瀬戸焼と愛知万博をたどる旅

今回の旅行の計画を立てる中で、愛知県方面で目的地の案がいくつかあって、

経路的に帰り道に挟み込むのが有利ということで、いろいろ考えて、これならいけそうという計画ができた。

ただ、出発前に天気を見るとピンポイントで月曜が雨、ひどい雨にはならなさそうだけど……

なんて思いながら近鉄で名古屋に向けて出発した。


最初に向かうのが瀬戸である。近鉄で到着するのは名古屋駅だが、瀬戸行きの電車が出るのは栄である。

ずっと混んでいる東山線にバイクを担いでいくのも考え物だし、ちょっと走るかと広小路口でバイクを出して広小路通を少し走る。

このバイクは名古屋駅を担いで運んだことは何回もあるけど、愛知県内を自走するのは初めてである。

広小路通りを走って思ったのは駐車帯の広さである。路上停車の車両はたくさんあるが、それでも2車線フルに確保できている。

今どき、駐車帯を自転車専用通行帯に作り替えるところも多いが、名古屋都心を自転車で走る人はそう多くないようで、これが実態に合っているのだろう。

右折分離式の信号制御など車優先もここまでやるかという感じである。

霧雨のような雨の中、オアシス21に到着、エレベータの前でバイクを畳んで地下に降りるぞと思ったら上にしか行けない!?

どうも銀河の広場の中央にあるエレベータだけが地下につながっているようだ。思いのほか遠かった。

地下に降りてからも広場の中央から端まで歩かないといけないから遠い……

で、広場を出るとすぐに見えてきたのが「栄町駅」、これが名鉄瀬戸線の始発駅である。


瀬戸線は名鉄の路線だが他路線とつながっていない孤立路線、前身となった会社にちなんで瀬戸電と呼ばれることもある。

もともと「お堀電車」と呼ばれ、名古屋城の堀を走っていた区間があったのだが、この区間を廃して栄への乗り入れが実現。

なぜ栄町駅なのかというと、元々地下鉄がこの駅名だったかららしいのだが、開業時にはすでに栄駅になっていたので謎である。

そんなわけで瀬戸行きの電車に乗る。ちなみに瀬戸線は追い越しができないのに急行・準急なんて優等列車がある。

そんなわけで終点、尾張瀬戸駅に到着。わざわざ尾張って付ける必要あるのか? と思うが、おそらくこれも歴史なのだろう。

到着して瀬戸市の観光地図を取ると、すぐ近くに瀬戸蔵ミュージアムがあり、月曜でもやっているようなので、ほんの少し自走していく。


瀬戸は言わずとしれた焼き物の街である。その道具や歴史を示す資料がいろいろある。

で、入るといきなり緑色の電車がある。これは瀬戸線をかつて走っていた電車である。

実はこれも焼き物作りの歴史である。瀬戸線はもともと焼き物の輸送に活用されてきた歴史がある。

お堀電車は舟運との接続を考えた結果だったらしい。

尾張瀬戸駅の改築前の駅舎を再現し、栄延伸以前の瀬戸線で使われていた電車とセットで展示していると。

これもよく残ってたなと思うのだけど、瀬戸線を去った後に名鉄の他路線に移されたが、その路線が廃線となり、保管されていた車両を譲り受けたらしい。

展示されている道具はある程度、機械化が進んだ時代のものが多くある。

瀬戸焼の強みが 鋳込み製法 という石膏型に泥を入れる成型方法と、鉄分が少ない土がとれるため、白い焼き物が作れることらしい。

ポットのような複雑な形状の成形物や、「瀬戸ノベルティ」と書かれていたが人形に代表される置物に強みがあり、輸出もされた。

あと「電磁器」と書かれていたが、ガイシなど絶縁体としての焼き物、これも瀬戸では多く作られているという。

昔は家庭内の配線などでも磁器が使われていたが、現在はこれらは専らプラスチックで、磁器は耐候性の要求が厳しい部分でのみ活用されている。

ただ、現在も瀬戸では工業用途の焼き物が多く作られているそうで、愛知県らしいなと思う。


次に向かったのが瀬戸市美術館「長江録彌・長江眞弥展」なんてのをやっていた。

焼き物が盛んな瀬戸なら、展示物は焼き物が多いと思ったのだが、常設の展示物を含めてほとんどがブロンズ像みたいな彫刻である。

ちょっと不思議な気がしたのだが、よく考えると理にかなった話だった。

ブロンズ像など作る場合はまず粘土で形を作って、それを石膏でかたどりして、鋳造用の型を作る。

粘土を成形するという点では焼き物と同じなんですね。使う粘土などは違うけど。というのを道具を見て気付いたと。

表現手法としてはそれぞれ一長一短ある話だと思う。粘土を焼くと収縮などで変形してしまう。

粘土で作った原型を型取りして作る場合は形状の表現性はとても高いと言える。

ただ、焼き物は色の表現力が高い。これだけのために焼き物をする人だっているぐらい。

ともあれ瀬戸では焼き物の造形から彫刻、絵付けから絵画の道を選ぶ芸術家がしばしばいるようだ。

長江録彌氏の作品を見ると「乾漆」「FRP」なんて手法が書かれていて、なんだこれ? と思ったのだが、

粘土の原型から型取りした石膏型に麻布と漆を塗り固めると乾漆、ガラス繊維と樹脂を塗り固めるとFRPである。

この乾漆像で評価された方のようだ。後にFRPを導入したということなのかなと。

息子の長江眞弥氏(この方は川崎市出身)は絵画の中に描いたキャラクタを立体化して関連付けたりしていて、

このあたりは題材は全く違うにせよ父親の仕事を見ていた部分はあるんだろうな。


次の目的地まで走って行く間にちょっとルートを曲げて……目前に見えてきたのは瀬戸デジタルタワーである。

テレビの送信所というと、生駒山のような高い山の上に設置されるものが多いが、

平地が広がる場合は、東京スカイツリーのような平地の高い塔に設置されることもある。

もともと名古屋のテレビ局はテレビ塔など名古屋市内の塔から電波を飛ばしていた。

地上デジタル放送のとき、今のテレビ塔のままでは難しく、かといって山の上に作ると範囲外に飛びすぎる。

そこで瀬戸市の高台にそれなりの高さの塔を作るという案が考えられ、それが瀬戸デジタルタワーである。展望台もないからただの塔ですが。

まぁそんなわけでこの辺はけっこう上り坂が続き、到着したのが瀬戸万博記念公園である。

愛知万博瀬戸会場の跡地で、シンボルである「天水皿n」があるのだが……

排水のことがあまり考えられていないのか汚れが溜まっていたり、飛び込んでしまったボールが何個もあったり、あんまりな見た目である。

展示室もあるが、そこで目立つのが「国際博覧会を瀬戸で」など2005年の愛知万博は元々瀬戸開催で考えられていたことを示す資料である。


というわけで次の目的地は長久手会場跡地の愛・地球博記念公園(モリコロパーク)である。

途中の案内表示では「ジブリパーク」という表示の方が目立つ有様だが、公園自体は愛・地球博記念公園である。

北ゲートを入るといきなり見慣れない建物が。なんだ? と思ったらエレベータだった。

ただ、このエレベータもジブリパークを構成する施設らしい。公園利用者なら誰でも使えるけど。

降りると、スケート場と「ジブリの大倉庫」からなる建物がある。万博当時はグローバルハウス、マンモスの展示などに使われていた施設である。

グローバルハウスはテーマ館だから1970年の大阪万博で言えば太陽の塔みたいなものともいえる。

ただ、これ自体はもともと愛知青少年公園にあったスケート場・プールを一時的に借りたものである。

で、閉幕後はスケート場とプールに戻されたのだが、プールの方はジブリの大倉庫になってしまったのだという。なんで?


ここまでの謎を一掃してくれるのが「愛・地球博記念館」、迎賓館を再利用して作られたらしく、えらく上質な建物である。

まず1つ目の謎、なぜ瀬戸でやるつもりが長久手が主会場になったかということ。

もともとは瀬戸の森林を開拓して万博会場にするつもりだった。宅地開発なども目論んでいたのだろう。

ところがオオタカの営巣地であることが判明、開拓を断念し、元々の計画地の一角だけが瀬戸会場となった。

その代わり、愛知青少年公園を主会場とすることになり、いったん公園は閉園、後に愛・地球博記念公園として復活している。

「自然の叡智」というテーマもこの騒動から来ている部分がある。環境調和型の博覧会を目指したわけである。

2つ目の謎、なぜグローバルハウスはジブリの大倉庫になったのか?

これはプールの老朽化によりプールをやめることになったから。ジブリパークに居抜きで入ってもらったのである。

万博後、パビリオンの跡地は駐車場や運動施設になったものもあるが、使われず残った部分もあった。

万博会期中に人気を博した「サツキとメイの家」は万博後も盛況だったことから、

これを軸として、さらに万博後に使い余している部分をジブリパークにしてもらったというのが実情のようである。

考えようによっては情けない話だが、サツキとメイの家がきっかけとなった万博のレガシーである。


ジブリパークの施設は予約制なのでふらっと入ることも出来ず、あれこれ散歩。

ちょうど公園に着いた頃には雨も上がっていたので散歩するにはよかった。

公園南側に歩道橋代わりにグローバルループの一部が残されているが、あれ? 鉄板がない。

グローバルループ中央にはグローバルトラムが走っていたが、走行により変形など生じたため対策として鉄板を貼ったのである。

しかし、グローバルループの保存時にはその鉄板を取ってしまったようだ。トラム走らないし不要なのはそうだけど。

そんなこんなで万博時代の面影も怪しいところはあったが、なんとなく思い出した気がする。


あとは新幹線で帰るために三河安城駅まで走る。30kmほどあるのでけっこう遠い。

雨は降ってないが、日中暖まらなかったこともあり、かなり寒い中走ることになってしまった。

途中、ブルブルして仕方ないので、すき家に入って夕食で豚汁を付けて暖まって再発進。

無事に三河安城駅に到着して在来線側でバイクを畳んで、歩いて行けば新幹線に乗れる……

と思ったのだが連絡通路が想像よりずっと長くて困惑。ほとんど在来線と別の駅だったらしい。

タッチの差でこだま号を逃して、およそ30分待ちになったが、無事に東京行きのこだま号に乗れた。

ちなみに自由席である。キャリーケースだと指定席で荷物スペース付き座席が必要だが、折りたたみ自転車は必須ではない。

ゆえに自由席で後ろのスペースに置くのは一応OKである。こだま号ならそれでもなんとかなる。