区域をガチャガチャいじったかいじらなかったか

東京都の特別区は23ある。

今でこそ特別区は市と同じく基礎的自治体だと考えられるようになったが、

もとをたどれば東京市の区で、これは本質的には他の指定都市の行政区とそれほど差はない。

もっとも東京市がなくなったのは戦前の話だし、当時は地方自治という概念が今ほど発達してなかったので、今とはかなり違いそうだが。


その特別区の中に世田谷区という区がある。

特別区の中でも多摩地方と隣接しているかなり郊外の区である。

1992年までは特別区の中では最大の面積を有していた。現在は埋立の進展で大田区に抜かれたよう。

当たり前だけど古くから江戸だった地域ではなく、1932年に荏原郡を東京市に編入したときに世田谷村の区域をもって設置された区である。

後に1936年に北多摩郡の2村を編入している。そして現在の世田谷区の区域は決まった。

その後、東京市と東京府の合併、終戦、35区を22区にする区の再編、地方自治法の施行、といろいろあったけどその時の区域を保っている。


そうなんですね、1936年から60年以上区域が変わらなかったんですよね。

世田谷区は当初の人口は13万人ほどだったらしい。大きいなと思うけど、これでも東京市の区としては最も人口が少ないぐらいだった。

それが戦後、人口が急増し、そして現在は人口88万人という特別区で最も人口が大きい区となった。

平成の大合併のとき指定都市になるには人口70万人あれば足りるということになっていた。実はそれより多い。

なので適当な市町村と合併して特別区やめれば指定都市になれたのよね。しなかったけど。

区域が比較的広いこともあり区内を5つの区域にわけ、それぞれに総合支所を置いている。

けど実はこれって堺市が指定都市になる前にやってたことと似ていて、世田谷区が指定都市を狙っていることが見えてくる。


世田谷区ももとをただせば東京市の出先機関にすぎなかった。今の指定都市の行政区に近い考えだろう。

そもそも行政区というのは広すぎる市の事務を分担してやっていこうという考えによるものだ。

その考えによれば世田谷区ほどのサイズの区が存在するというのはおかしな話で、人口が増えたのならそれに応じて分割しないとうまくいきそうにない。

世田谷区自身、総合支所なんてものを設けて実質的な分区を行ってるわけですからね。

ただ、特別区は選挙で選ばれる区長・区議会があるもんだから、そう分割しようとしても簡単にできない。

特別区の分区は地方自治法施行から3ヶ月後の1947年8月に板橋区から練馬区が分離されたのが唯一の例である。

そんなもんだから世田谷区はこの大きさのまま放置されてきたというのが正しい見方かなと思う。

今となってみればこの大きさのおかげで基礎的自治体としての機能を強化できているのだろうけど。


一方で時代の変化にあわせて区域をがちゃがちゃいじってきたのが大阪市である。

大阪市の変遷 (イッシーのホームページ)

もともと大阪市は東区・西区・南区・北区の4区からスタートした。

それを1897年に周辺の町村を合併して第一次市域拡張を行った。

このとき、現在の都島区・北区の一部・福島区となる地域を北区に、港区・此花区・大正区となる地域を西区に、天王寺区となる地域を東区と南区に、浪速区となる地域を南区に合併している。

この時点では拡張しても4区だった。

その後、1925年の第二次市域拡張のとき、西成郡・住吉郡・東成郡を大阪市に編入した。

このときにまず最初に合併した地域から此花区・港区・天王寺区・浪速区を分割した。港区は現在の大正区を含んだ状態で分離された。

そして合併した地域は、西成郡は淀川のあたりを西淀川区・東淀川区、取り残された現在の西成区に相当する部分を西成区とした。(参考記事 : 西成区ができるまで)

そして住吉郡・東成郡はそのまま住吉区・東成区とした。それこそ世田谷区のような大きな区が生まれた。

が、今となってはその姿はもはや原型を留めていない。


1932年、港区から現在の大正区が分離され、東成区から旭区が分離された。

この旭区には現在の旭区の他に城東区・鶴見区を含んでいた。大正区と港区はこれでほぼ現在の姿になった。

1943年、旭区と北区から分離して都島区、北区と此花区から分離して福島区、東淀川区・西淀川区の淀川以南の区域を分離して大淀区、

東成区から分離して生野区、旭区と東成区から分離して城東区、住吉区から分離して阿倍野区・東住吉区ができた。

さらにこれを1974年に東淀川区から淀川区、城東区から鶴見区、住吉区から住之江区、東住吉区から平野区を分離して26区になった。

1989年にドーナツ現象で人口が減っていた北区と大淀区を合併して北区、東区と南区を合併して中央区となって現在の24区となる。

これをたどるとわかるが、最初の住吉区は住吉区・東住吉区・阿倍野区・住之江区・平野区の5区に、東成区は東成区・旭区・城東区・鶴見区の4区に分割された。

こうして大阪市の行政区は此花区の約66000人から平野区の約199000人まで、平均11万人程度に保たれている。


大阪市の行政区は身近な行政サービスの提供に主眼を置いているようで、他の指定都市に比べると区の大きさは小さめかと思う。

これは行政区というものの市の考え方の違いですけどね。

そういう方針で行政区を運営していこうとした結果が、分割・併合の繰り返しだったのかなと思う。

現在もその考えを概ね保ててると思う。

あとここには書かなかったけど、住居表示にあわせて区界変更も行っている。

大阪市はかなりマメに変更してて、現在の道路に沿った区界はこれに由来する。


まぁ大阪市は極端にせよ、他の指定都市もなんしか区域の見直しはしているわけで、

それでも区域が変わらない東京都の特別区は異様だよなと。

そりゃ指定都市の行政区と都の特別区だから制度が違うんで同じように考えてはいけないんだけど、

特別区だって発祥は東京市の区なわけで、できたときの考え方はそう変わらなかったはずなのにね。

どうしてこんなにずれてしまったのだろうか? と、2つの大都市を見比べて思う。

まぁおそらく特別区に公選の区長と議会があって、特別区は市と同様の基礎的自治体と考えていたからでしょうけどね。

折り返し設備は客を救う

研究室で研究のネタ探しをして、17時すぎにいつものように研究室を出て電車に乗って帰りはじめた。

それで電車に乗ってしばらくして、乗り換え先の路線が人身事故でダイヤが乱れていると放送が入った。

「えー」と思ったけど、よく考えたらこれまで他線の情報って放送されることなかったよな。

車掌が連絡用携帯電話を持つようになったからか。(参考 : 近鉄電車の車掌が運行情報確認用の携帯電話を携行します(近鉄) (pdf))


ここで振替輸送に逃げるというのも手なのかもしれないが、どうせ近鉄じゃないと帰れないので。

ダイヤは乱れてるが動いているとも放送されてたし、たいしたことないで、と乗り換え駅に到着。

案内表示もなんしか表示されてるし大丈夫や。

とおもってホームに行くと「現場検証のため事故地点付近では全く電車が動いていません」と放送が流れている。

一旦運転再開しても警察に止められるってことはよくあることらしいけど。


ともかく電車が来ないんだからホームで待つしかないが、人がたまって大変だ。

都心のターミナルで運転再開のめどが立たない時に改札止めされたとか聞いたことあるけど、そりゃ改札止めもあるわな。

向かい側のホームでは事故地点に進入できないので、事故地点より先に行く人に迂回乗車を勧める放送が流れたりしていた。

先に列車が進めないと詰まってしまうから、この駅で運転打ち切りになって車庫かどっかに走っていく車両もあった。


どうせ先に進めないなら、そこにいる車両折り返して反対向きに走らせてよと念じていた。

駅到着後、10分ほどして、車庫から列車を出して走らせるよと放送が流れた。

幸いなことに事故地点と駅の間に車庫があったので、なんとかここから出してこれたらしい。

もしかすると、事故地点に進めない電車を打ちきりにして折り返させたのかも知れない。

とりあえず各停が1本走ってきて、これで無事に帰宅することが出来た。

予定よりも40分遅れぐらいで帰れた。まぁこの程度で済んで幸いか。


以前もこうして途中駅から車両を出してくれたことがあって、このときも助けられた。

このことからも折り返し拠点って緊急時に役立つよねって感じる。

ただ、車庫の駅と事故現場の間では事故現場での運転が再開されるまで電車が来ないのかもしれないと考えると、

うーんと思った。実際にはどうだったか知らんけど。


今年9月、JR西日本がいくつかの駅に折り返し設備を設置すると発表していた。

9月定例社長会見 (JR西日本)

尼崎・吹田・灘の3駅に折り返し設備を設けるという内容。

現在、吹田~京都で事故が発生した場合、そこより西で折り返し出来る駅は大阪駅しかない。

しかし大阪駅1つで折り返しできる本数は限られるため、普通・快速を優先して、新快速は全線運休にするという措置が執られているらしい。

それを普通・快速を吹田で、新快速を大阪で、と分担することで、大阪~吹田の各停と全区間の新快速の運行が確保できると。

灘駅の折り返し設備は灘~大阪で事故が発生した時、現在は西では西明石で折り返しを行っていて、西明石~灘は全く運転できなかった。

これを普通は灘で折り返すことで神戸市内までJRで往来できるようになるということだそう。

事故は起きないのが望ましいが、発生することは避けられない。そんなときの備え、あることはよいことだと思う。

発表しなくても発表実績

専攻科の学生で、今度電気学会の全国大会で発表すると言っている人がいる。

その人が、僕のところに来て、「予稿のフォーマットないのにどうやって予稿書けと?」と愚痴を言うから、

Webサイトを見に行くと、フォーマット置いてあって「あるやん」というよくわからない問答をしていた。


その代わりというわけではないけど、おもしろい情報を教えてもらった。

電気学会全国大会

この平成23年の全国大会がおもしろい話である。

この大会は2011年3月16日からの3日間、豊中市の大阪大学豊中キャンパスで開催されることになっていた。

ところがこの日付を見てピンときたかもしれないが、大会の5日前の3月11日に東北地方太平洋沖地震が起きている。

会場の豊中市は地震の影響はほとんどなく開催することは可能だったかもしれないが、

発表予定者やその属する研究機関がえらいことになっていれば発表どころじゃないし、そうでなくても交通網がずたずたにやられていた。

そんな状況で開催できるはずもなく、この大会は開催直前になって中止されることになった。

このとき、本科5年生にして発表を予定していた学生がクラスメイトにいたのだが、直前でお流れになって、残念だったに違いない。

実はこの中止の決定は地震の直後にあったわけではなくて、なんと前日に決まったと言うから、あるもんだと思って出発してた人もいたらしい。


そうして残念ながら中止された全国大会であるが、中止後の措置はこうなっている。

  • 論文集の発行はすでに行われていて、口頭発表・質疑応答なしでも発表は成立したことにする
  • 発表が成立したから発表証明も出すし業績として認めてよい
  • 発表が成立したし論文集は配布したから参加費は返還しない
  • 懇親会費は返金する
  • 発表証明・来場証明が必要な人には証明を出す

と、発表は成立したことにするかわり参加費は返さないよというよくわからない措置がとられた。


よくわからないとしつつも、発表者にとっても主催者にとってもこうするのが一番うまくいく方法なのだろう。

まず発表者にとってだが、発表不成立で業績とならないことになると、せっかくの機会が失われてしまうことになる。

うちの専攻科もそうなのだが、大学院などでは修了要件に学会などでの発表という条件があることがある。

そういう人たちにとっては形式上発表したことにしないとまずいということがあるかもしれない。それだけじゃないだろうが。

主催者にとってだが、これは単純に金の問題だな。

大会が実際に開催されなくても論文集の発行を含め各種の準備にはお金がかかっている。

まして発表されたのは1日前である。すでに使った金も多そうである。

そんなところで返金するとなれば、とんでもない損失である。それは避けたかったのだろうか。


発表者含め参加者にとってみれば参加もしてないのにお金を取られるというのは納得いかない面もあるだろうし、

主催者からすれば大会で発表していない人や来場していない人に証明を出すのは憚られる面もあるだろう。

ただ、自然災害が原因だけに、お互いにやむなしとするしかないんだろうと思う。


ちなみに電子情報通信学会総合大会も同じ措置がとられている。

こちらも発表成立とする理由、返金しない理由は同じである。よくある措置なのだろうか。

まぁこんなこと起きないに越したことはないんだけどさ。

220円均一じゃない均一系統のバス

京都の市バスは、循環系統、その他の均一系統、調整区間系統の3つに分かれる。

循環系統は市内を循環するバスで201~208系統という番号をつけられている。橙地の系統番号表示が目印。

208系統を除いて本数は多く、先日の京都行きでも循環系統ばかり使ってた。

循環系統含めて市内を走るバスの多くは220円均一になっている。

そんな220円均一で乗車できるバスを均一系統と呼んでいて、循環系統以外は系統番号が青地で表示されている。

郊外へ向かうバスは整理券を取るようになっていて、区間により運賃が変わる。これを市バスでは調整区間系統と呼んでいる。

調整路線系統は白地の系統番号表示が目印。整理券を取っても均一区間内は220円だけ払えばいい。


ところで調整路線系統ってなんで調整って言葉が入ってるんでしょうね。

京都市バスは原則220円均一と定められてるのだけど、民営バスのエリアを走るところは、運賃を民営バスに合わせることになってる。

だから実は郊外に行くバスだから運賃が上がるという見方は正しくないのよね。

平行するバス会社にあわせていることは地域ごとに初乗り運賃が違うことからも読み取れる。

市バス調整区間普通運賃(均一区間外) (京都市交通局)

洛北の京都バスは初乗り160円のようで、例えば5系統は均一区間外の初乗りが160円になってる。

同じ京都バスでも嵐山方面は初乗り190円のようで、93系統では確かに初乗り190円になってる。

高雄方面のバスは西日本JRバスとの協調運賃で、5系統を見ると、初乗り150円になってる。

洛西方面のバスは京阪京都交通との協調運賃らしい、初乗り160円になってる。

伏見区は京阪バスとの協調運賃で、初乗り200円になってる。

南1系統は


さて、市バス路線図見ていると、いくつかおかしなことに気付く。

まず1つ目が75系統である。京都駅から西大路五条、太秦天神川駅、常磐・嵯峨野高校を経て山越中町へ向かうバスである。

青線で表記されてるから均一系統らしい。

市バス路線図では均一区間にあるバス停と均一区間外のバス停を記号を変えて表記している。

ここで常磐・嵯峨野高校前までは均一区間のマークで、次の常盤野小学校前は均一区間外のマークで書かれている。

さらに均一区間乗り放題のカードの有効エリアも常磐・嵯峨野高校前までになってる。

ん? 均一区間外に出る均一系統? なんじゃそりゃ、とおもってさっきの運賃表のリストを見ると、75系統がリストにある。

運賃を見ると、区間により運賃が変わっている。どこが均一系統やねん。

この市バス路線図にはその他の均一系統について「均一運賃(220円)で乗車できます」と書いてあるじゃないか。どういうこっちゃ。


もう1つおかしいのが伏見区内。

竹田駅から西へ向かい久我石原町へ至る18系統と書かれた青線が見える。

このバスはみぶ操車場から久我石原町へ向かうバスの一部が経由する経路のようだ。

竹田駅西口、竹田内畑町、城南宮東口、パルスプラザ前、国道赤池、赤池……とバス停が並んでるが、なぜか国道赤池だけ均一区間外の表示。

運賃表を見ると臨18号系統としてこのバスの運賃が掲載されている。

城南宮東口~国道赤池だけ乗る場合は200円らしい。それ以外は220円で、220円より高い運賃はない。

もう1つ、81系統、京都駅から竹田駅の東側と中書島を通り横大路車庫まで至るバスがあるが、

これも均一系統なのに中書島から横大路車庫は均一区間外を走る。この区間だけ乗る場合は200円、それ以外は220円になってる。


伏見区内を見てみると、均一区間内、均一区間外入り乱れていてわけのわからないことになっている。

この中で22系統に注目してみる。これは横大路車庫から中書島、西大手筋、国道上鳥羽、八丁畷、府道横大路、菱川を経て南工業団地前へ向かうバスである。

運賃表を見ると、中書島~西大手筋、国道上鳥羽~八丁畷、府道横大路~南工業団地前が均一区間と表記されている。

一体、均一区間内と均一区間外を何回行き来すれば気が済むんだというバスである。

それで横大路車庫からの各所への運賃を見てみる。

中書島まで200円で、ここを過ぎると220円だが、八丁畷~府道横大路まで乗ると200円に戻ってる。けどこの先はまた220円。

別のところを見てみよう。西大手筋から乗ると国道上鳥羽までは200円だが、ここからは220円になる。

が、八丁畷~府道横大路は210円でまたここから先は220円に戻る。という不可解な運賃が設定されている。

そしてこのバス、端から端まで乗っても220円以上になることはない。なんだこのバス?


どうもこの地域は京阪バスエリアと市バスエリアが複雑に入り乱れているらしい。

先に京阪バスが路線を開拓していたところに市バスが独自の路線を開拓して、これを繋ぎあわせたからこうなったのだろう。

遠くまで乗ると安くなるっていうのは、京阪バスだと一直線に進むところを市バスは迂回するからということかな? 京阪バスの路線図と見比べないとなんとも言えないけど。

市バスとしては220円均一にしたいけど、京阪バスと並行する区間は京阪バスと同じ値段まで値下げしてますよってことなんだろう。

だからか、均一区間のバス停でも市バス均一区間乗り放題のカードの有効エリアとして塗られているものがある。

均一区間と均一区間で挟まれてるから乗り放題でいいよ、ということだろうか。


ところで均一じゃない均一系統、できた経緯はなんなのだろうか?

18系統は竹田駅に入る一部のバスだけごく短距離、均一区間外を通るから均一系統としたのだろう。整理券発行機つけてるのかな?

81系統は市電代替バスで、かつて存在した循環系統・均一系統乗り継ぎ制度を使えるようにして、市電時代から利便性が悪くならないようにと配慮したものらしい。

中書島から車庫に入るところだけ均一区間外なので、これだけで対象外になるのはもったいないと思ったんだろうか。

75系統の理由は知らないが、これも山越中町にターン場があるので、ここに突っ込むところだけ均一区間外だからと考えたのだろうか。


均一運賃って乗車距離によって不公平が生じることを考えるとあまりよいとは思わないのだけど、わかりやすさという面では優れてると思う。

バスの運賃っていまでこそWebで調べられるようになったけど、昔はいちいち電話で問い合わせてたもの。

それが大阪なら市バス200円均一とはっきりしてるから、ここからここまではいくら?といちいち調べる必要もないと。

わかりやすければ利用もしやすい。それが均一運賃制のメリットだと思う。

京都市も都心部は220円均一で、路線図もそれをわかりやすく表示することに努めていると思う。

しかし、伏見区では先に述べた均一運賃じゃない均一系統の18系統・18系統と本当の均一系統南5系統以外は全部調整路線系統として表記されている。

けどこれらってほとんど220円以内なんだよね。220円超えてしまうバスとか 南1・南2系統といった区外に出るバスぐらいしかない。

けど調整路線系統と書かれるとそんなこともわからない。困った話だね。

この大学には女子学生しかいないよ

今日はとあるイベントのためおでかけ。

その会場というのがとある女子大学だったので、その話題。


中学校・高校では女子のみが入学できる学校、男子のみが入学できる学校というのはいずれも存在する。

ところが大学となると女子のみが入学できる学校はあっても男子のみが入学できる学校は少なくとも日本には存在しない。

これはできた経緯の違いによるものだが、

実は戦前は小学校を除いては基本的には男女でクラスを分ける必要があった。

それが戦後になって大部分は統一されたけど、私立学校を中心に一部残っていて、それが現在の中学校や高校に見られる男子校や女子校のルーツとなっている。

男女とも受け入れる学校でも戦前のように男女でクラスを別にする学校もある。

以前知ったのだけど、帝塚山中学校・高校はそうなのね。これをこの学校は男女併学と呼んでいる。クラス以外の生活は統合されてる点でおもしろい。


ところが大学は少し事情が違って、もともと男子のみ入学することが意図されていた。

けど女子にもそういう学校は必要だねって言ってできたのが今の女子大学のルーツとなっている。

今となってみれば、もともと男子のみ入学してくるだろとおもってた大学も女子学生はたくさんいる。

一方で、女子大学のままでは学生が集まらんと、男子学生も受け入れるようになった大学も出てきている。

学部や大学院の研究科を限って男子学生を受け入れる学校もあるよう。

おもしろいところでは、2007年以降、全ての学部・研究科で男子学生の受け入れを始めたのに、2010年まで中京女子大学という名前のまま放置してきて、改名した至学館大学なんてところがある。

男子学生にはあまりに肩身が狭い話である。まぁ今は解消されたけど。

一方で、女子大学ならではの特徴を生かしていこうという考えの学校があるのは当たり前の事か。


まぁそれはそうとして、会場の大学へ向かう。

休日ということもあってか大学内ではさまざまなイベントがあるようである。

学生の姿はまばらだが、まぁ休みの日なんてそんなもんだろ。これが授業日だったらこんなもんじゃないだろ。

ただ、学生らしきが集まってるところを見れば、女性ばかりだから、確かになという感じである。


ところで学生は女子ばかりにせよ、教員や職員に男性はいる。

今回会場となった大学では教員・職員ともに約70%程度が男性のようだ。

うーん、この数字だけ見ると女子大学なの? と思うけど、まぁそんなもんなのかな。

ただ、教員の階級別の割合をみると、講師・助教といった若い人は女性の割合が多いようだから、

この傾向も何十年かすれば少々変わるかも知れない。まぁけどそんなもんです。


そんなわけで、数は少ないにせよ、男性がおる限りは、トイレなど用意する必要がある。

というわけでフロアマップを見ると、女子トイレがあれば男子トイレが用意されてた。

比較的最近に改修された建物だからかしらんけど、そこはちゃんとしてた。

が、地図で見ても面積があまりに違いすぎる。そりゃまぁ学内にいるひとの大半は学生ですからね。教員・職員の数なんて圧倒的に少ない。

それでトイレに行くと、非常ドアのように見える金属扉がある。あれ? とおもったけど確かに真上に男子トイレのサインがある。

開けると、中は小便器・大便器1つずつと手洗いを備えた小さなトイレがあった。これなら問題ないけど。

ただ、今日のイベント会場にいた人、ほとんど男だったんだが、休憩時間とか少し混んでましたね。まぁしゃあない。


あと、女子大学らしいかなと思ったのが、育児や女性特有の事情について相談できる相談室が設けられてたことかな。

一般的な学生相談室やセクシャルハラスメントの相談室ならうちの高専にもあるし、大概どこでもあると思う。

けどこんな相談室設けてるのはなかなかないよねって。

Webサイトの情報によれば、学生の支援だけでなく、女性研究者の支援も兼ねているようで、なるほどおもしろい試みだなと思った。

まぁ普通の大学でもそういうのを設けているところはあるようだけど。


ところで高専では少なくとも現在では男女共学になっている。国立高専は創設時からそうだったはずだけど、私立高専がどうだったか。消えた学校もあるし。

しかし、専攻が専攻だけに、実際には男子学生だらけと。そりゃメインは工学と商船ですからね。

とはいえ、今は女子学生も増えていて、うちの高専では1年生だと女子学生の割合は20%に近い。クラスによっては40%に近いところまでいっている。

学科によって傾向が違って、機械系の学科だとずいぶん女子学生少ないね。

電気工学科ではどのクラスにも女子学生1人はいるかなってぐらい。ちなみに僕の本科時代のクラスは女子学生が3人いましたね。

情報工学科だとその倍ぐらい女子学生がいる。


そんな学校だからか、ごく一部、男子トイレだけ設けられてるところがあったり、男子更衣室はないのに女子更衣室だけあるという光景が見られる。

男子更衣室がないことは、体育の授業の時は、女子学生を追い出して、それで男子学生は教室で着替えることを意図してのこと。

大部分が男子学生だからいいだろってことだけど、女子学生が荷物の支度をしている中、着替えてたりするからあれ。

学生はあまり気にしてないのだろうが、学校を挙げたセクハラと言えないこともない。


まぁ普段の高専とは逆の世界ではあるが、まぁこんなもんなのかなと見て思った。

会場におる限りは驚くこともない大学の教室だからな。

中身は男ばかり、やってることは大学の内容とは関係なさそう。箱だけ借りてるだけというのが丸わかり。

チェックディジットは間違いを救う?

今日、携帯電話から電話帳に登録されているところに電話をかけようと思ったら、

違う人のところにかかってしまった。まったく違う声で返ってきて驚いた。すんまへん。


なんでこんなことになってたのかというと、電話帳の登録時に手打ちした電話番号が間違ってたようです。

後で確認して直しておきました。


こういう数字だけ並んだ物はうっかり打ち間違えることもある。

ボタンを押し間違えたり、番号の順番が入れ替わったり、まぁありそうな話ではある。

その対策として一般的なのがチェックディジットですね。


チェックディジットが使われているもので一番有名なのはバーコードかな?

EANコードでは末尾の1桁はチェックディジットに割りあてられている。

ここに 4970090356423 という番号の振られたバーコードがある。

この末尾の3がチェックディジットである。

チェックディジットはチェックディジット以外の数字から求められて、チェックディジットを含め1文字の誤りを検出できる。

EANコードのチェックディジットはモジュラス10/ウェイト3という方式で、

右から奇数番目の数字だけ3倍して、全部の数字の総和をとって、10- 10で割った余り がチェックディジットになる。

検証は右から奇数番目の数字だけ3倍して総和を取って10で割り切れたら正解と。

この場合、総和が110になるから、正解と。

ここで最後の2を4に変えてみると、総和が116になり間違いであることが分かる

万能ではないにせよ1桁足すだけである程度は誤りを排除できる。


しかし、電話番号にはこういうものはない。

1つでも数字を間違えると違うところにかかってしまう。

クレジットカードの番号は末尾がチェックディジットになってるようだが、

お金に絡むものでも銀行の口座番号は必ずしもチェックディジットがあるわけではない。

というのがゆうちょ銀行の全国銀行データ通信システムへの接続時の話。

記号・番号から振込用の店名・預金種目・口座番号への変換の公式 (ゆうちょ銀行)

1から始まる口座番号、総合口座通帳の場合ですが、

記号の最初の1、最後の0と番号の最後の1は総合口座通帳の場合共通なのでこれは外す。

問題は記号の4桁目である。これは実はチェックディジットなんだけど、口座番号は7桁までしか入れられないので省略されることに。

なので口座番号の数字を1つでも間違えると問題が起きる。

実際には銀行振込では受取人名もあわせて知らせるので、誤りがあったらここで検出できるとはいえ。


本当は電話番号とかチェックディジットあればいいと思うんだけど、

いまさらどうにもならんというのが実情でしょうね。

間違い電話に悩まされている人を救う切り札になりうると思うんだけど。

日本海沿いに飛んでいた白鳥というもの

先日、寝台特急の日本海の話を書いたが、(参考記事 : 日本海沿いを走る寝台特急)

実はあれの昼行版というべき列車が2001年まで走っていた。

それが白鳥、当時日本一の長距離昼行特急だった。


ところで白鳥と聞いて、ん? と思った人がいるかもしれないが、

現在も白鳥という列車は走っている。ただ、これは2002年の東北新幹線八戸延長時に、八戸~青森~函館を走る列車として新しく作られたものである。

直接関係があるわけではない。まぁどちらも青森駅と関係があるけど。

東北新幹線新青森延長時から新青森~函館の列車となっている。


さて、今回話題にする白鳥は、大阪~青森で1961年から運転されていたもの。

この列車ができた当時は、まだ飛行機が大衆化してなくて青函トンネルはなかったから、北海道へは鉄道と船で往来することが一般的だった。

その本州側の乗り物として使われていたのがものの1つがこの白鳥である。1日1往復運転されていた。

どんな列車だったか。時刻表を見てみよう。

特急「白鳥」 2000年夏の時刻 (Rail Art)

後半に示されているものだが、10:12に大阪駅を出て22:59に青森駅につくようになってる。

丸一日かけて走る昼行特急というのもすごいが、まぁ新幹線ができる以前はこんなもんだったんだろ。

しかしそんな夜遅く、青森についても困るんじゃないか。そう思う人があるかもしれない。

実はこの先に続きがあって、青函トンネルができる以前は青函連絡船の夜行便があったので、それに乗り換えて北海道へ向かってたのね。

青函トンネルができてからは青函連絡船夜行便を継承し、青森~札幌を結んでいる急行はまなすに接続している。

現在ははまなすの時刻も変わってるけど、当時は青森23:08発、札幌6:18着だったよう。

急行「はまなす」 2000年夏の時刻 (Rail Art)

こうして20時間ほどかけて鉄道だけで大阪~札幌が往来できるようになっていた。


ただ、鉄道で20時間とか今となってみればアホらしい話である。

現在は飛行機が大衆化していてかなり安く乗れるようになってる。

難波~関空~新千歳空港~札幌と移動するのに飛行機で2時間、前後のいろいろ入れても4時間程度で済むのだから都合がいい。

もう1つは新日本海フェリーが高速フェリーを運航していてこれがなかなかやりおる。

舞鶴~小樽、敦賀~苫小牧、ともに20時間ほどで運航している。

港に行く時間は別にかかるにせよかなり優秀である。


さて、ここでなぜ2001年にこの列車が廃止されたかという話になる。

理由はあまりに長距離過ぎたからでしょうね。

夜行列車である日本海に比べると延々と乗り続ける人は限られたでしょうし。

むしろ区間利用が中心で、それなら分割して効率よくしようと考えたのは納得できる話である。

こうして、大阪~金沢はサンダーバードに、金沢~新潟は北越に、新潟~青森は いなほ に分割された。

サンダーバードは言うまでもなく大阪~金沢・富山の特急、当時は雷鳥と混ざって走ってたけど2011年にサンダーバードに統一されたね。

ちなみに2001年までは大阪~新潟の雷鳥が走っていた。これもサンダーバードに統合されたが。

いなほ はちょっと特殊で、基本の運転区間は新潟~秋田なんだけど、白鳥を継承した列車は新潟~青森を運転してた。

秋田~青森を走る特急は当時かもしかという名前が付いてたんだけど、かもしか に混ざって いなほ が1往復走っていた。

その後、東北新幹線青森延長後、八戸~弘前で走ってた つがる と かもしか を統合して つがる となった。

このときに新潟~青森の いなほ は、基本の 新潟~秋田 だけになって、秋田~青森は つがる に継承された。

こうして現在は4本の列車でかつての白鳥のルートを結んでいる。


まぁこんな風に分割するのは別に悪いとは言わんけど、問題は料金よな。

JRでは特急料金は基本的に列車ごとに必要になる。

4列車の特急料金は全て普通車指定席で 2820+3030+2400+2190=10440円かかる。

もしこれが1本の列車なら、3660円で済む計算になる。なんという差だろうか。実際には新幹線使って細工するともうちょっと安くなるけどそれでも差は大きい。

通しで使う人はほとんどいないにせよ、京都~長岡など2列車にまたがる区間を利用する人にとっては明らかに不利な話である。

京都~長岡は高専5年のときクラスメイトが実際に使った乗り継ぎだったりする。直通でなくとも昼間に移動するなら有用なルートではある。

近鉄特急のように乗り継いでも一本の列車に乗ったように計算してくれる制度があればよいのだが、

特にそういう制度はないため、料金がこのように上がってしまった。あまりに使いにくい。


そんな白鳥を引き継ぐ列車たちも、北陸新幹線金沢延長のときどうなることやら。

まずサンダーバードは大部分が金沢折り返しになることだろう。富山へは金沢から新幹線でというのが基本になると思う。

これははっきりしてるからよいのだが、金沢~新潟の北越がどうなるかは微妙である。

東京と北陸を結ぶ新幹線とは直接競合しないが、金沢~直江津は並行在来線ということで分離されるのが決まってる。

もちろん並行在来線会社とJR東日本で合意が得られれば、継続して運行することはできる。

が、日本海側の都市同士を結ぶだけの特急、新幹線接続列車でもないことを考えるとどうなることやら。


北越がなくなっても鉄道で金沢・富山と新潟を特急を使って往来することはできることだろうと思う。

というのも、新井~直江津~新潟には快速くびき野が運行されている。3往復だけだけど。

直江津~新潟では北越と平行しているが、快速ながら特急並みに速い。

この新井~直江津の間に新幹線の駅ができる予定の脇野田駅がある。

ここで乗り換えれば北陸新幹線から新潟のアクセスに使えないことはない。

並行在来線区間は直江津までのわずか数駅だし、まぁこれは残るんじゃないかなと思う。

北越もくびき野もなくなるというのは考えにくいし。


残りの いなほ・つがる はそれぞれ上越新幹線と東北新幹線のフィーダー列車として重要な役割を担っている。

その中では一番使い道が微妙な北越が存続が心配されるというのは止む得ないことかなと思う。

北陸新幹線フィーダー列車としての機能を持たせるならくびき野のルートの方が有利ですし、

新幹線を活用するんだという見方としては廃止もいいアイデアとは言えるけど、どうだろうかね。

まぁこればかりは地域の並行在来線継承会社の意向もあるのでどうなるかは知れんが。

宇治のルーツは宇治川右岸にあり

今日は所用のため宇治へおでかけ。

JR宇治駅集合だったのだが、少し厄介だった。


JR宇治駅は宇治川の左岸、宇治橋から600mほどのところにある。

ちなみに宇治川ってのは琵琶湖から大阪湾へ至る淀川の京都府内の通称ね。

宇治橋から平等院は近い。そして宇治川の右岸、宇治橋東詰すぐのところに京阪宇治駅がある。

宇治橋界隈にいくにはこの2駅のいずれかを使うのが一般的である。

しかし近鉄でいくのは不便で、どっかでJRに乗り換える必要がある。

乗り換え駅の候補は2つある。

1つは近鉄郡山駅とJR郡山駅で乗り換える方法で、徒歩10分ほどで乗り換えられる。

この2つの駅は奈良県内での近鉄・JRの乗り換え駅としてはかなり優秀な部類にあたる。意外に近いし、両線本数が多い。

京都府内に入ると、新祝園駅もJRとの乗り換え駅だが、こちらは接続路線が学研都市線で、奈良線ではない。

もう1つが大久保駅と新田駅で乗り換える方法だ。

ん? そんな乗り換えあったっけ? と思う人も多いかも知れない。僕も宇治市に住む知り合いに教えてもらって初めて知った。

大久保駅は急行停車駅で、新田駅は快速停車駅なのでそれなりに便利。ただし昼間のみやこ路快速は新田駅を通過する。

この2つの駅は地図で見ると近いのですが、直接結ぶ道がないので徒歩10分ぐらいかかるようです。


ところでここで出てきた大久保駅の所在地は宇治市だったりする。

近鉄は宇治を通っているという印象はあまりないけど、実はこうして通っている。

しかもこの大久保駅、宇治市内ではダントツで利用者の多い駅でもある。

近鉄は宇治市の西側を通ってるのだけど、このあたり住宅地が広がっていて、西の端は工場なども多く利用者が多いのだろう。

観光客が思う宇治の風景とはまったく違うが、宇治市の生活の中心は近鉄沿線の西側にあるようである。

ちなみにJR宇治駅・京阪宇治駅へは大久保駅からバスが出ている。

近鉄から宇治橋界隈へはこのバスを使うのも手ではある。

近鉄大久保~宇治橋西詰なら200円だし。京阪宇治まで乗ると230円するけど。


まぁ実際には大久保駅より2つ京都よりの小倉駅からJR宇治駅まで歩いたんですけどね。

2kmも離れてないから20分もかからずに往来できる。宇治橋までだと+10分ぐらいかな。

ただ両駅付近の道路が少々複雑なので、おすすめとは言えない。

近鉄だけで済むので安いのがとりえだが。


さて、先ほど書いたように現在、宇治市の生活の中心は西側の近鉄沿線である。

市の公共施設はJR宇治駅よりやや西側に多くある。

いずれにせよ宇治川左岸が現在の宇治市の中心である。

ところがかつてはそうでもなかったらしい。


かつて山城国に宇治郡、久世郡などの郡があった。

こう書かれると現在の宇治市は宇治郡が基本となってそうだが、そういうわけでもない。

宇治郡は宇治川右岸、久世郡は宇治川と木津川に挟まれた地域にあたる。宇治川左岸は久世郡なんですね。

宇治郡は宇治市の宇治川右岸の他に現在の京都市山科区・伏見区醍醐地区まで含んでいた。

なんか現在の宇治市の姿を考えるとずれてる気がするけど、それなりに理由はある。


その昔、京都と奈良を往来するルートは、現在のJR奈良線のように宇治川右岸を進み、宇治橋で宇治川を渡るルートだった。

現在のメインルートである国道24号線や近鉄京都線のルートとは違うけど、その理由は当時巨椋池があったから。

後に豊臣秀吉により巨椋池に太閤堤ともいわれる小倉堤ができてからは、ここを通るルートが使われるようになったそう。

そんな宇治の地だが、先に開拓されたのは京都に近い宇治川右岸の方だったようだ。

そんなわけだから、古くの宇治というのは宇治川右岸のことを指していたようだ。

後に宇治川左岸は貴族の別荘地として開拓されて、両岸ともに宇治と呼ばれるようになった。

平等院があるのは宇治川左岸ですからね。あれなんかまさに貴族の別荘だからね。


今の宇治市の姿をみていてもよくわからないが、古くはそうだったということが今は消えた郡から知ることができる。

昔から山科と醍醐が宇治郡で、宇治市の大部分が久世郡というのは不思議だなとは思ってたんだけど、

なるほどと納得のいく話である。

エスカレーターで急ぐ人のために空けろと言うが

今日、駅でこんな放送が流れていた。

「エスカレータではお急ぎの方のための通路をお空けください」

初めて聞いた気がする。


ただ、最初に言っておくが、エスカレータの製造元はそれをよしとはしていない。

エスカレータを安全、快適にご利用頂くために/歩行について (日本エレベータ協会)

エスカレータで歩くのは歩いている本人も周囲の人も危ないので止めましょうということと、

エスカレータを利用する時は手すりをつかまないと危険だが、一方の手でしか手すりを持てない人もいるので配慮せよとある。

このように製造元としては、放送であったように一方を空けて歩いて抜けられるようにすることは止めて欲しいと言っている。


大阪周辺ではエスカレーターの右側に止まる人が立ち、左側を歩く人のために空けるという慣習がある。

この慣習はエレベータ協会などの呼びかけがあってもしぶとく生き残り続けているのが現実である。

この慣習はどこから生まれたか。それは1970年の大阪万博の頃と言われている。もう40年以上も続いているってことだ。

そのころ、エスカレータというものが普及し始め、鉄道の利用者も増えていた。

このとき、外国の例にならって右側に立ち、左側を歩く人のために空けるというルールを取り入れ呼びかけたのが始まりと言われている。

外国の例にならった、というところがおもしろいところだけど、

おそらくは万博のために日本にやってきた人にとっても親しみやすいものとなるように、という意味があったのではないだろうか。


ただ、これは大阪周辺では広まったけど、他の地域ではそれほど広まったわけでもなかったらしい。

後に、大阪周辺を除いては、左側に立ち、右側を歩く人のために空けるという慣習が広がったよう。

なんで食い違ったのかという話だけど、どうもこちらの方が日本では自然らしい。

多くの場合、エスカレータの立ち位置というのはその地域の自動車のルールと同じようになるらしい。

日本では自動車は左側走行で、追い越す時は車両の右側から追い越しを行う。

左側に立ち、右側を歩く人のために空けるというのは自動車のルールとよく対応する。

同じく左側通行のオーストラリアなどでも同じだそう。


大阪周辺ではこれが逆なのは、右側通行の地域、アメリカやドイツなどでのルールを取り入れたということになる。

外国の例というのはヨーロッパやアメリカの例によったということですね。まぁエスカレータの導入が早かった地域ですよね。

ただ、不思議なのはイギリスも左側通行なんだけど、アメリカなどと同じで右側に立ち、左側を空けるんですよね。

理由はよくわからないのだけど、多くの人が利き手である右手でしっかり支えて乗れるようにと言われている。

イギリスと日本の大阪はエスカレータということについて言えば特異な地域のようです。


ここまでいろいろ書いてきたわけだけど、ここで大阪周辺とは書いても、関西とは書いてこなかった。

大阪府・兵庫県・奈良県・和歌山県ではほぼ全域この例によっている。(参考 : 駅のエスカレーター「左空け」の境界線 まとめ (旅と鉄の盲腸) )

しかし、不思議なのだが、京都市周辺は必ずしも大阪での慣習とは一致しない。

どちらかというと左側に立ち、右側を空けるということが多いよう。

けど、京都と大阪との往来は激しい。一体それで問題にならないのか?

そう思ったかも知れないけど、京都の人はどっちか片側に寄るけど、右か左かは適当に決めるらしい。

実際、僕も経験したことあるんだけど、京都でもすでに右側に人が立ってたら、その後ろに続いて立つ。

もし歩いて追い抜かす人がいれば、左側から抜かす。あんまり気にしてないそう。

なんか変な感じだけど、別に問題は無いようです。


まぁそもそもこの慣習自体、最初に書いたように安全性に問題がありますので、

これを統一しようとかそういうことは全く起きないわけですけど、面白い話ですよね。

あとエスカレータの話に関連して言うと、ムービングウォークという言葉、

これ、関西では通じるんですけど、よその地域ではあまり通じないようで。

そもそもこのムービングウォークと言う言葉も大阪万博に関連が深い。

というのも万博を前にしてJRの高架北に移転した阪急梅田駅に日本で初めて設置されたもので、

この初めての装置をムービングウォークと呼んだものだから、それ以来、関西の人たちはこれをそう呼ぶようになったんだと。

まぁけど他の地域では単に動く歩道で定着したちゃったようで、万博がきっかけで中途半端に定着してしまったものの1つかなと。

横断歩道から信号機を取り払うと?

今日、こんなニュースを見た。

全国の信号機半減する? 財政難で進まぬ更新 撤去も検討 (msn産経ニュース)

信号機の更新に使うお金がないから信号機減らすかという話。

このこととはそれほど関係ないように見えるけど、今日の話題は横断歩道のこと。


横断歩道のことは以前も話題にしている。(参考記事 : 黄色点滅の信号と歩行者 )

ここでは横断歩道と押しボタン式信号などで見られる黄色点滅信号の関係を考察している。

ここにも書いているが、本来、横断歩道というものは歩行者が最優先と定められている。

ただし実際には歩行者がいる場合一旦停止する車両は少ない。


現実はそうにしても法律では歩行者が最優先と定められている。

しかし僕はこの規則は以前よりおかしいと思っている。

以前、交差点の横断歩道を小学生が横断するとき、車両との接触が起きるか調べている人がいた。

このときの小学生の横断条件の設定が、小学生の50m走の平均タイムで走ってきて、そのスピードのまま横断するというものだった。

そんなことが現実にあるか、といわれるとないような気もするが、

しかしそれでも横断歩道は歩行者が最優先なので交差する車両はその横断歩道の前で一旦停止しなければならない。

車両は徐行して走行していつでも止まれるようにして走行することが期待されているのだろうが、

横断歩道を渡る人がいないと確認できたら徐行の義務がないとも定められている。

この必ずしも徐行しなくてよいということと、どんな時でも一旦停止できるようにしなければならない、というところに矛盾を感じるわけだ。


この問題を解消するためには、横断歩道のところに信号をつければよい。

これで歩行者が横断する時は車両を確実に停めることができる。

そして横断歩道に赤信号を出している時は、車両は徐行の義務がないのでスムーズに走行できる。

というわけでお互いにトラブルを防げるということでありがたいものである。


そこでさっきのニュースに戻るわけだが、信号機を撤去するとなると、横断歩道にも影響が出ることは避けられないと思う。

信号機で優先度が最も高いのは幹線道路同士の交差点だろう。信号機を置かないと車両がうまくさばけない。

しかし、郊外の主に横断歩道のために設置されたような信号機は優先度は低いと判断され、撤去される可能性がある。

もちろん横断歩道は残すことになるんだろうけど、そんな郊外の人通りもまばらな道路で果たして安全に横断できるか?

そりゃ利用が少ないから信号機を撤去するんだろうけど、どこまで利用が少ないとするかは問題である。


というか現状でも不十分な点は多い。近所の小学校の近くの幹線道路を横断するところですら信号機がない。

実は僕も小学生時代、その横断歩道を渡って通学してたんだけど、なかなか自動車止まってくれんのよ。

さすがに確認せずに横断するようなことはしなかったけど、とてもそんなことはできるような道路状況ではなかったのである。

ちなみに中学校にはちゃんと学校の前に横断歩道ありましたね。僕は使ってないけど。

けどあれはなくてもよかったような気もする。実際登下校に使ってた人は少なかったはず。

まぁ中学校の生徒の横断のためだけに作られた信号機ではないのでしょうが。


横断歩道の流動を調べて、信号機の撤去が行われればよいのですが、果たしてどうだろうか?

うちの市でも信号機の撤去が行われるかも知れないが、どうかそのあたり考えて実施して欲しいなと思う。

けどまぁ、市街地では撤去できそうな信号機なんてたいしてない気がするし、郊外でやるんかねぇ?

けど郊外はもとから少ないし。一体このアイデアはうまくいくのだろうか?