと揺れるし、木の板が割れて落ちないかなんて不安になる。
けどこれはれっきとして村道であり、通学路など生活に欠かせない橋だ。まぁ大丈夫だろ。
橋の上からの景色は空を飛んでいるかのようだ。
ところでこの橋、かなりの大金を住民が出し合ってつくったのだが、この橋ができる前は川のもっと低いところで渡っていた。
ところが洪水のたびに流されたまったもんではないので、こうして高いところに橋を架けたのだという。
上野地バス停に戻ると、新宮行きのバスが休憩していた。
上野地を越えて走るバスはここで休憩を行う。長距離だから乗務員も休憩しないとやってられない。
八木新宮線は20分休憩するから吊り橋を渡れないこともないのだが、慌ただしいのでおすすめはできんかな。
そうこうしてたら五條行きのバスが来たので乗り込んだ。
長殿発電所前バス停を通過するとき、窓の外を見てみたら土砂がうずたかくつまったところが。
これは台風の時、大きな土砂ダムができたところですね。今はちゃんと流れるようになってるけど、土砂崩れの跡が多数残っている。
このあたりは本当に悲惨な姿だった。
そして大きな大きな十津川村もとうとう端にたどりつき、五條市へ。
バイパスをつかった迂回運転が行われているわけだが、工事中のバイパスを緊急で通れるようにしたためか、なんかつぎはぎだらけの道があった。
ここも旧道がやられまだ復旧していないようだ。
そしてつづら折りの坂を上り、トンネルを抜けたら、熊野川流域から紀ノ川流域である。
そして終点の五條バスセンターにたどりついた。
五條駅で降りないもんだから確認されたが、ここまで乗ったのはバスセンターの隣のイオンで晩ご飯を食べるため。
晩ご飯を食べて、五條駅へ、そして電車に乗って、そして帰ってくることができた。
前々から行きたいなと思っていた熊野三山と十津川、今回、こうして旅が実現できたことは本当にうれしいことで、
行ってよかったなと思った。
ただ、本当に台風の爪痕が痛々しかったなと。これは本当に大変なことだったんだって。
けど復興に向けて尽力する人々の姿も見ることができた。がんばってほしいと思う。