VFPレジスタの退避節約術

昨日、ARM Cortex-Mシリーズで割り込みからの復帰に使われるEXC_RETURNの話を書いた。

EXC_RETURNを使わないといけない

さらに面倒な話があって、それが浮動小数点数レジスタのことである。


今回使っているマイコンはCortex-M33なのだが、浮動小数点演算用のVFPが付いている。

ARMv7で言うところのM3, M4に対応するARMv8のプロセッサがM33で、

M3とM4はVFPを積んでいるかどうかがだいたいの差で、

M33のVFPはオプションだったはずだが、大概積んでいる印象はある。

今回は浮動小数点演算を行うシステムなのでVFPを活用している。

整数の汎用レジスタとは別にVFPには単精度だと16個の浮動小数点数レジスタとFPSCRという状態レジスタがある。


これらのレジスタは割り込み処理で退避する対象となっている。

Cortex-Mシリーズではレジスタの退避はハードウェア的に行われるが、

浮動小数点機能を使わなければ32bitレジスタ8個(R0~R3, R12, LR, PC, xPSR)で済むのに、

浮動小数点を使うと+17個ということで大変である。

ただ、ここをサボるための仕組みがあるんですね。


Cortex-M4(F) Lazy Stacking and Context Switching – Application Note 298

M4の話だが、M33も仕組みは全く同じである。

まず、CONTROLレジスタにFPCAというビットがある。

初期値は0だが、浮動小数点命令を使うと自動的に1にセットされる。

FPCA=0で割り込みが発生すると8レジスタのみの退避を行う。

FPCA=1で割り込みが発生すると8+17レジスタの退避を行う……わけではない。

FPCCRレジスタの設定によるのだが、初期値(LSPEN=1, ASPEN=1)の場合は、

スタックポインタに8+17レジスタ分の領域を確保して、基本の8レジスタだけの退避を行う。

その上でCONTROL.FPCA=0, FPCCR.LSPACT=1 に設定する。


割り込みハンドラに浮動小数点演算がないパターンでは、FPCA=0のまま、EXC_RETURNに到達する。

この場合は割り込みハンドラ中にVFPレジスタは一切変化しなかったので、

CONTROL.FPCA=1, FPCCR.LSPACT=0 に戻すだけで完了となる。

あとは基本レジスタの復帰を行って、スタックポインタを戻して割り込み元に戻る。

割り込み処理の多くは浮動小数点演算を含まないだろうから、このパターンが比較的多いはず。

では、浮動小数点演算があった場合はどうなるか。

浮動小数点演算を行おうとすると、FPCA=0→1への変化が生じるが、

このときにFPCCR.LSPACT=1がセットされていたら、この時点でVFPレジスタの退避が行われる。

このようにレジスタ退避を後回しにする仕組みを”Lazy state preservation”と呼んでいる。

FPCA=1でEXC_RETURNに到達した場合は、VFPレジスタも復帰して元の処理に戻る。


で、この仕組みでもEXC_RETURNのアドレスが重要な意味を持っていて、

M33ではEXC_RETURNの4bit目が割り込み時点でのFPCAによって変わる。

割り込み時にFPCA=0の場合は4bit目は1、復帰時にスタックポインタを8レジスタ分だけ戻すことも表す。

割り込み時にFPCA=1の場合は4bit目は0、こちらはVFPレジスタ分もスタックポインタが進んでいて、

EXC_RETURN到達時のCONTROL.FPCAの値に応じて復帰要否が変わると。


で、昨日書いたCPU例外から再びmain関数に戻ってくる場合の話だが、

具体的にはEXC_RETURN=0xFFFFFFB8へジャンプすると、

Threadモード、Mainスタック、Non-Secure、特権モード、FPCA=0というリセット時と同様の状態になる。

ただ、このまま動かし続けるとそれはそれで問題があって、

それはFPCCR.LSPACT=1がセットされていると言うことである。

この状態で浮動小数点命令を実行すると誤ったレジスタ退避をしようとする。

ジャンプ後にFPCCRレジスタの値を明示的に設定する処理を入れれば問題は解消した。


割り込みハンドラでFPCA=0にセットする仕組みは多重割り込みにも効いて、

浮動小数点演算をしない割り込みハンドラ実行中に割り込みが発生した場合、

割り込みハンドラのレジスタ退避という観点では8レジスタの退避のみでよい。

レジスタ退避用のスタックサイズの削減にも寄与してるわけですね。

Mainスタックだけ使う前提で言えば、

  • main関数(VFP使用) スタック消費200byte+レジスタ退避104byte
  • 優先度2の割り込み(VFP不使用) スタック消費8byte+レジスタ退避32byte
  • 優先度1の割り込み(VFP使用) スタック消費40byte+レジスタ退避104byte
  • 優先度0の割り込み(VFP不使用) スタック消費8byte+レジスタ退避32byte
  • MPU例外ハンドラ スタック消費0byte

で、合計528byte消費する可能性があるわけですね。


全体的にはあまり深く考えなくても効率よく動くように考えられているが、

通常と異なる操作をするといろいろ踏んでしまうんですね。

この失敗がなければ気づかなかったことは多かったわけですけど。

EXC_RETURNを使わないといけない

最近はまたARM Cortex-Mシリーズのマイコンを使って仕事をしていて、

CPU例外発生後にその情報を引数で渡してmain関数に戻ってくるコードを書いたら、どうもうまく動かない。

main関数を再度呼び出す


ARM Cortex-Mシリーズでは割り込み発生時にハードウェア的にレジスタの退避が行われる。

なので割り込みハンドラでレジスタ退避のことを考えなくてよい。

それは知っていたのだが退避させたレジスタは復帰させなければならない。

この復帰処理に入るための仮想的なアドレス(EXC_RETURN)がリンクレジスタに入る。

リンクレジスタというのは関数の呼び出し元を表すレジスタで、

関数からreturnするというのはここにジャンプすることを指す。

で、例外ハンドラから出るときには何らかのEXC_RETURNにジャンプするべきようですね。


とはいえ例外ハンドラを出るときに例外発生場所に戻っては仕方ないわけで、

そこを変えたければスタックに積まれている例外発生元アドレスを変える必要がある。

sp+0x18が例外発生元アドレス、すなわち復帰先アドレスになっている。

退避されているレジスタの値を変えたければここを変えなきゃいけないんですね。

EXC_RETURNのアドレスもまた例外発生時の状態が保存されている。

復帰先のモードやレジスタ復帰方法がここで決まるんですね。

このあたりの値を変える処理はアセンブラで書かないと無理なので、

例外ハンドラから出るアセンブラのコードを書いて、例外ハンドラの最後から呼び出すようにした。


ただ、これはこれで問題があって例外ハンドラを出ると再度例外が発生するという。

例外ハンドラの中で例外フラグを消しておく必要があったようで、

CFSRレジスタをリードして同じ値をライトして、消去するとうまくいった。

このことからわかるが、例外ハンドラを実行中は例外が起きないんですね。

例外ハンドラからEXC_RETURNにジャンプすると再度例外が起こるようになると。

さらに言えば例外ハンドラの優先度は他の割り込みより高いので、例外ハンドラ実行中は他の割り込みが起きない。


ただ、他にも問題はあったんですよね。

それは浮動小数点レジスタの退避ですね。

普通はあまり意識しなくても効率よくやってくれるのだが、けっこう複雑な仕組みで……

このあたりもまた改めて紹介しようかなと。

これもEXC_RETURNが関係していると言うね。

タッチ決済を導入するわけ、しないわけ

関東圏で私鉄・公営交通11社がクレジットカードのタッチ決済を導入するようである。

首都圏の鉄道11社、「クレカのタッチ決済」で相互利用 26年春以降 JR東と京成は発表に含まれず (CNET Japan)

ただ、見出しにあるんですけど、京成が入ってないんですね。

成田空港の接続路線なのに意外なんですけどね。


すでに区間など限定して導入している会社も多いのだが、

関東圏特有の事情としては会社間の直通や改札を通らず乗換が多いことである。

すでに京急と都営地下鉄など対応しているところはありますけど、駅を限っての導入である。

なのである程度一斉導入する必要があるわけですね。


これを見て思い出したのだが、関西でも私鉄・公営の多くがタッチ決済を導入している。

2021年、南海が難波・新今宮・関西空港・高野山など外国人客の利用が多く見込める駅にタッチ決済を導入したのが日本初である。

関空~大阪都心の移動がまずタッチ決済でできると早いということで、導入の動機として大きかったわけですね。

南海の導入が関西各社での導入の呼び水になったことは間違いないが、

やはり多くの会社が導入するきっかけとして大きかったのは万博である。

といっても万博合わせで導入する必要があったのはタッチ決済ではなく、QRコード乗車券である。


QRコード乗車券、何を起点に取るかという話はあるが、

関西においては近鉄が2022年に名古屋~伊勢志摩エリアで発行を始めたデジタルきっぷが起点であろう。

QRコードで乗れるようにする理由

近鉄って前日まで購入が条件の割引きっぷが多くて。

遠方でも近畿日本ツーリストなどの旅行代理店で購入はできる。

でも今はそれも店舗数が減っていて、なかなか手間がかかる状況。

これをWeb購入で窓口での引換なしに自動改札機に呈示すれば利用できるようにした。

これが近鉄のデジタルきっぷのスタート地点である。

当初は名古屋~伊勢志摩に特化していたが、大阪・京都からの利用もできるようになった。


この仕組みは関西各社の共通プラットフォーム、スルッとQRttoに発展することになる。

スルッとKANSAIのプリペイドカードがなくなって長いが、カードタイプのフリー乗車券は依然多く存在していた。

これをデジタル化するということになったわけですね。

同時期にJR西日本も自社内、他社またぎのQRコード乗車券を発行するようになった。

これを万博合わせでやる必要があったわけですね。


このときに自動改札機の改造が必要になるので、同時にタッチ決済を導入しようという話が出てきたわけである。

ここに乗らなかったのがJR西日本と京阪である。両社はQRコード乗車券のみ。

京都市・叡電・嵐電はそもそも自動改札機のQRコード対応をしていない。

(叡電は京阪発行のデジタル乗車券が利用できるが、目視で対応している)

なお、このあたりは会社により若干の差があり、

近鉄は生駒ケーブルを除く全線全駅、相当利用者数の少ない駅にも導入する一方、

南海はほぼ全駅と言いたいが、汐見橋線・多奈川線は全駅非導入である。

(一応、汐見橋線は大阪市内なのだが……)

神鉄はかなり歯抜けで有馬温泉方面の利用をカバーすることを重視したことが見て取れる。


関西にやってくる外国人観光客にとってみれば、

京都にさえ行かなければだいたいクレジットカードで済む感じかね。

JRは使えないけど、観光地への往来を考えればJRはなくてもよいので。

バスはまだ導入路線が少なくて、高野山・六甲山と奈良の一部路線に限られる。

高野山と六甲山はタッチ決済で来て、その先は使えないだとけっこう困りますからね。

奈良は市内循環線と西の京・法隆寺方面の路線に限られているので、

同じ区間を走るバスでも対応車両を探すのが難しそうだが。

ただ、これも京都に対応路線がないのがダメですね。

京都方面は足並み揃えて非導入にしたという見方も出来る。(阪急・近鉄はあるけど)


関西におけるJR・京阪もそうなのだが、足並みが揃わないのが気になるところで、

関東圏について言えば、JRが使えないと東京都心の移動もけっこう苦労するし、

京成は成田空港アクセス路線の筆頭である。

全般的にJR各社はタッチ決済には消極的で、一方QRコード乗車券は積極的な傾向がある。

このあたりはICカードのプラットフォーマーとしての側面もあるのかも。

どうせ地元の人は当地のICカードを使うわけだし、すみ分けはあると思うんですけどね。


それにしても京成が不在なのは本当に不思議なんだけどね。

ただ、これは京成成田空港線の事情によるところが大きいのかも知れない。

確かに成田空港線には浅草線・京急(羽田空港)方面に直通の通勤電車もあり、

これを成田空港と都心の往来に使えるが、本数が少なめである。

成田空港線自体はスカイライナー中心の運行体系になっている。

すなわち特急券が必要なわけですね。それなら特急券・乗車券合わせてクレジットカードで買えば? という話になる。

で、調べたらオンラインで割引きっぷが買えるんですね。まぁ窓口引換ってのがいまいちだけど。

顔認証乗車券なんていうのも導入しているけど、これはどうなんだろ?

いずれにせよ空港アクセス路線とはいえ、関空における南海とは少し違うようである。

新商品のクーポン配布

よくファミリーマートで買い物をするのだけど、

ファミリーマートでは特定の商品を買うと、翌火曜から使えるクーポンが発行されることがある。

大抵は同じ商品と引換できるクーポンなのだが、違う場合もある。


その中でも先週火曜~今週月曜で行われていたキャンペーンは変だった。

小岩井 Theカフェオレ」または「午後の紅茶 ミルクティー」を買うと、

「小岩井 Theりんごオレ」の引換券が出てくるというものである。

商品が違うというのも変なところではあるが、店頭に りんごオレ なんて置いていないんですね。

これじゃあせっかくもらったクーポンも使えないんじゃないか。

そう思っていたわけである。


そしたら今日行くと、りんごオレがたくさん並んでいて「新商品」のマークが付いていた。

そう、新商品のプロモーションのためにクーポンをばらまいてたんですね。

まさか火曜ぴったりから登場してくるとは思っていなかった。

というわけでクーポンはちゃんと使えたのである。


で、これはうまいのかという話なのだが、正直微妙だった。

というのもりんごジュースの味に近いんですよね。

りんごってそれだけでおいしいから、そこに乳成分を付ける必要ないんじゃないって。

あと1枚引換券があるから、これは消化しますが、その先はないなと。


ところでファミリーマートのキャンペーンもいろいろな種類があるが、

ファミペイを呈示して買うとファミペイアプリにクーポンが配布されるタイプと、

レシートにクーポンが印字されて、これを渡すタイプが混在している。

今回の場合は後者なのだが、正直なところ面倒である。

なぜならばセルフレジが使えないからである。

ローソンだとセルフレジで使えるクーポンが配布されたりするけど。

とはいえ、クーポンとしての効果を考えるとファミペイでの配布はおそらくイマイチなのだろう。

1つはファミペイを呈示しない人には効かないこと。

もう1つは例えファミペイを使っていてもクーポンが配布されたことに気づきにくいこと。

なかなかうまくいかない話である。

歩行者専用と貨物を除く車両通行止め

大阪に行ったとき、御堂筋線難波駅を出て、日本橋の電気街に向けて歩いていて、

あまり考えずにNAMBAなんなん の地下街を端まで歩くと出口になっているビルが解体中で……

周辺のビルとあわせて改築予定なんですよ。というわけで引き返して、地上に出ると、

今までの景色とだいぶ違って、ああ、そういえな なんさん通り の歩行者空間化が完了したのかと。


南海難波駅の前、もともとはタクシープールがあり、通り抜ける車も多かった。

商店街の出入口にもなるところで、ここを広場のように使えるといいねという話があり、

タクシー乗り場を御堂筋沿いに移設、それに合わせてこの一帯は歩行者専用道路になった。

これまでの経緯から道路という扱いではあるが、もはや広場ということで、

歩行者利便増進道路(ほこみち) の指定を行い「なんば広場」の名称で常時占用されている。

道路というか公園のようにも見えるが、公園にしては緑が少ない。


この広場化した道路と難波中2交差点の間のなんさん通りについても、

従来のような通り抜けが想定されないことから歩行者中心の道路となったが、

この沿線には高島屋の搬入口があり、比較的トラックの出入りが多い。

このため高島屋搬入口の少し先で通行規制を分けるようにしている。

昼間に行くとこの場所にフェンスが置かれている。

このフェンスより広場側の通行規制は 歩行者専用[9-1] + 車両通行止め[1-9/貨物を除く] となっていて、

このフェンスより難波中2交差点側は 車両通行止め[貨物を除く] ということになっていた。


東京都では「最大積載量2t以上の貨物」のような補助標識が時々ある。

これ使い方が変なんじゃないとずっと思ってるんだけど。(cf. 自動車・原付って記号で書けば)

貨物というのは大型トラックから軽トラまで全ての貨物車を指す。

むやみに貨物車は通ってほしくないが、軽トラのような小さいのはいいよ、

という趣旨で「最大積載量○t以上の貨物」という規制をしてるんですね。

なお、一般的にはこの規制はトラックのシルエット「積○t」と書いた補助標識を使う。

「貨物を除く」というのは、大型トラックから軽トラまで貨物車なら何でも通って良いが、

乗用車・二輪・自転車・軽車両は全部ダメという、相当変な規制である。


ただ、趣旨としては東京都でよく見る「居住者用車両を除く」と似ている。

商店街に「居住者用車両を除く」と書いた規制標識があれば、商店街の店舗への搬入車はあらかじめ許可を得ずとも通れる。

ここでは「貨物を除く」とすることで、高島屋やその他の店舗への搬入車を通すことを予定している。

当然、沿線店舗の搬入車みたいなのは除外許可を得ることはできるが、

事前の手続きが必要なので、それを省略できるように「貨物を除く」としていると。

もし乗用車や荷車で搬入するなら許可が必要だが、軽自動車でも貨物車ならば「貨物」である。


高島屋搬入口付近~難波中2交差点はそこそこ貨物車が通るので、

ここは歩行者が端によって歩く必要があるのはそうかなと思う。

ちなみにこのあたり一帯の歩道は以前より拡幅されたとのこと。

一方で、高島屋搬入口付近から広場までは朝9時~翌深夜1時は歩行者専用ということでこれはよいが、

深夜1時~朝9時は「貨物」は通行可能ということになる。

ただ、このために車両通行止め標識を持ってくるというのは見慣れない。


じゃあ、どうやって書くのかというと案外いい例も見あたらないが、

武蔵野市の吉祥寺サンロード商店街には、自動車通行止め[9-12の居住者用車両を除く]という標識があった。

この商店街って自転車走っていいのか? 標識上は軽車両は通って良いことになるが。

(自動車通行止め+[居住者用車両を除く]は東京都では定番の組み合わせなのだが)

そもそも歩行者専用が通行止め標識の一種であることを考えれば、

歩行者専用に「1-9の貨物を除く」と書いても同じような効果はありそうではある。

ただ車両通行止めを使った場合、歩行者は端によって歩く義務があり、

歩行者専用を使ったときは端によって歩く義務がなくなるという差がある。

その差を意識してこういう書き方をしているのかはよくわからない。

その理屈で言えばサンロード商店街は歩行者は端によって、中央は自転車、居住者用車両(9-12時のみ)、除外許可を受けた車両のために開けておかないといけないのだが。


ただ、隣接するエリアの通行規制を見てみると、そんなもんなのかもなと。

千日前一帯ではアーケードの商店街を中心に歩行者専用[9-1]という規制がある。

ということは裏返せば深夜1時~朝9時はどんな車も自由に通ってよいことになる。

そうなんですよ。搬入車に限定するような規制が全然ないんですよ。

なんさん通りは貨物車に限定しているという点でむしろ先進的である。

僕もさっき調べててびっくりしたんだけど、渋谷センター街の規制は 歩行者専用[15-5/日曜・休日は12-5]ってなっていて、

裏返せば、平日・土曜の朝5時~15時、日曜・祝日の朝5時~12時はどのような車両も通行できるということになる。

それぐらいの規制でやってる商店街もけっこうあるんですよね。


なんさん通りの歩行者空間化というのは万博合わせの事業だったみたいですね。

ちょうど完成したのが今年3月の万博開幕直前だったと。

確かに万博会期中に大阪には来ているが、難波あたりには来ていない。

だから気づいてなかったんですね。それ以前から準備はしてたんだけどね。

出来上がってしまえば大したことないような気もするのだが、

昔の景色を知っていると、ええっ!? とびっくりする変化なので。

旅行の後にやること

近鉄特急と新幹線を乗り継いでバイクとともに東京まで戻ってきて、

家までたどり着いたのは昼頃のこと。

幸いにして霧雨程度でずっと帰ってこれてよかった。

とりあえずは冷凍庫にあるもので昼食を食べて、そこからいろいろてんやわんやだった。


まず、旅行中に注文していた音楽CDが届いていて取り込もうと思ったら、

DVDドライブの故障か正しく取り込めない。困った。

というわけで急きょ近所の電器店に買い物に行くことに。

他の買い物と合わせて買ってきて、帰ってきたらちゃんと取り込めた。

どうも最近は5インチベイに入るDVDドライブも作られなくなってきているようで、

今後はポータブルタイプのDVDドライブを外付けする形でいくんだろう。


もう1つ旅行中に仕込んであったことでやらないといけなかったのがブレーキパッドの交換である。

旅行中にブレーキがかなりすり減っていることに気づき、通販で注文していた。

暗くなると作業が大変なので明るいうちにやっておかないと。

というわけで前にやったのと同じ方法でブレーキパッドの交換をした。

なんかおかしいと思ったら、ブレーキパッドの固定用の金具がズレていて、

それでズレて偏ったすり減り方になっていたようだ。

とはいえ、すり減っていない方もそれなりには削れていたので、

交換タイミングとしてはそうおかしくなかったのかも。


それでイオンまで買い物に行って、食料品だけでかなり買ったが、

「ホームコーディ週間」と10%引きクーポンが配布されているとみて、

そういえばフライパンも買わないとなと、フライパンも買って帰って、

こうすると荷台に付けたカバンもパンパンである。


さらには旅行中に汚れたカッパを手洗いして……

旅行中の疲れもさることながら、いろいろ仕事して疲れたなぁと。

で、明日から仕事ですか。1週間消えて何が起きているのやら。

嵯峨野トロッコ列車の牽引車のため

明日帰るわけだが、どうも出発しても雨、到着しても雨らしくげんなり。

なんというか今回の旅行は天気にはあまり恵まれなかった気がするな。

飛鳥に行くときに雨が降らなかったのはよかったけど。


さて、前に嵯峨野トロッコ列車の車両置き換えについて発表されていた。

改造用の貨車がJR西日本の車両工場に運び込まれていて、これを改造するのだろうと。

そして、これにハイブリッド式の牽引車を付けて走るという話は言われていた。

さて、ハイブリッド式の牽引車とは一体どういうものなのか。いろいろ憶測を呼んだが、答えはこうだった。

新型事業用車およびバラスト散布車の導入について (pdf) (JR西日本)

いかにも機関車っぽい見た目である。この車両は砕石輸送や車両回送にも使われるが、「嵯峨野観光鉄道(株)の予備機として使用します」ともある。

現在もそうなのだが、梅小路にいる1機のディーゼル機関車が嵯峨野トロッコ列車用の塗装がされている。

嵯峨野観光鉄道は専用車を1機持っているが、使えないときは梅小路からJR所有の機関車を持って行っている。

これと同様の体制をとるとみられ、嵯峨野観光鉄道は同型機を1機、トロッコ列車専用機として買うということである。


このデザイン、オリジナルデザインの方はいかにも古風な機関車という感じだが、

先頭部の形を嵯峨野トロッコ列車に合わせてあるんですね。

トロッコ列車は片側に牽引車を付けて、牽引車が先頭になるときは牽引車に運転士が乗り込むが、

折り返すときは牽引車の付替をせずに、トロッコの客車先頭に設けられた運転席から操縦を行う。

ヨーロッパでは機関車牽引だが客車から操縦できるようにした列車というのがけっこうあるそうで、

客車と一体にして見栄えする機関車というのを目指したんじゃないかという指摘があった。


JR西日本と言えば除雪用機関車を置き換えるための事業用ディーゼルカーを作っている。

これも元になった機関車と似たようなデザインで古風だなと言われたものである。

これも牽引車に利用できる可能性は言われていたが、あくまでも除雪車である。

より牽引に適していて、環境への配慮の行き届いた車両を作る必要があり、

この除雪用ディーゼルカーのリピートオーダーではなく、新たな車両を作ることにしたんでしょうね。

あわせてJR西日本が保有する他の機関車も置き換えてしまおうということになったようである。


これでJR旅客各社のうち、新規に機関車を買ったJR九州以外が機関車廃止の目処が立った。

JR旅客各社が機関車を保有する目的としては、客車列車の運行、砕石・レール輸送といった工事目的、車両回送、雪国では除雪というのがある。

客車列車は定期列車ではないが、SLの保存目的で運行されるものと、団体列車(クルーズトレイン)の「ななつ星in九州」がある。

JR九州がJR貨物と同仕様の機関車を買ったのは、この目的での利用がまとまって見込まれるからだろうね。工事にも使いますが。

JR東日本は砕石輸送や車両回送用の事業用車をSL列車の回送や補助のため使用している。

見た目がよくないっていう話は言われているが。

JR西日本はSLもあるが、子会社の運行する 嵯峨野トロッコ列車 のこともあるのでそれを念頭に購入した形である。

工事目的ではJR東海が早い段階で専用のディーゼルカーに置き換えている。

JR東日本も似たような考えで、そのための車両をSL用にも使っている形で起点がそちらにある。

JR西日本は今回、嵯峨野トロッコ列車の牽引車と同仕様の車両を砕石輸送用に使えるようにしたと。

除雪についてはJR東日本は車籍のない除雪用機械をこまめに配置することで対応している。

JR北海道も同じような考えだったが、一部は除雪車として保安装置を持たせている。

JR西日本はいかにも機関車みたいな除雪車を作っている。


こうして見るとなんかJR西日本ってやたら古風だなと思いますけどね。

新型検測車(DEC741形)も、昔からの事業用車の塗り分けということで青と黄色に塗っている。

中身は現代的なんですけどね。

嵯峨野トロッコ列車の牽引車はいろいろ憶測があって、除雪用車をベースにしたものではないかとか、

客車タイプのディーゼルカーで引くとか、JR貨物と同仕様の機関車を買うとか、

いろいろ言われてたが、奇をてらったことはせずに、綺麗に収まるようにしてきた感じですね。

正倉院展の内覧会

今回の旅行、前はマチ★アソビで決まっているが、後ろは正倉院展で決まっていた。

徳島に行くのにバイクを持って行くとなれば、南海フェリーを使わざるを得ず、帰るにも時間がかかる。

それならばしばらく関西を回る方がよいが、そうすると正倉院展が見えてくると。

じゃあ一体の旅行にしてしまおうと考えたわけである。なので土曜まで関西滞在で、日曜に帰路につこうと。

ただ、できれば親元に滞在する日を1日ぐらい作れた方がよいと思ったので何か手がないか。

そこで思い出したのである。賛助会員には内覧会の招待状が届くじゃないかと。


で、無事に届いたわけだが、普段はこの手の内覧会の招待状ってハガキなんだけど、

なんと正倉院展は封筒、裏面には館長・正倉院事務所長の連名、古風だなぁと思う。

もっとも中にはカードが入っているが、来場時には封筒を渡してと、正味はあて名シールの貼られた封筒の方だったりするのだが。

ともあれ、これで開会前日、今日に正倉院展を見られるということになる。


最終目的地は奈良公園と決まっているが、果たしてそこまでどうするか悩んだが、バイクを担いで近鉄電車に乗る。

橿原線に乗っていると、自分が乗っているのもすれ違うのも新車8A系が多くて大活躍だなと。

そりゃ京都線・橿原線で使うことを見込んでの車両だしな。(cf. 8A系のAの入る場所)

郡山駅で下車してバイクを組み立てる。ここから走って行くが、最初の目的地は駅のすぐ近所、郡山城跡である。


意外と来たことがなかった郡山城跡である。

郡山というと細い道ばかりの古風な城下町の印象があるが、城下町っていうのは城があったわけですよね。

かつて郡山藩は大和国の広範囲を支配しており、現在の奈良県のルーツと言っても概ねよい。

南都銀行は郡山藩士の設立した銀行が元になっており、今年移転するまで使われていた本店は元々「六十八銀行奈良支店」だった。

この当時は本店が郡山にあったんですね。ただ、この建物は本店になることを意識して作られたとされている。

そんな大和国の行政の中心が郡山にあった時代もあったのである。

今となっては古びた城下町、あるいは工業都市という印象もあるが、元はそうだったんです。

城の西側に駐輪場があり、ここで降りて歩いて行くが、芝生の広場として整備されている。

当然、かつてはこのあたりも城の建物があったわけで、相当な業務量があったことがうかがえる。

東側は現在の市役所あたりまで城だったので、こっちも広いなと思う。

堀も深いなぁと思いながら、天守台へ向かう。

登ることが出来るが、そこそこ眺めがよい。平城宮跡や東大寺大仏殿、興福寺五重塔(の素屋根)が見える。

ところでこの石垣の石、石仏がけっこう混ざっていたようで、その1つが「さかさ地蔵」として紹介されている。

石垣を積むのにとにかく石を集めたというのがよくわかるが、石仏まで使うか? という気はする。


郡山から奈良公園まで走って行く。途中でロードサイドで昼食に寄り道。バイクを持って来た理由の1つである。

県庁東交差点を過ぎると観光バスが多く、なかなか大変である。奈良博の前で降りてそこからは押し歩き。

ただ、この奈良博の前がなかなか大変な状況だった。

どうも内覧会の招待客は車で来る人もいるようで、VIPもいるんでしょうね。その車の出入りでごちゃつく。

さらに奈良博の前は観光客がそもそも多く通る上に、仏像館を目当てに来る観光客もけっこういる。

遠足か外国人観光客かという感じだったが。まぁ奈良博のハイライトには違いないですし。

僕も先に仏像館を見ておこうと。というのも法華寺の十一面観音立像が修理完了というので公開されているからである。

なかなか綺麗だと思うのだが、解体修理時に胎内に「一日造立観音」と書かれた文書が入っていたという。

すなわちこの仏像、1日で作ったのだという。どこまで1日でやったのかはよくわからんが。

この一日造立仏というのは疫病退散などの願いのために行われたものだという。それが今日の国宝である。


さて、それでは内覧会に入りましょうかと、15時頃に入る。

入口で「GUEST ご招待者様」というシールと図録が渡される。このシールを貼っておけと。

後で気付いたが、これで仏像館も見られるんですね。賛助会員ならカードを見せて入るので要らない話だが。

いかにも偉そうな人や、カメラを持った取材の人、スーツを着込んで仕事で来ている人、袈裟を来ている人もけっこういるがこれも同じだろう。

ただ、そういう人ばかりでもなく、賛助会員なのかそれ以外になにかあるのか、ラフな格好の人もいる。

内覧会で正倉院展を観に来るメリットは空いていると言うことである。

ただ、常識的に考えればこれでも混んでいる展覧会である。

普段の正倉院展の人の密度を1/2~1/3ぐらいにしたようなと言えば、来たことがある人にはわかるか。

やはり正倉院展、内覧会からして破格だった。


さて、正倉院展だが前半はゲームに着目していた。すごろく と 投壺ですね。

一応、宮廷文化というくくりなので「鳥毛篆書屏風」が6扇並んでたり、すごい光景だが。

あと文字通り大仏開眼のために使われた筆なんてあって、現代の筆とはけっこう違うんですけど。

正倉院展もネタ切れ感はあるが、文書以外の初出陳は伎楽の衣装だった。やはり布物なんだな。

ただ、この伎楽関係のものを並べた一室を設けた理由は「甘竹簫」である。

実はこれ明治時代に間違えた復元をされてしまった品である。

甘竹簫 元に近い姿に<正倉院宝物・管楽器> (読売新聞)

後の時代に他の部品(楸木帯)が見つかって、正しい姿が判明したが、だからといってやり直せるわけではない。

ところが再修理が必要となり、それならばなんとか復元できないかという話になり、ニカワを酵素で溶かして分解、再組立にいたった。

もっとも組立といっても一体にくっついているわけではなく、台の上に置いているだけである。

それでも楸木帯の発見から60年経って本来の姿で見えるようになったということで、正倉院宝物研究の歴史ですね。


あと、おもしろい話ではトナカイの角……ではなくシフゾウの角、象牙……ではなく鯨骨というのもあって、

正倉院宝物を生物学的に調査するようなこともしばしば行われているよう。

ところでなんでこんなものが宝物にあったのかというと、鑑賞用かもしれないが工芸品の材料の可能性があると。

結局は正倉院って元々寺の倉庫だったわけですよね。前半で展示されていた蘭奢待もそうですが。

こちらも放射性炭素年代測定で聖武天皇の時代より後まで生えていた木であることが判明し、

その後に正倉院に運びこまれて、時の権力者が切り取っていったという。よくわからん話ですよね。

最後の部屋にはポスターにもなっている瑠璃杯があった。混雑対策でここなんだろうな。

これは会期中だと全然見られなかったかもなと思った。というのも正味小さいんですよね。

わりと近づいて見られたのは内覧会のおかげか。


そんなこんなで奈良公園を出て帰ることにしたが、バイクをどこで畳んで電車に乗るか。

なかなか決め手に欠くところもあったが、桜井まで走ってもいいかもなと、国道169号線をひたすら南下、桜井駅まで走った。

道路幅に余裕がない区間が多く、自転車の幅でも後ろの車が追い越すのが難しいようで、ちょっと申し訳ない思いもあったが。

ただ、そもそも天理IC付近は混雑で相当な速度低下が起きていて、なんやかんや名阪国道狙いの利用は多いんかなぁって。

天理ICを過ぎて、天理市街を過ぎるとのどかな光景になる。沿線には崇神天皇陵など大規模な陵墓が薄暗い中でもよく見える。

途中で1本目が34kmで電池切れ、平坦なところならまだそれぐらいは持つのか。

2本目に交換して少し走ると桜井駅、昨日の飛鳥行きのスタート地点に戻ってきた感じ。

そんなこんなの関西滞在だった。

談山神社とキトラ古墳

今回、徳島滞在から関西滞在を1週間伸ばす必要があったので、

その間どこに行こうかといろいろ考えていて、そこでふと思い出したのがキトラ古墳の壁画公開である。

これ、今までも奈良県内のいろいろな施設に行くたびにポスターを見ていたが、

予約制というので急に思い立っても難しかったのだが、あらかじめ思いついていれば容易である。


壁画公開は年間4回、およそ1ヶ月ずつ行われる。1年の1/3はチャンスがあると。

応募者多数ならば抽選にはなるが、必ずしも全枠埋まるわけでもない。空き枠は二次応募として前日ぐらいまで受け付けている。

その空き枠の状況はWebで見られるので、それを見て少し前に申し込んでおけばいいと。

というわけで申し込むと翌日にOKと連絡が来た。というわけで、飛鳥行きが決まったわけである。

飛鳥ってのは自転車で駆けずり回る人も多いですから、バイクってのはいいですね。


飛鳥周辺はたびたび足を伸ばしており、大概いろいろなところを見ているわけである。

そんな中でキトラ古墳だけでは面白くないが他に行くところはあるかと地図を見ていた。

そしたら桜井と飛鳥の間に談山神社というのが見えた。

どうも紅葉の名所らしい。が、まだ早いんだよな。ただ、興味を惹いたのでここに寄り道することに。

けっこうな山登りだろうが、さすがに電池は持つだろうと計算して、バイク担いで電車で桜井へ。

桜井駅を下車して駅前でバイクを組み立てていると「芸能創生の地」という碑があるのが目に入る。

そんな大げさなと思いながら、バイクを走らせ始めて南下していく。

すると途中に「日本芸能発祥の地 土舞台」と書かれた案内看板がある。

バイクを置いて住宅地の中をクネクネ歩くと、高台のなんてことない広場に出る。

どうも日本書紀によれば、この土舞台で伎楽を行ったということで、ここを起点に伎楽が普及していったと。

この経緯をもって、桜井市が日本芸能発祥の地と言っているらしい。ここで実際に伎楽をやったりしてるみたいですね。

もっとも伎楽というのはその後すっかり廃れてしまって、今では不明点も多いと言う話である。

ただ、これが現代の能楽につながっていることは確からしい。


談山神社の大鳥居が見えて、まさに談山神社へ向かう道に入ったことがわかる。

坂道が続き、電池の消費が激しいのは目に見えているが、ここから6kmほどというから大した距離ではない。

速度は落ちつつも、左にトンネルが見えてきた。

北は桜井、西は飛鳥、南は吉野、東は宇陀ということで、けっこうな交通の要所に思える。

歴史的にはどうなんでしょうね。飛鳥との往来はあったし、伊勢方面への短絡路に使われたりしていたそうだが。

ただ、宇陀方面の車道ができたのは2003年、飛鳥方面の車道ができたのは2009年と、いずれも比較的近年である。

このトンネルが見える八井内交差点から談山神社まで、距離はそこまでないが高低差がすさまじい。

全然バイクが上がらないのである。というわけで仕方なく押し歩き。

後で確認したところ、桜井駅付近が77m、八井内交差点が382m、7kmかけて300m上がっているわけですね。

これもけっこう上ったなぁと思うわけだけど、談山神社付近の標高はなんと503mほどに達する。

これを1.4kmほどで上がるわけで、平均斜度9%ぐらい? これだときついんだよな。

押し歩きを続けて談山神社の第1駐車場に到着、ここは無料で停めて良いらしい。

アップダウンが激しいがすぐそこではある。


さて、談山神社に入って最初にたどり着いたのが神廟拝所である。

入ると中央には藤原鎌足像があり、この神像を拝する建物なのだが……なんか変ですよね。

実はこれ元々は妙楽寺という寺だったのである。で、そこに仏像を置くかのごとく鎌足公像を安置したわけである。

元々、寺と神社の境目は曖昧なもので、後の時代に寺から神社部門が独立したなんてのはよくある話だが、

ここは鎌足公を祀ることを重視し、全体を神社にすることを決断、仏教寺院としての機能を喪失し、談山神社という名前になったという。

ちなみにこの談山というのは大化の改新の作戦会議が行われたことに由来するものだそう。

神社とみても寺とみても変なところだらけだが、完全に寺と思えるのが十三重塔である。

少し色づき始めた木々と合わせて見ると見栄えはするが、おおよそ神社の景色とは思えない。

本殿・拝殿は神社によくありそうな感じはするが、張り出した舞台はよく寺で見る光景である。

日差しもあってまだ青々とした紅葉は夏っぽい景色だが、これもこれでよかったかもね。混んでると大変だっただろうし。


さて、ここから飛鳥に向かって下っていくが、やはり急坂、速度を落としつつ下っていく。

飛鳥から上りだと八井内~談山神社付近と同じぐらいの勾配を延々と走ることになってたのだろう。

そしたら上がらないとずっと押し歩きだったのだろうか。時間の都合でこっち周りになったが正解だったな。

飛鳥歴史公園の祝戸地区、展望台で畝傍山とか見ながら持って来た昼食を食べる。

園路を押し歩きしながら、周りを見ると棚田が美しい。そろそろ収穫かね。

で、そこを通り抜けて再び走り出して、同公園のキトラ古墳周辺地区に到着、展示施設の「四神の館」付近に到着する。

駐車場に入ろうとすると、自転車は四神の館の横に停めてくれと。

自転車でよかったんだろうか? まぁ原付も同じところに置いてあったから原付としても正しかったのかも。

で、時計と予約を再確認してびっくり。ちょうど集合時間だった。時間を勘違いしていた。

危ないところだったと、足早に四神の館に入り受付で名前を申し出る。


さて、キトラ古墳は高松塚古墳とともに石室に壁画のある古墳ということで注目された。

調査を進める中で漆喰の剥落などの現地保存が難しいということで、一旦漆喰を剥がして壁画の保存を図ることになった。

展示室前で映像を見て思いだしたのだが、大昔にこのキトラ古墳のあたりに来ていて、

当時はまさに壁画の剥ぎ取り作業などしていたところで、その作業中に環境を保つための保護施設の建物に覆われていた。

無事に漆喰を剥がし終わったのが2010年のこと。壁画は修復、古墳は封をして復元、

これらの作業が落ち着いたのが2016年頃のことで、古墳はかつての姿を取り戻し、壁画も予約制で見られるようになった。

工場のような物々しい姿でなくなっただけでもよかった気はする。

ただ、壁画を石室外に出して四神の館での保管することにしたのは「当面の間」の措置とされている。

保存の目処が立てば石室内に戻し、現状復元をするという建前はある。ただ、当面の間が何十年続くのかは正直わからない。


さて、この秋に公開されているのは「玄武」のある北壁の壁画で、玄武って亀と蛇が一体化した空想の生物ね。

玄武については高松塚古墳にもあったのが、一部が削れてしまいよくわからない状態だった。

それがキトラ古墳の壁画にはよく残っていたので、補完できたということらしい。

10分間見られるのだが、わざわざオペラグラスまで貸してくれる。そんな遠くもないのに。

玄武自体はやっぱりよくわからん生き物だなと思うわけだが、下に十二支が描かれている。

薄れていてそれこそよくわからないのだが、子はネズミの頭が見えて、なるほどと。

この十二支というのもキトラ古墳の壁画に特有的なもので、北壁は十二支が3つ並んでいるのが確認出来る唯一の壁だったそう。

玄武というよりそっちの方が見所だったのかも。そんなわけで10分間飽きるぐらい見た。


キトラ古墳周辺地区はキトラ古墳以外にも史跡を内包していて、檜隈寺跡である。

今は敷地内に於美阿志神社があるが、その脇に石塔がある。これが檜隈寺の名残としてわかりやすい。

あと埋め戻されているが、瓦を作っていた窯も発見されているようですね。

本当にいろんなものがあるなぁと思うのだけど、ほぼ全て廃れたのが飛鳥一帯の遺跡である。

高松塚古墳周辺地区にも寄っておくかと、こちらも石室解体後埋め戻され、静けさを取り戻した高松塚古墳を見る。

ここも昔から物々しかった覚えがある。ましてや石室解体中は工事現場そのものである。

こちらの壁画も保存施設での公開が行われているが、こちら年4回で1週間ずつなので、キトラ古墳よりハードルが高い。

もっとも壁画の模写は高松塚壁画館でいつでも見られるので、古墳の理解という点ではそれでもよいと言える。

ゆくゆくは実物の壁画も見やすい形で見られるようにするのだろうと思う。

なお、こちらも建前上は「当面の間」の保管だが、それが何十年続くのかはわからない。


で、このあたり見ていて知ったのだが、中尾山古墳というのがあって、石室が八角形で棺が入らない、すなわち火葬墓なんだそうで、気になって見に行った。

外から見るとそんなに大きくはないが、言うても常識的にはデカイ墓である。

どうもこの中尾山古墳は古墳時代の終焉を表すものだそうで、火葬を取り入れたのもそのためだそう。

なお、ここは史跡指定されている古墳だが、この時代に火葬される人は相当高貴な人であり、

具体的には文武天皇では? という話もあるのだが、文武天皇陵は別に存在する。

こういう天皇陵らしいが天皇陵として管理されていないという墓はしばしば存在する。


帰りはそのまま北上して耳成駅でバイクを畳んで電車に。

この駅は踏切の両側に駅舎がある駅なので、バイクを担いで運ぶには好都合。

それにしても「飛鳥・藤原の宮都」は世界遺産登録されるのかね。

かなり時間はかかったが、とうとう今年に世界文化遺産への推薦が行われた。

時間を要したのは藤原宮跡を特別史跡でカバーするのに時間がかかったから。地権者の理解も得てほぼカバーできるに至った。

長年慎重に進めてきた世界遺産構想、一発合格を狙っているのだが果たしてどうだろう。

課題はわからないところが多すぎるところかもしれない。

万博ロスの大阪を顔パスで行く

大阪に出かけるにあたってどこに行こうかなと考えたわけだが、コスモタワーに行くかと。

そしたら平日だけどエンジョイエコカードを買ってもいいかもなと。

エンジョイエコカードは休日だと620円なのでよく買うが、平日だと820円で各種割引もあるしと。

で、調べていたらe METROアプリで登録すると顔認証改札が使えるとある。

面白そうなので手間はかかったが登録して、1日乗車券(エンジョイエコカードとは言わないらしい)を買う。

ちなみにこの1日乗車券は夢洲駅で乗降できない制限がある。一方で大阪シティバスの一般路線でも利用できる。

夢洲駅で乗降できるのは26時間券と48時間券で、こちらは地下鉄全線でバスは使えない。


というわけで鶴橋で近鉄を降りて、千日前線の改札へ。青く光って鎮座している顔認証改札をくぐるとちゃんと通れた。

おー、これは楽チン。ほとんどの改札口にはあるが、稀にないところもある。

それがコスモスクエア駅の西改札、その場合はQRコードを改札機に見せて通ることになる。

そういえば自動改札機にQRコード見せて通るのは初めてのような気がする。

ATCに寄り道しつつ、やってきたのは「大阪府咲洲庁舎」である。今の建物名はこれか。

このビルはもともと「大阪ワールドトレードセンタービルディング」という名前で、

WTCタワーとか、WTCコスモタワーとか呼ばれていた。しかしオフィスビルとしては経営不振に陥った。

このため大阪市のオフィスを多く入居させて買い支えていたが、賃料が高いと問題になる。

そんな中、大手前の大阪府庁も老朽化が進んでいるため、WTCへの府庁移転という話が出てきた。

しかし府庁移転議案は議会で否決され、府庁の移転はならなかった。

とはいえ、実態的な府庁移転は進み、このビルは大阪府が購入、以後「大阪府咲洲庁舎」という建物名になっている。

議会以外のほとんどの部門は咲洲勤務になってるみたいですね。


大阪府所有にはなったものの、従来からのレストランや展望台の体制は変わっておらず、役所の展望台としては珍しくも有料である。

しかも案外高くて1200円である。昔は700円ぐらいだった覚えがあるんだけど。

ただ、コスモタワーは高さ256m、その最上階からの眺めを楽しめるという点ではなかなかである。

今でこそあべのハルカスの ハルカス300 があるが、それ以前は大阪では最も高い展望台だった。

エンジョイエコカードなど呈示すると100円引きになるが、その場合、現金でしか払えない謎の制約がある。

ともあれ払うとエレベータで上がるが、いきなり展望フロアではなく、エスカレータを乗り継いで到着となる。

この展望台のよいところは海の大阪が楽しめるということである。双眼鏡を持って見ていると、明石海峡大橋や関西空港も案外近く思える。

あべのハルカスは四天王寺・大阪城など歴史ある眺めが楽しめるので、ここは使い分けである。

それでまさに今、海の大阪で見るべきものといえば、それは夢洲の万博会場跡地である。

リングもパビリオンもまだ残っているので、万博ロスということか夢洲を眺めるために来る人が多いようだった。

USJの方向、少し遠くを眺めてみるとなんか見覚えのある形の建物が見える。太陽の塔である。

双眼鏡で見るとよく見えるんですね。横をよく見てみると巨大観覧車、OSAKA WHEELもある。


展望台からの帰りは一般のエレベータを使うことになっていて、府庁勤めの人が昼食に行くのかたくさん乗り込んできた。

ATCもそうだけど、もはやこのあたり官庁街ですよね。

移動してから食べるかということで、またコスモスクエア駅まで歩いて来た。

ニュートラムに乗ることも考えたが、停電で運休なので。都心なら歩いてコスモスクエア駅まで行って中央線が一番早いですからね。

そんなこんなでたどり着いたのは あべのハルカス である。レストランで昼食を食べようと。

御堂筋線東改札を出て、solahaと書いた入口から入るが、もう専門店ゾーンはsolahaって書かなくなったんですね。

日本一の売り場面積の百貨店の商売の形の1つとして専門店ゾーンsolahaを考えたわけだが、縮小を続けていった。

かつてsolahaだったところは、通常の百貨店フロアと大型専門店(無印良品・エディオン・ロフトなど)になっている。

レストランで食べた後、2階を通りがかるとEXPO2025オフィシャルショップがあり賑わっている。

売場自体は賑わってるなぁぐらいの印象だが、振り向くと「お勘定場」の行列がすさまじいことに。

レジの数は多く、夢洲の会場内のKINTETSUショップを思い出した。それでもこの混雑なのかと。


ところかわって梅田、グラングリーン大阪へやってきた。

なんとなくさまよってたらたどり着いたという感じだが、JRうめきた中央口のグランフロント側の反対につながってるんですね。

中を歩いているとすごく複雑なビルだが、オフィス階との兼ね合いのようだ。

地下にあるタイムアウトマーケット、ようはフードコートだが、ここで一服していた。

ふと思ったのだが、ここ最近、梅田には地下のフードコートやファストフード的なゾーンが増えた気がする。

グランフロント大阪のUMEKITA CELLAR、KITTE大阪の うめよこ もそうだし、

LUCUAとかLINKS UMEDAもそうだし、歴史は古いが阪神百貨店のスナックパークも引っ越している。

働く人が増えて、昼休みや仕事終わりに気軽に行ける店が欲しいということなのかな。


さて、コスモタワー展望台を出るとき、当日なら再入場できますよとみて、

夜景をやたらと推していたなと、日が落ちる頃にまたコスモスクエアへ向かうことに。

1日乗車券があるからこそである。2回入ればなおさら割安である。

夜の景色はそれはそれでよいが、昼に見てないと何が何だかという感じ。

大阪市街を見て思うのはギラギラしている建物はそう多くないと言うこと。

通天閣が目立つが、あとは案外控えめ。位置関係もあるのか無駄な光を放たないビルが増えているのか。

このあたりも都心立地のあべのハルカスだと印象はかなり違うだろう。

天保山の観覧車は派手だが、ほぼ同じ方角にはこれも光を放つOSAKA WHEELが見える。

でもやはり来場者の多くの目当ては夢洲ですね。作業のためかライトアップされたリングを見ているひとが多いようだった。

でもそれよりはるかに明るいのはIRの工事現場である。


大阪では万博ロスを随所に感じた。万博の名残を惜しむ人の多いことよ。

万博期間中には大阪・関西の他エリアの客入りが減ったという話もある。

万博を経て、違った賑わいがまた始まることになる。今日もたくさん見たが外国人観光客も多く来るのだろう。

その転換点の1つにIRというのがあるので、やはり待ち遠しいですね。まだ姿はさっぱりですが。