昨日は東京国立博物館に行ってきた。
1月は新年にちなんだ展示をやるのは、どこの博物館もそんなもんだと思うが、猪にまつわる特集展示はいかにもという感じ。
とはいえ、猪っていくつかいる獣の1つとして描かれていたり、そんなに扱いがよいわけでもない。
これが犬とかだとだいぶ違うんですけどね。
平常展もお目当てではあったけど、主な目的は特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」ですね。
書ばかりの特別展ということで、ちょっと不思議な感じ。
書はあんまり遠くから見て楽しめるものでもないし、館内の混雑に手を焼いているようで、
「順路はないので空いているところから見てください」と場所場所で呼びかけていた。
あとそうして呼びかけている職員が中国語を書いた札を持っているのも印象的だった。
古い書が現代まで伝来する方法はいくつかの方法がある。
一番わかりやすいのが紙に墨で書かれた字が伝来するものだが、紙は失われやすい。
次にあるのが、石に彫られた字が伝来するというもの。
石に彫られた字と筆で書いた字は違うのでは? と思うけど、筆で書いた字に沿って彫るから、それでもよいらしい。
石から拓本を取ることもよく行われる。石とて失われることはある。場合によっては拓本の取られすぎで摩滅したものもある。
ただ、そうして取られた拓本は残っているケースもある。特にそれが複数あれば長く伝来しやすい。
紙の字をそっくり石に彫るという模刻ということも行われている。それの拓本を取れば、紙を紙で複製できると。品質はさておき。
さらに臨書というアプローチもある。他人の書を忠実にマネして書くことで、書を学ぶ中で行われることがある。
有名な書家ともなれば、他の人がたくさん臨書するので、そうして残ることもあるわけだ。
本物ではないのは確かだが、絵画の模写などに比べれば、ハイレベルな物が残っていると言えるのでは?
いろいろな書が展示されていたが、楷書というのは1つの大きなテーマだったようだ。
甲骨文字からだんだんと字らしくなって、篆書として整理が進んだところで、筆で書くのを前提に隷書が生まれた。
楷書も行書も草書もこの隷書からの発展ですから、隷書というのは重要なスタート地点である。
行書や草書はともかく、楷書が確立されていく中では、なんか隷書っぽいなというのもけっこうある。
そういう移り変わりを感じられる展示になっているのが印象深かった。
僕は会社のクラブ活動で書道部に所属している。
それで、先生から指導を受けるときに、いろいろな話を聞くんだけど、
「私も先生に臨書は大切だと言われたし、私も臨書は大切だと思っている。」ということをたびたび言っている。
先人の書を実際に書いてみると、こういう風にするとかっこいいんだとか、そういう学びが得られると。
それを積み重ねていく中で、自分の書はこれでいこうというのが見えてくるようになるよということらしい。
ここに展示されている書というのは、そういうところでお手本にされるようなものが多い。
博物館に書が展示されていることは多いが、内容が重要なのか、字が重要なのかというのはいろいろ。
そんな中で明確に字にこだわった特別展と言えると思う。
字なんて見て何が楽しんだろう、と思う人たちに向けての説明やこぼれ話も充実していた。
こういう展示を見ると、博物館で字を見る見方も変わるかも知れない。