今日、祖父(母の父)が亡くなったとの連絡を受けた。
といってもあまり驚きはなくて、数日前にもう近いかもねという話は聞いていたし、
2年前ぐらいに入院して、ここで退院した時点でかなり弱っていて、
そこからもなんやかんやとやっていたが、年齢のこともあったからね。
母からは葬儀には来なくてもよいと言われ、
実際のところ、いろいろ慌ただしい中、泊まりがけで厄介になるのも申し訳ないという思いもあったので、
日を開けて、他の都合にも合わせて弔問することを考えている。
やはり大きなターニングポイントは、2年ほど前の入院でしょうかね。
退院してしばらくして、そのときに会っていろいろ話をしたんだけど。多分、対面で会ったのはこのときが最後だな。
実際には今年3月に会うことも考えていたのだが、新型コロナウイルスのことが問題になっていた時期でお断りされ、
その後に手紙をやりとりしたり、テレビ電話をしたりというのはあったけど。
ともあれ、この退院後にいろいろ話をしたことは印象的ではあって、供養として書いておこうと思う。
この入院の原因というのが腎臓の病気で、実はそれ以前から通院での投薬治療をしていて、
さらに症状が悪化して、それで入院となったようである。しかもけっこう長引いた。
退院後は人工透析のために通院が必要になり、週に数回通っては透析を受けるということになっていた。
この歳から透析というのも大変だろうなと思ったが、本人も言っていたが透析することで症状が楽になる面はある。
一方で、この歳から透析をすることについて、いろいろ思うところはあったらしく、
「透析をするにもお金がかかって申し訳ないと思ったが――」なんてことを言っていたのが印象的だった。
確かに人工透析というのは、週に数回処置を受けることや、処置時間の長さや、必要な材料の多さを考えれば、お金がかかる。
まぁ実際には自己負担は軽いのだけど、その分は公費負担なので。
一方でその少し前に新聞記事で見たわけだけど、例え、高齢であっても人工透析というのは効果的な治療法である。
もちろん全身的な状態を考慮すると、効果が見込めない場合もあるわけだけど、たいていは年齢相応には効果があるわけですよね。
そんなことを読んでいたので「透析始めるに遅いということはないから」と言ったものである。
実際に年齢相応には衰えもありつつも、通院を続けながらあれこれやっていたそうなので。
人工透析を始める前から、投薬治療をしていたことを考えると、この病気との付き合いもそれなりに長いよね。
こういう風に長期の通院治療の末に亡くなった人といって、祖母(こちらは父の母)が思い浮かんだが。
このときは2週間前に症状の急変があって入院、その原因というのは10年近く通院治療していた病気だったわけですね。
長期の通院治療というのは年齢によらずあるものだけど、歳を取れば取るほどにその可能性は増えてきて、
多くの人が病気とうまく付き合いながら、症状や年齢相応の日常生活を送るようになっていくわけだよね。
祖父が医師ともよくコミュニケーションを取って通院治療していたことは聞いていて、そこはうまくやってたんじゃないか。
ゆるやかに症状が変化していく中で、周囲のサポート体制も少しずつ変わってことが求められ、
そこはやはり周辺の人にとって大変な面もあったと思うのだが、出来る人がやるしかないってことかなと。
比較的近くに住んでいるので、退院後のあれこれで両親が走り回ったり、母が通院に付き添ったりしてたと聞いている。
もちろん公的な制度はあるけど、やはり軌道に乗るまではあれこれ奔走する傾向にはあるんじゃないか。
退院後に「数年前の無理がたたったかな」なんてことも言っていたのも印象的で、これはなんとも言えないのだが、
実際、探究心豊富であったことは印象的ではあって、孫である自分もいろいろ連れ回されたもんである。
当時すでに70代だったか。このぐらいの年代の人は個人差はあるが、意外にアクティブなものかもしれない。
一方で、さらに歳を重ねて、なにかきっかけがあると一気に衰えてしまうんだろうなと。要因はいろいろですが。
実は祖父はこのBlogの読者であって、そのことでいろいろ感想をくれることもあった。
よくわからない記事も多かったかも知れないが、一方で勉強になったという感想をくれることもあった。
やはり衰えてはできないことも増えてくる中で、楽しみになってくれていたとすれば幸いなことである。