鳥取砂丘を行く

昨日も書いたのだが香住で泊まった宿の朝食は8時台にしか出ない。

これがけっこうな誤算で、なぜかというと鳥取方面の列車が8時台の次が10時台だからだ。

仕方ないかと10時台の列車で鳥取に向かうことに。


送迎を頼むならともかく、距離で言えば近いのは柴山駅。

10時チェックアウトでも列車の時間までだいぶ余裕があったので、柴山湾を眺めていた。

リアス海岸ではよくあるが、どこが島でどこが陸続きなのかわかりにくい。地図を見比べながらみていた。

かつては北前船が寄港していた柴山港だが、今ではカニなどの漁業が行われている。

浜坂行きの普通にのる。香住を出てトンネルを抜けると絶景だったが、

地図を見比べたら昨日、海上からしか見えないなと書いた鎧の袖がこのあたりだた。もっとよく見とけばよかった。

山陰海岸ジオパークのジオサイトには「余部橋梁」が掲載されている。

集落の上空を通過する橋で現代では高速道路や新幹線で見るような構造だが、

これを1912年の山陰本線開通時に選択したことが地形上の特徴を表している。

元々は鉄橋だったのだが、老朽化と強風対策のため2010年にコンクリート橋になった。

この鉄橋の一部はジオパークと海の文化館で保存されていて、けっこう錆びてた。

現地でも一部が保存されており、見学施設と餘部駅利用者用の設備を兼ねたエレベータも設けられている。

列車で橋を渡りたいからか、豊岡・香住方面から来て餘部で降りるひともけっこういた。


そんなこんなで終点の浜坂駅に到着、向かいには鳥取行きになる汽車が停まっていたが40分待ちである。

しかし、ちょうどいいところに特急はまかぜが来るので、鳥取まで乗車する。J-WEST会員なら650円である。

はまかぜ号は大阪・神戸・姫路~但馬(特に香住・浜坂)を結ぶのが主目的と考えられているが、

以前は朝の大阪行き、夜の大阪発が鳥取発着だった。鳥取の車庫への回送代わりだったらしい。

しかし去年から朝は城崎発、夜は豊岡行きに変更され、その先は普通列車に接続となった。効率が悪かったんだろう。

その代わり、昼に1往復が鳥取発着となった。これは但馬~鳥取の周遊が便利になるようにということである。

僕もその目的で乗ってるし、他にも外国人観光客らしきグループが見えたし、そこそこ当たってるようだ。


そんなこんなで鳥取駅に到着、さすがに県庁所在地は都会である。

バイクを組み立てて、宿に荷物を押しつけて、最初の目的地……の前に鳥取県庁に寄り道。

県庁に来たのは目印によかったのもあるけど、県庁の食堂で腹ごしらえと。

眺めがよかったぐらいであまりおもしろい話はないのだが、

後で見たらカレーの肉が山で捕まえた鹿肉だったらしい。カレーにするべきだったか。


目印によかったのは最初の目的地が隣接地にある鳥取県立博物館と鳥取城跡だったから。

鳥取県立博物館ではまず鳥取県の自然史があれこれあるが、やはり鳥取砂丘だよな。

砂丘の話はあとで改めて紹介するが、先に来て勉強しておいたのはよかった。

鳥取県の歴史ということでは、やはり鳥取という都市の在り方が気になった。

江戸時代の鳥取藩は相当な巨大な藩で、ゆえに鳥取というのも城下町として栄えた。

それが明治になって交通の便の悪さが際立つようになり、山陰本線の開通が急がれたが、余部橋梁などの難工事に苦しめられた。

その間に島根県との合併、そして再分離を経て現在の鳥取県となっている。

この分離には反対意見もあって、伯耆地域では鳥取が県庁だと遠いと、松江の方が近いんですよね。

実態として米子・松江など中海周辺は県境を越えて山陰の中心的な機能を担っている。

なんやかんや県庁所在地である鳥取は栄えているが、県庁がなければかつての城下町も寂れていたかもしれない。

その鳥取城跡、写真で見ると洋風の建物が目立つが、これは仁風閣といい、

明治時代にかつての御殿を壊して皇太子(すなわち大正天皇)の宿泊を意図してつくった建物だという。

今は保存のための工事中のようだが、ちょっと不思議な景色である。

鳥取城自体は陸軍の施設として使われた後に公園化されたこともあり、石垣が残るばかりだが、

この石垣の中に球状の「巻石垣」がある。

当初の石垣を継ぎ足した影響で石垣が崩れたのをなんとかするために球状に積み足したそう。

ただ、それがゆえ不安定で地震で崩れてしまい、近年抜本的に作り直し、外観はそのまま、安定した石垣になった。


鳥取城跡を出て、北東に走っていく。けっこう急な坂を登って、トンネルを抜けると鳥取砂丘である。

砂丘に登るので上り坂になっているのだ。バイクも18km/hぐらいで上っている。

鳥取砂丘にくるのは初めてではない。その昔、大学院時代に研究室のメンバーで連れ立って来ている。

そのとき鳥取砂丘って鳥取市にあるんだなと少し驚いた覚えがある。

ともあれビジターセンターで砂丘の勉強である。博物館とあわせて見ると学びが多い。

そもそも元々砂丘はもっともっと広かったのである。千代川河口周辺にかなり広く存在していた。

千代川から供給される砂が冬の強い風で積み上がって広範囲に砂丘が形成された。

ところが砂丘は砂が飛んで周辺での生活に困ってしまう。

そこで防砂林を作ったり、農地転用してらっきょう畑にしたり、砂丘ではないものになっていった。

そんな中で浜坂地区の砂丘も植林が考えられていたが、砂丘のまま保存することが考えられ、

天然記念物に指定、後に山陰海岸国立公園に含まれるようになった。

浜坂地区にしても周辺は防砂林で囲まれ、周辺に悪影響を与えないからこそ、これでいいのはあるだろう。

そんな砂丘は案外草が生えている。砂丘特有の植物として興味深いが、困った話もあるそう。


というわけで砂丘に出て行く。昨日・今日と雨が降り、しっとりしている部分もあるが、新しい砂が貯まっているところも多い。

降った雨が流れてオアシスに貯まっている。水を通しにくい地層があるとああして貯まるのだという。

砂丘の中には小川のようになっているところもあり、砂丘の意外な一面である。

さて、砂丘だが砂が頻繁に動くところは草は生えないが、落ち着くところではけっこう草が生える。

雨はきっちり降るのでそれを捉えれれば草は育つのである。

ただ、問題は外来種でこれが勢力を伸ばし、一時は42%が草地化、さすがにこれはいかんと除草を行っている。

今日もオアシスの近くで除草をしている人がいた。

砂丘っていうのは砂浜の砂が積み上がったものなので、海岸を見ると当然砂浜が広がっている。

あれが砂丘になるのかと思いながら見ていた。


鳥取砂丘はもっと広かったというのを実感するために東に走っていく。

福部地区にいき、砂丘海岸に向けて砂丘を上がって下がってすると、

らっきょう畑が見えた。これかららっきょうを植えるために砂が広がっていた。

地形も畑も砂丘だったことをよく表しており、鳥取砂丘はもっと広かったということが実感出来た。

そんなこんなで鳥取市街に戻るぞと走って行く。

市街地に入って宿ももう目前というところで電池切れ。走行距離27kmほどだった。

砂丘のアップダウンがかなりきつかったのもあるんだろうか。

調子乗って福部まで走ってからなのだが、足りると思ったのだが……


ここまで小雨に降られたりというのはあったが、宿に戻って歩いて買い物など出かけて、

帰り道には大雨に降られてズボンがびしょびしょに。

確かに夕方以降、降るとは出てたけどここまでとは。

バイクで出かけているとき、小雨で済んでたのでそれはよかったのだけど。


というわけで明日でジオパークめぐりは最終日である。

但馬では岩っぽいものをたくさん見てきたが、鳥取ではまた違った観点で楽しみたい。