ヤフオクの入力画面が変わった理由

ショックなことがあって、それがヤフオクでクーポンの適用漏れがあったこと。

どうしてそんなミスをしてしまったのかというと、最近操作手順が変わったのである。

落札後の取引画面、手順の変更について (Yahoo!オークション)

従来は取引情報の入力とYahoo!かんたん決済での支払の2ステップに分かれていたのだが、

出品者が送料決定するプロセスが不要な場合はワンステップでできるようになった。

普通に考えれば便利になったという話ではあるんだけど。


そもそも、昔のヤフオクはおてがる配送もなかったし、かんたん決済も必須ではなかった。

取引ナビのテキストで送付先、送料、振込先などの情報をやりとりしていた。

これがだんだんと定型化されてきたという流れがあり、

まず送付先などの情報は取引ナビのフォームに入力することが基本になった。

支払はYahoo!かんたん決済の利用が原則になった。

送料も自動的に決まるケースが多くなっていた。

1つは送料込みの場合、開始価格=即決価格でYahoo!フリマへの掲載を希望する場合などこれにあたる。

2つ目が おてがる配送を利用する場合、この場合はサイズを登録しておけば、自動的に送料が計算できる。

3つ目があらかじめ送料を入力できるケース。

基本的には全国均一じゃないと難しいかな。(沖縄県と離島だけは別金額を指定できるが)


こうなってくると、送付先の入力→Yahoo!かんたん決済での支払は連続してできるのだが、

出品者が送料を決めるプロセスを挟むことがあるという理由で2工程に分かれていた。

Yahoo!かんたん決済のフォームも送料の額を任意に変更できるフォームになっていた。

すなわち、送料が自動的に決まるパターンでもやりとりで送料を変更することはできた。

ただ、これがトラブルの原因になるケースもあったんじゃないかと想像するところはある。

あと、この仕組みを理解できてなくて、支払せずに放置されるケースもあったかもしれない。


冒頭に書いたクーポンの適用漏れがなぜ起きたのかという話だが、

従来はYahoo!かんたん決済のフォームへの入力時にクーポンを選ぶ仕組みだったが、

新しいフォームでは一括化されたので、最初の取引情報の入力時にクーポンを選ぶ必要がある。

ところがそのことに気づかず、かつ表示を見落としてしまったのである。

Yahoo!フリマと同じになったという意味ではよいのですが。

ちなみにYahoo!フリマの場合はクーポンはそのとき持っているものでもっとも有利なものが自動選択される。

が、それがもっともよいかは状況によるので選びなおす必要はあるかもしれない。


実は今回、落札した商品は大きな不満があって、

それが本なのに発送方法が宅急便だったということである。

それを おてがる配送で落札者負担となっていたのである。

明らかに割に合わない送料をふっかけてくる商品というのはあるが、

これはおてがる配送なので、支払った送料はそのまま差し引かれる。

なので送料を浮かせて出品者がかすめ取るみたいなことはあり得ない。

(そういう行為はそもそも禁止されているけど)


ただ、それでもこれまでメルカリなどに出品されていた価格よりは安かった。

本当ならネコポスとかゆうパケットのような手段を選んでほしかったが、

そのためには一旦出品を取り消してもらわないといけない。

オークションの期日も当日まで迫っており、取り消して再出品という対応には時間に余裕がない。

落札後に発送方法を変更できるか確認してみたのだが、

匿名配送で変更できるのは想定より大きなサイズになった場合のみで、

後からネコポスに変更するようなことはできない。


となれば匿名配送を使わずにレターパックライトなど考え得るが、

レターパックライトの430円と宅急便60サイズの関東圏内々750円はそこまで大きな差ではない。

この出品者、過去の実績でも発送が早く、それは おてがる配送だからこそというのはある。

おてがる配送の枠内でネコポスに変更して、送料が安く出来るなら、

これは出品者にとっても受け入れやすいが、全く違う方法は難しいだろう。

後で気付いたけど、そもそも新しいフォームでは送料を後からやりとりで変更すること自体ができない。

なので落札後のやりとりで送料を変えるということがそもそもできない。

できるとすればまとめて取引の場合のみである。


だからこそクーポンを適用して送料を少しでも相殺したいと思っていたのだが。

このミスに気づいたときにはものすごいショックだったのだが、

それでもメルカリよりはだいぶ安かったし……とは思う。

あと発送はすごく早かった。この点ではよい出品者である。

送料出品者負担でおてがる配送を使っているのも透明性が高くて基本的にはよい。

ただ、そもそもこれが宅急便60サイズというところが疑わしいことが問題である。

絶対そんなサイズなわけがないんだけど。

大阪とシカゴ、タイガースとカブス

MLB TOKYO SERIES としてロサンゼルス・ドジャース vs シカゴ・カブスが東京ドームで行われるにあたり、

その前座として読売ジャイアンツと阪神タイガースが両チームと試合するということで、

大変盛り上がっていたところである。

ちなみにこの試合は日本の2チームのホームゲームの扱いなので、

東京ドームの一塁側に阪神ファンが大挙して詰めかけるという不思議な光景になっていた。

確かに日本という点ではホームだが、阪神が東京で主催試合を行うわけもなく変な光景である。


偶然かどうか知らないけど、大阪とシカゴは友好都市として長年にわたり関係がある。

大阪の友好都市はいろいろあるけれど、シカゴというのはどうにも印象深い。

なにかと類似性の多い都市だと言われている。

お好み焼きとシカゴピザと丸い食べ物に縁がある……というのはさておき。


金融関係では大阪とシカゴは先物取引で名前を聞く都市である。

日経平均株価先物は大阪(大阪取引所)とシカゴ(CME)が代表的である。

実際にはシンガポールも取引量が多いんだけど。

江戸時代に米取引の中心だった大阪、穀物の集積地だったシカゴは似たような歴史背景がある。

なぜ、いずれも穀物の集積地だったかといえば、それは水運が便利だったから。

川沿いに高層オフィスが並ぶ姿はかなり似ている。

もっとも大阪は中之島周辺の比較的狭いエリアに限った話ではあるが。


阪神タイガースそのものは西宮が本拠地だけど、と言ってしまえばそこまでだけど。

とはいえ、阪神タイガースとシカゴ・カブスも類似点が多いチームである。

そもそも長い歴史のあるチームだが、特に本拠地球場の歴史が古い。

甲子園球場は昨年100周年を迎え、NPB本拠地球場では最も古い。

カブスの本拠地のリグレー・フィールドもMLBで2番目に古く1914年開業である。

ツタにも縁がある球場である。甲子園球場では外壁、リグレー・フィールドでは外野フェンスと場所は違うが。

ユニフォームも縦縞なのは共通的である。

(それゆえか今シリーズではタイガースのユニフォームはビジター用のものだった)


あと、名門なのに長年全国優勝から遠ざかっていたことも似ている。

タイガースは「カーネル・サンダースの呪い」とまことしやかに言われていたが、

カブスは「ヤギの呪い」とか「ビリー・ゴートの呪い」と言われる話があった。

いずれも近年、日本シリーズ、ワールドシリーズを制覇して、呪いは過去のものと言われている。

名門チームにはいろいろあるんだなぁと思いますけど。


vs カブス、vs ドジャースと2試合終えた阪神タイガースだが、

いずれも0点に抑えての勝利だったという。

特にドジャースの昨年のワールドシリーズ覇者ですから、

実質世界一かと沸き立っていたが真相はいかに。

MLB TOKYO SERIESとしては火曜・水曜の夜に行われるカブス vs ドジャースが本番ですね。

両チームには日本人選手も多くおり、東京で行うのはそれが理由であろう。

たいへん注目度の高い試合である。

ICOCAは導入しやすい?

調べごとをしていたら三岐鉄道北勢線がICOCAを導入したことを知る。

そこまで驚くことではない気もしたが、三重県だと当然のようにICOCAなんだなと。

いや、別にそういうわけでもないのかもしれない。


というのもICOCAは北海道のバス会社までも導入しているのである。

北海道ボールパーク(エスコンフィールドHOKKAIDO)へのバスを運行する北海道バス他が導入している。

この北海道バスという会社は東大阪市に本社を置く大阪バスの関連会社で、

大阪バスは東大阪周辺の路線バス用にコミュニティバス用に開発されたICOCA端末を搭載している。

IC改札機 (JR西日本テクシア)

当初は現金(北広島駅発着以外はきっぷの購入が必要)かクレジットカードのタッチ決済のみで混乱が多かったが、

大阪バスで使ってるの持ってくればいいのでは? と共同運行各社とともに導入したという。

市営地下鉄のSAPICAは使えないが、KitacaやSuicaでも問題なく使える。

システム上は大阪バス扱いなので北海道なのに大阪バスの乗車と記録されるがそれはそれ。


鉄道でも小規模事業者にとって導入しやすいシステムがあるようで、

  • 四日市あすなろう鉄道 (2021年)
  • 富山地方鉄道(市内電車) (2021年, 車載器のみ)
  • 伊賀鉄道 (2024年)
  • えちぜん鉄道・福井鉄道 (2024年, 車載器併用)
  • 万葉線 (2024年, 車載器のみ)
  • 伊予鉄道 (2024年:市内電車:車載器のみ, 2025年:郊外電車)

車載器で導入している鉄道会社も多いんですね。

JR西日本は境線(米子~境港)を皮切りに車載器でのICカード導入をしている。

バス用のシステムとは違って、駅の改札機で入って車載器で出るとか、その逆もできる。

えちぜん鉄道・福井鉄道はそれをフル活用しているわけですね。

富山地鉄と伊予鉄の市内電車は均一制だから出口だけ置いている。


三重県って基本的にJR東海管内だけど、ICOCAなのかと気になった人もいるかもしれないが、

四日市あすなろう鉄道(内部・八王子線)と伊賀鉄道(伊賀線)も三岐鉄道北勢線も元近鉄の路線である。

県内外との移動は近鉄が主であり、それに接続する支線として使われるのが大半。

近鉄はPiTaPa加盟社で、定期券をICOCAで売るため、ICOCAは近鉄の駅で買える。

残高で乗るならTOICAもICOCAも関係ないが、定期券用に必要なのがICOCAなのは大抵の利用者には好都合である。

伊予鉄道については、愛媛県内のJRはICカード未導入だが、JR四国は香川県内ではICOCAを導入している。

ちなみに伊予鉄は元々あったICい~カードの置き換えでICOCAを導入する。


そんなICOCAだが、JR西日本管内に限らないということでこういう話がある。

モバイル ICOCA が進化!~TOICA・SUGOCA のモバイル IC サービス開始~ (pdf) (JR西日本)

モバイルICOCAでJR東海・JR九州エリアのIC定期券が買えるようになるというころである。

現在はJR東海の駅で定期券を買う場合はTOICA、JR九州の駅で定期券を買う場合はSUGOCAが必要だが、

モバイルで購入する場合はいずれもモバイルICOCAにするということである。

残高での乗車はICOCAで両社とも対応できるので定期券だけの問題である。


駅窓口の集約が進む中で定期券をモバイルで買えるようにようにしたいが、

そのためのシステムを自社で構築するのは大変負担が重い。

モバイルSuicaに次ぐシステムは出てこないのではないかと言われている中で、

モバイルPASMOとモバイルICOCAが登場したことは大変驚かれたものである。

このシステムに東海・九州も相乗りすると言うことである。

ちなみに四国は香川県内の主要駅のみにICOCAを導入していることもあり、IC定期券の制度自体がない。

ICOCAで定期券を発売する私鉄・公営各社も相乗りするかもしれない。


一方で小規模事業者の定期券については定期券情報をカードに書き込まず、

Webで購入を可能とする iCONPASS というシステムが導入されていくようだ。

これの初導入となったのが北勢線で、三岐鉄道は北勢線利用者に定期券の移行を促している。

北勢線は三岐鉄道への移管後に各駅に自動改札機を導入してきた。

システム更新のタイミングでICカード専用機に置き換えたいようだ。

ICカード専用で簡素だが、扉の付いた改札機が導入されたのはそのためだろう。

おそらくこのシステムはすでに導入している各社にも展開されるのではないか。


Suicaも地域連携ICカードとして各地のバス会社(芳賀・宇都宮LRT含む)とタイアップしたカードを出しているが、

これはこれでけっこう重たいシステムだなとは思う。

北海道バスのようにちょこっと導入したいというニーズにはICOCAの方が適した方法があるのかもしれない。

ちなみに広島電鉄(電車・バス)もPASPY廃止後はコミュニティバス用の車載器を電車・バスに搭載する。

PASPYの代替は同社の提唱するMOBIRY DAYSが本線ではあるものの、

現実問題としてICOCA他を利用したいニーズは多いだろうと導入するそうだ。

均一制ならそこそこ使えるとは思うのだが、アホらしいとは言われていた。

なお、広電以外の大半のPASPY導入社(アストラムラインなど)はICOCAを主に導入することになる。


SuicaとICOCAの戦略はけっこう違うんですよね。

JR西日本は特急をICOCAとチケットレス特急券で利用できることを1つのターゲットとしていて、

この観点でエリアを大きく広げているし、切れ目なく利用できる仕組みになっている。

次いでそれらの路線に接続する鉄道・バス各社にもICOCA導入を促していて、

ゆっくりではあるが、その輪は広がっているように見える。

一方のSuicaは県庁所在地クラスの都市の鉄道・バスをカバーするのを優先しており、

盛岡などは鉄道・バス揃ってSuica導入というストーリーである。

どっちがよいという話でもないとは思うのだが、

やはり主要駅だけでもICカードがやってくることは大きくて、

それが呼び水になってだんだん拡大しているのは見てもわかる通り。

環状線のおこぼれとおさがり

とうとう大和路線から201系が去ったらしい。

これによりJR東日本・西日本が継承した201系はすべて引退となった。

この車両は多摩地域の人にとっては中央線快速で長年走ってきた印象が強いかもしれないが、

僕が来たときにはとっくにいない車両だったし、やはり環状線と大和路線の印象が強い。


まさか最後の活躍の場が大和路線になるとはねという感じはあるが。

JR西日本はこの車両をJR京都線・神戸線の各停で使用していた。

こちらが新車に置き換えられたことで、環状線にやってくることになった。

ところが7両編成を全部環状線の8両編成にしようとすると効率が悪い。

そこで8両と6両に組み替えることにして、6両は同様に車両の老朽化の問題のあった大和路線に来た。

環状線のオレンジ色は中央線快速と同じようなカラーだからよいが、

大和路線のウグイス色は201系にとって新色だったので話題になった。

一時は環状線の主力として目にすることも多かった車両である。


環状線を去ることになったきっかけは可動式ホーム柵取り付けである。

環状線は各駅へのホーム柵取り付けにともなって3ドアの車両に統一することを決定。

これに伴って3ドアの新車を購入、これで置き換えられることになった。

このとき環状線を走っていた201系の一部は2両捨てて大和路線へ。

このとき大和路線ではさらに古い103系が順次廃車となっている。

一時期、大和路線の各停に連日乗ることがあったのだけど、

その時代はまだ103系が多かった時代で、すごいガタガタ揺れるなぁと乗ってた記憶がある。

それに比べれば201系は乗り心地はよかったので、記憶に残っている。


そして大和路線を去るのも可動式ホーム柵である。

もちろん老朽化の問題があり、他路線から221系が大和路線他に集められている。

201系が去ると、大和路線は大和路快速以下全てがこの形式になっている。

これにより新今宮駅の大和路線ホームへのホーム柵取り付けが可能になるという。

大和路線ホームとはいうが、環状線と大和路線・阪和線を直通する列車も通るので、

大和路快速、関空・紀州路快速のホームというほうが実情にあってるかもしれない。

従来はここにJR難波発着の201系が入ることがあったが、それはやめますよということ。

新今宮駅は両側が線路で幅もそこまで広くないので安全面では重要でしょう。


そろそろ国鉄から継承した通勤電車も数が少なくなってきた。

今も通勤電車らしい使われ方をしているというと、

JR奈良線と仙石線で走っている205系だが、これはJRになってから製造されたのもある。

仙石線は置き換えの方針が出ており、すでに新車の導入が始まっているそう。

JR奈良線はわからないが221系で運転される各停もそれなりにあるので、

221系の集約が進めばいなくなるだろうが、まだ少しかかるかもしれない。

この奈良線の205系は阪和線で走ってた頃の青色のままで走っていて、

いかにも繋ぎという感じのつよい見た目になっている。

加古川線・播但線と筑肥線末端区間で走る103系ってのはあるけど、これは追いやられたやつ。


というわけでいろいろあったけどお役目を全うしたということで。

やっぱり各停まで全部221系なのは違和感はあるけど、

座席を取って環状線の混雑にも対応できるようにした車両ですので、それはそれでいいのかなとは思う。

結局、一番混むのは201系が入ってた各停より、大和路快速・区間快速だと思うので。

イオンが公開買付するという

めずらしくもポストに大きな封書が投げ込まれていた。

「イオンディライト株式会社 公開買付関係資料在中」

全部紙で印刷された資料で、やっぱり送ってくるんだな。


イオンは2つの上場子会社を完全子会社することを発表していた。

その1つがイオンディライトで、僕はその株主である。

そもそもこの会社はビルメンテナンスの会社である。

歴史をたどるとマイカル傘下のジャパンメンテナンスという会社だった。

マイカル傘下の時代に上場しており、これが現在まで続いている。

マイカルは2003年にイオンの子会社となり、イオングループ内のビルメンてナンス会社を吸収、

その際にイオンディライトという社名になっている。


なぜジャパンメンテナンスは上場したのかというと、専門性の高い人材を確保するという意図が大きかったようだ。

イオンの子会社ではあるが、売上の概ね半分はグループ外によるもので、

そもそもビルメンテナンス業界のガリバーで、業界1位の売上を誇るという。

(確かに大手とは聞いてたが、業界1位なのは今初めて知った)

となればなぜイオンはこの会社を完全子会社にしようとしたのかというと、

イオン社内のファシリティマネジメント機能を移管することを考えているのだという。

上場子会社との取引となれば結局は社外との取引とあまり変わらないのである。

維持・修繕の計画を立てて、それを発注する機能をイオンリテールなど各社が持つ必要がある。

この機能ごとイオンディライトに移管するには社内に取り込む必要があると。


この先にはイオンディライトはBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)でグループ外にも商売できる会社になると書かれている。

なのでグループ外との商売は引き続き重要だという話である。

公開買付が成立してしまえば、株主としては手離れしてしまうので関係ない話だが、

社内向けのメッセージとしては重要なことだろう。


この趣旨には賛同するところなので公開買付に応募しようと思うわけだが、

公開買付ってのは代理人である証券会社にある株式でしか応募できない。

(復代理人として複数の証券会社が指定されることもある)

しかし、今回の場合は野村證券が唯一の代理人である。

そして、僕は現在、野村證券には口座自体ない。

というわけでどうしようかと考えるわけである。


選択肢は3つある。1つは野村證券の口座を作って、そこに移管して応募する。

2つ目は応募せずに持ち続ける。

おそらく今回の公開買付は成功して、イオンは90%とか67%の株式を取得できるだろう。

こうなると少数株主を締め出すための手続きが行われ、公開買付と同額で買い取られる。

この方法は以前ある会社で経験している。

お前の株式は買い取ったというはずだが

3つ目は市場で売却する。現在の株価は公開買付額(5400円)に近い5380円である。


2番目の方法はこれはこれで面倒である。

スクイーズアウトの手続きには時間がかかり、交付金銭領収書で受け取るにはいろいろ手間がかかる。

前は金額が比較的小さかったからこれでよかったが、今回はけっこうな金額である。

3番目の方法はすぐに現金化できるという点では悪くないが、正攻法ではないなと。

というわけで結局は1番目の方法、野村證券に口座開設する方法にした。

説明書には「売却代金を振込で受け取る場合、送金手数料がかかる場合があります」とあるが、

銀行口座への通常の出金には手数料はかからないから、一応書いているだけである。


これ、思ったよりも楽だった。マイナンバーカードがあるのが前提ですけどね。

Androidアプリで入力補助APの暗証番号と署名用電子証明書のパスワードを入れて、

これでほとんどのデータは自動入力されて、あとは電話番号など入れる程度。

しかも、朝に申し込んだら昼休みには口座開設が完了していた。

ただ、これだけでは申し込めなくて株式を移管する必要がある。

GMOクリック証券からの移管はWebフォームに必要事項を記入すればできる。

(SBI証券からの移管は印刷したフォームを郵送する必要があった)

ちなみにGMOクリック証券はそもそも移管手数料を取らない証券会社だが、

多くの証券会社で自社が(複)代理人でない公開買付への応募は移管手数料を取らないという。

明確なところは電話などで確認する必要はあるが、概ねそう考えてよい。


ここから移管までは2週間ぐらいかかるが、特にトラブルなければ間に合うはずで、

公開買付が成立すれば5月には現金化されることになる。

その先の投資先はまた考えておかないとな。


ところでイオンがもう1つ完全子会社化することを発表したのがイオンモールで、

実はこちらも株主なんですよね。

イオンモールはイオングループの中核会社の1つだが、

上場子会社ということで意志決定が統一されていなかったわけである。

イオンタウンのような小規模なショッピングモールは社内でも様々経営しており、

ここもイオンモールの領分にしてはどうかと考えているようだ。

こちらは株式交換での子会社化ということで、今後はイオンの株主として関わることになる。

基本的には賛同するところだが、気になるのは株式交換後の取引である。

現在のイオンモールの株価は2400円ほど(子会社化発表前は2000円ほど)、

これに対してイオンの株価は3900円ほどということで、

イオンモールの100株はイオンの100株に満たないわけである。

単純にイオンの株式に交換されると、交換後の取引に困ってしまうわけである。

こうなると継続保有は難しいので、株式分割などで打開してほしいものだが。


株主優待としては残念なところもあるんですけどね。

両社はいずれもイオンギフトカードをけっこうな金額くれる会社だったので。

イオンの株主優待はイオンでの購入額の一定割合を返金する仕組みなのでかなり違う。

でもやはり本業がうまく回ってこその会社ですから。

イオンディライトにイオンが期待を寄せていることは確かにわかるし、

イオンモールにイオングループ内に雑多に散らばるショッピングモールを集約できることの意義もわかる。

イオンモールの事業としては郊外型のモールが多いことは事実だが、意外に幅が広いのである。

かえってきた中華民国館

1970年の大阪万博が行われた万博記念公園に行くと、

各国パビリオンの跡地が表示されているわけだけど、今はなき国もしばしば。

そんなパビリオンの1つが「中華民国館」である。

中華民国はなくなったわけではなく、現在も台湾を支配する国として存在する。

しかし、中華民国は現在はBIE(博覧会国際事務局)の加盟国ではない。

1971年に国連に中華人民共和国が加盟したことで各種の国際機関を抜けざるを得なくなったためである。


2005年の愛知万博のとき、台湾も出展したいという話があったようである。

ところがBIEの加盟国ではないので国のパビリオンとしては出展出来ない。

いろいろあった結果、台湾貿易センターの日本法人、遠東貿易サービスセンターはレストラン「イラ・フォルモサ」を設置することが認められた。

博覧会への出展というにはほど遠い話だが、博覧会参加の足跡ではある。


意外にも博覧会への本格復帰の足がかりになったのは2010年の上海世界博覧会である。

テーマが「より良い都市、より良い生活」ということで国内外いろいろな都市に声がかかり、

日本でも日本館とは別に大阪府・大阪市も出展している。

また、民間パビリオンとして日本産業館も出展していたわけである。

同様に台湾にも大陸側から出展してほしいと要請があったわけである。

上海万博に輝く台湾の星 (台湾光華雑誌)

台湾からは3つのパビリオンが出たそうである。

台北市、これは大阪同様に都市としての出展なので特に問題はなかった。

震旦館、これは震旦集団(AURORA)という台湾企業の民間パビリオンで、

特に台湾所在の企業であるということは問題なく出展できたようである。

問題は「台湾館」である。まさか中華民国が国として出展出来るわけはない。

民間団体である台湾貿易センターがパビリオンの運営を行うという体裁でお互い折りあいがついた。

ところで上海万博では国内各省・特別行政区のパビリオンもあった。

それと同列に並べられては困るという話があり、一応同列には並ばない配置にはなったらしい。

大陸側としては各省パビリオンと同じような扱いだったのかもしれないが。


さて、2025年の大阪・関西万博でも台湾は出展したいという話があったようである。

とはいえ、BIEの加盟国ではない中で国としてパビリオンを出すわけにはいかない。

そのため選ばれたのは日本国内の企業として民間パビリオンを出すことだった。

民間パビリオンの中にあまり聞き慣れない会社がある。

「TECH WORLD」を出展する 玉山デジタルテック(株)である。

うーん、なんだこれは? と思ったわけだが「玉山」というのは台湾最高峰の名前である。

(ちなみに日本統治下にあった時代は日本最高峰でもあり「新高山」と命名されていた)

実はこの会社、台湾貿易センターが出資して作った博覧会出展のための会社である。

本社は東京都、すなわち日本企業であるので、国内の民間パビリオンという扱いになる。


これを中華民国館が博覧会に帰ってきたと見るべきかは微妙なところはある。

「TECH WORLD」の看板には台湾とも中華民国とも入ってないわけだし。

とはいえ、それでも博覧会に参加できることに意味があるということだろう。

いかにもこの方法は上海のときに思いついた方法なわけで、

大陸からの入れ知恵もあったのかもしれない。


玉山デジタルテックのことを謎に思っていた人はけっこういるかもしれない。

真相はこういうことである。

左側通行標識とロータリー

都道府県ごとに道路標識の付け方にはいろいろ差があって、

それはバイクを運んで各地で走っているとなおさら思うところである。

やっぱり東京都の標識の付け方、変だよなと思うところはあるし、

逆によそだとこういう付け方はしないよなと思うものもある。

そんな中で気になった左側通行標識の話。


今回の旅行でよく訪れたJR郡山駅東口だが、

通りかかって驚いたのは、ロータリーの中央に左側通行標識があったことである。

左側通行標識と言っているのは青地に左下向きの矢印を書いた標識で、

中央分離帯のある道路の中央に取り付けられていることが多い。

というかそれ以外の用途があることを知らなかった。

ただ、この標識の正式な名前は左側通行ではなく「指定方向外進行禁止」である。


指定方向外進行禁止は交差点で曲がれる方向を指示するのに使われる。

いくつかのパターンがある。

1つは信号のない交差点で右折など、他の車の通行の妨げになるから禁止というもの。

この場合は対向車線から左折するなど迂回することが求められる。

1つは鋭角方向に曲がる場合など、安全面の問題から禁止しているもの。

複雑な交差点でしばしば見られ、交差点の形に合わせた変則的な矢印の標識が使われることも多い。

1つは交差する道路が大型車通行止めなどの規制がかかっている場合。

「大型等」など対象とする車種を限った表示が行われる。

東京都で多いのが交差する道路が一方通行であることを表すためのもの。

他の地域でもあるとは思うが、交差する道路に一方通行標識を見せる方法で済ませることも多い。

東京都ではそれをやらないので、細い道路にも 指定方向外進行禁止 の標識がたくさん付いている。


話は戻って、左下向きの矢印で指定方向外進行禁止というのもよくわからない話だが、

この標識の左側にしか進めないという意味で、結果として左側通行を表す。

この標識は中央分離帯に付けられるのが用途のほとんどであろうと思う。

ただ、調べてみると、地域によってあまり付いていないらしい。

というか東京都がそうなのである。あまり意識してなかったが確かにない。

常識的に見てわかるだろうということなのか。


それが中央分離帯以外のところで使われてるとはねと。

確かにロータリーの中央島より左を通って、右に出るという意味では中央分離帯と同じような意味がある。

実際にはこれに加えて左には一方通行標識があるので、ロータリー内左回りであることはそこでもわかる。

ロータリー内一方通行の入口・出口を強め表記するためのものであろう。

同様の使い方は祝園駅・新祝園駅のロータリーでも見た。

わりと一般的な使われ方なんだろうか。


実は前々から気になっていたことがあって、それが玉川上水や千川上水を挟んだ道路のことである。

水路を含む緑地帯を中央分離帯のように使っているところがある。

ただ、中央分離帯ではないという認識らしく、それぞれの一方通行規制を行っているという扱いで標識が付いている。

このため反対向きの道路には進入禁止標識で入らないように規制し、

他方には一方通行標識を付けて一方通行の入口であることを表している。

なお、中央分離帯と実質同等という性格から「自転車を除く」とはなっていない。

こういうところこそ左側通行標識があったほうがよいのでは? と思っていたが、

実際にはないので、進入禁止標識だけが目立つというのが実情である。


それがロータリーを表すようなところで使われているのを見て、

こういうところも使える標識なら緑地帯を挟んで左側通行にも付ければいいのにと思ったのだった。

ただ、さっきも書いたように東京都ではそもそも中央分離帯にこの標識を付けていない。

そう考えると中央分離帯同様の処理をしていないというよりは、

そもそも付ける習慣がないというのが正しかったのかもしれない。


余談だが、左側通行標識とロータリーと調べると、こんなゲテモノが出てきた。

上賀茂神社前ロータリー (のの字な道)

なんとロータリー注意と左側通行標識を団子にして中央島に置くことで、

ロータリー内左回りを表しているという。それは一体なんなんだと。

公道だけで五叉路で、さらに神社との出入口もある複雑な構造になっている。

上賀茂神社発着のバスは神社内でバスが折り返すようになっている。

環状交差点の制度を適用したほうがよさそうだが、神社との出入口でもあるからかそうはなっていない。

環道に入る道にはすべて「止まれ」を付けているから、特に必要ないのかもしれない。

宇治茶の郷と大和茶の本場

今日で関西滞在は最終日、できれば今日のうちに帰りたいが、とんぼ返りでは面白くない、

と考えた結果、そういえば今は梅の時期だよなと。

そんなわけで月ヶ瀬に寄り道して帰ることにした。


そんなわけでバイクを折りたたんでまたしても加茂駅にやってきた。

今日はここで降りずに汽車に乗り換え。月ヶ瀬口駅で下車。

季節柄もあってか2両編成をかなり埋めていた乗客はここで半分ぐらい降りていた。

月ヶ瀬口駅は月ヶ瀬の最寄り駅だが、府県界を越えて京都府南山城村にある。

南山城村にとっては月ヶ瀬口駅周辺に人口が集中しているらしく、

南山城小学校と笠置中学校(南山城村と笠置町が校区)もこの周辺にある。

駅前には月ヶ瀬行きの三重交通バスが停まっているが、観梅期間の土日のみ運行である。

昔は定期路線として存在したらしいが、京都府と奈良県を結ぶのに三重交通というのがこの地域の複雑さでもある。


そんなわけでバイクを組み立てて出発。

けっこう細い道だなと思いながら走って行くと「大型車両通行止」と書かれた橋がある。

正式な規制標識はないし、臨時バスはここを渡らないと月ヶ瀬に行けないはずで実態はどうなのかよくわからないが。

ずっと上り坂が続く中でそれなりにまとまった集落が見えてきた。

ここで少し寄り道、高山ダムへ向かう。広い駐車場があった。

どこがダムだ? と歩いていくとダムが見えるところに看板と音声ガイダンスがあった。

高山ダムは木津川と名張川の合流点より少し名張川側にある。

名張川のさらに上流には青蓮寺ダム・室生ダム・比奈知ダムとあるが、

これだけダムが集中しているのも木津川本川にダムの適地が見いだせず、

支川の名張川で木津川・淀川の洪水調整機能をかなり受け持つことになった事情があるそう。

アーチ式ダム? と思ったら重力式アーチダムというアーチ式と重力式の中間のようなダムらしい。

高山ダムというダムの名前よりもダム湖の月ヶ瀬湖の方が有名かもしれない。

それはもちろん月ヶ瀬梅渓がダム湖の周辺に広がる梅林だからである。


南山城村の特産品は茶で、茶畑や茶に関わる施設が多い。

通常はここでつくられた茶は宇治茶として出荷されることになる。

宇治茶というのは加工地のブランドなので、京都府産の茶葉でない可能性はあるが、

できるだけ京都府産の茶葉を使うようにということで、南山城村は「宇治茶の郷」である。(そんな看板があった)

上り坂が続き、10kmもない道のりだが、電池消耗ひどそうだなと走ると、

坂を登り切ったてっぺんあたりに奈良県奈良市のカントリーサインがあった。

ここから月ヶ瀬地区である。かつての月ヶ瀬村は現在は奈良市になっている。

実は奈良市合併以前は奈良市街~月ヶ瀬のバスは観梅シーズンにしか走ってなかったが、

合併後は定期バスになったという経緯がある。それ以前は上野方面のバスだけだったんですね。

月ヶ瀬に入っても茶畑は相変わらず多い。月ヶ瀬というか奈良市東部の特産品は茶だからである。

「大和茶の本場」なんて看板もあったが、実態として府県界を挟んで何が違うのかという話だが。


観梅用の駐車場もいろいろあるが、自転車停めるのにいいところはどこよ、

と、月ヶ瀬行政センター付近に来るとバイクがたくさん停めてある場所があった。

お金取られるのかなと思ったが、特に何も言われなかった。

自転車もいないし、原付すらいない中に、ちょこんと小さなバイクを停めるのは変な感じだったが。

このあたりから観梅を始めるわけだが、まだ咲いてないのが多いなぁと。

当初の予想ではちょっと遅いかもな。(でも見頃ではあるだろう)

と思っていたが、実際はかなり早いというぐらいだった。

2週後の梅まつり最終週になって本格的な見頃になるのでは? なんて思ったがどうか。

旅先で花見というのはタイミングが難しいなと思う。

それでも綺麗に咲いている梅はそこそこあるので、それはそれでと。


ところで今回わざわざ月ヶ瀬まで来たのは、昔に連れてこられたところだからというのもある。

今となってはこれほど行きにくいところはないのだが、

汽車とバイクで行くにはいいところじゃないかとやってきたわけである。

そういえばこんなところだったなと急坂を歩きながら思い出す。

月ヶ瀬というのは普段はそんなに観光客が来るところではなく、

梅の時だけ人が来るので、観梅期は料理を出してるところも、

普段はせいぜい農産品などを売る店なのだろう。梅の時期以外は完全に閉めてるところもあるかも。

そんな店で 梅にゅうめん を食べる。

三輪そうめんのふしを売る店も多く、三輪にはちょっと遠いが一応県内だし。そういう縁か。

にゅうめんに梅干しを突っ込んだだけと言われるとヤケクソ感はあるが致し方ない。


さて、せっかくバイクで来たので湖畔を少し走って行こうと思う。

この一帯はダム建設以前から名勝「月瀬梅林」として登録されていた。

ダムができるとなって当然梅林だって水没の影響があったわけである。

そんな中で梅林を再構築し、月ヶ瀬梅渓と呼ぶようになったという。

南山城村にある高山ダムのダム湖が県境を挟んだ月ヶ瀬の地名を付けているのも、

南山城村ともども水没の影響を受けた月ヶ瀬への敬意もあったのだろう。

まぁそれにしても咲いてないんだよな。時々きれいに咲いてるのはあるが。

月瀬橋を渡ってから、東に走って山添村との境目あたりで折り返し、

そのまま月瀬橋を見ながらまっすぐ進むと「名勝 月瀬梅林」と書いた古い石柱がある。

近くにあるバス停には「月ノ瀬」と書いてある。

バイクを停めて階段を上っていくと、このあたりが月ヶ瀬梅林でももっとも古いエリアらしい。

高台なので眺めはよいが、肝心のこのあたりの梅はあまり咲いてない。


そのまままばらに咲く梅を見ながら進んでいく。

元々は八幡橋で往路と同じルートに戻ろうかと思ったが、急坂が見えて、

ちょっときつそうだなと思い、対岸をしばらく進み、高山大橋で元のルートに戻ることに。

この先通行止めと書かれた看板を見てぎょっとしたが、高山大橋までは進めるので問題はなかった。

ただ、こっちのルートも急坂が続き、かえって悪かったのではと後悔。

川沿いに進むだけといえばそうだけど、ダム湖で急峻な渓谷になってしまい、

川沿いには進めないということでこうなっているのだろう。

ただ、面白い発見もあった。というのはこのあたりが「高尾」という地名だったことである。

往路は「田山」という地名で、高山ダムの高山って何の地名だろうと気になってたが、

答えは明治の町村制のときに高尾と田山で作った高山村に由来するということで、

結果としてはダムの両側の地名を拾っていたわけである。当然、高山大橋もそうである。


月ヶ瀬口駅付近に来て、汽車まで時間があるなということで、

163号線を渡って 道の駅「お茶の京都みなみやましろ村」で一服することに。

おびただしい数のバイクに驚く。自転車もけっこういたな。

163号線沿いの休憩施設ということで多くの人が利用しているようだった。

確かにそういう施設はあまりなかったかもしれない。

やたら「村」をアピールしているなと思ったのだけど、

そういえば南山城村は京都府で唯一の村である。だいぶ昔からそうだった。

もっとも人口では隣の笠置町の方が少ないが、南山城村が村にしては人口が多いという話ではない。

「お茶の京都」は京都府が山城地域を言うのに使うようになった言葉で、

関西本線の汽車でもお茶の京都のラッピングをされた車がいて、それに乗ってき。

南山城村の特産品と言えば、そりゃ茶なのであまりに当然なのだが。


そろそろ戻らないとと駅に戻ってきてバイクを畳んで、跨線橋を渡って待つ。

2両編成で走る汽車はだんだん客を降ろしながら進んでいくが、

柘植駅では草津線との接続でどっとのってきて立ち客も少し出ていた。

やっぱり関西本線は鉄道として有用な使われたかたをしているよなと思う。

亀山駅ではちょっと待ち時間があって、きっぷを受け取ろうかと思ったが、

指定席券売機がないので、それだとえきねっとで注文したきっぷが受け取れないなと。

結局は名古屋での乗換時に受けとるしかないかと。


名古屋駅で一旦改札の外に出て、券売機で受け取るがけっこうな行列である。

クレジットカード専用券売機という位置づけなので普通にきっぷを買う人もいるんだな。

(西日本管内ではこれは「みどりの受取機」なので基本的に受取専用だが)

無事にきっぷを受け取って、ホームに上がって、ほどなく列車が入ってきた。

最後列の荷物スペース付き座席を取ったが、乗車位置が悪く、

車内を横断する必要があるもすれ違えないので、退避してもらったり、

すでに置かれている荷物との位置関係が悪く調整してもらったり……


しかしのぞみ号は速い、あっという間に東京駅に到着した。

東京駅でエレベータを使う場合、一旦外に出れば平面移動だけでいけるが、

乗換改札を使うと一旦上がって下がってとなって大変である。

というので一旦外に出してのりかえさせてほしいと申し出たが断られた。

東京駅で途中下車できるきっぷなら当然問題ないのだが、

今回は横浜市内までのきっぷに、川崎からの乗り越しのきっぷを付けていた。

この場合、東京駅は本来途中下車出来ない駅となる。

それでも事情があると認めれば一旦外に出してもいいのだが、

スロープがあるので理由がないとのことだった。これは想像より厳しい。

ただでさえ東京駅の乗換は歩く距離が長いのに、アップダウンでさらに消耗も激しく大変である。

そんなこんなで電車に押し込んで、最寄り駅で下車。

バイクを組み立てて少し走ってゴールとなった。


そんなこんなの関西滞在だった。

まだ固めてないけど来月には万博のための関西行きがあるはず。

そのときはバイクは使わないかな。まだわかりませんけど。

博物館のコレクション展とデレステ10周年

今日は大阪へ行くがバイクは持って行かない。

ただ、宿が少し駅から遠いのでバイクに乗って駅に停めて大阪に行くことに。

郡山から大阪は最初は近鉄で考えていたのだが、いろいろ考えるとJRの方がいいなということで、

郡山の市街地の端にあるJR郡山駅に。太い道で来られて便利というのも理由だったが。

駐輪場の人に「原付です」と間違えて自転車用の券を持ってきて、違ったとやりなおしたり。

多分、原付扱いなのは正しいんだけど。自転車とは言い張れないわね。


JR郡山駅は市街地の端とはいうけど、そんなに悪くない立地だと思う。

大阪市内~奈良・加茂の快速が頻繁にくるわけで利便性もよさそうである。

ただ、利用者数は近鉄郡山駅の半分ほど、JRの隣駅、大和小泉駅よりも利用者が少ない。

1つの要因としては大阪ならば近鉄でもJRでもよいが、京都や橿原など他の方面だと近鉄が圧倒的に有利というのがある。

あとJRにしても郡山より小泉の方が利用者多いのは通勤・通学バスの乗り入れが多いのも理由らしい。


大阪に行くにしても大阪のどこに行くかというのは観点としてあって、

最初の目的地が天王寺なら、それはJRの方が圧倒的に有利である。

というわけで天王寺駅で降りて、やってきたのは天王寺公園、

てんしばエリアを抜けて、リニューアルしたという大阪市立美術館に到着。

リニューアルオープン記念の「What’s New! 大阪市立美術館 名品珍品大公開!!」に。

全部コレクションなのに1800円取るのはご祝儀価格だなと思ったけど。

(同じことを東洋陶磁美術館でも言っている: 中之島と関西空港)

全館使ってコレクションを並べるならそれなりの価値はあるかもしれない。

普段は他の展覧会の傍らでコレクション展やってるわけだし。

リニューアルされた美術館の作りは京都市美術館に似ているような気がした。


いろいろ知らなかったことも多かったんだけど。

この美術館、大きな特色が中国の美術品が多いことである。

購入してコレクションを作るという概念のなかった時代の美術館ですから寄贈頼みであり、

住友家が依頼して美術館のための作品を作ってもらい寄贈するなんてこともあったという。(住友コレクション)

ちなみにこの美術館は住友家の本邸の跡地にあり、慶沢園はその庭園の名残である。一括して大阪市に寄贈されている。

時代を経て、いろいろな作品が寄贈されていくわけだが、その中で多かったのが中国の美術品だったという。

大阪・神戸には中国からの美術品がいろいろ集まり、それを買うお金持ちがたくさんいたわけである。

東洋陶磁美術館のルーツも多分そんな話で、そういう時代背景だったんだな。

それにしても石仏たくさんとかこんなの個人で持ってたのがすごいことだけど。


次の目的地に向かうために地下鉄に乗って中之島へ。

というわけで国立国際美術館なのだが、ぶっちゃけここもコレクション展である。

というのも予定していた フェリックス・ゴンザレス=トレス展が借用を予定していた作品が借りられず空転、

代替として館蔵品を並べて ノー・バウンダリーズ展 を行うことになったためである。

かなり制作年の新しい作品が多い印象があったが意識したのだろうか。

そういう意味ではコレクションとはいえわりと目新しいところはある。


中之島から大阪城公園、それなら京阪中之島線かなと乗車。

渡辺橋~天満橋なら230円だからまだアリだけど、1駅伸ばして京橋だと280円、高すぎないか。

とはいえ、この区間はバスもないので。(逆向きだと大手前→渡辺橋でバスが使える)

中之島線も用途によっては悪くないけど、京橋で環状線などと乗り換えて使うのにそんなに取られるとさすがにね。

その天満橋まで乗るにも15分間隔では待ちが長いし使いにくいなぁと思う。

天満橋で少し買い物をして、大阪城公園まで歩いて行く。


というわけで大阪城ホール、アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ(デレステ)の10周年ライブである。

この大阪公演が最初ということでそれを狙ってきたところはある。

ニュージェネレーションズ3人揃うってのは明らかなみどころだったし。

シンデレラガールズで大阪城ホールは3回目ですかね。3回とも1公演は来てるな。

大阪城ホールってのはいい会場ですよね。それ以外にいい会場がないのは問題なのだが。

まず、最初に驚いたのは全員デレステのSSR衣装を着ていたこと。

そもそもシンデレラガールズでは7thライブと、10thツアーのファイナルで個別衣装はあったが、

これらはデレステのSSR衣装を参考にしたものは多かったが必ずしもそうではない。

どちらかというと最初のカードの衣装に近いものを意識した感がある。

今回はデレステの衣装にこだわったようで、全く新しく作ったようだ。

これとは別に一部メンバーはセレクトショップの衣装を着たり、衣装に手が込んでいたなと。

まぁラブライブ!シリーズとか見るともっと衣装作ってもいいだろうとは思うけど、

なにしろシンデレラガールズは人数が多いので、揃いの衣装を1着用意するだけでも大変である。

今回は揃いの衣装はなかったんですけどね。


あと、もう1つ印象的だったのが「We wish your smile」で、

これはイヴ・サンタクロースと望月聖の曲で、松永あかね さんと原涼子さんで披露してたが、

この2人ってシンデレラガールズのゲーム初期の2011年のクリスマスイベントで登場したアイドルで、

クリスマスに特化したような登場の仕方で、進撃のバハムートのごとくアイドルを増やしていた時代のアイドルである。

そこから時代を経て、こうしてアイドルに声が付いて、楽曲が出来てステージで披露するに至った。

というのはけっこうすごいことだなと思った。


終演して環状線に乗り、天王寺で乗り換えて郡山へ。

バイクを走らせて宿に戻ってきた。

今回の宿を選んだ背景はいろいろあるけど、風呂があるのは大きな要素で、

ロードサイドという立地が良いか悪いかというのはあるけど、これはよかった。

そんなわけで3泊して明日は帰路につくことになる。

あられ舞う南山城と火の粉舞う奈良

今回の旅行の宿泊地として木津川市あたりも考えていたところはある。

ただ、宿があまりないんですよね。そういえばそのあたりに用事がある人が奈良に泊まってたわ。

他にもいろいろ考慮してマッチしたのが郡山だったわけだが。

というわけで、市街地の端を走って、JR郡山駅にやってきた。

ここでバイクを畳んで電車に乗って府県界を越えて加茂駅まで乗る。

が、時刻表を見ずに来たら30分ほど待たされることに。加茂まででも本数だいぶ減るのか。


というわけで今日の最初の目的地は加茂町当尾(とうの)である。

きっかけは2023年に見た展覧会「京都・南山城の仏像」である。

バタバタと上野公園と有明ガーデン

このときに浄瑠璃寺の九体阿弥陀など展示されていたわけだけど、

実際に足を運んで観に行くのもいいかもなと思っていたわけである。

そんなわけで加茂駅からバイクで向かうわけだが、けっこうな急坂で細い道である。

走ってるとバスに追い抜かされたのだが、これは当尾へ向かうコミュニティバスで、

これ本当にバスが走る道なのかという細い道である。

不安になりながらも走って行くと岩船寺と書いた標識が出てきて、最初の目的地に到着した。


岩船寺ってのは入口を入ってすぐ先に三重塔が見えて、そこまで広くない寺だなとまずは思った。

十三重石塔が寺のサイズ感とかにもマッチしていていいなと思ったが。

で、本堂に入ると、どでかい阿弥陀如来坐像がある。

教えてくれたのだが、このスタイルの阿弥陀如来像としては古いもので、

大仏といってもよいクラスであるが、一木から彫りだして作ったものだという。

このサイズの仏像を彫り出せる木なんてもうないでしょ。

ちなみにここまで出てきたのはいずれも重要文化財である。

それにしても本堂の中も寒い。歩いていると奈良県の観光パンフレットがあった。

京都府に位置しているが、歴史的にも奈良の寺と関係があるこの一帯のことも書かれていて、

「奈良市北部・南山城」というくくりで県内の一地域のように扱われている。


次の目的地は浄瑠璃寺、ちょっと離れているがバスがそう頻繁には走ってないので、

歩いて往来する人向けか、石仏の道という散策ルートが書かれていた。

バイクで走っていく中でも石仏を様々見た。異様な地域かもしれない。

この一帯が浄土信仰にとって重要な地域だったことがみてとれる。

岩船寺にいるときも雪がはらはら舞っていたのだが、浄瑠璃寺に着くころには あられ のようなものが降ってきて、

かっぱがないと走れないようなものではないけど、ちょっと想定と違うなと。

そんなこんなで浄瑠璃寺に到着。


池が美しいが、この庭園の西側に九体阿弥陀がいるわけである。

というわけで修理が終わって9体揃った阿弥陀如来と御対面となるわけだが、

入口に堂内は自然光のみでと書かれていて、薄暗い中にドンと鎮座していた。

障子越しに入る光のみというのは昔はそうだったからという理由らしいが、

なんとなく薄暗い博物館で展示されているのと重なる気がする。

やっぱり九体揃っていると説得力があるなと思いながら見ていた。

須弥壇の上に置かれているが、須弥壇も手が込んでいて、九体阿弥陀に特化したお堂だなと。

なかなかアクセスはよくないけど、実際に足を運ばないとわからんもんだなと感銘を受けていた。


ここからバイクで下って、昼食にラーメンを食べて……

学研都市の一地区である梅美台をかすめるように走って行く。

木津の市街地を抜けて、木津川台までやってきて、突き進む。

しばらくは戸建て中心の住宅団地だが、奥には巨大な研究施設が見えてくる。

そして急カーブを経て、木津川台を抜けると精華町に入り、その中でもひときわ巨大な建物が。

国立国会図書館関西館である。東京も含めて国立国会図書館に来るのは初めてである。

関西館は国立国会図書館の中ではアジア関係の資料を集中的に集めている。

博士論文も集中保管されていて、あとは官庁発行の書籍など2冊以上ある本は東京・関西にそれぞれ配置するようにしている。

実際のところは国会や官庁の東京での調べごとに困らない本ってのがそこら辺だったのかもしれないが。

今だとデジタルコレクションの閲覧は東京も関西も問わないわけで、そういう役目もある。


複写や資料の取り寄せをするなら正式な利用者登録が必要だが、

開架資料だけでいいかと一時利用で入る。氏名と生年月日を記載するだけでよい。

手荷物の制限がけっこう厳しく、小さなカバンだったが預けて透明なバッグに必要物を入れて入ってねと。

閲覧室は広くてだいぶゆとりをもった作りになっている。

資料検索・複写申込書作成・デジタル資料閲覧などを行うコンピュータが置かれていて、

試しにデジタルコレクションの資料を調べてみると、一時利用でも館内限定の資料は読めるようだった。

開架で置かれている資料は使用頻度が高いもので資料集のような本が多い印象だった。

アジア情報室に置かれている本は当然、外国語のものが多くて、

新刊のところに中国の旅行ガイドがあって、当然中国語で書かれている。

コリアと書かれたコーナーには日本の本は別としてハングルが多いわけだが、

古い本だと漢字交じりのものもあり、それはそれで歴史を感じる。

特集展示の科学書を読んだり、学研都市建設時の資料を読んだりしていた。

ここでなければできない調べごとをしている人ばかりなのかはよくわからなかったけど、

マイクロフィルムの新聞を調べる人とか、特徴的な作業をする人はちらほらいた。


新祝園駅まで来たらバイクを畳んで電車に乗って新大宮駅まで。

新祝園で乗車する急行を待っていた各停が新型車両で、4両編成らしい使われかただなと思ったが、

西大寺で急行から乗り換える先の各停でも新車が使われていて、けっこう走ってるんだなと思う。

他の車両に比べると車いすスペースも充実しているので、バイクを置くにも助かる。

もっとも乗り換えて1駅、新大宮駅で降りるんですけどね。

バイクを広げるならここの方が楽だろうという考えである。

近鉄奈良駅も過ぎて奈良公園に入り、奈良国立博物館に到着である。


来館前に今日って何時までやってるんだろ? と調べると

「3月1日~11日・13日・14日は午後6時まで。3月12日は午後7時まで。」とある。

うーん、なんだこれ? と考えてしまったが、そうかお水取り期間だ。

お松明に合わせて少しだけ開館時間を延長してくれているようだ。

というわけでこれを生かして少し遅めに来てもゆったりみられるなと思った。

当然、お水取りの特集陳列から見ようとしたわけだが、

入口で東大寺ミュージアムも見たら散華をあげると引換券を渡され、

観に行こうかなと思ったけど、東大寺ミュージアムは17時までである。

ということはそっち先見ないと手遅れじゃないかと一旦出て東大寺へ。


東大寺ミュージアムって初めて来たような気がするな。

いくつかの仏像を中心に東大寺に伝来するいろいろなものを展示しているが、

その中で修二会(お水取り)の特集展示は文書を中心に展示していた。

修二会というのはいろいろな苦労がありながら1300回近く続いているわけだが、

1568年の資料に「八百年以来不退法事」と書かれているのは、いろいろ歴史の重みを感じる。そもそもこれ自体が450年前の話だし。

修二会が世界平和という普遍的な祈りの場であると考えられているのも、これだけ続いているからというのはあるんだろう。


さて、奈良博に戻ってきて、お水取りの特集展示を見るわけだが、

ここでも目に付くのは修二会を続けることの努力ですかね。

特集展示の先には彫刻以外の博物館のコレクションがあれこれとある。

特別展期間はなかなか展示できませんからこれはこれで貴重なんですよね。

お経に関わる工芸品が目立った気がするな。

「妙法蓮華経巻第一」と透かし彫りで書かれた専用の経筒とか。


そして本館へ向かうわけだが、実はここに今だけの展示物があって。

それが深大寺の元三大師坐像である。しかもこれ秘仏だから普段は公開されること自体がないのだという。

それにしてもなんで調布から遠く離れた奈良でこれが展示されているのだろう。

実はこの像、修理のために奈良まで来ていたのである。

無事に修理が完了し、調布に帰る前に奈良で展示をすることになったわけである。

美術院国宝修理所って書いてあったから京都から思ったが、奈良にも工房があったんですね。

この後、深大寺に帰ったらお披露目されることになっている。

本来は50年に一度だけ公開する秘仏だが、修理を記念して特別に公開されるという。

ところでこれ秘仏とか言っているけど、仏像ではなく僧像である。

元三大師という高僧だが、厄除けに力があるということで、大きな像が造られたわけである。

大きいというのは本当に大きい。威圧感がすさまじい。

調布に帰ってから観るというのはあったかもしれないけど、奈良博に来てるから観たところもあるので。


ちょうど18時ごろに博物館を出て、バイクは東大寺南大門横に動かす。

お水取り期間でも参道の店は全然やってないし、人もそんなに多くない。

二月堂へ向かうと、ここは人が多いが、休日や籠松明の日ほどではないだろう。

お松明はだいぶ昔に観に来たことはあるが、近年はなかなか。

せっかく奈良県内に泊まっているのだしよい機会だったのではないか。

19時前に放送でいろいろ説明があったのだが、

あの松明は二月堂の長い夜のスタートにあたり、練行衆を照らす灯りとして用意されたものだという。

それにしては無駄に巨大だが。それを木造の国宝建造物で振り回すとか現代的にはどうなんだと。

とはいえ、これがあるから多くの人が修二会の儀式を見守りに東大寺に来るのであり……

3月12日の籠松明の日はより大きい松明を使うが、この日は講社の人の参詣日らしく、

それ以外の人は他の日に来る方がいいですよという記載がある。そうなのね。

放送でも言っていたのだが、修二会で使う様々な資材は各地の講社から提供されている。

大概の人にはよくわからない修行だけど、松明だけはわかるというのはそういうものなのかもしれない。


そんなこんなでお松明が終わったらバイクを走らせて宿へ向かう。

電池大丈夫かなぁと思ったら宿の直前で電池切れになるという。

これぐらいならごまかせたけど、寒いとやっぱり電池はきついですね。

それでも東大寺から宿まで直行できるのは楽ですけどね。

いや、それだけなら奈良市街に泊まればいいんですけど。