昨日、しれっと「オホーツク管内」と書いたけど、この呼び方はわりと最近現れた言い方である。
北海道においてはおおまかな地域を表すために振興局の名前を使って「石狩管内」だとか「渡島管内七飯町」とかそういう言い方が見られる。
北海道では郡が行政区分として機能していた時代がないのも、このような独特な言い方の背景ではないかと書いている。
オホーツク管内というのはオホーツク総合振興局の管轄地域ということだが、
そもそもこの役所は2010年までは網走支庁という役所だった。
ということは網走にあるんですね。
バス待ちの時間の散歩がてら、オホーツク総合振興局の入る、オホーツク合同庁舎の前にやってきた。
見た目は警察署っぽい? でも奥行きがだいぶあるので、それなりに立派ですね。
一応、「旧北海道網走総合庁舎」と看板に付記されていた。
このオホーツク総合振興局は、支庁から振興局への再編のときに唯一名前を変更した役所である。
背景には最大都市でもない網走という都市名が入っていることへの違和感、そしてこの地域の広域地名としてオホーツクというのが根付いていたことがある。
以後、かつて網走管内と言っていたものはオホーツク管内と言い換えられている。
さて、今日の目的地は天都山の博物館たちなのだが、天都山行きのバスは1日3往復しか走っていない。
行きは時間が合わなかったので、女満別空港行きのバスに乗り込んだ。
昨日の空港からは観光バスタイプの車両だったが、今日はワンステップバスがやってきた。
実はこのバスは途中バス停で自由に乗降ができる。飛行機合わせなので運行間隔はまちまちだが、本数自体は多い。
これで天都山入口で降りて、そこから歩いて行けばいいねって。
ちなみに運賃の支払いにはPayPayやd払いが使えるよう。座席に貼られたQRコードを読み取って運転手の前で決済する。
ここからしばらく歩くと「博物館網走監獄」に到着する。
これは網走刑務所の明治時代から使われてきた建物を移設した博物館である。
だから元々ここにあったわけではない。その少し前に「刑務所前」というバス停があったが、あそこにもともとあった建物だと。
花壇が綺麗なのが刑務所っぽくはないが、それはそうとして。
刑務所ができる前の網走は小さな漁村で、その人口の何倍もの囚人・看守がやってきたから大変なことである。
ここに囚人が集められた理由の1つが道路建設である。
釧路から、鎖でつながれ傘みたいなのを被せられ、延々と歩いて網走に連れてこられて、これだけでも現代ではなかなか考えられないことだが、
その上、鎖でつないだ状態で土木作業、当時は建設機械もろくにないから人力。
刑務所から通うわけにもいかないから、木で適当に作った休泊所で寝泊まり。
衛生状態も悪く、刑務所を離れていることもあり食料の供給も悪く、6人に1人が死亡、
そうしてできたのが現在の国道333号線などにあたる、旭川~網走を結ぶルートである。
(元はこれが国道39号線だったが、石北峠の最短ルートができたことでこうなった)
当時の北海道は陸路での移動が難しく、そこで囚人を動員して道路建設をしていて、札幌~網走はほとんどが囚人の多大な犠牲により作られた道路である。
ただ、囚人にこのような過酷な労働を課すことは明治時代の感覚でも問題視され、
以後の網走刑務所は木工や農業などの刑務作業を行うことになった。
広大な土地が広がる地域なので農業は適しているのだが、どうしても塀の外で作業を行うことが多いので、
当初は脱走の難しさに着目して12年以上の長期にわたる受刑者を多く集めたことに合わなかった。
現在はB級という再犯者など犯罪傾向が進んでいるものの、その中では刑期10年以下の男性受刑者を集めており、刑務所の意義は変わってきている。
博物館には二見ヶ岡刑務支所(二見ヶ岡農場)という農作業に特化して設けられた施設も移設されている。
ここは当初から塀がない施設で、社会復帰が近い受刑者を集めている。
このように刑務所の在り方がかわっていく様を建物を通じて学べる博物館である。
次の目的地に向けて天都山を上がっていくのだが、これがかなりきつかった。
ここのことを考えると先にバスで上まで上がって、歩いて下りていく形にするべきでしたね。
その頂上にはオホーツク流氷館・天都山展望台がある。
これ流氷館だけが有料施設なんですね。まぁそれはそれでよかったけど。
網走あたりというのは世界的にも流氷の南限だという。
オホーツク海にはアムール川の淡水が大量に流れ込み、これにより塩分濃度が薄い水の層と濃い水の層に分かれる。
この塩分濃度が薄い水の層がシベリアからの冷たい空気で冷やされ、それが北海道沿岸にも到達するのだという。
そもそも北海道自体が緯度の割には寒い地域だが、それにしても流氷が来るのは本当に特異なことである。
ここでは流氷の現物(冷凍室で保存・展示している)、オホーツク海の生き物が展示されている。展示部分は狭いが展示内容は珍しいと思う。
最後に北方民族博物館、ここは北方に住む様々な民族の文化を展示する施設である。
北海道のアイヌもそうだし、アラスカからグリーンランドに住むエスキモーも、スカンジナビア半島に住むサミも紹介している。
この中では比較的南に住むアイヌというのは、木や草を衣類の材料にしたり、農耕もしたり、植物を活用する傾向が強い。
ただ、より北の方になるとより狩猟への依存が強く、毛皮やら魚の皮やら動物の腸なら、こういうのを衣類に使うようになって行くという。
熱源も動物の脂肪を燃やして得るというのはなかなかのものである。
日本国内では狩猟採集文化とみられることが多いアイヌだが、わりと農耕文化の面も強いことは北に目を向ければわかることである。
この博物館ができたのは1991年だそうだが、もう北方諸民族の伝統的な文化が失われようとしていた時になんとかかき集めたものなのだろう。
もう今は都市的な生活を送る人がほとんどでしょうから。
北海道の場合は和人の入植という要因もありますけど。
帰りはバスの時間まで待ってもよかったが、結局は歩いて下りてきた。
距離はあるが下りならそんなに大変ではなかった。
山を下りてくるともうすぐに宿だったので好都合だった。
そんなわけで今日は1日網走滞在だったが、明日・明後日は移動が多くて大変である。
今回の旅行の計画を立てる上で最大の難所がここだった。
まぁなにが大変だったかはここから3日ぐらいのBlogで追々明かすとして。
とりあえず明日は朝が早い。