今回の旅行、前はマチ★アソビで決まっているが、後ろは正倉院展で決まっていた。
徳島に行くのにバイクを持って行くとなれば、南海フェリーを使わざるを得ず、帰るにも時間がかかる。
それならばしばらく関西を回る方がよいが、そうすると正倉院展が見えてくると。
じゃあ一体の旅行にしてしまおうと考えたわけである。なので土曜まで関西滞在で、日曜に帰路につこうと。
ただ、できれば親元に滞在する日を1日ぐらい作れた方がよいと思ったので何か手がないか。
そこで思い出したのである。賛助会員には内覧会の招待状が届くじゃないかと。
で、無事に届いたわけだが、普段はこの手の内覧会の招待状ってハガキなんだけど、
なんと正倉院展は封筒、裏面には館長・正倉院事務所長の連名、古風だなぁと思う。
もっとも中にはカードが入っているが、来場時には封筒を渡してと、正味はあて名シールの貼られた封筒の方だったりするのだが。
ともあれ、これで開会前日、今日に正倉院展を見られるということになる。
最終目的地は奈良公園と決まっているが、果たしてそこまでどうするか悩んだが、バイクを担いで近鉄電車に乗る。
橿原線に乗っていると、自分が乗っているのもすれ違うのも新車8A系が多くて大活躍だなと。
そりゃ京都線・橿原線で使うことを見込んでの車両だしな。(cf. 8A系のAの入る場所)
郡山駅で下車してバイクを組み立てる。ここから走って行くが、最初の目的地は駅のすぐ近所、郡山城跡である。
意外と来たことがなかった郡山城跡である。
郡山というと細い道ばかりの古風な城下町の印象があるが、城下町っていうのは城があったわけですよね。
かつて郡山藩は大和国の広範囲を支配しており、現在の奈良県のルーツと言っても概ねよい。
南都銀行は郡山藩士の設立した銀行が元になっており、今年移転するまで使われていた本店は元々「六十八銀行奈良支店」だった。
この当時は本店が郡山にあったんですね。ただ、この建物は本店になることを意識して作られたとされている。
そんな大和国の行政の中心が郡山にあった時代もあったのである。
今となっては古びた城下町、あるいは工業都市という印象もあるが、元はそうだったんです。
城の西側に駐輪場があり、ここで降りて歩いて行くが、芝生の広場として整備されている。
当然、かつてはこのあたりも城の建物があったわけで、相当な業務量があったことがうかがえる。
東側は現在の市役所あたりまで城だったので、こっちも広いなと思う。
堀も深いなぁと思いながら、天守台へ向かう。
登ることが出来るが、そこそこ眺めがよい。平城宮跡や東大寺大仏殿、興福寺五重塔(の素屋根)が見える。
ところでこの石垣の石、石仏がけっこう混ざっていたようで、その1つが「さかさ地蔵」として紹介されている。
石垣を積むのにとにかく石を集めたというのがよくわかるが、石仏まで使うか? という気はする。
郡山から奈良公園まで走って行く。途中でロードサイドで昼食に寄り道。バイクを持って来た理由の1つである。
県庁東交差点を過ぎると観光バスが多く、なかなか大変である。奈良博の前で降りてそこからは押し歩き。
ただ、この奈良博の前がなかなか大変な状況だった。
どうも内覧会の招待客は車で来る人もいるようで、VIPもいるんでしょうね。その車の出入りでごちゃつく。
さらに奈良博の前は観光客がそもそも多く通る上に、仏像館を目当てに来る観光客もけっこういる。
遠足か外国人観光客かという感じだったが。まぁ奈良博のハイライトには違いないですし。
僕も先に仏像館を見ておこうと。というのも法華寺の十一面観音立像が修理完了というので公開されているからである。
なかなか綺麗だと思うのだが、解体修理時に胎内に「一日造立観音」と書かれた文書が入っていたという。
すなわちこの仏像、1日で作ったのだという。どこまで1日でやったのかはよくわからんが。
この一日造立仏というのは疫病退散などの願いのために行われたものだという。それが今日の国宝である。
さて、それでは内覧会に入りましょうかと、15時頃に入る。
入口で「GUEST ご招待者様」というシールと図録が渡される。このシールを貼っておけと。
後で気付いたが、これで仏像館も見られるんですね。賛助会員ならカードを見せて入るので要らない話だが。
いかにも偉そうな人や、カメラを持った取材の人、スーツを着込んで仕事で来ている人、袈裟を来ている人もけっこういるがこれも同じだろう。
ただ、そういう人ばかりでもなく、賛助会員なのかそれ以外になにかあるのか、ラフな格好の人もいる。
内覧会で正倉院展を観に来るメリットは空いていると言うことである。
ただ、常識的に考えればこれでも混んでいる展覧会である。
普段の正倉院展の人の密度を1/2~1/3ぐらいにしたようなと言えば、来たことがある人にはわかるか。
やはり正倉院展、内覧会からして破格だった。
さて、正倉院展だが前半はゲームに着目していた。すごろく と 投壺ですね。
一応、宮廷文化というくくりなので「鳥毛篆書屏風」が6扇並んでたり、すごい光景だが。
あと文字通り大仏開眼のために使われた筆なんてあって、現代の筆とはけっこう違うんですけど。
正倉院展もネタ切れ感はあるが、文書以外の初出陳は伎楽の衣装だった。やはり布物なんだな。
ただ、この伎楽関係のものを並べた一室を設けた理由は「甘竹簫」である。
実はこれ明治時代に間違えた復元をされてしまった品である。
後の時代に他の部品(楸木帯)が見つかって、正しい姿が判明したが、だからといってやり直せるわけではない。
ところが再修理が必要となり、それならばなんとか復元できないかという話になり、ニカワを酵素で溶かして分解、再組立にいたった。
もっとも組立といっても一体にくっついているわけではなく、台の上に置いているだけである。
それでも楸木帯の発見から60年経って本来の姿で見えるようになったということで、正倉院宝物研究の歴史ですね。
あと、おもしろい話ではトナカイの角……ではなくシフゾウの角、象牙……ではなく鯨骨というのもあって、
正倉院宝物を生物学的に調査するようなこともしばしば行われているよう。
ところでなんでこんなものが宝物にあったのかというと、鑑賞用かもしれないが工芸品の材料の可能性があると。
結局は正倉院って元々寺の倉庫だったわけですよね。前半で展示されていた蘭奢待もそうですが。
こちらも放射性炭素年代測定で聖武天皇の時代より後まで生えていた木であることが判明し、
その後に正倉院に運びこまれて、時の権力者が切り取っていったという。よくわからん話ですよね。
最後の部屋にはポスターにもなっている瑠璃杯があった。混雑対策でここなんだろうな。
これは会期中だと全然見られなかったかもなと思った。というのも正味小さいんですよね。
わりと近づいて見られたのは内覧会のおかげか。
そんなこんなで奈良公園を出て帰ることにしたが、バイクをどこで畳んで電車に乗るか。
なかなか決め手に欠くところもあったが、桜井まで走ってもいいかもなと、国道169号線をひたすら南下、桜井駅まで走った。
道路幅に余裕がない区間が多く、自転車の幅でも後ろの車が追い越すのが難しいようで、ちょっと申し訳ない思いもあったが。
ただ、そもそも天理IC付近は混雑で相当な速度低下が起きていて、なんやかんや名阪国道狙いの利用は多いんかなぁって。
天理ICを過ぎて、天理市街を過ぎるとのどかな光景になる。沿線には崇神天皇陵など大規模な陵墓が薄暗い中でもよく見える。
途中で1本目が34kmで電池切れ、平坦なところならまだそれぐらいは持つのか。
2本目に交換して少し走ると桜井駅、昨日の飛鳥行きのスタート地点に戻ってきた感じ。
そんなこんなの関西滞在だった。