お風呂でリュックサックを洗う

今日は東京に出かけて、東博に行ったりいろいろしていた。

どうせ行くなら平日に出かけた方が空いてていいだろという発想だ。それでも大概、人多かったけどな。

明日、明後日は市内で買い物に回ったりしようかなと思っている。


富士登山でも東北旅行でもリュックサックを背負っていたのだが、

この暑い時期に背中に背負ってたらかなり汗を吸っているはず。

そうなると洗った方がいいかなと思ったのだけど、これどうやって洗えばいいんだろう?

そんなわけで洗濯絵表示を見てみると、水洗い×、ドライ×ということで、洗濯不可ということになる。

一方で「中性洗剤とぬるま湯で局所洗いしよく乾燥させること」と書かれている。

だから中性洗剤で手洗いは実質的には問題ないことが類推される。

実際、そうやってリュックサックを洗っている人は世の中いるようで、じゃあやってみるかとなった。


リュックサックが入るほどの洗い桶なんて、浴槽しかないわな。

というわけで浴槽にぬるま湯を張って、いつも洗濯に使っている洗剤を入れて、そこでじゃぶじゃぶと洗った。

さすがに今までずっと洗ってないわけで、それなりの汚れが出てきた。

それからよくすすぎを行う。

これを乾燥させればよいわけだが、ウレタンフォームなどしっかり乾燥させないとならない部分がたくさんある。

1日、外で他の洗濯物の影でしっかり乾燥させたらだいたい乾いたのだが、

多少、入り組んだ部分が乾いていないように思えたので、その部分の風通しを確保した上で、

サーキュレーターで風を送りながら、さらに1日乾燥、ここまでやれば十分だろ。


こうやって洗濯してどれぐらいきれいになったのかはよくわからないけど、

こういう手入れも時々やっておくと結果的によい状態で使い続けられるのかなと思っている。

確かにメーカーの指示内容を忠実に捉えるとこういう洗い方はできないわけだけど、

汚れた部分の洗い方としては妥当な方法ではないかなと思っている。

一見したところ、問題はなさそうだ。

使いさしの青春18きっぷだから高く売れた

今日の朝に東京に到着して、朝ご飯を食べながら帰ってきた。

帰ってきてまずやったのは洗濯。旅行中に作った洗濯物をガサッと洗って干したら、わりとすぐに乾いてしまった。

それにしてもこの家、暑い。日当たりもよく、洗濯物もすぐ乾くのはよいが、暑くて暑くて仕方ない。


夕方から旅行の最後を締めくくるべく市内の金券屋に出かけた。

金券屋に持って行ったのは残り1回の青春18きっぷだ。

今回、1日目~4日目で各日青春18きっぷを使っていた。

青春18きっぷは5回分が1枚になっているが、1人で4日使うと1回余る。

この1回を金券屋に売りに来たのだ。


使いさしの青春18きっぷの価格というのは簡単ではない。

青春18きっぷは5回分で11850円で、1回あたり2370円が基準になるのだが、残回数、時期により大きく変化することが知られている。

典型的に言われていることとしては残回数1回・2回は割高で、3回・4回・5回は割安ということと、早い時期の方が価格が高いことだ。

青春18きっぷの割安感を感じるためには3回以上使えば十分ということだ。2回以下でも十分お得かもしれないけどね。

青春18きっぷを6回使いたいときは2冊買って、3回・3回に分けて使い、残2回で売るとよいとかそういう話もある。

JRから買って使いさしを金券屋に売るか? 金券屋から使いさしを買うか? これは時期次第ということだ。

今回は、早い時期で青春18きっぷの使用が完了するので、金券屋に売るのがよいと判断した。


では、実際どうだったのか。

金券屋に「青春18きっぷを売りたい」と差し出すと「残り1回だと2500円ですね」と返ってきた。

申込書に名前だけ書けば、現金で渡してくれた。こうして、単純に計算した1回あたり2370円より高い金額で買い取ってくれたのだ。

当然、金券屋が客に売るときはこれより高く売らないと儲からないわけで、そう考えると残1回の青春18きっぷは買うとかなり高いのだ。


青春18きっぷは5回を使い切る前提で買うのならわかりやすいのだが、現実にはなかなかそうもいかない。

なので使いさしの売り買いというのは大変役立つのだが、うまく売り買いするのは実は難しい。

残回数による差はともかく、時期による差はなかなか読みにくいところもある。

今回はすごく上手く行ったと思ってるんだけど、なかなかねぇ。


ちなみに青春18きっぷ、今は5回分が1枚になって売られているが、かつては5枚で1回ずつ切り離して使えるようになっていたそう。

そうなると回数券のバラ売りのように使い切れないなら1回単位で買うのが正解だったのだろう。

ただ、青春18きっぷって単価が異様に安いので、そうやってバラ売りされるのは心外だったのか、切り離せない仕様に変更されたのだった。

今の青春18きっぷが1枚のきっぷを複数人で使うことができるのもこの時代の名残なのかも知れない。

それでも使いさしの青春18きっぷが売り買いされているのは、やはり単価の安さが理由ということだろう。

弘前には歴史の重みがある

今日で東北旅行は4日目、あとはバスで帰るだけのところで書いている。


盛岡から弘前に行く方法はいくつかある。
一番素直なのはバスで行く方法かと思うが、帰りもバスだから行きは鉄道で。
新青森まで新幹線で行き弘前に行くか、花輪線で大館まで行き弘前にいくか。
面白そうだからと後者を選んだが、花輪線の列車の本数は少ないので正直不便だ。
ともあれ、盛岡駅に行き、IGRいわて銀河鉄道の改札に行く。
花輪線は盛岡~好摩でIGRの線路を走る。もとはどっちもJRだったけど、新幹線が出来て東北本線が分離して以来こう。
青春18きっぷはIGRでは使えないので好摩までのきっぷを買い、列車に乗り込んだ。
なお、青春18きっぷはその日、最初に乗る駅で日付を入れてもらうが、花輪線直通列車では好摩駅を通り過ぎてしまう。
この場合は花輪線の車掌に申し出ればよい。だが今回は、盛岡駅の改札を入って出て日付を入れておいた。
花輪線は3時間ほどかけて、山の中を進み、大館にたどりついた。
大館市は秋田県北部の都市だが、大館駅は大館市の市街地からだいぶ離れているようで、
そのせいか駅前の商店街はゴーストタウンのようだった。
大館駅で弘前行きの電車まで1時間ぐらい待つので、駅前の花善という料理屋で昼ご飯を食べた。
この花善は鶏めしという有名な駅弁を作っているそうで、ここでも食べられる。
大館駅から弘前駅まで1時間、なんかえらく時間がかかったな。


弘前も駅と市街地が離れていて、徒歩20~30分行くと弘前城のある弘前公園にたどりつく。
弘前というのはかつては津軽の中心都市で、全国的にも大きな都市の1つだったそう。
今では青森市の方が人口が多くなり、青森が津軽の中心都市と思われているが、かつてはそうだった。
そんな弘前はたいへん歴史の重みを感じる街だ。
まず弘前城、津軽地域の支配の中心だった。門や櫓がいくつか残っている。
天守も残っているが、石垣修理のため移設するそうで、曳家の準備中で入れなかった。
弘前城から歩いて、長勝寺へ。周辺は曹洞宗の寺ばかり。古い三門が残っているのはみどころだが、
それ以上に驚いたのがここが高台で、弘前城の出城という位置づけである長勝寺構として史跡弘前城跡の一部を構成するものだったことだ。


明治になってからも弘前は津軽の中心だった。
その名残が洋風建築として残っている。
当時としては充実していた旧弘前市立図書館、今としては小さい気もするが。
東奥義塾の外国人教師の家だった旧東奥義塾外人教師館、
青森銀行のルーツである第五十九国立銀行の本店としてつくられ、元青森銀行弘前支店だった青森銀行記念館、残念ながら閉館時間過ぎてて中は見られなかったが。
最後に旧第八師団長官舎の建物を転用したスターバックスコーヒーで一服していた。
街は差し迫ったねぷた祭りに向けて準備中の様子が見られた。


そうやって18時頃まで散策していたが22時発のバスまでは時間がある。
弘前の街にネットカフェのたぐいはない。
けどサウナはある。そんなわけでアサヒサウナでお風呂に入って一休み。実は天然温泉、
そうやってBlogを書いてたらいい時間だ。バスターミナルへ行こう。

廃墟と復元をみる旅

東北旅行3日目、石巻から気仙沼にかけて太平洋沿いを移動するわけだが、すさまじいところだった。


石巻から気仙沼に行くのに石巻線と気仙沼線を乗り継ぐのだが、
石巻から一旦女川へ向かい、そこから石巻へ戻ってきて気仙沼に向かうことにした。
女川駅は最近、移設して再開したという経緯がある。
石巻線の車窓からは多くの仮設住宅が見られた。また、区画整理されたところに住居を建設している姿もあった。
仮設住宅からここに移っていくのかなと思ってみていた。
女川駅は移設されたが、周りは大規模な土地造成・区画整理が行われていた。まだまだこれからだが、とりあえず駅は復活した。
女川駅からまた列車に乗り前谷地駅へ。途中貨物列車と2度行き違いを行ったが、石巻は工業都市で、日本製紙の工場と行き来する貨物列車が走っているらしい。
前谷地から気仙沼線の列車に乗る。駅前には気仙沼線BRTのバスが停まっているが、列車終点の柳津駅からこのバスに乗る。
気仙沼線BRTはもともと不通区間の柳津~気仙沼で走ってたのだが、利用者の便宜を図るため一部便で柳津~前谷地をノンストップで延長している。
今回は乗り換えが減る以外のメリットがないので柳津駅まで列車、そこからバスで行く。


柳津駅からBRT区間が始まる。しばらくすると気仙沼行きのバスがきた。
最初は一般道を走っていくが、陸前戸倉駅から専用道区間がはじまり、鉄道駅のようなホームに停車する。
専用道区間はかつて鉄道が走っていたところ。単線トンネルや単線の高架橋もバスが走っていく。
かつて十津川からの帰りに乗った五條西吉野線のバスを思い出す。あれよりはずっとずっと整備されているが。
見通しの利く区間は目視で行き違いをするようだが、トンネルを含むなど見通しの悪い区間は信号でコントロールされている。
行き違いポイントに感知式の信号機があり、毎度一時停止して信号を確認して発進する。
鉄道だとせいぜい駅でしか行き違いができなかったが、BRTでは駅間に数箇所あるほど。
そんな専用道区間だが1駅間も続かず終わってしまうところが多い。
専用道区間から出て、車窓から見える線路を追ってみると、たいてい橋が流出している。
この区間の沿線は津波の被害が激しく、川や海沿いは軒並み橋などがやられているのである。
これがBRTの真相である。橋をたくさん直さないと鉄道としては役立たない。けど、バスなら使えない部分だけ一般道に逃げればよいのだ。
専用道区間から外れて、車窓からは盛土工事の姿が見られる。こうして新しい街を作ろうとしているのだ。
志津川駅は南三陸町の中心駅だが、今は一般道区間にあるバスターミナルで周りにはプレハブの店舗が建ち並ぶ。周りは盛土だらけだ。
そんな具合に専用道と大きな被害を受けた地域が交互に続くのが気仙沼線BRTだ。
本吉駅で乗務員交代があった。どうもBRTの車両は気仙沼線はミヤコーバス、大船渡線は宮城県交通の車庫に常置され、そこの乗務員が走らせているそう。
それで本吉駅はミヤコーバスの営業所が近いらしく、BRT運行上の拠点になっているらしい。
こうして2時間ほどバスに揺られ、南気仙沼駅で降りた。


南気仙沼駅というけど、地図にある南気仙沼駅からは遠く離れた路上バス停のことだ。
気仙沼港にいくのに近いと思ったのだが、今の位置ではあまり便利ではない。乗る前には気づいてたのだが、あえてここで降りた。
そのもともとの南気仙沼駅だが、今その周辺では区画整理が進んでおり、せっせと盛土していた。
ここの区画整理が完了したら南気仙沼駅は元のところに戻るのだろうか?
気仙沼市街に入る一般道区間の渋滞を回避できるようになるのかな?
それにしても気仙沼は歩きにくい街だ。区画整理の途中ということで歩道はろくに復旧されていない。
そんな歩きにくいところを歩くと気仙沼港にたどりついた。
なんか見覚えのある建物が、と思ったら地震直後に津波に襲われる姿が映されていた魚市場の建物だった。
そのままの建物で仕事をしているようだ。壁には津波の記録が描かれていた。
気仙沼の街はボロボロだが、港は多くの漁船がおり活気づいている。魚市場もそれを支える施設の1つということだ。
ここらで気仙沼で水揚げされたという かつお を食べ、さらに気仙沼を歩く。
とにかく街はボロボロ、港に近い建物は取り除かれたか廃墟かがほとんど、
港から少し離れれば現役の建物は多いが、津波の記録を見るに浸水の被害は大きかったのだろう。
さらに歩いて鹿折へ。たくさんの漁船とそれを支える施設は生きているが、あとはひたすら盛土工事中。
道路沿いには工事事務所とプレハブの飲食店など。今は建設業の村といった感じだ。
そんな中に大船渡線の鹿折唐桑駅がある。BRTの専用道区間の駅だ。ここから気仙沼行きのBRTに乗って戻っていった。


正直、今の気仙沼は観光どころではないと思った。
けど、破壊された街、それでも港は動き続け、復活を目指して盛土をする姿は今ぐらいしか見られないだろう。
確かに気仙沼は復活しないといけないのかもしれない、と多くの漁船の姿を見て思うのだが、
途方もない盛土をした先に復興があるのかということは半信半疑で見ていた。


気仙沼から大船渡線の列車で一気に内陸に入り、一関から盛岡へ。
今日はとんでもない景色ばかり見ていたもので、一関にたどりついて少しほっとした気分になった。
盛岡はさすが南部の中心都市、仙台以来の都市らしい都市に来た気がする。
明日は旅行の実質的な最終日だ。

悲しい絶景と美しい絶景

東北旅行2日目、いわきを出て、常磐線をひたすら進み、松島を散策し、石巻まで、
こうやって振り返るとけっこうな移動だったんだな。


いわきに来るのは久しぶりだが、今回の宿は小名浜あたりで、以前来たときは平だったから比べようもない。
そんなわけでいわき駅で時間があったので平を少し散歩していた。
そんなに変わらない気もしたけど、主に建設業関係の宿泊者が増えてるのかなと感じさせるものがいくつか。
いわき市も地震の被害を受けた地域ではあるけど、
一方で周辺地域からの避難者を多く受け入れて人口が膨れ上がったところでもある。
同じ生活圏で住み続けたいと、ということで多くの人がいわき市を避難先に選んだということだろう。


いわき駅から竜田行きの電車に乗って進んでいく。
お隣、広野町の広野駅前は区画整理が進んでいた。
一時全域避難となったものの、1年以内に解除され、今は居住者が戻りつつあり、新しい町が生まれようとしている。
竜田駅はそのお隣、楢葉町にあるが、立入は禁止されてないけど、今はまだ避難指示継続中で、まもなく解除されるとのこと。
そんな竜田駅の前にバスがいる。これが原ノ町駅行きの代行バスだ。


代行バスも普通列車扱いなので青春18きっぷを見せれば乗れる。
乗客は9人、なのに運転手と車掌(バス会社職員)の2人体制となっている。車内には放射線量を測定するPCがおかれている。
バスは竜田駅を出て走っていく。車掌が「国道6号線では帰還困難区域を走りますので窓を開けるのは厳禁」と案内する。
国道6号線の帰還困難区域はバイク以外の自動車に限り通行できる。
歩行者・自転車が不可なのはともかく、バイクは排気量によらず不可というのは珍しい規制に思える。
自動車の中にいるということで放射線量が軽減されるので、安全性が保ちやすいという考えだ。
だから誰でも通過できるようになったわけだ。
とはいえ帰還困難区域に入るまではだいぶ距離があって、そこまではガソリンスタンドとコンビニが少し営業している。
とはいえほとんどの店は営業していない。それが現状である。
さらに進んで帰還困難区域に入ると車窓は一変する。枝道や沿線施設にくまなくバリケードが張られている。
認められているのは通過だけ。安全上、防犯上の都合から通過以外のことができないように封じているのだ。
所有者だっておいそれと入れないわけで地震の被害を受けたものがそのまま朽ちた廃墟が広がっている。
この代行バス、地域の足というよりは興味本位で乗る人も多いようで、写真で記録する人の姿も多かった。
途中、線量計があって1.5μSv/hぐらいの値を出していた。
有馬温泉の源泉近くで13μSv/h、だから1.5μSv/hのところに1時間というのは有馬温泉の源泉近くに7分いることに等しい、さらにこちらは車内、そんなもんだ。
そうやって1時間ほど走って原ノ町駅に到着した。


原ノ町駅があるのは南相馬市原町(はらまち)、
なんか変な気がするが駅名は原町宿(はらのまちじゅく)に由来するそう。
時間があったので原町を歩いていたが、ほとんどの店はやっているようだった。
とはいえ、建設業が異様に目立ち、大型店の一部が休業中であるのをみると、異様に思える。
街は相馬野馬追の翌日ということでその名残がある。
原ノ町~相馬の電車は封じ込められていることもあって通常の広告はなく、代わりに馬の絵がたくさん張られていた。
この車両はこの区間の運行再開のため運び込んだものだが、原ノ町駅にはそれとは別に何両かの列車が閉じこめられている。
線路がつながるまでは帰らないのだろう。(閉じこめられたが陸送で帰った車両もいるそうだが)
相馬駅から亘理駅はまた代行バスだが、こちらは生活感があった。
車窓から海側をみるといろいろ工事しているが、その中にはJRの高架橋を作っている姿がみられる。これが常磐線の移設である。
移設を予定しているからか、代行バスのバス停は駅ではなく役場などに併設されているものも多かった。
亘理駅まで来れば仙台はすぐそこ。こうして2つの代行バスを挟んで常磐線を走破した。


仙台からは仙石線で松島海岸へ、松島の景色を楽しみにきた。
夕方からだけど日がでている間は散策し放題という予定だ。
松島は松島湾に無数の島があるのがおもしろいわけだが、どこから見るかが問題だ。
まずは五大堂から眺める。確かに不思議な景色だ。
次に徒歩でアクセスできる高台、新富山から広く眺める。
今度は福浦橋を通行料200円払って渡り、福浦島からの眺めを楽しむ。
福浦島は松島では大きめの島で、その分、つきだした場所からの景色が楽しめる。
浸食で変な形になった島など、これもまたおもしろい姿が見られる。
最後に松島の眺めの中では古い歴史を持つ、雄島からの眺め。
雄島への道は津波の被害を直しているところのようでその跡が見られる。
松島は津波の被害が小さかった方らしいけど、それでも浸水はしているわけでそれなりの被害なのだ。
ともかく、いろいろな角度から松島を楽しめて満足だった。
散策し終わったら18時、松島にある店はほぼ閉店していた。


最後に宿のある石巻へ向かうために改めて仙石線に。
高城町行きの電車に当たったので、高城町で仙石東北ラインの列車を待って、これで石巻へ向かう。
仙石東北ラインの列車はいろいろな事情でハイブリッドカーになっている。
ようはディーゼルエンジンで発電し、蓄電池を活用して走るわけだからどっちかというとディーゼルカーだが。
ディーゼルカーは発車時にものすごい音を出して発進するが、ハイブリッドカーは最初はバッテリーだけで走り出すから静かだ。
ただ、が多すぎて、車内のスペースをつぶして機器を置くのはいかがなものかと。
途中、移設された線路を走り、石巻へ到着した。
石巻駅前は一見華やかに見えたが、少しわき道にそれれば寂しい。
百貨店のような建物に「石巻市役所」とかかれている。実際、もともと百貨店で閉店後の2010年に移転したとのこと。
そんな石巻で一泊し、明日は気仙沼へ向かう。

大スケールの寺

東北旅行1日目、といってもまだいわきだから関東も同然だが。


まずは成田へ向かった。ちょっと遠回りして千葉経由で行ったけど。
成田といって思い浮かべるのはなんだろう?やっぱり成田空港かな?
それとともに有名なのが成田山だろう。
関西でも寝屋川市に成田山の大阪別院があるということで名前など聞くほどだ。
そんな成田山新勝寺に行くために成田に来たのだった。
成田駅から参道を歩いていくが、意外と遠い。
15分ほど歩いてたどりつくと、なかなか立派な門やらが見えてきた。
この時点ではそんなもんかーと思っていたが、本堂を見たときにはあまりに大きくて驚いた。
ここを埋め尽くすぐらいの参拝者が来るときはすごいだろうなぁ。正月か節分か。
もう1つ大きくて驚いたのが平和の大塔だ。
一般の参拝者は1階の展示物と写経道場と2階で不動明王などにお参りできるようになっている。


一通りお参りして参道へ戻ってきた。
昼ご飯を食べようと思ったのだが、行きに気になったのが参道に立ち並ぶ 鰻屋 だ。
どうも成田は印旛沼に近く、江戸から多くの人が訪れるということで鰻屋が立ち並ぶようになったらしい。
鰻の調理を実演する店もあり、久しく鰻を食べていないこともあり昼は鰻にしようと思ったのだった。
地域により鰻の焼き方が違うのだが、東日本の調理法で食べるのは初めてな気がする。
やわらかい仕上がりの鰻は新鮮な感覚だった。


その後、成田から我孫子経由で牛久へ向かった。
牛久駅から牛久大仏へいくバスまで時間があったので、
駅前のイズミヤに入ったら、稀勢の里関を応援する旗などが多数みられた。
どうも牛久市の出身だそうで。
バスの時間が近づいたので乗り場に行くと関鉄バスがいた。つくばに行ったとき以来だな。
関鉄バスということは支払方法は現金だけ、その上、牛久大仏まで520円もする。
これ、単純に牛久大仏が駅から遠いだけなんだけどね。自家用車ならともかく公共交通だとめんどくさい。
バスでだいぶ進んだら急に大仏の後ろ姿が、まもなく牛久大仏に到着した。


牛久大仏、高さ120mという巨大な建造物だが、建てたのは東本願寺である。
といっても京都の東本願寺ではなく、東京の浅草にある東本願寺なのだけど。ルーツは京都の東本願寺だが、今は独立している。
牛久大仏の周りには牛久浄苑という墓地があり、その中には親鸞聖人らの墓である牛久本廟もある。
これらを包括して牛久アケイディアと呼んでいるよう。
なぜ牛久なのか?土地があったからというのは大きな理由だと思うが、
どうも親鸞の東国での布教の拠点が常陸国にあったからということが理由らしい。


巨大な阿弥陀如来像、ついでに仏舎利も安置されてるから塔の役目もある。
別に入れる必然性もないが、中に入ることができるようになっている。
拝観料を払うと周辺の庭園と大仏の中に入ることができる。庭園だけなら拝観料は安くなっている。
この庭園も相当大きいが、そんな中で大仏の横に伝統的な浄土式庭園があり、よくできてるなぁと思った。
それで大仏の中にはいるわけだが、1階は遊園地のアトラクションのような演出で寺らしくもない。
2階には大仏ができるまでとか、四季の風景など、そこから得れベータで大仏の胸のあたりまで上る。
外から見るとスリット状の窓があるが、そこから多少の展望が楽しめる。
ここに仏舎利が安置されている。中からみても不思議だ。
下りは3階で降ろされるが、ここには壁一面に大量の仏がいる。どうもこの仏像1つ1つに法名を納めて永代供養できるそう。
下りの2階には写経道場があった。
大仏から出ると小動物公園があり、うさぎ、モルモット、りすなどの動物と会える。
なんでそんなものが?と思ったが「親子で命の大切さを学んでほしい」という意図らしい。


牛久大仏をお参りした後、バスまで時間があったので牛久浄苑を散歩して観察していた。
いまどきのデザインという墓も多くみられる。
都市の住民にとって、新しく墓を持つのは難しいのだろう。だからこそこうして郊外に墓園を作るのだ。
こうして新しい墓を持ちたい人々がこぞって集まった結果、いまどきの墓が多く感じられたのだろう。
そんな中で少し不思議なゾーンがある。個人・夫婦墓という一代限りで33年とか50年での再利用を前提としている墓だ。永代使用もあるが。
いろいろ牛久浄苑やら牛久大仏の3階をみてて思うけど、
この施設には埋葬、供養などの悩みに応えるという使命もあるのかもしれない。


その後、水戸経由でいわき市までやってきた。
いわきに来るのは久しぶりだ。
明日は福島県を通り抜け、最終的には石巻まで行くつもり。
長い移動の中でいろいろ観察していきたい。

太平洋沿岸が再びつながりつつある

今日から再来週の日曜日までの9日間にわたって夏休みが与えられている。

詳しいことを言うと、夏休みは月・火だけで、水・木・金は有給休暇一斉取得日なのだが大した差ではない。

この夏休み期間を活用して明日から3泊5日の旅行に出かけるのでその話を。


今回の旅行の最終目的地は弘前だが、メインは東北地方の太平洋沿岸だ。

いろいろきっかけはあるのだが、この地域の足が復活してきたというのは大きな理由の1つだ。

東北地方は2011年の地震で大きな被害を受けた地域だが、その中でも太平洋沿岸の被害はすさまじいものがあった。

この地域を結ぶ交通もズタズタにやられたが、今となってはかなり復活してきている。

もちろん鉄道であったものがBRTに転換され復活されたりというのもあるが、とりあえずはそれをもって復旧としてよいだろう。

この1年でも大きな動きがあった。1つが今年1月の常磐線 竜田~原ノ町の代行バス運行開始、もう1つが5月の仙石線全線運行再開だ。

今も代行バスもなく不通が続いているのは 山田線の釜石~宮古 だが、三陸鉄道へ譲渡して復活させることが昨年末決定したので、これも大きなニュースだろう。


常磐線は東京から水戸・いわきを経て仙台に至る路線で、2011年に不通になるまでは スーパーひたち号 が東京(上野)~仙台で走っていた。

地震の影響で当初は広い範囲で不通だったが、主要幹線とあって早期に 上野~いわき あたりは運行再開をしていた。

しかし、そこから仙台方面は津波による被害がひどかったが、それ以上に問題だったのが福島第一原子力発電所周辺で、

このあたりは調査もままならないし、当初は道路を通過することもできなかったので、代行バスの運行すらない状態が長く続いた。

元々、福島県の浜通りは常磐線が南北を縦貫するように走り、南は東京・水戸、北は仙台とつながっていたのだが、

いわき市周辺と相馬地域が分断され、いわき~仙台 や 福島~相馬・南相馬 のバスが多く利用されるようになるなど、中通りを介した移動が中心となった。

そんな中、国道6号線の一般車両の通過が2014年9月より認められるようになり、代行バスの運行が可能になったということで、

2015年1月より代行バスの運行が開始された。地震以来初めて、浜通りの南北を結ぶ公共交通が復活したのだった。

ただし、1日2往復で途中駅はノンストップという状況だが。

常磐線が3年10か月ぶり「全線運転再開」へ。代行バスが竜田~原ノ町駅間で運転開始。上野~仙台は普通列車で約9時間  (タビリス)

今回の旅行ではこの代行バスを組み込み、いわき~仙台を移動する予定になっている。

乗換の都合、南相馬市の原ノ町駅で1時間ほど待ちぼうけになるようなので、周辺を散策するつもりでいる。

ちなみに原ノ町~仙台だが、原ノ町~相馬は2011年中に鉄道での運行が再開してるが、実はここだけ孤立していて、

相馬~浜吉田は鉄道としては現在も不通となっている。この区間は移設の上、2017年に復活する予定となっている。


もう1つ、大きなニュースと書いたのが仙石線の全線運行再開である。

仙石線は仙台と石巻を結ぶ路線で、実は仙台市内の地下区間は東京の銀座線よりも古かったり、かなり歴史ある路線だったりする。

海沿いを走るということで津波の被害を受け 高城町~陸前小野 が長期不通となっていたが、移設により復活を果たした。

かつて、仙台~石巻を通しで走る電車が毎時2本あったほどなのだが、不通期間は大変な不便があった。

代行バスを利用すると時間もかかったから、JRとしても東北本線経由のノンストップ列車を走らせたりしていたが、相当数がバスに流れたんじゃないかな。

そんな仙石線の全線復活に際して、東北本線塩釜駅と仙石線高城町駅を結ぶ接続線が作られ、

仙台~石巻で仙台側は東北本線、石巻側は仙石線を走る、仙石東北ライン系統が新設された。直通列車の半分程度がこちらでの運行になった。

今回の旅行では仙石線沿線にある日本三景の1つ、松島を観光しながら、仙台~石巻を移動する予定となっている。

石巻からはさらに北上し、BRTで復活した気仙沼線を経て、気仙沼まで行くつもりだ。


いわき~仙台~石巻~気仙沼のルートは早い段階で決めていたが、前後のルートはいろいろ悩んだ。

南側についてはいわきに至るまでに成田山と牛久大仏を経由することにした。

成田山はこの機会でなくても行っただろうが、牛久大仏はこういう機会でもないと行かないかなと思って組み込んだ。

北側については 気仙沼からは内陸に入り、盛岡で一泊し、弘前に行くことにした。

1年後に実施される青森県・函館ディスティネーションキャンペーンのポスターを見て、なんとなく弘前に行きたくなったのだ。


弘前まで行ってしまったら、そこから関東方面に帰る手段はノクターン号だと思った。

なぜ3泊5日なのかというと弘前→東京が車中泊だからだ。最後の最後でこういうのを持ってきた。

ノクターン号は日本全国に夜行高速バスが走るきっかけになったバスだが、予約システムの使い勝手が悪く、正直困ってしまった。

京急バスのシステムでなんとかWebから予約できた。

復路のノクターン号を除けば、今回の交通手段のほとんどはJRだ。

当初は普通乗車券のつもりだったのだが、BRTを通過する乗車券の発売要件が謎だったり、ただ きっぷを買う ということが難しかった。

そこで気づいたのだが、今回、特急を使う区間がないのよね。じゃあ、青春18きっぷ なら何も悩むことがない。

というわけで 大半は青春18きっぷ を使うことにして、今日買ってきた。

5回分のうち4回分を使い、残り1回は売却するつもりでいる。結果的には往路はかなり安上がりになりそうだ。


富士山から帰ってきて中一日でそこそこ大きな旅行ということで、大丈夫かいなと思っていたが、

山登りに比べれば軽装だし、多少脚は痛くとも、体力の回復は十分だろう。

元々、夏休みのどこに旅行を入れるかは悩んだのだが、夏休み後の事情を踏まえて後ろを空けることにした。

それでも中二日空ける案もあったのだが、牛久大仏行きのバスが平日は少ないので、1日目を日曜日にしたかったというのもある。

まぁなんとかなるやろという読みだったのだが、とりあえずなんとかなりそう。

富士登山に必要だったもの

おととい、昨日と富士山に行ってたのはよいが、

さして役立ちそうなことも書いてないので、消費というところに着目して書こうと思う。


まず、今回の研修に際して会社で用意したもの。

1つ目、富士宮口五合目までの貸切バス、まぁ登山口までの足がないとどうにもならんわな。

富士山の登山コースもいろいろあるけど、どこをスタート地点にするかはいろいろあるわな。

貸切バスというのは上の方の駐車場も使えたり自由度が高いが、自家用車ではP&Rが必要だったりするのでそれはそれで複雑だ。

公共交通でのアクセスだと一番本数が多いのは富士山駅・河口湖駅~富士スバルライン五合目、吉田ルート用のバスだな。

富士山駅・河口湖駅へのアクセスへのアクセス含め、関東方面からだと一番便利なのはこれなんだよね。だから登山者が多いんだろうが。

次に多いのが新富士駅・富士駅・富士宮駅~富士宮口五合目のバスで、名古屋・京都方面から新幹線接続でこれが便利なんだろうね。

関東方面からあえて富士宮口というのは正直なところ驚いたのだが、スタート地点の標高が高く、距離が短いという長所を重視した結果だろう。

2つ目、プロのインストラクターと社内の登山愛好家の引率だな。

特にプロのインストラクターの計画・指導・ペース配分などなく、不十分な準備で登るのは無茶というものである。

富士宮口五合目を起点とするのも、インストラクターの指導だろう。

3つ目、山小屋での宿泊の手配、1泊2日での登山だからそういうのは必要だわな。

宿泊に限らないけど、山小屋というのはあの位置にあることが価値のほぼ全てだわな。

もちろん物資搬入や出退勤など、易しい商売ではないのはわかるけどね。

夕食の提供、朝食の配給、屋根付きのところで寝させてくれて、ついでにトイレもある。それがほぼ全てだわな。


次に出発前に自分で用意したもの。

服装はハイキングならケガ防止のため長袖、長ズボンだろうというのはともかく、

通気性に優れた長袖のシャツがないので、長袖のパーカーを買ってきた。当然、平素より活用するが。

夏だから暑くなることもあるが、一方で富士山は標高が高いので、夏でも寒く、真冬並みの装備が必要な場面も想定されるので、けっこう複雑だ。

靴は底が薄いのしかないから買った。予備用として活用してもいいし、野外活動一般に役立つだろう。公園で遊ぶときもそうだけど。(cf. バーベキューを富士山の火山灰が襲う)

靴の口をカバーするものも買ったが、ルート次第ではとても重要だったのかな。富士宮ルートでも多少は役立ってたんだろうか?

あと、ヘッドライトも購入した。2日目にしてもご来光を見てから出発だったからそこまで活用しなかったが、登山一般に必要なものだろう。暗くなると怖いからね。

野外活動のみならず防災用としても常備して活用したい。

まぁ服装関係はあるものを活用して、安全面から欠けないものを足してなんとかというところ。天候にも恵まれ使わなかったけど、カッパもあったしね。

あ、けど手袋は今回の登山で破損したから、冬までに新しく買わないとな。

食べ物関係では、1日目の昼食としておにぎり、行動食としてミニドーナツ、2日目の昼食として魚肉ソーセージ、パン、

けど結局2日目の昼食はまとまって取る時間も無くて、パンは一部しか食べなかったな。

それと水分としてお茶を500mL×3本、1本は予備のつもりだったが、2日目に2本飲んだから、結果的には助かった。

道中不足するものはなかったので、山小屋の高価な品物に助けられることもなく往復できた。

2011年に富士登山した弟は「登るごとに高くなっていく飲み物の値段を見るのが楽しい」とか言ってたけど、

こういうのもセーフネットとしては大切なんだけど、通常往復できる程度の装備は準備して出かけられたのはよいことかなと思う。


最後に道中での消費だが、お金を落としたのはトイレぐらいだ。

富士山の環境保全というところで1つ重要なのがトイレである。

なにぶん登山者の多い山、人が及ぼす環境への影響で、一番大きく、一番回避できないのがトイレだろう。

こういう環境にあるということで使用料が必要で、山頂以外の山小屋のトイレは1回200円、山頂のトイレは300円とのこと。

トイレそれぞれに硬貨投入口があって、お金を入れると開く仕組みになっている。

宿泊した山小屋では宿泊料に含まれているようだが、それ以外では往復1度ずつお金を払ってトイレを使った。

ちなみに下山時のトイレについては富士宮口は往復同じルートということでアクセスがよいのだが、

往復のルートが違うと下山路は山小屋がなくてトイレが少ないらしい。意外な盲点だ。

あとは、下山時に気づいた 富士山保全協力金、いわゆる入山料と言われているものだが、1000円払った。

世界遺産 富士山とことんガイド/寄付金の受入について (静岡県)

静岡県と山梨県で独立して徴収・支出しているらしい。

静岡県側について言えば、徴収したお金の使途のうち、2割は実施経費、4割は登山者の安全対策、4割は環境対策、といってもトイレ改修など登山関係のものが多く、

登山者の利益になる取り組みが大半と考えると、かなり良心的な制度だわな。

まずは納得して協力してもらえる制度を意図したのだろう。


そんなところですかね。

登山道の整備など安全に登山できる環境は整っている山だけど、それなりに用意はいるのだ。

技術者の職場らしく「ご安全に!」とか言ってたけど、そういう心構えで準備をして、登山にあたるのが肝心だ。

本当はその準備にもう少し時間をかけさせて欲しかった、というのが周りを見てて思ったことかな。

僕は研修スケジュール的には時間に余裕がある方だったけど。

特に傾斜が急な富士登山

昨日の出発前にこれから富士山に行くと言うことを書いたが、

無事に帰ってきたのでとりあえず走り書きでも。


今回の富士登山のスタート地点は富士宮口五合目だ。

富士宮ルートは静岡県側のルートの1つで、山梨県側の吉田ルートについて登山者が多いとのこと。

このルートの特色は頂上までの距離が短いこと。一方で傾斜が急という難点もある。

このデメリットは特に復路で問題だった気もするが、他のルートで登頂したことがないのでなんとも言わない。

昼過ぎに五合目より登山をスタートして、六合目、新七合目、元祖七合目と進み、八合目の山小屋に17時ごろ到着し一泊した。

五合目あたりが森林限界ということで、ここからは はげ山に低い木や草が生えている程度だが、それもまばらになり、八合目では植物がごく少ない。

山登りとしては八合目手前あたりで斜面が急になり、たいへん苦労した人もいた。

ともかく、八合目で一泊、ご来光を見るまで寝ることに。晩ご飯としてカレーライス、朝ご飯としてパン・牛乳・ソイジョイが配給され、

寝床は、二段組のところに寝袋で寝るような具合で、やることもなく、夕食後しばらくして寝た。

1日目は出発直前こそ小雨で視界も悪かったし、寝ているときに雨が降ってきたものの、歩いている間は視界も通り、暑くなりすぎることもなく運が良かった。

もっとも八合目から上は視界が通らず、頂上は見えなかったが。けど八合目からスタートの五合目も見えたから、ここまで登ってきたんだなという実感はある。


2日目は朝5時頃起床、山小屋の外に出てみると、雲の間から日の出が見えそう。

ご来光らしいかはともかく、曲がりなりにもご来光が見えて幸いだった。

2日目も雨はなかったが、視界は悪く、雲の中を歩いてるんだなというところもあった。

5時半ごろから頂上に登り始め、進むにつれて険しくなる道をせっせと進み、九合目、九合五勺と細かく区切られた山小屋を目印に進んで行った。

その後、富士宮ルートの頂上に到着し、そのうち1/3ほどがお鉢巡りへ、1/3ほどが富士山の最高峰である剣ヶ峰往復、1/3がそのまま引き返した。

僕は剣ヶ峰だけ往復し、かつての富士山レーダーを思い浮かべつつ、無人化された測候所、三角点、電子水準点を見て、引き返してきた。

1つ心残りなのが、富士山から郵便を出せなかったことだ。

本当は富士宮ルートのゴールである浅間大社奥宮にあるのだが、実は2013年より臨時移設中で今は御殿場口ゴールの山小屋にあるのよ。

お鉢巡りしていればそこも寄れたのだが、なにぶん往路からして時間のかかりすぎで、お鉢巡りなんかしてたら筆を走らせる時間もままならない状況だった。

復路はさらに時間が押し、到着は想定より2時間遅れの15時ごろだった。

富士登山というと下山路が別にあり、下山路は滑るように降りるものだと聞いたことがあるかも知れないが、

富士宮ルートに限れば全く異なり、往復同じ道を歩き、そもそも急峻で、滑るように降りることはありえないルートとなっている。

ゆえに復路も往路よりやや短い程度で、それなりに時間がかかったのが実情である。

もっともスケジュールは標準所要時間を元に組まれているわけで、それより時間がかかったのはルートの性質ばかりではないだろう。

出発時、天候が悪く、いわゆる入山料への協力の呼びかけに気づかなかったが、復路ですれ違う人がシールを貼ってるので、

下山後に1000円投げ込んで、シールと缶バッジをもらった。感謝しつつ、富士登山の記念品を得たのであった。


その後、さらに渋滞に巻きこまれ、余裕時間はことごとく食いつぶされ、到着は所定の2時間半遅れだった。

ただ、幸いなことに、参加者全員が登頂でき、靴擦れぐらいはあれど、大きなケガもなく無事に帰還できてなにより。

帰宅して、寮の狭い風呂では癒しもクソもないと、近所の銭湯に出かけた。

徒歩圏にあって、物価統制令価格で入れるが、シャンプーなどないことを知らず、残念な気持ちになりつつも、

熱すぎるお湯の広々とした湯船で多少はくつろげた。


とにかく疲れたが、あさってから旅行に出かけるので、明日で休息と準備を充足しなくてはならない。

さしあたっては洗濯だ。昼寝はしてもよいが、そこそこで起きないと乾かない。

富士山にいくといわれて

今日、明日と出張なのだけど、この出張先というのが富士山である。
むやみに出張先を言うもんではないけど、問題はないだろう。
業務ではなく、研修で登山するだけだしね。


富士山に登るということが伝えられたのは1ヶ月前ぐらいだったかな。
それから準備について考えていたのだけど、
研修でいろいろばたばたしてて十分な準備ができたかというとなんとも。
まだ僕は準備する余裕があって、なんとか登山に堪える靴を買ったり、
足元から石などが入るの防ぐカバーを買ったり、長袖の服をまともなのを買ったり、
すでに持っているカッパなどとあわせ、なんとかなるかなぁと思っているが。
なにもないからレンタルという人も多かったが、
店の人のアドバイスとあわせ、賢い選択だったのかもしれないが、
けっこうな金額するのね。備えがないことに危なさを考えればやむなしだが。


弟が富士山に登ったときは事前に訓練を行い、入念な計画の上実施してたが、
まぁ社内の登山愛好家などの支えでなんとかなるかなぁというところ。