塩とうすくち醤油の町

さて、倉敷での滞在も楽しんだところで、明日からの万博に向けて移動するが、

当然それは寄り道もあって、けっこうハードである。


倉敷から朝のラッシュの少し混み合った電車に折りたたんだバイクを担いで乗る。

当初検索したときには岡山で乗換となっていたが、駅に行くと播州赤穂行きと書かれた電車がいた。

これが検索時に岡山から乗るとなっていた電車そのものなのだが、なぜ乗換させようとしたのか。

それは岡山で切り離し作業をしているうちに後続列車が来るからである。

てっきりこの後続列車というのは山陽本線の姫路方面に行くのかと思ったら岡山止めだった。

岡山~姫路の路線図を見ると山陽本線ルートと赤穂線ルートがあり、通常は山陽本線の方が早いが、

ちょうど山陽本線ルートの列車が空く時間らしく、姫路まで行くにも赤穂線ルートの方が早いらしい。

そういうこともあるんですね。とはいえ、それも関係なくて、なぜならば次の目的地は赤穂だから。


というわけで赤穂に到着、荷物をコインロッカーに入れてバイクを組み立てる。

赤穂駅を出て走って行くと、パイプから水が吹き出ていてなんだ? と気になるも、

道路の真ん中で止まるわけにもいかず、走って行くと「息継ぎ井戸」というのがある。

これは赤穂事件の原因となった赤穂藩主 浅野内匠頭の刀傷事件を知らせる使者が一息ついた井戸ということなのだが、

この井戸、一般的な意味での井戸と異なり、川の上流で組んだ水をパイプでつないで汲めるようにしたものである。

というのも赤穂のような海に近いところでは、井戸は塩水が出るし、川も塩水遡上がある。

なのでこういう方法が取られていたと。それを保存して道路の真ん中で出してたんですね。


そんなこんなでたどりついたのは赤穂海浜公園である。地図で見るとデカイ丸池が2つあるのが目立つが。

ここに赤穂市立海洋科学館というのがある。名前からイメージが付くかわからないが塩がテーマである。

ゲート前にバイクを停めて、園内を歩いて行くと潮の香りがだんだん強くなっていく。

すると巨大な木造の構造物が見えてくるが、これは流下式塩田で、科学館の展示物であり、現役の塩田である。

木造の構造物の周りには流下盤と呼ばれる砂を敷き詰めた部分がある。ここでまず海水を濃くする。

その上でポンプでくみ上げて枝条架にかけることで効率的に水分を蒸発させる。

流下盤は夏向き、枝条架は冬向きで、2つ組み合わせて年中塩作りをしていたのだろう。

他にも入浜式塩田も大きいものがあり、こちらも塩田体験に使われている。一応は現役の塩田?

もう1つ古い揚浜式塩田はさすがに展示だけのような気はするけど。


このあたり見てから海洋科学館に行くと、このあたりの塩田の歴史を説明してくれた。

もともとこのあたり一帯は東浜と呼ばれる広大な塩田で、そのごく一部が公園として整備された。

1972年に塩田が廃止され、その跡地は工業地や住宅地になった。東浜は住宅地になった部分が多いようである。

その東浜に公園を整備するとなり、塩田の歴史を継承するために1987年に塩田が再現された。

近くに東浜の塩田の写真があったが、流下式塩田が立ち並ぶ光景が写されていた。

赤穂では東浜と西浜に広大な塩田があったが、東浜ではにがりを残した塩を作り、関東・東北で人気だったそう。

西浜では普通の塩を作り、関西を中心に広く使われ、醤油やそうめんなど播磨の地場産業にも使われたという。

科学館の入場者には袋に入った塩が渡されたが、これは流下式塩田と釜屋で作られた塩だという。

そう、現役の塩田というのはそういうことなんですね。科学館のおみやげという形だが塩を製品化してるんですよ。

そして、この科学館の入館者は塩作り体験として、流下式塩田でできたかん水を炊いて塩を作る体験ができるという。


その時間まで科学館の中を見ていたが、海洋科学館という割には陸上の自然史の話もけっこう多い。

赤穂市のローカルな自然史博物館としての機能も持っているのだろう。

瀬戸内海の特徴を示した資料があり、干満の差の大きさを図示したものを見ると太平洋にくらべてだいぶ大きいことがわかる。

入浜式塩田は干満の差の大きさが必要で、このため瀬戸内海での製塩が盛んに行われたという。

断面を示した図を見ると明石海峡がずいぶん深いことがわかる。これは明石海峡大橋が難工事になった理由でもある。

やはり気合いが入ってるのが塩についての展示で、各地の岩塩やオーストラリアから輸入している天日塩を置いたり、

食塩の工業用途での重要性を説いたり、赤穂の製塩業の年表があったりする。


ところで赤穂って今でも塩を作ってるんでしょうか? 気になって後で調べてみた。

赤穂には日本海水の工場があり、ここではイオン交換膜法での製塩を行っている。

この日本海水の前身となった会社には赤穂西浜塩業組合があり、まさに赤穂の塩である。

一方の赤穂東浜塩業組合は塩田の時代から海水の成分を利用した化成品を作っており、

塩田がなくなってからも 赤穂化成 という会社で事業を継続してきた。輸入した天日塩やにがりを利用していたのだろう。

その赤穂化成に昔ながらのにがりを含んだ塩を求める団体から要請があり、

輸入天日塩とにがりを利用して、赤穂の伝統製法である差塩製法で作ったのが「赤穂の天塩」である。

ちなみに海洋科学館は赤穂化成が命名権を買って「赤穂の天塩海洋科学館」と命名されている。

ルーツが東浜の塩田にある会社なので必然かもしれませんが。


塩作り体験なのだが、かん水をかき回しながら加熱していくというものだが、

濃度18%とかになっているので案外塩が出てくるので驚いた。

あと、にがりも含めて全部塩になってしまっているのだが、そういうこともできるんだなと。

ただ、吸湿性が高いので開封後の保管には注意をとのことだった。

袋詰めするときに零れてしまったのをなめたが、かなり苦いなと思った。にがりを加えるにもバランスが重要ではないか。


赤穂城を見物しつつ、播州赤穂駅へ。

アース製薬が「忠臣蔵のふるさと」「アース製薬発祥の地」と駅名標や看板に入れる権利を買ったので、ずいぶんにぎやかである。

電車に少し乗って竜野駅で下車。竜野駅というのは播磨の小京都として知られる龍野の玄関口……というには少し遠い。

実際には姫新線の本竜野駅が竜野の玄関口だが、歴史的経緯からこういう命名になっている。

もっとも龍野市・揖保川町などの合併で たつの市 となったことで、現在が竜野駅が市の玄関口といってもよさそうである。

その竜野駅から揖保川沿いにバイクを走らせて、案外近いなと思った。わりと龍野から自転車で使ってる人も多そうである。

駐車場が見えたのでちょこんとバイクを置いて歩いて龍野の城下町に向かうが、けっこう離れている……


なかなか寂れた感じもある古い市街地だが、ずんずん歩いて行くと城が見えてきた。

龍野城という建物はあるが、1975年に再建されたもので、女学校の敷地になったりいろいろあったよう。

ちょうど龍野に近づくときに川向こうのヒガシマル醤油の大きな工場が見えたが、

龍野は うすくち醤油 の発祥の地で、現在も一大産地である。それがあのヒガシマル醤油の工場なのだが。

そのヒガシマル醤油の古い社屋を利用した「うすくち龍野醤油資料館」というのがある。

今に比べれば手工業的ではあるが、わりと近代的な機械も導入されている。

うすくち醤油の特徴は、もろみを絞る少し前に甘酒を入れること。

原材料に米を含むという説明だが、具体的にはこうじを付けた甘酒としてぶち込んでいる。

なんでそんなこと思いついたんでしょうね。味を調えるのに効果的だからという話らしい。

播磨の大豆・小麦・米、赤穂の塩、揖保川の水 でこうして醤油を作っていたのだという。

ちなみに竜野駅は醤油の出荷に使われていたこともあり、そのための倉庫もあったんだとか。


龍野は2019年に重伝建地区となっている。歩くところによっては風情ある町並みである。

小京都とはいうけど、そこまでという感じはある。

バイクに再び乗って、ヒガシマル醤油の工場の横を通って本竜野駅へ。

ここでバイクを畳んで姫新線にのる。ちなみに姫新線のこの区間はICOCA対応である。

姫新線は2両編成でやってきて本竜野でもそこそこ混んでると思ったが、

姫路市内に入り、余部・播磨高岡とドカンドカンと乗ってきてひどい混雑である。

姫路駅でみんな降りて、バイクをえっちらおっちら運んで、米原行きの電車に乗ったら、

新快速ではなく普通(快速)だったが、まぁ新快速は混むからこれでいいかと少しのんびり進む。

そして尼崎市内の駅で降りて、バイクを組み立ててホテルまで。

ホテルは阪神沿線なのでちょっと遠い。普通なら三宮で乗換でしょうね。


そんなこんなで少し大変な1日だった。

土壇場で大浴場のあるホテルに変えたのだが、すぐ風呂に入れるのは本当にありがたい。

尼崎という土地柄、甲子園球場と大阪ドームでの野球観戦、今だと万博のための宿泊が多いようで、

実際、明日・明後日と万博に行くのに尼崎に泊まっている。

この尼崎というのが重要なポイントなのだが……明日は少し尼崎を楽しんで大阪へ行く。