連立政権を去る理由、去られた理由

衝撃的なニュースだったのですが。

公明、連立離脱へ 党首会談、自民と決裂―首相指名、不透明に (JIJI.COM)

とうとう? という話なのかもしれないが公明党が連立政権から離脱するそうである。

まさか高市さんの総裁選出がトリガだったとは。

とはいえ表向きには「自民総裁選で誰が選ばれても同じだ」とのことで、

前々からくすぶっていたものであることは確かなようである。


考えようによっては自民党と公明党は対極的な政党である。

自民党は国民政党として様々な立場で支持する人がおり、

それらが集まって党としての政策が形成されていく仕組みである。

一方の公明党というのは宗教団体の創価学会が母体となっている。

創価学会が政治活動を行うにあたって最初に掲げられたテーマが世界平和である。

創価学会の結束力は相当なもののようで、公明党は地方議会・国会ともそれなりの勢力になっていく。

それだけに脅威に思われたこともあったようだが、政策面では宗教色を見せないことで乗りきったよう。


自民党としては組める相手だったのが公明党との連立政権に至った理由のようである。

連立政権に参加することで、公明党としての施策を盛り込めるようになったが、

一方で自民党の党内政治で決まったことを覆すのも難しい現実もあった。

僕の理解において公明党というのは福祉政党だなと思っていて、

自民党にも当然こういう考えの人はいるので、そこを後押しする力はあったと思う。

でも、それぐらいしか自民党中心の政権には響かなかったんだよな。


一方、選挙という面ではお互い相当不満があったのではないかと思う。

というのも衆議院小選挙区は一部を公明党に割り当てる必要があり、

その選挙区においては自民党としては公明党候補を推薦していた。

その代わり公明党の支持者がその他の選挙区で自民党に入れてくれていたのだが。

小選挙区制を生き抜くには妥当な作戦ではあるのだが、

自民党支持者にとってみれば公明党は違うんじゃない? という見方はあったはず。

さらに近年は公明党支持者と自民党の乖離も増えていたようで、

一部候補を推薦見送りにして、実際に公明党支持者が票を投じないこともあったらしい。


一方で公明党としても党勢の衰えが著しいところはある。

そもそも創価学会の信者が高齢化する中で、公明党支持者も高齢化していると。

そうはいっても一定の得票は見込める勢力ではあり、

自民党としてもなんとか引き留めておきたかったが、公明党側から離脱の申し入れがあったという。

一説には高市総裁体制になると、公明党が自民党要職とのパイプを失うという話があり、

今までのような連携関係は難しいという肌感はあったのだろう。


今までの経緯を考えれば仕方ないのかなとは思う。

ただ、公明党にとってみれば党勢の衰えも著しい中、連立政権への参画という特徴もなくなり、

逆に自民党に縛られることもなくなるが、支持母体の弱体化からすると厳しい気はする。

少なくとも小選挙区においては自民党に縛られない投票行動になるわけで、

でもそれは今さらの話なんですよね。

おそらく立憲民主党・国民民主党・日本維新の会に流れている分は相当あるはずである。


果たして総理大臣指名選挙はどうなるんでしょうねと。

立憲民主党・国民民主党・日本維新の会の3党が一堂団結は考えにくいので、

やはり自民党総裁にしかチャンスはないような気がする。

総理大臣になった後、政権運営がうまくできるかという観点もある。

以前は立憲民主党と協調路線をとるのでは? と予想していた。

自民党と立憲民主党はお互い折り合える点も多いので、この2党で妥協点を探れば、ある程度安定的な政治ができそうに見える。

僕が考えた多党制のシナリオはこれだったんですよね。

小選挙区の多くをこの2党で分け合えば、現実的な妥協点は探りやすいだろうと。

他の政党もあるので2党だけで決まらないが、2党がリーダーシップを取るとスムーズであると。

ところがこれに納得しなかった自民党支持者(あるいは元支持者)は多かったんですよね。

国民民主党はそういう層がかなり流れ込んだものだと言われているが、

実際に多く流れ込んだのが参政党だったことがうかがえるところである。

(比例代表の支持の集め方)

石破さんが総理大臣・総裁を辞任し、党員の多くが高市さんを支持したのは、

まさにこういう意志の表れだったのではないかと見ている。


女性初の総理大臣かという話にはなっていますけど、

だからといって政治が変わる気はしないのは、長年にわたり自民党に参加してきた人だからですよね。

そのことこそたたえるべきことなのだろう。

党員からの期待度は高いようなので、公明党の連立離脱も加味すれば、

自民党の色をきちんと出してやっていくべきだということなのだろう。