バイクを担いできたのなら電車だけでは行きにくいところに行きたいね。
ということで考えて思いついたのが2箇所あったので出かけていた。
どちらも奈良県内なんですけどね。
というわけでやってきたのは榛原駅、宇陀市の代表駅で宇陀市の人口の半分ほどが榛原地区に住むが、
歴史的には宇陀地域の中心は松山、宇陀市合併前の大宇陀町の中心部である。(なので青看板など「大宇陀」と書かれていることが多い)
かなり山奥だと思い込んでいたのだが、榛原~松山は7kmほどでそんなに遠くない。
しかも道もかなり平坦だった。このあたりはゴツゴツした地形のイメージだったがそうでもないらしい。
地図を見ると榛原駅前はいきなり国道らしい。国道といってものどかなもんですけどね。
そんなこんなで走って行くと古い町並みになってきた。ここが松山である。
その昔、ここは宇陀松山藩の城下町だったが、江戸時代中期には廃藩、武家町はなくなった。
しかし、その後も多くの商店が建ち並び、特産品の流通に大きな役目を果たした土地である。
今となっては……という感じはあるのだが、伝建地区ということで町並みが保存されている。
というわけでまずやってきたのは「薬の館」である。旧細川家住宅を展示施設にしたものである。
松山は薬の流通で重要な役目を担った土地である。細川家は生薬を取り扱う薬問屋だったという。
製剤化まで手がけていたようで、店の前には屋根付きの立派な看板がある。
大昔からこの奈良県東部のこのエリアでは薬草の栽培がいろいろ行われていたらしい。
真相はよくわからないが推古天皇がこのあたりで薬猟をしたという記録が日本書紀にあり、
その姿を想像した絵が展示されていたが、まぁ実際どれぐらい意味があったのかはわからない。
時代を経て、江戸時代に生薬の国産化を目指して、この吉野から宇陀にかけてのエリアで探索や栽培が行われた。
かつて、松山は大阪と伊勢を結んだ伊勢街道が走っており、交通の要所だったという。
山間部にしては平坦なので、現在の奈良県東部一帯から薬が集まる土地だったようである。
そしてこの細川家の住宅が展示施設になっていることにはもう1つ大きな理由がある。
ここで生まれて藤澤家に養子に出された藤澤友吉は大阪で後に藤沢薬品工業となる会社を創業する。
当初は樟脳を生産していたが、後に現代的な製薬業に発展、2005年に山之内製薬と合併しアステラス製薬となっている。
そんな薬の歴史が感じられるように、薬の看板や藤沢製薬や細川家の歴史についての資料が置かれている。
まぁ藤沢製薬の展示物はものすごい古ぼけていたけど。そりゃ社名変更も反映できてないもんな。
今は松山では薬らしいものは作っていないが、名残はあってそれが吉野葛である。
ん? 宇陀なのに吉野葛? と思うかも知れないが、歴史的な経緯があり宇陀の特産品である。
葛根湯に代表されるように葛根は生薬として使われるが、デンプンを抽出して葛粉としても使われる。
もともと現在の吉野町国栖(くず)の人が売り歩いていたことからクズと言われるようになったという話もあり、吉野葛は大変ブランドがあったが、
森野家と黒川家がそろって宇陀に移って吉野葛の製造を行うようになったという。
もっとも原料となる葛根は吉野などから集めたものだし、その点では間違えなく吉野葛なんでしょうけど。
その森野家は家の裏を薬草園にして、それが史跡「森野旧薬園」として保存されており、見学することができる。
まぁ正直なところこの時期は花などみどころのある薬草はあまりなかったのだが、
吉野晒しという吉野葛の精製工程を行うための水槽があったり、薬草の研究の記録が展示されていたり、
ここが薬の町であり、今も吉野葛の製造という形でその伝統が残っていることを実感出来る。
さて、次の目的地に行くのに榛原まで戻るかと当初は思っていたが、思ったより平坦だったのでこのままいくかと、桜井方面に進む。
ゆるやかな上り坂を進むとトンネルの手前で急な下り坂に転じ、滑り降りるように奈良盆地へ。
国道166号線、そのルーツをたどるとさっき出てきた伊勢街道に至るわけですね。
桜井市街に到着すると徒歩でもけっこう歩いた気がする国道169号線を北上する。
大神神社、桜井市埋蔵文化財センター、箸墓古墳とか。(cf. 纏向遺跡と平城宮跡)
そこら辺はずっとスルーして到着したのが道の駅「なら歴史芸術文化村」である。
休憩施設(情報発信棟)やショップ・レストラン(交流にぎわい棟)は道の駅としてよくあるものだが、
ホテルが併設されており、これがまず目立つ。滞在型の観光拠点を目指しているのだろう。
芸術文化体験棟という芸術家が滞在して作品作りをしたり、音楽の演奏(今日は地元のピアノの発表会をやっているようだった)などできる施設、
そしてここに来た最大の目的である「文化財修復・展示棟」で、ここは文化財の修復の拠点になっていて、展示施設が併設されている。
具体的には4つの工房があり、それぞれ入居者がいる。
まずは考古、天理市教育委員会が出土品の整理などしている。まぁいろいろ出てくるんでしょうね。
建造物、これは奈良県文化財保存事務所が入っており、修理の計画を立てるためか模型を作っているところだった。
建材の修理・加工などできる設備があるようで、けっこう広々していた。
絵画・書跡には(株)文化財保存、彫刻は 美術院国宝修理所、いずれも奈良国立博物館の工房でも修理を行っており、
主に奈良県指定の文化財の修理をこの歴史芸術文化村で行っているようである。
展示室では奈良県が手がけた修理の記録や歴史芸術文化村で撮影された修理の映像などがあった。
文化財にまつわる様々な映像がタブレット端末で視聴できるのでちょっと気になったことがあって見ていた。
それが絵画・書跡の表装に使われる「宇陀紙」である。その宇陀紙ができるまでの映像があった。
この宇陀紙、宇陀と付いているのだが実際に作っているのは吉野である。
なんで? と思うのだけど、宇陀の商人が売り歩いたのでこの名前になったらしい。
吉野の和紙は文化財の修理に多々活用されている。その中でも特徴的なのが宇陀紙と美栖紙である。
いずれも表装用の紙で、コウゾとともに宇陀紙だと白土、美栖紙だと胡粉を混ぜて漉くという。
特殊用途の紙のため生産者が限られており、吉野の手漉き和紙の重要な役目が見て取れる。
というわけで帰路に付いたのだった。
なかなかどちらも電車だと行きにくくて、松山は榛原から大宇陀行きのバス(1時間1本程度)で行けばよいのだが、
歴史芸術文化村は天理駅から絶妙に遠くて、これは石上神宮に行ったことがある人ならわかると思うが。
バスは朝夕にホテルの送迎バスのような時間設定でしか走ってないのでなかなか大変である。
バイクを担いで電車に乗ろうとすると、新型の1A系だった。
「やさしば」はこのような大きい荷物を持った人の利用を想定しており、ありがたかった。