山の神戸と兵庫と海の神戸

今回の関西行きでは珍しくも神戸に出かけることにしていた。

ここからだとちょっと遠いけどたまには行きたいなって。

ただ、そこまで具体的な行き先が決まってたわけではなく土日に調べてたんだが。


神戸行きに使ったのが「神戸街めぐり1dayクーポン」である。

これ、あまり安いと思ってなかったのだが、三宮までの単純往復で元が取れることが判明。

あまり安いと思ってなかった理由は800円分の施設利用券をセットにしているという印象から。

すなわち鉄道だけでは元取らせないぞって。でも案外そうでもなかった。

三宮までの往復より安くて、神戸市内フリー区間と施設利用券が付いてくるならお得だねって。

そんなわけで近鉄から阪神なんば線経由で三宮まで。


で、施設利用券をフル活用するなら800円以上かかる施設に行くとよい。

そこで向かったのが布引ハーブ園である。利用券が使える施設では最高額クラスである。

1800円というのはほとんどロープウェイ代ですけどね。一応片道だと安くなる。

マップを見ると往復券があれば、中間駅~山頂駅を何度でも乗れるというから往復で正解ですね。

ロープウェイからは布引の滝が見えた。上がるごとに神戸都心がだんだんと遠くなり、ポートアイランドがよく見えてきた。

ハーブ園というからよっぽど香りがよいかと思ったが、そこまででもなかった。

そりゃ葉や花が香る植物ばかりではないからな。ほんのり香る感じ。

見て美しいのは言うまでもなし。ハーブについて学ぶことも多い。


外国人客も多かったが、確かに布引ハーブ園は神戸らしいところかもしれない。

神戸というのは都市と山が近いというのが開発する上では困った話だが、

一方で天然資源には恵まれた土地であり、六甲山の向こうの有馬温泉もその一例か。

こういう都市に近い自然をうまく生かしているのは神戸らしいなと改めて思った。

布引ハーブ園なんて新幹線の駅の裏からロープウェイで上がるんだからね。

その新幹線駅がトンネルとトンネルに挟まれたトンデモ立地というのはともかく。


ところで神戸は開港地として発展した経緯があるが、本来開港を約束したのは兵庫である。

その兵庫ってどんな港だったのか学べる施設が最近出来たという。

というわけでフリーきっぷを使って地下鉄海岸線に乗り中央市場前駅へ。

下車すると中央市場があるが、それを左に見ながら進むと「兵庫県立兵庫津ミュージアム」がある。

2022年11月開館というからかなり新しい。


この博物館が兵庫県の施設である理由の1つが初代県庁にちなんだ施設だから。

元々このあたりには兵庫陣屋→兵庫奉行所があった。隣接するイオンモールの建設時に発掘調査もされたとか。

で、この兵庫奉行所を転用したのが初代兵庫県庁だったというわけ。

この初代県庁の復元建物と、兵庫津の歴史をたどる博物館を合わせた施設になっている。

平安時代までは大輪田泊と呼ばれ、鎌倉時代以降は兵庫津と呼ばれたそうだが、

水深が深く、和田岬が防波堤になるというのが港に適していたわけである。

西国街道で京との往来も便利で、瀬戸内海と京をつなぐ接点として栄えたようだ。

そういう話を聞くと大坂が天下の台所と言われたじゃないかと思う。

確かに大坂は瀬戸内海を通じた海上輸送を背景として商業都市として発展したが、

河川港ということで大型船が直接入ることができず、小型船に載せ替える必要があった。

この点では兵庫の方が海上輸送面のメリットは大きく、国際貿易の拠点にもなった。


大阪は市内の水運は失われたが、現在も天下の台所と言われた時代の都市構造のまま商業都市として栄える一方、

現在の兵庫からは貿易港として栄えた姿はほとんど想像できない。

これは開港地になった神戸にその機能の多くが移ってしまったから。

明治以降、兵庫はすっかり新しい港町、神戸に生まれ変わったのが実情だろう。

兵庫津ミュージアムで紹介される兵庫の歴史は開港前後で途絶えている。

その先は現在の兵庫県に至るまでの歴史が主に紹介されている。

初代兵庫県庁こそ兵庫にあったが、早々に神戸に移転している。

初代県庁もその機能はほぼ検察ぐらいで……江戸時代はそれで足りたのかもしれないが。いかにも仮の県庁だったことはわかる。


兵庫県というのは旧国で言えば主に摂津・播磨・丹波・但馬・淡路で構成され、

県全体でのまとまりに弱く、摂津は大阪府、丹波は京都府にもまたがる難しさもある。

どうしてこの形になったかというと兵庫(神戸)が開港地になったからこそで、

そのルーツをたどることは県の歴史そのものだという意図があったのだろう。

文化財らしいものはあまりないけど、知っておくことは意味があるだろう。


さて、ここから海岸線でみなと元町駅まで乗車。

メリケンパークで「BE KOBE」のモニュメントを見る。大賑わいである。

クルーズ船が停泊していてびっくりしたが、中突堤にもターミナルがあったんですね。

ここからポートアイランドを見ると、人々が暮らす人工島であることが感じられる。

上から見ると港湾機能のための人工島に見えるけど、実際はかなり生活感の強い島である。

ここに来たのはこの後に行く目的地にちなんでのこと。


ここからポートライナーの駅まで歩いてポートアイランドへ。

ポートターミナルにも客船がいた。飛鳥IIだった。中突堤と2隻のクルーズ船がいたんですね。なるほど。

フリーきっぷでポートライナーに乗れるなら行きたいところがあった。

それが ポートアイランドしおさい公園 に設置された「BE KOBE」である。

こちらはメリケンパークの対岸にあたり、文字がくりぬかれた形をしている。

メリケンパークのBE KOBEをくりぬいた残りということである。

いろいろ段取りが悪くすっかり日没後になってしまった。

みなとじま駅を下車して、長い歩道橋を渡り、神戸学院大学の前に。

ここから大学と大学の間にある道路を通ると公園に入る。暗くて仕方ないが。

ただ、モニュメントだけはライトで照らされていた。夜もそれはそれでよかったのかもしれない。

確かにメリケンパークの対岸だった。この角度からみる神戸港も面白い。


三宮に戻ってきて阪神電車で帰る。

野球観戦の人とぶつかるかと思ったが、試合開始後だったので関係なかった。

近鉄で事故があったようで、快速急行の運転取りやめは仕方ないとして、

桜川駅でなかなか出発できなくてなんでだろと思ったら、

近鉄の乗務員がいなかったようで、難波からの電車が到着すると、

小走りで移動する近鉄の乗務員がいて、まもなく発車。バタバタしていた。

ともあれこれで関西滞在も明日帰れば終わり。

仕事終わりの焼肉経由奈良行き

今日は午前中だけ仕事をしていた。親の自宅から在宅勤務と。

これ自体は今までも何度かやっていることではあるけど。

意図は2つあって、1つは月曜日だとやっている施設が限られるので、

そうなると目的地は会期内無休の正倉院展がよいだろうとなる。

この場合、午後から出かければことが足りるという考えがまずあった。

もう1つは連日休暇で問い合わせなどの対応が滞ることを心配したこと。

もちろん代わりに他の人がやってくれることを期待しているのだが、心配もある。

休暇の中日に半日でも働けばなにかあっても対応できるのではないかと考えたと。


仕事については大きな問題は発生してなかったが、小さな話がいくつかたまってたので処理してた。

そして午前で仕事を終えて、小走りで駅に行って電車に乗り込んだ。

これ、昼食の都合である。

希望としては電車に乗るまでにサクッと昼食を食べられればよかったのだが、

駅までの道中には飲食店も食料品店もない。(迂回すればあるけど徒歩では……)

ただ、電車に乗っても駅構内で食べられる店もそうそうない。

でも、奈良には改札内の店がすごく充実した駅がありましたね。西大寺駅である。

いろいろ計算した結果、これが一番スムーズだと昼食は西大寺で食べることに。


その西大寺で以前から気になっている店があった。焼肉ライクである。

これまで見ることはあっても入ることがなかった店である。

焼肉のファストフード、1人焼肉専門というそんな店である。

西大寺に出来たのは2022年1月だからもう2年近いのだが、初めての人が多いようで店員からシステムの説明を受ける人が多い印象。

気になるがなかなか入る機会がなかったという人は珍しくないんだろうな。

1人焼肉専門とかいいながら、2人用の席もあった。


ご飯・キムチ・スープ・肉のセットを注文して、希望によって肉を追加するという食べ方で、

各席に取り付けられたタブレットで注文をしたら、受取口で受け取って、それを焼いて食べるという形である。

おおざっぱに言えば肉を渡すだけ店員がやって、それを受け取って調理するのは客、

その後の片付けがそこそこ面倒な気はするが、特別なのは網交換ぐらいか。

ファストフードとはいえると思うが、肉を焼くので滞在時間はそこそこで、結局は30分ぐらい店にいた気がする。


肉のファストフードという点では吉野家と重なるところはある気がする。

ご飯がおかわりし放題と聞くと、吉野家の定食メニューと重なる気もする。

肉だけ出して自分で焼くというところが大きな違いだと思うが。

その肉も焼肉店と言われると種類は限られる気がする。

限られる種類の中で好きな肉を少量から足せるのは焼肉店のスタイルなんだろうが。


さて、食べたら奈良行きの電車に乗って奈良公園へ。

全体としては外国人観光客が多いなとか、学校団体が多いなと思うが、

奈良博に近づくと少し雰囲気が変わる。

今回、僕は奈良博プレミアムカードを持っているため、日時指定の券を買わなくていいとのことである。

(当日でも なら仏像館の窓口で会員になれるので、当日会員になれば思い立って見られるけど……そんなのは少数派か)

次の時間帯の人が列を成しているところをすり抜けて館内に入った。

そんなタイミングなので前半はゆったり観覧できたのだが、後半は後ろから来た団体客もあって相変わらずの混雑だった。


今回の正倉院展の出品リストを見て、初出陳マークが付いているのが、

だいたい展示の中央付近にあるらしいと。文書以外で何が初出陳なんだろうと。

気になって見てみると、なんと厨子の部品だった。組み上がらないのでバラバラにして展示されている。

確かにこれでは展示する意味が乏しい……でも今回展示されたことには理由がある。

長年の研究の結果、厨子がどうやって組み立てられていたか判明したのだという。

発表されたのが2023年、本当に最近の研究成果である。

正倉院紀要 (宮内庁)

ここに「第45号 正倉院漆六角厨子復元考察」として発表されている。

内容を見ると復元を念頭に置いた調査だったようで、やはり不足部分はかなりあるようで、

そこを埋めて復元するとなればさらなる調査が必要そうである。

十数年後には復元された厨子が再度出陳されることもあるかもしれない。


もう10年以上通っていると、前も見たなというのはあるんだけど、

まだまだ初めて見る宝物も多くて、興味深いですね。

なんやかんや言ってもこの時期も奈良は外せないなと思ったのだった。

VISONというリゾート施設

昨日、親に「VISONに行くんだけど付いてくるか」と唐突に言われる。

そんな市内のスーパーに行くかのような言い方だが、そんな近いわけはない。


VISONは三重県多気町にある「商業リゾート施設」である。

ホテルとショッピングモールが一体となった施設って意味なのかな。

まぁ単純にリゾート施設と考えてもいいと思うんですけど。

そもそも多気町ってどこやねんという話である。

伊勢自動車道を走り松阪を過ぎて、伊勢まで向かう途中に、

熊野方面へ向かう紀勢自動車道が分岐する勢和多気JCTがある。

ここで分岐してすぐに勢和多気ICがあるが、この出口の真横にVISONの入口がある。

かなりの山奥だが、高速道路の利便性はよいと言える。

なお、公共交通の場合は熊野方面へ向かう高速バス・一般路線バスが停車するのと、

伊勢市内~VISONの高速バスも設定され、公共交通でも高速道路での利便性の高さは生かせるようだ。


駐車場には車が止まっており盛況である。なぜ駐車場が砂利なのかわからないけど。

VISONはいくつかのエリアで構成されている。かなり広い。

崖に貼り付くようにホテルがあるが、宿泊施設という側面がまず大きい。

ヴィラとして1棟単位に分かれた客室もあり、こちらは犬を連れて宿泊できるという。

まずマルシェヴィソン、食材の販売・イートインがあり、BBQもできるようだ。

スウィーツビレッジ、その名の通りスイーツの販売や喫茶店があるのだが、

ビニールハウスが2棟あって、それぞれカカオとイチゴを栽培してるよう。

栽培と食の関わりもこの施設の特徴で、他のゾーンにもある。

サンセバスチャン通り・アトリエヴィソンにはミュージアムを備えた店舗がいくつかある。

サンセバスチャン通りという名前はスペインの都市で同都市の飲食店が入居しているという。

あと、ここの建物には「旅籠ヴィゾン」という入口がいくつか付いていて、

なんだこれ? と思ったら建物の2階部分がホテルになっていたようだ。

入居している店とインテリア面でコラボレーションしているようだ。

和ヴィソンには加工食品の販売・イートインや飲食店が入居しているという。


VISONのモデルとなったのは湯の山温泉にあるアクアイグニスである。

アクアイグニスは既存の温泉施設を刷新し、特に食の面で力を入れたもので、

宿泊に限らず、食のために日帰りで訪れる価値もある施設である。

で、ここも敷地内に農園を備えてイチゴ狩りもやっていると。

アクアイグニスは湯の山での成功から他地域への展開も考えたようで、

その1つがVISONだったということである。確かに似ている。

なお、VISONには本草湯という薬草を使った入浴・リラクゼーション施設がある。

温泉じゃないんだが特色あるリラクゼーションを提供しようということか。


アクアイグニスは他にも関西空港(りんくうタウン)・吉川美南・仙台・淡路島と温泉と食を組み合わせた施設を展開している。

ただ、宿泊施設まで備えているのは湯の山とVISONに限られるようだ。

あと、冒頭にVISONは「商業リゾート施設」だと書いたけど、

ショッピング機能がここまで強化されているのはVISONの特色である。

その場で食べるだけでなく、持ち帰って食べるという機能も強いし、

食以外の買い物、あるいはミュージアムもあるという形である。


とはいえ、やはりこの施設の真価は宿泊してこそ得られるものだろう。

VISONの宿泊についての説明にはこのような記載がある。

VISONは三重県のほぼ真ん中に位置し、伊勢神宮や世界遺産・熊野古道までのアクセスも良好です。これまで、交通の便も悪くなかなか足を運べなかった場所なども、紀勢自動車道の拡張により勢和多気ジャンクションが三重県の交通のハブとなり、この地を拠点にすることで様々なプランが可能になりました。VISONのみならず、ぜひ思い思いのプランで周辺観光もお楽しみください。

VISONでの滞在ももちろん価値があるけど、ここを拠点に三重県各方面に動けることにも価値がある。

自動車があるのが前提にはなってしまうのだが……

まぁレンタカーを借りるというのはあるらしいけどね。


ただ、やっぱりVISON自体が遠いよというのはある。

高速道路をフル活用できるだけあって、この立地のわりには近いが……

いやー、ふらっと行く距離じゃないよなぁと思った。

なんか用事があったことは確かなんだけどね。

近鉄電車を埋める自社広告

近鉄名古屋駅というのは関西の飛び地なんて言われることもあるが、

実際、中に入れば三重県内の近鉄の駅と大差ない景色である。

東京からバスで来ると一番景色が変わるのは近鉄の駅に入るところだなと思う。

特急を使うか迷ったけど、急行でもそこまで遅くならないしと急行に乗った。


その急行に乗って思ったのは、自社関係の広告ばっかりだなと。

それは昔から思ってたんだけど、最近なおさら意識することがあった。

ある人がJR東日本の広告はどうなんだという話を言っていた。

確かに見渡せば脱毛・発毛・転職うんぬんと。

あまりにそういう広告が多すぎるので、ブシロードが出しているバンドリなどの広告を見てまだ落ち着くという。

ただ、その人が関東圏でも小田急はそこまでじゃないねと言っていて、

確かに会社により広告集めの戦略も違うかもなぁとは思った。


で、そういう話があって近鉄に乗ってみると、自社関係の広告がものすごく多い。

駅の広告もそうで、特に主要駅の大型広告を自社の宣伝に使っているのが印象的で、

ちょうど今だと生駒山の観光キャンペーンの広告が大々的に行われていた。

生駒山ってそこまでするほどのもんか? という気はするけど。

車内広告だと半分以上は自社関係で埋めてるなと思った。

それ以外は学校の広告が比較的多く、怪しい広告も多少あるけど、

それにしてもJR東日本の通勤電車ほどではない。


確かに私鉄の場合、自社関係の広告を優先的に入れる傾向はどこもある。

鶴橋~難波で乗った阪神車は日本シリーズの広告で埋め尽くされてたし。

あえてこういうやり方をしているのはほぼ間違いないんだろう。

一方のJRや公営交通は立場的にそういうことがやりにくい。

自社関係の広告を出せなくはないが、そういうネタは私鉄ほどは多くない。

大きな収益を生む大都市の通勤電車は買ってくれるならいくらでも売るし、

なんならデジタルサイネージ化して1つの空間を時分割にして売るほどである。


そうやって振り返ると名古屋駅にしても、JRの駅構内はビジネス客に向けた広告が多く並ぶが、

近鉄名古屋駅に一歩入るとその傾向も全然違う物になりますからね。

これについてはJR名古屋駅が新幹線駅という事情もあるのは確かだけど。

本当に不思議なもんですよね。

大原と京都御苑と

昨日、特には書かなかったのだが親元に厄介になって関西滞在しているが、

京都に行くとなるとちょっと遠くて、少し早起きして出発。

あらかじめ仕込んでおいた 京めぐり を使い、竹田で烏丸線に乗り換えて終点の国際会館へ。

そして大原行きのバスに乗る。けっこう並んでいたが座れた。

ただ、乗客の半分以上は八瀬駅で降りてしまった。

叡山電車でよいのでは? と思うけど京都駅とかからだとなかなか不便なのかも。


というわけで大原にやってきた。今までなかなか来ることがなかったところである。

大原は京めぐりの広告でもよくモデルになっているが、近鉄と直通運転していて、かつ地下鉄・バス乗り継ぎのメリットが大きいということがあるんだと。

大原では しば漬け が名物らしいのだが、そのことに関連して看板があった。

大原のシソは良質だが、このためには交雑を避ける必要があるので、他のシソ科の植物を栽培しないようにという内容だった。

基本的にはそんな山村だが、比叡山との関係で寺があり、その筆頭が三千院と。

庭園を楽しむ人が多くいたが、紅葉が本格化するのはこれからとしても、秋らしい景色だった。

往生極楽院の中に大きな阿弥陀如来像があってびっくりしたら国宝だという。

で、この建物も重要文化財なのだが、最後に円融蔵の展示を見ると、

実は往生極楽院にはこんな天井画があったが、ススで見えなくなったとある。全く想像できないが。


三千院を出て先に進むと、いくつか寺があるが、そこで宝泉院を拝観することに。

拝観料に抹茶が付いているという話で、庭を見ながら一服。

そんなに広くないんだけど、庭だけは充実しているという感じ。

ちょうど出るところで団体客が大挙してやってきて、これにお茶を出さないといけないので大変そうだなぁとみていた。


大原へのバスは国際会館駅からのバスと、出町柳・四条河原町・京都駅からのバスがある。

後者は京都駅発着が基本で、渋滞の影響を受けやすそうだなぁと。

生活路線として便利なのは四条方面に行く後者なのは言うまでも無いが。

というわけで帰りは京都駅行きのバスに乗り、出町柳駅の手前、御蔭橋で降りる。

下鴨神社の最寄りバス停ということでちょっと寄り道してきた。


出町柳の商店街で昼食を食べて、そのまま歩いて行くと百万遍に到着した。

これは急に思いついたのだが、百万遍といえば京都大学、というわけで京都大学総合博物館を見ていくことに。

大学構内にあるのかと思ったら直接道路から入れるようになっていた。

展示の多くを割いていたのがフィールドワークである。

京都大学の研究チームは日本各地、世界各地で生物に関する研究をしている。

それで集めた標本など展示して、どういうことがわかったかと並べていると。

ただ、そこでサルの研究についての展示を見て、霊長類研究所の研究費不正と、その後の霊長類研究所の解体のことが頭によぎった。

自然科学を手広く追及するがゆえのマネージメントの難しさもありそうだと。

自然史についての展示が多くを占めていたが、それに次ぐのが埋蔵文化財である。

発掘時期は比較的古いが、今ならば行政主体で調査をするところ、昔は大学が調査していたというのもあるんだと思う。

重要文化財に指定されている奈良県田原本町の唐古遺跡(唐古・鍵遺跡)の出土品も、

近年の調査は田原本町や奈良県立橿原考古学研究所で行われ、これらの機関で保管されている。

奈良盆地の弥生時代と奈良時代

今も大学の研究者が埋蔵文化財の調査に関わることはあるだろうけど、

こういう形で大学に持ち帰り展示するという形にはならないだろうなと。

いずれにせよ京都大学の活動の手広さを表すものではあるが、今の考えではこうではないんだろうなと。


百万遍から今出川通のバスに乗って京都御苑にやってきた。

京都御所の見学ということで、わりと時間ギリギリだったがやってきた。

見学者の多くは外国人に見えた。ここに限って言えば日本人の方が少ないな。

明治以降は天皇が東京に住むようになり、大正・昭和こそ即位の礼で使われたものの、

平成・令和の即位の礼は東京で行われたから、儀礼の場という意味もなさそうだ。

京都行幸時の宿泊場所という役目は京都大宮御所に持たせたから、ここにはない。

高御座の常置場所というのが京都御所に残された最後の役目かも。

建物も庭園も立派だからもったいないけど、使い道がないからこそ見学して皇室の儀式や暮らしを学ぶことができると言える。


ところでこの御所がある一帯は国民公園の京都御苑となっている。

国民公園とかあまり意識してなかったんだけど、ちゃんとした理由があって、このことは丸太町通側にある閑院宮邸跡収納展示館に書かれている。

もともとこのあたりは公家町で、御所に通勤する公家が住んでいたと。

ところが公家たちも東京に移り住んでしまい、この一帯は荒廃してしまった。

かといって築地塀で囲まれているから周辺市街地と一体化するわけでもない。

そこで明治天皇の命を受けて建物を解体し緑化、公園にしたわけである。

これが京都御所を囲むようにある国民公園「京都御苑」のルーツだったそう。

後に京都迎賓館が敷地内に作られている。


丸太町通に出てバスに乗って岡崎公園の北側にやってきた。

今日は金曜日なので京都国立近代美術館も夜間開館日で安心。

前に来たときから展示替えをして企画展は「京都画壇の青春」に。

明治時代になって西洋画が流入してきて、古くさいと思われがちだった京都画壇、

当時の若い画家はどうやって新しい日本画を開拓していったかという話である。

東京と異なり1907年以前の作品も多く所蔵しているので、この過渡期の展示をするにはよいのだろう。

西洋画を意識するが余りやりすぎた作品を多く並べた感はある。

改めて見ると、これは日本画でやることじゃなかったねというのは多い。

最終的には落ち着いて行くのだが、このときの挑戦が現代の日本画につながっていることは見て取れる。


京都での目的地を決めたのはおとといの夜ぐらいだったのだが、

そういえば行ったことなかったなぁというところはまだまだありますね。

フリーきっぷも効果的だったし、こういうのはいいですね。

中之島と海遊館

今日は大阪へ出かけていた。

というわけでまずは中之島だったのだが、今は国立国際美術館は工事中。

目的地はそこじゃないってことだね。


肥後橋駅を降りて地下通路を通ってフェスティバルタワー・ウエストへ。

四つ橋筋の向かいにフェスティバルタワーが建てられ、朝日新聞の本社が移転し、

その跡地に建てられたビルで2017年完成、ツインタワーとなった。

このためオフィスとしては社外に貸し出されていて、あるいはホテルが入居したりしているが、

それとともに入居しているのが「中之島香雪美術館」である。


この美術館は神戸・御影にある香雪美術館の分館に当たる。

もっとも現在は香雪美術館は工事のため休館中なので、展示活動は中之島のみで行っているが。

この香雪美術館は朝日新聞の創業者、村山龍平の集めた美術品を保存・展示するものである。

香雪というのは村山龍平の号で、御影の香雪美術館は旧村山邸(重要文化財)の敷地にある。

創業者ゆかりの美術館の分館を入居させたということである。交通面では圧倒的に便利なことは間違いない。

で、今は茶碗の特集展示をやっていた。けっこう見応えがあった。

いろいろなタイプの所蔵品があるが、テーマごとにガラッと内容を変えるやり方らしい。

唯一の常設展示が「村山龍平記念堂」で、朝日新聞の歴史や中之島のビルとの関わり、そして美術との関わりなどを紹介していた。


さらにもう1箇所、大阪中之島美術館へ。ここでは「テート美術館展」へ。

東京からの巡回なんだが、大阪で行くタイミングに合ったのでそれならと。

それ以外には特に大阪で見る意味はないけど。全部イギリスから持ってきてるし。

光というテーマで、光をどう表現するかというところに力点を置いているが、

特に最後の方には自発的に光る作品がいくつか展示されていた。

ただ、動きがあるようなものだと動く時間が限られているので、そこは展示室内で時間調整をしながら。


土佐堀川を渡って天保山行きのバスに乗って目指すは海遊館。

今回の大阪行き、どこに行こうかと考えて、そういえば新エリア開館後の海遊館に行っていないなと思った。

改めて確認すると「新・体感エリア」ができたのは2013年……って10年前かよ。

もはや目新しいということもないレベルだが、改めて見てみるとよいかと。

しかし海遊館は高くなったなと思った。この新エリアができたときに2000円→2300円で値上げされたが、

さらに今年に2400→2700円と値上げされて、地下鉄・バスなどとセットになった OSAKA海遊きっぷ も廃止され、実態としてはもっと高くなった。

Webから時間指定のチケットを買えるのだが、15分単位で枠が切られていて、

バスが案外時間がかかるので間に合わん! と時刻変更をするハメに。

別に入場制限するほど混んでもないんだし到着後に買ってもいいかと思ったけど、

やはり事前に買っておくとスムーズであることは確かである。


各地で水族館に行く中で、水族館は地域性をよく表すと思うのだが、

その観点で海遊館を見るとこれといった地域性がないのが特色かもしれない。

環太平洋の様々な水域を集めたということで、様々な水域がちりばめられている。

その中心にあるのが太平洋水槽である。これは改めて見ると本当に大きい。

外国からの来館者も多いが、世界的な水族館と言うべきものだなと思った。


しかし、1990年開館ということもあり、端々に古さを感じるところはある。

アクリル製の大型水槽は1990年当時としては先進的で今でも悪くないのだが、

水域ごとの水槽ということで、展示動物の変化に対応し切れていない部分もありそうだ。

グレートバリアリーフ水槽の改築など少しずつ手を入れてはいるんだろうけど、なかなか追いつかない部分もありそうだ。

ただ、改めて思ったのは同じ水槽でも違う高さから見ると見方が変わるというのは、海遊館が教えてくれたことだったんだなということ。

太平洋水槽はジンベイザメが目立つけど、底の方に行くとネコザメがいたり、

アシカ類が展示されるモンタレー湾水槽など、水上と水中どちらも観察できる水槽だと、当然見えるものは異なる。


そして新・体感エリアに入るわけだが、ここは北極圏・フォークランド諸島・モルディブ諸島の3エリアである。

いずれも環太平洋ではないが、北極圏は日本からも近しいところである。

「体感」というのは他がガラス越しでの観察となるところ、

ワモンアザラシとイワトビペンギンについては柵越しの観察となること。

そして元々はモルディブ諸島の水槽には手を入れて触ることができた。

ただ、動物福祉などの観点から取りやめてしまったので今は必ずしも効果的な展示とはなっていない。


というわけで久々にやってきた海遊館だが、これはこれでよかったのかなと。

結局は太平洋水槽かなぁという感じはするけど、改めて巡ってこそかな。

海遊館という会社としては万博公園隣接地のEXPOCITY内でニフレルという施設を経営するようになった。

水族館としての要素は大きいが、陸の動物もいろいろ展示しているそう。行ったことはないけど。

海遊館がやりたかったことというのも改めて見えてきた気がする。


帰りは なんば行きのバスだが、平日だと本数もやや少ないのでちょっと待ちぼうけ。

天保山には大型クルーズ船がいた。マルタ籍の船かーなんて見てたけど。

ただ、天保山客船ターミナルは今工事中なんですよね。

その工事中のところに出入りする一般の人は船の乗客なんだろうか。

そんなのを見ながらしばらくしてバスに乗ったが、乗り換え無しはいいけどやっぱり遅いな。

空港に行かないエアポート急行はやめる

京急がエアポート急行(表示上は「✈急行」)の名前を「急行」に改めるそうである。

運行形態が変わるのかと思ったのだが、特に変わらないそう。

すなわち「急行」は羽田空港~逗子・葉山 と 羽田空港~品川方面 の2系統での運行である。

品川方面~横浜方面で蒲田駅を貫通する運転は今後も行わない。


この変更には2つの意図があるのではないかという。

1つは現状も羽田空港に入らないエアポート急行が存在すること。

これは羽田空港~逗子の区間便として、神奈川新町~逗子のような運行があると。

もう1つは空港行きはともかく、空港発の列車にも飛行機マークが表示され、

特に複雑な運行形態から蒲田駅では混乱の元となっていること。

エアポート急行は品川方面と横浜方面の2系統があり、蒲田駅では横浜方面発着のエアポート急行は方向転換を行う。

この都合、同じホームに複数の行き先のエアポート急行は発着するが、

いずれにも飛行機マークが表示されているので空港行きと誤認しやすいと。


この話を聞いて、南海の空港急行のことを思い浮かべた。

京急は急行がなくてエアポート急行だけがあるという形だが、

南海は急行と空港急行は停車駅の異なる種別である。

急行は春木駅を原則通過するが、空港急行・区間急行は停車する。

空港急行と区間急行は難波~泉佐野の停車駅は同じ(急行停車駅+春木)である。

空港急行は泉佐野から空港線に入って関西空港まで各停(途中駅はりんくうタウンだけだけど)、

区間急行は泉佐野から和歌山方面に各停で走る。行先別の使い分けに近い。


ところで空港線では時々運休が発生し、関空発着の空港急行が運行できなくなることがある。

その場合でも難波~泉佐野の運行は行うのだが、泉佐野または羽倉崎発着の「-急行-」が運行される。

「-急行-」ってなんやねんという話だが、春木に停車する急行という意味。

歴史的には泉佐野・羽倉崎・多奈川発着の急行は「-急行-」と表示して春木駅に停車していたと。

多奈川発着はなくなり、泉佐野・羽倉崎発着はほぼ空港急行か区間急行に振り替えられた。

このため「-急行-」と表示する列車はほとんどなくなったが、現在も一部存在する。

定期列車では難波発最終の泉佐野行き急行で、伝統に従い「-急行-」である。

隣の羽倉崎発着(車庫駅)だと区間急行なのだが、最終だけは泉佐野行きの「-急行-」になっているらしい。

また、春木駅は競輪場の最寄り駅ということで臨時停車が行われることがある。

この場合は和歌山発着の急行も「-急行-」となる。

(ただし急行の運行本数・時間帯が限られ、臨時停車の効果が少ないので最近は行われないことが多いそう)

そして空港線運休時に空港急行の代わりに運行される「-急行-」と。


南海は急行と空港急行は一応別物である一方で、

空港に入らない空港急行は運転しないということは徹底している。

その代わりに走るのが区間急行ならともかく「-急行-」なのは謎だが。

一方の京急は基本形態は空港発着であるものの、空港発着ではないエアポート急行は元々存在していた。

さらに言えば現在は「急行」は存在していない。

品川~羽田空港についてはエアポート急行以前の急行の停車駅を引き継いでいるが、

羽田空港~逗子については昔に設定されていた急行とは停車駅が異なるため、

それと違う種別だというのをアピールする意味で「エアポート急行」としたが、

もはやその意味はないということが今回の変更の背景だろうと言う。


もちろんエアポートが外れたことで品川方面~横浜方面の急行の可能性もあるが、

東京都心~東京都内の快特通過駅・空港線内途中駅という東京都内の比較的ローカルな移動と、

横浜駅~三浦半島方面という京急の牙城での快特・特急のフォローと、

同じ急行でも、この2つの役目は基本的に分かれているそうである。

なぜならば東京都心~三浦半島方面を通しで使うには急行は停車駅が多すぎるから。

そして後者の役目に羽田空港~横浜の空港アクセス列車の機能を加えると、現在の運行形態となると。

しかし、この機能は必ずしも重要とは言えないので、空港に行かない(エアポート)急行も横浜側では効果的である。

直属上司以外からフィードバックを得る

明日は半日働いて連日休暇ということで、昨日・今日はバタバタしていた。

こんなときに限り面倒な緊急案件が入るという。

一応は落ち着いたような気がするんだけど……気がかりな話もある。


その一方で上司との面談の予定もあって、この対応もしていた。

これは期初の目標に対して半期ごとにフィードバックを得るための面談なのだが、

面談相手が直属上司ではないということで、システム上の作業がいろいろ面倒だった。


今期からしばらく、部内の他の課の業務を一部担当している。

元々担当していた人が社内の他の職場に異動になってしまったという事情がある。

以前より担当している人は1人だけいるのだが、1人ではいろいろ厳しい。

チーム内で分担しようにも候補となるメンバーは近年配属された2人。

そこで従来からの担当者の業務を分散しながら、他メンバーへの技術伝承を行うということが求められている。

(リアルタイムOSを使う意味)

組織上は従来通りで、直属上司も変わっていないし、従来からの業務も一部ある。

一方でこちらの今期からの新しい仕事については、他課の課長から目標が与えられているわけである。


こういう場合は直属上司との面談とは別に、目標設定上の上司との面談を行うべきである。

というわけで面談しましょうねという話は言っていた。

その面談後に上司のフィードバックをシステム上に残す必要がある。

このフィードバックを元に評価がなされることになる。

特に一次評価を行うのは直属上司なので、直属上司は他の面談者のフィードバックも見て評価をする必要がある。

直属上司との面談結果をシステム上に残すことよりも重要なことである。


ただ、これがめんどくさい。

直属上司との間では本人レビューと上司フィードバックを容易に残せるが、

それ以外の人にシステム上で本人レビューを見せるのに手間がかかるし、

さらにそのレビューに対してフィードバックを求めるのも手間がかかる。

フィードバックが得られたら、そのフィードバックを直属上司に見えるようにする作業も必要となる。

本人も上司もマニュアルを見ながら対応しているのが実情である。


直属上司以外との面談を行うべきという考えは比較的新しい考えである。

この職場に来て初期に他課の仕事をしたときは、目標設定に関わる部分は直属上司としか話をしてなかった覚えがある。

ある時期から直属上司以外から目標設定が出来るようになって、

それとともに直属上司以外とも必要に応じて「1on1」をやりなさいとなった。

この考えで2人の上司との面談を定期的にやっているところである。

当然、目標に対するフィードバックを受ける上司も2人いると。


ただ、以前この考え方で直属上司以外の上司にフィードバックを求めたら拒否されるという出来事が起きた。

この件はいろいろ複雑な事情があって単純に言うことは難しいのだが、

直属上司からのフィードバックだけでよいという主張だったようだ。

ただ、それだとフィードバックとして不十分なのでは? という指摘をしたところ、

直属上司を交えた3者での面談が設定されたが、システム上でのフィードバックは結局なされなかった。


これ以外にもこの関係では目標設定・フィードバックの運用面の疑問があり、

こうするべきではと提案したのだが、うやむやにされてしまった。

直属上司以外が目標設定・フィードバックに関わるモデルに消極的なのかもしれない。

かろうじて面談の申し入れは受けなければならないという点だけは認められたということかもしれない。

その面談でのフィードバックがシステム上に残らないのは不本意なのだが、

面談で内容確認はできたし、その内容を直属上司も聞いていたわけだし、

それを踏まえて直属上司はフィードバックも記載してくれたので、評価面の問題はないのだろうけど。


というわけで直属上司以外によるフィードバックはいろいろ面倒だと。

本当はもっと細々とフィードバックを受けることもできるんだけどね。

例えば部内横断の活動のフィードバックをリーダーから受けるとか。

(非管理職でもシステム上でフィードバックを付けることはできる)

目標設定の大項目単位とかで直属上司が関わってないならば、

他の上司からフィードバックを受けるのが相応ではと思っているけど。

スクイーズアウトしても想定外の株主が

SBIグループが新生銀行を買収した話を以前書いた。

銀行持株会社になる理由

この後、SBI地銀ホールディングスは銀行持株会社となり、

新生銀行の株式の50%超を保有することとなり、SBI新生銀行と名前を改めている。

で、少数株主を締め出すための株式併合をすることとなったのだが、

想定外の株主としてエスグラントコーポレーションが残ることになったと。

SBI新生銀行株、旧村上ファンド系が9.75%保有 (日本経済新聞)


想定外というが、やろうと思えばできたことは確かである。

少数株主を締め出す手続きはスクイーズアウトと呼ばれることが多いが、

現在、主に使われるのは株式等売渡請求による方法と株式併合による方法がある。

株式等売渡請求は単純に大株主が強制的にそれ以外が保有する株式を買い取るもの。

以前、交付金銭領収書が送られてきたのはこの手続きによる。

お前の株式は買い取ったというはずだが

この手続きはシンプルな方法だが適用するには条件がある。

特別支配株主1名で90%超の株式を保有していることである。

公開買付などで取得できなかった株式が10%以上残ったり、

あるいは2名以上で保有し続ける意図がある場合は使えない。

株式併合は株主総会で2/3の賛成があればできる点がまず異なる。


2名以上で保有を続ける意図があるといえば、旧LINE社である。

Zホールディングスの親会社はAホールディングス

ヤフーとLINEの経営統合にあたり、旧LINE社をソフトバンクとNAVERの合弁会社に作り替えて、Zホールディングスの親会社にしたわけである。

このAホールディングスは元々上場会社であるLINE社なので、他の株主もいる。

公開買付で他の株主を減らした上で、株式併合でソフトバンクとNAVER関係者以外は1株も残らないようにしたと。


今回のケースもそれに近くて、なぜかというと公的資金投入の影響で、

預金保険機構と整理回収機構が株主にいて、この2名は返済が終わるまではSBI新生銀行の株主に残す必要があったから。

このため株式併合でのスクイーズアウトを行う必要があり、

その際に整理回収機構の持株数2000万株を超える株主が他にいれば、

それは今後も株主として残るという形にならざるを得ないと。

で、それを実際に実行したのがエスグラントコーポレーションだったと。


エスグラントコーポレーションは持株比率10%の株主にすぎず、

7割はSBI地銀ホールディングス、2割が預金保険機構と整理回収機構、

基本的にこの9割は連帯して動くから大したことは出来ない。

ただ、配当金で返済を進めるという方法は取りにくくなった。

なぜならば配当金がエスグラントコーポレーションに流れてしまうから。

また、公的資金返済後に100%子会社にするのも難しくなった。

預金保険機構と整理回収機構は公的資金の返済完了と同時に撤退してくれるが、

エスグラントコーポレーションの株式を買い取ると余計なお金がかかるから。

最終的には再上場という道しかなさそうだが。


というわけで面倒なことになってしまったというわけである。

ただ、やろうと思えばできたのはそうなので仕方ないんですけどね。

公的資金返済に余計な時間と労力がかかるだけではないか。

会場が揃わないが冬季オリンピックを誘致したい

冬季オリンピックにまつわる2つのニュースを見て難しいなと思った話。

冬季オリンピック 札幌市が断念した2030年大会…実は”新潟”も招致を検討!? 「単独開催は難しい」招致話が立ち消えたワケ (Yahoo!ニュース)

スイスは2030年五輪招致方針 全国で分散開催 (産経新聞)


1つ目は新潟県で冬季オリンピック誘致案があったという話。

しかし、表題を見てまず思ったのは「完全国体もやったことないのに」ということ。

そう。新潟県は国体冬季大会のスキーは実績があるのだが、スケートについては全く開催したことがない。

なので、実態としては一部競技を長野県で行う信越オリンピックと言うべき構想だった。

その上で実現するには2つ難しい点があったという。

1つは県内最大都市である新潟市が開催都市になろうにも、できる競技がほとんどないこと。

このため新潟市が開催都市として主導するのは現実的ではなく、

その代わりになる県内都市は上越市や妙高市・湯沢町など、これはきつい。

もう1つは施設の改修が多く必要になり、それは新潟県内に留まらず、長野県内にも及ぶこと。

長野オリンピックの会場を再利用するとしても現在の国際基準に適合しない点は多々ある。


2つ目、スイスが冬季オリンピック誘致を考えているという話。

国内の使える会場を集めて分散開催しようという話らしい。

国際大会の実績のある会場を集めたドリームチームでオリンピック開催しようと。

従来のオリンピックではなかなか考えられなかった形ではあるが、

2026年はミラノとコルティナ・ダンペッツォの共同開催であるなど、

より広い分散開催も認められる可能性はあるのでは? と考えたのだろう。

これはなるほどと思ったのだが、それでも難しい競技があるという。

それがスピードスケート、国内には屋内型のスピードスケート会場がないと。

このため近隣国での開催も考えているという。


これまでのオリンピックで国境をまたいでの開催は1956年のメルボルンオリンピックでの馬術競技(ストックホルム開催)がある。

検疫の都合だが、2000年のシドニーでは打開して都市内で開催している。

(なお、検疫問題は2008年の北京でもあったが、特別行政区で別制度が適用される香港での開催だったので一応国内開催ではあった)

スイスにとってみれば、ドイツやフランスなど近隣国であれば地理的なつながりはあると言えるが、

しかし国内の会場を集めてもできない競技があるというのは、

日本における ボブスレー・リュージュ・スケルトン と同じだなと。


ただ、スイスの国内分散開催案を見て、こうならざるを得ないのかなと思うところはあって……

完全国体は貴重だが、完全オリンピックも貴重か?

札幌オリンピック構想でいくつかの会場について競技団体からケチが付いている。

1つが帯広でのスピードスケート、観客席の数が少ないという指摘である。

このため長野のエムウェーブで開催してはどうかと言われていると。

もう1つがフィギュアスケートの会場として考えられている つどーむ である。

こちらは丘珠空港から近いため飛行機の騒音が問題なのではという話。

このため東京開催がよいのではないかという話があると。

これ、どっちも興行面で有利な会場にして欲しいって話だと思うのよね。

丘珠空港から近いといってもプロペラ機が僅か発着するだけの空港である。

日本ではファンの多いフィギュアスケート、東京開催になれば集客面で有利なのは間違いないでしょうよ。

スピードスケートは元々札幌開催は諦めてるけど、道内開催にはこだわったわけだし、そこでこういうことを言いますかと。


あと、オリンピックではないけど名古屋でのアジア大会でも競泳は結局東京開催になってしまった。

2026年アジア競技大会、競泳の会場を東京に変更へ 「プールサイドが狭い」など指摘受け都と調整 (メーテレ)

レインボープールは1987年開館と古い設計で、改修での対応も困難と考えられたのだろう。

ただ、一般的には国際大会を行うのに十分な会場のはずである。

アジア大会でそこまで言われてしまってはどうすればいいのかという話である。


競技団体と開催都市の力関係はこんなものである。

国際大会で求められる要件はそもそも厳しい上に追加要求まで浴びせられる。

競技団体の言うことを真に受けていたらオリンピックになんぼ金がかかるのか。

これでは競技の一部を抜き出して他国開催はもう認めざるを得ないだろう。

スイスのスピードスケート会場のことは初めて知ったけど、

日本も ボブスレー・リュージュ・スケルトン の会場問題はずっと言われている。

これまでオリンピック競技の国外開催は1956年の馬術のみとは書いたが、

来年のパリオリンピックのサーフィンの会場はフランス本土から遠く離れた太平洋のタヒチである。

なぜ「地球の裏側」タヒチで 24年パリ五輪サーフィン (朝日新聞デジタル)

サーフィンがポリネシア発祥の競技で、競技への敬意からあえて選んだ会場なので、

やむにやまれず遠方での開催となった例とはだいぶ異なるけど。

理由があればこういうのも認められることがあるという一例ではある。