南都仏画のために関西行き

島原・天草での夏休み中、悩んでいたことがあって、それは2週間後、関西に行くかどうかである。

夏休み直後、それも海の日で月曜が削られた週にいなくなるのはどうなんだと。

ただ、やっぱり外せないかなと思った。


というわけで、早特で取った こだま号 で京都まで。新幹線を降りると飛び上がるような暑さだった。

昼食を食べて、プリンセスラインで東山七条まで。

プリンセスラインは実質的に京都女子大学の通学バスなので、今は土曜ダイヤでの運行である。

まだ土曜ダイヤなら十分高頻度なのだが、これから夏休み期間に入るとより減便される。

現金しか使えないというデメリットはあるが、この区間に限れば空いてて便利なのだけど。

京都駅~東山七条のバスの混雑が激しいことへの対策として貸切バスから新規参入したという経緯もあるので、

この区間だけであれば多目的に使われる方がよいのだけどね。

というわけで京都国立博物館、平成知新館は本来の目的である平常展に使われているのは貴重である。


前半は「辰馬考古資料館の名品」ということで、大量の銅鐸に出迎えられる。

灘で酒蔵を経営していた 辰馬悦蔵(3代目)、大学では考古学を学び、銅鐸などの考古資料を集めた。

辰馬考古資料館自体は改築のため休館中なので借りてくるには好都合だったのだろう。

まさか京博でこんな銅鐸ばかり見ることになるとはと思うも、いろいろ並べて観察すると案外いろいろ学びはある。

でも、実はそれだけではなかったのだ。辰馬家は画家の富岡鉄斎と交遊があったため、この絵画もコレクションにあるのだ。

どっちかっていうとそれ目当てだったんじゃないのと。銅鐸はおまけだったのかも。

他の特集展示では陶俑、「埋納」というテーマで経筒など、全体的に考古分野が手厚かった。

逆に焼き物など工芸分野のものは少なめだったのかな。陶俑は間違えなく焼き物だけど。


ちょっと気になった話があって、それが「白寿斎コレクション」である。

2023年の新収品展で名前が出てきている。誰か個人から寄贈してもらったコレクションなのだろう。

これ、近世・近代絵画の作品からなるそうだが、明治以降の作品もかなり含まれているらしい。

京博は以前より明治以降の作品を収集していたらしい。ただ、ほとんど展示できず、他館に貸すのが主だったらしい。

この白寿斎コレクションが加わったことで、明治以降の絵画もあれこれ展示していけますねと書かれていた。

以前紹介したことがあるのだが、東京国立近代美術館は1907年以降の美術作品を注力分野としている。

この1907年は第1回文展が行われた年で、ここを境に東京国立博物館と所蔵品の移管をしている。

ただ、これは東京の2館に限った話で、京都国立近代美術館はより古い作品もあり、この移り変わりも見て学べる。

これは気づいていたが、まさか京博もこれより新しい作品がそこそこあるとは。


ゆっくり見てたらもう出ないといけないと、京阪・近鉄と乗り継いで奈良国立博物館へ。

というわけで今回の関西行き、最大の目的である「南都仏画」の賛助会員向けの特別鑑賞会へ。

奈良博で絵画が多くを占める展覧会は珍しいと思ったが、けっこう彫刻(仏像)もあるんだよな。

なぜか? それは仏像への彩色も絵として捉えたためである。

この展覧会、奈良博自体のコレクションもあるし、奈良県を中心に寺社から借りたものもあるが、

「ボストン美術館共同企画」とあるようにボストン美術館からの里帰りにあたる作品もいくつかある。

なぜボストン美術館にあるのかというのは後で書くとして。


この展覧会の一番古いところは 法隆寺金堂壁画 から始まる。焼損した壁画が無事だった頃の模写などがある。

いろいろ観点はあるが、伝来されている日本の仏教絵画の最古のものという意味はあるのだろう。

そこから奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代と時代が進んでいく。

特に平安時代のものは重要文化財になっているものが多く評価が高い。

その頃に歴史ある都の意味で「南都」という言葉をよく使っていたことが「南都仏画」という展覧会名の由来だったらしい。

そんな中でボストン美術館からの里帰り「釈迦霊鷲山説法図(法華堂根本曼荼羅図)」がある。

これ自体は奈良時代の作品なのだが、平安時代にこれを元に東大寺の「倶舎曼荼羅」が描かれたという。

模写なども絵画を伝承する上で重要で、そういう歴史を伝えるきっかけにしたいという意味もあったのだろう。

ボストンからやってきた作品、額装されているものが多い。

日本でも額装された日本画はあるけど、元々の表装を切り取って(?)額に入れただけなのは雑な気もする。

住友財団の助成により修復中の十六羅漢図は、修理が済んだ分を展示していた。

元々は形態もいろいろで展示できないほど痛んでいたが、本来の形ということで軸装にして修理されたそう。


さて、なぜボストン美術館に奈良の美術品が伝来したのだろうか?

明治時代となり、東洋美術史を研究していたアーネスト・フェノロサが日本にやってきた。

彼は奈良の社寺を訪れ、美術品をいろいろ調査していたわけである。

日本の美術について世界に知らしめた人の1人で、その活動の中で奈良の絵画を持ち帰っている。

明治時代になってなくなった寺も多いが、その1つが内山永久寺で、大変豪華な寺だったそう。

ただ、明治になって寺は維持できないと、組織的には近隣の石上神宮に統合されて廃寺に。

建物は移設されたものもあるが、仏像や仏画は不要なので他の寺やコレクターに渡って行った。

その渡った先にはフェノロサがあり、ボストン美術館というのがあったわけですね。

こうして日本美術の価値が評価されていく中で、日本国内でも社寺に伝来した文化財の保護が急務と、現在の奈良博にあたる帝国奈良博物館ができる。

この点では共通的な事情のある博物館同士でもあったわけですね。


ところでこの展覧会、主な展示物が日本画なので展示できる期間が限られている。

このため展示替えが多いので、ぜひとも後期にも観に来たいものだが。

僕は賛助会の会員証を見せれば「随時」観覧できるので、この点では特に問題はないものの、

9月13日までにまた関西に来る用事は今のところはないんじゃないかな。

でもこんなチャンスは他にないよなぁ。実現できるかはともかく策は考えようと思う。


そんなわけで明日は大阪・京都と美術鑑賞しては帰宅する。

けっこう慌ただしいんだよな。こだま号で帰るってのもあるんだけど。