今回の旅行は大きく2つである。前半は倉敷、後半は大阪、主には万博である。
電動バイクを持って行くわけだが、家を出て駅に向けて少し走り出したところでおかしなことに気づき、
少し振り返ったら充電器を荷物に入れるのを忘れていることを思いだして引き返した。
これ、一番やってはいけないミスなのだが……帰っていろいろ反省しなければならない。
幸い、すぐに引き返して荷物に入れて、駅に走るとなんとか想定の電車に乗れた。
東京駅での乗換が慌ただしくなるか、早割放棄して列車変更かと思ったが、特に問題はなかった。
だいぶ前から電動バイクを持って行きたいところとして岡山県は考えていた。
といっても当初は津山だとかのイメージだったが、なかなかこれが計画が立てにくかった。
そんな中でここしばらく倉敷市について聞くことが多く……仕事の話はいい話ではないのだが……
いろいろみどころがあってよいのではないかと倉敷を拠点に見て回ろうと思った。
そんなわけでのぞみ号で岡山駅まで。岡山に来るのは大学院時代の学会以来か。
といってもすぐに乗り換えてしまうのですが。黄色い電車に乗って数駅、倉敷駅で下車。
ちなみに新幹線にも新倉敷駅があるが、こちらは玉島地区という倉敷の中心部とはまた違った地域にある。
倉敷駅を出て大都市だなぁと思いながらバイクを組み立てて走り出す。
宿に荷物を預けて、西に走って行く。イオンモール倉敷の巨大さに驚きつつ、
少し進んだところで北に向きを変え、倉敷大橋を渡る。
倉敷大橋もそこそこ新しいが、急カーブで方向を変えた先の橋はさらに新しい。
新柳井原橋、2023年に通水開始した新しい小田川にかかる橋である。
真新しい護岸が多く見えるが、全てが全て新しいというわけでもない。
2018年7月、梅雨前線による豪雨で西日本各地で土砂災害・浸水・洪水など多発した。
様々なところで被害がでて、特に広島県内の土砂災害は甚大だったが、
それと並んで大きな被害が出たのが倉敷市真備町の洪水である。
小田川と支流の堤防が複数決壊、死者51名、家屋被害 約5500棟というすさまじいものである。
背景には小田川の合流先の高梁川の水位が高く、小田川の水が流れていかないことがある。
このような問題の打開策の1つには合流先の高梁川の流下能力を上げる方法もありそうだが、
そうすると下流の倉敷市街に甚大な被害が及ぶ恐れがある。
そこでかねてから考えられていた小田川と高梁川の合流点を下流に動かす事業が動き、
被災後わずか5年で完成を迎えたという。途中で見た碑に書かれていたが本来は10年はかかる事業だが、大急ぎでやったのだという。
新しい小田川はもともと柳井原貯水池だったところを活用している部分が多い。
付け替え前から遠目には川にも見える貯水池だが、これもまた水害対策である。
実は高梁川と小田川が合流した後、西高梁川と東高梁川に分かれていた時代があった。
一見すると2つの川で分担できて良さそうだが、東高梁川は過去の砂鉄採取の影響で天井川になり、倉敷市街にたびたび洪水被害を生じさせていた。
このため明治時代に合流点からしばらくは東高梁川、そこから開削部を経て、広い西高梁川に流すルートに一本化した。
東高梁川の跡地は市街地化したが、西高梁川跡地は締め切って貯水池にしていたわけである。
このときの西高梁川を復活させて、小田川にしたという感じである。
従来の合流点は長い長い堤防で締め切られ、ここを見ると大変な大工事だったことがわかる。
今の真備は一見平穏である。支流の高い堤防を乗り越えるために急坂があるのは気になるけど。
しかし相当な家屋が建替を要したことは容易に想像できる。
真備には井原鉄道の高架橋が通っているが、吉備真備駅付近の高架橋に黄色いマークがある。
実はこれ、洪水でここまで浸水したということを示すマークである。
小学校にもこのマーキングがあったが、よくここまで浸かった建物を使えているなと思う。
再建された堤防から真備を見てみると、確かにこれが決壊すると浸かるなと思う。
決壊の原因となった水位の上昇は付け替えにより相当起きにくくはなったはずだが……
真備という地名の由来は吉備真備という人名から来ている。
この人、遣唐使として派遣されたエリートで、このあたりの出身だと記録が残っている。
まきび公園などに中国風の建物があるのは、遣唐使のイメージなんだろう。
まきび公園の看板では真備はカタカナの発明者だとか、囲碁を広めたとか書かれている。
本当かはちょっと怪しいところはあるらしいが、当時のエリートの出身地ということである。
月曜なんで展示施設とかは休みなんですけどね。
思ったより早くことが済んでしまったので、明日行こうと思っていたところに先に行くことに。
清音駅まで走ってバイクを畳んで1駅乗って倉敷駅に。そこでバイクを運んでたどり着いたのは水島臨海鉄道の倉敷市駅である。
水島臨海鉄道は工業地帯で知られる水島地区への人と貨物の輸送を担っている。
実はさっき出てきた東高梁川のあたりを走っているらしい。東高梁川のかつての河口付近を工業地帯にしてしまったと。
現金できっぷを買って、1両編成ディーゼルカーに乗り込んで、高架をちんたら走っていく。
駅間隔は短く、路面電車のような趣もある。名前の割には生活路線である。
終点は三菱自工前だが、通勤時間帯しか走ってないのか水島行きばかりだった。
ここでバイクを組み立てて、線路を追ってしばらく走って行くことにする。
工業地帯の中、様々な工場があるが、大きいのは石油化学ということになるのかな。
巨大なタンクや道路をまたぐパイプラインなど、石油化学コンビナートだと思いながら走っていたが、
工場の入口にたどり着いてしまい、間違えたと引き返すと、コンテナ貨車を引いた貨物列車が踏切を渡っていた。
どうも水島臨海鉄道の貨物列車は主には一般的なコンテナ列車らしい。
もちろんコンテナの中身には薬品とか入ってるわけですけどね。一見面白くないが、便利なことは違いない。
で、ここから進んでいくと瀬戸大橋の方に行けるんですよ。瀬戸大橋へ向かう高速道路も見えてくる。
そこから少し方向を変えてたどり着いたのが下津井港である。
ちっちゃい電車が置かれている広場があったが、かつてここには下津井電鉄という軽便鉄道があった。
下津井電鉄は現在もバス事業を行っており、下電バスと呼ばれていることが多い。
その下津井というのはこの港町である。この軽便鉄道は1991年まで残っていた。
元は茶屋町~下津井を結んでいたが、廃止直前には児島~下津井になっていた。
というと瀬戸大橋線に代替されたのかと思ったかも知れないが、茶屋町~児島の廃止は瀬戸大橋着工より前の1972年である。
これは岡山・倉敷~児島でバス利用者が増えた一方、児島~下津井は道路状況が悪いため鉄道を維持したためである。
下津井は丸亀までの航路との接続という目的があった。ところがこれも瀬戸大橋開通でなくなる。
かくして下津井電鉄は全線廃線し、その跡地は風の道という自転車・歩行者専用の遊歩道で残されている。
これって特定原付はどうなんでしょう。自転車・歩行者専用道路ならいいんですけど。
瀬戸大橋というのは1本の橋ではなく、下津井からよく見えるのは櫃石島までの下津井瀬戸大橋である。
瀬戸大橋架橋記念公園というのがあるが、実態は下津井城跡である。
あまり橋を見るような公園ではないが、場所によってはよく見えるという感じ。
ここから隣を見ると奇怪なアトラクションが見えるが、これが鷲羽山ハイランドである。
話には聞いてたけど、こんなところなのか。
児島駅にたどり着いてマリンライナーに乗って茶屋町駅で下車。
ここから真っ直ぐ走っていくと倉敷市街にたどり着くのでここで下車している。
瀬戸大橋の本州側が倉敷市というのは少し意外な感じもあったのだが、
水島と往来したり、倉敷市街と往来できるポイントがいろいろあったり、それなりに理由はあるんだなと。