研究室旅行の宿から海が見えたという話は書いたが、
海が見えたといっても、四方八方全て陸というから、海らしくない。
志摩半島の海岸線というのはひたすらリアス式海岸で、とても入り組んでいる。
地図で見れば入り組んでいるといえ、どこか一方は外に通じているのだから、四方八方が陸なわけがないと思うかも知れない。
けど、実際に行ってみると、目の前も陸で、右も左も陸に見えてしまう。
海岸線の入り組んだところから見ると特にそう感じるのかな。
もちろん開口部はあるんだけど、湖だって流れ込む川と流れ出す川というのは存在するわけだから、そんなもんかと思えてしまうんだよね。
そりゃ養殖のいかだやらが浮いてるから当然、海だろうというのはあるんだけどさ。
海にいるはずなのに目の前が陸というのは驚くべきことだ。
なので陸つながりのはずなのに、海を通る方が近いなんてことがあって、
英虞湾では賢島から陸つながりであるはずのところに定期船が運航されている。
道路でもアクセスが可能であるのに運行が継続されているのは珍しい例かもしれない。
陸つながりのはずなのに陸上からのアクセスが困難な陸の孤島への定期船というのはかつては多数あったけど、
道路整備により陸の孤島ではなくなり、定期船が運航されなくなったケースが多いんだよね。
船ってお金がかかるからねぇ。道路があるのなら少々遠回りでもそれを使えばよいとなりがちなのに。
今回の宿があった的矢湾にも船が運航されている。
的矢湾に浮かぶ渡鹿野島絡みで2つの航路があって、1つは渡鹿野島の表玄関にあたる民営船で、これは単なる離島航路だが、
もう1つ、県道船というのがあって、これは 的矢~渡鹿野~三ヶ所と運航しているのだが、的矢と三ヶ所は陸つながり。
渡鹿野と三ヶ所の小中学生が的矢にある学校に通学するための航路で、渡鹿野島にとっては裏玄関だが、これはこれで重要な路線だ。
地図で見るとわかるんだけど、三ヶ所には道路はあるんだけど、陸つながりで他の集落まで行くとあまりに遠すぎる。
ところが的矢の集落は海を挟んで目と鼻の先。県道船はこの目と鼻の先のところを結ぶ上で重要な役割を果たしているわけだ。
そういう目で見ると、なにが海か湖かというのはなかなかわからない。
鳥羽水族館から海を見てみると、これまた四方八方が陸なわけだ。
そんなわけないだろと思うかも知れないが、実際そう見えるんだよなぁ。
目の前に見えているのは陸つながりではなく、坂手島と菅島という離島なのだけど。
目の前に見えているのは島だと知っているからそうだと思って見れるけど、
そう断言できるかというとなかなか難しい。もし陸つながりでも陸路で行く方法がなければ離島同然なわけだし。
地図でみればアホらしい話だが、あるところから見ただけではなかなか実際の姿はわからないなと思った。
山の中に住んでいる人が想像する海というのは、
地平線が見えるほど先にはなにもない、先になにか見えたとしても十分遠いことを想像する。
けどリアス式海岸ではそうではないわけだ。
だけど、この複雑な地形が豊かな海を作っているのもまた一面だ。
こういう海もあっていいってことだ。