江ノ島と鎌倉を行く

そろそろお出かけにもいい時期になってきたということで、休暇を取って出かけていた。

ラッシュアワー直撃にならないようにやや早い時間に家を出て、

小田急に乗り換えて江ノ島線の終点、片瀬江ノ島駅までやってきた。


本当は近いはずなのに、どうしても遠く感じてしまうのが神奈川県である。

片瀬江ノ島駅まで、電車賃は安かったけど、電車に乗ってる時間は運賃に見合わず長い。

今回の目的地は藤沢・鎌倉ということで、まずは江の島に行こうと思ってやってきたわけだ。

駅を出て少し歩くとすぐに海が見えてきた。

片瀬はこのあたりの地名で、片瀬海岸西浜海水浴場とか片瀬漁港とかが見える。

そして橋を渡れば、そこは江の島である。


江の島は有名な景勝地だが、実際何がすごいのかというのはあまり知らなかった。

いくつかポイントはあるが、まずは江島神社である。

ここは関東では有数の弁天様として知られていて、そういうことで江の島詣が流行ったんだという。

そんな江の島はなかなか険しい地形で、そこに貼り付くように江島神社の諸社があるわけだ。

これを登るのがきつい人のために有料エスカレーター「エスカー」が運行されている。

歩いて登った方が楽しいだろって言って使わなかったけど、そういう選択肢もあるようだ。

それで弁天様が有名だって言うけど、実際どんなもんなのよって小さな弁天堂があった。小さい割には拝観料が多少かかる。

確かに珍しい見た目だなとは思ったんだが。


どんどん登っていくと江の島の頂上にたどり着く。なかなかよい眺めである。

頂上まで来てしまったら、そこからは下る一方ということになるが、この下り道で「山ふたつ」と呼ばれるところがある。

江の島は2つの山でできていて、この2つの山の間は浸食された谷になっている。これを「山ふたつ」って言ってるのかな?

こういう地形は隆起・侵食を繰り返す中で作られていくのだが、その顕著なものが「岩屋」である。

この先、進んでいくと稚児ヶ淵という岩場があるのだが、そこに岩屋と呼ばれる洞窟がある。

岩屋にある説明によれば、隆起して江の島ができて、そこで波の侵食で海面付近に洞窟ができ、さらに隆起して地上に洞窟が残ったのだという。

そんな岩屋で修行の地にしたのが、江島神社のルーツだったって話。だから中に弁天様とかいろいろな石像がある。


ここまでほとんど一本道だったので、戻るのも同じルートを行くことになる。

それってどうなんだ? と思うわけだけど、日によっては弁天橋と稚児ヶ淵を結ぶ船が運航されていて、これを使えば歩くのは片道で済むって話らしい。

それで弁天橋に船着き場があったのか、と江の島の果てまでやってきて思ったのだった。


橋をわたって、江ノ電の江ノ島駅までやってきた。ここから鎌倉方面へ向かう。

江ノ電というのは不思議な電車だ。

駅は普通の電車の駅と同じような感じなのだが、やってくるのは路面電車をやや大きくした感じの車両。

ただ、制度上は路面電車というわけでもなく……というのだが、江ノ島駅を出ていきなり路面走行がある。

歴史的経緯で路面走行区間があるのだが、普通鉄道ということになっているらしい。

あと、これも特徴的だと思うんだけど、線路が単線なんだよね。

単線だから民家の裏とか、海岸の道路沿いとか、そういう狭いスペースも走って行けるんだけど、行き違いがあるということだ。

じゃあ本数少ないんじゃないの? と思ったんだけど、12分間隔で走ってるようで。単線にしては忙しい路線だな。

そんな独特な雰囲気の江ノ電に乗って、長谷駅で降りた。


長谷駅は大仏の最寄り駅ということで、10分ほど歩くと高徳院にたどりつく。

ここに鎌倉の大仏があるわけだが、すさまじい混雑である。

江の島もそうだったんだが、平日でこの時期だと小中学校の遠足が多いんだよね。

それでどうも境内で弁当を食べつつ大仏でも見るようにコースを組んだ学校がいくつかあったようで、それですさまじい混雑だったみたい。

それはそうとして、鎌倉の大仏といえば、野ざらしになっていることで知られている。

でも、実はもとは野ざらしではなく、ちゃんと建物の中にあったらしい。ところが壊れた後、再建されずに野ざらしになってしまったらしい。

大仏自体は国宝「銅造阿弥陀如来坐像」、土地は史跡「鎌倉大仏殿跡」となっているようで、建物の跡地に仏像だけあるという扱いらしい。

ちなみにこの大仏、中に入ることができる。

入ったからといって何か御利益がありそうな気はしないが、大仏の施工技術が垣間見れるという点ではおもしろい。


ここから鎌倉市内を散歩していく。また江ノ電に乗ろうかとも思ったが、時間も変わらないなら歩くかって。

そうしてたどり着いたのが鶴岡八幡宮、源頼朝ゆかりの神社である。

以前、鶴岡八幡宮と聞いて、山形県の鶴岡にでもあるのかと思ったら、鎌倉にある有名な神社だと知って驚いたのだが。

このあたりに鎌倉幕府の諸施設があったようだが、それ自体はこれといって残っていない。

源頼朝の墓は残っているが、これも本当はここに法華堂があったのが、なくなったところに墓だけが残ったという経緯があるらしい。

往時を思わせる社寺はたくさんあるんだが、直接的な痕跡は大して無いみたいね。


期待以上だったところも、期待外れだったところもあったのだが、足を運んで見てみなければ分からないもの。

特に鎌倉の大仏なんていうのはかねてから注目してはいたけど、なかなか来ることができないところだったから。

休日だとえらく混みそうだから、平日に来たわけだけど、そこもよかったんじゃないかな。