瀬戸焼と愛知万博をたどる旅

今回の旅行の計画を立てる中で、愛知県方面で目的地の案がいくつかあって、

経路的に帰り道に挟み込むのが有利ということで、いろいろ考えて、これならいけそうという計画ができた。

ただ、出発前に天気を見るとピンポイントで月曜が雨、ひどい雨にはならなさそうだけど……

なんて思いながら近鉄で名古屋に向けて出発した。


最初に向かうのが瀬戸である。近鉄で到着するのは名古屋駅だが、瀬戸行きの電車が出るのは栄である。

ずっと混んでいる東山線にバイクを担いでいくのも考え物だし、ちょっと走るかと広小路口でバイクを出して広小路通を少し走る。

このバイクは名古屋駅を担いで運んだことは何回もあるけど、愛知県内を自走するのは初めてである。

広小路通りを走って思ったのは駐車帯の広さである。路上停車の車両はたくさんあるが、それでも2車線フルに確保できている。

今どき、駐車帯を自転車専用通行帯に作り替えるところも多いが、名古屋都心を自転車で走る人はそう多くないようで、これが実態に合っているのだろう。

右折分離式の信号制御など車優先もここまでやるかという感じである。

霧雨のような雨の中、オアシス21に到着、エレベータの前でバイクを畳んで地下に降りるぞと思ったら上にしか行けない!?

どうも銀河の広場の中央にあるエレベータだけが地下につながっているようだ。思いのほか遠かった。

地下に降りてからも広場の中央から端まで歩かないといけないから遠い……

で、広場を出るとすぐに見えてきたのが「栄町駅」、これが名鉄瀬戸線の始発駅である。


瀬戸線は名鉄の路線だが他路線とつながっていない孤立路線、前身となった会社にちなんで瀬戸電と呼ばれることもある。

もともと「お堀電車」と呼ばれ、名古屋城の堀を走っていた区間があったのだが、この区間を廃して栄への乗り入れが実現。

なぜ栄町駅なのかというと、元々地下鉄がこの駅名だったかららしいのだが、開業時にはすでに栄駅になっていたので謎である。

そんなわけで瀬戸行きの電車に乗る。ちなみに瀬戸線は追い越しができないのに急行・準急なんて優等列車がある。

そんなわけで終点、尾張瀬戸駅に到着。わざわざ尾張って付ける必要あるのか? と思うが、おそらくこれも歴史なのだろう。

到着して瀬戸市の観光地図を取ると、すぐ近くに瀬戸蔵ミュージアムがあり、月曜でもやっているようなので、ほんの少し自走していく。


瀬戸は言わずとしれた焼き物の街である。その道具や歴史を示す資料がいろいろある。

で、入るといきなり緑色の電車がある。これは瀬戸線をかつて走っていた電車である。

実はこれも焼き物作りの歴史である。瀬戸線はもともと焼き物の輸送に活用されてきた歴史がある。

お堀電車は舟運との接続を考えた結果だったらしい。

尾張瀬戸駅の改築前の駅舎を再現し、栄延伸以前の瀬戸線で使われていた電車とセットで展示していると。

これもよく残ってたなと思うのだけど、瀬戸線を去った後に名鉄の他路線に移されたが、その路線が廃線となり、保管されていた車両を譲り受けたらしい。

展示されている道具はある程度、機械化が進んだ時代のものが多くある。

瀬戸焼の強みが 鋳込み製法 という石膏型に泥を入れる成型方法と、鉄分が少ない土がとれるため、白い焼き物が作れることらしい。

ポットのような複雑な形状の成形物や、「瀬戸ノベルティ」と書かれていたが人形に代表される置物に強みがあり、輸出もされた。

あと「電磁器」と書かれていたが、ガイシなど絶縁体としての焼き物、これも瀬戸では多く作られているという。

昔は家庭内の配線などでも磁器が使われていたが、現在はこれらは専らプラスチックで、磁器は耐候性の要求が厳しい部分でのみ活用されている。

ただ、現在も瀬戸では工業用途の焼き物が多く作られているそうで、愛知県らしいなと思う。


次に向かったのが瀬戸市美術館「長江録彌・長江眞弥展」なんてのをやっていた。

焼き物が盛んな瀬戸なら、展示物は焼き物が多いと思ったのだが、常設の展示物を含めてほとんどがブロンズ像みたいな彫刻である。

ちょっと不思議な気がしたのだが、よく考えると理にかなった話だった。

ブロンズ像など作る場合はまず粘土で形を作って、それを石膏でかたどりして、鋳造用の型を作る。

粘土を成形するという点では焼き物と同じなんですね。使う粘土などは違うけど。というのを道具を見て気付いたと。

表現手法としてはそれぞれ一長一短ある話だと思う。粘土を焼くと収縮などで変形してしまう。

粘土で作った原型を型取りして作る場合は形状の表現性はとても高いと言える。

ただ、焼き物は色の表現力が高い。これだけのために焼き物をする人だっているぐらい。

ともあれ瀬戸では焼き物の造形から彫刻、絵付けから絵画の道を選ぶ芸術家がしばしばいるようだ。

長江録彌氏の作品を見ると「乾漆」「FRP」なんて手法が書かれていて、なんだこれ? と思ったのだが、

粘土の原型から型取りした石膏型に麻布と漆を塗り固めると乾漆、ガラス繊維と樹脂を塗り固めるとFRPである。

この乾漆像で評価された方のようだ。後にFRPを導入したということなのかなと。

息子の長江眞弥氏(この方は川崎市出身)は絵画の中に描いたキャラクタを立体化して関連付けたりしていて、

このあたりは題材は全く違うにせよ父親の仕事を見ていた部分はあるんだろうな。


次の目的地まで走って行く間にちょっとルートを曲げて……目前に見えてきたのは瀬戸デジタルタワーである。

テレビの送信所というと、生駒山のような高い山の上に設置されるものが多いが、

平地が広がる場合は、東京スカイツリーのような平地の高い塔に設置されることもある。

もともと名古屋のテレビ局はテレビ塔など名古屋市内の塔から電波を飛ばしていた。

地上デジタル放送のとき、今のテレビ塔のままでは難しく、かといって山の上に作ると範囲外に飛びすぎる。

そこで瀬戸市の高台にそれなりの高さの塔を作るという案が考えられ、それが瀬戸デジタルタワーである。展望台もないからただの塔ですが。

まぁそんなわけでこの辺はけっこう上り坂が続き、到着したのが瀬戸万博記念公園である。

愛知万博瀬戸会場の跡地で、シンボルである「天水皿n」があるのだが……

排水のことがあまり考えられていないのか汚れが溜まっていたり、飛び込んでしまったボールが何個もあったり、あんまりな見た目である。

展示室もあるが、そこで目立つのが「国際博覧会を瀬戸で」など2005年の愛知万博は元々瀬戸開催で考えられていたことを示す資料である。


というわけで次の目的地は長久手会場跡地の愛・地球博記念公園(モリコロパーク)である。

途中の案内表示では「ジブリパーク」という表示の方が目立つ有様だが、公園自体は愛・地球博記念公園である。

北ゲートを入るといきなり見慣れない建物が。なんだ? と思ったらエレベータだった。

ただ、このエレベータもジブリパークを構成する施設らしい。公園利用者なら誰でも使えるけど。

降りると、スケート場と「ジブリの大倉庫」からなる建物がある。万博当時はグローバルハウス、マンモスの展示などに使われていた施設である。

グローバルハウスはテーマ館だから1970年の大阪万博で言えば太陽の塔みたいなものともいえる。

ただ、これ自体はもともと愛知青少年公園にあったスケート場・プールを一時的に借りたものである。

で、閉幕後はスケート場とプールに戻されたのだが、プールの方はジブリの大倉庫になってしまったのだという。なんで?


ここまでの謎を一掃してくれるのが「愛・地球博記念館」、迎賓館を再利用して作られたらしく、えらく上質な建物である。

まず1つ目の謎、なぜ瀬戸でやるつもりが長久手が主会場になったかということ。

もともとは瀬戸の森林を開拓して万博会場にするつもりだった。宅地開発なども目論んでいたのだろう。

ところがオオタカの営巣地であることが判明、開拓を断念し、元々の計画地の一角だけが瀬戸会場となった。

その代わり、愛知青少年公園を主会場とすることになり、いったん公園は閉園、後に愛・地球博記念公園として復活している。

「自然の叡智」というテーマもこの騒動から来ている部分がある。環境調和型の博覧会を目指したわけである。

2つ目の謎、なぜグローバルハウスはジブリの大倉庫になったのか?

これはプールの老朽化によりプールをやめることになったから。ジブリパークに居抜きで入ってもらったのである。

万博後、パビリオンの跡地は駐車場や運動施設になったものもあるが、使われず残った部分もあった。

万博会期中に人気を博した「サツキとメイの家」は万博後も盛況だったことから、

これを軸として、さらに万博後に使い余している部分をジブリパークにしてもらったというのが実情のようである。

考えようによっては情けない話だが、サツキとメイの家がきっかけとなった万博のレガシーである。


ジブリパークの施設は予約制なのでふらっと入ることも出来ず、あれこれ散歩。

ちょうど公園に着いた頃には雨も上がっていたので散歩するにはよかった。

公園南側に歩道橋代わりにグローバルループの一部が残されているが、あれ? 鉄板がない。

グローバルループ中央にはグローバルトラムが走っていたが、走行により変形など生じたため対策として鉄板を貼ったのである。

しかし、グローバルループの保存時にはその鉄板を取ってしまったようだ。トラム走らないし不要なのはそうだけど。

そんなこんなで万博時代の面影も怪しいところはあったが、なんとなく思い出した気がする。


あとは新幹線で帰るために三河安城駅まで走る。30kmほどあるのでけっこう遠い。

雨は降ってないが、日中暖まらなかったこともあり、かなり寒い中走ることになってしまった。

途中、ブルブルして仕方ないので、すき家に入って夕食で豚汁を付けて暖まって再発進。

無事に三河安城駅に到着して在来線側でバイクを畳んで、歩いて行けば新幹線に乗れる……

と思ったのだが連絡通路が想像よりずっと長くて困惑。ほとんど在来線と別の駅だったらしい。

タッチの差でこだま号を逃して、およそ30分待ちになったが、無事に東京行きのこだま号に乗れた。

ちなみに自由席である。キャリーケースだと指定席で荷物スペース付き座席が必要だが、折りたたみ自転車は必須ではない。

ゆえに自由席で後ろのスペースに置くのは一応OKである。こだま号ならそれでもなんとかなる。

バイクの後輪ブレーキとクラッチレバー

おととい、神戸海洋博物館内のカワサキワールドで、オートバイの展示の中にまたがれるように置いてあるバイクがあった。

というわけでまたがってみたのだが、左足と右足にそれぞれペダルのようなものがついている。

そうか、マニュアル車か、じゃあ片方はギアを選ぶやつだなと思ったが、反対はなんだ? クラッチか?

と思ったら、そうではなく後輪ブレーキらしい。なんで?


原付講習で原付には乗ったが当然のようにATのスクーターである。

今乗っている特定原付は電動車なのでギアシフトという概念がない。

これらのATのバイクというのは左右のレバーがそれぞれ後輪・前輪のブレーキで、右のハンドルがスロットルになっていることが通常である。

自転車にスロットルがついたものという理解もできる。これは簡単ですね。

しかも特定原付だと20km/hのリミッタもあるから、スロットルは押し続けてればOKな場合が多い。


で、MTの場合は右手側、前輪ブレーキとスロットルは同じなのだが、左側のレバーはクラッチらしい。

右側でスロットルを操作しながら、クラッチを操作するため左手にしているという。

それでギアは左足で操作するようになっているが、これはペダルの棒を上げ下げして操作するらしい。

一番下まで押し込むと1速、だんだん上げていくと2速・3速となっているという。

停止時には一番下に押し込んで、発進時はだんだん上げていくということで、なるほどという感じ。

でも、自動車のシフトレバーに比べると難しそうだなという印象はある。

慣れれば、どのギアに入ったかというのはわかるのだろう。あとメーターにも表示されるそうで。


こうして押し出された後輪ブレーキは右足にあるということだそう。ちょっと変な気はしますが。

自転車でもそうだが、前輪と後輪のブレーキは均等にかける方がよい。

ただ、前輪ブレーキの制動力が高いため、後輪ブレーキはあまり使わない人もいるらしい。

バランスを崩しやすそうだが、今どきのバイクは一方の操作で両方のブレーキが連動する仕組みもあるようで、

実際にはそういう仕組みの補助もありあまり問題にならないケースもあるようだ。

そもそも四輪だと前後のブレーキを分けて操作しないわけだから、そういう仕組みでもよさそうだが、

歴史的な経緯もあり、二輪では前輪・後輪のブレーキが分けられている。


自転車だとギアチェンジするっていってもクラッチなんて操作しないしな。

と思うわけだけど、実はスーパーカブはMT車なのにクラッチレバーがないらしい。

自動遠心クラッチというもので、回転数が上がるとクラッチがつながって、下がると切れるという仕組みだそう。

自転車ほどではないけど、簡単で操作しやすい仕組みを採用しているようである。

原付クラスのMT車としては最も知られたものだろうけど、そういう仕組みだったんですね。


そういえば準中型・中型・大型自動車の運転免許では新車が軒並みAT車ばかりになっているという事情から、

教習車をATに一本化して、もしAT限定でない運転免許を必要とするならMTの普通車で一部の教習・試験を受けるという形に順次移行している。

普通自動車や二輪は従来通りなんでしょうけど、全体的な方向性はこうですよね。

ましてや電動化ということになれば、そもそもギアチェンジの必要性自体がないわけだし。

もちろん課題も多いし、特に大型のバイクは嗜好品という側面も強いわけですけど。

ようこんなの乗るねというのが正直な感想ですね。

吉野葛と宇陀紙の不思議

バイクを担いできたのなら電車だけでは行きにくいところに行きたいね。

ということで考えて思いついたのが2箇所あったので出かけていた。

どちらも奈良県内なんですけどね。


というわけでやってきたのは榛原駅、宇陀市の代表駅で宇陀市の人口の半分ほどが榛原地区に住むが、

歴史的には宇陀地域の中心は松山、宇陀市合併前の大宇陀町の中心部である。(なので青看板など「大宇陀」と書かれていることが多い)

かなり山奥だと思い込んでいたのだが、榛原~松山は7kmほどでそんなに遠くない。

しかも道もかなり平坦だった。このあたりはゴツゴツした地形のイメージだったがそうでもないらしい。

地図を見ると榛原駅前はいきなり国道らしい。国道といってものどかなもんですけどね。

そんなこんなで走って行くと古い町並みになってきた。ここが松山である。

その昔、ここは宇陀松山藩の城下町だったが、江戸時代中期には廃藩、武家町はなくなった。

しかし、その後も多くの商店が建ち並び、特産品の流通に大きな役目を果たした土地である。

今となっては……という感じはあるのだが、伝建地区ということで町並みが保存されている。


というわけでまずやってきたのは「薬の館」である。旧細川家住宅を展示施設にしたものである。

松山は薬の流通で重要な役目を担った土地である。細川家は生薬を取り扱う薬問屋だったという。

製剤化まで手がけていたようで、店の前には屋根付きの立派な看板がある。

大昔からこの奈良県東部のこのエリアでは薬草の栽培がいろいろ行われていたらしい。

真相はよくわからないが推古天皇がこのあたりで薬猟をしたという記録が日本書紀にあり、

その姿を想像した絵が展示されていたが、まぁ実際どれぐらい意味があったのかはわからない。

時代を経て、江戸時代に生薬の国産化を目指して、この吉野から宇陀にかけてのエリアで探索や栽培が行われた。

かつて、松山は大阪と伊勢を結んだ伊勢街道が走っており、交通の要所だったという。

山間部にしては平坦なので、現在の奈良県東部一帯から薬が集まる土地だったようである。

そしてこの細川家の住宅が展示施設になっていることにはもう1つ大きな理由がある。

ここで生まれて藤澤家に養子に出された藤澤友吉は大阪で後に藤沢薬品工業となる会社を創業する。

当初は樟脳を生産していたが、後に現代的な製薬業に発展、2005年に山之内製薬と合併しアステラス製薬となっている。

そんな薬の歴史が感じられるように、薬の看板や藤沢製薬や細川家の歴史についての資料が置かれている。

まぁ藤沢製薬の展示物はものすごい古ぼけていたけど。そりゃ社名変更も反映できてないもんな。


今は松山では薬らしいものは作っていないが、名残はあってそれが吉野葛である。

ん? 宇陀なのに吉野葛? と思うかも知れないが、歴史的な経緯があり宇陀の特産品である。

葛根湯に代表されるように葛根は生薬として使われるが、デンプンを抽出して葛粉としても使われる。

もともと現在の吉野町国栖(くず)の人が売り歩いていたことからクズと言われるようになったという話もあり、吉野葛は大変ブランドがあったが、

森野家と黒川家がそろって宇陀に移って吉野葛の製造を行うようになったという。

もっとも原料となる葛根は吉野などから集めたものだし、その点では間違えなく吉野葛なんでしょうけど。

その森野家は家の裏を薬草園にして、それが史跡「森野旧薬園」として保存されており、見学することができる。

まぁ正直なところこの時期は花などみどころのある薬草はあまりなかったのだが、

吉野晒しという吉野葛の精製工程を行うための水槽があったり、薬草の研究の記録が展示されていたり、

ここが薬の町であり、今も吉野葛の製造という形でその伝統が残っていることを実感出来る。


さて、次の目的地に行くのに榛原まで戻るかと当初は思っていたが、思ったより平坦だったのでこのままいくかと、桜井方面に進む。

ゆるやかな上り坂を進むとトンネルの手前で急な下り坂に転じ、滑り降りるように奈良盆地へ。

国道166号線、そのルーツをたどるとさっき出てきた伊勢街道に至るわけですね。

桜井市街に到着すると徒歩でもけっこう歩いた気がする国道169号線を北上する。

大神神社、桜井市埋蔵文化財センター、箸墓古墳とか。(cf. 纏向遺跡と平城宮跡)

そこら辺はずっとスルーして到着したのが道の駅「なら歴史芸術文化村」である。

休憩施設(情報発信棟)やショップ・レストラン(交流にぎわい棟)は道の駅としてよくあるものだが、

ホテルが併設されており、これがまず目立つ。滞在型の観光拠点を目指しているのだろう。

芸術文化体験棟という芸術家が滞在して作品作りをしたり、音楽の演奏(今日は地元のピアノの発表会をやっているようだった)などできる施設、

そしてここに来た最大の目的である「文化財修復・展示棟」で、ここは文化財の修復の拠点になっていて、展示施設が併設されている。


具体的には4つの工房があり、それぞれ入居者がいる。

まずは考古、天理市教育委員会が出土品の整理などしている。まぁいろいろ出てくるんでしょうね。

建造物、これは奈良県文化財保存事務所が入っており、修理の計画を立てるためか模型を作っているところだった。

建材の修理・加工などできる設備があるようで、けっこう広々していた。

絵画・書跡には(株)文化財保存、彫刻は 美術院国宝修理所、いずれも奈良国立博物館の工房でも修理を行っており、

主に奈良県指定の文化財の修理をこの歴史芸術文化村で行っているようである。

展示室では奈良県が手がけた修理の記録や歴史芸術文化村で撮影された修理の映像などがあった。


文化財にまつわる様々な映像がタブレット端末で視聴できるのでちょっと気になったことがあって見ていた。

それが絵画・書跡の表装に使われる「宇陀紙」である。その宇陀紙ができるまでの映像があった。

この宇陀紙、宇陀と付いているのだが実際に作っているのは吉野である。

なんで? と思うのだけど、宇陀の商人が売り歩いたのでこの名前になったらしい。

吉野の和紙は文化財の修理に多々活用されている。その中でも特徴的なのが宇陀紙と美栖紙である。

いずれも表装用の紙で、コウゾとともに宇陀紙だと白土、美栖紙だと胡粉を混ぜて漉くという。

特殊用途の紙のため生産者が限られており、吉野の手漉き和紙の重要な役目が見て取れる。


というわけで帰路に付いたのだった。

なかなかどちらも電車だと行きにくくて、松山は榛原から大宇陀行きのバス(1時間1本程度)で行けばよいのだが、

歴史芸術文化村は天理駅から絶妙に遠くて、これは石上神宮に行ったことがある人ならわかると思うが。

バスは朝夕にホテルの送迎バスのような時間設定でしか走ってないのでなかなか大変である。

バイクを担いで電車に乗ろうとすると、新型の1A系だった。

「やさしば」はこのような大きい荷物を持った人の利用を想定しており、ありがたかった。

スルッとQRttoで神戸・奈良

今日はもともとバイクを担いで出かけるつもりだったが、天気がどうも悪そうな一方、

明日の天気は良いので予定を半分ぐらい入れ換えることに。

でも、どうしようかなと直前まで考えていて、神戸から奈良にハシゴすることにした。

そこで初めて スルッとQRtto を使ったのだった。


スルッとQRtto は関西の私鉄・公営交通を中心とした鉄道会社のQRコード乗車券のプラットフォームである。

スルッとKANSAI はプリペイドカードの発行をやめて長いが、複数社がまたがるフリー乗車券の発行は引き続き多く手がけていたようである。

ただ、各社窓口も減る中で、QRコード乗車券に移行していく流れがありできたのがこれ。

関西ではJR西日本もQRコード乗車券を導入し、JR西日本が絡むものはKANSAI MaaSで発売されている。

近鉄も自社完結のものは自社でしか売ってなかったり、会社により考えはいろいろあるようだ。


で、スルッとQRttoで買うのは「神戸街めぐり1dayクーポン」である。

昔使ったことがあるのだが、神戸市内の観光施設で使える800円のクーポンが付いて、

神戸都心エリアの市営地下鉄・神戸高速線・ポートライナーが乗り放題。

さらに近鉄拡大版②だと大阪府内・奈良県内の近鉄と阪神全線が乗り放題である。

以前より値上げされたのだが、それでも一応は単純往復で元が取れるレベルである。

クーポンも使って、奈良県内で寄り道しながらならかなりお得である。


神戸海洋博物館、だいぶ昔に行ったことがあるが展示が変わったという話もあり、久々に行こうと。

阪神だと元町駅が最寄り駅だが、海岸線のみなと元町駅がより近くて、近鉄からの快速急行は三宮まで、

ということで三宮で海岸線に乗り換えることに。ただ、驚いたのだけど海岸線って毎時4本の時間帯が多いんですね。

利用の振るわない地下鉄路線だとは聞いていたが、なかなか厳しいものである。

メリケンパークに到着して神戸海洋博物館に。受付にはスルッとQRtto用のQRコードが貼られてて、これを読んで利用済みにできる。

ここは900円なので、800円との差額の100円を支払う。

神戸海洋博物館は見ていて思ったのだが、実物ってあんまり持って来られないんですよね。

船の模型で神戸港のいろいろな時代を表そうとしていて、その中でも神戸港開港のときにやってきたロドニー号の模型は最たるものなのだろうけど。

神戸港は一時はコンテナ貨物の取扱で世界一になったが、現在はコンテナ船の大型化に対応し切れていない側面もある。

トイレに行こうとすると、神戸港を訪れたクルーズ客船の写真がずらりと貼られていた。

近年のクルーズ客船の大型化も感じることができる。デカいんだよな。


さて、神戸海洋博物館だが、半分はカワサキワールドという川崎重工業の展示施設になっている。

こちらがつい最近リニューアルされたところで、最新の知見も盛り込みながら作られている。

川崎重工というとそれこそ作っているものは巨大だろうと思うわけだが、全てが全てそうであるわけではない。

実物として多かったのがオートバイ、確かにサイズ感としてお手頃ですね。

ライムグリーンのカラーが目立つが、これにはこのカラーでレースに参加しているという歴史があるようで、

そういう歴史をたどれるような車を並べているようである。

あともう1つ、実物として目立ったのが産業ロボットである。これもなかなか歴史のある事業のようである。

数は限られるが新幹線(0系)とヘリコプターも1つずつ展示されていた。

知らなかったんだけど、日本のドクターヘリでよく使われているBK117は川崎と現在のエアバスヘリコプターズの共同開発なんだそう。

川崎重工自身は各務原でヘリコプターを作っているが、エアバスは川崎との協業の経緯もあって神戸空港に日本の拠点を置いている。


そこから昼食がてら南京町に向かったり、ハーバーランドに向かったりして、よきところで奈良へ向かうことに。

ハーバーランドから高速神戸駅まで歩いたが、けっこう距離があるなと思った。

面白かったのは地下街の高速神戸駅の案内に「阪急 阪神 山陽 神鉄」とあったこと。

地下街から高速神戸駅に入るところにもこの4社の名前が並べて書いてあった。

阪急・阪神・山陽はわかるのだが、神鉄は新開地発着なので直接乗車できるわけではない。

ただ、それを含めて神戸高速線ということでこういう表記になっているよう。

近鉄直通の列車にも直接は乗れないが、三宮にいたのでこれに乗って奈良まで一本である。


今日は金曜日なので、正倉院展も遅くまでやっているなというところを狙っての奈良到着である。

もう薄暗い感じで、正倉院展をはじめとして帰る人の方が目立つ時間帯である。

当日券を売る窓口もあり、時間帯もあってかすぐ買って入ることもできるようだった。

賛助会員だと特に予約がいらないので、時間枠と時間枠の間を狙うように入場した。

時間帯もあってか館内は比較的空いていてじっくり鑑賞することができた。

そういう意味ではよかったのは撥鏤碁子ですかね。象牙の碁石なのだが、小さいですからね。

正倉院展もだいぶネタは出尽くしたかと思うが、初出陳のものはあるのかねと見ていたら、伎楽面に1つあって驚いたのと、

あと藺筵、ようは敷物なのだが、この中で1点、最近研究が進んだことにちなんでの出陳だったよう。

混雑対策のため展示の順番など工夫している都合で変な順番で展示されているなと思うのだが、

今回の目玉は 漆胡瓶 と 白瑠璃瓶 という材質の違いなどあるにせよ、似たような形状の水差しである。

いずれも舶来品だと思われているが、当地にも残らないものが理由はさておき奈良で現代まで伝来したことの意義は大きい。


仏像館は工事のため休館中、その間は青銅器館を無料観覧できるようにしている。

青銅器館のみの無料開放は時々行われているが、仏像館の休館のため普段展示していない2階に仏像を中心に少し展示している。

写真撮影が可能と言っていて驚いた。実際には寺社からの寄託品は撮影してはいけないのもあるんだけど。

館蔵品の割合が多いことと、それ以外でも許可が得られたものがそれなりにあるようで、8割ぐらいは撮影できるようだった。

奈良博も少しずつ変わってるんだなとは思う。

無料観覧にしてはなかなかの内容である。半額ぐらいは取ってもいい内容では? と思ったが。

普段は仏像館では展示されないようなものもいくつかあり、改めてみると発見がある。

普段のように大きな仏像は置けないが、無料観覧であることもあって多くの人に学んでほしいという思いは感じた。

仏像館の再開館のときにはこのあたりの知見も生かしていくのかなと思ったがどうなのだろう。


雨が断続的に降る中だったが、最寄り駅との間をバイクで移動するときは霧雨程度だったのはラッキーである。

のぞみ料金を値上げするなら

仕事を少し早く切り上げて、帰宅して出発の準備。

これなら定時上がりでもよかったかというぐらいの余裕はあったけど、それはそれとして。

バイク担いで、新幹線と近鉄を乗り継いで親元までやってきた。


そういえば東海道・山陽新幹線といえば のぞみ料金の値上げが発表されている。

東海道・山陽新幹線における「のぞみ」・「みずほ」号の指定席特急料金及びグリーン料金の見直し等について (pdf) (JR東海)

現在 のぞみ・みずほ号を指定席で利用する場合の加算料金は、

東京・新横浜~京都・新大阪で320円、新大阪~小倉・博多で740円など。

新大阪を挟むと加算が増えるので、東京~新神戸だと540円で距離の割には加算額の増加が大きい。

これが東京~新大阪では従来から700円値上げの1020円に、新大阪~博多では280円値上げの1020円となる。

東海道区間での値上げ幅が大きいのだなということがわかる。


で、これはあくまでも のぞみ・みずほ に乗る場合の加算なので、ひかり・さくら を利用する場合は従来通りである。

確かにのぞみ号は速いのだが、そこまで差があるかという話はある。

特に山陽新幹線区間の さくら は のぞみに抜かれることが少なく、せいぜい1回である。

東海道新幹線区間でも東京~名古屋に限れば1回抜かれるかどうかという ひかり号もある。

それは岐阜羽島・米原に停車して、米原では しらさぎ号 に接続するやつですが。

ここでそれぞれ追い越されるので、東京~新大阪の全体で見ればそこまでですが。


じゃあ、安い ひかり・さくら を選ぶのかというと、のぞみ ほどの本数がないので難しい。

山陽新幹線区間に限れば さくら号 を選びたいところではあるのだけど、新大阪を挟んで名古屋・東京までの乗車だと のぞみ号 が直通で便利である。

以前、新神戸でさくら号とのぞみ号を乗り換えるのは便利だけど、加算料金はちょっと気になるなんて話を書いている。

新幹線6時間半の旅

このときは出水~東京で直通列車がないのでさくら号をできるだけ引っ張った形だが、

東京~小倉は のぞみ号なら直通、ひかり・さくらを使うならなんらか乗換はいるとなれば、

値段ほどの価値があるかねと思っても のぞみ号を使わざるを得ない。そういうのもある。


東海道新幹線区間は東京~名古屋に限れば速いひかり号もあるが、東京~新大阪でみればどれもそれなりの時間差が付く。

一方で山陽新幹線区間は のぞみ・みずほ と さくら の停車駅の差が見えにくいところがある。

具体的には姫路・福山・徳山・新山口 である。

のぞみ・みずほ は概ねこれらのうち1駅に停車、さくら は概ねいずれか2駅に停車という差はある。

でもパッと見てそんなに差があるようは見えない。

姫路・福山・周南(徳山)・山口というとそれなりの規模の都市であり、東京・名古屋まで直通の のぞみ号が一定停車することの意義は大きい。

ただ、それがゆえに さくら号 との対比が付きにくいというのは悩ましいところではある。


こういうのがあってもいいのかもなと思ったのは、東海道区間を のぞみ号・山陽区間を ひかり号 みたいな形で走る列車である。

こういうのが姫路・福山などにしっかり停車することで、のぞみ・さくら はできるだけ停車しないと。

九州新幹線直通という付加価値のある さくら号 も みずほ号 に置き換えていくのも策かもしれない。

そういうので のぞみ・みずほ の価値を明確にしていくということは考えられる。

でも、そこまでのことは考えてないんだろうなという気はする。


そんなわけで ひかり号を使えるなら使いたいけど……という思いはありつつも、本数が全然違うのが悩みである。

のぞみ号は毎時13本での運転を行う時間帯を増やす方針が示されている。

さらには将来的には毎時14本での運転も考えているという。

高性能の車両に揃うことで、ひかり・こだま の間を縫って走る本数が増やせるというわけである。

こういう投資にはそれなりにお金がかかるので、のぞみ号の加算も高くしたいというのはわかる部分はある。

今のところは東海道区間では ひかり号 の方が空いている印象だが、今後はどうでしょうね?

アメリカでもダート1200mは限られる

明日の仕事終わりから関西行きである。

仕事も大概落ち着くと見込んでいたのだが、いろいろあってバタバタしている。

でも休み前までに最低限やっておきたかったことはOKかなと。


次の週末はアメリカではブリーダーズカップ(BC)である。

BCへ向かう目的はいろいろだが、日本で出走するにふさわしいレースがないからというケースもある。

思い返せば2021年にBCディスタフを制覇したマルシュロレーヌがそうだった。

ダート競馬での大快挙

この年はJBCレディスクラシックが金沢開催のため1500mだった。


やはりよく言われるのがBCスプリントである。

日本には常設のダート1200mのG1級レースが存在しない。

JBCスプリントは1200mが基本だが、1400mや1000mになることも多い。

というか1200mでできるのは大井・盛岡に限られるのである。

そこで1200mでの出走機会を求めてアメリカに遠征すると。


ただ、アメリカにも1200mのG1ってあと1つしかないという話を見た。

これには驚いたのだが、確かにInternational Cataloguing Standards Bookを見ると、

アメリカで “6 D” (ダート6ハロン=約1200m)のG1は “Bing Crosby S.” と “Breeders’ Cup Sprint” の2つだけだった。

ビングクロスビーステークスはデルマー競馬場で夏に開催されるレースで、BCスプリントの指定レースとなっている。

実は2019年まではあと2つのG1レースがあったようである。

サンタアニタスプリントチャンピオンシップステークス(2020年からG2)と

ヴォスバーグステークス(2020年からG2、2022年から距離が7fに、2024年からG3)である。

いずれも現在までBCスプリントの指定レースとなっている。


日本ではドバイゴールデンシャヒーンがダート1200mのG1としてずっと知られている。

でも、世界的にはかなり珍しい条件のG1レースだったようである。

ただ、BCスプリントともども高額賞金レースなので、ぜひ勝ちたいというのはそうなんですが。


2024年から6月に浦和で開催される さきたま杯(1400m)がJpnIに位置づけられ、

上半期のダートスプリントのチャンピオン決定戦に位置づけられた。

地方競馬では1400mのレースが多いこともこのレースの格上げの背景にはあるのだろう。

で、1400mだとやりやすいのはアメリカの競馬場もそうだったはず。

そこでアメリカのページで “7 D” のG1を探すと、世代戦や牝馬戦は比較的あるが、

それを除くと2つ、”Churchill Downs S.”と”Forego S.”である。

チャーチルダウンズステークスはケンタッキーダービーデーに開催され、今年はテーオーエルビスが優勝している。

日本調教馬が外国のダート短距離G1を制覇するのは史上初のことである。

もう1つのフォアゴーステークスは夏のサラトガで開催され、BCダートマイルの指定レースである。


というわけでアメリカまで視野に入れると若干増えることは事実だが、そんなにたくさんあるわけではない。

ただ、JBCスプリントの距離が不都合ならBCスプリントというのはおおよそ成り立つことはわかる。


一方でアメリカで少なくて、日本には比較的ある条件のレースもある。

それがダートマイルのG1級レースである。

日本ではフェブラリーステークス、かしわ記念、南部杯の3つがある。

フェブラリーステークス以外は日本ローカルのJpnIなんですけど。

ところが同様にアメリカで “8 D” のG1レースを探すと、世代戦や牝馬戦を除けば “Breeders’ Cup Dirt Mile”と”Metropolitan H.”の2つしかない。

しかもブリーダーズカップの中ではダートマイルは賞金が低いレースで、

同時期にある南部杯の賞金とそんなに変わらない。登録料など考えたら南部杯の方がよっぽどよい。

国際競走になれば南部杯は意外と興味を引きそうなレースである。

それで外国から盛岡に来るのかというと甚だ疑問だけど。


ダート1200mについて言えば、条件戦ではけっこうあるのだけど、

ダートグレード競走では条件が一定しないJBCスプリントを除くと、

東京スプリント(4月・JpnIII)、クラスターカップ(8月・JpnIII)、東京盃(10月・JpnII)、カペラステークス(12月・GIII)、

そして3歳戦の北海道スプリントカップ(8月・JpnIII)、2歳牝馬戦のエーデルワイス賞(10月・JpnIII)に限られる。

そこそこあるようにも見えるが、こればかり走るのも大変なのはわかる。

芝だと1200mばっかり走っても走れるレースはたくさんあるけど。

1400mまで広げれば十分あるとは思うんですけどね。


JBCの距離が一定しないという問題はどう考えるべきなんでしょうね。

持ち回り制のブリーダーズカップにも同じ問題はあるはずなんだよな。

そういう条件ができる競馬場でしかやらないので問題が無いのかもしれないが、

距離にこだわるがあまり公平な条件でできないレースもあるのかもしれない。

JRAは交流競走に対してスタート後の直線の長さなどの条件を付けているそうである。

普段は1200mのレースがあるのにJBCスプリントの距離が違うのはそういう事情があるとみられる。

仕方ない部分はあるのだけど、それなら1200mのチャンピオン決定戦もどこかに常設してくれよとは思う。

年間スケジュール的に難しいんですかね?

大阪城天守閣が重要文化財になる理由

先日、大阪城天守閣が重要文化財に指定される見込みとなったことが発表された。

報道発表資料 重要文化財(建造物)の指定について~大阪城天守閣が文部科学大臣に答申されました~ (大阪市)

登録有形文化財として文化財としての価値は従来より認められていたが、

あえて重要文化財にしてこなかったという認識だったが、そろそろ築100年ということで動いたようだ。


なぜ、あえて重要文化財にしてこなかったと思っていたのか。

それはこれが史実の大坂城とは全く異なるものだからである。

大阪城天守閣が建つのは特別史跡「大坂城跡」の上である。

このようなところに建物を建てる場合は様々な制限があり、

特に建物の復元にあたっては、工法なども従来のものに合わせるのが原則である。

ところがかつてはそのようなルールが徹底されておらず、鉄筋コンクリートの博物館建築でもよかったのである。

ともあれ鉄筋コンクリート造であったことも寄与したか、太平洋戦争も乗り越え、大坂城ではもっとも長命な天守となっている。


登録有形文化財は手続きを踏めば解体することができる。

このため、もしも大坂城跡の保存・活用に不都合という判断があれば、

現在の大阪城天守閣は解体できるというわけである。

現実にはそういうことは考えにくいが、そのような体裁は必要だったのではないか。

もし、この問題が無ければもっと早く重要文化財になっていたのではないかと思う。


さて、そんな大阪城天守閣が重要文化財に指定された理由としては、これが後に続く天守再建のお手本になったことがある。

大阪市が人口・面積とも日本一となった、いわゆる「大大阪」の時代に、大阪城公園の整備と一体的に計画され、市民の寄附により実現し、大都市大阪の象徴となった。市民に開かれた郷土資料館及び展望台として建築されたことも含め、以後の全国各地における天守再建手法の嚆矢ともなり歴史的価値が高い。

すなわち大阪城天守閣の評価はこれ1つで形成されたものではなく、

それに続いて各地に再建された天守があっての評価ということである。

先日、訪れた和歌山城もそうで、これも鉄筋コンクリート造の博物館である。


そう考えると大阪城天守閣の評価はなるほどという感じである。

特別史跡「大坂城跡」の活用方法として現代的な視点では好ましくない面もあるが、

長年にわたり、豊臣時代の大坂城を再現した姿で存在し「大坂城跡」の価値を高めてきたことは確かである。

この手法が各地に波及したことには大阪城天守閣の意義は大きいといえる。


大阪府所在の重要文化財(建造物)としては「太陽の塔」が昨年度の指定である。

こちらはほぼ最速の築55年での指定である。

どちらも共通して言えるのは、大阪の人々の熱意により文化財としての価値を持つに至ったということである。

重要文化財・国宝というのも指定に至る経緯はいろいろである。

偶然発掘されというのもあるし、同種の作品の中での傑作だからというものもある。

ただ、太陽の塔と大阪城天守閣は大阪のシンボルとして長年重視されてきたことが大きく影響していることは間違いない。


重要文化財になるためには最低でも50年伝承される必要がある。

(史跡・天然記念物の場合は50年経過する必要はない)

50年以上経って、なお価値があるというのはすごく高いハードルである。

太陽の塔のように最速ペースで指定されるというのは、なおさら難しいことである。

大阪城天守閣は1997年の登録有形文化財への登録時点ではまだ評価が定まらない部分もあったのだと思うが、

そこから時間を経て、価値が明確になったということだろう。

親子三代同一G1制覇の意味

昨日の菊花賞は、皐月賞・ダービーを勝ったロブチェンが三冠なるかと注目されたが、掲示板入りもできずボロ負けだった。

一方の優勝馬、ゴーイントゥスカイは父コントレイル、

すなわちコントレイル産駒は初年度産駒にしてクラシック競走制覇となったのだった。

ゴーイントゥスカイはダービートライアルの青葉賞を優勝し、これがコントレイル産駒初の重賞制覇である。


コントレイルは三冠馬、その父、ディープインパクトも三冠馬、

すなわちディープインパクト・コントレイル・ゴーイントゥスカイは親子三代で菊花賞を制覇したことになる。

これは史上初のことである。

って、ロブチェンが勝ってもそうだったんですけどね。

父ワールドプレミアは菊花賞馬で、父ディープインパクトなので。

そこでふと気になったのである。他にこういう親子三代制覇ってあるのか?


そしたら、同一のG1級レースを親子三代制覇したと言えそうなものは日本では1例しかないことがわかった。

それも「同一の」とか「G1級」というところに疑問符が付くところである。

というのも……

  • メジロアサマ (1970年 天皇賞(秋)優勝)
  • メジロティターン (1982年 天皇賞(秋)優勝)
  • メジロマックイーン (1992年・1993年 天皇賞(春)優勝)

天皇賞には違いないのだが、秋と春が混ざっているのである。


といっても、この天皇賞はすべて3200mのレースである。

天皇賞(秋)が2000mになったのはグレード制が導入された1984年から。

それ以前は春秋ともに天皇賞は3200mで特別な格付けはなかった。

八大競走の1つに数えられ、現在のG1に相当する扱いであったことは言うまでもないが。

ただ、現在のG1とはいろいろ異なる点もある。

まず、メジロアサマが勝った時代、1980年以前は勝ち抜き制というのがあった。

春秋いずれかの天皇賞を勝つと、もう天皇賞には出走できなくなるのである。

これは引退勧告みたいなもので、天皇賞を勝ったら繁殖に回ってねということである。

実際にはメジロアサマは4歳(現在の年齢表記)で勝って、6歳まで走ってたみたいだけど。


次にメジロティターン とメジロマックイーンが勝った時代、

1971年~1999年は外国産馬の出走が一切できなかった。

(それ以前は外国産馬の輸入制限が厳しかったそう)

この当時は内国産馬と外国産馬の実力差が大きく、一方で出走制限も厳しかった。

クラシック競走に出られない外国産馬の目標にされたのがニュージーランドトロフィー、

そしてこの条件を引き継ぐかのように1996年に新設されたNHKマイルカップである。

格式高いクラシック競走と天皇賞は内国産馬に限るという考えが2000年代まで続いた。


現在はJRAの重賞はすべて国際競走で、International Cataloguing Standards BookのPart IのGI~GIIIとして掲載されている。

このためJRAの重賞は世界的にもG1~G3で通じる。

一方で東京大賞典以外の地方開催のダートグレード競走は、日本ローカルのJpnI~JpnIIIの格付けである。

これは国際的にはリステッドレースという位置づけになる。

どうしてローカル格付けなのかというと、要因はいろいろある国際競走でないことが理由の1つである。

クラシック競走と天皇賞は外国産馬の出走制限が国際的な格付けを得る上で障壁となっていて、

天皇賞は2007年、菊花賞を含むクラシック5競走は2010年から国際GIとなっている。


なので、ディープインパクトが勝った2005年の菊花賞は国際的にはG1ではなくリステッド扱いである。

実はそうなんですね。日本国内ではG1 7勝だと考えられているが、

国際的には4歳で勝った宝塚記念とジャパンカップのG1 2勝馬である。

この時代は同じ表記で国際GIとローカルGIが混在していて一見わからなかったんだけどね。

というわけで厳密にはディープインパクトの勝った菊花賞は現在のG1とは異なるが、

とはいえ、この時代にはもう外国産馬の出走制限も4頭以内と大幅に緩和され、

外国からの遠征馬は出走できないが、そもそも菊花賞に出たい外国馬なんてそうそういない。

なので実態としては現在の菊花賞とほぼ同じものと考えて良さそうだ。


というわけでこの親子三代制覇というのは事実上日本初の偉業である。

で、ゴーイントゥスカイの血統表を見て、あれ? と思うんだよね。

ディープインパクトの母、ウインドインハーヘアはアイルランド産、

コントレイルの母、ロードクロサイトはアメリカ産(日本調教)、

そしてゴーイントゥスカイの母、ゴーイントゥザウィンドウはアメリカ産、

祖父・父こそ日本生まれ、でも母・祖母・曾祖母はみな外国生まれなのである。


ディープインパクトの父、サンデーサイレンスは日本競馬に多くの活躍馬を輩出した。

それにより子はだんだん交配相手に困るようになってきた。

そこで繁殖牝馬をたくさん輸入したのである。日本競馬はお金があるからね。

かつて日本は輸入種牡馬が重宝されたので、種牡馬の墓場と言われていたが、

そこから反転したことにディープインパクトの存在は大きいのだそう。

この流れでコントレイルの交配相手も外国から来た繁殖牝馬が多かったようだ。

生産牧場も3頭とも違う牧場だから、日本の種牡馬のレベルアップの象徴と言えそうですね。


コントレイルは初年度産駒からG1制覇、重賞勝ち馬を3頭輩出している。

なかなかの滑り出しとは言えるが、想定と違ったのも実情だと思う。

何が想定と違ったかというと、2000m以上が主戦場だったことである。

現役時代のイメージだとマイルぐらいで強いんじゃないかと思われていたそうである。

なので2歳も早いうちから活躍する馬が続出するだろうとおもいきや、

2000mの新馬・未勝利戦が出る頃からぞろぞろ勝ち出す状況、

初の重賞制覇が2400mの青葉賞、G1制覇が3000mの菊花賞というのも納得である。

すごいんだけど、思っていたのと違うというのが生産者の思いだろう。

というわけでコントレイルの交配相手や産駒のマネージメントも見直しが必要ということだろう。

でも、これならいつかダービー馬は出しそうですよね。


ところでここまで見て気付いた人は多いと思うのだが、

ディープインパクトとコントレイルはともにクラシック三冠、さらにジャパンカップも親子制覇である。

(ディープインパクト産駒の牡馬でジャパンカップを勝ったのはコントレイルが唯一である)

ということは、コントレイル産駒が皐月賞・ダービー・ジャパンカップのどれを勝っても親子三代制覇である。

ズルいというか、コントレイルの戦績ってすごいんですよね。

Ave Mujicaのシークレットマスカレード

今日はのそのそと電動バイクを出して武蔵野の森総合スポーツプラザ(京王アリーナTOKYO)におでかけ。

いつものようにバイク駐車場にぶち込もうとすると、自転車はここじゃないぞと言われて。

「原付です」というも疑われ、ナンバープレートを見て原付かと納得する疑り深さ。

そこも含めて慣れたもんですね。


何かというと Ave Mujica 7th LIVE「Virtus」 である。

Ave Mujicaの単独ライブというと2024年の河口湖3連戦以来である。

今回、一般発売で難なく買えたのでやってきた側面はある。

河口湖のときはローブを着た人がぞろぞろいて異質な雰囲気だったが、

今回はそうでもなく……ただ、中国からの来場者がけっこういるなというのは感じる。

遠路はるばる来る人がいる中、近所だから来る人もいると。


Ave Mujicaというともともと一般的なMCはないが、今回はずっと音楽だけという構成だった。

映画でやっていた楽曲の間を埋めてつくったかのようなセットリストだった。

これを考えたのは楽曲など一切合切プロデュースしてるDiggy-MO’なんだけど、

ずっとなんらか演奏している状態なので大変だろうなとは思う。

ともあれAve Mujicaの世界観がかなり感じられる内容になっていた。

こうして見てみると映画のライブシーンはかなり頑張って作っているけど、

どうしてもリアルバンドのAve Mujicaの絵には負けている気がする。

アニメを作る方もお手本がすぎすぎて大変である。


あと独特といえば、ステージ左右のスクリーンが縦長だったことである。

なんか縦長の動画が流れていて、スマートフォンで撮影した動画か?

と思っていたのだが、開演して画面自体が縦長であることに気づく。

どうしてこうなったのかわからないが、正味のサイズはこちらの方が大きいのかも知れない。

スタンド席の遠方だったこともあり双眼鏡でかなり見てたんですけどね。


終演後、TVアニメについての詳細な告知があって、来年1月からとのこと。

次は5月にライブがあるとなると、それをうけての内容であろう。

そういう意味ではここで映画のことはしっかりやっておきたかったということだろう。

NPB球団の3軍

昨日、ドラフト会議の話を書いていて、ふと気になったことがある。

高校生にしてプロ野球選手

読売ジャイアンツには3軍というものがある。

育成選手は一定の制限の下に2軍戦に出ることはできる。

ただ、それだけではとうてい間に合わない人数の育成選手を抱えるチームは、

育成選手でチームを編成して何らか試合をしなければ、実戦の機会を作れない。

このために作られるのが3軍である。ただ、3軍はNPBの全てのチームが持っているわけではない。


具体的には 読売ジャイアンツ・ソフトバンクホークス・西武ライオンズ にある。

広島カープにも3軍という組織はあるが、試合を行うチームではないとのこと。

なお、オリックスバファローズは2軍の練習試合として育成選手の試合機会を確保しているようで、

これも実質的には3軍のようなものであるという記載があった。

これら相互の試合も組まれているが、主には社会人・大学・独立リーグのチームとの試合になる。


育成選手の人数が多いチームはおおよそ3軍を運用しているチームで、

ソフトバンクホークス・読売ジャイアンツが特に多く、

それに次いで西武ライオンズ、オリックスバファローズという具合である。

なるほど。たしかにここまで出てきたチームばかりである。

他のチームはおおよそ10人前後だそうで、2軍戦の中で出場機会はあるということだろう。


一方でちょっと気になることがあって、それが阪神タイガースである。

ドラフト指名の最下位、育成ドラフトで指名した2名、いずれも 徳島インディゴソックス の選手である。

どうも調べてみると、タイガースは近隣の独立リーグのチームと関係が深いそう。

主には指導者の派遣という形で関与しており、これは指導者の育成という意味が大きいよう。

藤川監督も一時、高知ファイティングドッグスに在籍していたことがある。

なので阪神タイガースの3軍ともいえるチームは多くあるということである。


ただし、育成選手であれば、他球団にとられる心配はなく支配下登録できるが、

独立リーグの選手は元プロ・外国人選手でない限りはドラフト会議を経る必要があり、

才能がありそうな選手を囲い込むということはできない。

ただ、タイガースとしてはそれが野球界のためだと考えているようで、

社会人チームとの関係など考えれば、育成選手を多く抱え込んではよくないという話はたびたび言っているよう。

それとは別の形で野球をやっていこうという人には独立リーグがあり、

そこには指導者を派遣したりして、あわよくばタイガースの戦力にと考えるも、

実際にはライバルチームの戦力になってしまうこともあるが、それも含めて野球界のためであると。


ところでソフトバンクホークスは育成選手を多数抱えるも、

当然その中には芽が出ない選手も多くいるわけである。

この先の進路が多数あるというのがソフトバンクの強みだそうで、

球団スタッフはもちろん、グループ内の通信会社への就職などの選択肢があり、

支配下登録を目指すというのが本線だが、ダメだった場合の道も充実しているというのが多くの育成選手を抱えられる理由でもあるらしい。

そう考えると社会人チームみたいですけどね。野球ができなくても社業があると。

本当にそれが野球界のためか? というところには疑問符が付くが、

よい環境で鍛えて、それでプロレベルに達しないなら別の道に行こうというなら、納得感はあるんじゃないか。