有明アリーナのボトルネック

昨日、有明アリーナからの退場に思うところがあったと書いたが、

後でいろいろ調べたら、内外の構造にいろいろ問題があるなと。

そういう作りなので、打開策に乏しいことが課題である。


さて、うちから江東区有明へ向かう場合、もっとも楽なのが東京駅から都05-2系統のバスに乗って行く方法である。

往路はこれでいったが、少し早めに行くので有明二丁目まで乗って有明ガーデンに。

有明ガーデンといえば、東京ガーデンシアターのために行ったことがあるけど、

シアター前の広場は女性がたくさんいて、今日も盛況のようだ。

先に夕食は食べることにして、頃を見計らって歩いて有明アリーナへ向かった。

途中で改装工事中の有明体操競技場が見えた。

この施設はオリンピックの仮設施設なのだが、当面は展示場(有明GYM-EX)として活用されるという特殊な施設である。

どれぐらいの期間使われるんでしょうね?


有明アリーナの敷地南西角から階段を上がって2階レベルへ。

ここは階段しかないのだが、北西角は道路との段差が少ないのでスロープが設けられているから、階段を使うのが難しい人はそこから入るのがよいようだ。

そして入場口は北側、運河に面したところにある。

入場口から入って指示に従って左に歩いて行く。

上部の案内表示に後付けで「↑3・4階席」「↑アリーナ」と付け足されているのが、不格好な気もするけど……

他の人も言ってたけど、この有明アリーナの通路はまるで迷路のような印象を受ける。

とても方向感覚を失いやすい構造なのである。

床に席番号の目安を書くなど、新しい会場ならではの工夫も多く見られるのだが、それ以上に迷う人が多いようだった。


有明アリーナの中を歩いての印象はまず売店が随所に設けられていたこと。

ちゃんと営業してましたね。

(使ってないけど)トイレも広そうだったし、「カームダウン・クールダウン」なる部屋もあった。

これは観覧中にパニック状態になった、あるいはパニック状態になりそうな人が待避して落ち着くまで待つための空間ですね。

主に発達障害・知的障害・精神障害の人の利用を想定している。(今回は開けてたのかな?)

パラリンピックでは車いすバスケットボールの会場となったこともあってか、

車いす席は主に2階レベルに比較的多く用意されている。


ただ、出入口に近づくほど、通路の幅の割に人が集中するという問題がある。

フロアガイド (有明アリーナ)

一般的な体育館は入口が後方か側面に設けられることが多いのだが、

有明アリーナについては入口のある北側が前方となる。

体育館として使う場合、前も後ろもあまり考える必要はないのだが、アリーナに人を入れて使う場合はこうならざるを得ない。

なぜか? それはアリーナ席の入口が南側に設けられているからである。

このため、アリーナ席の人は2階通路を半周回って南側に向かい、階段を降りてアリーナ後方に向かわざるを得ない。

さらに今回は3・4階へ向かう階段は南側の2つのみを使用していたよう。

おそらく3階北側はステージの裏側なので入られると不都合だったのではないか。

だから3・4階席の人も2階通路をほぼ半周する必要があった。

さらにこれは入場時に限らず、退場時もこうなので、恐ろしく混雑するのである。


ちなみに他の体育館だとどんな風になっているのかという話ですが。

早々にスタンドとアリーナを分離しているところが多いと思うんだよな。

入口を入るとアリーナの人はすぐに階段を降りなさいとか。

武蔵野の森総合スポーツプラザの場合、スタンドは3階、アリーナは1階と入場口を分けている。

大阪城ホールの場合、2階レベルから入って左右に分散して、アリーナの人は途中で1階レベルの階段に降りてという感じで、

出入口に近づくにつれて通路が混むのはそうなのだが、退場時は複数の扉から出すこともある。

周辺が公園なのでどこから出してもなんなり移動できるからそれでよいのである。


というところで有明アリーナ、もう1つの問題が人が集中しやすいポイントがいくつかあるということ。

有明アリーナの最寄り駅について、新豊洲・有明テニスの森・国際展示場・東雲の4駅が書かれている。

なぜ新豊洲が筆頭なのかというと、出入口からもっとも近い北西角から、木遣り橋を渡れば、道路を横断することなく駅まで行けるためということが帰りにわかった。

新豊洲以外の3駅については、敷地南西角を通ることになる。

有明テニスの森駅は西側に、国際展示場駅は南側に横断する。

東雲駅は横断せずに東側に進んでもよいかもしれないが、利用者は少ないだろう。

あと、銀座・東京駅方面のバスに乗る場合はこの交差点を2回横断する必要がある。

この交差点の信号待ちの人が交差点をふさがないようにアリーナに沿って整列させていると。


そう考えれば新豊洲駅を使うのがもっともよいのかといわれるとそう単純ではない。

なぜならば木遣り橋の歩道は狭いので、ここが集中するとひどく混み合うからである。

そもそも新豊洲駅は豊洲駅の1つ隣で、そんなに離れてもいない。

なので、こちらへ歩く場合は豊洲駅まで歩くことも多く、その場合は徒歩20分ほどだそう。

それでサクサク歩けるならいいけど、木遣り橋が混雑しては困った話である。


さて、僕はどうしたのかという話だが、バスで帰るつもりだった。

この時間はバスが30分に1本ぐらいで、スムーズに退場できれば間に合うかな?

と思ったが、会場内外の通路の混雑もあり、南西角の交差点に着いたところでバスが見えて、バスを逃してしまった。

どうしたものかなと思ったが、横断歩道を渡ってバスを追いかけるように木遣り橋を渡ってしまった。

木遣り橋の歩道が混雑すると書いたが、道路を挟んで反対側なのでガラガラ。

じゃあ分散すればいいじゃないかと思うけど、道路を横断するのは遠回りなのでそうもいかない。

バス時刻表で確認したところ、晴海三丁目まで歩けば、晴海埠頭発着のバスが使えそうだ。

というわけで新豊洲駅も過ぎて、さらに晴海大橋を渡って、晴海三丁目バス停に着くと、ちょうどバスが来るところだった。

ここまで小走りで20分ほど。有明小中学校前で次のバスを待つよりも時刻表上は10分ぐらい早く帰れたことになる。

そんなに悪くは無かったと思うが、晴海大橋を渡るのはタフだった。


敷地南西角に集中する問題については、実は敷地東側を通る遊歩道があり、

こちらに東雲駅方面へ向かう人を分散させるという方法は考えられる。

ただ、混乱の原因になると考えたのか閉鎖されていた。

できるだけ整然と人を流すことを考え、敷地北西角に人を集め、

ここで新豊洲駅方面とそれ以外に分けて、南西角の横断歩道へ向かう人は敷地に沿って歩道に貯めて……となる。

こういう整理をせざるを得ないので、すると退場時は適当な扉から客を吐き出すという対応はしがたいのだ。


この問題に対して、なかなか効果的な対策はわからない。

有明アリーナはアリーナ席に仮設席を置いたとして最大15000人収容、

実際にはそこまで入らないにしても10000人ぐらいは軽く入ってしまう。

そこに対して歩道とか横断歩道がボトルネックになってしまうと。

これは運用方法でなんとかできる話ではないんだろうなと思った。


そんな中で1つ思ったのは、木遣り橋の下、運河沿いを歩くことで道路を横断できるんじゃないかということ。

有明アリーナから運河沿いに降りる階段はあって、退場時は閉鎖されてたけど、

これで横断歩道を通らずに木遣り橋の下が通過できそうな気はする。

ただ、そこから道路に出る階段などがないのが問題である。

まだ周辺の道路が整備中なので、将来的にどうなるかわからないが、

新豊洲駅方面であれば木遣り橋の反対車線側の歩道に出して分散させたり、

さらに運河沿いを歩かせて、環二通り(ゆりかもめが通っている)まで行かせて、有明テニスの森駅、あるいはさらに南に歩いて国際展示場駅と。

こういうことは無理なくできるんじゃないかなという気はする。


でもそれ以外はなかなか打開策はないかもね。

ゆりかもめ は輸送力や経路の面でアテにしにくいとすれば、駅からの距離からしてバスがいいと思うんだけど、

敷地内にバスターミナルなど置けるわけもなく、そうすると難しいよねと。

実は、有明ガーデン内にある劇団四季の劇場では、終演にあわせて東京駅方面の臨時バスを用意している。

これは終演時間が一定しているという事情もあるが、有明ガーデン内にバスターミナルがあるからこそとも言える。

(有明ガーデンバス停は定期便でも都05-2系統の一部が折り返しに使っている)

そういうのが必要であるという認識はなかったんだろうな。一見して駅から遠いとは思わないもんね。

来場時はまぁこんなもんかと思っていた人が多いだろうし。それは寄り道しながら来るのもあるのだろうけど。

出勤してるがゆえにWeb開催の会合は不便

最近はハードウェアを使う仕事ばかりなので連日出勤なのだが、

そんな中でやむにやまれず午後だけ在宅勤務にした日があった。

それもプライベートの都合ではなく、労働組合の都合という。

別に組合にそう言われたわけではないが、そうせざるを得なかったと。


この日は労働組合の定期大会ということで、下っ端の役員だと全員出席ではないのだが、そんな中で出席者に割りあてられたわけである。

当時はあまり問題ないと思っていたので、それも役目と引き受けたわけだが、

実際に日程が近づいて、定期大会の情報と仕事の状況を重ね合わせると、これは困ったなとなってしまったのである。


なにが問題だったかというと、この定期大会が「Web開催」ということ。

当初想像していたのは、労働組合の会議室かWeb会議かどちらかで参加だと思っていたのだが、

登壇者以外は必ずWeb会議での参加であると。

Web会議への参加にあたっては必要時にカメラをONにする必要があるため、

社内で参加する場合はオープンスペースからの参加は認められず、別途会議室を確保する必要があるとのことである。

さらに言えば集合時刻は定時直後である。

後に組合施設内に社用PCを持参してWeb会議に参加することも可能であるという通知はあったのだが、当初はこういう話だった。


というわけで、社内にいると定期大会のWeb会議での参加に不便であると。

それならばこの日をまるごと在宅勤務にするということも考えたのだが、

当時は試作品が届いたばかりで、やはり物を触れないのは困ると。

そんなこんなで午前中は出勤して、昼休みを若干延長して帰宅・昼食、午後は在宅勤務とすることにしたのだった。

昼休みに移動するのは面倒だけど、これが限度だなと。

半日程度であればマネージメント関係やデータ整理など在宅でもそれなりに有益である。


以前はこういう労働組合の集まりは基本的には会議室に集まって行っていた。

本社勤務の人はあまり問題ないのだが、他の事業所の人の場合、定時前に離席して移動することになる。

この場合の離席時刻というのは労使交渉で定められた時刻による。

さらに移動にかかる交通費は労働組合から支給する。その原資は組合員が納める組合費である。

それでもかつてはテレビ会議で代替するのは考えられないことだった。

(おそらく日常的な活動ではテレビ会議も活用していたんだと思うが)

これがWeb開催になったことで、離席手続きや交通費支給といった手間が省け、時間の節約にもなった。

基本的にはありがたいことだと思う。


Web開催というのは主催者にとって会場確保が不要になる一方で、

参加者側で適切な参加場所を用意するのが手間というケースはまぁある。

参加者側にも時間などが節約できるメリットはあるのだが……

どっちの方が勝るかは状況によりけりである。

稀なケースのような気はするし、結局は半日を在宅勤務にすることで問題を打開してしまったのだけど。


今回の定期大会では、出席確認が面倒そうな印象を受けた。

担当者と出席者1名ずつ会話しながら出席確認をしなければならないから。

(ここをスムーズにするための工夫もあったのだが、基本的に面倒である)

逆に楽なのが採決で、これは投票機能で人数がすぐ数えられる。

未回答となる可能性はあるのだが「未回答は賛成とみなす」という説明はあった。

この定期大会ではあまりメリットにはならないですね。

土管の街から名古屋市内を右往左往

半田市内にはJRと名鉄が通っているが、名鉄の駅の方がはるかに立派である。

利用者も多いが、本数を比べると断然こっちの方が多かった。

その名鉄の駅にやってきたのは常滑行きのバスに乗るためである。

一部の便はセントレアに乗り入れるので空港連絡バスの一面もあるが、あまり一般的ではないでしょう。

知多バスのWebサイトを見たらmanaca導入と書いてあったからてっきり使えると思ったのだが、対象外路線なので現金しか使えないようで。

常滑市内に入り「INAXライブミュージアム前」でジャラジャラ払って下車。


というわけで最初の目的地はINAXライブミュージアムである。

INAXというのはなくなったわけではないが、表に出てくることの減ったブランドである。

というのも、INAXはトステム他と合併してLIXILとなり、その中のブランドとして残っているというが、商品の刻印もLIXILとなっている。

もっともINAX製品は耐久性の高いものも多く、INAXどころかその前に使っていたinaマークの製品すら見ることもあるけど……

この施設の開業した2006年にはまだINAXの社名が残っていたというか、LIXILという名前が生まれる前の話である。


複数の建物からなる博物館で、迷っている人も多かったが、受付は「窯のある広場」にある。

ここは土管を焼いていた工場である。って土管!? そう、実はINAXのルーツは土管にあったんですね。

そもそも常滑というのは土管と大きな甕の生産が盛んだったそうである。

焼き物が盛んな土地は数あれど、常滑は巨大な焼き物を多く作っていたと。

その理由はあとで書くこととして、工業的に重要性が高かったのが土管である。

粘土を成形して土管の形にして、2階において乾燥させ、それを1階の窯に入れて焼き上げて冷却して取り出して運搬と。そんなことをやっていたという。

実際の土管も展示されていて、食塩釉なんてあったのかと驚きつつも「環境問題で作られなく」と記載されていた。

だいたい想像は付くかも知れないが、食塩はナトリウムと塩素からなり、このナトリウム分がケイ素と結合してガラス質の表面ができるということだが、

残された塩素というのがそのまま排出されれば大問題であったということ。


INAXにとって創業以来、力を入れてきたのが建築陶器ということで、古くはテラコッタ、現在ではタイルということである。

これらの展示が全体としてはメインであり、テラコッタについては解体された建築物からの移設展示、

タイルについては「世界のタイル博物館」で歴史的なタイルの展示、あるいはそれを再現した展示がある。

イスラム文化で生まれ、ヨーロッパで発展し、それが今の日本のタイルの基礎になっているが、

一方で陶を貼り付けるという文化はそれ以前にも各所から伝来し、

それゆえにいろいろな呼び名があったのを1922年に「タイル」に統一したということで「日本のタイル100年」という展示がされていた。


展示では控えめだったが、やはり今のINAX・LIXILの陶器といえばトイレですよね。

「世界のタイル博物館」の中で控えめに展示されていた「古便器コレクション」、

かつては柄の付いた便器が好まれたみたいですね。今にしては悪趣味だが。

常滑は元々便器の生産はあまり盛んではなかった。土管作りに力を入れていたから。

ただ、愛知県としてみれば便器作りは盛んに行われていたようである。


ここから常滑駅まで歩いて行くのに寄り道ということで「とこなめ陶の森資料館」へ。無料で見られる。

常滑焼の過去から現在へ見ていくわけだが、やはり甕なんですかね。

で、常滑がこういう大きな焼き物に適していたのは、海運が使えたということですね。

土と地形は他にも適したところはあったかもしれないが、海に面しているのはなかなかなかったのである。

土管も大量生産したものを海上輸送で効率よく運べるから常滑が一大産地になったと。

ただ、時代を経て甕も土管も使われない時代になってきた。

そんな時代でもデザイン性と耐久性を兼ね備える焼き物には魅力があるということで、その典型例がタイルですね。

このあたりを歩いていると土管や他の焼き物を構造物に埋め込んだり、デザインとして置いているのをよく見る。

出荷できなかった製品をこういう形で活用していることがあるらしい。


常滑駅から電車に乗って名古屋へ。

準急という速いのか遅いのかよくわからない種別だったが名古屋市内までは先着してくれた。

さて、日本ガイシホールに行くわけだが、真っ直ぐ行くわけにもいかない事情がいくつかあった。

まず、ペンライトを忘れたということ。忘れたならそれはそれでという考えもあるが、多色式ペンライトが壊れていたので買ってもいいなと。

次にホールのスタンド席の荷物置き場に困るらしいので、宿に荷物を押しつけたかったこと。

まっすぐ行くなら大江駅で降りると近いけど、そうもいかないので金山まで乗って、昼食食べたらドニチエコキップを購入。ここからは市営交通縛りで。


しかし、ものすごく慌ただしかった。

まず宿の最寄り駅である名古屋駅に行く。荷物を預ける。

そして、ペンライトを買おうとしたが、まぁ大須に行くしかないなと。

上前津駅まで乗り、店で買い物、10分後の電車に乗り直して堀田駅まで。

なぜ堀田駅かというと、基幹1系統で南区役所まで乗るとホールに近いため。

基幹1系統は側方に専用レーンを備えた道を走り、本数が比較的多いので使いやすい。

都心側は栄で、大須からでも矢場町から乗れそうだったが、時間に余裕がないから地下鉄で行けるところまで行くと。

その南区役所バス停で降りて、跨線橋を越えると日本ガイシアリーナ、名前が紛らわしいがプールですね。

その先に見えるまん丸の建物が今回の会場である。

通常は笠寺駅から来ることを想定しているので、導線がことごとくあわないが、

なんとか無事に席に到着できた。10分前、ギリギリだけど間に合ってる。


さて、今回の旅行のお目当てはここで行われる「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS LIKE4LIVE #cg_ootd」である。

1会場、名古屋だけで行われるものだが、デレステ7周年合わせという側面がある。

こう言われると、そういえば3周年合わせで前橋で行われた「SS3A Live Sound Booth」が思い起こされる。

さほど競輪場でもない

今回、名古屋市内で「でらます」という周遊キャンペーンが行われていたが、

そういえば前橋でもそんなことやってたよなぁと。とやはり似ている。

もっともイベントの位置づけは前回は6thライブ(シンデレラガールズ初の単独ドーム公演)の前哨戦という感じで、今回は10周年ツアー後の余興のような感じで、ここはだいぶ違うと思う。

やり残し? なんですかね。最近はテーマに縛られてやりにくかったところを攻めたのはあるのかな。


このホールへのアクセスは通常、JR笠寺駅が使われるが、

帰りはひどく混雑することが知られている。臨時停車で本数は稼げるはずなんだけど、駅の構造が悪いのか。

そこで他の交通機関に分散するとスムーズというのは言われていて、その1つにはバスがあると。

帰りも南区役所前から栄行きのバスに乗ってもよかったが、宿は名古屋駅周辺である。

桜通線一本で行ける新瑞橋駅にバスで行った方がいいんじゃないか。

ということで見てみると本数は1時間4本程度あり、跨線橋を渡る前のところにあるバス停から乗れるので楽である。

知ってる人は知ってるのかちょっと並んでいた。まぁ座れる程度だけど。

新瑞橋で夕食を食べて、桜通線に揺られて宿に向かった。

結局、笠寺駅の混雑もしばらく待てば引くわけで、名古屋駅だったらそっちの方が早いだろうと。

それならわざわざこんな面倒なことをする理由はあまりないんだが、ドニチエコキップも買っちゃったしね。

少なくとも栄方面に行くなら基幹1系統はよい選択だと思いますよ。


というわけで名古屋に来てからはいろいろ慌ただしかったが、

お目当てのことはすべてできたし、これはこれでよいということで。

明日は朝から東名ハイウェイバスで帰宅。結局はこれなんだよね。

安城と半田をゆく

早朝に起きて、東京駅に向かって東名ハイウェイバスに乗り込む。

名古屋行きの東名スーパーライナーはだいたい席が埋まった状態で出発、

出発して1時間ほどはうとうとしていたからよくわからなかったけど、神奈川県内では渋滞につかまりながら、およそ30分遅れで足柄SAに到着。

この先は目立った渋滞はなく、由比のあたりは車線規制(リニューアル工事に伴うもの)があったけどそこまでの影響はなく。

そのままおよそ30分遅れで東名本宿下車、少し歩くと確かに名鉄の本宿駅があった。

乗換に便利とは聞いていたけど、確かにその通りですね。駅→バス停は初めてだとわかりにくいかもしれないけど。


ここから名鉄に乗り込んで新安城で西尾線に乗り換えて南安城まで。

西尾線は名古屋本線との直通運転もあるようで、けっこう利用者はいるようだった。

南安城が名鉄にとっての安城市街への最寄り駅ということになる。

ここから歩いて少し、やってきたのが安城市歴史博物館である。

以前、名古屋市博物館に行ったとき、三河は各地域で博物館がありますからねということをガイドが言っていたが、安城にもあると。

名古屋市の博物館・美術館


安城というのは、徳川家康のルーツである三河松平氏の拠点があったということでこのことを宣伝している。

あと、浄土真宗の影響が大きく、三河一向一揆が起きて、徳川家康の家臣も分裂するけっこうな争いだったと。

この起点となった本證寺があるのも安城市である。

というわけでこの辺が歴史の舞台という感じだが、こういう時代を表す資料というのはなかなか博物館も所蔵できず、複製品を展示するのが精一杯。

結局はそれより古い時代、桜井古墳群とか、あるいはそれより新しい時代、明治以降に農業で栄えたところの資料が充実しているという状況である。

安城市一帯は碧海台地ということでかつては水利に課題があった。

これを打開するためにできたのが明治用水である。

その取水口の明治用水頭首工は固定堰から可動堰に作り替えられ機能強化が図られたが、最近漏水で大騒ぎとなったのは知っての通り。

これにより農地としての開発が進み、デンマークを模範として多角的農業の普及が進み、安城は農業都市として発展したのだったという。

ただ、現在の安城というのは三河の他の都市と同じ工業都市としての側面が強いのが実情だという。


博物館を出て周辺を歩いていると、「安祥城址公園」との記載が。

この博物館の隣接地が展示でも出てきていた安祥城の跡地だったんですね。

まさに歴史の舞台なのだが、コンパクトな城だなと。

実は安祥城は三河で各勢力の争いが続いていた時期は重要拠点として多くの争いの舞台となっていた。

しかし、松平と織田の同盟が結ばれるとその重要性は失われ廃城に。

城というのは平時なら行政機関としての役割もあるわけだけど、それは岡崎城でよかったってことらしい。


なんで安城にやってきたのかという話だが、1つは乗換のためというのもあった。

どこかで名鉄からJRに乗り換える必要があったと。

そこで寄り道できるところとして選んだのが安城だったというわけ。

ということで安城駅からJRに乗り込み、武豊線に乗り換えて知多半島に入る。そして半田駅で下車と。

武豊線は2015年まではディーゼルカーが運行されていたが、現在は電化されて電車が走っている。

そういう路線なので本数は1時間2~3本程度のようだ。


半田にやってきたのも宿の都合である。

ただ、半田というのはミツカンの本社があり、ミツカンミュージアムという博物館があって、これが面白いのではないかと思ったのだけど、

この博物館、長く休館していて最近再開したが、予約制で1日50人ぐらいしか観覧できないのである。

企業博物館ということで広報活動の一環でもあるが、無理に開ける必要はないとなりがちだし、

開館したところでどうせ採算が取れる施設でもなく、最低限の公開になっていると。

しかし、ミツカンの本社とミツカンミュージアムと立派なもんである。


それにしてもなんでミツカンは半田に拠点を置いているのか。

実は半田というのはもともと酒造が盛んな土地だったという。

清酒の製造時には酒粕が発生するが、この酒粕を原料にした粕酢は、江戸前寿司によく合い、価格的な競争力もあったそうである。

こうして酒屋から独立してできたのが中埜酢店、後のミツカンである。

このルーツより中埜酒造(国盛の商品名で知られる)とは同根である。

ミツカンは瓶詰めの酢で市場を獲得し、世界展開を果たすこととなり、また酢以外の調味料や納豆でも知られるようになった。

一方で会社のルーツである粕酢も継続して生産しており、江戸向けに使っていた「山吹」という商品名で販売されている。

そういえば寿司に赤酢(色からこう言われることもある)が使われることがあるとか聞いたことがあるけど、そういう背景だったんですね。


ミツカンは現在も中埜家による同族経営が続く非上場会社である。

この中埜家の半田における勢力は相当なものであり、文化財として公開されている建物もあるけど、

半田市街に広い土地を取ってある施設があって、公的施設なら地図に書いてあるだろうけど、何も書いてなくて変だなと思ったら、

どうも中埜家の屋敷らしく、中埜家の資産管理会社の中埜産業や一般財団法人

招鶴亭文庫の所在地ということになっている。

この招鶴亭文庫の活動とミツカンミュージアムは関係があるそうだが、博物館がこの状態では公開活動は難しいだろう。

今もこんな絵に描いたような豪商が生き残ってるとはなぁと驚く。

いや、こっそりと生き残っている例はいくらでもあるでしょうが。


ということでちょっとぼやけた感じのある1日だったが、

まぁこれはこれで愛知県のあまり来たことの無かった地域を回ったのでよかったのかなと。

結局は宿が安かったからというのがこの旅程のだいたいを決めていたと。

でも、半田ってのはいろいろ好都合だったんですよ。

弁当屋もお休み

ここのところ業務内容から連日出勤でやっているけど、

一応、フロアの出勤率を把握して一定超えないように調整してるんですよね

それで日ごとの出勤率のデータが出ている。

普段は20~50%の間をうろついているわけだが、今日はなんと10%を切っていた。

これは出勤率が低いというより、休暇の人が多すぎるんですよね。


まぁ毎年のことだよね。

夏休みは人によって違うが、盆の前後の2週のどちらかに取る人は多い。

夏休みを前後に伸ばす人、あるいは他の時期に夏休みを取る人でもここだけ休暇を取る人。

そういうのが重なるとそもそも仕事してる人が全然いないと。

まぁ僕みたいに特にこだわりもなく仕事をする人もいるわけですがな。


さて、こういう日に出勤すると何が困るかというと、弁当屋が来ないのである。

これはうちの職場の都合ではなく、弁当業者が夏休みらしい。

職場で毎日弁当食べてる人には当たり前の事だったかもしれないけど、僕にとっては今年初遭遇だった。

食堂は特にこういう夏休みはなかったんだけどね。


というわけでだいぶ久しぶりにカレーメシを買って持参して昼に食べていた。

一時期は弁当屋が来ないから連日これだった時期もあったんですがね。

出勤者が多すぎるから調整

ちょうど1年前ぐらいにそんな時期があったのか。そういえばそうだったか。

もうそのとき以来なんじゃないかな。


仕事から帰ってきて明日は大雨だということで今日中に買い物に行ったが、帰りには濡れながら帰るハメに。

僕にとっては特にどうってことない週末である。

研修はWebから参加でも可

労働組合の職場代表に選出され、労働金庫の口座を作った話を書きましたが。

労働金庫の口座が必要

手続きが完了したようでキャッシュカードが来ましたね。

まだインターネットバンキングの設定が届いてないけど。

(確か無通帳だから取引内容の確認に必要なのだけど)


労働組合の役員になると年2回ぐらいは研修がある。

以前はこの研修を社外の施設でやっていて、休日に1日仕事だった。

もっとも一部の役員は泊まりがけで2日間だったとか聞いたけど。

また同じような内容の研修があるのかと思ったらやり方が変わっていた。


というのは一部の役員を除いてはWeb会議で参加可能で、半日で終わるようになっていた。

半日でも内容は従来とあまり変わった気はしない。

もちろん削られた内容はあるけど、集まって研修の場でやることでもないし。

その上、自宅から参加できるなら往来に時間もかかりませんからね。

本社近くでの開催だが、一部には他の事業所の人もいるのでなおさら。

だいぶ楽になったなと思った。


一部の役員は相変わらず2日間(2日目は半日で終わりだが)だが、

従来は社外で泊まりがけだったのが、社内で労働組合の会議室でやるようだ。

これもこれで負担は軽減されるのではないか。

元々なんで泊まりがけだったの? という話もあったでしょうしね。

夜までなんかやってたんかね。せいぜい懇親会ぐらいのもんだとおもうが。


一部の役員を除いてはWebから参加可能としたことにより、

会場規模が小さく済むので結果として社内で実施可能となったわけである。

Webから参加可能なだけで、現地で研修を受けるという方法もあるらしいが。

それがあまりに多いとこの目論見は崩れると思うのだが、そういうことはないと。

この点でもメリットがあるようだ。


もちろん研修ということで一同に集まることが従来は重視されてきたことはあるし、

一部の役員が労働組合の会議室に集まってやるのも、そういう意図ではないか。

でも末端の役員にとっては研修で集まったところで……というのはあるんだよね。

その分だけ日常的な活動を充実させてくれという話でもあると思いますが。

ヒグマの動物園

登別温泉に宿泊したのは、この旅行最後の目的地がのぼりべつクマ牧場だったからである。

この牧場というのはロープウェイで登った先にある。

というかロープウェイはクマ牧場への往来専用で、ロープウェイの入口にもクマ牧場としか書いてない。

直前に気づいたがWebで購入すると1割引なんですね。2550円が2400円になる。

まぁ動物園というよりはロープウェイの値段だな。それはそれでいいんじゃないか。


名前からわかる通り、エゾヒグマの展示を主とした動物園である。

ロープウェイ開業はなかったが翌年には開業したようだ。

当初は展望だけを目的としたロープウェイだったが、早々にクマ牧場の玄関口としてのロープウェイになったわけである。

ヒグマの展示場所は大きく3つに分かれ、オス・メス・子グマに分かれている。

子グマは今年1月に生まれて半年ほど、それでもけっこう大きい。

もちろん大人のヒグマはものすごく大きい。特にオスはすさまじい迫力である。

オスのヒグマを展示している第1牧場の中には「ヒトのオリ」という施設がある。

放牧場の中にガラス張りの建物があって、そこに入ってヒグマを観察できる。

オリというが改築によりガラス張りになったので、言うほどオリっぽくはないが。

中から餌やりをして観察することも出来て、他の人がやっているのをみたら、ガラスにかじりつくかのようなクマの顔や手を観察できる。


ところでここまで北海道を巡ってきて、アイヌ文化を見聞きする機会もあったが、

アイヌにとってヒグマというのは特別な生き物である。

そんなこともあってか牧場内にはアイヌのコタン(集落)を再現してあったが、

そこには子グマを飼育するための「ヘペレセッ」という檻も再現されていた。

クマを捕らえて肉や皮を使い、それを葬る儀式をするというのはまぁわかる話だが、

実はその中で母グマを殺して使い、子グマはしばらく飼育して、2歳ぐらいで殺して儀式をするということをやっていて、それを「イオマンテ」と言っていたらしい。

山の神であるヒグマを村に迎えておもてなしするという体裁ではあるのだが……


ロープウェイで上がってきてすぐに「クマ山ステージ」というのがあって、

ここで「クマのアスレチック」というクマがエサを取る技を見せてくれる。

例えば木の切り株をほじくって虫を捕るようにエサを取ったり、ぶら下がってるヒモに挟まったリンゴを取って食べたり……

これはこれで面白いけど、なんかちょっと違和感があるなと。

展望台の建物の中にある「ヒグマ博物館」のクマ牧場の歴史を見ると、

かつてはここでクマのショーをやっていたらしい。でもやめたんですね。

これはまさに動物園の役割が変わっていく様を表していて、クマの本来の能力をうまく見せる方向に転換した結果が「クマのアスレチック」だったらしい。

園内のヒグマでも人は不用意に近づけないので、人は柵越しでクマ任せ。

展示に「ヤリ型注射器」というのがあったが、麻酔をかけずに投薬するときは、柵越しにこれでおしりを突いてやるらしい。なかなかですね。


このヒグマ博物館はパネルの内容が古いところが多数あり、

「昭和を感じる」ということで所々追記されていた。今はジャイアントパンダもクマ科だよとか。

この中ではアイヌとヒグマという話があり、ヒグマを解体してどうやって使っていたか、特にヒグマの料理ですよね。いろいろあったけどなかなか……

あとはヒグマの生息域ですが、かつては農地化・都市化でヒグマの生息域が狭まっていると思っていたが、

これも「昭和を感じる」ということで、今は北海道ならどこでもいるぞと。

当時はヒグマの行動が十分追えてなかったというのが実情らしい。

人とヒグマの関係について考えさせられる機会も増えているが、

これは明治時代に農地化を進めたときからずっとそうなんですよね。

よき距離感で付き合っていきたいものだが。


展望台からはクッタラ湖が見える。まん丸だがカルデラ湖らしい。

来たときは海の方は曇ってたが、帰るときにはそこそこ見えるようになっていた。

室蘭が出っ張ってるなぁというのがまず印象的である。


ということでここから苫小牧まで列車で移動。

この距離でも特急使えるのは楽だわ。

苫小牧に来たということは、船で帰ると言うことだね。大洗行きですね。

大洗に到着してから茨城県内を観光することも考えたが、色々都合が合わず、直帰ということで。

それなら飛行機でもよかったんじゃない? という気はするけど。

まぁでも、さんふらわあ就航50周年記念の割引運賃で安いしいいかと。

石炭の道とサケの川

今日は今回の旅行の中でも特に余裕がある日なので、寄り道をしていくことに。

北海道の路線図を見ると、苫小牧から札幌に行く線路と並行して少し違う方向へ向かう路線がある。路線名は「室蘭本線」……えっ?


室蘭本線は 岩見沢~苫小牧~東室蘭~長万部 と 東室蘭~室蘭の支線からなる路線である。

室蘭が中間にあるのが変な感じがするが、歴史的経緯からこうなっている。

この路線の苫小牧~長万部は札幌~函館を結ぶ特急や、本州~北海道の貨物列車が多く走っている。

それに対して岩見沢~苫小牧は1日8往復とかそんな本数である。

一体、この路線は何なのかというと、石炭を室蘭に運んだ線路である。

かつてはこの区間には接続路線から石炭を載せた貨物列車が集まってきていた。

その名残が昨日帯広から札幌への特急列車で通過した石勝線にあって、追分駅を挟んでS字を描いて南千歳で千歳線に合流するルートにある。

室蘭本線の支線として夕張に向かっていた夕張線を新夕張から帯広方面へ、追分から南千歳へ伸ばした結果こうなったと。

新夕張~夕張は石勝線の夕張支線として2019年まで運行されたが廃止されている。


実際どんな路線なのか。旭川行きの特急に乗り岩見沢まで行き、ここから1両編成のディーゼルカーに乗り込む。

乗客は少ないが、こまめに乗り降りがある。運賃を現金で払う人もけっこういた。

よくわからない路線だがかなり生活感はある。

かつては多くの貨物列車が走った路線とあって、走りやすそうで複線区間も多い。行き違う列車はないが。

こうして苫小牧に到着。


なお、全体的に北海道の路線名は実態にあっておらず、駅ナンバリングの路線記号は

  • 札幌―(千歳線)→苫小牧―(室蘭本線)→長万部―(函館本線)→函館 : H
  • 東室蘭―(室蘭本線 支線)→室蘭 : M
  • 札幌―(函館本線)→長万部 : S
  • 札幌―(函館本線)→旭川―(石北本線)→網走 : A

という形になっている。函館本線はその実態に合わせてH・S・Aに分かれてる。

そして今回乗車した岩見沢~苫小牧はナンバリング対象外である。


苫小牧からまた札幌方面の列車に乗って到着したのは千歳である。

一般的には飛行場の町として知られるところで、飛行機への乗り継ぎを意識したホテルも多い。

轟音がするから空を見れば、尾翼に赤い丸の描いた飛行機……って政府専用機じゃないか。

政府専用機は千歳基地を拠点にしてるんですよね。何度かみかけたので訓練中なのかも。

その後に戦闘機が飛んでいったり……あれ? 一般の民間機は?

実は新千歳空港と千歳基地は接続しているが別々の滑走路を持っていて、離着陸のルートが市街地の真上になるのは千歳基地の滑走路だけなんですね。

民間機に比べれば飛行頻度は低いと思うが、低騒音化が進む民間機と比べると軍用機はうるさいのでは? という気はする。


千歳にやってきたのは千歳水族館という淡水魚の水族館があるからである。

「サケのふるさと」と名前に付いているのだが、千歳川がそうなんですよね。

千歳というと太平洋側のつもりだったが、千歳川は石狩川水系で日本海側に流れ、水源は支笏湖である。

太平洋に近いのはそうだが、実は日本海側の川のわりと上流域だったんですね。

淡水魚の水族館もいくつか見たけど、サケ・マス類がメインでけっこう見栄えする印象である。

淡水魚には違いないけど、海にも行く魚ですからね。

水族館では水辺の動物を展示することも多いが、そういう観点で展示されていたのはなんとアメリカミンクである。

もともと毛皮のため飼育されていたのが野生化して千歳川沿いで暮らしているらしい。

この水族館には川を直接観察できるところがあって、ウグイを中心に魚がたくさん見られた。解説にはウグイが産卵していると書いてあった。


入口にインディアン水車というサケを捕獲する機械が置かれていたが、

実際この水族館のあたりで年30万匹ぐらいのサケを捕獲しているらしい。8月ぐらいから捕獲が始まるみたいですね。

なぜここでサケを捕獲するのか? それは人工孵化に使うためである。

明治時代、資源保護のため、従来アイヌたちが行っていた川でのサケの捕獲が禁止されるも、河口付近でのサケの乱獲は続き、サケの数が減っていたという。

そこで外国の方法を参考に、サケを捕獲して、そこから卵を取り出して受精・孵化させて、放流することで、サケの生息数を増やそうとした。

ただ、これもなかなかうまくいかなかったらしい。これが大きな効果を上げるのは1970年頃からだそう。

この人工孵化がどうして効果的なのかというと、サケをある程度育てた状態、さらに海のプランクトンが多い時期を狙って放流することで、生存率を高められるということである。


さて、水族館を出て、早々宿へ向かうために特急に乗るが、

千歳駅は特急停車駅ではないので、隣の南千歳までは快速エアポートで行く。

快速エアポートはこの区間の列車の多くを占め、まぁ通勤電車ですね。

南千歳が特急停車駅なのは、なにより新千歳空港への乗換駅であること。

また、函館方面と釧路方面の特急を相互に乗り継ぐニーズがあるためらしい。

乗り継ぎ駅ということで、待合室が改札内にある。北海道では珍しい。


登別駅で降りてバスに乗ってたどりついたのは登別温泉である。

背の高いホテルがたくさんあって戸惑う。

根室にいた日、予約していた宿から電話があってなにごとかと思ったら、

「この日は予約していた宿を休館にするので向かいの宿に来て」とのことだった。

これは昨年に白浜で同じようなことを経験しているのだが、

温泉宿が割安な別館を設けていて、双方が埋まるのならよいのだが、

なにぶんこの状況では別館を開けるのは割に合わないと、本館に来てくれと。

ということで立派なホテルである。修学旅行生がいるから風呂の時間はずらした方がいいよと言われたが、それぐらい大きなところである。


明日で北海道滞在は最終日である。いろいろ回ってきましたねぇ。

前に北海道に来たときは4日間の滞在でしたからね。まぁ前後はありましたが。

十勝の動物園と農業王国への道のり

昨日は月曜日は博物館など軒並み閉まっていてどうしょうもないと書いたが、

日を改めて向かったのは緑ヶ丘公園、後で知ったけどここも刑務所跡地なんだね。


宿からそんなに遠くないからと歩いて行ったのだけど、

帯広というのは自転車を使う人がけっこういるらしく、平日昼間でも自転車で走る地元住民と何度も遭遇した。

明確な理由はわからないが、平坦で春~秋の気候の良さが自転車生活に適しているのかな。

ただ、冬は雪に路面凍結に風の冷たさと自転車に向かないみたいですけどね。

あと(北海道では降雪が少ない方だけど)雪国の宿命として、道路がボロボロなんですよね。自転車の乗り心地は悪そうだ。


いろいろな文化施設が集積しているが、その中でまず向かったのは おびひろ動物園 である。

その前に帯広市野草園というのがあって、入場無料で動物園まで通り抜けられるらしい。

十勝の原野の草木を紹介するもので、その中にはアイヌゆかりの植物も多く、

そのことを紹介する看板が立っている。これは動物園にもアイヌゆかりの動物についてあった。

つぶしてデンプンと繊維質を取り出していたとか、まぁそんな感じですがね。


動物園は小学校・幼稚園の遠足での来園があると書いてあったが、午前中はいなかったな。静かなものである。

立地的に寒い地域の生き物が多いのはそうなのだが、それだけでもない。

トラとかカンガルーとか、本来暮らしているところでは考えられない帯広の寒さに慣れなければならない。

ニホンザルの展示があって、サルの仲間では寒さに強い方だが、そもそも北海道に生息していないように、帯広の寒さは大変なようで、

ある程度まではサル団子になって対応できるが、あまりに寒いと暖房の効いた獣舎で暖を取っているとのことである。まぁそれは仕方ないか。

なお、おびひろ動物園 では冬季は休日のみ開園している。それ以外の時期とは展示内容も多少制限されるが、雪・寒さの中の動物の姿が観察できる。

週末の11時~14時の3時間だけという限られたチャンスだが。


園内には「帯広畜産大学サテライトブース」という小さな建物があって、

動物園で亡くなった動物を大学で解剖して死因の調査をして、

その後に骨格標本にして来園者に紹介するという活動をしているようだ。

大学の教育活動の材料でもあるし、その後には来園者の教育活動にもつながるという取り組みなわけですね。


「氷雪の家」という建物があって、冒険家の植村直己氏の紹介をしていた。

どうも説明を読むと犬ぞりを引くエスキモー犬を動物園に寄贈して、

その後に動物園で繁殖されたエスキモー犬を借りて犬ぞりでの冒険に出かけたり。

その犬ぞりの冒険の姿を再現した模型など冒険に関する資料が置かれていた。

今どきの動物園の役割とはだいぶ違うなと思うけど。実際、現在は動物園にはエスキモー犬はいないわけだし。


動物園とともに公園内の目的地だったのだが「帯広百年記念館」である。

十勝の歴史・自然史を紹介する博物館になっている。

今でこそ農業王国と言われる十勝だが、ここに至るまでは大変なことだった。

日本各地から移住してきて、原野を切り開き開拓するも、寒冷地で湿原も多く、なかなか農業はうまくいかなかった。

これで苦しんだのは移住者ばかりではなく、もともと住んでいたアイヌたちもそう。

以前、Blogにこんなことを書いた。

そもそもアイヌ文化ってなんだよって話から始まる。実はこれって交易を通じて発展した文化だったんだよね。
海産品や動物の皮を輸出して、鉄製品や米を輸入する。そうして発展してきた。
しかし、輸入に依存ずる文化だったので、交換レートの悪化で窮し、植民地化されてしまうのだった。
さらにロシアに対抗するためには実効支配していることを示すために千島・樺太を含めて開拓する必要もあった。(略)
こうやって見てみるとアイヌ文化は滅びるべくして滅びたという感じだよね。

(札幌で山登り)

アイヌが独立を失っていく理由はこれで説明できるが、和人との共存共栄という姿もあってもよかったかもしれない。

アイヌは狩猟採集を重視していたが、耕作も一定やっていたわけだし、農業を主体とした新しい文化を築くことはできたのかもしれない。

でも、意気揚々と入植してきた和人がこれですから、どうにもならんわけだよな。

持続可能性を考えれば、狩猟採集から農業へ重点を移すことは避けがたい話だが、それも実はうまくいってなかったと。


館内には十勝の主な作物の作付面積と収穫量が示されていたが、

かつてはマメ類を多く作付けしていたが、冷害などの課題が多かった。

それが機械化・品種改良などで面積当たりの収量は大きく増加した。

機械化というのは馬耕のときにできた地面の固い層を砕いて深く根を張れるようにしたなんてのもあるらしい。

排水の改良など含めて、畑自体の改良というのはかなり大きな要素である。

今の十勝といえば、ジャガイモや小麦がよく知られる。あとは酪農ですか。

マメ類は作付け面積は大きく減らしたが、収量はそこまで減らず。


乗ろうと思ってた列車までだいぶ時間があるなと、少し足を伸ばして向かったのは「ビート資料館」である。

ビートは砂糖大根なんて言われるけど、十勝で多く栽培されている作物である。

このビートを砂糖にする会社の1つ、日本甜菜製糖(ニッテン)の展示施設である。

入館料を払うと、お土産としてスティックシュガーの入った箱を渡された。この手の博物館ではよくあるやつ。

実は日本国内で作られる砂糖の8割は北海道のビート由来、2割が沖縄・奄美のサトウキビ由来なので、実は国産に限れば圧倒的にビートなんですね。

ただ、外国からサトウキビから作った粗糖を輸入して、これを精製することも多い(ニッテンも北九州でやっている)ので、我々が使う砂糖全体としてはサトウキビ由来の方が多数派なのかなと。

ビートからの砂糖作りは、ビートを湯に浸して糖分を取り出すが、

この液は黒いので、二酸化炭素を吹き込んで沈殿物を落とす。

ゆえにビートからの砂糖作りには石炭・石灰なんていうのも必要になる。

それでさらにイオン交換樹脂を通して不純物を除去する。

そこから結晶化して純度の高い砂糖ができ、残った蜜はイーストの原料などになているとのこと。

あとビートの残りかすはビートパルプという飼料として使われている。


あとこの資料館の展示物には鉄道関係のものがけっこうあるが、

これはビート輸送とその傍ら人も運んでいた十勝鉄道の歴史である。

現在はビートのトラック輸送を行う会社として存続しているそう。

これも十勝のビートの歴史なんですね。


ビート資料館からはさすがに距離があるのでバスに乗って帯広駅に戻り、

宿に預けていた荷物を回収して、特急に乗り込んで向かったのは札幌。

札幌なのは宿が安かったというのが大きい。

札幌駅に降り立って、網走・根室・帯広とはだいぶ違う大都会に戸惑う。

札幌に来るのは初めてじゃないけど、こうして来るとギャップが大きい。

帯広もけっこうな都市だけど、地下道が張り巡らされた札幌と比べるとね。

この辺は北海道でも別世界だよなぁ。

世界唯一のばんえい競馬

旅行の計画を立てるのに月曜というのは鬼門で、なぜならば博物館などが休みであることが多いから。

帯広も例外ではなくて、当初は月曜日に根室に行こうと思っていたのである。

ノサップ岬自体は別に休みはないわけだし。

でも、どうしても帯広に月曜日までに到着しなければならない理由があったのである。


とはいえ、午前中はまだ関係ないので市内を散歩していた。

夏の帯広はそこそこ暑い。これは太平洋側の内陸の気候の特徴でもある。

太平洋側の内陸といえば、関東平野北部や岐阜県東濃にも共通する。全国最高気温常連ですよね。

もちろん北海道なのでそこまで極端な数字は出ないし、北海道だと旭川の方がすさまじい数字を叩き出したりするけど。

この太平洋側内陸の気候には他の特徴もあり、それは冬は冷えるが降水量が少ない(雪が少ない)ということである。

この特徴を生かしたスポーツがスピードスケートですね。

今は屋内で行われることが増えたけど、元は屋外競技なので。屋外でのスピードスケートが盛んな地域でないと屋内の会場もなかなかない。

このため2030年の札幌オリンピック構想ではスピードスケートは帯広開催の予定なんですね。(cf. 完全国体は貴重だが、完全オリンピックも貴重か?)


それはそうとして、なぜ月曜日に帯広にいるのかという話だが、

それは世界で唯一、プロスポーツとしては帯広だけで行われているものを観に来たと。

はて、そんなのあったっけ? と思ったかも知れないが、ばんえい競馬のことね。

北海道特有の競技で、アマチュアでは各地のお祭りなどで行われることがあるが、公営競技として行われているのは帯広競馬場が唯一である。

その帯広競馬場は原則、土・日・月にナイターでやっている。

この曜日に固定されているのは同じ北海道の門別競馬場と開催日を被らないようにしているため。

こちらはサラブレッドの競馬だが、土日はJRA・平日は門別というようなすみ分けをしていると。

このため土・日・月のどこかに帯広滞在を重ねたかったんですね。


競馬場の外には とかちむら という農産物販売所や「馬の資料館」という展示施設がある。

この「馬の博物館」は農用馬の導入から現代のばんえい競馬に至る歴史を紹介している。

かつては開墾のために馬の力をブルドーザーのごとく使っていた。

馬に付ける道具を変えて、畝を作らせたり、種まきをさせたりしていたと。

軍馬としてのニーズもあり、馬の出征の写真も展示されていた。

ただ、これらのニーズは太平洋戦争後だんだんと失われていく。

それがなんとか残ったのは ばんえい競馬 の公営競技化だったわけですね。

元々、農家が馬の力比べということで、馬同士で丸太を引っ張り合って勝負をしていたと。それがいつしかソリでの速さ比べになっていったわけですね。

かつては岩見沢・旭川・北見でも行われていたが、採算性に問題があり、帯広1箇所だけの開催となったところで、インターネット企業の支援が入り、

全国的な知名度も上がり、インターネット中継で楽しむ人も増えた。

現在はインターネットを中心に年間517億円(2021年度)の馬券売上となっている。


そんなわけで競馬場に入る。「入場無料」とのことだった。

入場料取られても100円なんですけどね。

ちょうど着いたところで2レースの発走だった。2歳新馬戦とのことだった。

2歳にして体重800kgぐらい。それで480kgの重りをひくわけである。

障害を越える前など途中で一息入れるために止まったりするが、

平坦なところをサクサク進めるときは案外速い。


というわけで次のレースの予想をするかとしたところで、雷がゴロゴロと。

雷雨の影響でなんと一時停電するほど。これでレースができないと3レースは中止と放送が入った。

3レースは? ということはこの先はやるのか?

と待っていたら6レースから再開ということになった。

スタートを遅らせるのではなくレースを中止していくのは、売上の多い発走時刻の遅いレースのスケジュールを維持するためなんだろうなぁ。


ところでこの競馬場は入口に「ホッカイドウ競馬」という看板もあったように、

サラブレッドの競馬の場外馬券売場でもある。

場内には川崎・盛岡の競馬の映像・オッズが流れていた。

あと休日はJ-PLACE帯広としてJRAの発売もやっているので、JRA用のマークカードも置いてあった。(今日はフタをされていたけど)

けっこうサラブレッドの競馬目当てに来てる人もいそうな感じだったけど。

ちなみに帯広競馬場はかつてはホッカイドウ競馬としてサラブレッドのレースもやっていて、航空写真で見るとトラックらしきものが見える。

現在はばんえい競馬に使う直線200mコースだけが機能している。


雷雨が止んでも雨は断続的に降り、そもそも雷雨でコースは水を多く含んだ状態。

こうなると高速決着になりやすいということで、そういう条件が得意そうな馬を探して買うと面白そうだ。

1レースでワイド100円だけ買うという形で遊んでみることにした。

今日のメインレースはオープンクラスとA1クラスの馬であらそわれる「天の川特別」、一応はトップクラスのばん馬も出るレースのようだ。


サラブレッドの競馬と同じようにパドックを周回する馬を見られるが、

歩いて引かれる馬ばかりではなく、騎手が騎乗して周回する馬もいた。

実際のレースでは馬の後ろにつけたソリに騎手は乗るから、

背中に騎手が乗っているのはちょっと意外な気もしたが、馬の乗り方としてはこっちが普通ですよね。

レースは言われているように展開が速く、障害をするする越えて走っていく。

大接戦で写真判定で同着なんていうレースもあったりなかなか。

しかしワイドですら馬券は難しい。

ワイドで買った2頭が3着・4着というのは惜しいのか惜しくないのか。

結局は当たらずじまいだったが、負けても700円止まりである。

1レースを除いては全く見当違いではない感じだったが1点ではなかなかね。


しかし競馬場に来て思ったのは、現地観戦はそこまで想定していないのかなと。

もちろん世界唯一のばんえい競馬、観光客の取り込みは意識しているが、

ナイターのメインレースの頃まで滞在することはあまり考えていないようで、

夕方になると少ない売店やら食堂はどんどん閉まっていく。平日というのもあったかもしれないけど。

さらに送迎バスの運行も止まっていて、メインレース後に乗れる路線バスもない。

宿までそんなに遠くないから歩いて帰ったけどね。

インターネット時代の地方競馬の宿命かな。

「ばんえいグランプリ」のファン投票上位馬の生産者インタビューが掲示されていて、農用馬に由来するばん馬の生産者の多彩さが知れるが、

その中に自分の馬が重賞に出るときぐらいは帯広で現地観戦したいが、片道6時間もかかるのでナイターでは大変だ。というようなことが書いてあった。

メインレース、最終レースの頃までいると、市内ですら思う。


そんな課題はあるけど、農用馬がばんえい競馬で生き長らえたことは間違えない事実である。

サラブレッドの競馬ではJRAはもちろん、地方競馬ですら国際交流だという話がある中、

北海道のローカルスポーツであるばんえい競馬はかなり独特な立場である。

でも、それはそれでいいのかなと思いながら、競馬場から宿への道をとぼとぼ歩いて行ったのだった。


というわけで今回の旅行の難所というのは、帯広に月曜までに到着するということだったわけ。

その上に根室の宿が取れないとか、宿の制約もいろいろ重なって難しかった。

ここからのルートは気楽なものだが、とりあえず明日も夕方までは帯広観光である。