大原と京都御苑と

昨日、特には書かなかったのだが親元に厄介になって関西滞在しているが、

京都に行くとなるとちょっと遠くて、少し早起きして出発。

あらかじめ仕込んでおいた 京めぐり を使い、竹田で烏丸線に乗り換えて終点の国際会館へ。

そして大原行きのバスに乗る。けっこう並んでいたが座れた。

ただ、乗客の半分以上は八瀬駅で降りてしまった。

叡山電車でよいのでは? と思うけど京都駅とかからだとなかなか不便なのかも。


というわけで大原にやってきた。今までなかなか来ることがなかったところである。

大原は京めぐりの広告でもよくモデルになっているが、近鉄と直通運転していて、かつ地下鉄・バス乗り継ぎのメリットが大きいということがあるんだと。

大原では しば漬け が名物らしいのだが、そのことに関連して看板があった。

大原のシソは良質だが、このためには交雑を避ける必要があるので、他のシソ科の植物を栽培しないようにという内容だった。

基本的にはそんな山村だが、比叡山との関係で寺があり、その筆頭が三千院と。

庭園を楽しむ人が多くいたが、紅葉が本格化するのはこれからとしても、秋らしい景色だった。

往生極楽院の中に大きな阿弥陀如来像があってびっくりしたら国宝だという。

で、この建物も重要文化財なのだが、最後に円融蔵の展示を見ると、

実は往生極楽院にはこんな天井画があったが、ススで見えなくなったとある。全く想像できないが。


三千院を出て先に進むと、いくつか寺があるが、そこで宝泉院を拝観することに。

拝観料に抹茶が付いているという話で、庭を見ながら一服。

そんなに広くないんだけど、庭だけは充実しているという感じ。

ちょうど出るところで団体客が大挙してやってきて、これにお茶を出さないといけないので大変そうだなぁとみていた。


大原へのバスは国際会館駅からのバスと、出町柳・四条河原町・京都駅からのバスがある。

後者は京都駅発着が基本で、渋滞の影響を受けやすそうだなぁと。

生活路線として便利なのは四条方面に行く後者なのは言うまでも無いが。

というわけで帰りは京都駅行きのバスに乗り、出町柳駅の手前、御蔭橋で降りる。

下鴨神社の最寄りバス停ということでちょっと寄り道してきた。


出町柳の商店街で昼食を食べて、そのまま歩いて行くと百万遍に到着した。

これは急に思いついたのだが、百万遍といえば京都大学、というわけで京都大学総合博物館を見ていくことに。

大学構内にあるのかと思ったら直接道路から入れるようになっていた。

展示の多くを割いていたのがフィールドワークである。

京都大学の研究チームは日本各地、世界各地で生物に関する研究をしている。

それで集めた標本など展示して、どういうことがわかったかと並べていると。

ただ、そこでサルの研究についての展示を見て、霊長類研究所の研究費不正と、その後の霊長類研究所の解体のことが頭によぎった。

自然科学を手広く追及するがゆえのマネージメントの難しさもありそうだと。

自然史についての展示が多くを占めていたが、それに次ぐのが埋蔵文化財である。

発掘時期は比較的古いが、今ならば行政主体で調査をするところ、昔は大学が調査していたというのもあるんだと思う。

重要文化財に指定されている奈良県田原本町の唐古遺跡(唐古・鍵遺跡)の出土品も、

近年の調査は田原本町や奈良県立橿原考古学研究所で行われ、これらの機関で保管されている。

奈良盆地の弥生時代と奈良時代

今も大学の研究者が埋蔵文化財の調査に関わることはあるだろうけど、

こういう形で大学に持ち帰り展示するという形にはならないだろうなと。

いずれにせよ京都大学の活動の手広さを表すものではあるが、今の考えではこうではないんだろうなと。


百万遍から今出川通のバスに乗って京都御苑にやってきた。

京都御所の見学ということで、わりと時間ギリギリだったがやってきた。

見学者の多くは外国人に見えた。ここに限って言えば日本人の方が少ないな。

明治以降は天皇が東京に住むようになり、大正・昭和こそ即位の礼で使われたものの、

平成・令和の即位の礼は東京で行われたから、儀礼の場という意味もなさそうだ。

京都行幸時の宿泊場所という役目は京都大宮御所に持たせたから、ここにはない。

高御座の常置場所というのが京都御所に残された最後の役目かも。

建物も庭園も立派だからもったいないけど、使い道がないからこそ見学して皇室の儀式や暮らしを学ぶことができると言える。


ところでこの御所がある一帯は国民公園の京都御苑となっている。

国民公園とかあまり意識してなかったんだけど、ちゃんとした理由があって、このことは丸太町通側にある閑院宮邸跡収納展示館に書かれている。

もともとこのあたりは公家町で、御所に通勤する公家が住んでいたと。

ところが公家たちも東京に移り住んでしまい、この一帯は荒廃してしまった。

かといって築地塀で囲まれているから周辺市街地と一体化するわけでもない。

そこで明治天皇の命を受けて建物を解体し緑化、公園にしたわけである。

これが京都御所を囲むようにある国民公園「京都御苑」のルーツだったそう。

後に京都迎賓館が敷地内に作られている。


丸太町通に出てバスに乗って岡崎公園の北側にやってきた。

今日は金曜日なので京都国立近代美術館も夜間開館日で安心。

前に来たときから展示替えをして企画展は「京都画壇の青春」に。

明治時代になって西洋画が流入してきて、古くさいと思われがちだった京都画壇、

当時の若い画家はどうやって新しい日本画を開拓していったかという話である。

東京と異なり1907年以前の作品も多く所蔵しているので、この過渡期の展示をするにはよいのだろう。

西洋画を意識するが余りやりすぎた作品を多く並べた感はある。

改めて見ると、これは日本画でやることじゃなかったねというのは多い。

最終的には落ち着いて行くのだが、このときの挑戦が現代の日本画につながっていることは見て取れる。


京都での目的地を決めたのはおとといの夜ぐらいだったのだが、

そういえば行ったことなかったなぁというところはまだまだありますね。

フリーきっぷも効果的だったし、こういうのはいいですね。