つくば科学万博の足跡をたどる

1年前の話だが、夢洲の万博会場でEXPO 2025のモニュメントの前に、

1970, 1975, 1985, 1990, 2005 とマーキングされていた。

これは日本でこれまで行われた国際博覧会の歴史を表したものである。

1970は大阪・千里丘陵での万博、その跡地に整備された万博記念公園にはたびたび行っている。

1990は大阪・鶴見緑地での国際園芸博覧会、その後の鶴見緑地にはたびたび行っている

2005は愛知万博で、これは会期中に行っている。閉会後は都市公園に戻り、愛・地球博記念公園となっているが、行ったことはない。

(制度上は万博前の愛知青少年公園とは別の公園らしい)


それで1975年の沖縄国際海洋博覧会の跡地の海洋博公園はそもそも沖縄県自体未踏なので行ったことがないのは当然としても、

1985年の国際科学技術博覧会の跡地はそんなに遠くないのに行ったことないよな。

ということでこの夏に行こうかなと考えていた。

土日の天気も悪く断念というのが続いていたが、今日は日中はよさそうだと昨日決断、

電動バイクを担いで、秋葉原で乗り換えてはTXに乗ったのだった。


さて、1985年の国際科学技術博覧会、一般には つくば科学万博 とか呼ばれていたという。

会場となったのは 茨城県谷田部町・桜村 である。

これらの地域は1987年に つくば市 となっている。

つくば市の区域は1970年に成立した筑波研究学園都市建設法の対象地域とされていたが、

合併までは桜村とか谷田部町とかいう行政区分が残っていた。

つくば科学万博 の目的はいろいろあったが、1つには工業団地の造成というのがあった。

科学万博の主会場は閉会後、公園を除いては工業団地として事業所が建ち並んでいる。

当時からこれでは科学万博のレガシーが残らないという考えはあったのか、

研究学園都市の中心部にサブ会場が設けられ、閉幕後も残すことにした。

このサブ会場こそが現在の つくばエキスポセンター である。


というわけでバイクを担いで降りたのは万博記念公園駅である。

この駅名って大阪モノレールの万博記念公園駅とまるっきり同じ駅名なんですね。

ローカルな交通機関同士なのであまり問題はないのかもしれないが。

しかし、公園の目の前にあるわけではないんですよね。バイクで走ればすぐ着くけど。

「科学万博記念公園」という看板があって、駅名もそれに合わせるべきだったのでは? と思ったが。

近くの歩道には「科学の門」というモニュメントがある。

会期中にあった同様のタワーを縮小して改めて作ったものだという。

その下には会場内の地図があって見ていたが、この公園のエリアは会期中から緑地だったよう。

谷のように掘り込まれていることなどからすると、調整池の役割を持たせているのだろう。

公園自体は今はそんなに見所はないが、桜の名所として知られているそうで、確かに桜の木がたくさんあった。


こんなので科学万博の足跡をたどったとは言えないよなと、再度出発。

万博会場跡地の工業団地には工場というよりは研究所や研修施設が多いようだった。

時代の変化か、物流施設を作る工事をしているのがみられた。

ちょうど高速道路が近くに出来たんですよね。工業団地に求められるものも変わっているということである。

北上すると つくば市役所が見えてきた。

1987年に合併したつくば市だが、2010年まで旧町村の役場を転用した複数の庁舎を使っていたらしい。

2010年にやっと市役所ができたわけですね。


このエリアは研究学園駅ができたことから、研究学園という町名が付いている。

紛らわしいのだが、筑波研究学園都市のコアエリアの研究学園地区とは別のものである。

なんでこんな命名になったのか理解できないのだけど……

この一帯はもともと日本自動車研究所の巨大なテストコースがあり、

テストコース機能の移転により大幅に縮小した上で、区画整理が行われた。

住宅開発が特に盛んで、駅周辺には高層住宅が建ち並び、まだ拡大の余地がありそうだ。

そんなわけで現在のつくば市では生活の中心になりつつある。

相対的に つくば駅のあるセンター地区は衰退が進んでいるとも。


で、少し進むと昔からの研究学園都市のコア地区に入っていく。

走っていて思うのは、幹線道路とそれ以外の分離が徹底されており、

ロードサイドに見えても、実は幹線道路に面していなくて、幹線道路から分岐してその中にいろいろあり、

歩行者は歩道から入れますけど、車にとってはむしろ奥まったところになる場合もある。

あと、つくばエキスポセンターの周辺はやたらY字型の交差点が多いんですね。

研究機関と集合住宅を折り重ねるように並べているのは職住近接を意図したものなのだろうけど、

TX開通以前、他との往来が面倒な時代には逃げ場がない思いで暮らしていた人も多いことが頷ける。


というわけでつくばエキスポセンターに到着。

つくば市中央公園に面した側には自転車の駐輪場があったのでここに停めましょう。

なんといってもこの施設で目立つのはH-IIロケットである。

当然、科学万博の当時はなくて後の時代に据え付けられたものである。

現在のつくばエキスポセンターは科学館で、特にプラネタリウムは万博当時からのもので、

とはいえ万博当時の投影機については交換され、プラネタリウムの入口付近で保存されている。

今回はプラネタリウムは観ないけど、この施設の万博時代からのコア機能である。

他にも科学万博当時のいろいろなものがプラネタリウムの前にある。

夜間割引入場券が午後4時以降となっていて、夢洲のときのトワイライトキャンペーンと同じだったんだなとか発見があった。

ちなみにこのサブ会場の入場券も共通だったようで、

メイン会場とハシゴする人のために作られたのが つくばセンター交通広場 である。

TX開業後も変わらない「つくばセンター」バス停のはじまりである。

それ以外ではよくある科学館なのかもしれないが、研究所の街らしい内容もある。

展示という面で重きをおいているように思ったのは有人宇宙活動、深海探査、南極観測といったところ。


つくば市内の研究所には個人でも容易に見学できる施設がある。

その1つがJAXAの筑波宇宙センターである。

ロケット・人工衛星の研究開発の中心ではあるが、これらはJAXA社内でもいろいろな施設に分散している。

最も特色があるのが有人宇宙活動ではないかと思う。

ここでは宇宙飛行士の訓練、きぼう・HTV-X といった有人宇宙船の管制を行っている。

いずれも国際宇宙ステーションの一部として人が乗り込むだけだが、れっきとした有人宇宙船、

その管制業務は つくば で行われているのである。アメリカとも協調してはいますが。

自由に見学できる展示施設「スペースドーム」では人工衛星の模型などがいろいろある。

その中でも大きくスペースを割いているのが きぼう と先代のHTV、

そしてJAXAの3つ目の有人宇宙船になるか? という 有人与圧ローバー のモックアップである。

これは去年に「深宇宙展」で見たんですけどね。今月にJAXAに戻ってきたらしい。


もう1つ、産業技術総合研究所の地質標本館も面白そうだったのだが、

産総研内のメンテナンスのため今日は臨時休館、普段は土日も開館しているのに残念。

というわけで、荒川沖駅へ向かってゴールとする。

荒川沖駅はかつてはセンター地区を含む一帯に最も近い駅としてバスが頻発していたが、

現在はそのようなニーズも減り、本数もだいぶ減っている。

でも近いことは確かで、つくば駅より荒川沖駅の方が近いエリアはけっこうあるよねと。

ちょうど産総研ぐらいの場所が両駅の中間点でしょうかね。


荒川沖駅でバイクを畳んで、電車に乗って次の駅がひたち野うしく駅、

この駅は科学万博アクセス用の臨時駅として作られた万博中央駅の跡地に再建された経緯がある。

しかし、最寄り駅といってもけっこう遠いなという印象はある。

距離だけのことを言えば荒川沖駅の方が近いが、大量の来場者を捌ける広さ、

大量のバスを運行しても困らない道路など考えると、やや西側に新駅を作る方がよいとなったのだろう。

この特徴が後にひたち野うしく駅として再建される理由になったわけですね。

現在もつくばセンター方面のバスは比較的多いが、途中のイオンモールつくば との往来のためだそう。


そんなこんなで科学万博の足跡をたどった。

博覧会当時からのものなんてそんなに残ってないのはどこもそうですよね。

ここはつくばエキスポセンターというのはあるけど、

H-IIロケットを筆頭に科学万博を経て研究所の街として知られることになった つくば の足跡ですよね。

夏休みと夏休みが重なった日

勤務先では夏休みは6~9月のいずれか1週間に取得することになっている。

実態としては5日間の有給休暇計画取得日なんですけどね。

かつては夏休みは必ず土曜はじまりで、期間中に祝日があれば後ろに伸びるルールだったが、

現在は連休であれば土曜はじまりでなくてもよいことになっている。


この範囲でいつ夏休みを取るかは人によりますが。

僕は7月上旬に取得するのが常だが、この時期に取る人はあまりいない。

昨年ぐらいから夏だからという理由で6月にも夏休みを取得できるようになったが、

相変わらず7月上旬だと職場では一番乗りでの夏休みである。

現実にはお盆付近の2週間に集中する傾向がある。


今年で言えば先週か今週かどちらかということである。

不思議なことに2週に分散するんですよね。

制度上は申告状況により調整することは出来るが、調整しているという話は聞いたことはない。

ただ、今年は山の日の配置により、8月10日は多くの人が不在だった。

先週夏休みの人は8/10を休暇にしていることが多く、今週夏休みの人は当然いない。

今週夏休みの場合、従来的な考えで8/8(土)~8/17(月)で祝日分を後ろに伸ばす人が多いが、

逆に前倒しにして8/7(金)~8/16(日)という人もいる。


そんなわけで8月10日は職場はガラガラだった。

年末の最終日みたいな感じだったな。(最終日は休暇を取る人が多い)

その後はうちの近所の人は多くが出勤していたので、あまりお盆という感じはなかった。

ただ、隣の課のメンバーはほぼ不在だったり、なんやかんやいっても夏休みを取る人は多いのだけど。


最近は社内外でヨーロッパとのやりとりが多く、そちらの夏休みを意識しないといけないが、

各自時期がまちまちなのはともかく、3週間とか期間が長いことが多い。

それを直前に言ってくるからタチが悪いというか。

あるところの担当者が2週間不在になると直前に言ってきて、2週間ならまだマシだなとは思いましたけど。

今週はその人の待った夏休み明けだったようで、待たされた仕事が少しずつ動き出したようだ。

夏休み中にしこたま仕事を送りつけたので、全て掃けるには時間がかかりそうだなと思うけど仕方ない。

給与明細が読めない

仕事中に安否確認が来ているからと言われて、

なんのこっちゃと思ったら熊本県で大地震があったという。

範囲は狭いが……震度7を観測する地点もあり、さすがにこれでは被害なしなわけもなく。

ただ、聞く限りは大火事や津波などは起きていないので、それは幸いではあったのかなと。

でも、なかなか大変そうな話はいろいろ聞こえてますね。


今月の給与明細を見ようとしたら、システムメンテナンスで見えないという珍現象に遭遇した。

どうも従業員管理用のシステムの入れ替えをしているらしく、

それで一時的に給与明細も見れなくなっていたらしい。

確かに停止するとは書いてあったけど、給与明細に影響するとは。


昔は給与明細を見るためだけのシステムがあったんですよね。

それが既存の他のシステムに統合されてこうなっている。

このシステムには集約以前のデータも入っていて、

僕は入社以来全ての明細をこのシステムで見られるようだ。

おそらくデータ自体は昔からあったのでは?


給与明細が見られるシステムが給料日に止まっていたなんてことはなくて、

給料日にすぐに見に行かなかったのが悪いのだけど。

ただ、どうせなら給料日より前にシステムの入れ替えをして欲しかったなと思ったのだった。

何も考えてなかったのか、考えた結果がこれだったのか。よくわかりませんが。


昔からそうなのだが、給与明細は社内のPCからしか見られないので、

いつもダウンロードして自分のプライベートのメールに転送している。

そういう目的であればプライベートのメールに送るのはよいだろうと。

社内のPCとはいうのだが、在宅勤務用のインフラを使ってリモートアクセスはできる。

そのため給料日に取り忘れたとなって、休日にリモートで取得することもある。


社内でも製造部署の人は社外からアクセス出来るサイトで給与明細が読めたりするみたいですけど。

もう紙の給与明細というのはあまりないのかもしれない。

源泉徴収票ももう紙ではくれないようになりましたね。

同じシステムで表示して、職場のプリンターで刷ってるけど。

アニサマがない けやきひろば

土日連日、さいたま新都心に出かけていた。

なぜか? それは「GMOアリーナさいたま けやきひろば音楽祭」というのがあったから。

この人DJするのかというのが入口だったのだが、気になる歌手もいたので。


そもそもこれは何なんだという話をすれば、毎年夏の終わりに行われるアニサマのことがある。

アニサマの開演前、さいたまスーパーアリーナの前にある けやきひろば では様々なイベントが行われていた。

けやきひろば はさいたまスーパーアリーナの付帯施設で、

2階はさいたま新都心駅・北与野駅とアリーナをデッキレベルでつなぐ広場になっており、

その人工地盤の上に けやき(埼玉県の木らしい) が植えられている。

1階は飲食店などが入る商業フロアに入っており、イベント日は来場者の腹を満たすと。

アニサマの日は けやきひろば のイベントスペースにステージを組んでイベントをやっていた。

概ね午前中はアイドルのステージ、午後はカラオケをやってると。


ただ、さいたまスーパーアリーナ は今年から来年春にかけて改修工事のため休館となっている。

このためアニサマも今年は幕張メッセ展示場での開催となっている。

しかも時期もけっこうずれて7月10日~13日の開催だった。

このときはコンサート用とは別に1つ展示場を借りて、そこにステージを組んで同様のイベントをやっていた。


一方さいたまでは休館中に命名権を売るという話になり、GMOが契約することになった。

工事中に「GMOアリーナさいたま」と命名された。割り引かれているが休館中も命名権料はかかってるらしい。

GMO SONICなど音楽イベントに関わる中で命名権を買うことにしたのでは?

休館中はアリーナは使えないのだが、他の付帯施設は使うことができる。

アニサマの日のように けやきひろば が賑わえば良いのにと思ったひとがいたのか知らないけど……

こうして生み出されたかもしれないのが「けやきひろば音楽祭」である。


とはいえ実態としては地下アイドルのイベントである。

けやきひろば の他に、TOIROというイベントスペース(会議室?)、

工事中のアリーナ脇の屋外ステージ、そして展示ホールを使っている。

この展示ホールで出演者の「特典会」とかが行われていると。

その中では集客力が高い人やアイドルとは言えない人のステージは概ね けやきひろば で行われている。

けやきひろば だけのチケットであれば割安だったので、それを購入。

もっともチケットがなくても周辺から見放題なのだけど。

別に立ち止まってみる人を止める様子もなかった。いいのかよ。

これはアリーナ横のステージも同様である。TOIROはさすがに無理だろうが。


名前は知ってても、初めてパフォーマンスしてるの見る人もしばしばいて、そういう意味では収穫があった。

さっきも書いたように実態としては地下アイドルのイベントということで、

そこら辺をアイドルらしき人が歩き回っているのは不思議な景色である。

食事を買ったりするのに出歩いてたみたいですね。

こういうイベントではよくある光景なのかもしれないけど。

さすがに けやきひろばステージ に上がる人はそんなことないでしょうが。どうだろ?

中之島の昼休み

今日は案外慌ただしいだろうなと思いながら、大阪にやってきて、中之島の国立国際美術館にやってきた。

ちょうどOKミュージアムパスポートが期限切れなので買い直すのもあったが、

ちょうどこの先日、5000円から8000円に値上げされたのだった。

定価で言えば1800円とかする展覧会を各1回ずつ見られると考えれば妥当な値上げだが、

昔はほぼ同じ効力の 友の会 が年3000円だったことを思うと、むちゃくちゃ値上がりしたなと思う。

この値段だと関西2館ハシゴしないと元は取れないだろう。


ただ、今買う必要はなかったのかなと思ったのが、展覧会の期間である。

特別展「笹本晃 ラボラトリー」はなんと11月3日までやっているという。

期中に展示物を使ってパフォーマンスを行うので、それありきの会期設定という側面もあるのだろう。

となれば、止まっている展示物を見ても本当に見たことにはならないのかもしれない。

まぁそこは補完する映像があったりするわけですけど。

パフォーマンスをして展示物に描き足していく部分もあるのだろう。

そしたら会期中たびたび来たいという話もありそうですが。

映像など見ると自然科学にいろいろモチーフを取っていて博識そうに見せているが真相はいかに。


コレクション展では「開館50周年記念プレ企画」として、開館前に制作された作品を展示、次は開館後の作品を展示するという。

基本的にこの美術館は1945年以降の現代美術を対象としているが、

それより古い作品もあって、それは後の時代に影響を与えたであろう作品があると。

それは前の時代から見て重要な作品もあるから、そういうのは他館に貸すことも多いのだろうと。

ちょっとわざとらしいなと思ったのが、最終盤に女性作家の作品を集中的に並べていたこと。

当時、発表の機会も限られ、現代に渡ってもあまり研究されてないかもしれませんねと。

このあたりは国立美術館の全社的な方針もあるのかもしれない。

東京国立近代美術館の謎

あとちょうど特別展で取り上げている笹本晃さんも女性だし。


中之島はオフィス街で、フェスティバルタワーの地下では弁当箱を開けて食べる人も多くいた。

中之島ではランチもそれなりにするということだろう。

まぁ実際にそれなりの値段はした。

で、そのまま地下から渡辺橋駅につながっていて、こんなに京阪電車に乗る人がいるのか?

と思ったら、渡辺橋駅にはMINAMOというレストラン街があって、そこ目当ての人のようだった。

改札階に降りるとひっそりしているが、そこそこ利用はあるようだ。

とはいえ、今は中之島から京都方面まで直通する優等列車はないので京橋乗換ですが。


電車に乗りながら計算していたのだが、これは京都に着いてから慌ただしいなと。

特別展を見る分にはなんとかなるかと、三条で降りて岡崎公園まで歩いて行く。

特別展は「フォンタネージ—イタリアの光・心の風景」というので、

アントニオ・フォンタネージ作の風景画が多数並んでいるのだが……

果たしてなぜこれを京都でやっているのだろう。

明治時代に工部美術学校にやってきたが、わずか2年で帰国している。

ただ、その2年間で残した物は多く、教え子としては 浅井忠 が有名である。

先生としては名前が知られているが、画家としての側面はあまり知られてないですねと。

そんなわけでミラノからたくさん借りてきたというわけである。

文化が違っても自然を描くというところには普遍性があるので、学ぶところは多かったのかも。

終盤は教え子の作品が多く並んだが、教え子という側面で浅井忠の作品がミラノにあるのを借りてきたのもあった。

日本で着想を得てイタリアで完成させたって作品もあったみたいね。


そんなわけでもう時間切れで京都駅へ向かって、帰りもまた早特で取ったこだま号で東京へ。

こだま号も案外混み合うという話もあるが、これは空いてましたね。

そんなこんなで週中に2日間の関西行き、明日は1日仕事してまた休みですか。

南都仏画のために関西行き

島原・天草での夏休み中、悩んでいたことがあって、それは2週間後、関西に行くかどうかである。

夏休み直後、それも海の日で月曜が削られた週にいなくなるのはどうなんだと。

ただ、やっぱり外せないかなと思った。


というわけで、早特で取った こだま号 で京都まで。新幹線を降りると飛び上がるような暑さだった。

昼食を食べて、プリンセスラインで東山七条まで。

プリンセスラインは実質的に京都女子大学の通学バスなので、今は土曜ダイヤでの運行である。

まだ土曜ダイヤなら十分高頻度なのだが、これから夏休み期間に入るとより減便される。

現金しか使えないというデメリットはあるが、この区間に限れば空いてて便利なのだけど。

京都駅~東山七条のバスの混雑が激しいことへの対策として貸切バスから新規参入したという経緯もあるので、

この区間だけであれば多目的に使われる方がよいのだけどね。

というわけで京都国立博物館、平成知新館は本来の目的である平常展に使われているのは貴重である。


前半は「辰馬考古資料館の名品」ということで、大量の銅鐸に出迎えられる。

灘で酒蔵を経営していた 辰馬悦蔵(3代目)、大学では考古学を学び、銅鐸などの考古資料を集めた。

辰馬考古資料館自体は改築のため休館中なので借りてくるには好都合だったのだろう。

まさか京博でこんな銅鐸ばかり見ることになるとはと思うも、いろいろ並べて観察すると案外いろいろ学びはある。

でも、実はそれだけではなかったのだ。辰馬家は画家の富岡鉄斎と交遊があったため、この絵画もコレクションにあるのだ。

どっちかっていうとそれ目当てだったんじゃないのと。銅鐸はおまけだったのかも。

他の特集展示では陶俑、「埋納」というテーマで経筒など、全体的に考古分野が手厚かった。

逆に焼き物など工芸分野のものは少なめだったのかな。陶俑は間違えなく焼き物だけど。


ちょっと気になった話があって、それが「白寿斎コレクション」である。

2023年の新収品展で名前が出てきている。誰か個人から寄贈してもらったコレクションなのだろう。

これ、近世・近代絵画の作品からなるそうだが、明治以降の作品もかなり含まれているらしい。

京博は以前より明治以降の作品を収集していたらしい。ただ、ほとんど展示できず、他館に貸すのが主だったらしい。

この白寿斎コレクションが加わったことで、明治以降の絵画もあれこれ展示していけますねと書かれていた。

以前紹介したことがあるのだが、東京国立近代美術館は1907年以降の美術作品を注力分野としている。

この1907年は第1回文展が行われた年で、ここを境に東京国立博物館と所蔵品の移管をしている。

ただ、これは東京の2館に限った話で、京都国立近代美術館はより古い作品もあり、この移り変わりも見て学べる。

これは気づいていたが、まさか京博もこれより新しい作品がそこそこあるとは。


ゆっくり見てたらもう出ないといけないと、京阪・近鉄と乗り継いで奈良国立博物館へ。

というわけで今回の関西行き、最大の目的である「南都仏画」の賛助会員向けの特別鑑賞会へ。

奈良博で絵画が多くを占める展覧会は珍しいと思ったが、けっこう彫刻(仏像)もあるんだよな。

なぜか? それは仏像への彩色も絵として捉えたためである。

この展覧会、奈良博自体のコレクションもあるし、奈良県を中心に寺社から借りたものもあるが、

「ボストン美術館共同企画」とあるようにボストン美術館からの里帰りにあたる作品もいくつかある。

なぜボストン美術館にあるのかというのは後で書くとして。


この展覧会の一番古いところは 法隆寺金堂壁画 から始まる。焼損した壁画が無事だった頃の模写などがある。

いろいろ観点はあるが、伝来されている日本の仏教絵画の最古のものという意味はあるのだろう。

そこから奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代と時代が進んでいく。

特に平安時代のものは重要文化財になっているものが多く評価が高い。

その頃に歴史ある都の意味で「南都」という言葉をよく使っていたことが「南都仏画」という展覧会名の由来だったらしい。

そんな中でボストン美術館からの里帰り「釈迦霊鷲山説法図(法華堂根本曼荼羅図)」がある。

これ自体は奈良時代の作品なのだが、平安時代にこれを元に東大寺の「倶舎曼荼羅」が描かれたという。

模写なども絵画を伝承する上で重要で、そういう歴史を伝えるきっかけにしたいという意味もあったのだろう。

ボストンからやってきた作品、額装されているものが多い。

日本でも額装された日本画はあるけど、元々の表装を切り取って(?)額に入れただけなのは雑な気もする。

住友財団の助成により修復中の十六羅漢図は、修理が済んだ分を展示していた。

元々は形態もいろいろで展示できないほど痛んでいたが、本来の形ということで軸装にして修理されたそう。


さて、なぜボストン美術館に奈良の美術品が伝来したのだろうか?

明治時代となり、東洋美術史を研究していたアーネスト・フェノロサが日本にやってきた。

彼は奈良の社寺を訪れ、美術品をいろいろ調査していたわけである。

日本の美術について世界に知らしめた人の1人で、その活動の中で奈良の絵画を持ち帰っている。

明治時代になってなくなった寺も多いが、その1つが内山永久寺で、大変豪華な寺だったそう。

ただ、明治になって寺は維持できないと、組織的には近隣の石上神宮に統合されて廃寺に。

建物は移設されたものもあるが、仏像や仏画は不要なので他の寺やコレクターに渡って行った。

その渡った先にはフェノロサがあり、ボストン美術館というのがあったわけですね。

こうして日本美術の価値が評価されていく中で、日本国内でも社寺に伝来した文化財の保護が急務と、現在の奈良博にあたる帝国奈良博物館ができる。

この点では共通的な事情のある博物館同士でもあったわけですね。


ところでこの展覧会、主な展示物が日本画なので展示できる期間が限られている。

このため展示替えが多いので、ぜひとも後期にも観に来たいものだが。

僕は賛助会の会員証を見せれば「随時」観覧できるので、この点では特に問題はないものの、

9月13日までにまた関西に来る用事は今のところはないんじゃないかな。

でもこんなチャンスは他にないよなぁ。実現できるかはともかく策は考えようと思う。


そんなわけで明日は大阪・京都と美術鑑賞しては帰宅する。

けっこう慌ただしいんだよな。こだま号で帰るってのもあるんだけど。

カスタマイズ可能な貨物駅?

前にCities:Skylines IIでBridge&Portsというアドオンを買った話を書いた。

Bridges&Portsを買う

大きな理由としてはカスタマイズ可能な貨物港が欲しかったというのがある。

この他、フェリーの追加や航路を越えられる橋の追加がある。

航路を越える地下鉄橋はこのアドオンで初めて導入されている。

(このときは航路を越えられないか? と書いたが、ちゃんと越えられた)


このBridges&Portsのカスタマイズ可能な港なのだが、

どうもこれを貨物駅として使うということもできるらしい。

というのもカスタマイズできる要素の1つに貨物列車の発着場があり、

これを付けると港の貨物を貨物列車で往来させることも出来る。

従来の貨物港にも貨物列車の発着場を拡張するオプションはあったので、それと同じ。

一方で船の発着場であるガントリークレーンは必須要素ではない。

なので、貨物列車の発着場と他いろいろ集めれば、カスタマイズ可能な貨物駅になるということである。


結局のところ貨物港だろうが貨物駅だろうが従来のタイプは渋滞が起きやすい。

カスタマイズ可能な港・駅であればより処理能力が高いわけである。

面積的にはどうでしょうね。

今回は 中ぐらいの港 をベースに作ったが、これで基本の貨物駅より若干大きい程度である。

小さな港をベースに作ればもうちょっとコンパクトかなと思うけど、あまり変わらない気はする。


このカスタマイズ可能な港にはよくわからない要素もあって、それが旅客船ターミナルである。

岸壁にガントリークレーン同様に設置できる施設である。

別に旅客港を作るよりはずっとコンパクトなものの、

基本的には貨物の流れと人の流れは違うものなわけで、一緒に扱う意味もよくわからない。

岸壁に付けて歩道で港の外にあるバスターミナルにつなぐという使い方で、

旅客船関係の人は港のゲートは通らないわけでなんのことやらと。

貨物港があるところなら小さな旅客船ターミナルを作れますよということだと理解している。


このゲーム、いろいろな要素が巨大という話はあるのだけど、

標準パッケージ向けのパッチで車両基地などは小さなものが追加された。

特に地下鉄はスペースが限られる中に導入するのに車両基地が巨大では大変と、

「終着点地下鉄車両基地」というのがとても役立っている。

鉄道もコンパクトな鉄道基地ってのが追加されたけど、劇的に小さいという感じでもない。


貨物駅を作ったのも初期からの市街地を通って貨物港に行く流動をなんとかしたいというのがあったが、

大きな影響を与えるほどではなくなったが、なかなか大変である。

郊外に高速道路を敷いて、できるだけそちらに回ってもらうようにしたり、

ある程度は意図通りに動いているが、昔からの導線も使われなくなったわけではない。

でもパッチで昔よりはだいぶ賢くなった気がしますね。

新幹線6時間半の旅

さて、今日はバイクを担いで帰るだけである。

というわけで出水駅までバイクで走っていく。

市街地とは反対側にある新幹線側のロータリーに到着して畳む。


あまり東京と鹿児島県の往来で列車というのはないのかなと思う。

普通は飛行機だよねと。出水~鹿児島空港はバスで1時間強である。

鹿児島空港は高速道路の利便性が高く……といっても出水方面はまだ作っている途中なのだが。

ただ、それではバイクを運ぶには不都合である。

というので新幹線を使うわけですね。

出水駅の時刻表を見ると大阪行きのさくら号が1時間1本並ぶ時間帯が多い。

さくら号は概ね1時間2本あり、そのうち1本は熊本~鹿児島中央で各停になる。

これを使うのだが、これだけでは東京に行くことは出来ない。


そこで使うのが新神戸で後続ののぞみ号に乗り換える方法である。

新神戸乗換は当初e5489で検索してたときに教えてもらったのだけど。

新神戸駅というのはトンネルとトンネルに挟まれた構造上、ホームが片側1つしかない。

そして新神戸駅はその重要性より全ての営業列車が停車する。

このため、新神戸駅で降りて待っていれば、さくら号 と のぞみ号 の乗換はスムーズというわけ。

新大阪駅まで行くと、東京方面との列車の本数が増えることは確かである。

ただ、新神戸駅でも十分多いですからね。

この大荷物を持って7分後ののぞみ号に乗り換えは新神戸じゃないとできないだろう。


とはいえ、全く欠点がないということではない。

のぞみ号・みずほ号は加算料金があるので、若干高いわけである。

さくら号ものぞみ号とそう変わらない気がするが、加算料金はない。

この加算料金は東京~新大阪は310円、東京~新神戸は540円である。

なので、新神戸乗換の方が220円だけ高いということになる。

ただ、東京~博多の加算額が1060円と考えれば、それよりは新神戸乗換はだいぶお得である。

なによりさくら号の方が快適だしね。と、乗り換えたのぞみ号に座って思った。


そんなこんなで合計6時間半ほど新幹線に揺られて東京に到着。

そこまで長かった気はしなくて、東京~京都を昼行バスで移動することと比べるとまだ短い。

読書などしながらのんびり帰ってきていた。

昼食はあらかじめコンビニで買って置いた弁当をさくら号でひらげていた。


というわけでこれで島原・天草の旅は終わり。

帰ってきていろいろ買い物に走りまわっていた。

天草から入る鹿児島県

天草の牛深と長島の蔵之元を結ぶ三和フェリーの時刻表を見ると、朝から夕方までほぼ全て80分間隔になっている。

これは一隻のフェリーが30分航行して10分で乗降してを繰り返しているためである。

基本的にこういう短距離のフェリーは両側にランプウェイが付いていて、乗り込んだ側と反対側のランプに通り抜けるように降りる。

これだと乗り降りにはほとんど時間がかからないんですよね。

だから10分で降ろして乗せてというのが余裕出来てしまうわけである。


牛深港のフェリーターミナルは道の駅になっている。よく考えればここは国道389号線の途中地点である。

ここでひと息ついてから長島に渡る人、逆に渡ってきてここでひと息つく人もいるのだろう。

登録上は国道266号線になってるみたいだけど。(牛深付近では両路線は重複している)

その道の駅には資料館があるので出発前に少し見ていた。

「軍艦長良記念館」というのがあるが、これは牛深沖で沈没した日本の軽巡洋艦で、毎年牛深では慰霊祭が行われているようである。

バイクを袋に収めて徒歩客としてきっぷを買うと、ちょうど船が到着するところだった。

船からは車がぞろぞろ降りてきて、その中には大型のトラックも。乗る方もなかなか需要旺盛である。

なんでかなぁと思ったのだけど、天草も長島も架橋されているが、それぞれ全く別の方向である。

長島に向かうのに天草を通って海を渡る、天草に向かうのに長島を通って海を渡るというのが合理的なケースがかなりあるのだろう。

徒歩客は少ないなと思ったのだが、この牛深からの便は比較的多かったようで、なぜかというと蔵之元で出水駅行きのバスに接続しているから。

牛深に公共交通で来るという点ではこれが一番楽なんですね。なるほどなぁと思いますね。

ただ、そういう用途でもないと徒歩ではなかなか使いにくい航路だと思う。


蔵之元に到着するとここから鹿児島県である。初めての鹿児島県が長島という人は天草の人でもなければなかなかないだろう。

港から国道389号線が再開するわけだが、いきなり急な上り坂からスタートする。

長島を電動バイクで走るという計画で最大の懸念は勾配である。

天草のときは海岸線を走ることで平坦な区間を多く走れたが、長島はそうもいかない。

結局色々考えたけど、国道をひた走るよりよい方法は思いつかなかった。

この国道は基本的に長島の西海岸に沿って走るルートなのだが、地形の都合上がって下がってを繰り返すことになる。

長島が火山によりできた島で全体的にゴツゴツしているようだ。

そんなので走っていたら道の駅長島 ポテトハウス望陽に到着。

ポテトってなんだ? 後でわかったのだが長島は赤土でのジャガイモ栽培が盛んで、それにちなんだ命名だったようだ。


このあたりは町のいろいろな施設が密集している。フォトスポットも整備されているが。

ここに長島町歴史民俗資料館がある。あまり人はこないんだろうなという感じである。

全体的に説明してもらったのだが、この長島というのは元々は天草の一部として支配されていた。

当然、架橋されていない時代、海を越えた天草とはまんべんなく近かったのが理由だろう。

ところが薩摩を支配する島津氏の支配下に入ることになり、以後は行政上は薩摩→鹿児島県となっている。

ただ、天草や肥前との物資の往来が多く、長島で使われていた陶器を見ると、伊万里焼、有田焼など肥前のものが多い。

どうせ海上輸送になるなら肥前と往来する方が好都合な点が多かったのかもしれない。

このことを指して「南北九州の接点・長島」と展示室には掲げられていた。

今は架橋されたこともあり、すっかり鹿児島県側の経済圏にあるわけですけど。

このさらに高台には「風車公園」というのがある。山の方を見ると風力発電用の風車が見える。

角度的に見えるのはわずかだが、全部で21基もあるんだとか。


戻ってきて再度出発、本当にアップダウンが激しい。

下り坂が続くとブレーキも相当すり減るだろうし、そこもこの車の弱いところですね。

ただ、さすが国道、集落との接続を考えなくていいところは高架橋で飛び越えている。

そんな中で対向車がなにかメロディを奏でながら坂を下っていく。

これはメロディーロードというもので、50km/h(制限速度)で下ると音楽が聞こえるように溝が掘られていると。

残念ながら上り方向にはないし、そもそもこのバイクで溝を踏むとすさまじい揺れに見舞われて音楽どころではない。

そんなこんなで進んでいくと橋が見えてきた。黒之瀬戸大橋である。この海峡が黒之瀬戸と呼ばれているのである。

歩道も付いているのだが、けっこう狭くて怖そうだなと思った。


というわけでここを渡ると阿久根市である。ちょっと寄り道しながら出水に向かう。

やってきたのは荒崎地区の干拓地である。ひたすら田畑が広がる干拓地である。

実はこのあたり、冬になると越冬するツルが大量にやってくるのである。

今の時期はツルはいないけど、鳥にとって好都合であることは確かなようで、けっこういる。

このツルのことについて 出水市ツル博物館 クレインパークいずみ で勉強することに。

出水に来るツルというのは1万羽以上に及ぶが、驚くべきはその比率である。

出水に来るツルで一番多いナベヅルは全個体の9割近く、次いで多いマナヅルは全個体の5割ぐらいが出水で越冬しているという。

いずれも絶滅危惧種のツルであることを考えれば出水の重要性がよくわかる。

なぜこんなに出水に来るのかというと、きっかけは干拓である。干拓によりできた水田がツルの越冬に好都合だったのだ。

乱獲された時期もあったが、ツルを見物するために出水を訪れる人は多く、地元の人たちもツルの保護には協力的である。

行政としても越冬期間は干拓地の田畑を借り上げ、通行規制や幕を張るなどしてツルが休めるようにして、

農作物の食害対策も兼ねてエサとなる小麦を蒔くなど、ツルにとっても過ごしやすい環境なのだろう。

一方でツル観察センターなど人間がツルを観察するための施設も整備されている。

人とツルの共存という点ではユニークな地域ではないかと思う。

展示を見た後で「ツルのVR映像見ませんか」と言われ、ツルが群がる中に設置されたカメラで撮影した映像を見た。

冬の出水に来てもこの距離でツルを観察することはできないが、遠巻きにもこれだけのツルがいる光景が見られるのは貴重だろうなと思う。


あとは明日はほぼ帰るだけである。その帰るだけってのが長いんだけど。

電動バイクというのはいろいろ制約は大きいのだけど、こうして島原・天草を中心に巡ることができたのはよかったなと思う。

本渡から牛深までキリシタンの足跡を追う

昨日も大概移動距離は長かったが、今日も長い。

今日は本渡から天草下島の南端、牛深まで移動するのだが、問題は2つあって遠いことと勾配である。

まっすぐ行くなら国道266号線を走れば良いが、これはアップダウンが激しい。

そこであらかじめ検討していたのだが途中までは県道26号本渡牛深線を走る。

名前の通り、本渡と牛深を結ぶが海岸線に沿って走る点が国道と異なり、道幅が細い区間もある。

海岸線に沿って走るということは勾配は控えめである。海岸線にはみどころも多々あるはず。


その前に本渡で見ておくべきところがあるので、やってきたのが殉教公園である。

城山公園ともいうし、こちらの方が正式な名前のようである。

その名前が示すように元々ここには本渡城があった。

島原の乱のとき、本渡でも争いがありひどい犠牲が出たようである。このことを示す「殉教戦千人塚」が移設されている。

で、ここには天草キリシタン館があるのだが……休館日じゃないか。

まさかの火曜休館だった。それで心配になって調べたが次の目的地は事前の調査通りちゃんとやっているよう。

よくわからないけど天草市の施設の中でも休館日を散らしているようだ。


というわけで本渡を出て、冒頭書いたように海岸線沿いに進んでいく。

基本的に天草は離島っぽくはないが、海岸線が入り組んだ半島を走っているような感覚である。

のんびり走っていると「はまぼう群生地」と書かれた看板がある。黄色い花が見える。

はまぼう は汽水域に生息する低木で、河川改修などの影響で生息域が減っているようである。

そんな中で天草市新和町の はまぼう群生地は規模が大きいものとして知られているようである。

ちょうどよかったですね。こういう発見はバイクで走っているからこそである。

まだしばらく進んでいくと、岸壁にタラップとプレハブ小屋があり、立ち番をする人もいた。

これは中田港のフェリー乗り場で、ここから長島の諸浦港への船が運航されている。

簡素な港で、ドライブスルーできっぷを買うのか? と思ったのだが、実は道路の向かいにきっぷ売り場があったらしい。

そんなこんなで宮野河内まで海岸線を走って、ここからは山越えの道である。

いろいろ考えたのだが、これが電池消費がもっとも少ないのではないかと。急坂は押し歩きで節約して。

こうして河浦にたどり着いた。デイリーヤマザキでパンを買って昼食にした。

正真正銘のコンビニがあるのも離島らしからぬ感じである。天草には他のチェーンもあるがデイリーヤマザキが多い印象である。


で、ここにやってきたのは 天草コレジヨ館 のためである。

かつて河浦には天草コレジヨという神学校があった。(河浦にあったという明確な文献が見つかったのは近年のことらしい)

島原にあったのを目のつきにくい天草に移転してきた経緯があるという。

ただ、キリスト教迫害の歴史からして、ここに当地に残っている物というのはそう多くない。

天正少年使節団が持ち帰ったという 印刷機、楽器、天草で作られた 竹のパイプオルガン など文献から再現されている。

模造なのをよいことに演奏もしていて、ちょうど遠足の中学生のためか当地で演奏している人たちが来ていたので、演奏を聴かせてもらった。

なかなか当時から残っている物は少ないが、天草で印刷された本がヨーロッパに渡って残っているのがあって、

そのコピーがいくつか展示されていたが、これらの文献によりヨーロッパに日本のことが伝わった側面もあるようだ。

中には日本語のものも。ひらがな の活字を作り、それで印刷したそうで、教えてもらったが ひらがな の向きを間違えた誤植もあり、活版印刷で作られたことがわかる。

日本でのキリスト教迫害の歴史も伝わっており、その文献の中に河浦にコレジヨがあったことが書かれていたと。


ここら辺に来ると案内が増えてくるが天草にも世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産がある。

それが浦津集落である。行くのは難しいと思っていたが平坦な道を7kmほど。

なんとか持つかと走って行くことに。ただ、後々計算してみるとこれは間違いだったような気がする。

山をトンネルで抜けることもあり概ね平坦ではあるのだけど、距離はそこそこある。

崎津というのはキリスト教が禁止されていた時代にも、潜伏キリシタンがかなりいた地域である。

1805年、天草崩れという潜伏キリシタンが大量に見つかる事件が発生した。

みつかった原因はクリスマスの儀礼のために牛を屠殺していたため。なんと崎津では住民の7割も潜伏キリシタンだったという。

どうも表向きは神社氏子や寺の檀家となっているが、水方という指導者を中心としてキリスト教の儀礼を続けるグループがあったらしい。

みなと館という旅館を改装した展示施設があり、そこにはマリア像が見えるアワビ貝とか、大天使ミカエルっぽい像とかなんとでも言い訳できそうなものがあった。

キリスト教といいつつも自然信仰のような一面もあったようで、天草崩れのときも大目に見てもらえたのはそういうことなのだろう。


明治時代になりキリスト教が公に認められるようになり、崎津にも教会が作られた。かつて絵踏が行われていた庄屋跡である。

儀礼を行っていなければ入って見学して良いよう。ステンドグラスなどはいかにも教会建築だが、畳が敷かれているのは異質である。

ちなみに潜伏キリシタンの中にはカトリック教会に合流しなかったものもいたそう。

このことは集落の入口にある道の駅のガイダンス施設で紹介されていたのだが、

元々、神道・仏教・キリスト教が融合したような信仰だったため、神棚の破棄などに抵抗を示すものがいたよう。

そのため従来の信仰を続ける人も一部にはいたそう。ただ、熊本県内(天草)ではすでに失われたそう。


ところでこの崎津集落は重要文化財や史跡があるわけではない。

国内の保護制度としては重要文化的景観「天草市﨑津・今富の文化的景観」が根拠となっている。

この重要文化的景観というのは漁村集落の景観で、潜伏キリシタンの信仰を表すものとはなかなか思えないところはある。

潜伏キリシタンが作った漁村ということで、世界遺産の構成要素としてはよいことになっているようだ。

潜伏キリシタンの歴史の始まり(島原の乱)を表す原城跡、終わり(信徒発見)を表す大浦天主堂はわかりやすいが、

本当に重要なのはその間で、でも潜伏していたから建造物などが残っていることってそうないんですよね。

そんな中で潜伏キリシタンの痕跡が残る集落を集めたわけだが、それが重要文化的景観の根拠かというとこれは怪しい。

でもこの世界遺産はかなりユネスコでの評価は高かったらしい。よくわからん話である。


さて、ここから牛深に向かうわけだが、距離を見て、これは電池足りんだろうと。

電池が完全に切れてしまうとライトも付かなくなり、坂を下ることすらできなくなってしまう。

ここから牛深までは1つ山を越えなければならない。なんとか押し歩きなどで節約しないといけない。

なんとか牛深の市街地まで下り降りることはできたのだが、さすがに71kmで電池切れになってしまった。

電池2本で71kmというのは距離としてはこれまででは走った方である。ただ2~3kmぐらい足りなかった。

しかも泊まる宿が民宿みたいなところでチェックイン時間が18時になっていて、なんとか間に合わせたい。

そんなわけで押し歩きで早歩き、汗だくになりながら滑り込むように宿に入った。

崎津にさえいかなければ、時間も余裕はあったし、電池も持っただろうけど……

でも、崎津に行ったこと自体はよかったかなと思う。やはりそれだけの価値がある空間ではないか。


というわけで島原・天草の旅も明日には完結である。

バイクの走行距離の兼ね合いで天草の1箇所に留まり周遊というのは難しく、本渡と牛深を渡り歩いたわけだが、

牛深は言うまでもなく、長島に渡る船が出るところである。

明日は最終的には出水、すなわち九州の本土に戻ることになる。

やはりこのバイクには過酷な旅だったが、多くの発見があったなと思う。