かつては伊勢丹と「エフエフ」だった

ふと気になることがあって コピス吉祥寺 というショッピングセンターについて調べたら、

思いのほか複雑な事情のあるショッピングセンターであることがわかった。


武蔵野市の吉祥寺地区にあるショッピングセンターだが、

ここはかつて伊勢丹だったという話も聞いていた。

閉店した2010年以前に訪れたことはないので当時は知らないのだが。

Wikipediaで調べてみると伊勢丹時代の写真が掲載されていた。

伊勢丹吉祥寺店/写真 (Wikipedia)

あまり建物を変えずに現在のコピス吉祥寺になったんだなというのと、

「ISETAN」と「エフエフ」の2つのロゴが併記されていることに気づく。

どうもこのビルの正式名称は「F&Fビル」というそうだが、一体なんなんだろう?


このビルは1971年に東京女子体育短期大学の跡地に作られた。

東京女子体育短期大学は古くは東京女子体操音楽学校という名前で、

戦後に短期大学になったものの、4年制への移行も見据えて国立町(現:国立市)に移転した。

後に東京女子体育大学を設立し、短期大学も併設される形になっている。

この学校跡地に武蔵野市の関係団体により建てられたビルがF&Fビルだったと。

F&Fビルに武蔵野市では初となる百貨店として伊勢丹を誘致したとのこと。

大半は伊勢丹だったのだが、一部が専門店街になっており、

この部分の名前が「エフエフ」という名前だったらしい。


このエフエフは「コピスエフエフ専門店」という名目で現在も存続しているそう。

About coppice (コピス吉祥寺) : 下の方にコピスエフエフの記載がある

そもそもコピス吉祥寺自体が専門店ビルなのでそこまで意識されてるとは思えないが。

かつては最寄りバス停が「FF前」あるいは「FF・伊勢丹前」だったなど、

F&Fビルの名前はそれなりに意識されていたように見える。

(現在はコピス吉祥寺前に改名されている)


F&Fというのは一体どこから出てきた名前なのか調べてたら、こんな資料が見つかった。

刊行物 吉祥寺 まちづくりのあゆみ (武蔵野市)

吉祥寺地区はもともと十分な道路がなく、道路整備の必要があった。

道路整備にあたっては立ち退きが必要だが、この移転先としてF&Fビルの区分所有権を取得できたようだ。

これこそが伊勢丹に併設された「エフエフ」の正体である。

このような取り組みもあり吉祥寺大通りを含む幹線道路の整備が進んだという。

ちなみにF&Fは「フューチャー&フューチャー」という意味らしい。


WikipediaのF&Fビルの記事にこのような記載がある。

なお東京多摩地域では、伊勢丹吉祥寺店と同様に駅前再開発のシンボルとして百貨店が自治体から誘致されるケースが多く、1980年代から1990年代前半にかけてはそごう(八王子そごう、多摩そごう、柚木そごう)、1996年には伊勢丹府中店が再開発により誘致されたが、いずれも閉店しており、跡地はコピス吉祥寺と同様にショッピングセンターとなることが多い。

ここで名前が出ている伊勢丹府中店(2019年閉店)はかなり似たような事情がある。

入居していたビルは「フォレストサイドビル」という名前で現存している。

フォレストサイドビルは高層棟と低層棟で構成されていて、

高層棟に伊勢丹が入居し、低層棟は「フォーリス」という専門店街になっていた。

フォーリスにはもともと当地にあった店舗が入居したという。

高層棟については伊勢丹閉店後は、ノジマの経営するショッピングモール「ミッテン府中」となっている。


ただ、F&Fビルとフォレストサイドビルには明確な差が1つある。

フォレストサイドビルは市街地再開発事業による再開発ビルとして建てられた。

市街地再開発は道路整備や密集市街地の不燃化などの目的で行われ。

事業区域内の既存の住居・店舗は再開発ビルの床に権利変換される仕組みである。

このため再開発ビルの一部に既存の商店街を継承というのはわりとよくある。


ただ、F&Fビルは市の関連団体によるビル建設でしかないんですよね。

先の資料を見ると、吉祥寺地区の道路整備は買収方式で行われたとある。

一方でこの買収をスムーズに進めるには移転先があったほうがよいと、

市で「借地権」を取得した土地に既存店舗の移転先にもなるビルを建てたということらしい。

借地権? という話だが、実はこのあたり一帯は寺の所有地らしい。

東京女子体育短期大学も寺の敷地を借りて学校をやっていたわけである。

このあたりの権利関係も市の関連団体によるビル建設に動いた要因なのかもね。

F&Fビル付近の道路建設にあたっては、一部が墓地にかかるため、墓地の移転も行われたそう。


というわけでただの伊勢丹ではなかったという話。

今となってはという話ではあるけど、伊勢丹とエフエフが共存していた期間は1972~2010年というかなり長い期間である。

郊外型の百貨店の役割が薄れた結果の閉店だったが、長きにわたり役目を果たしたと言える。

現在は驚くこともない専門店ビルという感じだが、それはそれで意義があるのかなと思う。

5系統も86系統も難点あり

おととい、京都市バスの観光系統が休止になっている話を書いた。

観光系統を休止してしまったので

見落としてたのだが、急行100系統は銀閣寺道まで走っていて、

そうするとその区間の代替も必要で、観光シーズンには5系統の増発を出しているそう。

以前は100系統で対応していたが、今は86系統+5系統で対応する傾向があると。

それってどうなんだよと思ってしまうけど。


5系統といえば、京都市バスの中でも特に乗りたくないという思いはある。

京都駅から四条河原町・三条京阪を経て、白川通方面、国際会館駅・岩倉操車場まで向かう。

沿線に平安神宮・南禅寺・銀閣寺などがあるため観光客が集中する上、

白川通沿いの生活路線としての役割も大きいため、とにかく混む。

道路状況もよいとは言えず、混雑も相まって遅れも積み重なりやすい。


そんな5系統だが、四条通(烏丸~河原町)の2車線化・歩道拡幅のときに、

半分は従来通りの 京都駅~四条烏丸~四条河原町~岩倉 での運行、

半分は「五条通5」の表示で 京都駅~烏丸五条~河原町五条~四条河原町~岩倉 となった。

この背景には四条通を走るバスを減らして渋滞緩和を狙ったのもあるけど、

新ルートの沿線にホテルがいくつかあることや、着物のレンタル店があるとか、

観光客のニーズに合っているという考えもあったのだという。


この2ルートを概ね交互に運行しているのだが、

そうすると不等間隔になって不都合はないのか? という疑問はある。

調べてみると時刻表上は京都駅・四条河原町のどちらで見ても等間隔になっている。

すなわち、京都駅~四条河原町は両ルートの所要時間は同じということですね。


当然のことながら、四条烏丸経由の方が遅れやすいのは言うまでもない。

五条通経由が四条通経由に追いつくのは日常的に起きているらしい。

あるいは追い抜くケースもしばしば発生しているよう。

四条烏丸に行かない点で五条通経由を使わない利用者も一定おり、

そのような乗客の偏りも等間隔での運行が出来ない理由だと思われる。


観光シーズンの増発便については、両ルートとも出ているらしいが、

どちらかというと「五条通5」の方が多く設定されているよう。

京都駅・四条河原町に着目すればそっちのほうが効率的なのは違いない。

それでも四条通経由も走らせているのは、そっちの利用も多いということなんだろうね。

このあたりに5系統の難しさが詰まっているような気がする。


あと、100系統の代替手段として書いた86系統だが、往復でルートが違うらしく、

京都駅→五条坂→祇園→東山三条→岡崎公園・動物園前→東山三条→三条京阪→四条河原町→祇園→五条坂→京都駅

というわけで、岡崎公園→祇園は四条河原町経由になっている。

京都駅→東山三条では206系統、岡崎公園→四条河原町では5系統、四条河原町→五条坂では207系統と同じに見えるようにしたということなのかな。

五条坂→四条河原町の向きは207系統に加えて80系統も使えるが、

それがない四条河原町→五条坂は207系統の混雑がひどいと聞いたことがある。

そこを緩和することを目論んだ? と思ったけど真相はわからない。


ところで「五条通5」という表示、そもそもわかりにくいという話はあるが、

京都というのは外国からの観光客も多く、すると漢字というのはなおさら問題である。

北1系統(北大路BT~鷹峯)など観光客の利用が多い系統では「北」にNorthと付ける対策が取られていた。

特に観光客の利用が想定されない洛西方面の「西」の系統はそのままだけど。

ただ「五条通5」はまさに観光客向けの系統なのに、そういうのないんですよね。

四条烏丸経由と五条河原町経由だと宿に帰れるか帰れないかぐらいの差はあるのに。


実はさっき出てきた86系統も観光客対策で付けられた系統番号だった。

もともとこの系統のルーツは「水族館・東山ライン」にある。

水族館というのは梅小路公園の京都水族館のことである。

当初は烏丸七条を通り、京都駅には入らない強気のルート設定だったが、

後に京都駅経由に改められて、このときに86系統と付けられた。

2020年に洛楽東山ラインの表示も「臨」から「86」に改められた。

いずれも漢字表記の系統名を数字に改めるという流れだった。


ただ、実はそこにもほころびがあって、2021年に86系統のルートが岡崎公園経由に改められたことである。

この結果、旧来の洛楽東山ラインのルートが復活したのである。

これらは「臨」の表示で走ることになるので2020年以前に逆戻りである。

というわけで、どうにもわかりやすい表示が定着しないのが実情である。

なんとかならんものなのかね。