北九州で地図を見る

夏休みの旅行ということで、去年は東(北海道)だったので、今年は西へ、

ということで考えた結果、まずは北九州へ向かうことに。

昨日スタートだと大雨で大変だったのだが、雨も止み、ルート上には大きな問題もなく。

東京から新幹線で小倉まで、4時間半の列車旅である。


さて、そもそも今回の旅行なのだが、主な目的地は別府である。

いろいろ理由はあるのだが、全国旅行支援のキャンペーンが大分県では7月まで残っていたから。

ただ、宿は取れるが、交通手段付きのツアーにはならなかった。

行きか帰りを関西に寄るというのは考えていたが、どちらかは九州直行でよい。

で、そうすると飛行機か新幹線となるのだが、飛行機はだいぶ高かった。

新幹線はもちろん、飛行機も北九州経由も検討したが、やはり新幹線の方が安かった。

あと、そもそもこの区間は空港へのアクセスを考えればあまり時間差も付かない。


そんなわけで小倉駅に到着した。ここには何度も来ているので見慣れた景色だ。

小倉の市街地をおもむろに散歩していると、旦過市場にたどり着いた。

ここは昨年に二度も火災に見舞われた商店街ですね。

営業している店もあるし、焼け跡をきれいにしてプレハブを並べたところもあるが、

全体的には廃墟のような部分も多くなっているのが実情である。

全体的に手を入れないと難しそうな気はするのだが、全部燃えたわけではないからなと。


さて、ここから向きを変えて西へ向かうと紫川が見えてくる。

河川敷も整備され、一帯が公園のような感じである。

進んでいくと地下に「水環境館」というのがあるので入ってみた。

塩水ゆらぎが見られるとあったが、昨日の雨で水は濁りそれどころではなさそう。魚はちらほら見えるが。

この水環境館では紫川の水質改善の歴史が紹介されていた。

かつての紫川は工場からの排水による水質悪化が深刻だったという。

油分を含んだ水が多く流されたとかなんとか。生活排水もあっただろうけど。

大気汚染もそうで、漠然と排ガスというわけでなく、工場ごとに色が違う煙が出ていたという状況。

この状況を改善して、現在はそこそこの水質になっている。

このあたり一帯は川沿いに不法建造物が並んでいた時期もあったのだが、

治水のためにこれらを除けて、川幅を広げて、橋も架け替えてと。

そして現在の紫川一帯があるということらしい。


その紫川の西側には小倉城や市役所があるが、不思議な形の建物が並ぶ一角がある。

これはリバーウォーク北九州といい、複数のビルが合わさってできた施設である。

一番手前に見えた茶色い建物はNHK北九州放送局だった。

後でここには戻ってくるのだが、その前に小倉城を散歩することに。

小倉城の現在の天守は1959年に再建されたものである。

正直なところ、石垣と堀を除けば城だったときの遺構は大して残っていない。

むしろ、ここが陸軍の拠点になっていた時代の洋風の遺構の方が残っているぐらい。

小倉の城下町が現在の北九州市の都心に発展したことは言うまでも無いのだが、城自体はそんなものである。


さて戻ってきてリバーウォーク北九州である。

ここにゼンリンミュージアムが入居しているのだが……複数の建物が複合していて迷路のようだ……

朝日新聞社のビルの14階に入居しているのでたどり着きにくかったらしい。

ゼンリンは北九州市に本社を置く地図制作会社である。

住宅地図の制作で発展し、デジタル化された地図で存在感がある。

この博物館は本業の地図というよりはそれより前の地図の歴史に着目している。

が、今は企画展として「クルマの地図」ということでゼンリンにも関わりの深い話が取り上げられていた。

というのもゼンリンはカーナビの地図を提供していた会社だから。

それ以前の紙の地図は昭文社(マップル)のものが多く展示されていたが、

人見る地図ではなくコンピュータが読む地図としてはゼンリンは強かった。


さて、本編の展示については地図の中で日本がどう表現されてきたかというところに着目している。

昔の地図というのはいい加減なものだけど、なぜそう描いたかには理由がある。

奈良時代に作られた日本地図「行基図」だが、サイズ感はともかく、国どうしの位置関係はわりと正しい気がする。

山城国からの街道筋での接続関係から描かれた地図なので、案外正しく見えるのかも知れない。

架空の島がけっこうあるというのはいろいろな錯誤があったのかもしれない。

一方のヨーロッパの地図で描かれた日本はけっこう変な形である。

ヨーロッパからすると日本は遠いところでよくわからないのもあるし、

日本にやってきた船が知っているのは九州・四国や瀬戸内周辺に限られるので、他の部分の解像度はあまり上がらなかったようである。

ただ、それでも世界地図の中に日本がどの辺であるか知ることには足りたのかもしれない。


江戸時代になり長久保赤水や伊能忠敬が科学的な手法で日本地図を描き、

やっと地球上の位置関係、サイズ感というものが明らかになってきたが、

そこまではなかなか明確にならなかったというのが実情のようである。

(外国の地図でも赤水図が流出して日本の描き方の正確性が上がっていたよう)

ただ、それでも接続関係がわかればよいとか、おおまかな位置関係がわかればよいとか、

そういうので陸上・海上の移動はできたということなんだよね。

展示の最後に地図のデジタル化が進む中で、見るための地図が失われれば地図への興味が失われるかも知れませんね、というようなことが書いてあった。

位置関係・接続関係のデータベースというのはおおよそ地図の形をしていないかもしれない。それが今のゼンリンの商売である。

でも、それを人が見える形で表示することも大切だよねと。

最後に地図データからCGで作成した鳥瞰図があったのは、正確な地図データを元に人に見せることの重要性を示したということなんだろう。


さて、そんなこんなで次の目的地へ向かうために西小倉駅へ。

ここから普通で行橋まで乗る。立ち席確保のために座席が取り外された電車である。

行橋からは特急ソニック号に乗り換える。

こうしたのは西小倉駅が特急停車駅ではないというのもあるが、行橋~別府にすると特急料金が1ランク下がるという理由もあった。

この間で県境をまたぐのだが、あまりまたいだ気はしない。

というのも元々小倉あたりから中津あたりまでは豊前国として一体だった。

福岡県のうち旧豊前国はごく一部で、実は北九州市でも門司・小倉に限られる。

このような事情もあり、同じ福岡県でも福岡と北九州の関係はやや弱く、

大分県(豊前も豊後も古代は1つの豊国だった)と北九州の関係が強いと。


そんなわけでたどり着いた別府、案外人が少ないなと思ったけど、

そういえば今日は日曜日でしたね。日曜から泊まる人はそんなにいないか。

特にそこを狙ったわけではないのだが、いろいろ考えた結果、日曜からになった。

宿で入湯税が取られたが2泊で200円で思ったより安いな。

と思ったら、どうも宿泊料により入湯税が変わる仕組みらしく、

高いと250円なのだが、安いと50円になると。全国的には150円が標準なんだけどね。