玄武洞とコウノトリ

宿の前でバイクを組み立てて、少し走って九条通沿いの吉野家で朝食を食べる。

そして、JRの線路をくぐって中央郵便局あたりまで来て、押し歩きで改札近くまで来たら、

バイクを畳んで改札を通って30番のりば……

案内上は関空行きのはるか号しか出なさそうだが、乗るのは きのさき号だ。

わざわざ線路をまたいだのは中央口からだと平面移動でここまで来られるからである。

エレベーター乗り継いだりするのは大変だからね。


そんなこんなできのさき号に揺られて向かうのは豊岡である。

山陰本線という路線名の通り、昔は京都から鳥取・島根方面まで優等列車が走っていたが、

今は新幹線乗り継ぎを基本としたルートとなり、京都からは一番遠くて城崎まで。

あまり兵庫県には山陰のイメージはないかもしれないが、兵庫県でも但馬は山陰だろう。

福知山を挟んで各方面の列車は設定されているが、府県界もあってか京都~宮津方面、大阪~豊岡方面が主流のようだ。

福知山で乗り換えても特急料金は通算されるので特に問題はないのだが、

今回は荷物がデカイこともあり、京都~豊岡直通を重視した経緯がある。


そんなわけで豊岡に到着してよっこいしょっと運んでバイクを組み立て。

ちょうど同じ列車に折りたたみ自転車を持って乗っていた人がいたようで、近くで組み立てていた。

とりあえず宿に寄って荷物を預けて、それで早々最初の目的地へ向かうことに。

その目的地というのは玄武洞公園である。信号などかからない区間も長く、ひたすら20km/hで走り続ける。

暑いが漕がなくてよいだけマシである。

そんなので走り続けると玄武洞公園に到着、どこ停めるんだ? と思ったら一番手前に駐輪場があった。


今回の旅行のキーワードの1つが山陰海岸ジオパークである。

京都府京丹後市から鳥取県鳥取市に至る地域にある様々な地質遺産を集めたもので、山陰海岸国立公園に相当する。

運べるバイクがあればそんなところも自由に周遊できるじゃないのというわけ。

玄武洞公園について言えば、対岸に玄武洞駅がある。

対岸ってそれ最寄り駅として機能してないのでは? と思ってしまうが、実は予約制の渡し船があるらしい。

なので最寄り駅というのは嘘ではないが、列車の本数のこともあるので、なかなか不便だろうとは思う。

玄武洞というのは元々は採石地である。柱状節理によりよき大きさの石が採掘しやすかったと。

黒っぽい火山岩に玄武岩という名前が付いたのは玄武洞で取れる岩だからということで、

この手の火山岩の代表とされたわけである。(当地では元々は灘石と呼ばれていたらしい)

玄武洞公園にはこのような柱状節理が観察できる場所が5つあるが、それぞれ特徴が異なり、

表面付近で早く固まったところ、深くでゆっくり固まったところ、表面が収縮するにつれて横に割れたところと、

様々な特徴を持ったところを観察できるのが特に優れているように思った。

休憩所には山陰海岸ジオパークにちなんだ展示があり、いろいろ解説があった。

さっき書いた玄武洞駅からの渡し船、昔は玄武洞からの石を船で搬出していたことに由来するらしい。


天然記念物として保護され採石されなくなった玄武洞では様々な研究が行われたが、

その中で大きな発見だったのが地磁気の反転、玄武洞の岩は現代と逆向きに磁化されていたのである。

これは世界初の発見で、この発見をした松山基範博士の名前を取って、玄武洞を含むもっとも最近の逆転期を松山逆磁極期と呼ぶそう。

これが最近また改めて注目されるきっかけがあった。

地質時代に名前を付ける活動の中で、この地磁気逆転が起きた77万年前を基準にすることになり、

その77万年前の地磁気逆転をよく表す地点として、千葉県市原市の地層が選ばれ、

それにちなんでこの77万年前の地磁気逆転より最近で12万年前までの間をチバニアンと呼ぶことになった。

玄武洞はこの地磁気逆転の前だからチバニアンより1つ古いカラブリアンにあたる。


豊岡市街に戻って昼食を食べて、今度は東へ進む。

たどりついたのは コウノトリの郷公園 である。

但馬あるいは兵庫県ではよくコウノトリの名前が出てくるが、ここにはコウノトリという鳥の歴史がある。

このあたりの事情はコウノトリ文化館の説明で教えてくれた。

コウノトリはもともと渡り鳥だが、エサなどの都合のよいところに定着することがあり、

日本各地に定着していたが、明治以降に捕獲されたり、水銀を含む農薬の使用などで激減、

最後まで残ったのが但馬だったが、それも1971年には野生のコウノトリは全て死んでしまった。

その前からコウノトリの飼育が行われるようになり、飼育下での繁殖に取り組んでいた。

飼育下での繁殖も軌道に乗り、周辺の環境整備も進み、2005年から野生復帰が行われ、今は400羽ぐらいでは? とのこと。


なぜ但馬でコウノトリが居着いたかというと、湿地が広がりエサが得やすかったからなのだろう。

玄武洞のあたりで川が狭くなっていることもあり、豊岡盆地は湿地帯が広がっている。

それを田んぼとして利用し、かつてはそれが餌場として有用だったが、

農薬の使用、圃場整備などで餌場としては利用しにくくなり、絶滅の要因となった。

農薬の使用を減らし、コウノトリのエサになるカエルなどが居着くことができるように水を張り、

コウノトリが巣を作るための塔を建て、コウノトリは野生復帰していったのである。

当然、それはコウノトリ以外の水鳥にも有用で、ここまでに田んぼの中にサギがいるのを見た。

苦労はあるんだろうけど、豊岡ではこのように農業と環境保全の両立を図ろうとしている。

今はコウノトリは日本海沿いを中心に各地を飛び回っているが、ここまで環境が整うのは豊岡ぐらいのようだ。


再び豊岡市街に戻ってきて15時ぐらいだったので宿に入って汗を流す。

ここでバイクのバッテリーを充電していたのだが、ここで充電したらちょっと先まで出かけられるんじゃない?

と地図を見たら、10kmぐらい行けば出石だという。ギリギリいけるか?

というわけで30分ぐらい充電したバッテリーを装備して出発。

ひたすら川沿いの道を進んでいく。途中でちょっとマズイかもとは思ったが、無事に出石に到着。


出石は但馬の小京都と呼ばれているが、風情はあるし、小京都というのも的を射た話である。

一国一城という中で但馬唯一の城とされたのが出石城だったらしい。

城というよりはその手前にある辰鼓楼の方が目立つ。出石って言ったらこれだな。

明治時代に建てられた時計塔で現在も時報を鳴らしている。

出石城跡の前に「出石町役場」と書いた建物があるが、出石町はすでに豊岡市に合併しているため、豊岡市出石庁舎である。なぜ直してないのか。

元々ここには藩主が住んで執務に当たる対面所があったようで、その時代も役場みたいなもんだな。


そんなこんなで出石を出発したのだが、やはりというべきか途中で電欠。

往路で思ったよりゲージが減るのが早いと思ったのだが、豊岡市街に入るあたりまで持つかと思ったらダメだった。

走行距離44kmほどで電欠、30分充電して10km弱は稼げたんだろうか。あと30分は充電するべきでしたね。

豊岡市街に入るまで4kmほど、路側帯を押し歩きというのは残念である。

でもこのぐらいなら笑い話に出来る距離だなと黙々押し歩きをしていた。

ロードサイドで夕食を食べて、まだホテルまで押し歩き。畳んで今日はゴール。


今回の旅行は2泊して動いて2泊して動いて2泊して動く形である。

そんなわけで明日も豊岡泊だが、明日はまた違うところに出かける。