能登半島にゆく

朝食付きの宿なので、朝食会場が開いて早々朝ご飯を食べて、

駅から電車に少し乗って米原駅に。到着するとしらさぎ号が待っていた。

今や米原~敦賀のシャトル特急になってしまった。(名古屋発着便はあるけど)

敦賀駅では要塞のような新幹線駅舎に突っ込んで到着。

広々した駅だが、朝一番のしらさぎ号からの乗り継ぎはまばらである。

乗換先のつるぎ号は各停便で、さすがに福井~芦原温泉は近いなとか乗ってて思う。


それで金沢駅に到着して、荷物を置いておこうとコインロッカーにいくとかなり埋まっていてびっくり。

小サイズ(?)でよいので、空き自体は見つかったのだが、すごい埋まり方だな。

ここからのきっぷを受け取るのに新幹線改札横のみどりの受取機に……

と行くと受取機2台に列を成しててびっくりする。みどりの券売機もけっこうな台数に列を成している。

インターネット予約してチケットレスでない人だけでこんなにいるのかと。

受取だけだから比較的回ってくるのも早いんですけど。

新幹線改札で受け取るが、実際に使うのは在来線である。


というわけで、ここから乗るのは能登かがり火号、七尾線の特急である。

かつてのサンダーバード他の和倉温泉発着便に由来する列車で、

これも北陸特急の切れ端である。車両もサンダーバードの切れ端である。

津幡まではかつてのサンダーバードの走りそのもの。そこからはローカル特急って感じだけど。

車窓からは屋根にブルーシートのかかった家がちらほら見える。

その数は七尾に近づくごとに増えてきて……と七尾駅で下車する。


七尾は1月の能登半島地震で震度6弱を記録したところである。

半年が経ち、駅前は一見して平静に見えるのだが、歩道のタイルが割れていたりする。

ここから のと鉄道 の汽車まで1時間弱あるので、七尾市街を散策することに。

水道の修理のためかマンホール周辺だけ真新しい舗装がされてるのが目立つ。

いろいろ壊れているが、幹線道路沿いを歩く分にはそこまでひどいようには見えない。

小丸山城址公園にたどりついた。園路が壊れているのか上には行けないようだが。

相撲場があって、そういえば能登って相撲が盛んなんだったっけと。

公園内には花嫁のれん館というのがある。これは能登の婚礼用品である 花嫁のれん を展示していて、

説明には「箪笥の肥やしになっていた」と書かれている。婚礼用品ってそういうもんか。

ただ、汽車の時間もあるのでここを見る時間はないなと去ることに。


ここから七尾駅に行くのに商店街を通ったのだが、商店街の建物はほとんどボロボロに壊れていた。

応急危険度判定で「危険」と貼られた建物がほとんどという状況。

以前、書いたことがあるが日本において1981年の新耐震基準というのが1つの節目になっている。

商店街はそれより古い建物が多くを占めていると言われるとなるほどと。

古い商店が多いわけで、そうすると再建もままならず、撤去するのが精一杯か。

修理している建物も少しありましたけど、なかなかそれどころじゃないんだろうな。


七尾駅に戻ってきたらのと鉄道の汽車が停まっていた。

七尾駅の改札はJR と のと鉄道 に分かれていて、それぞれきっぷ売り場はあるが、

のと鉄道側は券売所が閉まっていて企画乗車券は乗務員から買うよう書いてある。

というわけで発車前に乗務員に声をかけてフリーきっぷを買った。

休日限定とはいえ1000円なら穴水までの単純往復でもだいぶ安上がり。

七尾でのと鉄道に乗り換えて思ったけど、能登かがり火号が存続している意味って、

金沢(新幹線接続)~和倉温泉の直通運転ができるからってのもあるんだろうな。

この1区間だけのと鉄道に乗換は相当に面倒である。距離は相当あるけど。

地震後は相当ボロボロだったようだが、早期復旧できたのは橋やトンネルに致命的な被害がなかったからだろう。

車窓からは海が見える区間もちらほらある。ボラ待ちやぐら という不思議なやぐらが海に浮かんでいるのが見える。

かつて能登で行われていた漁法で、やぐらの上で漁師が待ち、魚群がきたら網を引き上げるという、それで使われたやぐららしい。

今となっては実用性はあまりないのだが、こうして残されている。


穴水駅は中身が取り払われて駅と出入りできるぐらいの機能しかない。

本当ならばレンタサイクルを貸してくれるらしいがそれも休止中。

ついでにバスも本数が減っていて往来は不便である。

フリーきっぷの裏に書いてあった 能登中居鋳物館、面白そうだとおもったが、

バスがこの本数で自転車もなければどうにもならない距離である。後で調べたらそもそも休館中だった。

穴水駅前の歩道はボロボロだった。

駅前の施設はボランティアセンターになっているようで、駅の駐車場(道の駅でもある)には東京から救援活動に来た車がいた。

七尾は古い建物が壊れているという印象だったが、穴水はよっぽど新しい建物以外は壊れているぐらい。

大地震が繰り返し起こった影響はあるとはいえ、やはり震度6強というのは別格に怖いなとみていた。


穴水まで汽車で来られるようになって、足を運ぶだけならなんとでもなるようになった。

ただ、ここまで壊れていると来たところでできることがほとんどない。

昼食を食べるところも選択肢がなかなかなくて、これはしくじったなと思った。

幹線道路には災害廃棄物を運ぶダブル連結トラックが目立った。

今は壊れて危険な建物の解体に注力しているのが実情ではないか。

穴水町役場の近くにある歴史民俗資料館も、屋根にブルーシートがかけられていた。

足場が組まれ修理中だったが、こんな建物でもなんらか壊れてしまうのだから驚く。

高台に上がると陸上競技場のフィールドが仮設住宅になっていた。

地形の険しい奥能登では仮設住宅の用地確保も容易ではない。

土砂崩れもあったようで、通行止めに「解除中」と貼られている道路があり、

何なんだろうと通ったら、建物を解体して土砂を撤去して養生してという作業をしているようだった。


ボロボロになった郵便局(敷地内に仮設建物など作って対応しているとのこと)や、

シャッターに「役場で営業中」と書かれた銀行など、こんなのも壊れるのかと。

住むには危険な家も多く、これではとても穴水に住むのは大変だろうと思う。

ただ、交通の便の悪い奥能登で暮らす人というのは、当地の医療・福祉やその他、この地域の生活に欠かせない人と家族がほとんどである。

加賀地域に避難しても家族の一部は能登に留まらざるを得ないということは多く、

なんとか当地で生活再建を進めたいが、その道のりは遠いものである。

もともと加賀地域に移住して済むならこんなところ住んでない、とは言い過ぎだが、

奥能登に住むというのはそういうことなんだというのは最近気づいたことである。


そんなわけで散策しただけで大したことは出来なかった穴水滞在だった。

汽車の本数は限られているからもう去るしかない。

また改めて来たいと思う。

それで汽車に1時間弱揺られて七尾に戻ってきた。

また1時間ぐらい待って、今度は高岡行きの高速バス「わくライナー」に乗る。

高速バスというのは能越自動車道を走るため。これを使えば七尾と氷見は近いのだ。

わくライナーというのは和倉温泉にかけた命名で、富山県側から和倉温泉へ向かうことを想定したバスと思われる。

下道に降りて海沿いの道を走って ひみ番屋街で下車。道の駅である。

ここから氷見市街まではちょっと離れてるけど、散歩しながらいきましょう。


しかし夕方では ひみ番屋街 もほとんどの店が閉まっていてどうしょうもない。

七尾でも思ったが休日昼間はそれなりに店が出ているが、夜は早々閉まってしまうようだ。仕方ないのかな。

氷見漁港をみながら歩いて行くと不自然に舗装が剥がされているところがちらほら。

歩道が公園の砂場のごとくなっているところもある。これは液状化だろうな。

氷見もまた地震の被害が大きかった地域である。

交通の便は比較的保たれていたので、早期から水道関係者が水道の修理や給水活動に入っていた。

震度5強だと建物の被害は限定的だが、断水は広域に影響するので大変だ。

ただ、それより気になったのは氷見市街の商店街がゴーストタウンのようだったことである。

休日夕方というのもあるんだろうが全然人が見えない。アーケードもあるのに。


氷見からは氷見線の汽車に乗って高岡へ。

ICOCA改札機がなくてびっくりしたが、JRは城端線の新高岡~高岡以外はICOCAを導入していない。

ただ、接続する あいの風とやま鉄道がすでに導入しており、今後同社への移管も決まっていることから、そう遠くないうちに導入されるとのこと。

朱色に塗られた古風なデザインも相まって古い汽車だなと思いながら揺られる。

高岡駅では金沢方面は20分待ちということで改札口付近の待合室で待ちぼうけ。

改札口にはICカード専用の自動改札機と昔ながらの有人改札のブースがあって、

氷見線や城端線の客は全員有人改札に行き、場合によっては現金払い。

あいの風とやま鉄道からの客はICカード利用者もいるが、まだ割合は少ないか。


金沢行きの電車に乗って県境を越えて再び金沢駅に戻ってきた。

もう土産物屋は閉まる時間らしい。新幹線の最終ってこんなもんか。

ロッカーから荷物を取ったのだが、この時間でもかなり埋まっている。

って夜通し使う人がこんなに多いのか? なんで?

荷物を回収して宿へ向かう。バスに乗ろうかと思ったが結局は香林坊のあたりの宿まで歩いたのだった。


能登地域もまだら模様という感じはあるが、七尾でもそれはそれで厳しいと思う。

安全に暮らせるようになるには、壊れた建物を除けて、代わりになる家を確保して、

なんとか使えるようにした道路などのインフラも正式に復旧させて。

と、こういうことをやりたいところだが、能登全体としてはまともな道路がない地域もあり、

なんとか道路などのインフラを使えるようにするというのも必要である。

リソースにも限りがある中、どこから手を付けるべきかは難題である。

そんなことを思った1日だった。金沢は本当に何にも痕跡見えないんだけどね。