佐渡金山のルーツを探る旅

ホテルを6時ごろにでて、バイクで少し走って直江津港へ。

ShinEtsuとかかれた看板を見て、信越化学の本拠地でしたねと。

信濃の水を使った水力発電と越後の石灰石を使ってカーバイド製造を始めたことにルーツがあるが、

今はそういう枠組みに留まらず、半導体関係の材料を作っている印象が強いんじゃないかね。

で、直江津港について窓口できっぷを買う。乗船待ちの車の列にはバイクもちらほら。

あくまでも徒歩客なのでそちらには並ばず。ただし折りたたみ自転車を袋に入れて乗る場合は手荷物運賃550円が徴収されるルールになっている。

それでも自転車の料金よりはだいぶ安いし、原付の料金と比べればなおさら。

で、運賃をSuicaで払おうとしたら、手間取った上で「人の運賃はSuicaで払えるのですが、手荷物運賃はカードか現金しか使えなくて」と。

なんだそりゃ。結局全額をクレジットカードで支払った。3730円なり。


さて、直江津~小木航路には こがね丸 というカーフェリーが入っているが、佐渡汽船に来たのは2023年と最近である。

北陸新幹線が上越に到達する少し前、双胴船の高速カーフェリー「あかね」が導入された。

従来、1日1.5往復しかできなかったが、高速化されたことで2往復できるようになり、新幹線と合わせて佐渡が近くなると。

こんな触れ込みだったのだが、双胴船が高コストということで、採算改善のため2021年にジェットフォイルに代替された。

とはいえ、車が乗れないのは生活航路として困るので、代わりとなるカーフェリーを中古で探すことになり、

豊後水道で使われていたフェリーが新造船に代替されるということでこれを購入、佐渡汽船にやってきた。

これが現在のこがね丸の正体である。船内に入るとあれこれシール貼りされているのはそのため。

なお、こがね丸は速力19ktの普通のフェリーだが、あかね時代と同様に1隻2往復体制を維持している。

そのしわ寄せが1便目が直江津7:10発、4便目が直江津20:05着というところに現れているのだろう。

それにしてもこの船、この距離なのに基本的にじゅうたん席しかないんですね。

パブリックスペースのソファーに座ってる人も多かったけど。この距離だと椅子席の方が嬉しいよね。

調べたらこの船と入れ替わりに豊後水道にやってきた「れいめい丸」は特急列車のようなリクライニングシートが搭載されてるらしい。


そんなこんなで小木港に到着、ターミナルを出てバイクを組み立てて出発。

ところで直江津~小木、新潟~両津はともに国道350号を構成する航路ということになっている。

佐渡島内の両津~佐和田~小木の道路を国道事業で整備する名目で、新潟~上越の国道ということにしたらしい。

そんな国道350号のサインは港近くに立っていた。その近くには国土地理院の「小木検潮場」という施設が。

佐渡島の標高を決めるために潮位を測っていたのだが、近年は標高の定義の見直しもあったりして標高の定義に直接関与しているかはよくわからない。

小木からはわりと急な上り坂が続く。沿線には果樹園が多くあったけど、柿ですかね。

また下って海沿いに出る。


佐渡といえば金山ということで、世界遺産登録されたことについていろいろなところでアピールされていたが、

一般的には相川金銀山のことを指すのだろうが、西三川砂金山というのがあり、こちらの方が古いそう。

ちょうど小木から山を越えた先が西三川ということで、これが小木からの佐渡入りを選んだ理由の1つである。

というわけで国道から少し入ったところに「西三川ゴールドパーク」というのがあるが、

これは砂金採りの体験施設という色合いが強くて、ここ自体は実際に砂金を採取していたところではないらしい。

実際にはこの先の方らしく道を進んでいく。他の車は全く見なかった。というか車で行くところではないのか。

西三川砂金山というのは砂金を含んだ土砂からなる山がいくつかある地域ということになる。

砂金という形で金が直接的に得られるので、平安時代には発見されていたらしい。

本格的に金を集めるには、山を崩して、土砂を水で洗って集めるということをやる。これを大流しと言っていたそう。

水を確保するためにため池や水路を作って、どんどんと山を崩していったわけである。

そんなこんなで砂金採取は1872年まで続いたという。その後、土を洗ったところやため池は田に転用された。

ちょうど田植えをやっていたが、一見なんてことのない水田の広がる光景は重要文化的景観「佐渡西三川の砂金山由来の農山村景観」に指定されている。


と、これはこれで佐渡金山の古い歴史を知ったのでよかったのだが、上り坂続きで電池消費がひどく、ここで電池交換になった。

想定より10kmぐらい手前で電池交換になってしまい、これはまずいなとなった。

さらにここから真野へ向かうルートは急坂で、非力なバイクにとっては進みにくいこともあり、急坂は押し歩きで上げて進むということに。

眺めはよくて雪を被った金北山はけっこうな景色である。

ずんずん走って行って佐渡博物館なんてのがある。どうも市の博物館らしい。

この博物館は佐渡の自然史と佐渡ゆかりの美術品を展示している博物館である。

美術品は佐渡出身の画家の作品が多かったが、佐渡が題材になっているものもあった。


佐渡島というとS字状の形状が知られているが、元々は火山活動でできた2つの島だった。

この火山活動の中で金銀を含む鉱床が作られ、これが海で洗い流されて堆積したのが西三川砂金山、

そのまま鉱脈として残ったのが鶴子銀山・相川金銀山ということらしい。

その後、2つの島の間は湖になったが、加茂湖を除いて土砂で埋まり1つの島となっていった。

新潟県最大の湖だという加茂湖は流入する土砂が少なかったので湖のまま残ったのだという。

生物という観点で言えば、やはりトキですね。剥製と羽根が展示されていた。

佐渡は日本で最後のトキの生息地だった。残念ながら国内産のトキは人工繁殖ならず絶滅したが、

中国のトキを繁殖させて野生復帰させる取り組みはそれなりに軌道に乗っている。

トキが絶滅に至る流れは、コウノトリとも重なるが、農薬の使用というところがあったようだ。

玄武洞とコウノトリ

トキの野生復帰にあたっては農薬使用量の削減などの取り組みを行ってきたとのこと。

庭にはロックガーデンとして佐渡の様々な石が展示されている。佐渡だけでこんなにいろんな石があるんですね。

日本海や島のなりたちに関わる重要な石が並んでいて壮観である。


さて、ここから相川へ向かう。相川までは緩やかな上り坂を進むとトンネルがある。

トンネルを走るのは怖いけど、普通の自転車よりは常時点灯なので他の車に気づいてもらいやすいかな。

トンネルを抜けると海とけっこう立派な市街地が見える。

この相川は金山で栄えた町で、江戸時代には5万人ぐらい住んでいたらしい。今の佐渡市の人口と同じぐらいじゃないか。

このため行政機関も多く置かれたのだが、今となってみれば佐渡の中心地とも言いがたい立地である。それでも一部の役所は相川にある。

きらりうむ佐渡にバイクを停めて、まずここで佐渡金山についての展示を見る。再現映像を多く見ることができる。

西三川砂金山での大流し、江戸時代と明治以降の相川金銀山の採掘・精鉱がわかる。

江戸時代には精錬して小判にするところまで佐渡でやってたんですね。国際貿易に使用され世界に渡っていたという。


というわけで地図をもらって相川を散策していくことに。

まずやってきたのが佐渡奉行所跡、ここは奉行所の役所部分と選鉱を行う勝場(せりば)が復原されている。

この時代の役所というのは現代の検察・裁判所にあたる部分の占める割合が高く、

御白洲で罪人になりきって記念撮影したらどうですかみたいなことも書かれていた。

勝場ではとにかく岩を砕いてすりつぶして比重でより分けるというのを繰り返し繰り返しやっていたという。

最終的には金色をした金の粒か、黒い金銀化合物の粒が出てきて、これを鉛を使って精錬していたという。

鉛? と思うが鉛に金銀を含む粒を溶かして灰に吸わせると、金銀だけ吸われずに残るらしい。これを灰吹法という。

このための鉛の備蓄が文献で行方不明となっていたが、奉行所跡の発掘調査で見つかり、レプリカが展示されていた。

この後、塩を利用する焼金法などで銀を分離することで小判の材料となる金を得ていたという。

江戸時代に採掘が進むにつれ、金鉱石の品位が下がると選鉱の負担が重くなり、採掘が続けられなくなり……

当時の手工業的な方法の難しさが表れていたようである。


相川には近代的な役所の跡もあり、登録有形文化財になっている相川税務署や相川拘置支所を見た。

なんと相川拘置支所は中に入って見ることも出来た。いろいろ朽ちてるから注意してねとはあったが。

裁判所があれば拘置所は必要で、現在も新潟地方裁判所佐渡支部と佐渡拘置支所はともに佐和田地区に存在する。

佐渡奉行所跡の少し下のあたりに北沢浮遊選鉱場跡がある。相川に来てここが一番人多かったな。

浮遊選鉱というのは現代の様々な鉱山で使用されている。界面活性剤を入れてかき混ぜて泡を作ると、泡に金属鉱物が着いて集まる。

これを集めてシックナーという水槽に流し込んで固形分を取り出したものが精鉱として出荷される。

日本で銅などの金属精錬を行っている工場には精鉱の形で入ってきている。

明治以降の遺跡という点では大間港という、資材搬入などのため整備された港がある。

岸壁の作り方がコンクリートができる以前の作り方という点で特徴的らしい。


と、ここから戻るわけだが、トンネル近くまでは押し歩きで上げて、グライダーのように降りて進む。

ところで佐渡というのは都市的な光景が多く離島っぽくないと言っていた人がいるが、

佐和田地区の国道沿いを見ると普通に都市郊外という感じである。

先ほども書いたが、相川はけっこうな大きな都市だったわけだし、金山がなくなって重心は変わっても都市的なんだろう。

日本の離島(本土5島以外の島)で一番人口が多いのは淡路島だが、架橋された離島である。天草下島も同様。

その次に多い奄美大島はジェット機もやってくる島、佐渡島は船頼みの離島にしては飛び抜けて人口が多い。

広さもあるわけだけど、金山がなくなっても金山の島なんだなというのは実感した。


と、けっこう粘ったが電池切れ、宿まで6kmぐらい押し歩きするハメに。

全然ダメですね。急坂を押し歩きしてこれだから、電池パック1本分ぐらい足りなかったかも。

今日1日に詰め込みすぎたことはあるのだが、それにしても行動範囲にバイクの電池が追いついてない。

西三川に行って電池を減らしたのは敗因だったのだろうけど。でも、それがなくてもやっぱり足りないわ。

でも、やはり佐渡金山のルーツは知っておくべきだったし、江戸時代の相川を知ることもできたし、概ね満足かな。

佐渡金山といえば明治以降の佐渡鉱山なのかもしれないけどね。でもそこまでは時間的に回るわけがない。

明日リベンジというのも考えなくはないのだが、明日は天気が悪化することもあるので、もういいかな。