このまま放ったらかしにしとくと書かずじまいで終わってしまいそうなので、
先々週の土曜日の東京国立博物館の話を書いておこうと思う。
東京国立博物館に足を運んだことには意図があると書いたが、
その意図というのは法隆寺宝物館のことですね。
なぜ法隆寺の宝物の一部が斑鳩から遠く離れた東京にあるのか。
それもなぜ独立した建物を作るほどの数があるのか。
その事情は明治時代にさかのぼることになる。
明治時代というと廃仏毀釈で寺は経済的に苦しんでいた。
例えば、奈良の興福寺は昔は大きな寺だったが、明治時代に土地をだいぶ手放して、今や奈良公園の中に埋もれてしまっている。
いかに興福寺が広い土地を持ってたのかというと、今の奈良県庁やらが建ってる一帯はもとは興福寺境内だったし、
奈良ホテルも、奈良国立博物館もかつて興福寺境内だったところに建っている。
奈良公園界隈の地図と照らし合わせてみるとその広さはよくわかるだろう。
法隆寺も苦しんでいたんだろうが、その苦境を乗り切るために法隆寺が取った方法が、宝物を皇室に売りつけるという方法だった。
売りつけるというか、宝物を皇室に献納して、その代わりに1万円を下賜されたということだけどね。
こうして法隆寺は老朽化した伽藍を改修して、今日も7世紀の時代の姿を残しているわけだ。
うまいこと考えたもんだと思うわ。確かに貴重な宝物は手放すことになるが、皇室に渡せば悪いようにはされないだろう。
その宝物は今の東京帝室博物館で展示されていた。かつては国立博物館のことは帝室博物館という名前だったのよね。
終戦後は一部を除いて皇室から国立博物館に所有が移ったようだ。
法隆寺宝物は常設展の中で展示されていたが、数が多いので、独立した建物を作って展示することにした。
こうして1962年に法隆寺宝物館が作られ、法隆寺が手放した宝物がいつでも広く見られるようになったわけだ。
というわけでいろいろうろちょろしながら、法隆寺宝物館にやってきた。
7世紀の品を収める建物ににつかわしくないシャープなデザインの建物なのがなんかおかしい。
今の法隆寺宝物館は1999年に建て替えられた二代目で、その時代のセンスなんだろう。
それで展示室に入ると一面に並べられた小さな仏像に迎えられた。
暗い部屋に大量に並べられた姿は驚くほどインパクトがある。似てる物もあるが、全く同じものを除いて全部並べてあるそうで。
なんでこんな大量の仏像が法隆寺にあったのか。そこは謎もあるそうだ。
それにしても暗い展示室である。この建物が出来たのは1999年、この時代の水準で貴重な文化財を守るためと考えて設計したんだろうが、
今だとLED照明とかあるし、ここまで暗くしなくてもという気はする。もちろん照明はすでにLEDに置き換えられてますけどね。
仏像が置いてある部屋の奥に扉があるが「文化財保護のため閉室中」と書かれている。
後で確認してみるとここには伎楽面があるそうだが、法隆寺宝物の中でも特に貴重なコレクションで、特に保護に気を遣うものでもあるのだろう。
年間3回、それぞれ概ね1ヶ月ずつ公開されているそう。まぁ仕方ないね。
2階に上がるといろいろな工芸品があるのだけど、「あ、これ写真で見たことあるわ」というものも多い。
1つ1つがきわめて貴重なコレクションであることは間違いない。
今回見られなかった伎楽面はまた改めて見に行きたいものだ。
展示館のデザインについては思うところはあるのだが、
遠く離れた東京の地ではあるけど、貴重な宝物が余すことなく見られるようになっているのはよいことなのかなと。
もっとも毎日見られるようになったのは1999年に今の法隆寺宝物館が出来てからなんだけどね。
初代法隆寺宝物館は確かに法隆寺の宝物を網羅的に展示していたのだけど、週に1日しか開いてなかったらしい。
なんというか難儀なもんやね。