この夏はスロースタートな感はあったが、7月下旬にもなると暑くなり、
今日はとうとう多治見(40.3℃), 豊田(40.1℃), 八幡(40.0℃)と40℃超えの地点がでた。
八幡? と思ったけど、これは郡上市八幡のこと。
岐阜県・愛知県の観測点の気温が高かったが、筆頭はやはり東濃だった。
全国的にも暑いことで知られる東濃地域、なぜ岐阜県なのか? という疑問を持った人もいるかもしれない。
というのも東濃地域というのは、岐阜県の他の地域との往来が愛知県経由になることが多い。
特に鉄道や高速道路を使う場合にその傾向が強い。
岐阜県は全体的に愛知県との往来が激しいこともあり、なぜこんな県境の引き方なのだろう? と疑問に思うこともある。
いろいろな事情はあるわけだが、歴史を掘り進むほど不思議な県境である。
東濃というのは美濃の東部という意味である。
岐阜県は概ね美濃国と飛騨国を合わせた区域に相当する。
なのでこの点では東濃地域が岐阜県なのは自然なことである。
そもそも美濃を東西に横断するように中山道が通っていた。
中山道というのはかつては重要ルートだから、このルートに沿って行政区分が設定されるのは妥当そうである。
同様のことは長野県の元となった信濃国にもあてはまる。
中山道の馬籠~軽井沢のルートに沿って成立した行政区分だったが、
現代の人々の流動には必ずしも合っておらず、しばしば論争になる。
昔は美濃の範囲は今より東に広く、現在は長野県に属する木曽地域も含んでいた。
というのもこの地域は川筋としては木曽川流域にあたるためである。
美濃国には中山道沿いという側面と共に木曽川流域という側面もある。
この木曽川というのは治水に苦労した川で、様々改修が行われてきた。
木曽川は美濃と尾張の国境を決める川になっていたが、容易には渡れなかったわけですね。
それでとりあえず尾張の洪水被害の対策として、御囲堤という堤防を作ったわけですね。
これで木曽川と尾張を切り離すことで尾張の開発を進めたわけですね。
すなわち渡れないという点では木曽川というのは大きな断絶ではあったけど、
御囲堤で切り離される以前は尾張も木曽川の派川がたくさん流れていて、
それらの地域の排水を担う川が集まったのが現在の日光川水系だという。
御囲堤で切り離されたことで水害のリスクは減ったが、水の確保には困るようになった。
このため木曽川から導水する用水路が様々作られたという。
さらに言えば、木曽川が渡れないという問題は濃尾平野のことで、
善光寺道とか言われた名古屋~恵那を庄内川沿いに移動するルートにはそのような問題はない。
昔から東濃地域はこのような往来が盛んだったんですね。
このルートは後の国道19号線の元となっており、このルートに鉄道の中央本線や中央自動車道が敷かれている。
だから、昔から東濃というのは名古屋との往来は別格に良かったんですね。
あと、行政面でも東濃・中濃は多くが尾張藩の管轄下にあったそうだ。
木曽川の治水も尾張藩のリーダーシップによるところが大きかったそう。
このあたりは岐阜県の中でも大垣など西濃地域とは大きく異なるところで、
このあたりはむしろ関ヶ原を超えて畿内との往来が比較的多かったようだ。
木曽川を渡るのが容易でなかったがゆえ、西側との往来が多かったと。
こういう話は今の三重県にもあって、今は橋をわたってすぐそこの名古屋もかつては七里の渡しなど海路での往来で近くて遠かった。
というわけで東濃地域は確かに中山道沿いで、それは木曽川の川筋に沿ったものではあるけど、
現在は長野県に属する木曽地域と同一の地域圏だった時代もあるし、
善光寺道で他の美濃地域とは異なる尾張との往来はあったし、行政上も尾張藩の支配下にあった地域が多いと。
歴史的には意味はあるけど、美濃国という区分にこだわる必要はあまりなかったのかもしれない。
岐阜県もなかなか変な形だが、愛知県もなかなかなんですよね。
愛知県は尾張と三河に大きく分けられる。
同じ県内ながら尾張と三河の境目はかなり意識されている。
一方で、尾張と美濃の境目はしばしば曖昧である。
かつては容易に渡れなかった木曽川も容易に渡れるようになっている。
尾張と美濃の往来はどこからでもできるという状況に近い。
それぐらい密接なのだから、県内で往来する必要性自体がないんですね。
東濃と他の岐阜県の往来が不便というよりは、美濃と尾張の往来が全体的に便利ということなんでしょうね。