オリンピックが終われば期間を空けてパラリンピックが始まるわけだけど、
医療機関の負担が増える中で、本当に決行できるのだろうか?
オリンピックに派遣された医療スタッフがこの状況でオリンピックに行ってよいものかとなった話はあるが、
東京都でも新型コロナウイルスの重症患者(人工呼吸器など使っている人数)が過去最大となる中で本当にできるのだろうか。
(東京都の重症患者数は一般に重症と認識される患者の一部ではあるが、一貫性のある基準であると考える)
果たしてこの状況を統括団体はどう考えているのだろうか。
パラリンピックという名前が付いたのは1964年の東京大会が初めてだという。
その点では2020年の東京パラリンピックはパラリンピックの里帰りとも言える大会だ。
その間に障害者スポーツの社会の認知度も高まり、パラリンピックへの熱も高まった。
パラリンピックのメダルもオリンピックのメダルに並ぶほどの価値として認識されつつあるが、
ここで問題となるのがクラス分けである。
今回の東京パラリンピックでは22競技539種目が実施されるとあり、
これはオリンピックの33競技339種目と比べると種目数の多さが目立つが、これは障害の種類や程度により種目が細分化されるためである。
もっとも障害の程度が異なる人が混ざって参加する車いすバスケットボールや、
パラリンピックでも男女2種目ぐらいに集約される競技もある。
種目数がかさんでいるのは陸上競技とか水泳とかが大きいのかな。
とはいえ、パラリンピックのメダルの価値が高まる中で、種目数を絞り込む流れもある。
2000年のシドニーパラリンピックのときは18競技561種目だったのだが、あまりに多すぎると絞り込まれ、
一方で東京ではテコンドーとバドミントンが新競技となったが、このように新競技の採用などで増えてもピーク時よりは少ない。
ここで重要なのがクラス分けなのだが、障害の状態は変化していくのでそれに応じてクラス分けも見直される。
この結果、パラリンピックのメダル有力候補が突如として出場資格を失うことがある。
ある日突然「健常者」に パラ選手、筋力回復し資格失う (朝日新聞デジタル)
日本国内の制度としては身体障害者として認定されているが、それとパラリンピックのクラス分けは別である。
クラス分けは クラシファイヤー という専門家が行うが、国内に有資格者がいない種目もあったりするので大変である。
クラス分けが見直されることで、メダルに近づく人もいれば、遠ざかったり、そもそも出る種目がない人も出てくる。
直近では車いすバスケットボールのクラス分け基準の見直しで、出場資格を失う人が出て問題となっていたようだ。
東京パラ、出場資格失い苦悩 「足切断も最終手段」 (朝日新聞デジタル)
国際パラリンピック委員会から除外警告を受けて、軽い障害の人は除外することを迫られたみたいですね。
ちなみに、陸上競技や水泳の場合、パラリンピックに直結しない国内大会限定のクラスがあるらしい。
これは国際大会で規定されているクラスには該当しないが身体障害者として認定されているとか、そういう場合に対象になる。
当たり前といえばそうですけど、障害者スポーツの全てがパラリンピックにつながるわけではないんですよね。
パラリンピックに出場できない程度に障害が軽いとしても、健常者と同じように競技ができるかは別問題だろう。
そういう選手たちの目標となる国内大会があることは意義があるんじゃないか。
あと、クラス分けにまつわる不正というのもあって、健常者が障害者を偽るようなことも時々明るみになっている。
金メダルをとった視覚障害の韓国人選手、本当の視力は「1.0」だった?=韓国ネット「世界を相手に詐欺?」「メダルを返そう」 (Record China)
視覚障害を偽って健常者をパラリンピックやアジアパラ競技大会に送り込んだという話で、
この件は韓国国内で刑事事件として立件されたそうですね。
ここに書かれていることからすると稚拙に過ぎる気はするが、そういう偽装も時には通じてしまうということである。
そういう偽装をしてまで勝とうとするのは、それだけパラリンピックのメダルの価値が重くなっているということである。
ところで、パラリンピックって身体障害者の大会だと思っていた頃もあったんですが、
競技の性質によっては知的障害者のクラスもあるんですね。
例えば、陸上競技だと400m走・1500m走・走幅跳・砲丸投にF20,T20(知的障害)が設けられている。
ペース配分に工夫が求められる距離が長い種目やフィールドの状況を把握する力が求められる種目が対象らしいですね。
一方で身体障害者でも明確に対象外なのが聴覚障害で、デフリンピックという世界大会を独自に開催している。
聴覚障害は運動能力のハンデキャップにはならない一方で、スタートの合図などは工夫が必要なので健常者と同ルールでの実施は難しい。
このことが独自の大会を行う理由になっており、手話によるコミュニケーションも特色だという。
こういう経緯を見たときに、オリンピックとパラリンピックは決定的に違うなと思うわけである。
確かにパラリンピックにはオリンピックにない特色のある競技もあるし、それはそれで面白いんですけど、
クラス分けにより排除されたからといって、健常者と同じく競技できるわけではない人もあるわけだし、
同じ競技でも障害の重さによって複数のチャンピオンが出てくるということの難しさもある。
ロンドンパラリンピック~東京パラリンピックにかけて、パラリンピックについての報道も多くなる中で、
これは無理があるんじゃないかという思いが強くなっていったのが正直な感想である。
そんな中で注目を浴びたのが義足の陸上選手のオリンピック挑戦だった。結局は実現しなかったんだけど。
義足で健常者と争うルールがないということが問題だったんじゃないかと思う。
義足が身体能力以上に跳躍力を高めているのではという疑念があって認めるに至らなかったような話を聞いている。
とはいえ、障害の性質や競技の特徴によってはこういうことも真面目に考えていくべきところはあると思う。
ここまでできる人はごくわずかだろうけど、オリンピックで世界チャンピオンを目指す道もあった方が夢がある。
オリンピックを開催したのだから、パラリンピックを開催するのもお役目という考えはあると思うが、
一方でオリンピックだって医療スタッフに十分な協力が得られるかが問題だったところ、
開幕時点ではなんとかなると思ったものの、閉幕時点では厳しい状況になってしまった。
無観客化で体調不良の観客が出なかったからなんとかなったけど……と言うのはあるが。
オリンピックは「アルマゲドンでもない限りやる」という統括団体の強いメッセージがあった。
この発言への非難は相当のものだったが、一応は統括団体としての決意ではある。
しかし、パラリンピックについては統括団体の考えはほとんど報じられていない。
これはオリンピックの閉会式後にあっさりと中止を発表してしまうのではとも思っていたほどである。
もちろん障害者スポーツにとっても1年延期のパラリンピックは貴重な機会である。
実施できるに越したことはないが、そのためには大変な覚悟が必要である。
果たして、国際パラリンピック委員会と各競技団体にはそれだけの覚悟があるのか。
僕は疑っているのだが、それは考えすぎだろうか?