県境を2つ越えてから五箇山へ

今回の旅行、金沢に3泊するのに、主な目的地が加賀地域なのは昨日と明日の2日間、

初日は能登が目的地だし、今日の主な目的地は県境を越えて五箇山である。

どの方面に出かけるにも金沢を拠点にするのが便利だったということですね。


そんなわけで金沢駅にやってきた。ここからバスに乗るんですよ。

で、バス乗り場の案内を見ると、北鉄の高速バス乗り場がない!?

というのでバスのきっぷ(チケットレス)を見ると「金沢駅西口」と書いてある。

ああ、これ線路の向こうだわと改札の前を通り抜けて西口のバスターミナルに。

ここに来ると7年前のシンデレラガールズの5thツアーを思い出すな。

石川だからこそできること

比較的最近に西口に移転したらしい。でも高速道路との位置関係を考えれば西口の方がいいわな。


ここから乗るのは高山行きのバスで、これで白川郷まで乗る。

五箇山に行くと行ったのに、富山県突き抜けて岐阜県まで行ってしまうという。

元々は富山県側の五箇山を目的地とする計画を立てていたのだが、

検討を深める中で、この地域で最大の合掌造り集落は白川郷だぞという話で、

金沢から高速バスで直行できる白川郷をスタート地点にするかと。

高山まで行くバスというのもあってか、大荷物を持った外国人観光客の多いこと。

バスは北陸自動車道に入り、床版取り替え工事で渋滞にひっかかり、

東海北陸自動車道を進み、白川郷バスターミナルには10分遅れで到着。これなら全く問題ないか。


東海北陸道ができて他の岐阜県との往来は容易になったが、

東海北陸道は富山県側からの往来も容易にしているのだからどっちもどっちである。

バスターミナルを降りて、JAと小さなAコープと閉鎖されたJA-SSが並んでいると、岐阜県の果てという感じがする。

それにしても観光客の多いこと。

生活車両以外を排除する迂回路の存在もあり、観光客にとっても散策しやすくなっている。

その迂回ルート上に駐車場があり、そこに観光バスや自家用車を止めて、橋で渡って観光している人が多いよう。


合掌造り集落というが合掌造りの建物ばかりというわけではない。

というかだいぶ改築されてしまったところで保護の気運が高まり、

1976年、重要伝統的建造物群保存地区の制度導入当初から町並みの保護が行われるようになった。

(後で書くが集落への文化財保護法の適用という点では五箇山に比べると少し遅い)

現役の住宅として使われている合掌造りの建物もけっこうあるのだが、

現代的な設備を入れるためか増築されたものも多く、けっこう気になる。

伝建地区は建物の外観を保護するもので、中はいろいろ手を加えられる。

ただ、合掌造りの構造を維持しながら、中だけ手を入れてできることは限られているとみられる。

住む目的でなければいろいろやりようはあるけど。土産物店とか……


キーとなる建物は重要文化財として保護されているが、その代表格が和田家住宅である。

これ、実は元村長の家なんですよ。江戸時代から役人やらいろいろやっていたらしく、明治に村制を敷いたときの村長が和田家から出ている。

なおかつ1975年~1991年に村長を務めた和田正美氏が、白川村の観光振興のため、自らの自宅を公開したという経緯がある。

今も一部は住居として使っているようだが、大半を公開しているので実態はどうなんだろうね。


そんなわけで時間に合わせてバスターミナルに行くと加越能バスの「世界遺産バス」が来た。

このバスは白川郷~城端・高岡を結ぶバスで、五箇山の合掌造り集落の観光路線である。

白川郷→高岡の片道フリーきっぷが2000円で買えて、これが白川郷まで足を伸ばした理由にもなっている。

というわけでここからバスを乗って降りての散策である。

世界遺産バスの乗客はそんなに多くないが、外国人客の割合は高く、乗務員も苦慮しているよう。

白川郷から川沿いを進んで、南砺市に入ってしばらく行ったところにある ささら館バス停でまず下車。

道の駅上平、元々あった ささら館という施設を道の駅にしたもので、レストランがあるので昼食と。

道の駅の端に「電源館」という廃墟になった建物があって、これは水力発電用ダムの地域対策だったのかなと気づく。


ここで下車したのは昼食のためというのもあるが、西赤尾に岩瀬家という大きな合掌造りの建物がある。重要文化財である。

それにしても隣の寺はともかく、それ以外に周りは合掌造りなんてないんだが。

このあたりの謎は岩瀬家を見学したときに詳しく説明してくれた。

囲炉裏に火をくべているが、屋根に熱と煙が通るのは建物の保全にも役立っているそう。

この岩瀬家は塩硝(火薬の原料)の上煮を行っていて、加賀藩にとっての重要拠点という一面もあった。

さっきの白川郷の和田家もそうだが、江戸時代のこの地域で塩硝のサプライチェーンの最上流にいるのはとても大きなことである。

5階建ての建物は3階以上は養蚕などの仕事に使うところだが、

2階は住み込みの使用人の居住スペースになっていたというから大規模である。

一方で1階には加賀藩の役人を迎え入れる書院造の空間があり上質である。

で、なんでこのあたりには他に合掌造りの建物がないのかというと、

ダム建設のため早期に幹線道路が通り、改築が必要だったり容易だったり、

そんな中で残ったのが岩瀬家だけだったらしい。

合掌造りがまとまって残っている集落は谷になったりして取り残されたところというのが五箇山の実情のようだ。


バスが減便された影響もあり、次のバスまで1時間ぐらいある。

これはどうしたもんかと思ったが、岩瀬家にあった地図を見ると隣の菅沼まで3kmぐらい。

うーん、これなら歩くかと30分ぐらい国道を歩いて行く。歩道はあるが、片側だけの区間は反対に渡る必要があったり微妙。

でも、こうして歩けるのは西赤尾~菅沼の区間ぐらいかも。

五箇山ICの前を通って菅沼集落の観光用駐車場に着いて、エレベータと書いてあるので、

なんだこれ? と思ったら集落よりだいぶ高いところに駐車場があったからだった。

菅沼は小規模な合掌造り集落である。電線地中化と土っぽい舗装もあって、わざとらしい古風さである。

住民の車も集落入口の駐車場に停める形らしい。いろいろ事情はあるんだろうが。

ただ、後で思ったけど菅沼が合掌造り集落をもっともよく表してる気がする。

白川郷(荻町)は規模は大きいが合掌造りでなくなったところが多い。

後で出てくる相倉は原型の合掌造りのまま活用できている建物が少ない。

菅沼も建物に多少手は入っているだろうが、それでも相倉ほどは気にならなかった。


菅沼まで歩いて来たので予定していたよりも1箇所多く寄り道ができる。

というので上梨で下車。ここも合掌造りの建物がいくつか残っている。

川を渡って「流刑小屋」というのがあるが、このあたりって加賀藩の流刑地だったんですって。

物置として転用されていた流刑小屋を再建したものが置かれていた。

この近くには重要文化財になっている羽馬家住宅があるが、生活感がない。

おそらく後ろにある近代的な住宅に住んでるのでは。

重要文化財になっているのは古い合掌造りの標本という意味合いがあるよう。


そして1時間後ぐらいに次のバスに乗って相倉口で下車、ここから相倉の集落まではちょっと距離がある。

岩瀬家で教えてもらった少し取り残されたところというのはこういう意味か。

相倉も合掌造りの建物の割合は高い。20棟と規模もそこそこ。見栄えするな。

ただ、よく見てみると特に使われてなさそうな建物だったり、

住居・民宿などで利用されているも、かなり手が加えられたものが多く、

現代に生きる合掌造り集落という感じが薄れてしまっているのが残念である。

説明を読んでいて、気になったのが1970年に国の史跡に指定されというところ。

実は五箇山の相倉集落・菅沼集落は普通に人が住む集落でありながら史跡に指定された珍しい地域である。

この史跡指定は現在も残っており、集落の様々なものが史跡として保護されている。

世界遺産登録を前に白川村荻町と同様に伝建地区にも指定されているのだが、

荻町の伝建地区指定より早くから合掌造り集落の保護制度が運用されていたのが相倉・菅沼である。

ただ、史跡ってのはやや硬直的な制度でもあるのだが。


世界遺産バスの最終便で相倉を去り、終点の高岡まで乗る。

ところでこのバス、白川郷~城端駅ではこまめに停車しているが、

実はこの世界遺産バスには南砺市のコミュニティバスという側面もある。

というのも、南砺市営バス「なんバス」の回数券は加越能バスの指定区間でも利用できるのだが、

そこに世界遺産バスの城端駅~成出も含まれている。これだと1乗車およそ160円で利用できる。

事前に回数券は市民センターやなんバス車内などで入手しておく必要があるが。

とはいえ、そういう利用も全体としてはわずかである。でも城端市街で降りた人はそれっぽかった。


城端駅を出ると高速道路を走り新高岡駅・高岡駅に直行する。

城端線の汽車との乗り継ぎも大変だし、これは便利ですよね。

高岡駅からは電車で金沢駅まで戻ってきてゴールと。

合掌造りは冬の雪に耐えるのが目的なんだから冬に行くべきだろ。

という意見もあるかも知れないが、それはいろいろ大変なので夏でよいと思う。