諫早駅前には赤いバスがたくさんいるが、これは長崎県営バスである。
県営バスというだけでも珍しい気がするが、高速バスまでやっており、こっちは白いバスだが。
ここから島原鉄道に乗る。JRとは改札口の場所はだいぶ違うがホームは横並びらしい。
島原まできっぷを買って、現金で買うのだが1750円とはだいぶかかるなと。
諫早駅から汽車に乗り込むと、次の本諫早駅で乗客の半分ぐらいは降りてしまった。
島原鉄道というのは私鉄としては長い歴史を持つ会社のようである。
創業時は鉄道省から譲ってもらった蒸気機関車で引いていて、現在は さいたまの鉄道博物館で保存されているらしい。
島原駅に到着すると雨で、カッパを着て走り出すが、最初の目的地はすぐそこで島原城である。
島原城の天守は明治時代に撤去されたが、後に再建されて博物館になっている。
中身はともかく外見は当時のものを再現していて、特徴として破風がなく直線的と書かれているが、確かに直線である。
博物館としてはやはりキリシタン史料がもっとも充実しているということなのかな。
日本にキリスト教が伝来し、キリシタン大名なんていうのも出ていたが、これは貿易上の実利を考えての選択という側面もあったようだ。
キリスト教としても教育に力を入れて、それが日本とヨーロッパの国際交流に果たした役割というのは大きいのだろう。
今でこそ日本は先進国として認められているけど、初期にはキリスト教伝来というのが大きかったのだろうなと。
日本としても基本的には多神教なわけだから、キリスト教というのも全く相容れないわけではない。
ところが当時の支配者にとっては不都合なこともあり、キリスト教への弾圧はだんだん強まっていく。
そんな中でもマリア観音だの、キリスト教の信仰を続ける人はいた。このあたりの言い訳も日本らしい話だが。
そんな中で起きたのが島原の乱で、このあたりはまた改めて。
その後のキリスト教弾圧を物語る、絵踏とか宗門人別帳なんてものも置かれていた。
いろいろ見ているうちに雨が止んで、雲仙岳もきれいに眺められるようになっていた。
島原大変の原因となった崩落跡が見えると書かれていて、このときはよくわからなかったが、確かに何かあるような気がする。
そんなわけで出発して南下していくわけだが、その途中で山肌がえぐり取られたようなものが見えた。
このえぐり取られた山が眉山で、この崩落した土砂で島原の地形は一変したという。
なにより、この崩落した土砂が原因で山津波が起きて、これによる被害が甚大だったという。
それは島原だけでなく、その対岸の肥後にも及び、これを指して「島原大変肥後迷惑」というようになったそう。
一体なぜこんな崩落が起きたのか。よくわからない部分もあるようだ。
で、しばらく走って がまだすドーム に到着した。これは1990~1996年の雲仙岳噴火災害の伝承を目的とした施設である。
雲仙岳噴火の被害はいろいろあるけど、人的被害という点で最も大きかったのが1991年6月3日の火砕流、死者・行方不明者43名という大きな被害を出している。
火山というのは火山性地震の増加など、火山活動の活発化を予期することはできる。ここで避難して人的被害を逃れた例は多々ある。
このときもすでに火砕流が多発しており、住民の多くは避難していたようである。
ただ、当時は今ほど遠隔での観測手段に乏しく、報道関係者、火山学者、消防団員なんていうのが危険なエリアにいたわけである。
今なら無人のドローンだとか、遠方から高精細カメラでの撮影だとか、いろいろ手段はあるのだが……
この結果として大規模な火砕流に巻き込まれてしまったというわけである。
報道関係者に退避を呼びかけた警察官らが犠牲になったことから、危険なところで撮影を続けた報道関係者を非難する向きもあるが、
しかし、火砕流をこうして撮影できるということがこれまであまりなく、火山活動を理解する上で役立った側面はあるのだろう。
このあたりの成果と火砕流による犠牲は当時としては表裏一体だったのかなという気がする。
その後、砂防事業を進めていく中で二次被害を防ぐため無人機械の導入が進められた。
これは世界的にも先進的な事例で、雲仙岳から学んだことは危険なエリアで作業が必要なら人は入れないということだったのだろう。
ところで「がまだす」って何なんだ? 調べると島原の言葉で 頑張る という意味らしい。復興への決意を示した言葉だったのか。
火砕流・土石流が押し寄せた水無川を越えると南島原市に入る。
すると土石流被災家屋保存公園というのがある。土石流で屋根以外ほぼ埋まった家屋が残されている。
火砕流はガス・火山灰・岩などが押し寄せる現象だが、土石流は土砂が雨などで押し流される現象で、
火山噴火後はすこしの雨でも不安定な土砂が押し寄せ、下流は大惨事だったようである。
なかなかここまでの土砂災害は想像できないが、火山が噴火するとこういう形で広範囲に被害が及ぶと。
南島原市に入って次の目的地までの距離を見て、21kmとか書かれていて遠いな……と思った。
ずっと走って、途中で電池交換もあって、到着したのが原城跡である。
「世界遺産センター整備」と書いて工事をしていたが、この原城跡は世界遺産の構成資産である。
何の世界遺産かというと「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」である。
ここは宣教師不在の時代のスタート地点である天草の乱が起こった土地だからである。
島原の乱はいろいろな側面があるが、最大の原因は重税のようである。
キリスト教への弾圧もひどく、棄教を迫り、地獄(熱湯の温泉のこと)に突き落とすなんてことも行われていたとか。
そういう中でキリスト教が定着していた南島原では相当な不満が溜まり、農民らが結束を強めたという。
そうして当時は建物も残っていた原城跡に立てこもって一揆が行われたという。
国道沿いに停めて歩いて見ていたが、高台に広い空間があり、立てこもるには好都合だったのだろう。
島原の乱の後、城の建物は撤去され、石垣も壊して埋められるなどしたという。
その後の発掘調査で壊れずに残った部分は復元されたので、現在は城の形を相当見ることができる。
ところでこの原城跡はジオサイトでもある。阿蘇山の噴火物が流れ着いてできた土地らしい。
近くには有馬キリシタン遺跡記念館というのがある。
この有馬というのはキリスト教の教育機関であるセミナリヨが設けられるなど、日本のキリスト教にとって重要な土地である。
そういう教育という側面の足跡、そしてその後の島原の乱のことを紹介している。
現代に残るものという点では島原の乱のものが主になるけど。
原城跡の破却の際には遺体もそのまま埋め込まれたらしく、発掘調査では人骨が多数出土したそう。
他の合戦場だと遺体を埋められてしまうということはそうそうないようで、なりふりかまわず滅却されたことが見て取れる。
そこにはキリスト教の信仰を示すメダイなどもあったそうで、この一揆の背景にキリスト教があったことを示して居るとも。
ここまで来ると、島原でのゴール地点は近くて、口之津港に到着。
口之津港でバイクを畳んで、建物内できっぷを買うが、改札は船の手前でするからきっぷ売り場だけ建物内という感じ。
袋に入れて自転車を運ぶ場合は徒歩客としてきっぷを買えば大丈夫で560円である。
特殊手荷物として自転車を乗せればほぼ倍、実際にはこれは原付だからそうすると3倍になってしまう。
フェリーから降りてくる車はそこそこいて、その中には自転車もいた。押し歩きじゃなくて船内から自走なのか。
逆に天草方面に乗る車はわずかだった。このあたりは偏りもあるのかな。よくわからないけど。
客室は2階なのだが、袋は車両甲板に置いていってもいいよと。運ぶと大変なのでありがたいことだが。
一番前に座ることが出来て眺めがよい。30分と近いこともあり出発からまもなく目的地が見えてた。
というわけで天草下島の鬼池港に到着、降りる方は車両用のタラップからだった。
ロープで歩行者用の通路を区切っているが、荷物を持ってここを通るのはなかなか窮屈である。
バイクを組み立ててここから宿のある本渡まで走って行く。
島に着いての最初の感触は佐渡のようだなと。離島と言っても離島らしくないというか。
ここは架橋離島だからあまり離島という感じはないのは当たり前なのだけど。
特に本渡は一般的な市街地という感じである。
電池は持つか心配していたが、無事宿まで持って、本日の走行距離は58km、長かったなぁ。
夕食を食べに行くときに周辺を少し散策していた。
本渡の市街地は主に下島側にあるが、本渡瀬戸という川のような海峡を挟んで天草上島にもまたがっている。
その両岸を結ぶ橋は本渡瀬戸にかかる橋だから天草瀬戸大橋、備讃瀬戸の瀬戸大橋よりも古いし、こっちは正真正銘1つの橋である。
ただ、この橋1つしかないことで渋滞が多発していたため、熊本天草幹線道路の一環で新しい橋が架けられた。
あと、実はもう1つ橋があって、それが可動式の歩道橋である。自転車も通れるが歩行者に合わせて右側通行である。
自転車歩行者専用道路の標識があるため特定原付も走行可能と判断して自走していったが。
一応、この標識がある道路は車道という位置づけではあるが、自転車が中央を左側通行、歩行者が端を右側通行というのは現実的ではないので、
歩行者に合わせて自転車も右側通行して、無理に追い越したりしないでねということなのだろう。
二輪の押し歩きも可能で、ちょうど渡ろうとしたら押し歩きのバイクが渡り終えたところだった。
そんなこんなでやってきた天草である。
明日こそ電池持つか心配だが、今日はフェリーに乗り遅れると本渡に来られない心配はあったが、
明日はそういうことはないので、最悪押し歩きでもなんとかたどり着けばよいとも。
おそらく大丈夫だとおもうんだけどね。