少し前から話題になっていたのですが……
徳島県立近代美術館「所蔵作品は贋作」 ベルトラッキ氏の絵と判断 (朝日新聞デジタル)
徳島県立近代美術館にジャン・メッツァンジェ作として所蔵されていた作品が、
「天才贋作師」など言われ、ドイツで実刑判決を受けたヴォルフガング・ベルトラッキ氏によるものと判明したと。
少し前に疑いがかかっていて、裏付け調査の結果、間違いないとなったようだ。
この記事の最後にこんなことが書かれている。
東條揚子館長は記者会見で「これまで鑑賞して頂いた皆様にご心配やご迷惑をおかけすることになり、申し訳ない」と陳謝した。作品は展示を取りやめているが、県民に説明する観点から公開を検討しているという。
素性が明らかではないということで展示をやめていたが、
贋作と判明したことで、改めて展示される可能性が出てきたわけである。
ふと気になったのだが、この場合は作者はなんと書かれるのだろうか。
よく古い作品だと「伝雪舟筆」のように作者の名前に「伝」と付いていることがある。
雪舟が描いた作品だと伝わるが、確証がないとなれば「伝」を付けているというわけである。
おそらくこう書かれるような作品は本人の作ではないという確信は高いのだと思う。
ベルトラッキ氏は著名な作家の未公開作品を名乗って市場に出しているわけで、最初からだます気満々で作品を作っている。
このように最初からだまされているパターンもあるとは思うが、
実際には○○の弟子の作品が、○○の作品として伝承されてしまったり、
○○っぽい作風の作品を作ったら、○○作と伝承されてしまったり、
模写として作ったものが、本物であるかのように伝承されたり……
本物の雪舟筆もあるが、偽の雪舟筆(実際は模写だったりする)とか、自称雪舟の後継者の絵とか、
写真がなかった時代にはそういう形で伝承されて行っていたってことなんだよなぁ。
今回の場合はベルトラッキ作と明確に判明したわけで、
そうなると「メッツァンジェ作」を「ベルトラッキ作」に書き換えればよいとは言える。
とはいえ、制作の経緯からベルトラッキ氏の作品というところに価値はなさそうである。
「伝メッツァンジェ作」に「『天才贋作師』ベルトラッキ氏の制作であることが判明」と注釈する方がよい気がする。
実際、伝○○作とされる作品も、□□作と考えられると注釈されていることはある。
そこには確証の程度というのもあるのかもしれないけど。
ベルトラッキ氏の贋作というのは、既存の作品を模倣したものではなく、
著名な作家の名前だけ知れている作品を創作したというものである。
誰も知らない作品であるがゆえになかなか判明しなかったわけだけど。
制作年とされる時代に存在しなかった顔料が使われてたことが決め手になったという。
このように作風や着想を借りても、それ自体は著作権を侵害する行為ではない。
問題はこれをあたかも○○作のように流通させることである。
このような行為を取り締まる法律の1つに不正競争防止法がある。
不正競争防止法の類型にはいろいろあるが、贋作に関係しそうなものとしては、この2つがある。
- 周知な商品等表示の混同惹起
- 著名な商品等表示の冒用
他の作家の名前や署名、印と同一とか類似したものを使った場合に適用されることが考えられる。
前者はそこそこ知られた名前に混同させようという行為があれば対象になる。
贋作を流通させるというのはそういうことですよね。
後者はかなり著名な名前を使うだけでも発生する。
マリオカートみたいなレンタカーは、マリオカートというゲームと混同することはないが、
明らかに著名なデザインを使っているので、不正競争行為にあたるとされた。
実はこういう話はわりと最近ホットな話である。
作家の様々な作品を「学習」した人工知能により、○○風の作品を大量に作れるようになったためである。
著作権法の例外規定により、情報解析の目的での著作物利用は自由である。
先ほども書いたように作風を模倣する行為自体は著作権を侵害するものではない。
しかし、それを○○風とか混同させるような行為は不正競争行為にあたる。
これは人間がやってもAIがやっても変わらないわけである。
情報処理目的での著作物利用は「著作権者の利益を不当に害することとなる場合」は認められない。
「学習」といいつつ、ほとんど複製に近いことができてしまうとダメだろう。
これが1つ歯止めにはなりうるが、どこまでやると不当なのかは難しい。
模倣行為自体を禁止するのも実情には合わないだろう。
歴史的に見ても模倣を通じて芸術を学んできたことは多々ある。
人間の手業によるものは認めるが、コンピュータによるものは認めないのは難しいのでは。
結局は明確に線引きできるラインが、著名な作家と混同させる行為なんじゃないかと思う。
これは誰がやっても明らかにダメと断言できるし、十分に歯止めにはなるのではないかと思う。
没後の作家の作品はなんとでも言えてしまうという話ではある。
そういうのをありがたがるのもどうなのかという話はあるのだけど、
一方でそういうコレクターがいるからこそ価値が決まる部分はある。
難しい話だと思いますね。