その放送はなぜその周波数帯?

今の日本では、AMラジオといえば中波、FMラジオと言えばVHF、テレビといえばUHFとなっている。

昔はVHFのテレビもあったし、短波放送はAMラジオではあるが、現在は一般的には上の通り。

なぜFMラジオはVHFでないといけないか? なぜUHFのラジオはないのか?

気になった人はいるだろうか?


日本で各放送で使われている周波数とチャンネル数を列挙すると、

中波放送(AMラジオ)では531kHz~1602kHzで9kHzおきに使うことになっているので120チャンネル、

FMラジオでは76.1MHz~94.9MHz、ただし80.8~81.2MHzは遭難信号との混信を防ぐために使えないとのこと。

これを0.1MHzおきに使うので184チャンネル使える。

ちなみにVHFをテレビで使っていた時は、90.0MHz~108MHzはテレビの1~3chに使っていて、86.0~89.9MHzもガードバンドということで使えず、

実態としては76.1MHz~85.9MHzのうち80.8~81.2MHz以外という使い方だったので、94チャンネルだったということになる。

比べるとテレビのVHF撤退でかなりFMラジオにもゆとりが増えたことが分かる。このゆとりを使って新規の中継局が増えているのだ。

テレビは470MHz~710MHzで6MHz間隔でチャンネルを切っている。13ch~52chの40チャンネルが使われている。

アナログ時代~デジタル移行中は770MHzまで使っていたのであと10ch多くて、UHFで50チャンネル確保されていたそう。


こうやって比べてみるとよくわかるけど、周波数の間隔はAMラジオは9kHz、FMラジオは0.1MHz、テレビは6MHzと、

帯域幅がそれぞれ1桁ずつ増えていっていることがわかる。

FMラジオの0.1MHzって100kHzだから、AMラジオ11チャンネル分の幅を使っているわけだ。

テレビはVHFから1ch撤退すれば、その6MHz幅にFMラジオは60チャンネル切れるほどの帯域があるのだ。


これこそがそれぞれの放送方式と周波数のチョイスに深く関係している。

周波数が低いほど帯域は貴重なので、広帯域を使う用途ほど高周波に追いやられるのだ。

電波の呼び名は周波数や波長が1桁変わるごとに変わっていくのだけど、

中波は300kHz~3000kHzの2700kHz間を指し、VHFは30MHz~300MHzの270MHz間を指し、UHFは300MHz~3000MHzの2700MHz間を指す。

中波と呼ばれる周波数帯、2700kHz全てを0.1MHz間隔で切っても27チャンネルしかないのだ。

一方でVHFと呼ばれる周波数の一部に過ぎない76.1MHz~94.9MHzだけを0.1MHzで切っても184チャンネル確保できる。

ゆえに中波放送でFMラジオはできなくて、FMラジオはVHFを使う必要があるわけだ。


テレビにしても6MHz幅でチャンネルを切るとすると、VHFと呼ばれる270MHz間を全てテレビで占有しても45チャンネルしか確保できない。

そんな中でテレビは12チャンネルをVHF帯で確保してたということだから、VHF帯でテレビはずいぶんな邪魔者だったことが想像できる。

だからデジタル放送に移行するときにテレビはVHFから追い出されたということだ。

一方で12チャンネルというのはテレビにとって十分なチャンネル数ではなかった。

干渉の可能性がある局同士は隣接チャンネルにならないようにしていたから、

大都市圏の本局で6チャンネル使ったら、それが飛ぶ範囲には他の中継局やら、地域放送をほとんど置くことができないほどに窮屈だ。

テレビがUHFに進出した背景には、VHFでは数多くの中継局を設置するということが難しいという事情があったようだ。

UHFなら50チャンネル確保できたし、VHFに比べるとUHFは遠くに飛びにくいという特徴がある。

UHFの豊富なチャンネル数を生かして、狭いエリアをカバーする中継局を多数設置する。今のテレビはそうなっている。


逆に高い周波数帯で狭い帯域を確保するのは簡単なので、

UHFラジオとかあってもよさそうな気もするが、そういうのはないんだな。

VHFでも十分なチャンネル数が確保できて、UHFよりVHFの方が遠くまで飛びやすい傾向にあり、

かといってVHFで混信の心配があるわけでもないので、あえてUHFを使う理由はないということだろう。

ラジオにとってはVHFは音質・チャンネル数・カバーエリアとも好都合な周波数帯なのだろう。

中波も使われているけど、音質や混信という点で難ありというのが実情ですから。


ちなみにAM(振幅変調)の占有帯域幅は、搬送する音声の帯域がBならば、

搬送波の上下に帯域幅Bの側帯波ができるから、2Bの帯域を使うことになる。

ということはAMラジオで9kHzの幅に収まるようにしようと思えば、音声の周波数は4.5kHzまでしか収まらない。

ちなみに電話では0.3~3.4kHzの音声を伝えることができる。9kHz幅で切ったら各放送局、電話ぐらいの音質にはなるということだ。

ただ、実際は両側で20kHzぐらいの幅で飛ばしているらしいね。ということは10kHzぐらいまでの音声が含まれていると。

中波放送の帯域幅って (mac’s Blog)

AMラジオで他の放送局から18kHzぐらいしか離れていないチャンネルを聞くと、隣の放送局の高音成分が混ざり込んでくることがあるが、

現実の放送局は行儀よく9kHzに収まっているわけではないということが原因だ。

これぐらいはみ出すと音楽を流してもそれなりに聞けるってことでしょうね。近接するチャンネルの迷惑にはなるが。

高速道路のお供にWAON

WAONというのはなにかと使い道があるもので、WAON付きイオンカードは手放せないものである。

イオンではSuicaを使うからWAONを使うことは少ない。(WAONボーナスポイントがあるときだけ使う)

しかし、吉野家では重宝するので手放さずに持ち続けている。(cf. WAONよりSoftBankカード)


そんな中で最近役立つと気づいたのが高速道路のSA・PAだ。

SA・PAの中でも大手のコンビニはそこで使える決済手段は一通り使えるのでWAONにこだわることはない。

ところがそれ以外の売店ではそうもいかないのだが、ほとんどの店でWAONとEdyに対応しているのだ。

そこでWAONが役立つということである。


それにしてもなぜWAONなのだろうか?

実はNEXCOはイオンカードとの提携カードを出している。

イオン E-NEXCO pass カード(WAON一体型)(イオンカード)

同様に首都高速、阪神高速との提携カードも出している。

見た目はほとんどイオンカードだが、一応各社の特典がある。イオンカードなのでイオンでの特典もある。

高速道路会社の提携カードらしくETCカードは何も言わずとも付いてくる。

年会費は無料、これは他のイオンカードとも同じなのだが。

こういう提携関係があるので、高速道路のSA・PAの決済手段はWAONなんだろう。

ついでにEdyにも同じ端末で対応しているけど。


なぜ高速道路各社が提携先にイオンカードを選んだのかはよくわからないのだが、

クレジットカードは年会費無料でもETCカードは年会費必要というカード会社もあるので、

そんな中でETCカードを付けても年会費無料のイオンカードは提携先候補になり得たのではないのだろうかと。

セゾンカードは無料でETCカード付けてくれたから(cf. 大阪・鶴見にてETCカードの即日発行)、

特別なこととは思ってなかったのだが、意外とそうでもないらしい。


高速バスに乗ったときなど、高速道路のSA・PAに寄ることはたびたびある。

そこで買い物するかは時に寄るが、そんなときにとりあえずWAONが使えるのは役立つ。

なにかに使えると思って持ち歩いているイオンカードだが、こんなところでも使えるのだ。ちらかというとEdyが使えてよかったという人が多そうだけどね。

代行バスを走らせるにも

久々の出勤である。

多くの人がいなかったからか、1日余計に休んだという実感もそうなく。

休み前の仕事を再開させてぼちぼちと。一応は順調にやっている。


先月の熊本地震、そろそろ学校も再開させるんだということで、避難所を集約したりという話もあったようで。

まだ普段の生活に戻り切れてはいないのだろうが、そんな中で少しずつ戻り始めている姿が見て取れる。

そして交通網も戻り始めているのだろうが、鉄道なんかはすぐには復活できないところもあるものである。

が、それにしても今回の地震の影響は大変なようだ。


当初は九州新幹線全線不通なんて状況にも追い込まれたものの、

とりあえずは多くの路線で運行を再開し、新幹線は設備の破損などで減速を余儀なくされているがとりあえずは走っている。

そんな中で鉄道の不通区間は、以下の2区間に限られている。

  • JR豊肥本線 肥後大津駅~豊後荻駅
  • 南阿蘇鉄道高森線 全線

いずれも土砂崩れの影響で長期不通が見込まれる区間が含まれている。

土砂崩れの影響が出ているのは鉄道ばかりではなく、この付近の一般道にも同じく影響が出ている。

特に阿蘇大橋は現地復元は困難という話もあるほどで、こちらも長期不通が見込まれている。

そのため単純に線路に平行して代行バスを走らせるのも難しいのである。


とはいえ、学校が再開しても足がなくてはどうしょうもない。

そんなわけで曲がりなりにも代行バスが走るようになったようだ。

まず、JR豊肥本線、不通区間のうち、大分県側の宮地駅~豊後荻駅 間は早い段階で代行バスが走っていた。

阿蘇市のWebサイトによれば今日から平日朝夕限定で宮地駅~肥後大津駅の代行バスが走るそう。

並行する道路がやられているのにどうやってバスを走らせるのだろう? と時刻表を見てみると 立野駅・瀬田駅が通過扱いになっている。

今回、特に被害が甚大な区間は赤水駅~立野駅の区間で、ここは平行する道路もやられている。

おそらく、この区間を含む赤水駅~肥後大津駅の区間は大きく迂回して、ミルクロードと呼ばれる道を通ることで解決したのだろう。

こうやって限定的ではあるが、鉄道代行バスを走らせることができたようだ。


南阿蘇鉄道の不通区間に対する代行バスだが、実は鉄道会社ではなく、臨時通学バスという名目で沿線の町村が走らせている。

というのも、単純に鉄道代行と捉えるのは困難なほどの迂回を強いられてしまうからである。

そもそも立野駅でのJRの接続がないので、南阿蘇鉄道内々だけの代行輸送では話にならないが、

それ以上に、先ほど書いたように阿蘇大橋の不通が続いており、鉄道に並行したルートで客を集め、熊本市あるいは阿蘇市方面に走ることすらできない。

なので、熊本市方面に行くにも阿蘇市方面に行くにも大きく迂回しなければならないという話になる。

阿蘇大橋を通らず、熊本市方面に行くルートとしては県道28号線があるが、これも不通となっている。

なのでさらに大きく迂回して、グリーンロード南阿蘇経由で向かうことになる。

グリーンロード南阿蘇も地震の被害を受けたのだが、早期に開通できたため、迂回路として重宝されている。

グリーンロードを暫定県道に 益城~南阿蘇 (くまにちコム)

阿蘇市方面のルートも阿蘇山の東側を迂回するルートになるようだ。

というわけでバスも通常よりやたらと所要時間がかかるという状況で、なんとか足は確保できたけどという状態のよう。


自然災害で鉄道がやられるというのはわりとよくあるが、

平行する道路もろともやられ、迂回が困難というのはどちらかというと珍しい方ではないかと思う。

確かに不通当初はそういうことはあるが、道路の応急修理は早期になされることが多いので、それが長期にわたって続くのはよっぽどだ。

そんな中ではなんとか迂回路を見つけて代行バスが走り始めたというのは大きな一歩ではあるのだが、厳しい実情も浮かび上がってくる。

特に南阿蘇鉄道不通に対応する臨時通学バスなんてそうだよね。

並行する道路が復活しない限りは厳しい状況が続くが、なかなかその見通しも立たないというのが実情ではないかと思う。

まだ、JRの不通区間は立野駅~肥後大津駅の区間だけ大きく迂回すればよいので、なんとかごまかせそうだが。


今後、両路線ともどういう形で対応するのかはよくわかっていない。

現状のルートで復元させること自体が困難となる可能性もありそうだ。

なかなかどうなるか想像できないというのが率直な感想だ。

例え、現地復元するにしても長期不通は避けられないと思うが、それ以上に大きな問題を抱えている。

そんな実情が代行バスの運行状況からも見えているように思える。

途中下車印を押さないのはいかがなものか

今回、長野から新潟・鶴岡・田沢湖・平泉と途中下車しながら進んできたのだが、

JR東日本の駅員にはいい加減な人も多いと思った。

なにしろ途中下車印を押さない人がけっこういたのだから。


途中下車した場合、乗車券に途中下車した印として途中下車印を押すことになっている。

この途中下車印を押さない駅員がけっこういて、ある駅では「途中下車印押します?」と聞いてくる始末。

ここで「いらない」と言ったら押さなかったのだろうか? そういうもんではないと思うのだが。


途中下車印というものがなぜ必要か?

実は乗客としては途中下車印が押されないことによる不利益はないのだが、けっこう重要な役目を持っている。

途中下車せずに列車で移動する場合、乗車駅でスタンプとかパンチで使い始めの印が入った後、降車駅できっぷは回収されて役目を終える。

一方、途中下車する場合、途中下車した駅ではきっぷは回収されない。

もしここで途中下車印を押されていなければ、どこまで使ったのかわからない。

例えば、大宮→八戸のきっぷで、盛岡で途中下車したとする。

盛岡で途中下車印を押されなければ、宇都宮できっぷを見せたら再度、宇都宮から盛岡方面に利用できるかもしれない。

まだそれだけならよいのだが、JRでは途中下車出来る乗車券は未乗車の区間が100km以上残っている場合は払い戻しができる。

盛岡で途中下車しておきながら、「宇都宮で途中下車してその先は都合により使わなかった」と申告したら、この分が払い戻される可能性がある。

途中下車印を押さないということは、このような不正にもつながりかねないことなのである。


とはいえ、押されないことにより乗客が不利益を受けることはないので、どうしても押すようにとは依頼したことはない。

かつて、熊野那智大社に行くために那智駅で途中下車したときのこと(cf. 和歌山から那智山へ新宮へ)、

那智駅は無人駅で、ワンマンカーなので途中下車を申し出るのも運転士だったわけだが、

運転士に途中下車を申し出ると、そのままどうぞと通されるわけである。これは仕方ないと思った。

確かに「那智駅途中下車」とか書いて印鑑を押すなどして途中下車を記すことは不可能ではのだが、わずかな停車時間には無理だろう。

それ以外のケースはいずれも駅員に申し出ているわけで、そこにスタンプあるのになぜ押さない、それでよいと思ってるのか? という話である。

そんなことを駅員に言いつけたことはないけれど、心の中ではそう思っている。


時にJR東日本はいい加減だなと思うときがあって、不利益になる対応をされたことはあまりないが、なんだかなぁとは思う。

いなほ号に乗ったときに車内改札がなかったのも、そういうエピソードの1つである。

車内で特急券のチェックがないということは、実は特急券なしでも乗れたのでは? と思ってしまうのである。

だからといってズルをしようとは思わないけど、そういうことができそうというのは気分のよいものではない。

しらさぎ号での車掌の姿を見ていると、これはまじめに特急券を買って乗らねばと思うものである。

たびたび車掌が回って、きっぷを見ては利用区間をメモして、特急券を持たない人には短距離利用でも取り逃さず売りつけているわけだから。

これ、いなほ号をよく使っている人はどう思ってるんだろうね。いつもこんなのだとザルだなと思うのが道理だが。

高速道路のお供はAMラジオ

今回の旅行にラジオを持って行っていた。

単純に聞くためというのはあるが、この旅で確かめたかったことがあるからだ。

それがハイウェイラジオである。


初日、東京から長野まで高速バスに乗ったが、当然のことながら高速道路を走る。

高速道路といえばハイウェイラジオという標識がある。

そのハイウェイラジオって聞いたことないなと。どんなのか気になったのでラジオを持っていったのだ。

普通はカーステレオで聞くもんだろうが、携帯ラジオで聞いてはいけないという法はない。


ハイウェイラジオというのは道路を走る車に交通情報を提供するラジオである。

まず意外だったのがAMということ。狭い範囲に飛ばすならFMだろうと思ったのだが、1620kHzのAMラジオで飛ばしている。

もう1つ、飛ばしているエリアはごく狭いエリアに限られているということ。そしてエリアごとに違う内容が飛ばされているのだ。

ハイウェイラジオという標識があるのは、この区間だけ飛ばしているということを表すためということだ。

短時間の番組を繰り返し放送することで情報を伝えるという方式だから、聞き続けるという性質のものではない。

番組も音声合成で作られている。電波を使ってはいるが、文字表示板と同じようなことしかやっていない。


ハイウェイラジオといってトンネル内で放送しているイメージがあったのだが、実際はそうでもない。

ただし、トンネル内ではラジオの再送信が行われている。

路側にラジオの周波数の書いた看板があったりするが、あれはトンネル内で再送信をしている放送局の一覧ということだ。

この周波数は本来の放送に使っている周波数なので、この放送局ならば外で聞いてるままトンネル内でもシームレスにも聞けるということだ。

基本的には近隣地域のAMラジオ局が列挙されており、FMラジオ局も多少あるが、AMラジオがメインだそう。

トンネル外では聞けないラジオが、トンネル内に入ったときだけ聞こえるという不思議な体験もできる。

カーステレオだとこの山間部で東京のAMラジオ局も聞けたのかなぁ。

そんなトンネル内のラジオの再送信だが、万が一のときに放送に割り込んでトンネル内で情報提供するという役割もある。

神戸市バス64系統、新神戸トンネルを越えて三宮と神戸北町を結ぶバスだが、これに乗ったときにトンネル内ではラジオを付けていた。

このラジオ、再送信されている放送局ならなんでもよいのである。

何でもいいから聞いてれば、万が一の時に情報を得られるということで、神戸市バスではトンネル内はラジオを付けることにしているそうだ。


ちなみに旅行先のラジオ事情だが、長野・新潟・鶴岡・田沢湖・北上といずれも夜間に試したところ、OBC(1314kHz)はどこでもわりと聞こえた。

長野と新潟では東京に近そうだが、文化放送(1134kHz)に新潟放送(1116kHz)が被り、なかなか拾えない。

電波が届いてはいるらしく、新潟放送が無音になったときには文化放送の音声が聞こえたりもした。

田沢湖はなんと聞けるFMラジオは1局、NHK-FMの田沢湖中継局だけだった。それも出力が小さくてなかなか聞きにくい。

ただ、雑音が少ないからか夜間のAMラジオは遠くの放送局もわりとクリアに聞こえ、すごいところだなと思った。

なお日が昇っているときに聞けるのは、NHK第2秋田、NHK第1盛岡、NHK第2盛岡、岩手放送の4局だけだった。秋田県だが盛岡に近いのでこうなる。

2回ほど実用してみた。あまり期待してはいなかったが、日本にいる限りは役に立ちますな。

平泉に描いた浄土世界はこんなのかな?

無事に帰宅して、6日ぶりの自宅である。

新幹線で大宮で降りて、相変わらず人が多いなと思った。

そんなに遅くなかったので家に帰ったら晩ご飯作るかと思い、買い物してから帰ってきたのだった。


さて、今日は平泉に行っていた。

朝9時半ごろ、平泉駅で降りて、毛越寺に向かって歩いて行く。

それにしても静かだ。平日の朝だとこんなに静かなんかな。

毛越寺はかつて浄土庭園の中に壮大な伽藍を作ってあったらしい。

ところが建物は焼失してしまい、残っているのは庭園と礎石だけ。

そんな庭園を往時の姿を思い浮かべながら歩いていた。

庭園と礎石しか残っていないと書いたが、かつてどんな姿だったかというのは想像しやすかった。

それもこれも庭園の修復が行われた結果で、そのことは宝物館の展示でも紹介されていた。


と、平泉の建物の多くは燃えてなくなってしまったのが実情のようだ。

平泉に浄土世界を描いた奥州藤原氏が絶えてからも、平泉の文化財を守ろうという努力はあったそうだ。

それでも戦乱の時代にほとんど燃やされてしまい、当時の建物で残ってるのは中尊寺金色堂ぐらいなのだろう。

というわけで毛越寺から中尊寺に向かって歩いて行く。


静かだと思っていた平泉だが、中尊寺に近づくと人が急に増え出した。

月見坂という急坂をゆっくり上がっていく。石段にしてもよさそうな勾配だが、ただの坂である。

あれこれ見ながら進んでいくと、讃衡蔵と金色堂への入口が見えてきた。

金色堂の拝観券を買うと、宝物庫である讃衡蔵も見られるとのこと。

中尊寺の文化財で特に重要なのは金色堂ともう1つ、中尊寺経である。

紺色の紙に金字・銀字で写経してあるという代物で、これの複製品が置いてあった。

金色堂といい中尊寺経といい、他にもあれこれ金ピカなものがたくさんある中尊寺だが、金の消費量も相当なものだったようだ。

それだけ金が算出される土地ではあったそうだが、とてつもない話である。


そして金色堂に行くわけだが、外から見ると鉄筋コンクリート製の建物に金色堂と矢印が向いている。

これは覆堂ということで金色堂を風雪から守るための建物である。

建物を収める建物なんて工事のときの仮囲いでもなければ見ないけど、

なにぶん金ピカのお堂、雨風に晒されては劣化がひどくて困るということで、後の時代に覆堂という建物で覆うことにしたのだという。

今の鉄筋コンクリートの覆堂は昭和の修理で建てたもので、中ではさらに金色堂をガラスで覆っている。

今の金色堂はあたかもお堂のミニチュアの工芸品のような扱いを受けているが、実際、使っている材料も建築というよりは工芸という代物だそう。

実際見て思ったけど、これは建築物とは思えないものだなと思った。

分類上はれっきとした建造物なのだが、その割には現実味のないデザインである。


というわけで、平泉をあれこれ見て、一関から新幹線で帰ってきた。

一ノ関駅は去年の夏にも大船渡線からの乗換で来ているので見覚えのある景色だった。(廃墟と復元をみる旅)

あのときは太平洋側がメイン、今回は日本海側がメインということで、違う軸で東北を巡ったことになる。

実は内陸部というのはあまり注目してこなかったところだったりする。そこら辺も何か機会があれば。

桜の田沢湖と角館

旅行5日目、田沢湖の朝、外を見てみると雨が降っていた。
そんなにひどい雨ではなさそうだが。
朝食を食べて田沢湖畔までバスで行く。バスはそこそこ客が乗ってた。意外とこのあたりの宿にバスで来る人は多いのかな。


田沢湖畔バス停はレストハウスに併設されていて、遊覧船の起点となっている。
バスを降りて、羽後交通の案内所が目に入ったがそこに「欠航」と貼りだしてある。
田沢湖で「欠航」と言ったら遊覧船が欠航って意味でしょうね。ここ遊覧船のきっぷ売り場も兼ねてるし。
雨はともかく、風がとても強く、欠航やむなしというのも納得できる状況だったから仕方ない。
さて、どうしたもんかなと考えつつ、おもむろに田沢湖沿いを歩き始めた。


湖を眺めると、湖もこんなに波打つんだなと驚く。さながら海が荒れたときの海岸のようである。
湖水浴をする人もいるのだろう。更衣室として使う建物もあった。当然この時期は閉鎖中だが。
湖岸沿いには桜が咲いている。宿からのバスの車窓からも見えたのだがこのあたりは今が桜の時期らしい。
それだけ涼しいってことだよな。なんせ宿でもまだ暖房ガンガン付けてたしな。暖房代まで取られた。
こんなところで桜が楽しめるなんて、全く意外だった。


田沢湖は深い湖である。なにしろ日本一だ。
本当は船から見て実感したかったところだが、湖が深い青色に見えることからもその深さは感じられる。
そんな田沢湖だが、かつては魚にも恵まれた水質のよい湖だったそう。
ところがかつては生物にとって大変厳しい水質だったのだという。
湖岸を歩いていると、東北電力と書いたフェンスに囲まれた水の吐出口が2つ、取水口が1つあった。
田沢湖は水力発電の舞台となっており、田沢湖に水を吐き出す発電所が2つ、田沢湖から取水する発電所が1つある。
この発電所のうち1つが大問題で、玉川という川から引っ張って発電した水を捨てている。
玉川温泉という珍しくも強酸性の温泉がある。湧出量は豊富だという。
温泉としてはよいのだが、この温泉水が流れ込む玉川はひどい酸性で下流の農業が成り立たず、橋などの構造物の劣化の原因にもなってきた。
一方で玉川の水は豊富にあるということで、酸性度の緩和と水資源の有効活用ということで、
玉川から取水して田沢湖に捨てる発電所と田沢湖から取水して玉川に捨てる発電所を建設したのだという。
意図としては玉川の酸性水を取り除いて取水点より下流への害を減らした上で、
田沢湖の水で薄めて酸性度が低くなった状態で再度玉川に合流させて玉川全体として酸性度が緩和させるということだったのだろう。
ところがこの目論見はあまりうまくいかなかった。田沢湖の酸性度が一気に上がり田沢湖の魚の多くが死に絶え、
だからといって玉川の酸性度が十分下がったわけでもなく、発電はできたが酸性水が流れるため設備の劣化もひどかったそう。
これらの問題は玉川に石灰水で中和する施設ができるまで続き、現在では改善されたものの、田沢湖は深い湖、なかなか奥底まで中性化できていないよう。
もともと田沢湖はこれといった流入河川のない川ということで独自の生態系があり、固有種としてクニマスが有名だったそう。
これも酸性水のため絶滅したのだが、なぜか富士五湖の西湖で発見されたというのは田沢湖にとっても大きなニュースだったようで、そのことはこの周辺でもあれこれかかれている。


あまり考えずに歩き始めたが、田沢湖をぐるっと一周する路線バスがあって、それに乗ればなんとかなるという発想があった。
ただしあまり本数は多くないので、どんなもんかなと思って見てみると、
ちょっと急げば潟尻からバスで田沢湖駅まで戻れそうとわかり、やや急ぎ足で潟尻を目指した。
潟尻はたつこ像というのがあるところで、たつこ というのは田沢湖に昔から伝わる伝説にでてくる人らしい。そういう伝説もある。
たつこ像が見られたら、湖岸から見るべきところは一通りみただろうということで、満足してバスに乗って田沢湖駅へ。
田沢湖駅から角館へ向かうわけだが、実は田沢湖線は普通列車がすごく少ない。こまち号は1時間間隔とかであるのに、普通列車は数時間開く。
そんなわけで鉄道と平行して田沢湖と角館を結ぶバスもあって、今回はバスで移動することにした。
実は普通列車も選択肢に入る時間帯ではあったのだが、角館の市街地にはバスの方が総合的に有利という判断で選んだ。
といっても掲示を見ると、今日は交通規制のため市街地には入らないとのこと。市街地の手前で降りて歩くことになるが、それでもバスにすることにした。
バスは国道を飛ばして進んでいく。運転手は迂回運行のことをなにも言わないが、正経路から外れ始めるバス停で降りて少し歩くと臨時駐車場がある。
その駐車場の角を曲がると・・・・・・そこには古風な町並みがあった。ここが角館の武家屋敷通りである。


角館は小京都の一つとして知られている。
特にこの武家屋敷通りは江戸時代から都市計画がそのまま残っているということでインパクトがある。
そんな角館は桜まつりということで、交通規制もして万全の体制であるわけだ。
といっても宿の人はもう桜はあらかた散っているということであまり期待はしていなかった。元々そこに期待してたわけじゃないし。
ただ、どころどころ、花が残っているしだれ桜があって、なかなか見事だった。
しだれ桜とかなかなかみる機会ないからなぁ。まさかこういう形で見ることになるとは。
現存する武家屋敷の一部は無料で公開されている。そして一部は有料で公開されている。
今も現役の住居として使われている中での公開ということだろう。
生活に使っていない一部を見せていたり、敷地内に別に建物を建ててそこにすんでいるようだったり。
そんな中で無料公開する家があるのは意外なことだった。
そして有料で見せている石黒家の屋敷、ここは唯一実際に上がって見ることができるという点で貴重だという。
有料って言ったって、相応に展示物を整えて、説明する人を確保してと考えるとなかなかできることではないだろう。
そういう形で実際に見てみると、建物に対してかなり広い土地が割り当てられていたことがよくわかる。
都市計画上、武家屋敷の用地は広く取られ、そのゆとりを生かして庭を作ったり、立派なものである。


そんなわけで角館からこまち号に乗り、盛岡を目指す。
田沢湖線はそもそも在来線、新幹線直通に際して多少の改良はしたが、踏切は普通にあるし、数は少なくても普通列車と混ざって走る。
駅に入ってくるこまち号を見ると、こんな首の長い車両が普通の駅に入り込む姿というのは不思議なものだ。
駅の改札は列車が入る10分前にあけるという列車別改札ということで新幹線らしくもない。自動改札機もない。
それでも乗り込むと新幹線だし(ただし座席は2-2配置だが)、本当の新幹線ほどではないがキビキビ走っている印象はある。
ただし、田沢湖線は基本的に単線、行き違いのために停車というのはある。特にこまち号同士の行き違いはどちらかが停止しなければならない。
そんなわけで一度の停止を挟んで、盛岡駅に到着。
いったん降りて、やまびこ号に乗り換え北上駅へ。今日の宿に到着と。


今日、角館をでた時点で当初描いたこの旅の計画はほぼ達成だ。
明日は言うならばロスタイム、なんとなく時間が空いたから計画に加えたものだ。
目的地は平泉、世界遺産に登録されたということで話題にもなったが。
そんなわけで長かった旅もそろそろ終わりが近いが、明日も楽しみましょうと。

山の中にある楽園

旅行4日目、羽黒山の宿坊から始まる。
宿坊というと参拝者向けの宿泊施設ということで、どちらかというと団体利用がメインなのかな?
実は、かつて学校行事で宿坊を宿泊地にしたことがあった。もうだいぶ前のことだからよく覚えてないが。
今回、鶴岡での宿を探していたとき、インターネットの宿泊予約サイトにしれっと宿坊があって、
こりゃおもしろいと思って、羽黒山を鶴岡での目的地に加え、ここに泊まることにしたのだ。
こういう宿坊もあるにはある。
だからといって決してカジュアルなものではなくて、れっきとした宿坊で見た目からしてすごい。
もっとも旅館業法のかねあいで宿泊者名簿を書かせたり、宿泊者の便宜を図るために無線LANを提供したり、普通の宿らしい一面もある。


今日の午前中は雨だが、予定通り羽黒山の参道を登ることに。
今は神社ということになっているので鳥居がある。ここから登っていく。
といいつつ最初は沢に向かって下がるのだが。
この羽黒山、こんな立地だがすごいものがいろいろある。
参道はスギ林の中を進むのだが、巨木だらけだ。しかし、その中でもひときわ大きいのがいる。
爺杉といい樹齢1000年とただものではない。周りの木も大きいけど、これはなおさらだ。
そのすぐ近く、なんと五重塔がある。国宝に指定されている東北地方最古のものである。
こういうものがあるということからして信仰の歴史がよくわかる。
羽黒山、月山、湯殿山の3つの山は出羽三山ということで3つまとめて信仰の山だった。
羽黒山はその入口にあたる山であろうかと思う。一番高くて訪れにくいのが月山だ。
管理上はこの3つの山は出羽三山神社のものとなっており、主な施設は羽黒山の上にある。
というわけで石段の参道を進んでいく。石敷きだから雨でもぬかるんだりしないが、段々が狭いのでゆっくりあるかないと怖い。
あれこれみつつ、1時間ほど進むと山の上に到着、ここに三神合祭殿という巨大な茅葺き屋根の拝殿がある。
3つの山の神をすべて祀っているのだが、とにかくでかい。こんなものがあるとは驚きだ。
雪にも強いのだろう。冬もお参りできるようだが雪がひどいのは確かで、今も端の方に少し雪が残っている。
その向かいには鏡池がある。鏡のような見た目だから?いや、実はかつて、この池に鏡を納めていたというのが由来だそう。
かつて鏡池に納められ、掘り出された鏡を含め、出羽三山の信仰については博物館で紹介されている。


山から下りてきてバスで鶴岡市街へ。
秋田行きのいなほ号までは時間に余裕があるので、致道館を見てきた。
致道博物館の名前の由来にもなっているが、庄内藩校ですね。
数え10歳から30歳ほどまでここで学んでいたそうだ。
今でいうと中学生ぐらいの年代から大学院のドクターコースぐらいまでか。すごいな。
教科書を刷るのに使っていた版なんていうのもあって、教科書も自家製だったということだ。
そんなこんなであれこれ見て回った鶴岡を去るため鶴岡駅に戻ってきた。
ここからまた、いなほ号に乗り、秋田を目指す。


秋田への道のりはまたしても日本海を見ながら進む。
山形県、秋田県の境目あたりで東に目を向けてみると鳥海山が見える。
富士山を縦に押しつぶしたような見た目だ。鳥海山はこの地域のシンボルだ。
相変わらず車掌は回ってこず、検札されぬまま1時間半ほど、秋田駅に到着した。
ここからはこまち号に乗り換え、山に入っていく。
大曲までの1区間は進行方向逆向きにセットされた座席で進む。
大曲で方向転換するので、そこから盛岡・東京方面の向きにあわせてあるそう。
1区間だけだから勘弁してくれってことなんだろう。
方向転換時に客に座席の向きを変えてもらうというのはしらさぎ号(名古屋発着便は米原で方向転換をする)でやってたが、
秋田からの乗客で席が埋まっているわけでもなく。この1区間、少ない乗客のためにやることではないだろう。
田沢湖駅で降りて、急いで改札へ向かってバス乗り場へ。
ぎりぎりの乗り換えだったが、なんとか乳頭温泉行きのバスに乗れた。
バスがあるだけ御の字ではあるのだが、本数は少なく、これを逃すとタクシーの世話になるところで危なかった。
しかも今日はこまち号、時間変更があったそうでただでさえ短い乗り換え時間がなおさら短くなってヒヤヒヤした。


乳頭温泉行きだが、途中に別の旅館街もいくつかある。
そんな中、わりと中途半端なところに今日の宿はある。
BB.exciteモバイルLTEは圏外、おそらくdocomoが800MHz帯で対応しているエリアなのだろう。
端末が対応していない帯域なので圏外になる。
普通のdocomoの端末は大丈夫だろう。ソフトバンクはプラチナバンド対応だからか電波が入ってた。
そんなところにある小さな温泉宿である。
なんでも山菜だのキノコだのたくさん取れるところだそうで、メニューも自給自足感があった。
これだけで田沢湖まできたかいがあったなと思った。
そして温泉である。いいところだ。


羽黒山の宿坊にしても、田沢湖の宿にしても、こんな大して儲からない1人客を受け入れてくれてありがたいことである。
実はどちらの宿もこんな時期なのに定価で泊まれたのだ。まして1人客なんて効率も悪いだろうに。
特に秋田県内はルート、目的地、宿とあれこれ悩んだのだが、
そんな中で条件がそろったのが田沢湖だったという話である。
明日はそんな田沢湖、そして角館を巡る旅だ。バスから田沢湖が見えたけど、とても雄大だった。楽しみだ。

海に山に鶴岡を行く

旅行3日目、日程的には折り返し地点だが、折り返しらしいのは明日か。
今日は新潟から鶴岡へ向かう。
新潟から鶴岡を経て秋田に向かう特急列車はいなほ号という。
なぜいなほなのか?それは沿線がずっと米どころだからだという。
そんないなほ号、本数はさほど多くもなく、あまり注目されることはない列車だが、
実は新潟で新幹線と接続して山形県、秋田県の日本海沿いへの重要な足でもある。
新潟駅に行って乗り込むと、とりあえず座れたのだが、発車時には立ち客も出るほど、指定席は全部売り切れという状況。
世間では今日が連休初日、各地から日本海沿いのふるさとへ向かう人、あるいは観光地へ向かう人で混んでいるようだ。
あまりの混雑に車掌が回るのもままならず、一度巡回はしたものの、検札されることはなかった。
海沿いを走る区間では日本海の絶景が、田の中を走る区間は田植えの準備が進む車窓が見られた。
こうして2時間ほど、鶴岡駅に到着した。


山形県といって海のイメージがあるひとはどれほどいるのだろうか?
鶴岡は山形県の日本海沿い、庄内地方の中心都市である。
最初の目的地はまさに海岸にある加茂水族館だ。
バスに乗り込み進んでいく。途中、北側に雪の残っている山があったが、これは鳥海山だな。
途中からひどい渋滞となっているが、実はこれは水族館目当ての車の列なのだ。
あまりに人気があり、駐車場もはみ出すということで山の向こうに臨時駐車場を作ってシャトルバスで結んでいる。
しかし、そのシャトルバスも渋滞に巻き込まれるのだから運行効率は悪そう。
公共交通でアクセスする人はそう多くはないが、この路線バスも当然渋滞の巻き添えを食らう。
20分ほど遅れて加茂水族館に到着した。水族館の前は人であふれていた。
とりあえずは海岸沿いの高台に立つ灯台の近くに行き、日本海をながめながらもってきたおにぎりを食べて腹ごしらえ。
食堂とかあるかわからないから持ってきておくかと持ってきたが、これほど混んでいては役に立たないので持ってきておいてよかった。


さて、この加茂水族館はクラゲの展示で有名な水族館だそうだ。
クラゲの展示については、少なくとも日本一、もしかすると世界一かもしれないとのこと。
行列は長いが、30分ほどで入ることができた。館内はひどい混雑だが、まぁ近寄ってみないのならばそれほどでも。
まずは庄内の魚の展示、こういう地域密着の展示というのはみどころではある。
日本で魚といえば食べるもの、というわけで水槽の傍らには魚料理の話も書いてあったりする。
庄内は海の幸に恵まれた土地ということである。
そしてそれに続いてクラゲの展示があるわけだが、今まで地域密着だったのが急にパラオの話になって驚く。
庄内の魚と世界のクラゲということで対照的な展開である。
クラゲもいろいろなのだが、クラゲの説明をよく見ると「採集個体」「繁殖個体」とかかれている。
どうも種類によって海から取ってきて展示しているのと、水族館で生まれたのがいるらしい。
採集個体というのは海のクラゲを調べてそこから展示用にしているということではないかと思う。
庄内の海で見られるクラゲも多く、どういうクラゲがどうあるか調べるのも大切なことなのだろう。
繁殖については特集展示があり、クラゲがクラゲになるまでの流れが実物で展示されている。
あのクラゲの形になるまでには変態を繰り返しているようで、だんだんとクラゲになっていく姿が実際に見られる。
繁殖させている種もいろいろだけど、ミズクラゲは特に多く繁殖させている。
なぜか?ミズクラゲで埋め尽くした展示、クラゲドリームシアターで使うためだ。すごい数がいる。


それにしてもなぜクラゲの水族館ができたのだろうか?
加茂水族館の歴史が展示されていたが、もともとそんなにクラゲの展示があったわけではない。
加茂水族館は開館50年を越える老舗の水族館なのだが、周辺地域に水族館が増える中で入館者数は落ち込み倒産の機器にあったらしい。
市営なのに倒産?と思ったが、その頃は民営の水族館だったので入館者が減るとやっていけんと。
そんな中で1999年にサンゴの水槽で生まれたクラゲの展示をしたのだが、そのときクラゲの展示はウケると思ったのだろう、
以後、クラゲの展示に力を入れるようになり、市営となり、新しい建物を建て、現在に至るとのこと。
混んでいたので見てはいないのだが、ちょうどアシカショーをやっていた。
加茂水族館にとってみれば、クラゲの展示よりアシカショーの方がずっと歴史は長い。
かつての加茂水族館の写真を見る限り、当時の目玉だったのではないかと思う。


加茂水族館から鶴岡市街へ向かうバスに乗ろうとバス停に行って待つ、
するとバスがやってきたのだが「湯野浜温泉」ということで逆向きのバスだ。30分遅れだ。
それから40分ほど待って、鶴岡駅行きのバスが遅れてやってきた。大変なことだ。
帰りはさほど渋滞はなく(加茂方面は渋滞してたが)、鶴岡市街でバスを降りた。
次の目的地に向かうバスまでの間、致道博物館を見物することにした。
致道博物館はもとは庄内藩主の屋敷のところに、あれこれと建物を移設して、展示物をもってきて作った博物館のよう。
屋敷の一部と庭園はもともとここにあったものということだろう。
加茂水族館でも書いてあったのだが、庄内藩は武士たちに釣りを推奨していた。
それにまつわる展示があって、庄内独特のつり竿、その他の釣り道具、魚拓、とけっこう海で遊んでいたことがわかる。
ほかの展示では庄内の漁業の展示があり、たいへん海に恵まれた土地だったことが致道博物館の展示からもわかる。
豪雪地帯のかや葺き屋根の家、明治の擬洋風建築と、庄内の歴史を物語るものが多数ある。
なかなかの博物館だった。


それからしばらくバスの時間まで鶴岡市内をぶらぶらして、羽黒山行きのバスに乗る。
今日の宿は羽黒山の宿坊なのだ。というわけで山に行くバスに乗ったわけだ。
明日はここから羽黒山を巡るわけだ。


ところで、加茂に行くのも羽黒山に行くのもバスで、それなりにバス代もかかっているわけだが、
なんかパスを見せてバスに乗っている人がいる。
これは何だ?と思ったら「きらきら日本海パス」というやつらしい。
新潟県から秋田県にまたがるフリーエリアの鉄道とバスが乗り放題で、鶴岡市内のバスは対象となっている。
バス代だけで元が取れるし、JR区間は特急券別途で特急でも有効だから、これを使えばお得だったのだ。
エリア周辺のみの発売だが、エリア外だけど新潟では買えるらしい。
このエリアを巡ることを検討されている方はとりあえず調べてみてはいかがだろうか。お得かもしれない。

信濃川の流れる大都会

旅行2日目、今日は新潟だ。
というわけで長野駅から北陸新幹線に乗り、上越妙高駅に行き、そこから快速電車で新潟へ。
特急があれば使いたかったのだが本数が少ないので快速、思っていたより飛ばしていたけど。
途中、日本海が望める場所がたくさんあり、なかなかの絶景もあった。


新潟駅にたどりついて、とりあえず海側にとことこ歩いていった。
そしたら万代シティという商業ビルの立ち並ぶ一角がある。
新潟はかなりの大都市だとは思っていたが、百貨店(伊勢丹)を含めてこれだけの集積ができるのは相当なものだ。
そんな万代シティのバスセンターの2階に「みかづき」といういかにもフードコートにいそうなファストフード店がある。
この店、「イタリアン」という変なメニューがあることで知られている。
なにが変って、焼きそばにミートソースをかけて「イタリアン」って言うことだ。
実際、食べてみたのだが、少しはイタリア風味かもしれないが、ほとんど焼きそばで、やっぱり変な食べ物だなと思った。おいしいんですけどね。


万代シティは信濃川にかかる萬代橋の南詰にある。
信濃川というのは長野県では千曲川と呼ばれ、新潟県に注いでいる川である。
そう、昨日いた長野から流れてきているのだ。
鉄道で言うと飯山線のルートで下ってきて、長岡あたりから新潟まで日本海に平行に流れている。そんな川だ。
萬代橋南詰のビルに津波避難ビルと看板が付いていた。
平べったい新潟の市街地では高台に逃げるのが現実的ではないからだろう。垂直避難も考え物だが、とりあえず生き延びるにはそれしかないのだろう。
信濃川をわたった 先が古くからの新潟の街である。ここもけっこうな集積度だ。


ひたすらまっすぐ進むと、高台になり、さらに進むと防風林の先に日本海がある。
海にはあまり縁がないもので、防風林というのもあまりなじみはないが、そうなのだろう。
地図をみながらぶらぶらしてると、旧齋藤家別邸にたどりついた。
本来は月曜休館なのでやってないのかなぁと思ったら意外にもやっていた。
古くからの大都市ともなればお金持ちもいるもので、そんな人の別邸である。なんでも名勝に指定されてるんだとか。
というわけで入ってみたのだが、確かにすごい庭だった。
説明してくれた人が「ここは新潟の旦那様の屋敷にしてはそんなに広くはない」と言っていたけど、
左右に隣家が迫っているぐらいに余裕はない。が、ちょうど砂丘にかかるように敷地が取られ、その地形を有効活用してうまく作られていた。
「日本で見下ろす庭っていうのは珍しいんですよ」と言ってたけど、確かにそうだと思う。パノラマで庭を楽しめるように工夫されているようだった。


信濃川に向けて歩いて、新潟市歴史博物館みなとぴあに向かった。
博物館とともに、古い建物が保存されている。
博物館では新潟の街の歴史、農業の歴史が紹介されていた。
今は信濃川の両側とも新潟市だが、もともと新潟町は信濃川より海側で、山側は沼垂町だった。
鉄道がやってきたのは沼垂で、沼垂から新潟にいくために重宝されたのが萬代橋だった。
といっても当初の萬代橋は今より信濃川の川幅が広かった時期に作られたので長さは今の倍ほどあったそう。当初は有料橋だったとのこと。
米どころとして知られる新潟だが、かつてはひたすら湿田が広がっていたらしい。
それをポンプで余分な水を川に捨てるようにして、やっと生産性に優れた田にできたそうだ。
新潟は信濃川の水に恵まれたところではあるのだが、水害や浸食に苦しめられ、農業しようにもずっと水浸し、土砂の堆積で新潟港の機能は低かった。
放水路ができて川の流れがコントロールできるようになって、新潟は発展できるようになった、ということが見えたような気がする。
この博物館の周りには旧新潟税関と旧第四銀行住吉町支店が保存されている。
新潟税関は開港当初の建物が残っており、第四銀行住吉町支店は大理石をふんだんにつかった立派な建物である。
博物館もすごい見た目だが、かつての新潟市役所を模して作られたんだとか。


新潟港というのは信濃川沿いに港が作られた。
博物館の向かいには佐渡汽船のターミナルがあり、ちょうどフェリーが入ってきたところをみれた。
すごい大きなフェリーだ。南海フェリーよりずっとでかいぞ。
ちょうど向かいにある朱鷺メッセに行きたいのだが、船で行くことにした。
信濃川ウォーターシャトルという船が運航されていて、これで信濃川をわたることができる。
が、あまり本数多くないし、この1区間だけで300円取るし、実用面ではうーんって感じだけど。
ただちょうどタイミングは合ったのでせっかくだから使ってみることにした。
信濃川をわたると朱鷺メッセがある。ここは展示場、会議場だが、展望フロアがあって無料で入ることができる。
これまで回ってきたところの景色も見えるが、あまり見てこなかった景色も見られる。
特に印象的なのが東側に立ち並ぶ工場とかガスタンクの姿だ。
新潟は工業都市だ。そしてガスの生産地でもありまして、ガスタンクはガスの地産地消にも関係ありそうだ。
佐渡汽船乗り場につながっているので歩いていくと、大きなターミナルにたどりついた。
改札を見るとSuica対応の改札機が。カーフェリー2等に限ってはここにタッチするだけで決済(物販扱いらしい)が完了するとのこと。
ちなみに新潟から佐渡(両津港)はカーフェリーなら片道2300円ぐらいだったはず。ジェットホイルだと往復1万円以上するみたいだけど。
もう歩き疲れたので、バスで戻ることにした。


もともと新潟は大きな港町だと思っていたが、そうやって思っていたより大都市だった。
そりゃ指定都市だもんな。移行したのはわりと最近ではあるが。
イメージとはちょっと違ったが、実際歩いて発見は多かったということだ。


明日は新潟からさらに日本海沿いを北上して鶴岡に行く。
山形県に行くのは完全に初めてだな。
山形県に行くと東北の各県、少なくとも1度以上は行ったことになる。
といっても各県とも広大で文化的にも差があるので事情はそう簡単ではないけどね。