香住海岸を朝に回るか雨の中回るか

海がよく見える宿なのだが、昨晩に外を見ていると灯りがぽつぽつ。

あれ? あっちが香住の市街地だっけ? と思ったのだが、起きたらそこは海で、

これはイカ釣り漁船の漁火である。この時期の香住の漁業である。


さて、今日は雨である。旅行中に雨があること自体は織り込み済みだが、

やはり雨が降ってない方がバイクで走るにも散策するにもよいのは言うまでもない。

というので作戦を考えたのだが、朝食前に少し出かけることにした。

なぜ朝食前かというと、この宿、朝食が8時台にしか出ないのである。

到着してから驚いたんだけど、それはそういうものらしい。

雨が降るのは8時以降とみたので、そこまでに出かけようというわけである。


そんなわけでバイクを走らせてやってきたのが下浜地区である。

海岸線に沿って走ると「下浜の動物の足跡化石」という看板がある。

潮の満ち引きなどによっては直接観察もできるようだが、それは見送り。

さらに先に進むと但馬松島ということで、削り残された島が日本三景の松島のようだと。

確かに松島のミニチュアを見ているような感じである。

日本海というのは元々陸続きだったところが海になったもので、

その形成の過程をあらわす痕跡として流痕化石というのがあった。

といっても一見すると洗濯板を逆向けたような岩で、何が流痕? とも思う。

川は流れに沿って削られて溝ができる。その溝の上に硬い岩が形成されると、

川の流れで削られた痕が反転した岩ができる。これが流痕化石である。


この先、地図を見ると「鎧の袖」などの見所があるのだが、

陸上からアプローチできないので海上からしか観察できない。

「かすみGEO TAXI」というチャーター船もあるらしいね。

とはいえ、まぁそれなりに面白いものは見たし、と宿に戻って朝食。

この間、バッテリー外して充電している。ここらで雨が降り出してきた。


雨が小康状態になったときを狙いたいがそううまくもいかない。

カッパを着込んで出発するもそれなりに強い雨である。

出直して向かった先は「ジオパークと海の文化館」である。

無料だが記帳するようにと書かれている。客は自分1人で記帳してたのも自分だけ。

香美町内のジオサイトの解説、海の生物の剥製、郷土資料とけっこう多彩である。

ここには動物の足跡化石の複製も展示されている。

このような動かしにくい化石は複製が有用で、観察するにも便利である。

いろいろな生き物の化石があり、鳥の足跡なんてのも化石になっている。

日本海が形成される過程で足跡が残って、それが後に化石になったらしい。

香美町という点では山のジオサイトもいろいろ紹介されていた。

地滑り地の克服のために棚田にしているとかそんな紹介もある。

海底から山までの模型があったけど、海底には当然カニの模型が置いてあるのだが、

この模型を見て思ったけど、地上に出ている島に洞穴が開くなら、海中にも穴があって、そこが魚などのすみかになるんですよね。


郷土資料という点ではまず北前船の話がある。柴山港を拠点としていた宮下家の話。

柴山は入口に島があり波の影響を受けにくいというので好都合だったという。

年2往復の航海をしており、北陸の年1往復の航海より高効率だったなんて書かれていた。

一方で今の香美町にとってみれば中心的な港は香住漁港である。

これは昭和4年に近代的な漁港として整備されたことによる。これで一気に但馬最大の漁港になっている。

その香住漁港といえば何と言ってもカニである。漁具もいろいろ展示されていたが、

松葉カニを捕る底引き網漁と、香住カニ(ベニズワイガニ)を捕るカニカゴ漁の2つがかなりの割合を占めている。

剥製の展示でも香住の魚に限らずいろいろ展示してるが、カニは重点的に並べられていて、ベニズワイガニの赤さに驚いていた。


とはいえカニは時期が決まっていて、今はちょうどどちらのカニ漁もしない時期である。

カニの時期は賑わうであろう店も、平日というのもあってか、ほぼ閉まっている。

ここだけみると廃墟のようである。世間的にも香住=カニのイメージだろうしなぁ。

カニの時期に大挙来てくれるだけありがたいと見るべきかもしれないけど。

そんなことを思いながら香住の海岸を見ていたのだった。


そんなこんなで宿に戻って、いろいろ乾かしたりしていた。

夕方には雨もやんで、景色の良さを楽しんでいた。

本当は今日の昼に回ろうと思ってたところを、昨日と今日の朝食前にシフトしたので、

結果的には詰められそうな感じはあるけど、元々の意図はそうではなかった。

まぁでも香住滞在は全体的にゆるい日程だったかなとは思う。

豊岡と鳥取の間を埋めるために差し込んだようなもんだし。というわけで明日は鳥取である。

バイクも人も山登り

昨晩、時刻表を見て、明日は宿を早く出ないといかんなと思った。

山陰本線の豊岡~鳥取間は本数が少ない。列車の間隔がかなり開くのでよく考えて動かないといけない。

というわけで早い方を選んだわけで、7時台の城崎温泉行きに乗る。

ちょうど通学の高校生が大挙して下車したところに畳んだバイク担いで乗車。

玄武洞公園の対岸にある玄武洞駅を経て、その次が城崎温泉駅である。

言わずとしれた温泉リゾートの最寄り駅、でも朝早くては無人だった。なんだそれ。


次の宿への移動中でもあるので、リュックサック1つの荷物もある。

城崎ならコインロッカーに預けてしまえば……と思ったのだが小銭が足りなかった。

両替は観光案内所と言われても観光案内所も開いてないし。考えたが背負っていくことに。

円山川沿いに走って、くねくね曲がってたどり着いたのは城崎マリンワールド……

といっても水族館に行くには早すぎで、お目当ては日和山海岸である。

この日和山海岸には城崎マリンワールドやホテル金波楼が存在しているのだが、

海岸線を独占してはいなくて、日和山海岸を見るだけなら自由である。朝早くても大丈夫。

ただ、水族館の敷地ではあるらしく、解説の看板にはペンギンが描かれていた。

ジオパークのビジターセンター(これは営業時間前)も水族館の会社が開設しているよう。

日和山というのは航海にあたり天候を見るために使われた小高い山らしく、

確かに遠くも見通せそうだ。気象衛星がない時代には高いところから見るには有用な手段である。

複雑に侵食された海岸線が美しいのだが、目の前の島になにかある。

これは後ヶ島といい、日和山海岸の目印だったのだろうが、浦島伝説で浦島太郎が玉手箱を開けたとされる島である。

どうも浦島伝説は丹後で伝承されてきた話で、浦島太郎が竜宮城から帰る途中に寄ったところがここだったと。

それにちなんで後の人が竜宮城を作ったのである。別にここに竜宮城があったわけではないが。

このことの是非はともかく、日和山海岸の歴史を著すエピソードの1つである。


事前に地図で見ていたら、この先の道路に展望台があることがわかっていたので、

進むのだが急坂で12km/hぐらいまで速度を落としながらも進んでいく。

まぁバイクにしては非力だよな。自転車と考えれば上等ではあるが。

荷物を背負ってこの急坂では電池の消費が激しそうだなとは思いつつ、

展望台に来ると日和山海岸一帯をよく観察できる。本当に複雑な海岸線である。

さっきのところもそうだが、けっこうゆっくり観察していて、なぜかというと次の浜坂行きの汽車までだいぶ時間があるから。

そろそろいくかと時間を見計らって、ブレーキかけながらゆっくり下りる。


戻ってきたら城崎温泉駅には駅員もいたし、大阪行きの特急が出る直前だったのでそんな客もちらほら。

そんな中で乗り込んだのは浜坂行きの汽車、しかし乗るのはたった1駅である。

というわけで竹野駅で下車、ここも豊岡市なんですね。

竹野駅で下車する人はかなり多かった。観光客もけっこう降りてたように見える。

バイクを組み立てて走って行くと同じ汽車を降りて海岸まで歩いている人を追い越していった。

海水浴シーズンとあっては駐車場もかなりの値段を掲げている状況。

これではうかつに駐車できないなと思ったが、賀嶋公園の入口にちょこんと停めるのはなんとかなりそうだった。


ということでここから登山である。そんなつもりはなかったが思ったより登山だった。

まず、ここは猫崎半島の散策路の入口である。

海水浴場に近いからかサンダルで登るな、スニーカーなどちゃんと登山の備えをしろと書いてある。

ここから猫崎灯台までのルートがあるのだが、途中に賀嶋山(標高141m)があるので、

登って下って、帰るときはその逆、けっこうハードなんですね。

とはいえ、この猫崎半島を間近で見るにはこれが一番である。

汗だくになりながら進んでいく。途中、右も左も海という地点がけっこうある。

とはいえ、木々が生い茂っているところが多く、眺めがよいところは限られる。

やはりハイライトは賀嶋山を過ぎて、谷に架けられた橋を渡るところか。

ここは西岸が大きく侵食されており、猫崎半島が削り残しであることがよくわかる。

猫崎灯台が見えるところまで来たが、笹が生い茂っており灯台に近づくのは断念。

ちなみにこの灯台の先が兵庫県最北端である。


戻ってきて次の地点へ向かうためにバイクを走らせる。

調べごとをするために竹野観光協会のWebサイトを見たら電動キックボードの貸出をしているらしい。

竹野の人たちは特定原付を見慣れてるのだろうか? いやそんなことないだろうなと思いながら緑ランプ付けて走る。

途中にジャジャ山公園というのがあり、ここから竹野浜を一望できると。

また山登りかよと思いつつもやはり見たくて階段をずんずん上がる。

ここはこの周辺の津波避難場所になっているのだが、津波予報に応じて避難の高さの目安にするためか標高を書いた杭が何本かあった。

ここからみると竹野浜、そして猫崎半島、竹野川などよく見える。

猫崎半島は猫が寝そべっているように見えるからその名前が付いたというが、確かにそんな気がする。

現代人に言わせれば「キューピー人形が仰向けになっているようにも見えます」とも。そうか?


竹野にはあといくつか見ておく景勝地があるらしい。

というので隣の切浜地区へ向かう。けっこうなアップダウンがあり、15km/hぐらいまで速度が落ちる区間も。

県道のトンネル手前に看板とベンチが置かれているが、はさかり岩の観察スポットである。

2つの岩に挟まれた岩があるという不思議な構図である。

どうも削り残った2つの岩の間に落石があったのではないかと書かれている。

確かに落石の危険があるようで、道路沿いの崖はコンクリートで固められていた。

削れ方の違う岩が複雑な形を作るという点ではもう1つ、淀の洞門もそうで、

こちらは切浜海水浴場に沿った道を走っていると、確かに貫通している穴がある。

どうもこのあたりで違う種類の岩が重なっているようで、それで穴状に削られたようだ。

「大鬼が金棒で穴を開けた」なんていう伝説もあるが、そうも思えてしまう景色である。


そんなこんなで時刻表を見るとそろそろ汽車の時間だということで駅へ向かう。

思っていたより1本早いが、それならそれで先に見て回るところもある。

というわけで今日の宿の最寄り駅まで2駅、汽車には高校生が多く乗っていたがテスト期間だろうか。

バイクを組み立てて宿まで走るが、宿の手前の急坂で電池切れ。まぁここまで持てば頑張った方か。

荷物に坂に27kmぐらいしか走れなかったが、致し方なしだろう。というわけで押し歩き。

宿にチェックインして部屋で充電しながら、周辺を少し散策してみる。


このあたりは今子浦といい、山陰海岸国立公園の中でキャンプ場・ホテルなどを整備したゾーンらしい。

このあたりの海岸線も複雑でそれを観察できるのが大引の鼻展望台である。

日本海を見るということで言えば今までのどこのポイントよりよいことは確かである。

ここもまた複雑に削り残ったところで、周りにはそんな島がいくつかある。

展望台から戻ってくると「かえる島」と書かれていて、なんだ? と見ると本当にカエルの形をした島があった。

「奇勝」と書かれていて、特に文化財的な価値は認められていないがなかなか完成度が高い。


1時間ぐらい充電したところで再出発。というのも明日の天気を考えると少し前倒ししておきたかったのだ。

というわけでたどり着いたのは香住漁港近くの岡見公園、これも急坂である。

途中で押し歩きに切り替えたけど、けっこう電池消費したかもな。

ここもまた削り残った島だったらしい。それが後で砂がたまって陸続きになったと。

香住漁港のある一帯がそのつながってしまったところなのかも。

黄色い花があるが、これはユウスゲといい、この時期の夕方に開く花らしい。

あまり意図していたわけではないが、この時間帯に来たのはよかったかもしれない。


その後いろいろ用事を済ませて宿に戻ろうとしたら途中で電池切れ。

10kmぐらい走って電池切れで1時間充電だとその程度なのかと。

あと2~3kmぐらい持ってほしかったのだが。と押し歩き。

行動範囲と電池という点では今回の旅行ではいろいろ考えさせられた。

今日が一番ハードだったかもね。元々は竹野と宿周辺少しのつもりだったが、

日和山海岸をねじ込み、竹野でも思い立って切浜まで足を伸ばし……

旅程的にはそれでもゆるゆるなんだけど、電池は全然足りてない。

人間にとってもハードな1日だった。たくさん山登りしたからね。


というわけで明日の天気は雨で、雨の中出かけるのは避けられないが、

ずっと雨というわけではないので、うまく避けながら散策したい。

久美浜湾一周旅行

今日はバイクを列車で運んで周遊ということで、やってきたのは京都丹後鉄道の豊岡駅、

案内があまりないのでわかりにくいのだが、地上に駅舎がある。

豊岡に来たとき、エレベータで降りたときに発見していたからよかったけど。

ここから2駅、久美浜まで乗る。わずかな区間だが府県界を越えて京都府である。


本来、京都丹後鉄道では特急以外はクレジットカードのNFC決済で乗車できる仕組みがある。

しかし、除外されている列車もあって、今回乗車する8:44発の快速もそれにあたる。

除外理由は実質的に特急だから。久美浜から はしだて号になるんですよ。

そんなわけで券売機できっぷを買おうとしたら動いてないんだが。

これは車内で買うのかと乗り込む。この便だけJRホームから出発なのだが、乗換口があるのでしれっと乗車する。

出発前に車掌が来てくれて久美浜までの300円を払った。


久美浜駅に到着してバイクを組み立てる。

なぜ久美浜に来たのかというと、久美浜湾を周遊しようとしたからである。

久美浜湾という名前からすると海のようだし、地元の認識も海である。

ただ、地図を見てみるとわかるのだが、これは湖? というほど海との接続が細い。

実際、ジオパークの説明にも「潟湖(ラグーン)である久美浜湾」と湖のような扱いである。

ただ、都田川の一部である浜名湖や、斐伊川の一部である中海・宍道湖とは異なり、

久美浜湾に注ぐ川は久美浜湾に合流した時点で「河口」として扱われており、行政上も海扱いである。そんなのもある。


とりあえず近くで久美浜湾を見てみるとカヌーをする人が多く見られた。

久美浜湾はこれだけ入り組んでいれば波も穏やかでカヌーに適している。

けっこうな距離を漕げるだけの大きな「湾」である。そのことは後で発見するのだが。

今はカヌーや漁船・遊覧船が発着する程度の久美浜港だが、昔は湾外との航路も多くあった。

看板に「豪商稲葉本家」とあったが、かつて交易で栄えた久美浜を表す建物である。

稲葉家はもともと麹製造をしていて、それで得た利益を元手に廻船業に手を出す。

これはもともと久美浜に発着する船が多かったことを表している。

それで多くの金を持っていた稲葉家は久美浜代官所の掛屋、今で言えば指定金融機関みたいなものか、それで利益を得ていた。

明治以降も久美浜町長を輩出したり、豊岡~久美浜の鉄道開通に出資したという。

この鉄道開通後に湾外交通がなくなったという。実はそういう歴史でもある。


ここから久美浜湾をバイクでぐるっと一周する。かなりアップダウンがある。

自転車だと大変だったなと思いながら上って下って進んでいく。

海岸に沿ってゴルフ場があり、海には養殖用のいかだがあり、よい景色である。

そんなので進むと橋の手前に「大向展望台」と書いてあり、気になったので分岐してみた。

集落の中に入っていき、どこが展望台なんだよと思ったら、わかりにくいところに入口があった。

さすがに車では上がれないので下に停めて、急坂をゆっくり上がっていく。

すると展望台があったのだが……木が邪魔だな。よくあるやつだ。

ただ、木々の間から綺麗な砂浜が見える。後で行くのだが、これは小天橋と呼ばれているところである。

久美浜湾の口を閉じてしまった砂州で天橋立にちなんだ命名だという。

確かに天橋立と構造的にも似ているのだが「湾口」はあれよりさらに狭い。

橋の高さこそ高いが、幅はかなり狭い。しかも1913年に開削してなんとか確保している状況である。

それもはや湾ではなく湖だろと思うんだけど、京都府の認識は海で一貫している。


橋を渡ったらすぐに小天橋海水浴場、海水浴に興じる人が多くいた。

パッと見た感じでは綺麗な海である。京都府にこんな海があるんだなと。

長く砂浜が続いている。この砂浜に塞がれたのが久美浜湾だから当然だが。

けっこうごつごつした岩が多くあり、船の航行には注意が必要そうだなとみていた。

道路が砂浜に近づくのはここぐらいで、他は防砂林を挟んで走っている。

今まで山がちなところを走ってきたが、当然このあたりは平らである。

そのまま久美浜湾沿いに進んでいくと、また山が見えてくる。

久美浜湾のシンボルでもある 兜山が見えてきた。この兜山には展望台があるらしい。

というのでいろいろ迷いながら かぶと山公園に到着。

ここから歩いて登れるようだ。というわけで登るのだがけっこう大変だった。

というのも標高191.7mでスタート地点の標高が30mほどなので、そりゃけっこう急なわけだ。

しかし登り切ると久美浜湾が一望できる。カヌーの人たちはスタート地点のカヌーセンターからけっこう遠くに行っていた。

この兜山は硬い岩石のため削られずにこうして残ったようで、久美浜湾を一望するに適しているわけである。

ところでこの入口の横に「NORTH FACE」「Bshop」と書いた建物があり、

なんだこれ? と思ったら普通に店舗だった。キャンプ場の近くなのでコンビニ的な意味もあるのかと思ったがそうではなさそう。

京都・久美浜の複合施設〈HOLIDAY HOME〉に〈THE NORTH FACE 京丹後〉が生まれた理由 (BRUTUS)

もともとBshopの倉庫だったところを転用していて、それはそもそもBshopの創業者の故郷が久美浜だったかららしい。


そんなこんなで久美浜湾を一周して久美浜駅でゴールである。

今度はVisaタッチで乗車できる汽車だったので、駅の改札でタッチして乗り込む。

J-WESTカードがタッチ対応なのでそれを使った。

エレベーターもない跨線橋を担いで運ぶのはけっこう大変である。

ちなみに丹鉄にはサイクルトレインがあるが、1日1往復の指定列車のみ期間限定で予約制、

乗降できる駅は限られており、久美浜駅は該当しない。そもそも原付は持ち込めない。

というわけで袋に入れて運ぶしかこのルートはどうにもならない。

豊岡までの汽車は案外人は乗っていた。JR乗換の人も多く、宮津方面から豊岡経由で各地というのはあるようだ。

朝は駅員がいなかったが、この時間は駅員がいるようで改札でタッチと。

これなら別に特急でもVisaタッチ使えてよさそうだけど、豊岡でも無人時間帯だと車内対応だしね。


山陰海岸ジオパークの主なところは兵庫県但馬地域ではあるが、

東側は京丹後市まで伸びていて、その中でも面白そうだった久美浜湾を訪れてみた。

ここからはしばらくまた兵庫県内を周遊することになるが、

豊岡滞在は今日まで。明日は次の宿まで動きながら周遊していく。

荷物を運びながらというのが難点なんだけど、まぁそこはなんとかなんとか。

玄武洞とコウノトリ

宿の前でバイクを組み立てて、少し走って九条通沿いの吉野家で朝食を食べる。

そして、JRの線路をくぐって中央郵便局あたりまで来て、押し歩きで改札近くまで来たら、

バイクを畳んで改札を通って30番のりば……

案内上は関空行きのはるか号しか出なさそうだが、乗るのは きのさき号だ。

わざわざ線路をまたいだのは中央口からだと平面移動でここまで来られるからである。

エレベーター乗り継いだりするのは大変だからね。


そんなこんなできのさき号に揺られて向かうのは豊岡である。

山陰本線という路線名の通り、昔は京都から鳥取・島根方面まで優等列車が走っていたが、

今は新幹線乗り継ぎを基本としたルートとなり、京都からは一番遠くて城崎まで。

あまり兵庫県には山陰のイメージはないかもしれないが、兵庫県でも但馬は山陰だろう。

福知山を挟んで各方面の列車は設定されているが、府県界もあってか京都~宮津方面、大阪~豊岡方面が主流のようだ。

福知山で乗り換えても特急料金は通算されるので特に問題はないのだが、

今回は荷物がデカイこともあり、京都~豊岡直通を重視した経緯がある。


そんなわけで豊岡に到着してよっこいしょっと運んでバイクを組み立て。

ちょうど同じ列車に折りたたみ自転車を持って乗っていた人がいたようで、近くで組み立てていた。

とりあえず宿に寄って荷物を預けて、それで早々最初の目的地へ向かうことに。

その目的地というのは玄武洞公園である。信号などかからない区間も長く、ひたすら20km/hで走り続ける。

暑いが漕がなくてよいだけマシである。

そんなので走り続けると玄武洞公園に到着、どこ停めるんだ? と思ったら一番手前に駐輪場があった。


今回の旅行のキーワードの1つが山陰海岸ジオパークである。

京都府京丹後市から鳥取県鳥取市に至る地域にある様々な地質遺産を集めたもので、山陰海岸国立公園に相当する。

運べるバイクがあればそんなところも自由に周遊できるじゃないのというわけ。

玄武洞公園について言えば、対岸に玄武洞駅がある。

対岸ってそれ最寄り駅として機能してないのでは? と思ってしまうが、実は予約制の渡し船があるらしい。

なので最寄り駅というのは嘘ではないが、列車の本数のこともあるので、なかなか不便だろうとは思う。

玄武洞というのは元々は採石地である。柱状節理によりよき大きさの石が採掘しやすかったと。

黒っぽい火山岩に玄武岩という名前が付いたのは玄武洞で取れる岩だからということで、

この手の火山岩の代表とされたわけである。(当地では元々は灘石と呼ばれていたらしい)

玄武洞公園にはこのような柱状節理が観察できる場所が5つあるが、それぞれ特徴が異なり、

表面付近で早く固まったところ、深くでゆっくり固まったところ、表面が収縮するにつれて横に割れたところと、

様々な特徴を持ったところを観察できるのが特に優れているように思った。

休憩所には山陰海岸ジオパークにちなんだ展示があり、いろいろ解説があった。

さっき書いた玄武洞駅からの渡し船、昔は玄武洞からの石を船で搬出していたことに由来するらしい。


天然記念物として保護され採石されなくなった玄武洞では様々な研究が行われたが、

その中で大きな発見だったのが地磁気の反転、玄武洞の岩は現代と逆向きに磁化されていたのである。

これは世界初の発見で、この発見をした松山基範博士の名前を取って、玄武洞を含むもっとも最近の逆転期を松山逆磁極期と呼ぶそう。

これが最近また改めて注目されるきっかけがあった。

地質時代に名前を付ける活動の中で、この地磁気逆転が起きた77万年前を基準にすることになり、

その77万年前の地磁気逆転をよく表す地点として、千葉県市原市の地層が選ばれ、

それにちなんでこの77万年前の地磁気逆転より最近で12万年前までの間をチバニアンと呼ぶことになった。

玄武洞はこの地磁気逆転の前だからチバニアンより1つ古いカラブリアンにあたる。


豊岡市街に戻って昼食を食べて、今度は東へ進む。

たどりついたのは コウノトリの郷公園 である。

但馬あるいは兵庫県ではよくコウノトリの名前が出てくるが、ここにはコウノトリという鳥の歴史がある。

このあたりの事情はコウノトリ文化館の説明で教えてくれた。

コウノトリはもともと渡り鳥だが、エサなどの都合のよいところに定着することがあり、

日本各地に定着していたが、明治以降に捕獲されたり、水銀を含む農薬の使用などで激減、

最後まで残ったのが但馬だったが、それも1971年には野生のコウノトリは全て死んでしまった。

その前からコウノトリの飼育が行われるようになり、飼育下での繁殖に取り組んでいた。

飼育下での繁殖も軌道に乗り、周辺の環境整備も進み、2005年から野生復帰が行われ、今は400羽ぐらいでは? とのこと。


なぜ但馬でコウノトリが居着いたかというと、湿地が広がりエサが得やすかったからなのだろう。

玄武洞のあたりで川が狭くなっていることもあり、豊岡盆地は湿地帯が広がっている。

それを田んぼとして利用し、かつてはそれが餌場として有用だったが、

農薬の使用、圃場整備などで餌場としては利用しにくくなり、絶滅の要因となった。

農薬の使用を減らし、コウノトリのエサになるカエルなどが居着くことができるように水を張り、

コウノトリが巣を作るための塔を建て、コウノトリは野生復帰していったのである。

当然、それはコウノトリ以外の水鳥にも有用で、ここまでに田んぼの中にサギがいるのを見た。

苦労はあるんだろうけど、豊岡ではこのように農業と環境保全の両立を図ろうとしている。

今はコウノトリは日本海沿いを中心に各地を飛び回っているが、ここまで環境が整うのは豊岡ぐらいのようだ。


再び豊岡市街に戻ってきて15時ぐらいだったので宿に入って汗を流す。

ここでバイクのバッテリーを充電していたのだが、ここで充電したらちょっと先まで出かけられるんじゃない?

と地図を見たら、10kmぐらい行けば出石だという。ギリギリいけるか?

というわけで30分ぐらい充電したバッテリーを装備して出発。

ひたすら川沿いの道を進んでいく。途中でちょっとマズイかもとは思ったが、無事に出石に到着。


出石は但馬の小京都と呼ばれているが、風情はあるし、小京都というのも的を射た話である。

一国一城という中で但馬唯一の城とされたのが出石城だったらしい。

城というよりはその手前にある辰鼓楼の方が目立つ。出石って言ったらこれだな。

明治時代に建てられた時計塔で現在も時報を鳴らしている。

出石城跡の前に「出石町役場」と書いた建物があるが、出石町はすでに豊岡市に合併しているため、豊岡市出石庁舎である。なぜ直してないのか。

元々ここには藩主が住んで執務に当たる対面所があったようで、その時代も役場みたいなもんだな。


そんなこんなで出石を出発したのだが、やはりというべきか途中で電欠。

往路で思ったよりゲージが減るのが早いと思ったのだが、豊岡市街に入るあたりまで持つかと思ったらダメだった。

走行距離44kmほどで電欠、30分充電して10km弱は稼げたんだろうか。あと30分は充電するべきでしたね。

豊岡市街に入るまで4kmほど、路側帯を押し歩きというのは残念である。

でもこのぐらいなら笑い話に出来る距離だなと黙々押し歩きをしていた。

ロードサイドで夕食を食べて、まだホテルまで押し歩き。畳んで今日はゴール。


今回の旅行は2泊して動いて2泊して動いて2泊して動く形である。

そんなわけで明日も豊岡泊だが、明日はまた違うところに出かける。

バイクで走る京都市街

午前中は在宅勤務で仕事をして、冷蔵庫の中身を片付けるために仕組まれた昼食を食べて、

玄関に置いてるバイクを出して、リュックサック背負って、旅行のスタートである。


最寄り駅まで少し走ってとなるのが普通だが、今回は事情により少し先まで走っている。

あまり使わない駅だが、ここから山陰までのきっぷが始まっている。

で、駅前で畳んで袋に入れて……先週末に練習してだいぶ早くなりましたね。

前回の反省として袋を担いでアザだらけになったので、持ち手にタオルを巻いて担いだ。

改札口を通って、エレベータでホームに上がって、車いすスペースに置いて。

先客はいたが、ただ立ってるだけの人だったので、置かせてもらった。

東京駅の到着時刻を見計らってe5489で新幹線の予約変更をした。


東京駅は広いのもあるが、段差も多いし、エレベータも遠回り感があるし、

ホーム上も自分の乗る車両まで何両も歩くから、けっこうハードだった。

受け取った切符を見ると「乗変」マークが付いてるのはe5489での変更も1回限りだからだが、

これのどこが荷物スペース付きなんだ? と思ったら座席番号の横に書いてある「S」がそうらしい。

真っ先に乗り込んで座席の後ろによっこいしょと置いた。

それにしても大きなスーツケースを持った人はけっこういるもんだなと。

ちゃんと予約取ってる人はいいけど、なんか取ってなさそうなひともしばしば。

車掌に言って追加料金を払ってるのだろうか? (事前に予約できれば通常の指定席料金だが、車内では差額がある)


京都駅に到着してエレベータ2台乗り継いで八条口に出たら早々組み立てる。

そして押し歩きでよきところまで行って、八条通で走行開始である。

今回の宿は九条河原町のあたりにあるので、まずそこら辺まで走る。

宿の裏にいったんバイクを置いて、ちょうどLUUPのステーションがあった。

そしてチェックインしようと思ったらまだ部屋が準備できてないと言われた。

荷物さえ預かってもらえばとりあえずはよいので、預かってもらって再出発。

ちょこちょこ曲がって川端通に出て北上していく。なかなか良い景色である。

川端通ってバスもほとんど走ってないし、あまり長く歩かないけど、車にとってはわりと使いやすい道である。

川端二条まで来たら曲がって岡崎公園に到着……が、到着してから特に来る必要はなかったことに気づいた。


一服してから東山通を下っていく。東山通といえば市バス、市バスの停車中に抜き、走行中に抜かれる、

というのを何度か繰り返していたが、祇園バス停は乗降が多く、そこからは追いつかれなかった。

車道を自走するのは初めてだが、駐停車で1車線潰れている区間が多く、

自転車サイズのバイクにとってはその1車線の残りをすいすい走れてしまう。

東山通も四条通のように2車線化の構想があって、実態はあまり変わらんかもとか考えてしまう。

(ただ、東山通は迂回路が少なく、この点で困難なのも理解できる話)

そんなので東山七条に到着して、というと京都国立博物館だ。

平常展が行われていて、しかも9月まで続くようだ。平成知新館は本来は平常展用の建物なのだが。

その次は特別展「法然と極楽浄土」だが、そこで展示予定の法然上人絵伝について、

展示機会のあまりない場面を平常展の中で展示ということで、平然と国宝が展示されていた。

長い長い絵巻全部が国宝なのでそういうこともできてしまう。

あとはやっぱり焼き物ですね。茶入特集だった。本当にいろいろ集めてるな。


さて、夕食どうするかねと考えていたのだが、バイク乗ってるのだしと、

少し範囲を広げて考えたら十条通沿いの店に行くかとなった。

そんなわけで東山通をさらに下って、河原町通・十条通と走る。

けっこうアップダウンが大きいんだなと思いながら、でも電動ならへっちゃらだねと。

(けっこう下り坂で20km/hオーバーになってたけど)

徒歩だとこんなところまではまず来ないけど、バイクなら宿の近所という範疇である。

そんなので宿に戻ってきて、あらためてチェックインして今に至る。


京都で自転車が有用だという話は聞くことはあったけど、

なかなか走ることはなかったので、主な目的地ではなかったけどこうしてバイク広げたのはよかったかなと。

なかなか京都滞在のためだけにこの重いのを運ぶのは割に合わんけどね。

うっかり当座貸越発動

深夜、日付が変わった頃に家計簿を見ていたら、

銀行の残高がマイナス!? というので確認したら本当にマイナスになっていた。


原因は今日のクレジットカードの引落が残高より多くて、

定期預金を担保にした当座貸越が発生していたらしい。

というのでこれはマズイとすぐに住信SBIネット銀行(SBIハイブリッド預金にたくさん残高がある)から振込。

まもなく着金して残高はプラスに転じ、当座貸越の返済も行われたはず。

利息は請求されるんかね。1日としても1円にも満たないから請求できないか。

当座貸越の利息って定期預金の利率+年0.5%でかなり低い利率なので。


うっかりミスである。計算していたつもりだったのだがズレていたようだ。

本来なら事前に証券口座から配当金を引き出すなどしておけば対応できた。

クレジットカード経由の積立投資信託の金額が増えたのも背景にある。

月10万円もクレジットカードで積み立てるか?

スルガ銀行には給与第2口座としてそれなりの金額は入金されているが、

さすがにこの額の積立が継続すると残高は減る一方である。


来月は明らかにクレジットカードの請求額が多いので、

さすがにこういうのは事前調整が必要なのは把握できているが、

そこまでじゃないと思ってたら、そうでもなかったという話ですかね。


いろいろな調整の都合もあり、みずほ銀行の残高も一時的に少なくなっている。

また、三菱UFJ銀行は今月に銀行発行のKIPSカードの実質的な最終引落が来る予定である。

KIPSカードをどうするか

その後は残高を0にすることも視野に検討をしており、引落後の残高は数千円レベルになる予定。

ほとんどの現金は住信SBIネット銀行に集まっている状態である。

先月・今月でGMOクリック証券に入ってきている配当金もそこそこ大きいが。

出金のほとんどは スルガ銀行 と みずほ銀行 だからかなりアンバランスである。

配当金や賞与のこともあるので、今月下旬までには調整しとかないとな。

オリンピックの男子サッカーは難しい

そろそろオリンピックということで各競技の出場者が見えてきているが、

その中で男子サッカーについて、23歳以下が基本でオーバーエイジ枠も3人まで認められているが、

なんと今回の日本チームはオーバーエイジ枠を使わないことになったという。

選ぶなら「トップ選手」 五輪オーバーエージ、16年ぶりゼロの背景 (朝日新聞デジタル)

必ずしも意図通りというわけではないようだが。


なぜオリンピックの男子サッカーは23歳以下なのかという話は以前紹介した。

オリンピックのサッカーがU23になるまで

プロ選手が出場できなかった時代の名残であり、ワールドカップを重視した結果であり、プロリーグとの兼ね合いでもある。

オーバーエイジ枠については何人か候補はいたのだが、

所属チームから同意が得られなかったため断念したという。

直前合流となるため卓越したリーダーシップを持った選手でなければ効果が薄いということで、

ここぞという選手を考えたが、そういう選手は所属チームにとって手放したくない存在でもある。

というわけで、これはオーバーエイジ枠の意義からしても致し方なしだろう。


ただ、23歳以下の選手についても所属チームの同意が得られず断念したのがいたようだ。

23歳以下であっても所属チームは選手派遣を拒否することができるらしい。

どうもこういう話は各国ともある問題なんだという。

オリンピックについて23歳以下のチャンピオン決定戦という意義があると思っていたが、

それすらも怪しいというのが実情らしい。


というわけでオリンピックについては厳しい戦いになりそうだが、

考え方を変えれば、それだけ日本人選手のレベルが上がっているということでもある。

関係者を含めて昨日まで努力したつもりですが、そういう選手たちが(所属)チームでとてつもなく大きな存在で必要とされているからこそ、こういう困難な状況になっている

こういう選手もワールドカップなどでは召集できるわけである。

交渉力が弱いのでは? という指摘もあったけれど、

チームの主力となっている選手についてはそれがレベルアップになるし、

オーバーエイジ枠を使わず、集められる選手で組んだU23チームではあるが、

その中にはゆくゆくはA代表で活躍して欲しい選手もいるだろうと。

最終的には年齢制限のないA代表の底上げにつながることを意識したようである。


そこまでしてオリンピックでサッカーやらないといかんのかなと思うけど、

サッカーについてはオリンピック側がどうしても手放したくなくて、

年齢制限を呑んだという経緯もあるので、難しい話である。

重要な国際大会であることは確かで、だからこそよいメンバーを揃えようと交渉してるわけだけど、

なかなか思うようにはいかないものである。

Aqoursもそろそろ一段落

話題になっていたのだが、ラブライブ!サンシャインのAqours、

今年9周年ということで、いろいろキャンペーンが行われるのだが、

その集大成になるのか「Aqours、9人最後のワンマンライブ」という

「Aqours Finale LoveLive! ~永久stage~」が行われるのだという。

Aqours、9人最後のワンマンライブ開催決定 メモリアル写真集発売など新企画続々 (ORICON NEWS)


どうも10年を目標にやっていこうという話が少し前にあったようだ。

コンテンツの性質も考えれば、今後あまり大きな動きが考えにくいところはある。

それは春から春まで1年描くと、その先に進めなくなってしまうということである。

高校3年生のメンバーは卒業するとスクールアイドルとしては終わりだから。

(μ’sを越えなければならない作品)

コンテンツとしてやりたいことはだいたいできたとは言えそうだ。

それに伴ってライブイベントも一段落となるだろうという話である。

10年も続いたら相当に長いことは間違いない。


ただ、これによりAqoursがなくなるというわけではないとは言われている。

コンテンツとしても完全に終わりというわけではないのだろう。

とはいえ「Aqours、9人最後のワンマンライブ」と言ってしまうのだから、

その先に考えられることとしては何があるのだろうか。

単純に考えれば、他のユニットと共演するイベントはありうるなど考えられるが。


現時点で発表されているのは、そういうイベントがあるというだけで、

具体的にいつどこでやるとかそういうことは発表されていない。

とはいえ、Aqoursの人気など考えれば盛大に行われることは確かだろう。

時期としては10年に近いところだとすると、ほぼ1年後なのだろうか。

そうだとすると遠いなとは思うが、9周年キャンペーンの一環ということでここでの発表となったようだ。


「Aqours Finale LoveLive」なのにAqoursはなくなるわけではない、

というのはどうにもよくわからん気がするが、引退棋士みたいなもんでは?

将棋の棋士は年齢や順位戦C級2組から陥落するなどの複数の条件を満たすと引退となる。

引退となると公式戦で対局することはできなくなるのだが、

棋士であることに違いはないとされており、これを引退棋士と呼ぶことがある。

すなわち一度でもプロになれば明示的に連盟を退会しない限り、死ぬまで棋士ということである。


少なくともラブライブ!というコンテンツが続く限りにおいては、

Aqoursのメンバーはずっとスクールアイドルだし、

声優ユニットとしてのAqoursも存続しているということだろう。

ラブライブ!全体で見れば、蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブが動き出したり、まだ続くであろう。

表だった活動はない期間が続いても、なにかあれば出てくる可能性はある。

というかμ’sがそうだったんだよな。


しかし、これ書いていて気になったのが蓮ノ空だよな。

なぜ新しいコンテンツであるはずの蓮ノ空が気になってしまうかというと、

ゲーム内と現実世界では同じ時間の進み方をする設定があるためだ。

4月に進級したり、新入生がやってきたりするのだが、

3年生は3月を迎えると卒業するということでもある。

1年より先を描けなくなるという問題に対する解の1つではあるが、

こちらは明確に卒業してしまうのだから、μ’sやAqoursと同じ理屈は使えない。

ラブライブ!シリーズとしても初めてぶち当たる問題だが、

当然そのようなことは当初から織り込み済みのはず。果たしてどうなることやら。

自賠責共済証明書の電子保存

自賠責共済証明書を受け取って「この証明書本紙を必ず自動車に備え付けておいてください」と書いてある。

あのバイクに備え付ける必要があるのか? と思ったが、罰則規定があるらしい。

しかも規定上は30万円以下の罰金というけっこうな内容である。

実態としてどうなのかというのは疑問はあるけど。


特定原付の制度が出来る前から電動キックボードなどは自賠責証明書を備え付ける場所がないことは気づいていて、

それで検討した結果、e-文書法により、スマートフォンなどにスキャンデータを保存することを備え付けとするルールが作られた。

このルールは 自動車損害賠償保障法 だけ見ていても気付くことが出来ない。


e-文書法は法令で文書の保存が定められているところを、省令で定めたものは電子データでの保存を認めるという法律である。

法律自体は変更しなくても、省令だけで電子データでの保存が認められるという法律である。

一見すると自賠責保険証明書の備え付けとは全然関係がなさそうなのだが、

保存の定義は「保存し、保管し、管理し、備え、備え置き、備え付け、又は常備すること」なので、

自賠責保険証明書を車に備え付けることを電子データで行うこともこの法律で可能と考えたわけだ。


そのための省令が昨年6月から施行されている。特定原付の制度が施行される1ヶ月前である。

自動車損害賠償保障法に係る民間事業者等が行う書面の保存等における情報通信の技術の利用に関する法律施行規則 (e-Gov)

「民間事業者等」という言葉が出てくるが、役所以外という意味で捉えればよい。

だから、車を保有する個人も「民間事業者等」である。

「証明書の保存が構造上困難」な場合に証明書の電子保存が認められること。

スキャナで読み取ったデータをコンピュータにファイルとして保存して、

データは直ちに表示できるようにしておくことが求められていることがある。

「磁気ディスク、シー・ディー・ロムその他これらに準ずる方法」とかいう表記もあるが、

運転時に直ちに表示できるようにと考えれば、スマートフォンへの保存でなければ要件は満たせないだろう。


ただし、このルールを適用するためには「証明書の保存が構造上困難」でなければならない。

その条件というのはA5サイズ以上の密閉容器がないことである。

従来、座席の下にヘルメットなど格納できるバイクが多かったので、

そのような場合は自賠責保険証明書を格納する密閉容器があるので、証明書の原本を備え付ける必要がある。

一方で電動キックボードや折りたたみ自転車形のバイクは容器がないことが多い。

そのような場合に限り、電子保管が認められるというルールである。

特に原付に限るというルールはないが、密閉容器がないという条件や、

原付(125cc以下)・小特以外は自動車検査証などの備え付け義務があることを考えれば、

おおよそ原付以外への適用は考えられない制度と言える。


というわけで電子保存をやってみましょう。

スキャナで自賠責共済証明書、ついでに標識交付証明書をスキャンしてPDFを作る。

そして、これをmicroSDに保存する。スマートフォンで開いて読めればOKである。

乗車時にスマートフォンを携行することで、自賠責共済証明書の備え付けとなる。

この方法は詳しく説明されているところは少ないが、一部の保険会社のFAQに記載されている。

【自賠責保険】バイクの構造上、自賠責証明書をバイクに備え付けることができないが、携行する必要はありますか? (東京海上日動)


さて、冒頭にも書いたのだが、自賠責保険証明書の備え付け義務に違反すると、

かなり高額の罰金が科せられる可能性はあるのだが、実際そうかは疑問がある。

交通反則通告制度の対象の場合、反則金を払えば起訴されないというのがある。

反則金を払わず起訴された場合は反則金の金額が罰金の相場と言われている。

ただ、自賠責保険証明書を備え付けないのは反則金の設定がない。

無保険運行ならともかく、証明書を備え付けてないのをいちいち起訴するのか? というのはかなり疑わしい


あと、元々バイクはこれらの書類の備え付け義務を履行していない車が多いらしい。

というのもバイクは盗難の懸念があり、重要書類の原本を備え付けると、

それを使って名義変更をされてしまうというリスクがあると。

車自体に置きっぱなしにせず、乗車時に書類を持っていればよいのだが、

実務的にそういうのは難しいので必要事項が確認出来るコピーを持っていればよいだろうと。

そういう判断はわりと一般的に行われているようである。

そのような事情もあるため、バイクの書類の備え付け義務について起訴するのは難しいと思われる。


だからよいという話ではないのだが。

ただ、特定原付については電子保存が適用できるケースが多いと思われるので、

スキャナやカメラで撮影したデータをスマートフォンに入れておけばよい。

ただ、それを実際使うかというとよくわからない話である。

事故を起こしたら必要そうだが、実際には自賠責共済と別にマイカー共済があって、

共済金を請求するときにはまとめて請求手続きをするわけである。

そのあたりの必要事項は電話で聞けば教えてくれるはず。

自賠責の加入状況の確認で抜き打ちチェックもあり得ないとは言えないが、

期限の確認だけならステッカーで済むわけで、そこまでするかどうか。

もちろんルールはルール、やっておくべきことではあるのだが。