現代に通ずる源氏物語

無事に帰ってきて、松弁ネットで買った弁当を食べたら、

平日じゃないとできない用事があり市役所に向かい、終わったら買い物。

なんやかんやと慌ただしいのだった。


土曜に書こうとして書けなかった話なのだが、京博で源氏物語についていろいろ展示を見て思ったのは、

現代日本のメディアミックス作品に通ずるところがいろいろあるということである。

もちろん印刷や映画のなかった時代、できることは限られていたが。


印刷がなかったので、文章は写本という形でしか伝わらない。

その写本を見て、ひらがなに対して漢字で注釈が書かれたものがあった。

以前書いたのだが、漢字かな交じり文は漢文の訓読に由来するところが多い。

カタカナか漢字かは言葉の歴史か

その漢文に送り仮名を振るのにカタカナを使うなどしたところである。

源氏物語はひらがなを使って日本語で書いたわけですね。

ただ、ひらがなばかりでは読みにくいと思ったのか写本を作るときに漢字を補記していたと。

どうも紫式部が当時としては相当教養のある女性で、ゆえに漢詩などの知識もあったそうで、

それがゆえに男性貴族にも評判で、多くの写本が作られるに至ったそう。

そういう人たちが読むには漢字の方がよい部分もあったようだ。現代の日本語に通ずるものがある。


この結果として生み出されたものが絵巻である。いろいろあるんですね。

小説があれば絵を付けたくなるというと、これは現代にみられる小説のコミカライズそのものである。

この時代には現代の漫画のフォーマットはないが、概ね同じことをやっている。

1つの小説にいろいろ絵巻があるのも、現代のコミカライズに通ずるものがある?

まぁ作り方の違いでいろいろあったという側面もありますからね。

全部余すことなく絵巻にするんだと目論んだ 盛安本 はまさに方針の違いでしょうが。


現代ならそこにアニメやドラマで映像化という話もあるがそうもいかない。

ただ舞台化というのはあって、それが源氏物語に由来する能の演目がいくつかあるという。

そういう能にまつわるものがあれこれと並べられていた。

その能の演目の1つに「源氏供養」というのがあるという。

源氏物語を書いた紫式部は地獄に落ちたという話があったらしい。

どういうことかというと仏教の教えに「不妄語戒」というのがあり、

人をたぶらかすような小説を書いた紫式部は地獄に落ちるだろうという話があり、

それでは申し訳ないということで、供養してあげようという話だったそう。

宗教的なタブーなのでこんなの読んではいけないとなるのではなく、

その罪を打ち消すような供養をすればよいという話で、これで救われた人はけっこういるんだそう。

こういう発想がなければ現代まで源氏物語は残らなかったかもしれない。


以前、男同士・女同士の恋愛を扱った作品が多くあることが日本の特色であるという話を書いた。

日本ではあまりタブーではないから?

日本で暮らしているとよくわからない話なのだが、ある程度確からしい話である。

世界的に見れば宗教的なタブーで作られないタイプの作品というのはいろいろある。

一方、日本でそういうものはあまりなく、源氏物語の扱いからしてもそれはそれという感じである。

日本には様々な神仏がいて、どうとでもとれる部分が多いのは確かだが、

さっき出てきたような仏教の基本的な教えなどは普遍的なものに思える。

ただ、それでさえ供養すれば問題なしとなってしまうのだから無茶苦茶である。


あと現代にも通ずるのが源氏物語をモチーフにした工芸品の数々で、

現代でもアニメやらのグッズはあれこれと作られている。

貴族文化ありきの工芸品は時代的な事情ではあるが、

やりたいこと自体は現代のグッズ展開とそう変わらない。

小説を書いて、漫画にして、舞台にして、グッズ展開をする。

本当にやってることは変わらないよね。


とはいえ、現代に照らしてみると、印刷をはじめとした量産品が文化財としての価値を持つことは通常考えにくい。

本・映像といったところは主に図書館が伝承していくべきものである。

自筆原稿というのはもしかすると文化財としての価値があるかもしれないが、

現代はなにもかもデジタル化されていて、そういうものはほぼ存在しない。

そんな中で文化財としての価値を持つのが舞台の衣装などではないかと思う。

その中でも歴史を作ったと言える表現に寄与したものは重要文化財になりうるかもしれない。

果たしてそれは何なのか? まだ明らかではないかもしれない。