先日、大阪城天守閣が重要文化財に指定される見込みとなったことが発表された。
報道発表資料 重要文化財(建造物)の指定について~大阪城天守閣が文部科学大臣に答申されました~ (大阪市)
登録有形文化財として文化財としての価値は従来より認められていたが、
あえて重要文化財にしてこなかったという認識だったが、そろそろ築100年ということで動いたようだ。
なぜ、あえて重要文化財にしてこなかったと思っていたのか。
それはこれが史実の大坂城とは全く異なるものだからである。
大阪城天守閣が建つのは特別史跡「大坂城跡」の上である。
このようなところに建物を建てる場合は様々な制限があり、
特に建物の復元にあたっては、工法なども従来のものに合わせるのが原則である。
ところがかつてはそのようなルールが徹底されておらず、鉄筋コンクリートの博物館建築でもよかったのである。
ともあれ鉄筋コンクリート造であったことも寄与したか、太平洋戦争も乗り越え、大坂城ではもっとも長命な天守となっている。
登録有形文化財は手続きを踏めば解体することができる。
このため、もしも大坂城跡の活用に不都合という判断があれば、
現在の大阪城天守閣は解体できるというわけである。
現実にはそういうことは考えにくいが、そのような体裁は必要だったのではないか。
もし、この問題が無ければもっと早く重要文化財になっていたのではないかと思う。
さて、そんな大阪城天守閣が重要文化財に指定された理由としては、これが後に続く天守再建のお手本になったことがある。
大阪市が人口・面積とも日本一となった、いわゆる「大大阪」の時代に、大阪城公園の整備と一体的に計画され、市民の寄附により実現し、大都市大阪の象徴となった。市民に開かれた郷土資料館及び展望台として建築されたことも含め、以後の全国各地における天守再建手法の嚆矢ともなり歴史的価値が高い。
すなわち大阪城天守閣の評価はこれ1つで形成されたものではなく、
それに続いて各地に再建された天守があっての評価ということである。
先日、訪れた和歌山城もそうで、これも鉄筋コンクリート造の博物館である。
そう考えると大阪城天守閣の評価はなるほどという感じである。
特別史跡「大坂城跡」の活用方法として現代的な視点では好ましくない面もあるが、
長年にわたり、豊臣時代の大坂城を再現した姿で存在し「大坂城跡」の価値を高めてきたことは確かである。
この手法が各地に波及したことには大阪城天守閣の意義は大きいといえる。
大阪府所在の重要文化財(建造物)としては「太陽の塔」が昨年度の指定である。
こちらはほぼ最速の築55年での指定である。
どちらも共通して言えるのは、大阪の人々の熱意により文化財としての価値を持つに至ったということである。
重要文化財・国宝というのも指定に至る経緯はいろいろである。
偶然発掘されというのもあるし、同種の作品の中での傑作だからというものもある。
ただ、太陽の塔と大阪城天守閣は大阪のシンボルとして長年重視されてきたことが大きく影響していることは間違いない。
重要文化財になるためには最低でも50年伝承される必要がある。
(史跡・天然記念物の場合は50年経過する必要はない)
50年以上経って、なお価値があるというのはすごく高いハードルである。
太陽の塔のように最速ペースで指定されるというのは、なおさら難しいことである。
大阪城天守閣は1997年の登録有形文化財への登録時点ではまだ評価が定まらない部分もあったのだと思うが、
そこから時間を経て、価値が明確になったということだろう。