多磨全生園があるのは東村山市だが、500mほど南に進むと東久留米市に入る。
一方、東村山市の西隣にあるのは東大和市、ということで3つの 東○○市 が連なっている。
どの市がどんな市かよくわかってないのもあって、紛らわしいことこの上ない。
東村山市、東久留米市、東大和市はそれぞれどういう経緯でこの名前になったのか。
ちょっと調べてみた。
この中で東村山市は市になる以前より東村山町ということで、最も古くからこの名前を使っていた。
命名の理由は村山郷の東側にあったからだそう。
1889年の町村制施行時に東村山村と命名されたときからかれこれ120年以上使われている。
村山郷というのは狭山丘陵一帯の広域地名だったそうで、武蔵村山市(市になる以前は村山町)の名前のルーツも同じだ。
東村山村の成立から合併も名前変更もなく、1964年に市となり東村山市となった。
東久留米市と東大和市はいずれも市になるときに東を付けている。
東久留米市は1970年に市になる以前は久留米町だった。1889年の町村制施行時の久留米村成立より使われている名前だ。
順当に行けば久留米町が市になれば 久留米市 となるところなのだが、
これでは福岡県久留米市(1889年の成立当初より市だった)と名前がかぶってしまうので対策が必要だった。
市の名前というのは原則として被らないようにすることになっており(例外もあるが)、町が市になるときに名称変更をおこなった市は多い。
久留米町の久留米という地名は相当に歴史ある地名なのだが、基本的には早い者勝ちなのだ。
そこで対策として東を付けることにしたわけである。すでに町内に 東久留米駅 があったことなどもあって、この案はすんなりと受け入れられたようである。
東大和市も事情としてはほぼ同じである。
市になる以前は大和町だったが、これは1919年の6つの村が合併したときに名付けられた名前で、
特に以前の村の名前から引き継いだわけではなく、なんとなく縁起がいいから大和村と命名したそうだ。
1970年、市になることになったのだが、このときにはすでに神奈川県大和市(1959年より市)が存在していた。
ちなみに大和市ももとはといえば合併時に元の地名を引き継がず、大和村と名付けたことに由来しているので、似たようなものである。
このとき、神奈川県大和市より東にあり、「東」が東京都に通じるという理由で、東大和市と改めたという経緯があるようだ。
僕にとっては大和市も東大和市もあまりなじみはないのだが、大和といわれると大和国、すなわち奈良県との関係性を疑ってしまうが、
由来からすると特に大和国とは関係ないようだ。
なお、市の名前は原則として重複しないようにという話があるが、これが特に問題になったのは1954年ごろからのことのよう。
そのきっかけというのは東京都府中市と広島県府中市の重複だったそうだ。
いずれも府中町から市への移行だったのだが、この2つが噛み合ってしまい、これは問題だとなったよう。
以後、原則として市の名前は重複しないようにということになったのである。
改名までは紛らわしかったのでは? というのもいくつかあって、その1つが北海道広島町かな。
広島県からの移住者が住んだから広島村と名付けられ、以後、札幌都市圏の発展に伴い人口増加を続けてきた。
1996年に市になるにあたって北広島市と改められたが、もともと北広島駅があったところから決まったのだとか。
これがそのまま広島市になってたらびっくりだっただろうな。広島市あたりからの移住者の村が広島市になっては話がわかりにくい。
ただし、原則としてはそうなのだが2006年に伊達町ほかの合併によって成立した福島県伊達市は北海道伊達市(1972年から市)と重複するのに認められた。
これは北海道伊達市の伊達のルーツももとは福島県にあったこともあって、問題なしとのお墨付きを得ることができたからこそのよう。
1954年には市の名前の重複は問題だという意見も強かったのだろうが、
2000年代ともなれば郵便番号を書くから郵便に書くあて先も市町村名から書けば十分になっていたから問題にならなかったのもあるだろう。
東大和市はともかく、東松山市も東久留米市も歴史ある地名を生かした結果、この名前になったわけである。
なお、関東地方では他に 埼玉県東松山市 も東から始まる市である。
これも松山町が市になるとき、愛媛県松山市との重複が問題となり、東にある松山だからということでこの命名になったとのこと。
関東地方では旧国名をつけて重複を回避した例はさほど多くなく、東京都武蔵村山市ぐらいしかない。
逆に関西は多すぎるよな。大和郡山市、大和高田市、河内長野市、泉大津市、泉佐野市と。
そのあたりも流行があるんですかね。