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城下町と県庁の町

当初、臼杵というのはただ通り過ぎるだけのつもりだったのだが、
調べてみるとおもしろそうなものがあるので、午前中はそんな寄り道をしていた。
それが臼杵石仏である。というわけでバスに乗って石仏へ向かった。
臼杵石仏はその名の通り、岩に仏さまを彫ってあるわけだ。
国宝に指定されているのだが、近畿より西では唯一の国宝の仏像なんだって。
この石仏はほどほどに開けた田畑の広がる集落にあるのだが、のどかなものである。
その上、石仏そのものは寺に属しているわけではなく、なんとなく岩場にあるものを臼杵市が管理しているという状況。
そんな雰囲気も含めて、のどかな印象を受ける。
今は石仏には覆屋がかけられているのだが、元は野ざらしだったらしい。
中には土に埋まっていたものもあったんだとか。(掃除をしてた人が教えてくれた)
それをきれいに掃除して、崩れないようにロックボルトで補強したり、樹脂で固めたり、
それで今後の劣化を防ぐために地下水を排除するドレーンを作り、覆屋を作ったってわけ。
こうして保存措置がとられたところで国宝に指定されたという経緯があるようだ。(それ以前から重要文化財ではあった)
この保存工事に着手する前の写真があったのだが、ひどいものだった。
苔が表面を覆い、仏さまの頭が落ちたものも多かったようだ。
凝灰岩ということで加工性はよかったようだが、これは裏返せば劣化しやすいということでもある。
それが常に湿ったような状態になり、岩はもろくなり、苔も生え放題。こりゃいかんよなぁ。
それでも信仰の場ではあったようで、さい銭箱がおかれていた。
なお、現在は市の管理だが、地域でさい銭箱をおいたり、線香を用意したり、法要をしたりしているようだ。
さながら公営の寺だが、線引きはあるんでしょうね。
石仏へのバスだが、平均すれば1時間に1本ぐらいあるが、間隔が2時間ぐらい開いたりちょっと使いにくい。
今回はのんびりと1時間半ほど散策していると臼杵駅に戻るバスが来るのでよかったが。
大分バスはnimocaが使えるのだが、同じ塗装のグループ会社ではnimoca不可のようで。中途半端だなぁ。
石仏から臼杵駅へのバスはよかったのだが、そこから列車への乗り継ぎはイマイチだった。
というわけで、それまでの時間で臼杵の市街地を散策していた。
すっかり寂れた商店街の広がる城下町である。
3月ということでひな飾りがあったのだが、臼杵のひな飾りは紙製なんだそうで。
どうも臼杵藩では「ひな飾りは禁止、ただし紙製は認める」という指示があったそうだ。
列車の時間が近づいた頃に臼杵駅に行き、宮崎行きの特急に乗り込んだ。
大分県最後の停車駅、佐伯駅から宮崎県最初の停車駅、延岡まで延々と1時間ほど、山深いところを進んでいく。
これほど山深いと普通列車はほとんどないらしく、九州内での宮崎県の孤立感をよく表している。
宮崎県に入り、海沿いを突き進む中、都農あたりで水路橋のようなものが延々と続いているのが見えた。
何かなと思ったら、リニアモーターカーの実験線跡だったらしい。宮崎実験線と言ってたのはこれらしい。
ここでの実験成果から、より実践的な山梨実験線が生まれ、本格的な中央新幹線の建設が始まろうとしている。
臼杵を出て、2時間半ほど、宮崎駅に到着した。
宮崎駅を出ると南国感をかもしだすヤシ類が植えられている。
これで太陽がサンサンとしていればよかったのだが、実際は雨である。
とりあえず市街地の中心を目指して、高千穂通りを歩いていく。
すると10分ほどで、山形屋(やまかたや)とボンベルタ橘という2つの百貨店がある交差点にたどり着く。
ここで交差する橘通りは宮崎市の中心となる通りで、一番のバス通りである。
目的地によるのだが、宮崎駅からのバスというのは本数が限られる場合がある。
一方で橘通りを突き進み、市役所・県庁をたどり、宮交シティというショッピングセンターを発着するバスが多い。
いずれにしても、2つの百貨店のあるあたり、「デパート前」と総称される停留所のいずれかは通ることになるので、
バスに乗るなら、宮崎駅にいるよりもここまで来た方がよかったってわけ。
そうやってデパート前にたどりついたら、ちょうど「宮崎神宮」と書いたバスがやってきた。
宮崎神宮へは列車でもいけるが、本数が少ないからバスの方がよい。そしてデパート前からが最適だ。
ほどなく到着した宮崎神宮は神武天皇を祀っている。
なんで神武天皇?って思ったんだけど、どうも日向の出身で、最初にいたのは宮崎だったらしい。
ただし、その後に大和に向かい、橿原で今の日本を建国したということになっている。
そういう伝説が残る土地なので、それにちなんで作られたのが宮崎神宮とのこと。それなりに歴史は長い。
宮崎神宮にやってきたのは、その隣接地に宮崎県総合博物館があるからでもある。
ここは自然史・歴史・民俗資料といろんなものがあるが、なんと常設展は無料である。
特に自然史の展示はなかなかのものだった。豊かな宮崎県の自然をよく表す展示で勉強になった。
宮崎県の北西部の山奥は鉱物資源に恵まれたところで、もう掘り尽くしてしまったが、相当なものだったようだ。
歴史という点では明治時代のバスガイドの観光案内を録音したレコードで「宮崎はもっとも古く、もっとも新しい町だ」と言っていたのが印象的だった。
実は宮崎市は県庁の町として生まれたという経緯がある。
2つの県が合併したとき、その中間である宮崎に県庁をおいたからだ。
だから新しいんだけど、その一方で神武天皇ゆかりの地ということで、今の日本ではもっとも古いとも言っている。
そんな宮崎県だが、一時は鹿児島県の一部となり、後に日向国一円を宮崎県として独立させたそうだ。
この宮崎県の独立運動というのは相当なものだったそうで、その記録も展示されている。
そんなこんなで、またバスにのり、デパート前に戻ってきた。
橘通りはひっきりなしにバスがやってくる。
宿もこの辺なのだが、このあたりの繁華街を散策してみた。
そしたら、以前、FMシアターで取り上げられていたストリートピアノがあった。
青色のアップライトピアノ、演奏して遊んでる人がいた。
まぁこの姿だけ見てるとあのドラマのようなことは起きる気はしないけどね。
明日は旅行の最終日、飛行機に乗って帰るだけなのかというと、あとちょっとある。
けど、宮崎にいるのは午前中までだ。
明日も天気はあんまりだが、今日ほど悪くないみたいで一安心。
Author : Hidemaro
Date : 2017/03/20(Mon) 23:44
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