祖母のところを訪問したら、祖父の月命日なのでと一緒に墓参りに行くことに。
そういえばそうでしたか。
もう2年近く前ですよね。というわけでたどり着いた墓は思っていたのと違うところで……
どうも話を聞くと、従来あった先祖代々の墓は更地にして、合葬墓に集約したのだという。
確かに取り払った墓石がそのあたりに置いてあった。
集落にある寺の管理する墓地だが、その墓地の空き地に作ったらしい。
こんな空き地あったのか……と思ったのだが、言われて見れば空いてた気がする。
墓守も大変ということがあって、合葬墓を作る計画が出来て、多くの檀家が賛同してお金を出して作った墓だそうで、ここに祖父も関わっていたわけだ。
ゆえに、この墓というのは地域の墓であるとともに、自分で作った墓という一面もある。
家に戻って供養のときにとった写真を見せてもらったが、そこには祖父も写っていた。
そうして作った墓だから、もちろん自分も入ることを意識していたわけである。
祖母も亡くなったら、ここに入るのは決まっているのだと、もう名前が書いてあった。(そういうもんなのか?)
地域の墓といえば、ちょっと前にこんな話を書きましたね。
1つの墓の規模は大きくなるものの、数年で洗骨を経て骨の形で納めることになる。
骨の形にすると合葬が容易であり、複数人の骨を1つの壺に納めることも多かったという。
「門中」とかいうかなり広い一族、あるいは地域で共有の墓を持ち、
そこには風化を待つ遺体を納めた棺と、洗骨された遺骨を納めた厨子甕が納められているというわけである。
一部の伝統的な墓には地域の墓という一面もあったりするらしい。
これは沖縄で伝統的に行われていた風葬のためには必須だったからだが。
その後、火葬が一般化し、内地と同じような感覚の先祖代々の墓を作ることも容易になったわけだが。
偶然かも知れないが、その合葬墓のある場所は特に眺めのよいところだった。
墓地というとどうしても狭いところに押し込められるイメージはあるが、
土地にもゆとりがあるからか、利用の難しい斜面をうまく利用して作ったからなのか。なかなかこんな墓地はないですからという話はしていた。
その中でも一等地が空き地として残されていたなんて……
という感じもあるが、区画を区切って使うにはあまり便利ではなかったのかもしれない。
確かにこれは個人の墓のサイズではないもんなぁ。
というわけで亡くなって今さら知る意外な事実だった。
まさか晩年にそんな巨大な墓穴を掘っていたとはね。