奈良博で見る天理参考館

奈良博の賛助会員になって、特別展ごとに特別鑑賞会があって、

別にそこでなければならないわけでもないが、せっかくと。

ただ、平日の夕方閉館後というのは善し悪しではあり、

今回はいろいろ都合を考えた結果、日帰りでの関西行きとなった。

もったいないと思うところもあるが、やはり日帰りは楽である。


そんなわけで ひかり号で京都まで。なんでひかり号なのかというと早特で安かったから。

のぞみ号に比べれば空いている印象はある。

もっとも途中駅での乗降が多いため入れ替わりも多いのだが。

ひかり号もそれはそれで速いけどね。

京都駅で降りると、市バス・地下鉄の人は東のりかえ改札へとデカデカと書かれている。

地下鉄の場合は東のりかえ改札の手前で階段を降りて八条東口で直接出ればよい。

すると烏丸線の駅はすぐそこである。確かに近いな。

市バスの場合は、在来線の地下通路を通って地下東口を出るとポルタの地下街を経て直接バス乗り場へ行ける。

おそらくこの案内は中央口の混雑対策のためのものであろうと思う。

僕が普段、烏丸線との乗換だと八条口はそこまででは……と思うが、

ここもタクシーや送迎バスの人が使うからちょっとごちゃごちゃしてるかも。


ともあれ地下鉄に乗って東山三条まで。京都国立近代美術館へ。

「きもののヒミツ 友禅のうまれるところ」という特別展をやってて、

ネタがネタだけに来ているのは大半女性である。

大半の展示物は千總ホールディングス蔵で、同社の染めてきた布や着物が多い。

で、大半は友禅染の話ですね。ただ、その下絵ということで絵画、

流行のデザインという観点で陶器などほかの工芸品も織りまぜられていた。

当初は作家が自分でデザインを決めて染めていたわけだが、

画家にデザインを描いてもらうというアプローチも導入されて、

様々なモチーフをうまく配置するのは画家に一日の長があるのかなと。

ただ、それを染めるということになれば、同じ型を繰り返し使いたいとか、

そこら辺の繰り返しのデザインというのは工業デザインの得意とするところである。

ところで友禅染というと、糊を置いて染まらない部分を作って染める手法だが、

手法として「型友禅」が書かれた作品があって、型を使って糊を置く?

と思ったら、確かに糊なのだが、染料が入った色糊(写し糊とも)だそうで、

これ自体が染料としての機能を持つものだろう。型を使うので大量生産に向く。

ただ、今となってみればインクジェット印刷もある時代である。

友禅染は重要無形文化財、保持者の通称「人間国宝」の方が通りが良いが、

公的な制度もあり手工業として維持されるとは思うが、案外難しい立ち位置である。

というのも流行の柄を染められるということで流行った手法だからである。

刺繍などの追加工との組み合わせとか手工業の強みを生かしたいところはありそうだがどうだろう。


それで奈良に行くまでどうしたもんかなと京阪電車で伏見桃山まで。

以前、伏見桃山陵、明治天皇の陵に行こうかと思ったが、

時間が遅くて断念したことを思い出して向かうことにした。

これが伏見桃山駅・桃山御陵前駅からけっこうあるんだよな。

昔はここら辺までバスで行けたんだろうけど……というのは後で出てきますが。

しかも参道の一部が工事のため閉鎖されていたんだよな。

で、車で訪れる人のルートで来たわけだが、こうするとすさまじい階段がある。

なんだこりゃ!? となったのだが、高台にある陵と道路の高低差がかなりあるんですね。

で、参道を歩いて行けばだんだん上がっていくのでそうはならないけど、

そうでなければこの階段を上がるか、あるいは皇后陵を経て行くかになる。

こうすさまじい階段なのでいかにもトレーニングする人がいたが、集団で運動するのには使うなと貼り紙があった。

それにしても壮大である。明治天皇陵はこれだけで相当広大な敷地を使っている。

大正以降の天皇陵は八王子市の武蔵陵墓地に存在しているが、

お互いの兆域が被らないようにしようとするとけっこうタイトでは?

という話があり、現在の上皇・上皇后が葬られることになれば、

天皇陵・皇后陵は横並びで設けられることになっている。

(他の皇族同様に合葬も考えられたが、儀式に不都合があろうと別になったそう)

明治天皇陵が1つでこんなに巨大なのに……とは思うが、

その後の拡張は考えていなかったからというのはありそうである。


帰り道には桓武天皇陵に寄って、すると近くには伏見桃山城運動公園がある。

これ、元は伏見桃山城キャッスルランドという遊園地だったんですね。

昔はこのあたりまでバスで来られただろうというのはこのことである。

現在も遊園地の施設として作られた「伏見桃山城」は残っている。

ただし中には入れないのだが。映画撮影などで使われてはいるらしい。

ただ、基本的には朽ちるままにという感じでしょうね。

ここに城があるのはかつてここには伏見城があり、それに由来するものである。

運動公園という名目で「伏見桃山城」含めて京都市が引き取ったのは地元の要望のためである。

ちょうど公園では野球の試合が行われていたようだった。


桃山御陵前駅まで戻ってきて近鉄に乗って奈良まで。

奈良国立博物館にやってきたが、特別鑑賞会の前に「仏像館」に。

本館(これ自体が重要文化財である)は彫刻(すなわち仏像)に特化し、

「なら仏像館」と呼んでいたが、これがこの4月から「仏像館」になった。

改名の理由はわりと曖昧ではあるが、奈良県周辺の社寺からの寄託品や伝来してきた品が多いが、

必ずしもそういうわけではなく仏像という点では広く扱っているため、この名前の方がよいと考えたか。

最初の展示室がお釈迦様そのものの像ということで、涅槃像なんてあって、今まであまり見なかったなと。


さて、それで特別鑑賞会である。

今回の特別展は「世界探検の旅」ということで天理参考館のコレクションが大半である。

天理参考館は以前行ったことがあるが、世界布教を目論んだ天理教が、

世界の文化を知るために集めた様々な品がある。(cf. 天理教の海外布教のための博物館)

じゃあその目論見は上手く行ったのかというと、そこは疑わしいが。

奈良県伝来の品とはいえ、奈良博の専門分野とはまるで違い、

鑑賞会の前に説明してくれた学芸員は考古の専門家で、これが奈良博では一番近い分野だが、

奈良博で考古といえば銅鏡とか経筒とかそういうやつである。

ましてや民俗資料となれば全く無いわけですよね。そこは天理参考館に頼りっきりか。

一方、奈良博の専門分野である仏教美術と全く無縁というわけでもない。

仏教はインドから渡ってきたが、ヒンドゥー教の神様も日本で知られている仏様と同一視できるものがあるためである。

日本の神仏習合もそうだけど、インドでも似たような話があるんですね。

そこのつながりが意識できるように奈良博のコレクションも活用されている。


そんなわけで展示を見ていた。

夏休み期間の展覧会ということで小中学生を意識したものも多く、ワークシートなんてのも。

前半は普段の奈良博でもあるかもねぐらいのラインナップである。

ここまで外国の品が並ぶことはあまりないとは思うが、正倉院宝物も舶来品が多いですからね。

正倉院宝物で似たようなのありますよねと解説するのは当然の帰結か。


ただ、ここからは奈良博ではまず見ない品が続き、ニューギニアの信仰に関わる品は特にそうでは?

ニューギニアの精霊・祖先への信仰というのはわりと原始的なものなのだろうが、

それだけに天理教としては学ぶところが多かったのかもしれない。

インドネシアでは劇にちなんだものが多く、影絵人形の展示が多くを占めていた。

展示するに当たってはインドネシアの人に並べてもらったらしい。

こういうのはイスラム伝来以前からの文化に由来するものなんですよね。

言われてみれば今のインドネシアからすると違和感がある。

インドとかエジプトの話になれば、日本の仏教や埋葬儀礼にも通じるところは出てくるが。


最後は「追憶の20世紀」という章になっているが、比較的最近まで生き残っていたが……というものを集めたようだ。

アメリカ先住民族の文化というのは工芸品という形では残っているが、

こういうのもアメリカの消費文化に取り込まれてしまってはねと。

最後に中国の幌子という看板があって、これは確かに天理参考館でも目を引いた品である。

今でも中国の一部では残ってるっぽいが、それも失われる文化であろうと。

こういう世界的に珍しい品が奈良県伝来であるんですね。


そんなこんなで帰路についた。

京都駅で弁当を買って夕食にしてまた、ひかり号で東京へ。

東京駅につくと次の列車は最終の三島行きのこだま号だけだった。

こんなに遅くに帰宅するのもあまりないなと思いつつ、日が変わる前には帰ってきた。